聖クウェールを東に見下ろす小高い峰から突き出した岩場。
ゲンたちに安否を気遣われた当の本人は、艶消し仕上げの双眼鏡を片手に村の様子を伺っていた。
「あんな連中に押し負けたとは……山羊人どもも存外だらしない。」
この地点は、よもや後背からの襲撃までもは想定されていなかったためサミュエルソン麾下の空行騎兵の哨戒範囲からは漏れているが、仮に上空から伺う者があったとて、異世界由来の迷彩服に身を包んだ只今の彼の存在に気づく者はなかっただろう。
彼の視界には、村の中央で一際目立つ広場で隊列を組んで槍の訓練に勤しむ三十人ほどの集団が捉えられている。彼自身、ユグドラシルの仕様としては盗賊系の属性に連なる暗殺者であり、相手の認識範囲外からの不意打ちを最も得意とするがゆえに必ずしも近接肉弾の戦いに精通しているわけではないが、それでも彼の感覚としては、今見える槍隊は、何とか号令に従って行動することが出来るだけの素人の集団に見えた。
その集団の前に、閲兵台の上に屹立する一人の偉丈夫が見える。
あれが標的だろうか。
だが……思っていたのと少し違うな。
彼はそう考えている。
酒を求めて立ち寄った村で出会った二人連れの女が吹聴していたところによれば、王として彼のギルドの維持資金集金部隊の前に立ちはだかったのは森妖精だ、という話だったように思うが、今双眼鏡越しに見える人物は彼の知る森妖精の典型像とはいささか印象を異にするものだ。
長耳と美男と言ってよい美しい容姿は確かに森妖精のそれだが、浅黒い肌に筋骨隆々とした体格、携えた長剣は武闘系の亜人を想起させる。この世界の森妖精はそういうものなのだろうか。
とまれ。
想像していたのと異なる部分が若干ありはするものの、捉えた対象のレベル総計概算を知ることが叶う彼の双眼鏡が示すそれは三十前後。例外なく一桁止まりの槍隊の村人と比すれば突出こそしているが、百レベルである彼自身からすればそれは誤差の範囲でしかなく、このままあの広場に乱入して鏖殺にするのは容易だが、それは彼の流儀では決してない。
暗殺者には暗殺者のやり方がある。
彼自身にその自覚はないが、<ギルドの日誌>によって意識上の記憶、意識下の衝動すべてを規定される彼もまた、その定めに従う存在なのだ。
そんなことを考えながら観察を続けていると、駆け足の小鬼に先導された集団が広場に近づいていくのを捉える。遠目にもよく目立つやたらと背の高い背負い籠は、彼を迷子と誤認して隊に加えたあの一団だ。
小鬼が壇上の森妖精に一声かけ、件の一団が膝をついて礼を執ったのを見て、彼はいよいよあの森妖精らしからぬ森妖精が、自身の暗殺の標的であると確信した。翌朝には、分不相応にも貢納を拒んだ愚か者どもは、頼りとした王の首級無しの遺骸を目にして絶望感に打ちひしがれることだろう。
恐怖主義による暗黙の威力制圧。
それこそが、暗殺者の真骨頂だ。
閲兵台から降りた森妖精が、気安く手招きし一団をそこから少し離れた空き地に張られた天幕へ誘ったのを見届け、そこが王の在所であることを彼は知る。玉座、と呼ぶには随分と質素なものだが、連中が只今を戦時と認識しているのであれば、まぁ、そんなものだろう、と納得。
彼はそのまま観察を続ける。
属性の技能により、一定時間領域を観察しさえすれば、敵邂逅率最低となる侵入経路を看破することが彼には出来る。ユグドラシルのサービス終了まで、それは視覚的にはサブウィンドウ上のナビゲーションマップとして得られたものであったが、今はそういうことはなく、それでも彼の脳裏には自身の直感が告げるところの、ここをこう進めば確実に誰にも出会うことなく標的まで至ることが叶う、という揺るぎない確信がある。
やがて間もなく日が暮れようという時分になって、南の方角から一騎の鷲頭天馬を駆る騎兵が帰投して、王の天幕の側近くへ降り立ったのを認める。仮に注意を払っていたとて彼の存在に気づけたはずもないが、彼の目には、それは村の周囲にはまったく警戒している様子がないように見えた。
つまり連中は、ただただ南の方角から再び軍勢が押し寄せることのみに備えていて、今まさに彼が試みようとしているような単騎侵入での王暗殺などまったく念頭にないのだ。
ここに至って彼は、今夜半の決行を決めた。
とっぷり日も落ち、疎らにあった家々の灯りも消えて皆が寝静まったと見えた頃合い、彼は行動を開始した。前以て確認済みの経路を辿って標的の眠る天幕を目指す。
思った通り、誰に出会うでもない。もっとも、たまたま目を覚ましてふらりと外を出歩いた者があったとて、彼の存在に気づくことはなかっただろう。
ユグドラシルにおける戦闘は、すべて、相手の存在認識の成否判定から始まる。武器を振るうにせよ、魔法を行使するにせよ、その的となる何者かを認識しないことには、行動選択肢は現れない。そして彼の化身の組み上げは、相手に自身を認識させないこと、以て敵に反撃の余地なく先制必殺の一撃を与えることに特化したものだ。
彼自身が特に意識しなくとも、彼の身体は傍から見て光学的にせよ何にせよ、もっとも認識判定の成功率が低くなる箇所を進み続ける。標的が彼に気づく機を得るのは、まさにそうして必殺の間合いに至った彼が暗殺の刃を振るう瞬間であり、そしてそれは手遅れだ。
「……あん?」
はた、と彼の歩みが止まった。
日中槍隊の訓練がおこなわれていた広場を遠巻きに囲む並木の下を彼は進んでいたが、それを離れて目指す天幕へ至る経路上に、まるで彼を待ち受けるかの如くこちらを向いて立ちはだかる人影を認めたからだ。
それは、漆黒の全身甲冑を纏った武者だった。
予想外の会敵に、彼は足音一つ立てることなく本来企図していた経路から少し離れて低木の脇に身を潜めた。
武者側にまったく反応はなく、自身を認識する視線に鋭敏な彼の感覚はそれを捉えてはいない。あちらはこちらの存在に気づいているわけではないようだ。日中の観察では、王自身を含め当地への単騎潜入に備える様子はまったくなかったように思われたが、不寝番を立てていたものだろうか。
取り立てて強者の気配も感じず、有り体に言えば彼からすれば虚仮威しだが、揃ってレベル一桁の村人からすれば、これでも勇者の類ではあるのだろう。
行き掛けの駄賃に、もう一つ首を頂くのを躊躇う理由はない。
只今彼が装備する一風変わった形状の短剣、その名も<首級盗り>は、堅固に守られているかに見える目前の武者の甲冑の襟元など、牛酪の如く切り裂く業物だ。むしろ、王に加えて、見た目だけは屈強な不寝番の首級が兜に納まったまま転がっていた方が、村人に与える衝撃はなお増すだろう。
彼は技能<後背暗殺>の発動を決断する。そうする、とさえ決めれば、ここぞと定めた敵の死角に事実上瞬間移動し、先制攻撃機会を彼に与えるものだ。<瞬間移動>や<時間停止>による奇襲と比すれば最短経路に障害物がないことが求められるなどの制約こそあるものの、魔法に課せられる魔力消費、再充填時間がない、敵方に認知されていない限りは繰り返し試みることが叶う、などの優位があり、王の即位を吹聴して歩いていた女たちを仕留めた際も用いた技能だ。
この世界のか弱い住人に、そこまでする必要がないことは百も承知だが、それでも暗殺者である彼にとっては、どこぞの大魔王が必要もないのに即死魔法を弄ぶを好むのと同様に、自身の存在に刻み込まれた衝動でもある。
お命頂戴!
技能を発動すると、意思とは無関係に彼の身体は一陣の風と化し、こちらに向かっていなくはなかろう甲冑武者の視線すら掻い潜って目的の地点へと運ばれた。
次の瞬間、彼は目前に抗う術もない甲冑武者の背を捉えていた。あとはいつものように首級を頂くだけだ。
が!
「な!」
それまで一切声を発することのなかった彼の口から、思わず驚きのそれが漏れる。
無理もない。
甲冑武者の腕が、あり得ない角度でこちらへ向かって曲がって来て、後背にあった彼を抱き締めたからだ。
馬鹿な!
甲冑を……前後逆に着てやがったのか?
こちらが背後を取ろうとすることを承知の上で?
こちらの手の内は、事前にすべてお見通しだったと言うのか!
肉弾戦専門家ではないとは言え、百レベルの彼の膂力を以てこれを逃れられないはずはない、と離脱を試みるも、どうしたことか、身は捩れども武者の腕を振り解くことが叶わない。
意味するところはただ一つ。
巧みに偽装されているが、こいつはユグドラシルプレイヤーだ!
次の瞬間、彼を縛り付けていた腕が左右に開かれ、藻掻いた勢いで彼は後ろに倒れ込むが、同時に、甲冑武者から眩い光が発せられ鎧が四散して弾け飛ぶとともに、あり得ない台詞が彼の耳に届く。
「<あらゆる生ある者の目指すところは死である>!」
「そ……そんな馬鹿な!」
ゴーーーン!
どこからともなく響き渡る不気味な鐘の音に、目前の死の支配者の言葉が被る。
ゴーーーン!
「詰み、だな。」
ゴーーーン!
こいつは!
ゴーーーン!
鎧を吹き飛ばした甲冑武者の中から現れた、この、金糸銀糸に縁取られた神器級の装束を纏い、中腹に鮮血を思わせる真っ赤な紅玉を抱き、今その後背に彼の最期への秒読みをおこなう機械仕掛けの時計を背負った骸骨は!
ゴーーーン!
ユグドラシル非公式ラスボス!
「七秒以内に、降伏か死を選べ。」
ゴーーーン!
ゴーーーン!
ゴーーーン!
ゴーーーン!
ゴーーーン!
「……降伏だ。」
ゴーーーン!
「賢明な判断だな。」
ゴーーーン、カチリッ!
骸骨がぽそりとそう言うと、あらゆる生者に訪れる死の象徴、機械仕掛けの時計は淡い光を発しつつ霧散して消えた。
だがその瞬間。
暗殺者は自身の所持品に素早く手を差し入れ、目前の不死者に一矢報いることが叶う得物を取り出そうとした。
阿呆なのか、こいつは?
目の前で尻餅をつき、蝕の技能を発動させた自身を唖然とした様子で見上げる暗殺者プレイヤーを睥睨しつつ、アインズは身も蓋もない印象を抱いていた。
ナザリックの目、ニグレドの探査で前以て相手が即死対策を欠いていることを知っていたアインズとしては敢えて切り札を用いる理由はなかったのだが、こちらが何者であるかを知らしめるのに一番手っ取り早いのはコレであり、仮に相手がこちらを知らなかったとしても、その時はそのまま屠ってしまえばいい、という割り切りがある。
「詰み、だな。」
満願成就まであと十秒。
相手は文字通り手詰まり状態で、対抗手段があるようには見えない。
ユグドラシルプレイヤーの戦闘は、手番制と即時制、双方の性格を併せ持つ。
戦場にある者の繰り出す手技にはすべて順序関係があって、主に素早さを元に決定される相対順位によってその意思が行動に反映される順番が決定される一方、然るべき制限時間内に意を決し損ねた場合、その手番における行動権は失われてしまう。
アインズ……当時のモモンガを含め、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの面々は嫌と言うほどこの処理系の特性を知り尽くしていたので、あらゆる戦闘は必ず事前に綿密な計画を立てた上でおこなわれたし、その計画に含まれない想定外の状況でどうするかも前以て決められていた。
なので、彼らの意思決定が遅れて行動権を無駄にするなどということは皆無だったし、そもそも彼らにとって戦闘は、臨機の判断の連続では決してなく、むしろ、事前に練りに練り上げられた戦術の検証段階に過ぎなかった、とすら言えよう。
もちろんこれはアインズ・ウール・ゴウンの専売特許でも何でもなく、やろうと思えば同じことは誰にだってできたはずだが、存外これが出来るプレイヤーは少なく、ましてやギルド全員で足並み揃えてこれを徹底する相手などに、終ぞモモンガ……アインズたちは行き当たったことがなかった。
大半の一般的なプレイヤーはユグドラシルの戦闘を変則的な早押しクイズか何かと勘違いしているようだったし、アインズ・ウール・ゴウンの流儀が自分自身が追い詰められた瞬時の判断を誤る存在だ、ということを前提としていた一方で、そういう枠組み、自分は間違いを犯し得るし、間違いを犯しても後で取り返せるのであれば何も問題はない、と心底吞み込める精神的な強さを発揮できるプレイヤーは少数派だったのであり、そもそもたかがゲームにそこまで没入できる鈴木悟とその仲間たちの方が可怪しかった、という側面もある。
だからアインズは、目前の暗殺者が、自慢の素早さがもたらす能力発動権をどんどん失っていく様を馬々鹿々しく感じつつも、同時に、まぁ無理もないか、と考えていた。
「七秒以内に、降伏か死を選べ。」
この暗殺者が何を考え何をしようとしていて実際どう行動するかについて、一切合切を看破したデミウルゴスから事前に聞かされていたアインズとしては、そもそも予定していた標的ではない実力不詳の相手に気分で仕掛けるのはどーなのよ?……もちろん、こうなることもデミウルゴスは予測してみせた……から始まって、この暗殺者の行動と判断すべてに疑問が山ほどある。
一方で、ユグドラシル時代からこちらの世界でのそれも含めて、これまでに矛を交えたプレイヤーのほとんどすべてがそうだったのも事実だし、ましてや、この暗殺者に、突如として甲冑武者が立ちはだかること、その正体が自身の属性的に相性の悪い不死者であり、しかも非公式ラスボスだ、なんてことを事前に予測し、前以て備えろと求めるのが無茶振りであることもわかってはいる。
が。
もし仕掛けてくるようであれば軽く往なして指先で<死>、背を見せて逃亡を図るか残り時間一秒となれば<心臓掌握>、素直に降れば技能の時間切れを待って何処ぞへ首根っこ掴んで連れ出して事情聴取、と腹を括っているアインズからすれば、やはりこの暗殺者の短絡的な行動への苛立ちは押さえきれなかった。
残り時間二秒。
「……降伏だ。」
ここまでの事情が聞き出せず仕舞いになるのは残念ながら、それを知るのは必須ではないし、そもそもこちらの世界に顕現してから既に半年は経ていて、記憶の制約に自覚があろうはずもないこいつから聞き出せることも多寡が知れているだろうからとっとと葬っちまうか、と考え出した矢先、降伏の申し出があった。
「賢明な判断だな。」
本心からそう思ったアインズは、心の声をそのまま口に出した。
背負った機械仕掛けの時計が時間切れを迎えて停止する音を聴き、続いてそれが雲散霧消したことを覚える。
刹那。
目前の暗殺者が、やおら所持品から何かを取り出しつつ立ち上がるのが見えた。
純粋な魔法詠唱者であり素早さの能力値で大きく差をつけられているアインズは、たちまちには行動権がない!
あーぁ、やっちまいやがったよ……。
この場面に至っても、存外アインズは能天気だ。
所以は如何?
「ぐはぁッ!」
アインズは、自身は何も出来ないままに、立ち上がった暗殺者が苦悶の叫びを上げ、彼の胸から噴き出した鮮血が降りかかってくるのを認識した。もっとも、神器級の装束はこれを弾いてまったく汚れはしない。
同時に、鈍い音を立てて暗殺者が取り出そうとした武器が地に落ちた。神聖属性を帯びた鎚か何かのようだ。判断としては打倒だが、果たしてアインズに痛打を与え得たかは疑問が残る。
そして。
鮮血吹き上げる暗殺者の胸の中央からは、その背中から刺し貫かれた、白手袋を嵌めた手刀が突き出していた。
「お戯れもほどほどになさってくださいませ、アインズ様。」
暗殺者の肩越しに、手刀の主が鋭い眼光を垣間見せる。
言うまでもなく、ナザリックの竜人執事セバス・チャンだ。
「戯れてなんかいないさ。
オレはおまえに全幅の信頼を寄せているからな!」
ハハハッ、とアインズはおどけて見せ、言われたセバスは、
「それこそお戯れを。」
と、やや目元を緩ませつつ恐縮する。
突き出した右腕には暗殺者が刺さったままで、その両脚は地に着いてこそはいるが力なく弛緩していて、己の身体をまったく支えてはいなかった
アインズは、口からもゴボゴボと苦し気に吐血する暗殺者に、やおらゆっくりと骨の相貌を寄せる。
「おまえ、どうかしてるぞ。
魔法詠唱者のオレが、滓とは言え曲がりなりにも近接戦闘職に対して、前衛もなしに単騎で立つわけないだろ?」
その虚ろな視線が、弱々しくも恨みがましげにアインズを捉えた。
人間であれば即死していて然りではあるが、悲しいかなユグドラシルプレイヤーである暗殺者は、人間種でありこそすれHPが僅か1であっても残っていれば死ねない存在だ。
はて。
こいつが今体験している痛み、苦しみは如何ほどのものなのだろう?
血肉を失って久しいアインズの、思い及ぶところではない。
「今、悪夢を終わらせてやる。」
優し気に、そして何処か悲し気にアインズは呟いた。
「<真なる死>。」
慈愛と傲慢を兼ね備えた骨の指先が、名残惜しそうに敗者の頬を柔らかく撫でる。
*
一夜明けて、聖クウェールの村は常と変わらぬ朝を迎えた。
昨夜、当地で繰り広げられた百レベルユグドラシルプレイヤー同士の対決に、思い及ぶ者など居ようはずもない。
否。
常と変わらぬ、というのはいささか語弊がある。
混血森妖精サミュエルソン・エルキュルハウゼンが子飼いの部下と共に陣取った天幕に、払暁から自称領主を含め村の顔役たちが押しかけていたからだ。
「朝っぱらから何の騒ぎなんだ?」
昨夕帰投した騎兵から、村の南方行軍三日の範囲に敵影皆無の報を受けていたサミュエルソンは、よもや敵襲の報せではあるまい、と敢えて鷹揚に応じながら天幕を出たのだが、跪いた村人たちの最伏礼に迎えられて、はぁー、と深い溜息を吐いた。
「何だ、何なんだ?藪から棒に!」
「エルキュルハウゼン様に、伏してお願い申し上げたい儀が御座います。」
居並ぶ村人の先頭で大仰な言葉を吐く自称領主に、概ねその意を察しつつも、サミュエルソンは自身膝をついてその肩を叩き気安く声を掛けた。
「よせよせ、俺たちは同じ敵と戦った戦友じゃないか。
荒事には俺に一日の長があって采配を振るうことにはなったが、それだけのこと……だろう?だよな!」
そう言いながら、既にそういう話ではなくなってしまっていることにサミュエルソン自身気づいてはいた。
「御身の即位を求める請願は、既に十ヶ村を数えております。」
ペチ、とサミュエルソンは自身の額を打った。
元よりそういうつもりで乗り出した話では決してない。
「どうか、王への即位を宣言なさり、我らを安堵ください。
永遠の忠誠をお誓い申し上げます。」
かつてはトブの森にそう告げ、南方勢力の進出を見るや何の躊躇いもなく乗り換えておいて、どの口でそんなことを言うんだ?とサミュエルソンは喉の手前まで呆れが上ってくるも、一方で、この純真朴訥な人々にそこを責めるのは無益であろう、とも思う。
「俺は……どう考えてもそんな柄じゃないんだがなぁ。」
これには村人ではなく、彼の部下たちから異議の声が上がった。
「そんなことないですよ、兄貴!」
「親分は、元からおれらの王みたいなもんだったんですから!」
……そりゃ、おまえらは何も変わらんわな。
むしろ、ポリス・ウロヴァーナに帰って警備業を続けるよりは、新国王の譜代の臣、を気取れた方が面白可笑しいとでも言いたいか、気楽なものだ。
サミュエルソンの知識としては、この世で、王、と称される存在は今一つ現実感を欠くものだ。
古の東方帝国解放奴隷を祖に持つ彼からは縁遠く感じられるものだが、先祖の故郷、エイヴァーシャーの森にはかつて強大な魔力を誇る森妖精の王があったと聞く。対して大鬼の血を引いて屈強な肉体を有する彼は、その引き換えとして位階魔法を行使することが叶わなかった。どう考えても、自分は王の器ではない。
一方、今日も王制を敷く国家としては遥か南方竜王国があることを知るが、そこの王はアーグランド評議国の評議員がそうであるように人知を超えた竜王だ。それと居並ぶ称号を自らが名乗る、というのもどうにも実感が湧かないではないか。
「ゲン!」
早朝からの騒ぎに気づいて後ろの方で様子を伺っていた森の妖巨人ゲン・ガンにサミュエルソンは呼び掛けた。呼び掛けられた方は、自分を指差して「エ!ワタシ?」と見るからに迷惑そうだ。
「トブの森を代表する者、として御意を承ろう。」
ゲンは、他人行儀な物言いでそう問うサミュエルソンに対し、しばし、やれやれ、と言いたげな困った表情を浮かべていたが、やがて居住まいを正して恭しくこう言った。
「私ハ、森ノ民ヲ代表スル者デハナイシ、ソンナコトガデキル者ハイナイ。」
この言は、嘘偽りのないところだ。
トブの森の民は、対外的に自分たちを代表する者がある、という発想を持ったことがない。かつて覇王、将軍と呼ばれた血塗れのエンリネも皆から当てにされてこそいたが、その語るところはあくまでも個人の見解であり、森の民の総意を代弁するなどとは考えられなかったものだ。
ゲンのやや硬い物言いに、サミュエルソンは怪訝な表情を浮かべてその続きを伺っている。
「……ダガ。」
ニヤリ、といたずらげな笑みを浮かべる妖巨人。
「サミュエルソン兄ガ大陸西部ノ王ニ名乗リヲ挙ゲタト聞イテ、サモアロウ、ト快哉スル者ハアッテモ、顔ヲ顰メル者ナドアルマイヨ!」
制して欲しかったのに逆に背を押される体となってしまい、サミュエルソンは「こいつ、余計なことを!」とゲンを睨みつけるが、睨まれた方はどこ吹く風だ。
「参ったな……。」
と後ろ頭を掻くことしばし。
集った村人は、今にも王即位が宣されるものと期待して目を輝かせている。
サミュエルソンは、普段の軽口を止めて口調を真摯なそれに改めた。
「聞いてくれ。
俺はご覧の通り、いささか変わった出自の者だ。」
「そんなことを誰が咎めましょうや!」
「種族がどうのこうの、などが問題となったのは大昔の話ですぞ!」
たちまちに村人たちが口々に「御身は御身、出自など問いません」と騒めきたてたが、サミュエルソンは俄に開いた両の手の平を皆の前に突き出してこれを制した。
「いや違うんだ、聞いてくれ。」
ややあって、常に豪放磊落に見えた彼が神妙な様子を見せるのに気づき、村人たちは静まり返る。
「若い頃……と言っても、ここに居る誰も生まれてはいない時分の話になるが、俺は大鬼、森妖精それぞれから妻を迎え、いろいろと励んではみたが終ぞ子を生すことが叶わなかった。申し訳ないので彼女らを離縁したが、今でも悪いことをした、と思っている。」
サミュエルソンはそう言いながら、笑ってくれていい、と言わんばかりにおどけて見せたが、流石に笑う者はおろか、声を立てる者すらいない。誰もが目前の、誰に対しても気楽に振る舞いつつ、それでも孤独な悩みを抱え続けてきた男の心情を慮りつつ聞き耳を立てている。
実際のところ、これはサミュエルソンにとっては、他人に語られたことはこれまで皆無であったものの、ずっと脳裏を占めて来た実存的な悩みであった。
思えば、敢えて豪放磊落に構えて森の人気者であろうとしたことも、謝絶する者も少なくないポリス・ウロヴァーナからの統治官への誘いに二つ返事で応じたのも、リ・ウロヴァールを自ら守る私兵を養うと決めたのも、まったくの同族である者が誰一人として居ない、という如何ともし難い欠落感を穴埋めすべく、自らに課してきたものではなかったか。
「おまえたちが俺のような者を王に推してくれることについては、むしろこちらが感謝したいくらいだ。
が、さりとて、後継者を設けることの出来ん俺が、引き受けられる話ではないように思うが……どうだ?」
苦々しい口調で語られたこの問い掛けに村人たちは一瞬静まり返ったが、うちの誰かが、はたと何かに気づいたように顔を上げてこう言った。
「口の端に上せるも憚り多きことながら。」
サミュエルソンは声の方向に視線を向けて、遠慮せずに言ってくれ、と黙礼を返す。
「……憚り多きことながら。
御身が身罷る時分には、ワタシらは誰一人生きてはおりませんでしょう。」
……はっ?
ポカン、とサミュエルソンは口を開けた。
そりゃそうだろうが……随分と好き勝手を言ってくれるじゃないか!
だがしかし。
ふふ。
ふふふふっ。
「ワッハッハッハ!
そうだな、おまえさんの言う通りだ!」
サミュエルソンは天を仰いで大きな声で笑った。
笑うしかなかった。
意を察した自称領主が慌てて言上する。
「王位継承者の選定は、御身の専権にてご随意になさっていただいて構いません。
どうかお慈悲で以て、命短く儚い我らに安堵をお与え下さいますようお願い申し上げます。」
そう言いながら深く叩頭する自称領主に、再び膝をついてその肩を軽く叩いたサミュエルソンは、
「おまえたちの思いはよくわかった。
少しだけ……時間をくれるか?」
と告げるや、さっ、と身を翻して立ち上がり、天幕の中へ消えていった。
「「サミュエルソン王万歳!」」
「「エルキュル王家に栄光あれ!」」
期せずして村人たちから捧げられた喝采歓呼に、サミュエルソンは退路を断たれた。