夜を日に継ぐ 作:百三十二
親知らずを抜歯した後に縫合していた糸を取ったら、一週間ぐらい経っても穴が埋まらなくて痛みは無いのに滅茶苦茶気になる日々を過ごしている作者です。皆さんも親知らずはちゃんと診断してもらいましょうね……
それはそれとしてフロアボス戦です。多分雑です。本題は一番最後なので……
シンカーさんとユリエールさんら《MMOトゥデイ》の件から5日が経過し、教わった通りに第十層のフロアボスとの決戦日を迎えた。
この日まで何かあったかと言えば、実のところ特別な事は起きていない。クラインさんの《曲刀》カテゴリの熟練度に関しても、数日かけて敵の討伐を繰り返している内に500に達し、アルゴさんの予想にある数値にまで上昇したのを確認した。その結果クラインさんに《カタナ》カテゴリが解禁──されることは無かった。
これによって第三の条件が存在しない限り、《カタナ》を解禁するのに必要な熟練度は500より上ということになる。その後も熟練度の上昇に目を光らせてみたものの、550を超えた辺りでタイムリミットを迎えてしまったので調査は断念せざるを得なくなった。これがフロアボス戦予定日の前日の話だ。
このことをアルゴさんに報告すると、やはり600は必要かもしれないという考察を交わすことになった。結論は出なかったが、クラインさんが《カタナ》を解禁出来る条件の目安としては有意義な時間だったと言える。何せ、どんなに高くても600くらいだろうという予想が立てられたので、どの道もう少し頑張れば届く範疇だとモチベーションとしては十分だったからである。
解禁まで達成できなかったことを申し訳なく思いつつ、その分ボス戦で気張れよと激励の言葉をいただいた後にクラインさんとは別れた。
それから一日経過した本日、第十層の迷宮区前でプレイヤーたちが結集していた。
見慣れた面子、ここまで変わらないで来ることが出来た顔ぶれ。彼ら彼女らと挨拶を交わし、ディアベルさんの号令を皮切りにボス部屋まで一直線に進む。
そして辿り着いた扉を開いた先には、βテストでも拝むことが出来なかった最初の関門が待ち構えている。事前情報で分かっているのは、白い蛇に警戒しろという忠告と、長さの違う《カタナ》を2本装備しているらしいことの二つ。後はキリトさんとアスナさんが攻略したクエスト報酬で、本来であれば払われるはずだった犠牲が食い止められたことで強化形態に入らないということくらいか。
ざっくり聞いた程度だと、城主の娘を生贄に捧げることでフロアボスが弱体化するからそうしろという風に誘導されるらしいが、むしろボスを強化してしまう罠だったらしい。クエストの途中で与えられるヒントからそれを察し、城主の娘を説得することで最も良いクリアになったのだとか。
これらを踏まえた上で臨むフロアボス戦。先頭のディアベルさんが扉を開き、未知の世界が眼前に広がる。
まず最初に飛び込んだ景色は、幕と火だ。
戦国時代そのものならば、陣幕と篝火である。陣幕で囲まれた少しばかり暗めのフィールドを篝火が照らし続けている。
そしてそれらに囲まれ、陣を張ったであろうフロアボスは──陣の中央で正座していた。
甲冑を着た5か6メートル程の巨体は、プレイヤーたちが陣内に侵入したのを察すると地面に置かれていた一振りの太刀を手に取り、ガシャガシャという音と共に立ち上がった。
赤い眼光がお面の奥からこちらを認識し睨みつけると、シャーという蛇の様な叫びを放った。面具で囲われた口元から、先端が二つに分かれている蛇の舌が見えたことで説得力が増していく。
そんな甲冑に身を包んだ蛇武者の名は──《
テレビや教科書程度の知識しか無い歴史上の存在が、βテストを超えた先の関門として立ちはだかった。
☆
「隊列入れ替え! キバオウ隊は後退して回復! リンド隊は前進して適宜攻撃!」
第十層のフロアボス戦が始まってからおおよそ10分が経過した頃。節目の層ということもあって苦戦が予想されていたが、大方の思惑とは裏腹に順調な滑り出しとなっていた。
ディアベルが率いる6パーティーと、それに合わせる様にして立ち回るタンク役のエギルたちのパーティー。その二つを邪魔して崩すことが無い様に控えめな立ち回りをする『おみそのパーティーwithヒースクリフ』は、出番の少なさからもたらされる余裕を活用する形で状況を俯瞰することが出来ていた。
「甲冑と巨体に似合わず動きは素早い。攻撃速度も類を見ないくらいで、フィジカルが強いボスなんだが……」
拍子抜けとまではいかないが、想像よりも順調すぎるからかキリトがそう溢す。
「タンク役の人の盾や防御に構えた武器にヘイトが行き過ぎている、ってことかしら?」
「そう、それ」
それを拾ったアスナの言を肯定し、彼は続ける。
「おかげ様でヘイト管理どころか体力管理すら楽と来た。もしかしたらここのフロアボスは、元々強化状態で戦うことを想定されていたのかもな」
彼の言葉通り、今は前衛に出たリンド隊の盾持ち──シヴァタの盾に向かって攻撃を続けている様に見える。重いと言えば重い攻撃なのだろうが、それでも彼一人で防ぎ切れている現状からして大した威力ではないと考えてしまうのは無理も無いだろう。
ここまで戦ってきたプレイヤーたちがSAO創造主の思惑よりも早く成長してしまっているのが原因なのだが、そうと気が付くことなくフロアボスの体力ゲージが減っていく。
「でも蛇に注意しろって言われたんだよね?」
「ああ。でもあのボス自体が蛇だろ? フィールドにもギミックらしいものは見当たらないし、舌が伸びるとかくらいしか思いつかないな」
確認する様に日菜が訊ねるも、良い案が浮かばないのか渋い表情を作るキリト。
「何にしても、私たちの出番が少ない内に考えておくしかないわ。キリト君がラストアタックを取るにしても、ね」
「アスナ、お前なぁ……」
それをアスナが茶化し、自覚が出だしたのか言い返しづらい少年の構図が生まれる。
「程々にね~」
痴話喧嘩してる場合じゃないぞと日菜が軽く流す横で、会話に参加せずフロアボスをじっくり観察していた紗夜が顎に手を当てて思考に耽る。
(キリトさんの言う通り、フィールドに怪しい仕掛けは無い。それは余裕のある立ち回りをしている最中に入念なチェックを入れたから大丈夫。だけれど、クエストの報酬代わりに出された忠告が徒労に終わるとも思えない)
得物である大太刀を振り回すボスの動きを視界に収めつつ、その姿の中に違和感が無いかを精査していく。
(あるとすれば、ボスの身体にとしか考えられない。明らかに不自然な部位は無いかしら……)
素早く動き回るボスの身体をじっくり見るということは存外に難しい。とにかく大太刀を上下左右へ不規則に振り回しているせいで、制止している時間がほとんど無いのだ。それによって観察するにしても、遠目にはブレた姿ばかりが映ってしまう。
(集中するのよ……決して捉えきれない動きでは無いはず……)
しかし紗夜は、戦っているプレイヤーたちが対処出来ている以上は言い訳にならないと己を叱咤し、より目を凝らしていく。同時に深い集中へと沈んでいき、彼女の動体視力が徐々に精度を上げていく。
(大太刀……柄に銘や紋様は見当たらない。甲冑……詳しくは無いけど、何かギミックの為の凹凸がある様には見えない。そもそもの動き……人というよりは獣の様な、野性的な動きな気がする)
一つ一つフロアボスの特徴を洗い出していく紗夜。そうやって観察している内に、視界の端で何らかの気配を感じた。
(今……何か蠢いたわね。ボスの身体の表面に何か張り付いている……?)
体力ゲージが残り7割を迎えようかというタイミングでの違和感を、紗夜は偶然で片付けずにより注視していく。
(予兆はあった。後は何か……あっ)
そこで彼女は一つの考えに至る。
(あれだけ大太刀を振り回しているというのに、どうしてか右手しか使ってないわね。常に左腕は余らせている……まるで使いたくない理由があるかの様に)
だとすれば、鍵はその左腕だろう。そう考えた彼女の視線の先に、
(左腕だけ縞模様……左右の腕で模様違い……)
まるで横断歩道の様な、甲冑のベースの色と白色とで縞模様があしらわれていた。
普通であればただの模様でしかないそれが、嫌に気になる。そんな理由から何気なく視線が腕から肩へと移っていき、尚のこと違和感を覚えていく。
(模様かと思ったけれど、肩口の方は甲冑の中にまで続いている様にも見えるわね。むしろ甲冑の中から左腕に向かって模様が走っている様な……まさか!)
ハッと何かに気が付いた紗夜は、今度は白い模様が伸びていく側──肩から肘を通って手先の方へと目を通していく。
(模様が途中で終わっていて、その先端らしき部分に赤い点が二つ。もしあれが縞模様ではなく、一匹の蛇がとぐろを巻いているせいだと言うのなら!)
結論が出た瞬間、フロアボスの体力が7割を切る。
この場に居る全員がボスの動向に目をやり、パターン変化を警戒して動かない。
だがこれまでの事から、数人を除いたプレイヤーたちの視線は大太刀に集まっていた。あそこから斬撃でも飛んでくるのだろうかという、至極真っ当な発想である。
パターン変化の動作か、フロアボスがシャーという蛇の咆哮をあげる。それから右腕が大上段に構えられ、如何にも一撃が飛んできそうなモーションが見えた。
ソードスキルか、斬撃か、とにかく大太刀から遠距離攻撃が飛んでくる。その考えから身構えるプレイヤーたちだったが、そのせいで生まれた静寂を遮って飛び出したのは──紗夜だった。
「「「!?」」」
この場に居る面子の中であれば、勇み足を踏まない側の人間上位に入るであろう紗夜が暴走した。傍目にはそうにしか見えない突然の所業に、プレイヤーたちから驚愕の声が上がる。
だが当の本人はそれら全てを無視しつつ、ある一点を注視していた。
皆が大太刀に目を向ける中、さり気なく別方向に突き出された左腕。とてつもない一撃が繰り出されるにしては、それが生み出されるはずの右腕に添えられることが無い、不自然な体勢。
アレが何かを口頭で伝える時間は無い。そう判断した紗夜は、左腕──とぐろを巻いた白い蛇の頭の先に向かって全力で駆けた。
その先に居るのは、体力ゲージを減らして回復の為に後退していたキバオウ隊の面々だった。
これを防がなければ、回復が間に合ってない者に甚大な被害が出てしまう。場合によっては、死だってあり得る。
一瞬でそこまで思考が及んだ紗夜は、迷いなく射線上に飛び込んだ。
刹那、読み通り白い蛇が突き出された左腕から飛び出してくる。
突然の奇襲に不味いと思ったのか、キバオウ隊の面々が間に合わない防御姿勢を取ろうとする。
尤も、その必要は無かったのだが
──ガァンッ
「くっ……!」
この事態を見破ることに成功していた紗夜が、キバオウ隊に迫っていた白い蛇の突撃を盾で弾いてみせた。
「サ、サヨはん!?」
「いいから退いてください! 巻き込まれたいんですかっ!?」
「す、すまん!」
何故、と問い質したい気分になるキバオウたちだったが、矢継ぎ早に告げられた指示に慌てて従う様にして別の位置に移動していった。
「っ!」
それを見送るだけの余裕は紗夜に無い。白い蛇の攻撃を防いだことでがっつりとヘイトが向いてしまったのか、大太刀を構えなおしたフロアボスが彼女目がけて突っ込んで来たからだ。
「サヨの援護にっ」
「逆! おねーちゃんの邪魔をしない様にボスの背後から攻撃! 捌ける自信無いならヘイト買わない程度にすること! オーケー!?」
パターンが変化した瞬間に攻撃を一手に受けることになった紗夜を心配してキリトが援護に回ろうとするが、それを日菜が制する。双子の妹からしてみれば、邪魔さえ入らなければ姉が一人で攻撃を捌ききれるという予感があった。
だから咄嗟に下した判断は、戦況を攻撃のチャンスにすることだった。
「了解した! ディアベル隊出るぞ! リンド隊は回復している部隊とフロアボスとの間に立って先程の攻撃から守れ! キバオウ隊も回復が終わり次第そうしろ!」
「「了解(や)!!」」
日菜の判断は合理的であると支持したディアベルを始め、他のプレイヤーたちはこれに従って攻勢に出始める。
これによって大勢の攻撃がフロアボスの側面や背後から畳みかけられるが、それでもヘイトが紗夜から逸れることは無い。
それはまるで、大人と子供の境目に生きる一人の少女に差し向けられた試練の様だった。
☆
(……よもやこれ程とはな)
フロアボス戦の最中、プレイヤーたちの鬨の声が響き渡るフィールドを俯瞰出来る位置から、男は心底感嘆しながら言葉を失くしていた。ありきたりなものしか浮かんでこないくらいには、彼の心は高揚していたと言える。
(カーディナルシステムは紗夜君に目を付けた。そして段階を踏めば辿り着ける領域を疑似体験させることで、彼女の才能を開花させようとした。その結果が……まだ未完成とはいえ、こうもなるか)
その男──ヒースクリフが賞賛の想いを送る相手──紗夜は、彼の視線の先で戦っていた。
システムの差し金であろう一人の少女にヘイトが向き続けるという異常事態でありながら、それを好機に変えてしまうだけの力を披露している双子の姉は、実質的なフロアボスとのタイマン状態を的確にしのいでいた。
一度目の形態変化後、振るわれる右腕から繰り出される大太刀による攻撃と、パターンに加えられた左腕から突撃してくる白い蛇の対処……それを少女は、盾で防ぐことに徹しているとはいえ、幾ら時間が経過してもただの一度として失敗していなかった。
SAOのシステム上は相手の攻撃を盾で防いだところで、その余波によるごく微量なダメージは食らう様に設計されている。であれば、フロアボスの苛烈な攻撃を一人で受けている紗夜の体力は少しずつだが目に見えて減少していくはずである。
そうでなくとも、別途《耐久値》というシステムのせいで、プレイヤーが持つ盾もまた破壊される恐れがある。普段であれば気にならないが、こうもボス級の攻撃を短時間で受け続けると耐久値の減少も著しくなるのは当然の帰結だろう。
だが上記の条件を、今の紗夜はクリアしていた。
耐久値の方は言わずもがな、第九層のクエスト報酬で入手した《月女神の侍女》という名の付いた盾のおかげである。性能そのものは非凡とは言えないが、特筆すべきは《破壊不能オブジェクト》であるという点だ。つまり性能さえ気にしないのであれば、紗夜は盾が壊れるという不安を被ることが一切無いのだ。
そして余波とそれに伴う体力の減少だが……パーティーを組むヒースクリフの目には、減少する気配の無い緑色の体力ゲージが映り続けていた。
(全ての攻撃にはインパクトの瞬間があり、そこを完璧に合わせることでジャストガードの要領をもってして余波によるダメージを軽減、或いは相殺出来る。確かにSAOはそう設計されている。しかし……)
とはいえ、それはあくまでも幾度として交わされる剣戟の中にて一度狙えれば良い方の話である。対人戦であればその一度で決着がつくことも考えられる御業だ。如何にヒースクリフといえど、そう何度も決められるかと言われれば自信は無い。
(末恐ろしいな。紗夜君はそのジャストガードを、介入してから防いでいる全ての攻撃で成功させている)
最早背筋に寒いものが走る。紗夜が行っていることは、ヒースクリフにとってはそれ程の出来事だった。
(目が良いのはあるだろう。弓道で遠くの的を視認したり一歩引いて他者を尊重する行動は、得てして視野の広さの獲得に繋がっていたと見える。何せ人間が得られる情報のおよそ8割は視覚情報だとされているのだから。それに加えて読みもあるのだろう。ボスが腕を振るう際の姿勢や角度といった情報から軌道を予測する。これをごく短い時の中で連続して行えるのは、前述した視野の広さに加えて情報を整理するだけの思考力と判断力か。まるで彼女の頭の中だけ時間が何倍にも引き延ばされている、という表現が正しいかもしれないな)
研究者である為か、彼は思考することを躊躇わない。例えフロアボス戦の真っただ中であろうと、自身の出る幕は無くて済むと判断して以降は立ち回る事すら止めている。
(圧倒的な集中力と思考の加速……これに相応しい言葉を当てはめるのであれば、《
ヒースクリフが導き出した答えは、スポーツの世界において存在するとされている現象だった。
アスリートたちが試合に臨み、その中でより集中していくと起きるものだ。余計な雑音や景色が消え去り、そのアスリートにとって本当に必要な情報のみが抽出される状態になり、最もパフォーマンスを発揮できる瞬間だと言われている。
というのも、人間の持つ能力には脳からセーフティーがかけられており、100%を発揮することは無いという学説に起因する。具体的に何割を使用出来ているのかは諸説あるものの、『潜在的に出来る動作』と『実際に認識して行われる動作』とでは差があるということだ。
つまるところゾーン状態とは、その差を埋めていき、限りなく100%に近づいている状態のことを指している。
ヒースクリフから見た紗夜の気配は、その一歩手前の様に見えた。
(後でデータを見るのも一興……いや、開花していく才能を数値や記号で測るのは無粋というものだろう)
だが彼は、その先を予測しようとはしない。そうすることは、無意識とはいえ才能を芽吹かせようと努力している者への侮辱であると彼は考えているからだ。
どの様な才能が備わっているかはデータを見なければ判別出来ないこともある。それでも、才能が進化していく過程ほどお目にかかれないものは無いのだから、それを無機質に知ってしまうのは端的に言って面白くない。
(ゼロから開花した才能では無い。故に私の追い求めるものとは些か異なっており、主目的では無い。しかしながら、これはこれで実に意義のある観察だと言えよう。カーディナルシステムが何らかの演算の果てに辿り着いた、氷川紗夜という人間の果て……それを見届けたいと思うのは、欲張り過ぎているだろうか)
彼は自問自答する。果たして当初の目的と並行しても大丈夫だろうかと思案する。
もし彼が両者を選ぼうとして主目的の方を達成できなかった場合は、どれだけ後悔したところで足りないだろうことは想像に難くない。かといって、導けそうな才能を見捨てられる程、彼は未練を絶てていない。
それでも彼は──ヒースクリフという男は、欲張りだった。
(二兎……いや三兎、追って見せよう。そうでなくては、この世界に来た意味が無い)
主目的の発現よりも遥か手前で起きた、拾い物の原石の輝き。これを前にして彼は、気分の高まりを抑えることが出来ないでいた。
故に選ぶ。慎重さを感じられない本能の赴くままに、彼は強請る。
(ここまで上がって来たまえ、紗夜君。そして無論、日菜君もだ。いつか高みに至った君たちと感想を言い合うその日を、楽しみにしている)
興奮し、口角が上がり、普段のポーカーフェイスが崩れかけている。
フロアボスとの戦いにおいて、彼の様子を気にかけるプレイヤーはおらず、何事かと聞かれることはない。
(……大当たり、かな)
たった一人、ずっと彼の機微を気にしていた者を除いて──
☆
フロアボスのヘイトを買ってからどれだけの時間が経過したのだろうか。
既に何時間も過ぎ去っている様な感覚を覚えつつ、相手の動作から一切目を切らさずに対処し続ける。盾が壊れないのを良いことに、耐久値を気にせずひたすら防いでいく。
大太刀が振り下ろされる。受け止める。
大太刀が横に薙がれる。軽く弾いて軌道を逸らす。
大太刀が振り下ろされる……様に見せかけて左腕が突き出される。白い蛇の頭部を盾の芯で押し返してシールドバッシュ。
ボスが吼える……間髪入れずに大太刀による突きが飛んでくる。蛇より重い攻撃なので盾で受け流す。
大太刀が斬り上げられる。これを受けると盾が上向いてしまうので半歩だけズレて躱す。
ボスが距離を詰めようと足に重心がいく。踏み込みの入った大太刀が振るわれる。盾で受け止める。
他の方々の攻撃が着実にボスの体力を減らしていく。私は防御に専念して攻撃しない。ボスは気に留めることなく大太刀を振り下ろしてくる。盾で受け止める。
大太刀が薙がれる。ほんの僅かだけずらして白い蛇が曲線を描くようにやや上から突撃してくる。焦らずに連続して盾で防ぐ。
息つく暇はない。迷っている隙間もない。反撃の機会も無い。
それでも私は防ぎ続ける。相手の目や諸々の動作から、次の動きを予測していく。そして差し出す盾の位置や角度を調整し、ガードを固める。
──シャァァァァァアアアアアアアアア!!!
業を煮やしたか、それとも体力ゲージが残り3割を切ったからか。虚空から小太刀を召喚し、二刀流になるフロアボス。左腕の白い蛇は蠢いたままなので、実質的な三刀流だろうか。
関係ない。やることは変わらない。少しパターンが増えるだけ。
大太刀、小太刀、大太刀、小太刀、小太刀、大太刀に見せかけて蛇。
大太刀、小太刀、交差させて×の字に斬撃、大太刀、蛇、大太刀、大太刀、小太刀、蛇に見せかけて逆手で殴打。
上、右、左上、蛇、上、上、上、右、フェイント挟んで下は回避、蛇。
両腕からの挟み込みは一歩下がって小太刀の距離から離れ、大太刀だけを受け止める。
「そんな小細工ッ!」
その隙に飛んでくる蛇は反射的に剣で斬り裂く。白い蛇が痛みに悲鳴をあげるのを無視して一歩前に出る。
(フロアボスがいつ倒れるかなんて知らない。私は目の前の蛇武者が消えるまでここに立ち続けるだけ)
そう思った矢先、フロアボスが後方へと大きく飛び下がった。
他のプレイヤーたちが追撃するべく距離を詰めようとする。
「うわっ!?」
「ざ、斬撃だ! 斬撃が飛んでくるぞ!」
「回避! 回避ーッ!」
が、先程まで私一人に振るわれていた速度のままに、大太刀小太刀両方から斬撃が飛ばされ始める。これによって斬撃の速度についていけない者は回避を強要され、盾を持っている者でも防ぐのが限界で前進することが叶わないでいた。
尤も、これら全ての斬撃は私に向けて放たれているその延長線上に過ぎない。斬撃を盾で防ぎ、発生しないノックバック判定に首を傾げることもなく少しずつ距離を詰めていく。
「お、おい……マジかよ……」
「あの嬢ちゃん、何でノックバックされねぇんだ……?」
斬撃の餌食にならない様に後退し、最早ギャラリーと化したプレイヤーたちからぽつぽつと声が上がる。そのどれもが私に対する困惑と疑問であり、辺り一帯が斬撃の音に支配されていく。
私が一歩、また一歩と進む度にフロアボスの飛ばす斬撃が激しくなっていく。傍目には分からない程度に蛇武者は焦っているのか、斬撃の飛んでくるリズムが変化する。私を狩り取ろうとあの手をこの手を尽くしているいやらしさが消え、とにかく数を飛ばすだけの乱雑なものを感じる。
それでも私が歩みを止めることは無い。少し前進が遅れようが、進めるなら構わない。
それに──私ばかりを気にしてくれるのなら好都合だ。
「あと少しだ!」
誰が叫んだか、フロアボスとの彼我の距離を残り数歩のところまで詰め寄る。
だがフロアボスも意地を見せる。大太刀、小太刀、そして白い蛇が私の盾を押し返そうと同時に攻撃してきた。
「くっ、流石にっ」
三重の衝撃を完璧に防ぎきることは出来ず、今までの地道な作業が水泡に帰すかのごとく発生するノックバック判定。あと少しのところまで漕ぎ着けた私の前進は、最後の最後でフロアボスに押し返される形になってしまう。
「ああっ!」
これを見ていたプレイヤーたちから、悲鳴に近い落胆の声が漏れる。
(ふふっ……その心配は無用ですよ)
絶望的にしか見えない現状だが、私は満足した様に笑みを浮かべた。
何故なら、このフロアボスはやろうと思えばいつでも三重の攻撃で私をノックバックさせることが出来たというのに、今の今までやってこなかった。奥の手と言うより、出来れば切りたくなかった一手という思惑を感じさせるものだった。
それは偏に、類を見ない程の圧倒的な硬直を晒してしまう、という理由だろう。現に私を押し返した蛇武者は、追撃に入ることなく両腕と蛇を突き出した不格好な体勢から動く気配はない。
今になって解禁した理由は二つ。後が無いからというのと、斬撃の嵐をかいくぐって来る者がいないと踏んでいたからだ。
それが、それこそが、その考えこそが、私たちの最後の一手だ。
「スイッチ!!」
叫ぶ。後ろを見ずに、来てくれていると信じて託す。
「うぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!」
来た。
黒衣に身を包んだ、年下の剣士が躍り出る。
私の横から、この瞬間を逃さずにキリトさんが突っ込んでいく。
「くらえぇぇぇええええええええええええ!!!」
彼の持つ片手直剣から、担い手の力強さを反映するかの様に眩いエフェクトが輝く。
──対大型用三連重撃ソードスキル《サベージ・フルクラム》
致命的な硬直を晒した相手にのみ効果的な、現段階における最大打点が突き刺さっていく。
がら空きの胴体に水平斬りが入り、途中から肩口まで斬り上げられ、最後は垂直へ斬り下ろされる。キリトさんの勢いを反映してか、最後の斬り下ろしは蛇武者の足元まで思いっきり貫通していった。
しかし、これでも相手の体力ゲージが僅かに残る。
この場面、致命的な硬直を晒したのはキリトさんもということになってしまい、先に硬直が解けるであろうフロアボスがそれを見逃す訳が無いだろう。
それでもこの勝負、勝ったのは私たちだ。
何故なら、私以外に放たれていた矢はもう一矢あるからだ。
「「スイッチ!!」」
誰かが私の肩を踏んで飛び上がる。同時に、その人とキリトさんの声が重なる。
二の矢──空中で細剣を構えたアスナさんが、茫然と見上げることしか出来ない蛇武者の眼前に飛び出した。
「はぁぁぁあああああああああああああ!!」
そして放たれるトドメの一撃。
閃光のごとく素早い攻撃は、見る者を魅了する美しさを携えていた。
──細剣用ソードスキル《クルーシフィクション》
縦に三度、横に三度の計六連撃。放たれた攻撃は十字架を作り上げ、相手を磔刑に処していく。
無防備な顔面に繰り出された鮮やかな剣閃は、第十層フロアボスの体力ゲージを余すことなく削り切る。
ソードスキルの硬直をものともせずにアスナさんが華麗な着地を決めると同時に、蛇武者の身体がポリゴン片となって消滅していく。
「……お見事です、アスナさん」
芸術点があれば高得点間違いなしの所作に、惜しみない賞賛を送る。
私の言葉が聞こえたのか、サッとこちらを振り向く彼女の頬は少しばかり紅潮していた。だがそれよりも一連の流れが上手くいったことへの高揚感が勝るのか、少し照れながらも手でVサインを作って見せる。
これが合図となって、フィールド一帯にプレイヤーたちの歓声が上がる。
何処となくホッとした様なキリトさんに、大量の誉め言葉を浴びせられて更に照れているアスナさん。そして状況確認を忘れずに行っているディアベルさんらの姿を見て、ようやく戦いに勝利したことを実感する。
まずは一段落、と言って良いだろう。
だが私はその歓喜の輪の中に二人がいないことを確認し、改めて気を引き締める。
──私たちにとっての本当の戦いは、これからなのだから。
☆
目の前で起きていた戦いに参加してる様で微妙にサボってるみたいな立ち回りをし続けて、遂に討伐されたフロアボス。
最後はおねーちゃんが壁になって硬直を引き出し、とんでもない反応速度をもって斬撃をかいくぐっていったキリト君が繋いで、おねーちゃんを信じてその背中についていったアスナちゃんが仕留める。おねーちゃんに集まった視線を利用した最後の攻防は、こうして遠目に見ていなければ分かりづらかっただろう。
「いやー、凄かったね。おねーちゃんもだけど、キリト君とアスナちゃんも凄いや」
「ああ……実に素晴らしい舞台だった」
まるで感想の言い合いを、隣にいるもう一人のおさぼりさんと交わす。
感嘆を乗せたあたしの言葉に対し、おじさんは少しだけ浮ついた気配を滲ませていた。
何かがおじさんの琴線に触れている様で、心ここにあらずと言って間違いない様子だ。
だからあたしは、何気なく質問を繰り出す。今し方目に映ったものから疑問を得た様に、さり気なく。
「そう言えばリンドさんで思い出したけど、結局のところ《カタナ》の熟練度って500で
「ああ、
崩れた。
今まで崩れたことが無かったおじさんのポーカーフェイスが、鉄面皮による牙城が今、崩壊した。
ほんの少し、普通ならミスにならない程度の誤差の範疇。油断していたにしてはこれっぽっちにもならない、何にも通らない小さな穴。
でもね、おじさん。そこを通れる様にしてくれたのは、他でもないおじさんなんだよ?
あたしなら、この世界に来て感覚の使い方を意識し始めた今の氷川日菜なら、その隙間に入り込むことくらい出来るんだ。
後はその穴を、こじ開けるだけ。
「日菜君、君は……いや、もしや君たちは……」
「あはっ」
さあ、ここからが勝負だよ。
おねーちゃんがあたしと心中するって決めてくれた。それは今から、勝算のある賭けに出るから持ち掛けられた提案だ。
驚愕と警戒。この二つを隠そうともしないヒースクリフという名のおじさんを前に、あたしは告げる。
「どうせならノーガードで殴り合おうよ、ヒースクリフさん」
いや、違う。
この人の本名は──
「それともこう呼んだ方が良い? ──茅場晶彦さん」
「……」
挑発するような物言いに、SAOを創ったゲームマスターが睨み返してくる。
あたしたちの戦いは、ここからが本番だ。
歓喜の輪から逸れてこっちに向かっているおねーちゃんを視界に収めつつ、そう意気込んだ。
〇《カタナ》の熟練度問題
あーだこーだ言ってますが結局幾つなんだよ問題。結論から言えば本作品においては500です
ただし条件が2つではなく3つでした案件です。第十層解禁、《曲刀》熟練度500に加えて、《カタナ》のソードスキルを目にしたことがあるか否かです。リンドたち最前線組が第十層到達で解禁されたのは、第一層フロアボス戦で目にしたことがあるからです。クラインはその場にいなかったので、竹林ではなく通常のエリアで蛇武者のMobと戦って《カタナ》のソードスキルを目にしなければいけませんでした、という独自設定です
このことを知っていたのはヒースクリフを除いてアルゴと、裏で相談を持ち掛けていた紗夜だけになります。つまり日菜は上記の条件を意図的に知りませんでした。勿論クラインもです(ただしアルゴからのメールでは一人で戦うなという指示が出ていたりする。これによって紗夜たちの目の届かない所で《カタナ》のソードスキルを目にする可能性を排除していました)
〇第十層メインクエスト
蛇らしく唆してくるけど騙されてはいけない、というもの。トゥルーエンドを達成できればフロアボス戦がだいぶ楽になる。この辺は端折るつもりだったのでSAOIFとも違うかもしれないし、SAOPに至っては影も形もないのでオリジナル設定です
今回は姉妹が攻略に参加していないのでキリトとアスナの二人だけがクリア。ここまではβテスト時の情報がある為、キリトがいれば割と安泰だったりする。それでも一発トゥルー引きは流石か
〇第十層フロアボス《カガチ・ザ・サムライロード》
右手に大太刀、左腕に蛇、最後は左手に小太刀を持つことになる蛇武者のボスver。第五層みたいに状態異常や何らかのギミックを強いる変則的なボスと違い、とにかくフィジカルに特化した純粋な強敵、という体
原作、というよりはSAOIF等では面頬だったり腕部だったりが案外甲冑じゃなかったりするが、ここではより武者っぽい風体にした。実は『劇場版SAO-オーディナル・スケール』にてこのボスの戦闘シーンが見れたりするのだが、白い蛇の攻撃が思ったよりも直線的かつ素早いので、一般的なプレイヤーでは対処が遅れてしまう想定。見慣れればともかく、初撃だけは察した紗夜に防いでもらった
白い蛇が出る前の大太刀振りかざしや、これ見よがしな全身甲冑は左腕の白い蛇に気が付かれない為の視線誘導だったりする。紗夜は引っかからなかったし、もっと言えば最後の攻防に関しては彼女にヘイトを集めすぎてキリトとアスナから紗夜へと視線誘導をやり返されるというオチに。カーディナルシステムが紗夜に試練を与えようとして少々暴走している(SAOIFにおけるアルカナシステムとまでは流石にいかない)
なお、キリトは反応速度のゴリ押しで斬撃を避け続け、アスナは紗夜の背中に張り付く形で接近していた想定。なのでキリトの方が先に出て来たし、アスナは紗夜の肩を踏み台にすることで跳躍してみせた。その際に二人が放ったソードスキルは、どちらも要求熟練度が500、らしい
〇ワンランク上にいった紗夜
第九層で潜在能力の上限値付近を体験した結果、タガが外れかけている。そんな彼女の武器は集中力や洞察力及びこれらから成り立つ精密性の様に思えるが、これらはあくまでも結果でしかない。本当の原因(才能の名前)はもう少し後で
ゾーン状態に関しては、某バスケ漫画の解釈で大丈夫です
〇身バレ?するヒースクリフ
ナ、ナンダッテー!? という茶番は置いといて、次話は交渉回になります。第十層で触れるのを早いと見るか、作品的には既に50話近いから妥当と見るか、どっちなんでしょうね
一応言っておきますが、日菜が確信を持った理由は《カタナ》解禁に必要な熟練度を500だとヒースクリフが断定したからです。ここまで500じゃないよねってなってたはずなのに500が正解だと何故知ってるのか、しかも日菜目線はそれが嘘じゃないと見抜いたからになります。この為に第十層ではここまで日菜の視点が無かった訳です
日菜も知らないはずなのに何で500と当たりをつけたかと言えば、500じゃないのかという話をした時のアルゴが嘘をついていたと見抜いていたからというのと、これみよがしに500じゃないって紗夜たちが意識付けるので察したからです。日菜だけ回りくどいのは、ヒースクリフに叩きつける一言の役目を担っていたため、会話ログから悟られるのを阻止する為でもあります
つまりここ、紗夜(全部知ってる)とアルゴ(理由は知らないけど協力している)の企みをヒースクリフがメールや会話ログから辿ったとしても、日菜が何も知らないことを知ることになるので、500だと知らないはずの日菜に問いかけられた時点で詰んでます。何故ならヒースクリフが500だと知ってる(或いは思ってる)のはおかしいし、違うと言っても嘘だと見抜かれるからです。ログを見られて会話を合わされていたとしても詰ませられるということです。他人に見せていないやり取りを何処で知ったんだってなりますからね。自分でもややこしいと思う
何で日菜が対応出来たか、それはおねーちゃんへの愛です。おねーちゃんがやろうとしていることなら察せるだけの自信が、妹にはあるということですし、紗夜もそれに賭けていました
ちょくちょく修正が入るかもですが、大体はこんな感じで進行します。では、また