「貴方!」
「……真里?」
呪霊の領域が自身を飲み込み、悍ましいまでの高熱がその身体を焼き尽くす。
扇が最後に見た光景、身体で覚えた記憶は、それであった。
呪霊と相対し、そして敗北した術師が辿る道は"死"のみ。
当然例外はなく、扇自身も、その運命から逃れることは叶わない───と。そう考えていたのだが。
漏瑚が宿儺の気配を察知し即座にその場を去ったことと、扇のゴキブリ並みの生命力。加えてその場に偶然味方側の術師が通りかかった、という奇跡に奇跡が重なり、なんとか生存を果たしていた。
とは言え、片腕は領域内で完全に焼失。他の身体機能も万全とは言い難く、言うなれば死に体の状況ではあるのだが。
「やっぱ死んでねえよな。流石親父、生命力はゴキブリ並みか」
「全く、そんな悪態をついても、お父さんの姿を見て涙目になってる真希の姿はきっちりこの目で見ちゃってるわよ?」
「うっせえ。それを言うならお前もだろうが、真依」
いつも通り、元気に罵り合う双子。
二人を見て一旦思考を止めた扇は、現状確認の為真希に話しかける。
「真希、真依。状況は」
「高専の連中は、とりあえず生きてはいる。野薔薇が死にかけてるが、ギリギリのところで七海さんが助けたらしい。まぁ、暫くは動けねえだろうよ。後は知らん」
「京都校はメカ丸───あのロボットが死んで、東堂が片手喪失。実質的に戦線離脱状態ね。……まぁ、片手でも私よりかは強いと思うけど」
そうか、と。
重々しく呟いた扇は、全身を包帯でぐるぐる巻きにされた状態で、ベッドから起き上がり、地にその足をつけた。
「……大丈夫なのか、それ」
「なに。剣を一振りすることさえできれば、問題はない」
フラフラと歩いた扇は、自身が持つ特級呪具の村正を持ち、真希と真依、自身の妻たる真里と向き合う。
決意、もしくはある種の覚悟が決まったような──普段の威圧感ある面持ちとはまた違う、死地へと赴く兵士のような表情を見せる扇に、三人は言葉を発することができない。
「真希、真依。村正に刻まれた術式を知っているか」
「知らん。ただのよく切れる刀じゃねえのかよ、それ」
「というか、お父さんも昔そういってたじゃない。何、今更認知症でも患ったの?」
「──因果、何かしらの関係、誰かに向けられた感情。そういった、不定形なものを断ち切ることができる。それが、村正に刻まれた術式の一部だ。無論、その他身体機能の補助等、細かい物はいくらでも存在するがな」
妖刀としても名高い、村正という刀。
かの刀匠が打った中でも指折り──とまではいかないが、後世にその姿を残すまでに至った一振り。
当然、それに刻まれたすべての力を、扇程度の剣士が扱い切れるはずはない。
扱いきれぬのならば、実質的には存在しないものと同義。
複雑な全容を説明しようにも、扇とてその全てを理解できているわけではない。どうせ使えないのなら、そんなものを学ぶよりも素振りの一つでもした方が合理的である、と考えたが故である。つまり、ただの脳筋ということだ。
「しかし、村正に刻まれた術式の発動には、術者──つまりは、私自身の生命力を相応に消費する必要がある」
「……貴方」
真里は、以前、このような扇の表情を何度か目にしたことがある。
一度目は、真希と真依の扱いについて、当主である直毘人に直談判しに行った時。
二度目は、渋谷へ出向くことが決定し、真里にそのことを報告しに来た時。
そして、三度目。
「真希、渋谷に張られていた帳の内部に侵入した際、私が言った言葉を覚えているか」
「…………命の棄て時を間違えるな、だろ」
真希も、真衣も、真里も。
この場に居る皆は全て、扇の真意を理解していた。
「貴様らは、双子だ。故に真衣の呪力は他の術師のそれより一歩劣り、真希の天与呪縛は甚爾のそれに遠く及ばない」
「だから、村正を使って私らの間にある因果を断ち切り、完全体にして見せるってか」
「然り」
術師としては、合理的な判断と言えるだろう。
渋谷で扇が甚爾を相手にして互角に戦えたのは、彼のみが一方的に甚爾の戦闘情報を知り得ていたから。
仮に両者とも初見、若しくは情報を持っていれば、まず間違いなく扇が一方的に敗北していた。
完成系のフィジカルギフテッドには、それほどの価値がある。
構築術式とて、使用者の呪力量によっては御三家相伝のそれすら上回るほどの汎用性、破壊力を持つことになる。
真衣の呪力量がどうなるかは不明としても、戦力の向上が見込めるのは間違いない。
対して、その対価として死ぬのは、以前と比べその実力も失われてしまった老齢の術師一人。
五条悟なき今、呪術師側は猫の手も借りたいほどに戦力が不足している。仮に失敗する可能性があったとしても、十分にトライする価値がある。
「……お父さんは、今の私たちじゃ呪霊には勝てない、って言いたいの?」
「分からぬ。そも、私が渋谷で相対した呪霊が連中の首魁な可能性もある以上、否定も肯定もできん」
仮にあの呪霊が首魁であれば、九十九と乙骨が組めばまず間違いなく討伐は可能。
だが、自身が討伐した特級に加え、火山と、東京で相対した木の呪霊。
虎杖、七海が遭遇したらしいツギハギの呪霊だけで、五条悟を封印することが可能であるとは到底思えない。
何かもう一つ、切り札たる存在があるはず。
扇は、そう当たりをつけている風を装った。
「だが、この命の棄て時が今であることは疑いようのない事実。故に、振る」
「…………止めなくていいのかよ、母さん」
「本音を言うのなら、それは勿論生きてほしいけれど。私が止めたところで、止まってくれるような人じゃないもの、旦那様は」
真希の問いに対し、真里は困ったような笑顔を浮かべ、そう返す。
「これでも、旦那様との付き合いは貴女達と比べて十数年長い。旦那様が、私の言葉で止まってくれるようなお人だったのなら、私もここまで心労をかけさせられることはなかったでしょうね」
「…………すまないな、真里。最期まで迷惑をかける」
「いいえ。それでも、貴方についていくと決めたのは私だもの。いまさら、文句なんて言うはずないでしょう?」
扇と真里の出会いは、名家らしく見合いの場。
呪術界における女性の立場を踏まえると、真里側にこの見合いを断る権利など存在していなかった。
そんな真里に対し、扇は選択を迫った。
一つは即座にこの場から去り、一般の身へと戻ること。自身の立場であれば、貴様一人の失踪程度どうとでもごまかせる、追っ手がくる心配もない、と。
二つはこの場に残り、扇の妻として一生を過ごすこと。禪院家における女の立場は周知の通り。自身の妻であればそうそう仕掛けてくる輩も居ないだろうが、それでも敵対派閥から襲われる可能性は否定できない、と。
この二択に対し、真里が選んだのは後者。
次期禪院の当主候補筆頭、禪院家に生まれてまだまともな感性を持つ奇跡の術師などと、基本的に対外の評価が高い扇との婚姻にさほど抵抗がなかった。
一般人に戻り一からやり直すよりも、立場の強い扇の妻となった方が得であるだろう。
そんな打算が含まれていなかったと言われれば嘘にはなるが、それでも扇の妻として在る選択をしたのは真里自身。
で、あるのならば。妻としての感情から背中を押すことまではしないまでも、扇の選択を止めることなく見守るのが、真里の仕事。
「真希」
「んだよ」
「過ぎた力は身を滅ぼす。引き時を間違えるな。……私の死後、この刀はお前に預ける。好きに使え」
「…………あぁ、わかった。どうなっても文句は言うなよ」
「真依」
「…………お父さん」
「真希のことを良く見ておいてやれ。真希が力ならば、お前は知恵だ。適材適所、真希にはできない。お前にしかできない仕事はいくらでもある」
「…………ええ」
「真里」
「はい、ここに」
「貴様と過ごした日々は、間違いなく我が人生の宝であった。…………ありがとう」
「私こそ。貴方と出逢わなければ、今は存在しなかった」
三人に一言ずつ話し終え、扇は刀を構える。
片手を失って尚。全身を包帯で覆われていても、尚その立ち姿は歴戦の猛者たる威容を保っている。
そうして、刀を振り下ろす。
急激な脱力感。視界が真っ白に染まる、明確な死を悟り、扇は最期に一言。
「さらば、我が人生の誇りよ」
もしかしたらポツポツ捕捉的な話を書くかもしれませんが、大筋はこれで終わりです。ご愛読いただき、本当にありがとうございました。