夜を日に継ぐ 作:百三十二
込み入った話はここまでになります。作者の脳みそではこれが限界でした……
いつも通りざっくり解説を後書きに置いておくので、そちらで勘弁してもらえると助かります
「……あたしに? でもおねーちゃんを省く理由は何?」
どういう方法か、おねーちゃんの時間だけを止めたおじさんを睨みつける。
対するおじさんはさっきまでの恍惚としかかっていた表情を収めて、いつも通りの飄々とした様子のまま告げてくる。
「紗夜君はまだ知らない方が良いと判断した。そして君にしてみれば、姉に知られない方が良いだろう?」
「……」
──非常に嫌な予感がした。
あたしたちのことを人質にすると決めていたことから、身辺調査くらいは間違いなくされていると思った。でも会話していた感じ、それよりも先の様々な事情についても把握されていると見て良いと思う。
おねーちゃんとの間にあった出来事や、それこそあたしの心情についてもだ。ネズちゃんが口にした時に思わず塞ぎたくなった、見て見ぬフリをしていたあのことについても……。
それでも取引に応じて貰った手前、ここであたしが無言を貫くことは許されない。実質的におねーちゃんを人質にされているのもそうだし、ここで対応を誤っておじさんの気が変わってしまっては元も子もないからだ。
──あたしとおねーちゃんの核心に触れられる。その覚悟を今、決める必要があった。
「拒否権無いじゃん。何話すの?」
負の感情に飲み込まれない様、嫌悪感を隠さず応じる。どれくらい効果があるか分からないけど、せめてもの抵抗の意志として残しておく。
「ちょっとした疑問を解消したくてね。その為には、まず君と交わしておきたい議論がある」
「それって?」
「『天才』という、言葉について」
天才──天賦の才、天から授かりし才能、天がもたらした才能だの色々あるけれど例外なく共通しているのは、他者に比べて優れているという点。
「私は世間一般からすれば天才だと言われている。そして君もまた、『となりの天才ちゃん』という二つ名を与えられている。これらは我々の認識ではなく、我々とは接点を持たない者たちから見た時の客観的評価だ。君自身はこの二つ名についてどう思っているのかな?」
「興味ない。そう、ってだけ」
「だろうな。私もそうだ」
パスパレとして活動する際のアピールポイントだかキャッチコピーでつけられたものだけど、そうなんだって程度の認識しかしてなかったから今更聞かれても返答に困る。だから正直に、全然気にしてなかったということを伝える。おじさんも同じなのか、他人からの評価に対しては無頓着であるという回答をされる。
「とはいえ、我々の思惑など無視して世間はそう評してくる。そこで私は考えたのだよ。世間は何を見て我々を天才と称するのかと」
「自分より出来る人をそう括ってるだけでしょ」
「その通りではある。だがそれでは、天才という言葉に重みが無い」
「重み?」
「天才という言葉は、その様な軽い何かに向けられるほど価値の薄いものではない」
一般的な使われ方に不満があるらしいおじさんが、ここにはいない者たちへの不快感を隠すことなく続ける。
「天才とは、本当に優れた才能を持つ者に向けて使われる言葉だ。時代を築き上げてきた先人たちへの敬意を表する単語であり、彼ら彼女らを称える為に使われるのが相応しい。だがどうかね? 人々はそれとは別に、日常生活の中で自分より出来る他者を天才と称賛してしまう」
「何か問題でもあるの?」
「単純に人々の中で天才という言葉が安くなる」
「何か不味いことでも起きるわけ?」
いまいち要領を得づらくて疑問を重ねると、おじさんの語気が少しだけ強くなった気がした。
「人々は本気で天才だと称している訳では無い。他者とのコミュニケーションの中で使いやすい言葉を選んでいるに過ぎず、使い捨てられる言葉の一つでしかない。つまるところ、人々にとって天才という言葉は身近なもので、その辺に転がっている石ころと遜色ない価値でしか無いのだよ。そういう言動一つに己の真意を隠していることから目を逸らし続けているにも関わらず、だ」
そこまで話されると、何となく言いたいことが理解出来た気がした。
「それってさ、その人たちが逃げてるってことだよね。天才って言葉を使って、自分にとって都合の悪い部分を遠ざけようとする。そこで自分が続こうって奮起するんじゃなくて、追いつくことを諦める為の免罪符を用意しちゃう」
あたしとしても経験が無い訳じゃ無い。今みたいにパスパレや学校の皆とかと交流を持つ前ならよく見た光景だし、今でも普通に起きている話だ。
テストで満点を取ったり、部活動とかでスポーツをしてる子たちにその種目で勝ったりした時、顔も名前も覚える気になれなかったクラスメイトたちは決まってあたしのことを天才だからと遠ざけた。ああそう、としか思ってこなかったけど、こうして議論に挙げてみれば……成程、確かに良い気はしないかも。
結局、あたしが何をどうしたところで天才の一言で片付けられてしまうのだ。確かに凄い努力をしたとかは無いかもしれないけど、かといってそうじゃない奴だってちゃんとある。
今で言えばパスパレの活動で使っているギターとかがそうだ。おねーちゃんとの約束を果たすまでは弾き続ける予定だけど、その為に弾いてきたことを全て無視されたら流石のあたしでも怒る気がする。出来るからやってるだけってのはそうだけど、それでも何から何まで初見で完璧にこなせる訳が無い。
勉強で例えるなら、授業で話を聞いたり教科書を読んだりしないとテストで点数は取れない。それだけで点が取れるのがおかしいって言ってくるけど、あたしからしてみればどれくらい授業を真面目に受けたのかや、どれくらい教科書を読み込んだのかって問い返したい。色々言われるあたしだけど、何だかんだで授業は真面目に受けてるから生徒会長になることを許されるだけの人望を教師陣から得られていた。これを努力と捉えるかどうかは人それぞれだし、おねーちゃんには人として当たり前だと一蹴されるだろうけど、あたしやおねーちゃんと同じくらい真面目に授業受けたことあるの? って思う。
同じスタートラインに立った上で差が出てから初めて物を言えば良い。おじさんはそう言いたいんだと思う。思ったよりも共感出来る内容だった。
ついでに言うと、仮にあたしがおねーちゃんに天才だって言われても別に嫌悪感は無いとも思い至った。だっておねーちゃんは前述したことで言えば同じラインからスタートしてる人だから、そう言うだけの権利を有していることになる。これで突き放されるならともかく、おねーちゃんはそう思ったところで追いつこうとするのを諦める人じゃ無い。氷河期だなんだでずっと考える余裕が無かったことだけど、いつだっておねーちゃんはあたしに勝つことを諦めてはいなかった。
ああ、そういうことなのか。
他者とは隔絶した才能を持ったことでおじさんは孤独になった。だから才能を持つから孤独になるのかということに対して不満を持った。
あたしはおじさんと似た様な人生を歩んできている。でも決定的に違ったのは、おねーちゃんの存在だ。
寂しい訳じゃない。でも他者から遠巻きにされ続ける中で諦めない誰かがいるというのは、実に恵まれたことなのかもしれない。
──本当に? それが答え?
「逃げるのか?」
「っ!」
たった一言、シンプルな刃があたしに突き刺さる。
おじさんの目を見て話していたはずなのに、いつの間にか逸れていた顔を苦々しく正面に向ける。何となく嫌で、後ろめたい感情を隠すことが出来ないままに向けさせられる。
「その様子から見るに気が付いたのだろう? 私と君との決定的な違いにだ。こちら側でありながら、決して同じ道を辿る事の無い幸運。しかし同時に、君の奥底に眠る孤独への不安を払拭しきってはいない」
「……黙ってよ」
「駄目だ、言わせてもらう」
「やめてよ!」
「甘えるな!」
あたしが強く拒絶しても、おじさんが強く反発してくる。
おじさんが語気をこれ以上無いくらい強くしたことに面食らう始末だ。
「君は自覚しなければならない。この話を理解し、飲み込む。いつか紗夜君と離れ離れになる時が来たとして、このままでは少しずつ自壊していくだけになる」
「そんな時が来なければ良いじゃん!」
「『羽沢つぐみ』、と言ったかな」
「──ッ!?」
今度こそ、あたしの呼吸が止まる。
「君の後輩であり、実家は喫茶店。そして──紗夜君の想い人でもある」
やめて
「本人に自覚は無い様だがね。また、お相手の羽沢つぐみ君も同様と言えるだろう」
言わないで
「どちらも君にとって大事な相手だ。その二人が結ばれるともなれば、自分は邪魔者にしかならない」
駄目
「二人がお似合いであることを君自身が認識している。嫉妬は無く、恨みも無い。ただただ自分が一人になるだけ」
これ以上は
「これの意味するところはただ一つ──」
『ひなちゃん』
蓋をしたはずの過去が、すぐそこまで迫っている気がした。
☆
茅場に指摘された直後の日菜の変化は劇的だった。
呼吸を忘れたかと思えば、尋常では無いくらい目が泳ぎ、焦点が定まった気配が無い。平常とは程遠い、何かトラウマでも掘り返してしまったレベルの様子である。足は地についているものの両腕が所在なさげに揺れており、今この場で倒れてしまえば受け身を取る事も出来ないだろう。
これを予測していた茅場は、やはりと言った感じで注意深く観察していた。
(先程用意したコーヒー……紗夜君は口にしていたが、日菜君はカップに触れてすらいない。無意識の内に例の子を避けていた証拠とは断言出来ないが、近くはあるのだろう)
彼の見立て通り、日菜はつぐみを直接連想させるコーヒーを視界に収めてすらいない。茅場を睨んでいたその実、手前の物体を見ないようにしていた節がある。
ただし、日菜はつぐみのことを決して嫌ってはいない。むしろ好きな方だろう。もし姉が誰かと付き合うならつぐみ以外は考えられないと思う程にだ。それでも、姉が自分から離れていく可能性があるとすれば、姉と可愛い後輩が結ばれた時だという思い込みが知らず知らず日菜の心を蝕んでいた。
通常であれば、この様な発想に至ることは無い。しかしながらSAOに閉じ込められたという事実が、2つのことを日菜に思い起こさせてしまった。
一つは、姉と二人っきりで居続けることが出来るかもしれないというごく僅かな欲が生まれたことである。
本来であれば起こりえないはずのシチュエーションが発生してしまった、あり得ないはずの環境を望まずに手に入れてしまったという不意打ち。これが日菜の中に存在する姉への独占欲を湧かせ、育ててしまった。
そしてもう一つは、姉の才能が開花しつつあることに起因する。
こちらに関しては、茅場ですら想像の域を出ない内容である。だが仮説とはいえ、茅場と日菜を隔てる唯一の理由でもあった。
「天才とは孤独な存在である。この文言の根本にあるのは、天才の周囲に別の天才が存在しないのが一般的であるということだ」
少なくとも茅場にとっては、彼に並ぶだけのそれはいなかった。恩師は十分に優秀な人だったが、括りで言う分には茅場と同じとは言い難かった。ましてや、恩師と出会ったのは大学生の時である。幼少期にその様な出会いなど、あるはずもなかった。
だが日菜にはいた。正確には、その者の中身を本能で理解していた相手が生まれた時から存在していた。
「君は直感で分かっていたのだろう。双子の姉が、君以上の何かを有しているという事を」
──氷川紗夜というもう一人の天才が、自身を孤独にしないと察していた。
「姉さえいれば君が孤独になることは無い。だから君は無意識下で姉に固執し、彼女が何か新しいことを始める度に置いて行かれまいと後追いした。日常生活における能力面では君の方が優れていたおかげで、次第に姉の方が君に固執していくようになった。それでも良かったのだろう。形が変わっても、姉が君から離れることは無かったからだ」
「そうして過ごしていく内に、君には君の、姉には姉の居場所が出来た。姉離れしても問題無いくらいには下地が出来ていったとも言える。他にも天才だと思える存在にも出会えたことで、姉に固執する理由はほとんど忘れ去られていった。後に残ったのは、ただ単に姉が好きだという感情だけ」
「しかしSAOに閉じ込められ、姉と死別するかもしれないと自覚した瞬間に君は思い起こしてしまう。ここで姉が死んでしまえば、これまで培ってきた人間関係が役立つことなく自身が孤独になってしまうという状況に後押しされ、君は忘れ去っていたはずの姉への執着を想起した」
「挙句、姉の方は日常生活で開花する事が無かった、君を置いて行ってしまうかもしれない才能の片鱗を見せ始めていく。だから君は第五層で私からの提案を受け入れ、強引にでも強くなろうとした」
「君の姉の才能が戦うことなのか、単に集中力に関する事なのかは未だ不明だ。だがそれが何であれ、SAOという環境に身を置く以上は開花してしまうだろう。君の不安や焦りは、全てそこに集約されている」
「さあ、選択の時だ日菜君。このまま見て見ぬフリをした結果、現実世界に戻ってから自壊していくのか。それともここで向き直り、一皮剥けるのか」
──選びたまえ、日菜君!
(全部分かってたつもりなんだけどなぁ……)
茅場の突きつける様な物言いを全て聞き届けていた日菜は、内心でそう独り言ちた。
思い出すことは無かったはずのあれこれを改めて提示されて一度はオーバーフローしかかった思考は、表面上には伝わらない程度の冷静さを取り戻していた。
(皆はおねーちゃんが努力を惜しまない姿を見て秀才って言う。散々天才と呼ばれまくったあたしと比較して天才じゃ無いって言う。これらを見聞きし続けてきたせいか、いつの間にかあたしまでそう思い込んでたみたい)
そんな訳無いのにと、日菜は自嘲した。
(何のって聞かれると分からないけど、間違いなくおねーちゃんは天才だ。天才と呼ばれる人たちに匹敵する、或いはそれ以上の才能を持っている。妹としての贔屓目を無視しても、そうだと断言出来る何かがある)
別に才能が無かったとしても、日菜が姉を慕わないなどということは無いだろう。しかしここで茅場に指摘された内容は、事実上の姉を慕う様になったきっかけと言える。
今となっては、氷川紗夜という存在の何もかもが愛おしく、能力や天才がどうとかを言い訳にすることは無い。ただ、物事を整理しきるだけの余裕と猶予が、日菜に無かっただけの話である。
茅場に諭される形で少しずつ紐解いていき、落ち着き始めたことで類まれな頭脳は再起動される。それによって日菜は徐々に立ち直り、茅場の言う選択についても考える余地が生まれていた。
(忘れたままなら苦しまなくて済んだのに、あたしがおねーちゃんを好きになったそもそもの原因なんて思い出さなきゃ良かったのに。これじゃまるでおねーちゃんのことを好きになった理由が、凄い打算的なものに思えちゃうじゃん)
そんな愚痴も溢しつつ、日菜は動き始めた思考を続けていく。
(でも多分、当たりだけど間違いでもあるんだよね。おねーちゃんのことを好きな理由が『るんっ』て来ないなんてあり得ないし。今だから言えるけど、おねーちゃんがおねーちゃんだから好きになったんだ。うん、こっちの方が『るんっ♪』って来た。きっかけなんてどうでも良くて、あたしにとってはそれで構わない)
姉への揺るぎない想いを再認識し、頭を冷やす。
(今重要なのは、おねーちゃんが天才側だったとしてあたしに何か影響があるかについて考えてみること。でもこれ、考えるまでも無いよね)
一度冷静になった彼女は、持ち前の直感を活かして余計な思考をカットする。
そうして得られた結論は、至極単純なものだった。
(つぐちゃんにおねーちゃんが取られたとしても、別にあたしのおねーちゃんじゃなくなる訳じゃないじゃん。変に独占欲働かせていたせいでおかしくなってたけど、相手つぐちゃんなんだから気軽に遊びに行くとかすれば良いじゃん。何で思いつかなかったんだろう!)
関係性の名前が変わるだけで、関係性そのものが変質する訳では無い。その事実に気が付いたおかげか、日菜の表情に血色が戻る。
仮想空間でありながら、それを明確に察知した茅場は警戒を解いた。日菜の雰囲気が良い方向へと傾いたことで、悪化する心配は無いと身構える必要が無くなったからである。
「落ち着いた様だが」
「あ、うん。今まで考える余裕が無かっただけで、ちょっと考えてみたら悩むことでも無いなって分かったから」
「そうか……割り切る、とは些か異なるかもしれんが、望ましい結論に至れるというのは少し羨ましくも思える」
「おじさんにもあったの? なんて聞かないよ。それを知ってもあたしには答えられそうに無いし」
「無論、教えるつもりは無い。既に過ぎ去った後でもあるのでね」
「ふーん?」
普段の調子を取り戻した日菜を見て、茅場が少しだけ羨望の眼差しを送る。彼が望めなかったものを幾度も手にしていく姿に多少の嫉妬はあった様だが、それ以上に自身が目をかけた者が成長していく過程を拝むことが出来たことへの喜びの色の方が強かった。現に手遅れだという彼の表情は悲壮なものでは無く、相槌を打つ日菜もそれを悟ってかあっけらかんとした態度のままだった。
「日菜君には日菜君の居場所が既に存在している。たくさんの友人を得た君であれば、そう時間をかけずに立ち直れると確信していた」
「よく言うよ。裏目に出るなんて微塵も思ってなかった癖に」
「心外だ。材料が揃ってるからといって、人の感情に確実などというものは無い」
「じゃあ何でこんなことしたの?」
「最初に言ったはずだ、疑問を解消したいのだと。だがその為には日菜君、君を今の状態に持ってくる必要があった」
「それじゃあ、おじさんの知りたいことってのは」
日菜の言葉に、茅場が首肯する。
「そうだ。君の姉、紗夜君についてだ」
「おねーちゃんが天才だーとか、そういう話?」
「いや……君の感覚は、私の知る限り最も鋭敏で優れていると言っても過言ではない。そんな君が紗夜君をそうだと感じ取ったのなら、そこについて議論の余地はない」
「あ、そう」
「私が知りたいのは、何をもって紗夜君がそうであるかについてなのだよ」
日菜の直感が認める天才。しかし日菜に才能の面で勝てた試しは基本無い。差を努力で埋めようとしても敵わない、所詮は秀才止まり。茅場の調査結果やここまでのデータからは、その程度のことしか判明していない。
だがしかし、茅場の手元には一つだけ特筆すべきデータがあった。
それは第五層のフロアボス戦において、日菜が前後不覚に陥った際の出来事である。同じくデバフを食らっていたはずの紗夜が、脳に送られていた情報を超越して妹を助けるべく行動してみせた時の事だ。
「あの時の紗夜君は、間違いなくシステムの強制力に抗っていた。もしこれを才能と呼ぶのであれば、人間の精神力、意志の力とでも言うべきものだろう。システムを超越し得る意志の力こそ、私が求めている可能性に相応しい」
しかし、と彼は挿んだ。
「その意志の根源が何か、というのが不明でね。死にたくないとか、勝ちたいとかあるだろうが、紗夜君のそれには当てはまらないと思われる。これまでの事例としては、第三層や第五層での件から日菜君を守ろうとした瞬間に観測されている。だから最初は君への愛だと、恥も外聞もなくそう思っていた」
「でも違ったんだよね? 特にあたしに対して起こりやすいってだけで」
「ああ。第九層ではNPCであるエルフたちの為に、そして此度のフロアボス戦においては他のプレイヤーの為に、その力を発揮している」
「そりゃそうだよ」
茅場の疑問に、生まれた時から姉のことを見てきた妹が答える。
「おねーちゃん、生粋のお人好しだもん」
至極当然の様に、単にそういう性格なだけだと告げられる。
これを聞いた茅場は一瞬目を丸くさせると、幾ばくかの後に目頭に手を当ててくつくつを笑い始めた。訝しむ日菜を他所に、一人で納得した様に喜色を浮かべた。
「そうか、お人好しか! それは思いつかなかった。人の心を捨てた私には辿り着けない答えだ。であれば辻褄は合う。何せ紗夜君にとって守るべき相手とは悪人以外なのだから」
「変なこと言った覚えは無いけど?」
「すまない。お人好しという言葉に心当たりがあってだね。どうして今まで気が付かなかったんだと思わず笑ってしまった」
「それで、もう疑問は解消された?」
「ああ、概ね完璧だと言えるだろう」
「じゃあ話を終わりにして帰ろうよ。いい加減この真っ白な空間にいるの飽きてきたし」
茅場の要求を一つ満たし、自身の蟠りも何とかなるだろうと目処をつけた日菜は背伸びをしながらそう提案する。しかしその提案に対して茅場の首は横に振られ、それを見た日菜はげんなりとした。
「ええ……まだ何かあるの」
「紗夜君について、仮説を一つ伝えておきたい」
姉のことについてと聞き、妹の表情が硬くなる。
「『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』というエジソンの言葉を知っているかな?」
「聞いたことくらいはあるよ。気にしたことは無いけど」
この発言に関する経緯について少しだけ語ろうと、一切の興味を見せない日菜に対して茅場が言った。
「この言葉の意味は『どんなに天才であっても、その中身の99%は努力である。努力は大事だ』という非常にポジティブな説が広まった。だがこれはその言葉を聞いた記者たちの早とちりだったいう見解がエジソン本人から為され、彼がこの言葉に込めた本意は『1%のひらめきが無ければ、99%の努力は無駄になる』という最初の論とは真逆に等しいものだったそうだ」
「前者の方が世間的には美談になるだろうね。現実的には後者なんだろうけど」
「だがね、日菜君。私はこのSAOを作り上げる為に様々な努力をしてきたという自負がある。技術力は元より開発費用を賄うための資金力も自らの手で揃えたからだ。だからこそ私は、このエジソンの言葉をこの様に解釈している。『天才とは、1%のひらめきが絶対である。しかし同時に、天才を構成している99%は努力である』とね」
「良いとこ取りした様な、微妙に違う様な感じの解釈だね」
「この解釈の肝はここからだ」
そう告げる茅場の視線は、時間が止められている紗夜に向けられていた。
「天才に必要なひらめき、つまり天才を天才たらしめる才能というのは全体の1%であり、それに比例する99%の努力が求められる。才能の数値を1とした場合、必要な努力は99だ。そしてこの1%というのは、当然ながら個人差がある。才能の数値が10であれば、努力は990。100であれば、9900という風に要求される努力は増えていく」
彼の言いたい事とは、即ち
「紗夜君が様々な努力をし続けても日菜君に勝てなかったというのは、彼女の努力が足りていなかったということになる。そして君から見ても彼女の努力の量は、半端なものでは無いと断言できるだろう?」
茅場の言葉に釣られて、日菜も姉の姿を視界に収める。その視線には期待と不安、その両方が混在していた。
そんな双子の妹に向けて、答えが提示される。
「それ程の努力をしても開花するには足りない才能とは、一体どんな代物なのかな?」
☆
「──か……って」
紗夜が気が付くと、そこは既に第十層のフロアボス戦が行われたフィールドに立っていた。
「戻されたのね……日菜?」
「うぇっ!? な、なに? おねーちゃん」
隣を見やれば、何故かじーっと顔を見つめてくる妹の姿が映る。声をかけてみると、不自然なくらい動揺しながら返事が返ってくる。
そんな妹の態度に呆れつつ、紗夜は訊ねていく。
「何と言いたいのは私の方よ。私の顔に何かついてるの?」
「そんなことは無いけど……」
「あの人の姿が見えない様だけど」
「ちょっと下層でやることがあるってどっか行っちゃったよ」
「どうして日菜がそれを知ってるのよ……」
「さっきまで話してたからね」
「さっきって……私もいたでしょう? そんな会話した覚えが無いのだけど」
紗夜の時間だけが止まっていたことを失念していた日菜は己の失言を悟り、露骨に目を逸らした。
「あー……」
「何か、あったわね?」
非常に言いにくそうな妹の様子に姉が詰問する。
日菜としては言っても大丈夫な内容と、隠しておきたい内容とを分別する時間が欲しかった。つまり今ここで吐かされるのは、出来る事なら避けたい事案だった。
「…………逃げる!」
「あっ、こら! 待ちなさい!」
色々と吹っ切れた日菜は、鬼の形相で佇む紗夜からの逃走を選択した。逃げる妹を追いかけようとする姉だったが、ステータス振りの差のせいでぐんぐんと離されて行ってしまう。
「こっちに来なさい! 白状しないと、今後しばらくの間ご飯抜きにするわよ!」
「ま、待っておねーちゃん! 少しだけ時間ちょーだいっ!」
「待たない!」
「そんなっ!?」
追いつけないと見るや否や脅迫に走る姉と、それを受けてどうしたものかと悲鳴をあげる妹。最早追いかけっこというよりは、圧力に屈するかどうかの勝負と化していた。
そんな姉妹のじゃれ合いを、GM視点から眺めている男が一人。言うまでも無く、茅場晶彦だ。
彼は先程までの日菜との会話を反芻しつつ、紗夜に聞かせなかった理由について自問していた。
(日菜君は本能に従って行動するが、逆に紗夜君は理性に基づいて行動するきらいがある。それ故に妙なところで神経質な面が見られる。先ほどの話を彼女に聞かせ、自覚させたとして、そのことを意識し過ぎて裏目になると判断した。まだ彼女の努力は基準に達していないのだから、無理に意識付けさせる必要も無い)
不意に茅場はほくそ笑み、同時にむず痒いものを覚えた。
(いかんな、二人に入れ込み過ぎている。それに先の会話で、私自身自覚していなかった事に気付かされてしまった。これではログアウトした後で彼女とどう話せば良いのか、少々悩ましく思う)
かつて茅場の恋人で会った神代凛子は、SAOがデスゲームとなってから彼を止めようとして所在を割り出し、殺害してでも止めようと彼の元へ訪れた。
しかしあくまでも一般人でしかなかった彼女はかつての恋人を手にかけることが出来ず、かといって茅場からしても逃がす訳には行かないからと奇妙な同居が始まり、今日に至るまで続いていた。
茅場としても、所在を知られた以上は目的を果たす障害にしかならない。口封じをするのが妥当だったが、こちらもそれを出来ずにいた。その理由が分からないまま、なあなあで神代との生活をしていたのだが……どうやら彼の方も少しだけ察してしまったらしい。
(今更戻ることは出来ない。だが、限られた時間を有効活用することは出来る)
照れくささからか、研究者ぶった言い回しをしてしまう。
それでも彼は、悪い気はしてなかった。
(次の彼女と顔を合わせた時は、お礼くらい言っておくべきか)
そう結論付けた彼の表情は、まるで子を持つ父親の様だった。
〇紗夜が天才側/日菜のトラウマ(?)
本作オリジナル設定。バンドリでは秀才という認識の強い紗夜ですが、実は天才側でしたという話。これを本家がどうまとめるつもりなのかは分からないが、ここではそうということにした
それに伴って、日菜が紗夜に拘る理由付けにもした。茅場曰く天才が孤独になるのなら、もう一人近くに同等の天才がいれば孤独にならないだろう理論です。日菜から見て紗夜を手放さなければ孤独になることは無いと、生まれた時から本能が理解していたという体です。逆に言えば、何もかもを本能で理解していた日菜から見ても紗夜に眠る才能は異質で、場合によっては自分の方が捨てられてしまうのではないかという過剰な不安を覚えていたというのがトラウマ(?)に当たります
上記はあくまでもきっかけで、日菜が紗夜を好きであり続ける理由については、紗夜の何もかもが日菜にクリティカルヒットしていたとかそんなんです。姉を好きであることに理屈なんてものは存在しないらしい
紗夜と日菜の才能をどう比較するかですが、ポケモンの種族値に例えると分かりやすいと思います。SAOに巻き込まれる前の二人のステータスをイメージで言うなら
一般人:頭脳平均60/身体能力平均60 一般人の上限を100
と置いた時
紗夜:105/105
日菜:110/110
くらいです。ちなみに茅場晶彦の頭脳は150としときます。130を超えれば大体何らかの分野において天才という認識です。つまり日菜の感覚と、後のキリトの反応速度は130オーバーの才能ということになります
そしてそこに追いつき追い越す紗夜の才能に関してですが、ざっくり言うなら誰かを守る才能となります。とにかく他人の為なので、自身の為では発揮出来ません。だからお人好しです。ただし普通は誰かを物理的に守るだなんて状況にならないので、茅場は紗夜の事を『生まれる時代を間違えた天才』だと思ってたりします。戦国時代とかなら重宝されたかもしれない、戦って守り抜く才能だという認識です
〇日菜のトラウマ回避
そも孤独にならない為の居場所というのであれば既にパスパレを筆頭に構築されているので、極端な話姉に拘る必要性が既にない。今回で触れているのは、それが分かっているはずなのに、特異な環境に放り込まれて変に思考が絡まっていたせいでごちゃごちゃしてしまったという話。過程を省きがちな本能が悪い方向に作用しかけていたのを、見かねた茅場によって軌道修正させられた。この辺りは茅場の中に芽生えた親心がそうさせている
道筋立てて冷静な思考が出来れば、日菜にとっては悩むまでも無い内容でしかない。今までが前のめり過ぎて一度ブレーキをかけたという話
〇茅場晶彦の心情
原作でも神代凛子が罪に問われない様な措置を取ったり、血盟騎士団で他人を育てるということに手を出していたりと、神目線の割には人間らしい雑念が混じっている。手遅れというのは、もし姉妹の様な存在に出会えたり、恋人の存在を理解出来たりしていれば、SAOをデスゲーム化させるという凶行とは別の道があったかもしれないという『たられば』です
殺人を犯したことを後悔はしていないが、犠牲を払わなくても済んだかもしれないという理屈です。同時に、もう少し同居人の元恋人との時間を大切にしようとも考え始めました。この辺は、大量殺人犯の癖に妙な人間臭さが残ることを補完するエピソードだと思っていただければ幸いです
Q.結局この話をして何が言いたかったの?
A.本作において紗夜は天才であることを決定づけたかった
これによって紗夜のパワーアップの為の下準備が大方出揃いました。これでキリトと並んでも遜色ない力を有していてもおかしくは無くなった、はず。せっかくクロスオーバーさせたのにキリト未満では劣化でしか無いですし、原作キャラを絡ませなかったらクロスオーバーじゃないですし、キリト並みの何かってなるとこれくらいはね……極力原作を無意味に壊さない程度にってなると、自分ではこうなりました
次回から閑話扱いの第十三層編となります。多分3話くらいの予定で、その後はまたお時間いただきます。では、また