次があるかどうかはわからんとです。
夏も終わり、木々が色付き始めた頃。
いつものようにツイッターを開くと、あるニュースが目に飛び込んだ。
「アイの活動休止、ね……」
B小町の絶対的エース『アイ』の活動休止。
にわかにざわつく推し活用アカウントのタイムラインを流し見しながら、ついに来たかと内心でひとりごつ。
最後に兄と会ってから、既に半年近い歳月が経過している。
ここ最近は仕事の〆切も重なってずっとピリピリしていたので、どこか清々しいような心持ちだ。
とはいえ、そう気を抜いていられるわけでもない。
原作通りならアイの出産は今日から二十週後になるわけだが、現実が全て原作に準拠しているかと言われれば答えはノー。そのズレを把握するため、定期的にアイの状況を確認する必要がある。
それができる状況を作るため、やらなければいけないことがあった。
「ひっさしぶりに兄貴の顔でも見に行くかな」
きっと今のアタシは相当あくどい顔をしているだろう。
そう思いながら、車のキーを手に取った。
「やっほー兄貴。遊びに来たよ」
「車で来たのかお前……」
と、いうわけで。
二日かけて地元の宮崎まで帰ってきた。
道中でテキトーに買ったお土産を渡しつつ、兄の部屋に上がり込む。
勝手知ったるなんとやら。小洒落たリビングルームのソファに堂々と腰掛ければ、長距離移動の疲れがほんの少し和らいだ気がした。
「ドライブ好きだしいいかなーって。ちょうど仕事暇になったし」
「まさかとは思うが、徹夜で運転してないだろうな」
「心配性だなー兄貴は。観光ついでに大阪で一泊したよ」
「無茶やる妹を心配しない兄貴はいねーんだよ」
他愛のない雑談をしながら、脳内では思考を巡らせる。
───今回の里帰りには、ひとつ大きな目的がある。
それは、アイの状況を定期的に確認できる状況を作ること。より正確に言うならば、アイの担当医である兄との協力体制を結ぶことだ。
宮崎までわざわざ帰省したのは、正直なところ半分趣味。顔見せ程度の意味合いでしかなかったりする。
「そういえばさ、こないだアイが活動休止したってニュース出てたじゃん」
「っ、ああ。急な話でめちゃくちゃ驚いた」
「なんか反応ヘンだね。そんなにショックだった?」
「……まあな。推しが活動休止して驚かないファンはいない」
ジャブ代わりにアイの活動休止の話を振ってみると、一瞬だけ兄が動揺した気配が感じられた。反応を見る限り、アイは既に兄の勤務先に入院しているだろう。
けどこの程度で口は割らない。だからもう少し踏み込んで、少し強めに揺さぶることにした。
「そういえば、こないだB小町の事務所の社長さんと飲んだんだけどね」
「またかよ。迷惑かけてないだろうな」
「ないない、兄貴じゃあるまいし。……実はさ、アイの体調が気になるって話を知ったのもその時でね」
「耳が痛いな……で?」
「なるべく人目につかないところで療養させたいって言ってたから、いっそ高千穂とかいいんじゃない? って言ってみたんだよね。そしたら意外と好感触でさー」
「そ、そうか……まあ、確かにこの辺は田舎だしな」
このあたりの話は、実は本当のことだったりする。
何年か前、新作のネタ探しで訪れたバーで当時独身だった壱護さんにナンパされたのをきっかけに仲良くなって、今では月イチくらいで飲みに行く仲だ。
……ここだけの話、当時はミヤえもんポジになる路線で計画を進めるか本気で悩んでた。兄の死をカバーできる未来が見えなかったから止めたけど。
「ところでさ、兄貴」
「なんだよ」
「今の話を踏まえて、アタシに隠してることある?」
「……ねぇよ?」
「じゃあ当てるね。───アイ、兄貴の病院にいるでしょ」
そこまで言うと、兄は大きな溜息を吐いた。
多分、シラを切るのは無理だと判断したんだろう。諦めたような空気感を漂わせた後、視線に剣呑な色が混じる。
兄からすれば、オタクの妹がアイの秘密を暴き立てようとしているような構図だ。警戒されるのも当然だろう。
「仮にそうだとして、医療従事者が患者の情報を無関係の人間に教えると思うか?」
「兄貴の性格上絶対無いよね。まあでも、それって無関係だったらって話でしょ?」
「なら証拠を出せ」
どうやら、ゴリ押しで聞き出すのは無理そうだ。
兄の口の堅さを再認識したところで、アタシはすかさず
「……と、言うわけなんですけど。壱護さん的にはどうです? ウチの兄」
『ま、文句ねーよ。こんだけ口が堅いなら、安心してアイを預けられる』
「そもそも酔っ払ってアタシに情報漏らした壱護さんの方が不安なんですけどね」
『それ言われたら何も言えねえんだよな……しばらく外では酒控えよ』
通話の相手は───斉藤壱護。
苺プロダクションの社長にして、星野アイの親代わりのような人物だ。
実を言うと、以前の飲み会で壱護さんから聞いていた不調とは『アイの腹が大きくなっている』ということだった。
そこでピンと来たアタシの指摘で、壱護はアイに産婦人科を受診させることを決意。先程の流れで兄の勤務先を勧めたところ、原作通りアイは兄の勤務先で受診することになったというわけだ。
……ちなみに、通話を繋げたのはアタシの提案。
これは本当に偶然だけど、ここに来る前にたまたま入った店で壱護さんと会ったので、話のついでに提案させてもらった。別に繋げなくても良かったんだけど、せっかく兄と会うんだしサプライズのひとつでもしてやろうというイタズラ心だ。
まあ、壱護さんを安心させてやろうという思いもあったんだけどね。あの人アイのことになるとちょっと過保護っぽくなるし。
「───つまり、斉藤さんから既にウチの病院に入院していること自体は聞いてたんだな?」
「そういうこと。試すみたいなマネしてごめんね」
『……スマンな、先生』
「別にいい。お前の奇行は今に始まったことじゃないし……斉藤さんの気持ちもわかりますから」
なんか不本意な評価を聞いた気がするので、黒川あかねを真似してほっぺたを膨らませておく。
前世でやってたら「は?」って言われただろうけど、今世の肉体は贔屓目抜きでも美人だしヘーキヘーキ。
……おいクソ兄貴、うわキツって顔をするんじゃない。かわいいだろうが。
「で、お前結局何しに来たんだよ」
「予定日を聞きに来たんだよ。───いいですよね、壱護さん?」
『あー……まあ、お前ならいいか。バレてるし』
「斉藤さんも大概適当ですね……」
呆れ顔の兄から予定日を聞いて、アタシはすかさずメモを取る。内容のカモフラージュもバッチリだ。
アタシが事情通であることも明かして、予定日も聞いた。ここまで持ち込めば、兄との協力関係は概ね上手くいったと思っていいだろう。
今回の帰省の目的は達したワケだが……どうせならもう一歩踏み込むのもアリだろうか。
というのも、やることを済ませたアタシの中で、ドルオタとしての欲がすこーしだけ湧いてきてしまっている。
ホントは無駄な接触は避けるべきなんだけど……ビデオ通話くらいしてもいいんじゃないかな。駄目かな。
いや駄目でしょ。
と内心でセルフツッコミをキメて、すんでのところで自制する。
そもそもの話、今の時代だとまだビデオ通話ができるアプリが普及してないから無理なんだけどね。
「ん、ありがと。これでアタシの用事は終わったかな」
『もう電話切っていいよな?』
「いいですよ。アタシと兄貴がイチャイチャらぶらぶしてるのを聴きたいなら繋いでてもいいですけど」
「イチャイチャもらぶらぶもしねーよ。……斉藤さん、妹の妄言は適当に流していただけると助かります」
『ハハハ、仲良さそうで何よりだ。じゃあ切るぞ』
「はーい、ミヤコさんによろしくー」
壱護さんが通話を切ると、兄がデカめの溜息を吐いた。……幸せ逃げるぞ。具体的に言うと自分の命とか推しの命とか。
ま、そうならないように頑張ってるんだけどさ。
「お前な……」
「いいじゃんいいじゃん。アタシの可愛さに免じて許してよ」
「アラサーの実妹に今更可愛いとか思うかよ」
「言っちゃならないこと言ったねクソ兄貴! これでもメディア出演するときの肩書は『美人すぎる大ヒット小説家』なんだから!」
「出たよ美人すぎるナントカ。こういうのって大概言うほど美人か? って思うわ」
「……それはちょっとわかるかも。アイのがウン億倍可愛い」
「それな」
呆れ顔の兄とアホな話をしながら、アタシは密かに思考を巡らせる。
計画のピースは概ね揃った。兄がアイのストーカー───確かリョースケという名前だったはず───と出会う場所は特定したし、予定日周辺のスケジュールは今のところフリー。仕事を入れられないよう、テキトーに理由をつけて用事をでっち上げてしまえば完璧だ。
後は黒幕の動向を掴むだけだけど、その辺も既に算段はついたので無問題。
つまり、いまのアタシにはやることがない。束の間の自由というやつだ。
残り少ない、死を前にしたほんの少しの余暇。その期間をどう過ごそうか、なんて考えようとして───やめた。
せっかくの兄と過ごせる貴重な機会なのだ。今は後のこととか全部無視して楽しんでしまおうじゃないか。
「ってかさー兄貴、今日泊まるけどいいよね?」
「言うと思ったよ。ブランケットは洗ってあるから勝手に使え」
「サイコー! やっぱ持つべきは理解ある兄くんだね」
「何言ってんだかサッパリわかんねー」
残された時間はもう半年を切っているけれど、やることは変わらない。
いつも通りにくだらない話をして、バカ笑いして、時々兄に辛辣なツッコミを貰う。
そんな風に、アタシたちの時間は過ぎていく。
もう二度と訪れないであろう、何も考えなくていい時間。
束の間の幸福を、アタシは噛み締めるように味わった。
改訂履歴
・2023/8/20 誤字修正(斎藤→斉藤)