───今思えば、妹はこうなることを予想していたのだと思う。
俺に病院から帰ってくるなと言ったのも、アイの予定日の数日前からこちらに帰省していたのも、昼間から夜中にかけて毎日欠かさず出かけていたのも。
その全てが、妹が散りばめたサインだったのかもしれない。
もっとも。
気付いたときには、もう全てが遅かったのだが。
「───菜穂」
季節外れの雨が身体を濡らす。
傘を差す気にはなれなかった。雨に打たれて、そのまま死んでしまいたかった。
けれど死ぬわけにはいかなかった。
こんなところで眠りこけている妹を連れ帰ってやらなければ。そう思えば、一過性の希死念慮など瞬く間に吹き飛んだ。
最愛の妹に、いつも通りに呼びかける。
昔寝起きの悪かった妹を揺り起こすように、慈しみを込めて言葉を紡ぐ。
「帰るぞ、このバカ妹」
妹の亡骸は微笑んでいる。
まるで幸せな夢を見ているかのように、安らかに。
寒空の下、ゆっくりと小道を歩く。
右手には既に冷めてしまった缶コーヒー。街路灯に照らされながら、まるでナンパ待ちでもするかのようにゆっくり、ゆっくりと歩みを進める。
「こうしてると、ちょっと肝試しみたいだ」
まったく、我ながらどうにかしているなと思う。
殺されるために不審者を出待ちして声をかけようだなんて、まったくもって意味が分からん。
けれど必要なのだから仕方がない。
原作においてキーパーソンである兄を死なせないためには、別の誰かが死ななければならない。
そして、その役割を代行できるのはアタシしかいない。
「怖いなー、もう。暗いの苦手なんだよアタシ」
───夜道は苦手だった。
ずっと昔から、死を意識して生きていたから。
黒ずくめの男が現れて、死をプレゼントされる幻覚を何度となく見たから。
そして、それを自分の意思で実現するための計画を立てていたから。
這い寄る恐怖心を内心に隠して、まるで物語の主人公のように堂々と歩く。
怖くないわけがない。逃げ出したいとすら思っている。
それでも、兄が死ぬより何倍もマシだって断言できるから。
だから、恐怖心なんて飼いならせる。
さあ、いつでも来やがれストーカー野郎。
アタシはここにいる。ここでアンタを待っている。
アンタに殺されるためだけに、アタシはここに立っているんだ。
「あんた、あの病院の関係者?」
ああ、やっと来た。
張り巡らせた伏線が収束し、回収されていく感覚。
脳内麻薬が溢れ出すような錯覚と共に、アタシの中でスイッチが入る。
一般アラサーオタクの『雨宮菜穂』ではなく、大ヒット小説家『
一世一代の大芝居の幕が上がるその直前、【推しの子】作中のあるキャラクターの台詞を思い出した。
───さぁ、ショーダウンと行こうぜ。
口には出さずとも、ほんの少し気合が入ったような気がした。
「当たらずとも遠からずって感じかな。用件は?」
「この写真の女の子、見たことあるだろ。どこにいる?」
「……なるほどね。もしかして君、ストーカー?」
「───ッ」
男が森の中へと走り出す。
逃さない。右手の缶コーヒーを投げ捨てて、スマホのライトで照らしながら男を追う。
距離は離れ気味。ギリギリ見失わないように位置取りを調整して、崖の方へと誘導するようにプレッシャーをかける。
事前に崖の場所をリサーチして、ここ数日はシミュレーションに使っていた。こうやって追い込めば、ほら。
「───見失った?」
さあ、絶好のチャンスだ。今ここでアタシを殺すがいい。そうすればアタシは、転生という名のギャンブルに賭け金をBETできるのだ。
来い、来い、来い───!
「あっ」
浮遊感。
突き飛ばされた、と認識した頃には、既に身体は転げ落ちていた。
回る視界の中、無意識のうちに頭を守る。いま死ぬべきだと理解はしていても、反射的に身体がそうしていた。
全身を打ち付けながら落下し、ひときわ強い衝撃が背に響く。どうやら底まで落ち切ったらしい。
幸か不幸か意識を失うことはなかったものの、どのみち身体は動かない。放っておけば死ぬだろう。
ただ、そんな風に死ぬのを待ってくれるほど、
「生きてますか?」
「……君かぁ。まったく、派手にやってくれちゃって」
痛む身体にムチを打って、話しかけてきた男の方を向く。
星明かりを浴びて鮮やかに輝く金糸の髪。青年と呼ぶには若く、少年と言うには大人びた過渡期の肉体。燦然と輝くその瞳には、どうしようもない黒い引力を纏っている。
ああ、見間違えるワケがない。
彼こそが原作の一連の事件の黒幕。姫川大輝と星野兄妹の父親にして、少なくとも三人の命を奪った殺人犯。
その名は───
「───容赦ないね、
「さようなら、天谷先生」
ひときわ強い衝撃が、アタシの頭を襲った。
───もし芸能人の子供に生まれたらと考えたことはある?
───容姿やコネクションを、生まれたときから持ち合わせていたらと。
───アタシは、ずっと考えていた。
───だって、そうだろう?
───
「ああ、やっと会えた」
「生まれてきてくれてありがとう。
・雨宮菜穂
雨宮吾郎の双子の妹。
売れっ子小説家であり、著作のメディア化や取材等の関係で芸能界とのコネクションがある。カミキヒカルと知り合ったのもその縁。
彼女のある行動により、アイはさりなのことを認知した。
・雨宮吾郎
星野アクアになるはずだった男。
妹の死によって曇るが、それでも医者としての務めを果たしたことでアイ、壱護両名から深く感謝される。
・斉藤壱護
アイの所属事務所『苺プロダクション』の社長。
菜穂の死が判明した後もアイのことを気にかけてくれる吾郎に深く感謝し、後に友人関係となった。
・星野アイ
雨宮兄妹の推しにして、雨宮吾郎の患者。
菜穂から壱護を通じて『寝たきりの女の子のためにビデオレターを撮ってほしい』とお願いされたことがある。
・天童寺さりな
雨宮兄妹に懐いていた少女。
菜穂から贈られた『B小町全員のサイン色紙とビデオレター』は死の直前に吾郎に引き継がれた。
・カミキヒカル
原作における星野兄妹の父親で、原作百二十五話時点ではアイ殺害の黒幕とされている。
菜穂があの場にいることは完全に想定外だった。
改訂履歴
・2023/8/20 誤字修正(斎藤→斉藤)