酒精、というのはえらいもので、それ自体は生存に必需のものではないにもかかわらず、時代、文化圏を問わず、また<現実>においてもこちらの世界においても、社会生活の中で特別な地位を占めており、ゆえに、それが供される場、というものも、集う人々の顔触れ、彼等が持ち寄り言い交わす情報、という面において独特の意味合いを有している。
ここ赤の入植地においても、やはり酒場は、在地の人々、少なからず外部から訪れる様々な面々が悲喜交々の悲喜劇を繰り広げる場所になっていた。
かつての王都にして五大自由都市の一角を占めた城塞都市リ・エスティーゼ廃墟を南に望み、産する砂岩を用いる家屋が悉く赤壁を誇ることにその名を因む当地もまた、<冥と啼く七日間>を生き残った四ヶ村のいずれかから分家し、かつての街道を避けて耕作地を見下ろす山に分け入った高台に築かれた若い村である。
その酒場が、珍客を迎えて俄に沸き立っている。
「それは本当なのかい、姐さん?」
「もちろん本当っすよ。いやー、見せてあげたかったっすね、混血森妖精の将軍に率いられた村人の勇姿!」
赤毛の野性味溢れる美女が、興奮気味にそう語る。
連れの黒髪総髪のやはり美女は、にこりともせず、何故かむしろ不愉快げだ。
北からやって来た、と言う二人の女は、酒場に入るなり「面白い話があるんすよー!」と誰に尋ねられたわけでもないのに大きな声で語りだした。もっとも、さきほどから喋っているのは赤毛の女の方のみ、なのではあるが。
曰く、当地を含め周辺の村落が自身の後ろ盾と見做して年二回の貢納を欠かさない南方の人間、亜人の混成集団に対し、急なみかじめ料の値上げに反発して一戦交えた村があり、しかもその戦いは混血森妖精の将軍を迎えた村側の圧倒的勝利で終わった、というのだから驚きだ。
「あの混血森妖精は英雄の中の英雄。そのうち王様か何かになるんじゃないっすかねー!」
赤毛のその言葉に酒場はざわめきに包まれた。
みかじめ料の値上げに頭を悩ませていたのは彼等もまったく同じ境遇。そして、彼等はそれに困ってはいたが、自らそれに立ち向かうなどという発想を今この瞬間までまったく持ってはいなかった。
「それってワシらにも?」
「あの破落戸どもを追い払えるってことか?」
あちらこちらでそんな囁きが交わされるが、カランカラン、と来客を知らせる扉に吊るされた鐘の音が鳴って、たちまちに酒場は静まり返った。
招かれざる客は豚鬼の三人連れ。いつごろからかこの村に居座って、南方の軍勢の威を借りてふんぞり返っていた面々だ。決して無法な振る舞いをするわけではないが、それでも村人たちは彼等から飲食や商品の代を得たことは一度たりともない。
「おいおい姐さんたち。聞き捨てならん話をしてるじゃねーか!」
どうやら豚鬼たちは、店の外で赤毛の女の話を一通り聞いた上で踏み込んで来たものらしい。
件の聖クウェール軍の戦は二日前の話で、指揮命令系統や情報伝達手段を欠く彼等は、未だ自身の拠って立つ軍勢の敗北を知らない。
「豚さんたちも知っといた方がいいっすよー。」
赤毛の女がにっこり笑って事も無げにそう応じるので、否応なく豚鬼はいきり立った。
「俺たちゃ、女子どもでも手加減しねーぞ、コラァ!」
だが。
「<雷撃>。」
黒髪総髪が屹と人差し指を豚鬼に差し向けるや一筋の電撃がうち一人を射貫き、香ばしい薫りを漂わせる焼き豚と化してばたり、と倒れた。その背後、赤い石壁には穴が穿たれている。
「息が臭いのよ、豚。」
魔法を放った女が遺体を見下ろして無感情な声でそう吐き捨てると、共にあった二人の豚鬼はたちまちに腰が砕けてその場にへたり込んだ。
酒場の村人たちは一時、いったい何が起こったんだ?とわけがわからないままに沈黙したが、やがて、一人、また一人と悲鳴を上げて酒場から駆け出していく。
「ガンマちゃん、やり過ぎっすよ!」
赤毛は逃げる村人を呼び止めるでもなく、自身の相方にそう苦言を呈したが、言われた側は気にするでもなく、
「豚でも焼くといい匂いがするのね。
彼女へのお土産にどうかな?」
と、やはり無感情な声色で応じながらそそくさと酒場の出口へと向う。
「オイラの方が抑え役だなんて……妙な感じっすねー!」
お手上げ仕草でそう呟きながら、赤毛女もその後を追った。
*
先の会戦からさらに半月。
戦勝に沸き立つ村人を率いて聖クウェールに戻ったサミュエルソン・エルキュルハウゼン、ゲン・ガンは、想定外の事態に困惑している。
村人や他の面々はともかく、サミュエルソンもゲンも、この勝利ですべてが解決する、などとはまったく考えていなかった。
ゲンは、五十年前に一旦引き下がった神聖帝国がこともあろうに不死者を連れて舞い戻ったことを憶えている。よもや反撃してこないと思い込んでいた村人に撃退された今、彼等が再び同様の、あるいは似たような手段を擁して反撃に転じる可能性は大いにあるし、この点についてはサミュエルソンも同意していた。
なので、仮初の勝利に満足して当地から引き上げる、などという思案はそもそもない。少なくとも、神聖帝国がそういった無茶な手段を弄してまで意地を通そうとはしないのだ、といったあたりを裏付けられるまでは当地に留まる必要がある、と考えていた。
何ならもう一戦する必要があるだろう、と。
もっともそれは、表向きはいずれも温厚な顔をしつつ、生まれの血に従って心の何処かで血沸き肉躍る闘争を求めてもいる彼らの願望、であったのやも知れない。
ところが、待てど暮らせど神聖帝国からは逆襲の軍どころか使いすらやって来ない。
逆に、会戦から五日後には、二人を困惑させる最初の来客があった。
聞けば、先に援軍で馳せ参じた白亜城を除けば聖クウェールには最も近い村となる赤の入植地を発した使いで、
<新たにお立ちになられた王の御戦勝を寿ぎ、永遠なる忠誠を誓う>
と熨斗された酒が届けられた。
これを皮切りに、他数ヶ村から似たような使者がそれぞれ祝いの品を携えて姿を現している。
「……こうなることは予期しないでもなかったが。
しかし、ここまで身の振りの翻し鮮やかだと返って感心するな。っつーか、王って誰だよ?」
と呆れた様子のサミュエルソン。
もっとも、長くポリス・ウロヴァーナで政事に携わっていた彼は、これが必ずしも人々の卑屈さに起因するものでないことを承知してもいた。
大陸西部の人間種たちは、押し並べて同族間に序列があることを嫌う。同じような社会的立ち位置にある者同士の間でいずれが上位にあるかを競うくらいであれば、外部の権威に皆で膝を屈して、居並ぶ我らは対等であると考えることで、結果的に同族間の闘争費用を下げることを彼らは好んだ。
これはサミュエルソンの子飼いの部下たちも同様で、彼らは親分であり実際自分たちでは築けようもなかった政庁との関係を執り成して養ってくれるサミュエルソンに対し驚くほど従順である一方、銘々の能力に応じて役割の分担があるのは認めつつも互いが対等であることに強いこだわりを示した。
サミュエルソンは、彼らに比するも馬々鹿々しい寿命を有する存在ではあるが、さりとていずれ自身も世を去るに違いないのであるから、少なからずポリス・ウロヴァーナの治安維持に貢献している自身率いる軍閥の後継者を育てるべきだろう、と考えていた。が、世にも稀な大鬼と森妖精の混血として生を享けた彼は、若い時分にそれぞれの種族の妻を迎えてはみたものの、結局子を得ることが叶わなかった。
されば、と、自身に継ぐ次席者を育てるを試みたが、部下たちの中にこれに応じてくれるものは終ぞなかった。当初サミュエルソンは、これに「何故なんだ?」と随分頭を悩ませたものだが、今では割り切りがついている。彼らにとってサミュエルソンは、自分たちの間に序列、不均等が生じないための要石であって、その後継者に自らがなることは決して望むところではなかったのだ。
「ソレハ……サミュエルソン兄以外、アリ得ナインジャナイカ?」
綿密でありながら無理のない訓練と、それ以上に鮮やかな采配で聖クウェールに緒戦の快勝をもたらしたサミュエルソンを王に推す声は無理なからぬ、と、やはり大陸西部の人々の性向を知らぬでもないゲンは得心していたが、それは彼の関心の中心事ではない。
そういうことになることもあるだろう、と考えていたのはゲンも同様であるが、彼ら自身がそれを喧伝したでもないのに、戦勝から五日後に最初の祝賀の使いがやって来たのはいくらなんでも早過ぎる、というのが彼が抱いている疑念だ。
赤の入植地は馬を走らせて二日かけて当地へやって来たらしい。届けられた祝いの品は、割れぬように麦わらを詰め込んだ革鞄に詰められた酒瓶が十本ほど。その準備にさほど時間を要したとも思えないが、それでも人馬の手配には一日は要したはずで、となれば連中は、遅くとも件の会戦の二日後にはそれを知っていたことになり、しかもそれが圧勝であったことを承知していればこそ早々に鞍替えを決断したのに違いない。
では連中は、いったいどうやってそれを知ったのだろう。
無論、ゲンには心当たりがないでもない。
只者に非ず、と常に意識の片隅にあった謎の美女三人組、アルファ、ベータ、ガンマが、戦場で一泊し聖クウェールへの凱旋を期した翌朝には姿を消していたからだ。何なら彼女らが野戦病院だ、などとのたまいながら設営した天幕も、そこに少なからず収容されていた敵方の怪我人を含め煙のように消え去ってしまった。
彼女らが赤の入植地へ向かい、聖クウェールの戦勝を吹聴したのだとすれば……ゲンには他に可能性が思い浮かばない……祝賀の一団のあまりに早い登場にも納得はできる。
が、仮にそうなのだとしたら、あの三人組の狙いはなんだ?そんなことをして、彼女らにいったい何の得があるというのだろう?
そして。
そんな彼女らの背後にあるという、主、とはいったい何者なんだ?
「ゲンよ。」
不意にサミュエルソンから声がかかって、ゲンの思索は断ち切られた。
「元よりおまえの話を疑ってなんかはいないんだが。」
とサミュエルソン。
ここで言われるおまえの話、とは、五十年前、一旦引き下がった帝国の軍勢が棺に納めた恐るべき不死者を連れて舞い戻った件である。
「今回実際に連中と対峙してみて、どうにも俺には連中がそんな外連味を弄する輩とは俄に思えんのだ。」
当時、アーグランド評議国本土側にいて代議員の任にあったサミュエルソンは、先の会戦まで直接には南方の軍勢に相見えた経験がなかった。
最初に、帝国の軍勢、と聞いて、サミュエルソンが思い浮かべたのは、トブの森で暮らした子どもの時分に伝え聞いたり書物で読み知ったかつての東方の雄、バハルス帝国軍だった。なので、評議国評議員に対する事態言上もその知識を背景になされたものだったが、任期を終えて帰国の後、ポリス・ウロヴァーナ側で対応に当たった同僚、シュトックハウゼンから聞かされた実態は田舎の愚連隊、やくざ者だ。
この乖離は少なからず彼を困惑させ、終わってみれば過剰に過ぎた備えを今回の会戦に当たっても彼に強いることになったが、今は、シュトックハウゼンの観察が当を得ていたことをサミュエルソンは納得している。
だからこそ、ゲンが実地に体験したという、南方の軍勢が不死者を使役する、という話が、どうにもすんなりとは頭に入って来なかった。
このサミュエルソンの言をゲンは、うんうん、と頷きながら聞いている。
彼とて、五十年前の出来事がまったくの想定外であったことは同様なのだ。
「仮に……今回もそういうことがあるとして。」
豪放磊落でありつつも決して野放図でないサミュエルソンは、内心ないとは考えつつも存外冷静に最悪の可能性を考慮してもいた。
「……森の髑髏様、とやらは当てにできるものだろうか?」
やや躊躇いがちにサミュエルソンはそう言った。
もちろん自身トブの森生まれであるサミュエルソンは、髑髏様伝説については承知している。が、彼にとってそれは、あくまでも女子どもをときに震え上がらさせ、ときに快哉を叫ばせる御伽噺に過ぎないもので、大の大人が真面目に顧慮するものとは認識されていなかった。
一方のゲンは、五十年前にその髑髏様本人と言葉を交わし、あろうことか髑髏様は、ゲンも連なるところの妖巨人ガン一族の祖とは友であった、と承ったのだとか。
「ナイ、ダロウナ。ト言ウカ、当テニスベキデハナイ、ト言ウベキカ。」
とゲン。
今度はサミュエルソンが黙してゲンの言葉を待つ側に回る。
「髑髏様ハ、本来生者ニ関ワルベキデナイ、ト仰セデアッタ。ソモソモアノ御方ハ、帝国ガ人ト人ノ戦ニ不死者ヲ駆リ出シタコトニゴ立腹デアッタヨウニ思ウ。ソンナ髑髏様ガ、我ラガ髑髏様ヲ当テニスルコトナゾ、望マレルハズモナイ。」
その理は、サミュエルソンとしてはわからないでもない。
彼自身、火急を報せた評議国永年評議員の竜王が、尋常ならざる魔力を用いて操る白金の傀儡を駆って出陣したと聞いたときは、それが帝国を殲滅するものと心躍らせたこともあったが、終わってみれば何がなされたわけでもない。
加えて竜王は、ポリス・ウロヴァーナが防衛の軍を組織することに苦言を呈した、とシュトックハウゼンから聞かされたが、その時点では憤懣やるかたない思いを抱いたものの、よくよく考えてみれば、それが永遠の時間を生きる竜王の深慮から発したものであることは明らかだ。
自身の暮らす土地を自ら守る、というのは自然な発想ではあるが、その後ろ盾に比類なき竜王が控える評議国にあっては、たとえ専守防衛を謳う軍勢であっても、それは対外的な暴走の誘惑と常に表裏一体だ。少なくとも評議国の竜王は自身がそういった愚行の具となることに対し慎重であり、そこに得心したからこそ、サミュエルソンは国家ではなく、私の備えとして、常は警備の仕事を請け負う私兵を養うことを決めたのであるから。
逆に、目下相対するところの神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国とて、元はそんなつもりはなかったものが、思わぬ後ろ盾を得て暴走した無頼どもが自らを律する手立てを見失って今に至ったものである可能性だってあるだろう。
己の力の望外たるを知る髑髏様も、おそらくその辺りは同じであるに違いない。
彼が守りたいと願うトブの森の民に、真に火急の事あるときは再びの出御があるやも知れないが、それを当てにして森の民、ましてや大陸西部の民が余所に戦いを挑んだとて、髑髏様は歯牙にもかけまい。
「さもあろう、さもあろう!」
サミュエルソンは、やや大袈裟気味にゲンの言葉に同意を示す。
「人の世の事は、人が決せねばならんが道理だ。」
この兄貴分の言葉に、その真意を僅かながらも疑っていないでもなかったゲンは安堵する。
「それはそれとして、だ。
これから我らはどうすべき、だろうな?」
「ウム、ソコガ問題ダ。」
戦の定石から言えば、理想としてはどの村にも害の及ばぬ戦場を設定し、今一度の会戦で再びの快勝、とまではいかなくとも、当方優勢のまま終戦すれば最善だ。その戦果を以て南方の軍勢に北を犯さぬことを約させるか、最低でも法外なみかじめ料の要求を撤回さえさせれば、彼らが今後も大陸西部の村々の後ろ盾であり続けることまで否定する理由はゲンたちにはない。
が、そこに持っていくには不明瞭な点が今なお多くある。
その最たるものが彼らが再び埒外の化け物を持ち出す可能性だが、仮にそれがないのだとしても、彼らの交渉の主体が未だに茫洋としてはっきりしないこともまた、サミュエルソンを当惑させていた。戦勝を賀する村々の使いはなおも続々聖クウェールを訪れはするものの、一向に帝国からの使いは現れない。彼らに北方への進出を諦めさせることを目指すとして、いったい何処の誰にそれを求めればいいのだろう?
「忸怩たる思いがないでもないが、今少し様子見するほかなかろうなぁ。」
実際、今も聖クウェールの南方空行半日の範囲は、サミュエルソンの部下が鷲頭天馬を駆って哨戒に飛んでいるが、帝国の軍勢らしきものを見つけたという報はない。
「討ッテ出タイノハ山々ダガ、聖クウェールノ村人ニハ、マダソンナ力量ハアルマイ。」
状況に応じて已まれずに応じる守勢と、自ら望む状況を生ぜしめんと試みる攻勢では、当然後者の方が段違いに難易度が高い。生来の血が攻勢を求めるゲン、サミュエルソンはともかく、即席の槍衾を組み、背を見せて逃げ出さないだけでも御の字の村人たちには、まだ自ら討って出るなどというのは不可能だ。
「どうにも気が滅入るなぁ。」
「敵襲来ニ備エ続ケザルヲ得ンカラ、ナオサラダ。」
「……」
不意に沈黙するサミュエルソン。
「……ドウシタ、兄?」
「いや、備えねばならんのはおまえの言う通りだが。」
「?」
「今たちまち、ということもあるまい。一杯くらい構わんのじゃないか?」
おいおい、本当にアンタはどこまで真剣でどこから冗談かがわからんな!
「……一杯デ済メバ、ダガ。」
窘めるつもりで苦々しくゲンはそう応じるも、
「せっかく赤の入植地の連中が届けてくれた銘酒だ。呑もう!」
サミュエルソンは気にする素振りもない。
「コレヲ呑ンダラ、戦勝ヲ寿ガレタ王デアルコトヲ認メルコトニナランカ?」
「王に推されるも酒に酔うも、同じことだ。」
一見含蓄深げな、でありながら、実のところ呑む口実でしかない言葉を吐きながら、サミュエルソンは酒瓶の封を切った。
*
大陸中央部西端、海に向かって南北に続く石灰岩台地。
その南端、彼方にかつての港町リ・ロベル廃墟を望む高台に一つの生き残り村がある。
灘の一つ灯。
村の名は、リ・ロベルを発して大陸西岸に沿って北へ向かう船に対し、ここから座礁の恐れのある岩場が続くことを報せる灯台があったことに由来する。
大昔は、その岩場の合間に点々と続く漁労村から税を取る便宜の代官所が置かれたが、王国が滅んで自由都市となって以降は、それらの村々から届けられる海産物を自由都市群に届ける窓口になった。さりとて、それはあくまでも好事家を喜ばせる珍味に過ぎず、終ぞ主要街道や連結馬車の幹線が当地まで延伸されることはなかった。
そのような地勢であるから、幸いにして灘の一つ灯は<冥と啼く七日間>の直接の被害を免れ、聖クウェールに並んでキーノ・インベルンが大陸西方で行き当たった生き残り四ヶ村の一つとなった。同様の理由から災厄を逃れた点在する漁労村を束ねる存在となったことも勘案すれば、人口だけで言えば目下の大陸西部の最大勢力、と言えなくもない。
そんな村にも、やはり好悪様々な顔触れが集う酒場があった。
敢えて当地のそれが余所と異なる点を挙げるとすれば、一般的な村の酒場には毎日同じような顔が揃うのに対し、灘の一つ灯では海産物の納品や、逆にこちらに出て来なければ入手できない必需品を贖うべく小舟を駆った漁労村の船乗りたちが主な客層で、必ずしも皆が顔見知りではない、といったところだろうか。
生業柄気性が荒くなくもない船乗り同士の揉め事を避けるべく、酒場に十数組ある円卓は敢えて間を設けて配されていて、それぞれに船を同じくする肌浅黒い男たちが腰掛けて小声で何か言い交しながら酒を酌み交わしている。
そんな具合であったから、そこに姿を現した女二人は否応なく目立った。
バン、と扉を突き放すように押し開いてまず入ってきたのは、光沢のある肉感調短丈裳を纏ったはちきれんばかりの胸元を隠しもしない金髪縦巻き。何なら扉を押したのは手ではなくその乳房ではないのか、と疑いたくなる勢いだ。
その後ろから続いたのは、対照的に修道女かと思わせる白黒二色な出で立ち。なれどしっかりと胸を強調する意匠が施された一続き長丈裳の夜会巻き。
なんだ、なんだ?と動揺する船乗りたちに一瞥もくれず、金髪女は細高踵の音も高らかに立ち席まで歩み寄るや、その上にバラバラと公金貨、銀貨をばら撒いた。
酒場の主人が訝し気に問う。
「な、なんなんだあんたらいったい?」
「お祝いですからね。それで皆さんに一杯差し上げてください。
余るようならば、何か適当な肴でも振る舞っていただければ。」
と、金髪縦巻き。
「……よろしいんで?」
主人は机上の金銀貨を掻き集めながら問うた。
必ずしも通じているわけではないながらも、随分と古い年代ものが紛れている気がする、なればこそ逆に価値ある貨幣だが、それをこんな風に扱うとは、いったい何処からやって来た何者であろうか。
対して女は、ただ無言のままに片手を差し出して是と示し、振り返って唖然とした客たちに妖艶な瞬きを送って、それまで静かだった場内を騒めかせた。
「いったい何のお祝いなんでぃ?
お姐さん方が、大金持ちのお大尽でも釣りなさったかね!」
既にほろ酔いだった漁師が発した軽口に、ドッ、と笑いが起こるも、夜会巻きの女が眼鏡にスッ、と片手を添えると、否応なく漂う緊張感に男たちは静まり返った。
「あなた方のお祝いですのよ。」
と夜会巻き。
「「おれたちの?」」
言われた側は意味がわからない。
「あなたたちは、南方のやくざ者にずっとみかじめ料を払い続けて来たのでしょう?
その急な値上げにお困りだった、とか。」
事も無げに眼鏡の女はそう応じた。
たちまちに、船乗りたちは難渋な表情を浮かべる。伝統的に彼らが常に後ろ盾とする何者かを必要としてきたことは事実であり、それを欠けばたちまちにこの村も沿岸の漁村も、内紛に見舞われて進退窮まることは、忸怩たる思いがないでもないが認めざるを得ない。
そして女の言う通り、一旦はなんとか取り繕ったみかじめ料の値上げではあったものの、次の貢納の求めに応じる策はなく、こうして憂さ晴らしに酒を煽るしかないことも。
「北方に、やくざ者に反旗を翻した村があります。百人の愚連隊を、村人から成る三百人の槍隊が撃退し、やくざ者は逃げ散って行方知れず、とか。」
夜会巻きがそう言いながら、くすり、と微笑みを浮かべると、おぉ、と酒場はどよめいた。
「それを率いた英雄は、世にも珍しい大鬼と森妖精の混血だそうで御座いますよ。遠からず、大陸西方の新たな王として名乗りを挙げるだろう、なんて仰る人もおりますわね。」
金髪縦巻きが、やはり妖艶な笑みでそう続けると、なおも酒場は騒めく。
「まさかそんなことが起こっていようとは!」
「神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国に立ち向かう、だなんて!」
「森妖精の王、というのも……悪くないんじゃないか!」
騒めきの中に看過すべからざる名を耳にして、二人の女は一瞬眉をひそめたが、そこは事前に作戦立案者から、万が一出先で至高の主の名を耳にすることがあっても敢えて聞き流せ、と指示されていたのでそれに従った。
「そこの女、もっと詳しい話を聞かせろ。」
夜会巻きの女、ユリ・アルファは不意にそう声をかけられてそちらへ顔を向けた。
自分たち以外は皆席についているものか、と思っていたが、その男は彼女まで三歩ほどの間合いに立っている。この瞬間まで、それに自分が気づかない、などということがあるだろうか?
それに……妙な男だ。
明らかに他の船乗りたちとは異なる雰囲気を発しているが、それが何であるかがよくわからない。とりたてて特徴もなく印象にも残らない顔、体格、服装。
否!
自分にはこの男がしかと見えていない!
(ユリ、気を付けて!)
ユリ・アルファがニグレドからの<伝言>を聞いたのと、男の姿を見失ったのはほぼ同時だった。
そして!
「馬鹿な!」
ユリは後ろから自身の口が塞がれたのに気づいて当惑するも、ぴたりと背に添えられた男の身体に阻まれて身動きが取れない。
これは……暗殺者の技能!
次の瞬間、肌身離さぬ首巻に鋭利な刃物が当てられたことを感じるも、既に抗う術もなし。
ゴトリ。
と鈍い音を立てて、ユリの愛らしい頭が床に落ちた。
「な!」
(ソリュシャン、不本意でしょうけれど私の指示に従って!)
目前の仲間が受けた奇襲に、それ以上に、自身が身動き一つ取れなかったことに困惑しつつも、ソリュシャンは<伝言>越しに届けられたニグレドの言葉の真意を正しく理解していた。
確かに不本意ではあるが、おそらく百レベルであろうこの男に対し、自身にたちまちに抗するところはない。なれば、ナザリック地下大墳墓の利益に適う行動を採ることこそが下僕たる者の務めだ。
ソリュシャンは敢えて両目を見開き、驚きの余り身動きが取れない風を装った。
殺られる、とわかっていて、後背暗殺を喰らう、というのはあまり良い気分のするものではないな、などと思いつつ、いや、自分がこう考えているのに相手はこれに気づいていないように見えることを以て留飲を下げるか、と内心だけで苦笑い。
果たして男はソリュシャンの視界から消えた。
口が背後から塞がれ、首元に鋭利な刃物が迫り来るのを覚える。
そう言えば。
この男は掻き切った、つもりのユリの首から鮮血が吹き上がらないことを疑問に感じなかったのだろうか?
せめて、自分はせいぜい派手に偽装してやろう。
ソリュシャンは、皮一枚を残して自身の首もまた掻き切られるに任せた。時宜を見計らって自身の一部をこれでもかと真っ赤に染め、酒場の天井目掛けて飛びつき張り付く。続けて故意に脱力し、膝から崩れるように床に倒れるに身を委ねた。
この間、男がユリに声をかけてから一秒以内の出来事で、酒場の客たちは誰一人として反応を返すことがなく、床に落ちた夜会巻きの頭と、鮮血を吹き上げた金髪縦巻きの千切れそうな首を、ただポカンと眺め続けていた。
一方、いとも容易く惨劇を成した男は、無言のままに足音もなく酒場から立ち去った。客たちの視線はまったくそれを追うことがない。彼の技能がそれを阻むからだ。
しばしの静寂。
暗殺者の気配が遠くへ消え去って、その場で最初に動きを取り戻したのは、意外にも落ちた頭を自ら拾い上げる首無し女だった。
「ボクとしたことが……もとい、私としたことが参ったわね。」
小脇に抱えられた夜会巻きの頭が呟く。
悲鳴!
絶叫!
怒号!
たちまちに酒場は阿鼻叫喚の恐慌に陥った。
一目散に出口へ駆け出す者、窓を突き破って飛び出す者、椅子ごと後ろにひっくり返る者、あるいはこの期に及んで指一つ動かさぬ剛胆の持ち主かと思いきや、白目を剥いて失神する者あり。
それらに意を払うでもなく、続けて、皮一枚で胴に繋がり逆さにぶら下がった頭から冷ややかな視線を注ぐ金髪縦巻きもまた立ち上がり、叫声はなお増した。
「これは……至高の御方のご不興を被ること疑い御座いませんわ。
今はただ、我らが目が私どもの失態を取り返して余りある成果を上げてくれることを祈るのみ、といったところですわね。」
そう言いながら、天井に張り付いていた自身の一部を回収する。
これは周囲から見れば、上からボタボタと血が垂れ落ちて来て、あろうことかそれが吹き出した傷口へ戻っていく様に等しく、耐性のない者の中にはそのまま衝撃死してしまった者すらあったやも知れない。
元よりそれは傷ではなく、粘体の身体が当てられた刃物の動きに応じて自ら裂けて見せたものだ。自身、暗殺者の属性を有しその手の内を知る彼女ならではの対応、と言えよう。
「今はまだ、彼女は全力でアレを追跡しているはず。
もう少し待ってから安全確認を私からお願いします。番犬に帰路を開いてもらうのはそれから、ということでよろしいですわね?」
そう言いながら、ソリュシャンは掌を波打たせて光り輝く小さな玉を取り出して見せる。
緊急脱出用アイテム<お助け玉>。ナザリック地下大墳墓にあるシャルティア・ブラッドフォールンに現在座標を報せ、以て出迎えの<転移門>を開かしめる魔法の品だ。
「そうね……でも気が重いわ。」
とユリ。
「重いのは、気ではなくて、小脇に抱えたその頭、ではないかしら?」
そう問われて漸くユリは、首無し騎士である自身が面目躍如の様態で、外れた頭を抱えたまま喋っていたことに気づく。
その頭をソリュシャンに向けてユリは、うふふ、と微笑み、同じく皮一枚でつながって天地逆にぶら下がったソリュシャンの頭もまた、うふふ、と微笑み返した。