ポイント・オブ・ノーリターン
もしも、推しと同じ世界に転生してしまったとしたら。
もしも、推しの前世が自分の大切な人だったとしたら。
もしも、推しが生まれるために大切な人が死ななければならないのだとしたら。
───私は、どんな選択をするのだろう。
「生まれ変わりなんてねーよ。馬鹿じゃねえの」
「あくまで設定だから。現実の話してないから」
一世一代。
いやアタシの感覚的には二世かもしれない。
それだけの思いを込めた真剣な問いかけを、兄は前提から切り捨てようとした。
そもそも荒唐無稽な話だし、軽い雰囲気を装ってるから切り捨てられてもおかしくはないんだけど。それでももうちょっと乗ってくれてもいいんじゃないだろうか。
まったく、これだからクソ兄貴は。ロマンのかけらもない。
「んで、実際どうすんのさ。未来の推しと、いま大切な人。どっちを取る?」
「そうだな……産婦人科医としては『大切な人は死なせないし、未来の推しは元気に産まれてこられるよう全力でサポートする』って答えが正解だと思うんだが」
「これだから頭でっかちのクソ兄貴は……あのねえ。アタシは───」
「───医者とかそういう立場じゃなくて、ただの
───雨宮吾郎。
前世で見ていたアニメ【推しの子】の登場人物。
本編で彼は自身の最推しである『星野アイ』の主治医だったものの、出産当日にアイのストーカーに殺されてしまい、そしてアイの息子である『星野アクア』へと転生するという運命を背負うキャラクター。
そして、今世におけるアタシの
そんな兄に対してこの質問をすることには、それなり以上に意味があるわけで。
その意味を汲み取れとは言わないし言うつもりはないが、せめてどっちつかずの回答はしないでほしかった。
「……わかったよ。少し考えてみる」
「ありがと、兄貴」
なんとか兄を押しきれたのを確信して、礼を言いながら姿勢を崩す。
マジ顔で考え込む兄の顔は、芸能人と名乗っても余裕で通るイケメン。これで自分に親身になってくれるのだから、さりなちゃんが惚れるのも理解できる。
まったく、女たらしのクソ兄貴め。
内心でそう呟いて、アタシもまた思索の海に飛び込んだ。
───運命というのは、どうしてこうも不条理なのか。
なぜアタシは雨宮吾郎の妹に転生したのだろう、なんて考えるのが何度目なのかもわからない。
確かに『
アタシの推しは星野アクアだ。
アクアと原作キャラが恋愛する二次創作を書き連ね、アイ生存ルートの二次創作を号泣しながら読み漁る程度にはオタクだった。ちなみにアクかな派だった。
もしも生まれ変われるのならば、陽東高校───原作でアクアが通っていた高校だ───の一般科を受けてアクアと同じクラスになりたかった。欲を言うなら隣の席で勉強したり、有馬かなといちゃついてるのを眺めたりしたかった。
ただ、実際に私が生まれ変わったのは雨宮吾郎の妹。
最初こそガッカリしたけど、改めて意識すれば正直最高だった。時系列が逆だけど、アクアの面影を感じながら脳内で悶えることができたから。
推しの前世と仲良くなれて幸せ〜〜〜! とかのんきに思ってたわけだ。
けれど、ノーテンキに過ごせる期間にも終わりはあって。
将来アクアと出会えるだろうかと考えていた折、とある事実に気付いてしまった。
星野アクアは雨宮吾郎の生まれ変わり。
それ即ち、
ちょっと考えれば当たり前のことなのに、アホのアタシは十数年間それを忘却していたようで。
それに気付いたとき、アタシは愕然とした。
いくら兄が記憶を保持したまま生まれ変わるとしても、かれこれ十数年もの時を一緒に生きてきた兄をサラッと見殺しに出来るかと言われれば当然ノー。
情なんか移りまくりだし、なんならブラコンってからかわれる程度には兄のこと大好きだし。初恋だし。流石に吹っ切ったけど。
でも兄が死ななければ、救えない人がいるのも確かで。
最初に思い浮かんだのは、黒川あかねのこと。
【推しの子】の本編に、『今ガチ』での小さなミスで炎上したあかねが自殺を図り、間一髪のところでアクアに助けられるというシーンが存在する。
これはつまり、アクアがいなければあかねが死んでしまうことを意味している。
続いて、
芸能界デビュー前のルビーを守っていた『星野アクア』『斉藤ミヤコ』という二枚の盾。そのうち過保護な方の盾が失われてしまえば、ルビーは早期に芸能界デビューを果たすだろう。
そうなってしまえば、
断言する。そんな未来はナシだ。
あかねが死ぬのはまず論外だし、ルビーに至っては大親友の生まれ変わりだ。当然、死ぬのを黙って見ていられるわけがない。
絶対に阻止しなければと思えば思うほど、ドツボに嵌まるような感覚があった。
兄の命と
まだデビューすらしていなかった星野アイがデビューして、さりなちゃんと出会って、看取ったのすらもう三年は前のことだ。
もちろん、この十年間何もしてなかったワケじゃない。
原作への介入が必要になることはわかっていた以上、それが出来る立場を獲得するために動いていた。
───具体的に言えば、小説家になった。
幸いにも前世で培った技術は今世でも錆びついていなかったらしく、十年もあればそれなりの売れっ子になれた。
映画化の企画も立ち上がって、まさに今が全盛期。仕事が楽しくってしょうがない。
なんて現実逃避していられる時間も、気付けばそう長く残っていなかった。
アイはそろそろ十六歳になる。それは即ち、兄の死までの猶予が刻一刻と迫っているということを意味している。
けれど、それでもアタシは選べなかった。
十年以上悩み続けたのだ。今更ズバッと決断できるわけもないし、決断したとしても途中でブレてしまいかねないという懸念もある。
それならば、いっそのこと───
───
もし兄が未来の推しを選ぶのなら、兄を見殺しにして、原作通り『星野アクア』として動いてもらう。
兄がアクアとして動くのなら、原作で『星野アクア』に救われた人間は高い確率で救えるだろう。
ただし、原作通りに動いてもらうためには復讐を選ぶトリガーが必要になる。よってアイのことは救えないし、その死によって影響を受ける面々の苦しみを取り除くことはできない。
……一応代案がないでもないけど、わりと無理ゲーくさいので却下した。
そして兄がいま大切な人を選ぶなら、アタシが兄の代わりに動く。
兄を生かしたまま、アタシが兄の代わりに星野アイを守る。アイが生きていれば黒幕の特定とその証拠の提示は可能なハズだし、少なくとも黒幕周りの脅威を退けるところまでは達成できると踏んでいる。
そうすればルビー最大の危機は回避できるし、原作で起きるいくつかの問題についてはその後の流れを見て対応すればいい。我ながらパーフェクトなプランだ。
……もっとも、前提条件を達成できるかどうかはどうしても賭けになるけど。
我ながら最低だと思う。
痛みを伴う選択肢を、その影響を受ける人間にそうとは知らせず選ばせるなんて。
アタシが傷付きたくないがために、何も知らない兄を利用して背中を押させる。本当に最低。
でも、だからこそその選択には責任を持てるし、ブレずに突き進めるという確信がある。
最愛の兄に選ばせてしまった以上は、最大の成果を得るために。
覚悟を改めたその瞬間、長考をやめた兄が口を開く。
「ひとつ確認させてくれ。実の子供とかそういう話じゃなくて、あくまで推しなんだよな」
「うん。自分の推しになるということがわかってるだけの、赤の他人」
「……わかった。じゃあ、決まりだ」
兄がこちらに向き直ったのに合わせて、アタシも姿勢を正す。
向き直った兄の表情には、ほんの少しだけ寂しそうな色が浮かんでいた。
果たして何を考えているのか。誰に想いを馳せているのか。
何よりも雄弁に、瞳がそれを語っていた。
「結局、俺は大切な人が生きてることを選ぶと思う」
「うん」
「推しは所詮、赤の他人だ。恋人や家族を見殺しにして推しを選ぶなんて、俺には無理だよ」
「……そっか」
一言。それだけ言ってアタシは立ち上がる。
選択肢は既に定まった。だいぶ名残惜しくはあるけれど、油を売っていられるほどの余裕はない。
「もう行くのか」
「ま、アタシも割と忙しいしね。───あ、そうそう。この話、アタシの新刊のテーマになるから。小説デビューおめでとう」
「は!? オイちょっと待て聞いてな───」
「じゃーね、兄貴。原稿上がったらまた顔見せるよ」
一方的に会話を打ち切って、アタシは兄の家を出る。
ここから先、やるべきことはたくさんある。アイの出産時期を把握するための仕込みとか、兄の死を回避するための仕込みとか、それまでの間にもっと人脈を広げておくとか。
あと単純に監修作業の〆切もヤバい。めんどくさくて放置してたツケが回ってきてる。
ともあれ、結論は定まった。
兄の死を回避し、アイの運命を覆し、黒幕をどうにかして、未来のあれこれも万事解決。
そんな未来を手繰り寄せるための、たったひとつの冴えたやり方。
───アタシが『星野アクア』になる。
そして、最高のハッピーエンドってやつを目指してみせる。