「ゲンさん、聞きやしたか?」
「風雲急を告ぐ、ってー感じですな!」
トブの大森林の西端近く、かつてリ・ブルムラシュールと呼ばれた城塞都市廃墟を眺める丘の上に鎮座する丘上町、森の玄関口。
当地に居を構えて半世紀になる妖巨人の老兵、ゲン・ガンの天幕を訪ねた小鬼、マイシューマツとフーライトルの野伏二人組は声高にそう告げた。
「聖クウェール、カラ駆ケ込ンダ者ノ話カ?
ナラ、聞イテハイルガ。」
小鬼たちに背を向けながら、父から受け継いだ得物の重鎚を手入れしていたゲンはそこで言葉を一旦切り、やおら二人を振り返る。
「命辛辛逃ゲテ来タ者ノ話ヲ、愉快ゲニ語ルハ看過デキンナ。」
種族特有の真っ赤な瞳で射抜かれ、一瞬二人は息を呑むも、
「いやいや、仰ることはごもっともですがね!」
「荒事の予感に血が滾るのは、ゲンさんとて同じじゃありやせんか?」
と悪びれる様子もない。
クク、とゲンの口からも自嘲の嗤いが溢れる。
「……ソコハ、認メルニ吝カデナイ、ガナ。」
「そもそも、聖クェールからの客人は、逃げて来たんじゃなくて来援を求めての急使だ、ってー話ですぜ。」
と、マイシューマツ。
彼等の会話に現れる聖クウェールは、直接的には今も同地においてその遺徳を偲ばれる伝説上の有徳の男爵の名だが、只今は大陸西部ほぼ中央、かつてボウロロープ侯国と呼ばれた沃野の東端にあって険阻な峰々に囲まれる、<冥と啼く七日間>を生き残ったそれの中でも最大勢力の一角を占める村の名になる。
トブの大森林と聖クウェールの関係は、今から二百五十年ほど前、当時森に暮らしていた大災厄の難民三百余人の移住を村が受け入れたことに始まる。父ギンがこの移民団の護衛を務めたこともあって、ゲンは少なからぬ縁を感じているものだが、ここ七十年ほどの間は、聖クウェールとトブの大森林の交流は途絶えていた。
移民がおこなわれた直後は、森に暮らす人間、亜人混成の人々、通称森の民を自分たちの後ろ盾、庇護者と捉えて年に二度の貢納をおこなうようになった聖クウェールであったが、百年前に遥か南方、アベリオン丘陵の彼方から北へ向かって進出して来た勢力があって、聖クウェールは自身の庇護者をトブの森の民から南方の軍団へと鞍替えしてしまった。
この貢納は、村側が勝手に始めたことで森の民がそれを求めていたわけではないし、聖クウェールと森は直線距離こそさほど遠くはないが、村の東側には容易には越えられない深い渓谷があって、一般の旅人は、村から見て真東にある森へ向かうに際し一旦大きく南西へ向かって円を描くように迂回する必要があるという地勢の事情もあって、そもそも両者は恒常的な関係を維持するに向かなかった。
森の民は、それでも参詣を欠かさない彼等の便宜を図るため、今、ゲンたちが暮らすこの丘上町、森の玄関口を築きさえしたのであるが、いつしか絶えたそれを、少なくとも森の民側で問題視する者など誰一人としていなかったのだ。
「神聖……帝国、トヤラカ?」
ゲンは、来援を求める村が目下立ち向かう相手はそれであろう、と五十年前に自身耳にした南方の勢力の名を口にした。
もっとも、冠するところの神聖、最後に加わる帝国、といった意味を有する言葉ははっきりと記憶しているものの、その間に挟まれた固有名に当たる部分は、意味不明瞭な聞き慣れぬ音韻であったこともあってはっきりとは思い出せずにいる。
森の玄関口もまた、五十年前に神聖帝国と対峙したことがあった。同国を名乗る百名ほどの一軍が貢納を求めてやって来たのだ。
一旦の拒絶に対し引き下がった帝国は、二ヶ月の後に森の民の常識からすれば桁外れの力を有する不死者を連れて舞い戻りあわや殲滅、の窮地に至ったが、突如現れた骸骨姿の魔法詠唱者がこれを撃退した。
ゲンはこのとき帝国の再来に備えて町を守る義勇軍に馳せ参じていて、森の民からは伝説の髑髏様、あるいは難民帰還事業を差配した先生、と呼ばれる魔法詠唱者の戦いを目の当たりにした。ゲンの遠い先祖と友であった、と語る骸骨は、ゲンたちの勇気を褒め称えつつも短慮を窘め、もう会うことはないだろうと告げて立ち去っていった。
にも関わらず、意外にもその直後に再び髑髏様は森の玄関口に姿を現している。
このときは、先に撃退された不死者の復仇を訴える山羊人の魔法詠唱者が突如空中に出現し、誰も見たことも聞いたこともない巨大な魔法陣を展開して恐ろしい魔法を以て町を焼き払わんとしたそうだが、あろうことか更に上空から降って湧いた髑髏様は、杖で殴ってこの招かれざる客を地面に叩き落としたらしい。
一旦森に戻っていて事後的にこの話を知ったゲンは、先祖と髑髏様との縁を聞かされていたにもかかわらず、よもや立て続けにそんなこともあるまいと、森の玄関口の守りに自身がついていなかったことを酷く悔やんだものだ。
これがきっかけとなり、ゲンはこの町に守り人として移り住んだ。
以降は、髑髏様再臨の噂に俄に傘下入りを表明した生き残り村の中でもトブの大森林に地勢的に近い村々を、冒険者として巡って種々の問題解決に尽力しつつ、森を狙う勢力に対する番兵たれ、を自身に課して今日に至っている。
マイシューマツとフーライトルは、ゲンからすれば遅れて加わった同志、ということになる。
「例によって、急使の口からは帝国、の名は出なかったそうでやすがね。」
と言うのはフーライトル。
聖クウェールを含む大陸西部の人々は、自分たちが貢納を捧げて庇護を受けている、と考えている相手の名を、必ずしも正確には意識していなかった。南方の勢力自身も、積極的に名乗りを上げることはなく、ゲンたちがこれを知っているのは、五十年前の対峙に際して貢納を拒絶した森の玄関口に対し、初めて彼らが恫喝を意図して名乗ったからだ。
もっとも、トブの森の民自身もまた、自分たちを総称して対外的に名乗る固有の名など持っていなかったので、これも殊更疑問視されることはなかった。
フーライトルが聞き及んでいる、という顛末は次の通りだ。
事の発端は五ヶ月前、聖クウェールを訪れた南方の一団が、突如として納めるべき貢納として従来の四十倍に相当するそれを求めて来たことに始まる。それが余りに唐突だったこともあって、聖クウェールの人々は困惑しつつも一旦は唯々諾々とこれに従った。
が、続いてさらにこれの五割増しが予告されるに至り……元からの比率は六十倍、ということになる……流石にこれでは次の年の実りまで食い繋ぐことすら叶わなくなる、と村は恐慌に陥った。取り急ぎ南方へ向けて急使が発せられ貢納の減免を求めてはみたものの、ならば相応の軍勢が取り立てに向かうのみ、とけんもほろろに追い返され、遂に領主家は南方勢力との断絶に腹を括ったのだそうだ。
さりとて、長く名すら把握していない相手に付け届けを続けてきた彼らに具体的な対抗策などあろうはずもない。また、そのような事情であるから、領主家が村内で表立って村の結束を訴えれば、その寝首を掻いて南方側へ阿らんとする蝙蝠の跋扈を喚起する恐れもあった。
かくして打たれた手が、常の旅人が敢えて挑まぬ村の東の深い渓谷を越え、トブの森の民に来援を乞う急使を派す、というものであった……らしい。
「相も変わらず間抜けな話で、助け舟を出してやる気も失せまさーな。」
聖クウェールの人々の境遇を気の毒だ、とは思いつつも、生来彼らが抱え込んでいる外部権威への依存傾向を決して快くは思っておらず、何ならそれは自業自得というやつじゃないのか、と思わないでもないフーライトルは、皮肉げな笑いで話を締め括った。
「聖クウェール、ノ連中ノ在リ様ニ、思ウトコロガアルノハ私モ同様デハアルガ。」
とゲン。
「サリトテ、助ケヲ求メル声ヲ黙殺スルハ矜持ニ触ル。
フーライトル、トテ、ソコハ同ジ……デハナイカ?」
冷笑を漏らしつつもその点について異論のないフーライトルは、これにニヤリと笑って応じた。
「ひとっ走りして、森の猛者を掻き集めてきやしょうか?」
「イヤ、ソレハ得策デハアルマイ。」
ゲンは大きな手の平を開いて今にも駆け出しそうな小鬼を制する。
「森ノ民ガ結束シテ神聖帝国ニ立チ向カエバ、ソレハ帝国ト森ノ戦争ニナッテシマウ。
ソモソモ帝国トテ、民ガ路頭ニ迷ウ収奪ヲオコナエバ、結果的ニ自分ノ首ヲ絞メルコトハワカッテイヨウカラ、コレヲ撃退スル必要ハナク、聖クウェールニ抵抗ノ意思アリ、ヲ示スコトガ叶エバ十分デ、デアルガ故ニ、ソノ抵抗ノ主体ハ、聖クウェールノ民自身デナケレバ意味ガナイ。」
二人の小鬼は、既に齢二百を越え老境に入りつつあるこの老兵妖巨人の、武の巨人らしからぬ識見に感服させられた。
「まったくもって仰る通り、でさーな。」
「じゃぁ、当地の冒険者仲間だけに声を掛けて赴きますかい?」
「否、ソレモ短慮。
森ニハ一報ヲ届ケ、万ガ一、聖クウェールガ寄セ手ニ陥落セシメラレルニ備エ、避難民受ケ入レノ準備ヲ頼ンデオクニ如クハ無シ。」
「なるほど、これまた仰る通り!」
「加エテ、北方リ・ウロヴァールニモ使イヲ派シ、義勇ノ強者ヲ募ルガ肝要。
サスレバコノ戦ハ、帝国ト森ノソレデハナク、無法ナ支配ヲ試ミル者ト……」
ゲンの赤い瞳に力が漲る。
「……ソコニ義憤ヲ抱ク者、トノソレトナロウ。」
「相わかりやした!」
パン、とマイシューマツが柏手を打って立ち上がった。
「そこはあっしとフーライトルで手分けしまして……」
「待テ待テ!」
再びゲンは、大きな手を翳して短気な小鬼を制した。
「マダマダ若イ者ニ遅レヲ取ルツモリハナイガ、私モ老イタ。
戦陣ニ立ツニ当タッテハ、左右ニ信ノ置ケル脇侍ガ欲シイ。」
背を向けて駆け出さんとしていた二人がその言葉に振り返り、満面の笑みを浮かべる。
「ゲンさん!」
「何とまぁ、嬉しいことを言ってくださるじゃねーですか!」
「森ト北方ヘノ使イハ、ソウイウコトガ得意ナ者ニ任セテ、我ラハ一足先ニ戦場詣デト洒落込モウジャナイカ。」
ここに至って、これまで自身の内なる感情をまったく表情に出すことのなかったゲンが、おもむろに破顔し八重歯を見せて笑った。
遥か昔、他種族との共存を受け入れつつも、妖巨人の武を嗜む矜持のみは失わまじ、さればこそ、我が無双の力の向かうところは然るべき敵にてあらまほし、と誓い願った願一族の始祖の誇りは、今もゲンの中に息づいている。
そして只今の決断はゲンにとっては、五十年前に彼を含む森の義勇軍の窮地を救い、今思いを馳せるところの彼の始祖とは友であった、と語って、彼等の勇を愛でつつも至らぬところを優しく諭してくれた髑髏様の恩義に報いるところの、唯一の義の道でもあったのだ。
「マズハ同道ノ同志ヲ募ロウ!」
並の人間では動かすことすら叶いそうにない重鎚を、ひょい、と担いだゲンが天幕を出て歩み始めると、マイシューマツ、フーライトルもまた、
「どこまでもお供しますぜ!」
「帝国、とやらに、あっしらの矜持を見せつけてやりましょーや!」
と声を踊らせて後に続いた。
*
森の玄関口から聖クウェールへ向かう道のりは、平地を選んで進むと大きく南に迂回する経路となり、どんなに急いでも半月はかかる。騎馬でもあれば短縮できるであろうが、そもそもトブの大森林出身の彼等にはそのような備えがなかった。
妖巨人ゲンを事実上の司令官と仰ぐ義勇軍の一団は、副官兼護衛となった小鬼マイシューマツ、フーライトルを含めて十五人。他十二人の内訳は、大鬼の戦士が二人、小鬼の野伏があと五人、人間と森妖精の魔法詠唱者がそれぞれ三人と二人。
銘々の来歴こそ異なるが、大なり小なりゲンと似たような思いを抱いて森の玄関口に拠点を構えた冒険者たちで、中でも長命の森妖精の一人は、ゲンとは五十年前の義勇軍以来の付き合いになる。
また、直接この行軍に加わらずとも、森の玄関口の住民たちは装備、糧食の準備に進んで協力し、さらにはゲンも案じたところの、万が一聖クウェールが陥落の憂き目となった場合を想定しての備えも怠ってはいなかった。
一団は常の迂回路ではなく、西へ向かって直進した。
これは、聖クウェールからの来援を乞う急使が通った道でもあり、また、トブの森を発して村へ難民受け入れの交渉に向かった伝説の少女、覇王、血塗れのエンリネが挑んだそれでもある。
この道が普段用いられることがないのは、その大半が平坦路であるにもかかわらず、河川による浸食で掘り下げられた深い渓谷に中途を阻まれるからで、もっとも最良な道を選んでも谷の通過には、下りと上りそれぞれに丸一日を要したからだ。谷越え自体がほぼ登山であるに加え、そこで失われる体力は前後の行程にも否応なく影響を与える。
ゆえに、トブの森から聖クウェールへ向かった移民団は三百人を超える集団であったこともあって最短路となる直進経路を避け、大きく南に迂回したものである。これが前例となって、以降の両者の交流も迂回路を用いることが当然になった。
さりとて、逆に言えば少数精鋭でありさえすれば最短路の選択を拒む理由もまたない。只今集ったところの十五人は森の玄関口の冒険者の中でも手練れ中の手練れであり、また、銘々の士気も高く、これを率いるゲンの人徳もあって統率も整っていた。
流石に谷越えに際しては皆口数少なかったが、それ以外は行軍野営を通して戦略討議がおこなわれた。
大方針としては、自分たちが目指すところが神聖帝国の撃退、ではなく、聖クウェールの民自らに帝国の求める過剰な貢納に対し、抵抗の意志あることを示させることである点は早々に合意されていた。トブの大森林から遠く離れた聖クウェールをその防衛線に組み込むことなど、そもそも物理的に不可能だ。
具体的にこれをどう実現するか、については、仔細は現地入りして状況を把握してからのことになるだろうが、やはり大枠としては、村人から少なくとも三百人を募って槍衾の方陣を組ませ、守りに徹した戦術を教示することがその第一歩となるだろう、という点についても誰にも異論はなかった。
過去の実績から考えて、神聖帝国が威圧のための軍勢を向けて来るとして、その総数はおそらくは百人、多くても二百人は超えないだろう、と見積もられている。これを数において上回り、かつ、ひたすら突破を阻む戦術を弄すれば、長躯遠征の軍はどこかの時点で継戦不能に陥るはずだ。一旦撤退を余儀なくさせれば、帝国とやらも統治方針の見直しを迫られるに違いない。
ここに遊撃隊としてゲンたちが要所の押さえに加わり、敵方を威圧すると共に、五十年前に見られたような想定外の戦力が投入されたとしても、これを素早く捉えて総崩れしない撤退への備えも怠らなければ、万が一にも無暗に被害が拡がることもないだろう。
そんなことを語らいながら九日目の午後に聖クウェールに至ったゲンたちは、たちまちに想定外の光景に驚かされることになった。
村中央の広場がやたらと賑やかなのでまずそこへ向かってみれば、軽く百人を超える若者が集まっている。皆熱心に誰かの語るところに聞き入っていて、その視線の向かうところに目を走らせれば、木箱か何かで仕立てた即席の演台の上で、槍に模した長い木の棒を構えながら、何やら熱弁を振るっている人物がある。
やや年嵩の男性。長身と長耳からすれば森妖精だが、らしからぬ筋骨隆々とした体格に浅黒い肌。さりとて闇妖精でもなく、その印象はむしろ大鬼を想起させる。
そしてその人物は、聴衆の後背から現れたゲンたち一行の存在に気づくや、自身の話を断ち切って歓喜の声を上げたのである。
「見よ、諸君。
言った通り、義勇の援軍が駆け付けたぞ!」
「ヨモヤ先ヲ越サレルトハ。」
その夜、ゲンは演台の人物と語らう機会を得た。
「あのゲン坊が随分と大きくなったものだ!」
中年に達してもなお筋骨隆々とした混血森妖精は楽し気にそう言う。
彼の名はサミュエルソン・エルキュルハウゼン。
トブの大森林で大鬼の古老を父に、早くに夫を喪った森妖精の未亡人を母に生を享けた彼は、その生まれの珍しさから森ではちょっとした有名人で、ゆえに幼少の時分のゲンとも知己があったが、後にアーグランド評議国ポリス・ウロヴァーナに招かれ統治官、代議員を歴任した人物だ。
森の玄関口からの出立に先立ち、ゲンはリ・ウロヴァールの政庁へ向けた一筆を認め、健脚な小鬼の急使に託していた。それは必ずしもサミュエルソンに向けたものではなかったが、国家としてのアーグランド評議国、城塞都市リ・ウロヴァールに対して、ではなく、そこに住まう有徳の士に向けて、悪徳ノ帝国ヘノ義憤ニ期スルトコロ大ナリ、と簡潔に記されたそれは、たちまちに、同じ問題意識を有していたサミュエルソンに伝わってその心を捉えた。
目下のサミュエルソンは何ら公職を得ない身ではあったが、五十年前に帝国がリ・ウロヴァールに対しても貢納を求めてきたに際して、本国側で代議員の任にあって、この急報を同国永年評議員たる竜王に言上したのが、他ならぬ彼であった。
サミュエルソン自身は仔細を承知していないが、貢納を拒絶された帝国は報復行為を匂わせこそしたもののその後は音沙汰がなく、聡明にして強大、でありながら温厚な永年評議員ツァインドルクス・ヴァイシオン卿の勧めもあってポリス・ウロヴァーナはこれに特に対抗策を講じることはなかった。
一方で、父の血を少なからず引き継いで闘争を嗜むきらいのあるサミュエルソンは、和を重んじるアーグランド評議国に対し無礼千万な態度で臨んだ帝国に蟠りを抱き続け、再びあるやも知れぬ帝国の北進に対する備えを自身に課した。
具体的には、能天気な土地柄のポリス・ウロヴァーナにあっても少なからずある血気盛んな若者を囲い、日常は治安維持や警備の仕事を宛がうと共に、いざ事あるときに動員可能な私兵として養ったのである。彼のこの振舞いに苦々しい視線を送る統治官もいないではなかったが、結果的にある類の、以前であれば素行不良のゆえに放逐されていた輩に居場所を与えることにもなったため、軍閥形成とも取られかねないそれは長く黙認されてきた。
そこへ、まさに期していた風雲急を告げる一報が届き、ましてや奇しくもその書き手が子供の時分に遊んでやった腕白坊主ともなれば、サミュエルソンは、自身不遜を覚えつつも小躍りして応じるしかなかったのである。
「おまえらを出し抜けたのは、アレのお陰だ。」
サミュエルソンの指差す先には、丸まって休む三頭の鷲頭天馬の姿がある。アーグランド評議国本土側に産する魔物で、決して扱いは容易ではないが、馴らすことさえ叶えば日に百里を天翔けると謳われる騎獣である。
森の玄関口からの一報を受けるや、サミュエルソンは子飼いの部下二名のみを伴って自身は聖クウェールへ空行したため、ゲンたちよりも三日早く現地入りを果たしたものだ。
彼らが思い描いた大方針も、ゲンたちがここまでの道がてら論じたそれと大きく異なるところはなく、まさにゲンたちがやろうと思っていたことをやっているサミュエルソンに、図らずもゲンたちが遅れて合流した体となった。
「難路急行シタ甲斐ガナカッタナ。」
ゲンは嗤いながら後ろ頭を掻いたが、サミュエルソンはそれを気にするでもない。
「なんのなんの。救援物資込みで遅れて到着する俺の部下を含め、こちらは皆人間種ばかりで、経験の差で度胸は据わっていようが、俺を除けば個々人の火力は当地の村人と大差はない。現地人に隊長が育つまで、銘々の槍隊の指揮を任せれば御の字、と考えていたところだ。
おまえらは、ゲンはもちろんのこと、人間種も魔法詠唱者で一騎当千。大いに当てにさせてもらうさ!」
互いに種族の中年に至ったサミュエルソンが、幼少の時分に遊んでくれた頼もしくもヤンチャな兄貴分そのままの雰囲気を保っていることに、ゲンは頬を緩ませる。
「マァ、一番乗リヲ奪ワレタ相手ガ、サミュエルソン兄ナラバ諦メモツク。」
「いや、それは違う。」
「?」
言下に否定されてゲンは大きな頭を傾げるが、サミュエルソンはいくつかの篝火を囲む人々の集団の向こう、少し離れたところに控え目に佇む三人組を指差してこう続けた。
「一番乗りは彼女たちだ。」
「……彼女?」
さらにゲンは深く頭を傾げる。
言われるまでもなく、場違いな三人組にはゲン自身、給食を兼ねた只今の集いが始まった時点から気づいてはいた。
村娘らしからぬ垢抜けた出で立ちで、一人は夜会巻き、一人は赤毛三つ編み、一人は総髪。決して目立つ物ではないが銘々に何某かの得物を携えているので、冒険者の類であることは疑いあるまいが、それにしては、薄気味悪いほどに何の気配も感じさせない。
そして彼女らは、この場に集う誰に対しても明らかに何の関心も払っていない、にもかかわらず、恐ろしく怜悧に周囲の様子を警戒し、何かあれば即応の構えを採っていることが否応なくわかる。
やはりサミュエルソンは何を気にするでもなく、やおら立ち上がって手を振り、大きな声で問題の三人に声を掛けた。
「アルファ殿、俺の旧知を紹介したい。ご足労だがこちらへ来てはもらえぬか。」
アルファ、と呼びかけられた女は、最初は聞こえなかったのか、あるいは故意に聞こえぬ振りをしていたのか反応を示さなかったが、繰り返し無遠慮にサミュエルソンが呼び掛けるので、一旦自分を指差して疑問の表情を浮かべた後、満面の笑みで応じるサミュエルソンに根負けしたのか、楚々と仲間を連れて歩み寄って来た。
「こちらは森の玄関口随一の猛者、ゲン・ガンだ。」
紹介されたゲンは女たちに一礼を捧げる。
「こんにちは、ボ……私はアルファ。」
「ベータっす、よろしく!」
「……」
愛想のよい先の二人に反し、ただ一人、ゴキブリでも見るかのようなきつい視線をサミュエルソンとゲンに向けていた総髪の女だけが名乗らなかった。
「駄目っすよ、ガンマちゃん。もうちょっと愛想良くしないと美人が台無しっす!」
「……。」
と、ベータと名乗った赤毛三つ編みの女が執り成しを図るが、気を遣われた当人は態度を改めることもなく、変わらずゴミでも見るかのような目つき。
そこも特に気にするでもないサミュエルソンは、ひたすら自分の調子で話を進める。
「ゲンも予想はしていただろうが、俺がここへ着く前夜、ちょっとした騒ぎがあってな。」
兄モ……大概ダナ。
と、ゲンは内心溜息をつくも、やはりサミュエルソンに気にする様子はない。
曰く、村人の中でも現領主家を快く思っていなかった一団が、領主の首を獲って帝国に阿ることを企図しその館に数人で夜襲を仕掛けた。これに割って入って村の瓦解を防いだのが彼女たちだ、とか。
ナント……!
と、一転してゲンは驚かされた。
一見して強者とも思えない彼女らがそんなことをしてみせたとは。意味するところは、彼女らから感じる……否、何も感じ取ることが出来ないのは、おそらくは何らかの魔法的な擬態がなされているからだ。
しかも。
サミュエルソンは、ゲンが走らせた急使の一報に対し、空行可能な騎獣を駆ったがゆえにゲンに先んじて当地に至れたものだが、さらにそれに先行し、かつ、聖クウェールに内紛起こることを前以て予想していなければ取り得ない対処をおこなった彼女らが……。
只者であろうはずはない!
「アルファ殿たちの機転がなければ、俺たちが駆け付けたとて何も為すところはなかっただろうよ。」
半ば恐怖に近い感情を三人組に抱くゲンに対し、やはりそこには特に関心がないように見えるサミュエルソンは、ただただアルファたちの活躍を無邪気に褒め称えた。
一方の褒め称えられたアルファたちもまた、その称賛自体にはまったく関心がない様子だ。
「ボ……私どもは、ただ主の命に従ったのみですので。」
「……主?」
意外な言葉に、ゲンはそのまま復唱して真意を問う構えを見せたが、さきほどまでアルファの隣に居たかに見えたベータが突然姿を消したかと思いきや、ゲンの耳元から彼女の、さきほどまでとは随分と異なる口調の声が聞こえる。
「そこに深入りすると……死ぬわよ。」
「!」
自惚れてこそいないものの、それでも自身の強さには自信のあるゲンだが、これまでの生涯で一度たりとも感じたことのない寒気を背筋に覚え、思わずゴクリ、と息を呑んだ。ベータ、とやらに殺意があれば、完全に首を掻かれていた間だ。
が。
「なんてねー!
そんな引いた顔は強面に似合わないっすよ、ゲンちゃん!」
バンバン、と赤毛の女に肩を叩かれ、やはりこれまた生涯に渡って一度たりとも人間の女からそんな風に扱われたことなどないゲンは、より一層の恐怖を覚えた。
つまりこの女は。
人間……であるはずはない。
ゲンは思いもよらなかった状況に自ら踏み込んでしまったことに困惑しつつあった。
無法な貢納を求める帝国に対し、聖クウェールの村人に自ら抗し得る力を与える、と考えた自身の判断に間違いはなかった、と今も考えているし、それは、ほぼ同じことにサミュエルソンが思い至って先んじて行動したことにも証されていよう。
それはともかくとして、挨拶が済んだならば、とそそくさと立ち去り、今も広場の片隅で油断ない視線を周囲に注ぐ女三人組。アレはちょっと異様だ。何なら、その脅威度で言えば、帝国とやらもあれほどではないのではないか。そもそもあの女たちは、どうやってこの状況を知り、何を目的に乗り込んで来たのか。
その言動は、彼女らが決して敵ではないことを示してはいるが、さて、これを頼もしい味方と無邪気に喜んで……呆れたことにサミュエルソン兄はそうであるようだが……よいものなのだろうか。
「いやぁ、ゲンさん。あのベータちゃんは可愛いっすなー。」
「あっしは凛とされたアルファさんの方が好みですがね、いや、ガンマさんのあの冷たい目線も捨て難ぇーなー。」
後から会話に加わって来たがために、ベータがゲンにさりげなく加えた恫喝にまったく気づかなかったマイシューマツとフーライトルがそんなことを言い出して、ゲンは我に返った。頼りになる相棒ではあるが、この余りに野放図な能天気さはいただけない……否、気づかぬが吉ということもあるか。
さてさて、この難局。
無事に切り抜けることができるだろうか?
篝火を囲んで銘々の思惑を胸に気勢をあげる村人、義勇軍を眺めつつ、ゲンはあらためて深い溜息を吐いた。