戴冠の旅
北方アーグランド評議国のさらに北西、岩肌剥き出しの険しい峰々が連なる合間に、少し拓けて見渡す限りの牧草地が広がる
その一面の緑野に、今、南から飛来した何者かの小さな影が落とされた。
騎乗するは、棚引く長髪に見え隠れする
「どうどぅ!」
馬上の偉丈夫が手綱を引けば、
「ヴァイシウーへようこそ!」
飛来する存在に気づいて待ち受けていた独りの
「ありがとう!
早速だが、ヴァイシオン卿はご在城だろうか?」
「そんなのわかるわけありませんよ!
ヴァイシオン卿をお訪ねになられる
といったにべもないもの。
「ふふ、おまえさんの言う通りだ。
三日ほどこいつを預かってくれ。携行糧食も三日分ほど頼む。」
「毎度、ありがとうございます!」
と喜色の返事。
もっとも、そうせねばならぬ、そうでなければ
在住の
「宿はご
ここから永年評議員の居城へは、普通の亜人であれば早朝から歩き始めて日没に達すれば上々の道のりとなる。基本、評議国の代議員である来訪者の多くはヴァイシウーで一泊するし、途上の糧食を自ら担いだりはしないものだ。
「いや、無用だ。ご覧の通り、頑健な
筋骨隆々とした森妖精はそう
太陽はまだ南中してはいないが、並の
「承知しました、どうぞ道中お気をつけて。」
「あぁ、ありがとう。」
森妖精はそう言いながら
腰には護身用の
*
神聖帝国を名乗る南方亜人勢力の無法な貢納要求を、
途上、いくらかの南方勢力の残党との邂逅があったが、百名ほどのよく訓練された槍隊と、森の猛者
立ち寄った村々でその自称領主、またはその
村々の代表を前に、新王国の樹立と国王即位を宣言する儀式を執り行うためである。
帰参した頃には、昔からの彼の部下とリ・エルキュリーゼの村人たちが
これは、この行脚の
現時点のそれは、彼のために用意された
こうしていよいよ即位の儀か、となった折、サミュエルソンは、
「勝手を言って済まないが、七日ほど待ってくれ。」
と言い出した。
王となる前に、どうしても済ませておかねばならないことがある、と。
これに単騎で出向くのだと主張するサミュエルソンに臣下たちは色めき立ったが、
「これを許してくれぬのなら即位はなしだ!」
と譲らないサミュエルソンに、遂に
かくしてサミュエルソンは、独り
行く先は誰にも告げられなかったが、彼の部下の中でも古参の中にはその意を察する
我らが王は。
王となる旨の許しを得るべく、アーグランド評議国の
永年評議員ツァインドルクス・ヴァイシオンの居城に辿り着いた時分にはすっかり日も暮れていて、自ら火を起こした簡素な松明の
評議国の他の
サミュエルソン自身は伝聞によってそれを知るのみであるのだが、
その
通常、ここを訪れるのは評議国の
それでもサミュエルソンには、今なお少しの迷いがあったのも事実だ。ヴァイシオン卿に面会し、これから自分がやろうとしていることを告げる、そのすべてが果たして許されることなのであろうか、との呻吟が彼の眠りを浅くして、はっ、と気づけば東の空が
慌てて身支度を整えたサミュエルソンは、脇差しも部屋に残し、徒手空拳で謁見の
どのような技術で以て建造されたものであるのか、ヴァイシオン卿の居城の石材は恐ろしく規格が揃っていて、すべてがぴたりと噛み合って僅かな隙間もない。無人静寂の城内に、彼の革靴が立てる音だけが、かつん、かつん、と木霊する。
謁見の
果たして、最上層に至った彼の視線が目当ての
曇り一つない
玉座の前まで進んだサミュエルソンは、そこに据え置かれた簡素な木製の椅子に腰掛けた。評議国
そして。
半刻ほど経た頃だろうか、ゆっくりと、
「……?」
その視線が無言のまま自身を捉えたのに気づいて、サミュエルソンは席を立って跪礼を執った。
「先触れも立てずの訪問の無礼、深くお詫び申し上げます。」
「その声は……エルキュルハウゼンかい?」
忝なくも、
「左様で御座います、ヴァイシオン卿。」
跪いたままにサミュエルソンがそういうと、漸く
「……久しいね、元気だったかい?
ポリス・ウロヴァーナの
どうやら評議員閣下は、サミュエルソンが
「いえ、そのようなことはありません。
本日は……不躾ながら
「……?」
「まぁ、楽にしてくれたまえ。」
と、サミュエルソンに着座を勧める。
サミュエルソンは素直にこれに従った。
「では、用件を聞こう。」
まだ完全に覚醒しきってはいないのか、とろんとした目付きのまま組んだ両前脚の上に顎を載せた
サミュエルソンは、単刀直入に切り出した。
「
「……はぁ?」
ぱかり、と
「やはり……ヴァイシオン卿におかれては、慮外のことと呆れられますか。」
居を正したまま不動の姿勢で、
「いやいやいやいや!」
やおら巨体を起こした
「急な話で少し驚いただけだよ。」
と
「で……どうしてここに?」
不思議そうにサミュエルソンを覗き込む。
「曲がりなりにもポリス・ウロヴァーナの民として閣下の庇護を受けておりました
「……その言いようからすると、既に意は決しているのだね?」
「はい。
「……ツアー、と。」
「はぃ?」
唐突に文脈不肖の言葉を投げかけられて、極度の緊張の
「いや……ボクのことはツアー、と呼んでくれればいい。」
「そ、そんな!」
もちろんサミュエルソンは、評議員閣下の真名がツァインドルクス・ヴァイシオンであることを承知しているが、その名、ましてや音韻からすれば
が、ツアーは事も無げにこう言った。
「いや、キミは王になるのだろう?であれば、ボクらは対等じゃないか。
ツアー、でいいよ。
キミのことは……サミュエルソン、と呼んでいいかな?」
なんと……。
破格の
げに……。
げに、
端倪すべからざる
「俺の……」
本当の意味で彼が腹を括ったのは、まさにこの瞬間だったのだろう。
「どうか、俺のことはサミュエル、と呼んでください、ツアー。
親父の種族の流儀に倣って、サミュエルソンの名はいずれ選ぶことになる王太子に与えようと思っています。」
「なるほど。」
とツアーは、即座にサミュエルの意を看破した。
「それは、サミュエルの既に亡き御父君、祖父君も喜ばれることだろう。」
評議国の他の
それに応じて自身のいささか数奇な来歴を語ったサミュエルも、ツアーの深い理解に対し素直に感謝の言葉が漏れる。
「望外なお言葉、痛み入ります。」
これに、ツアーも満足そうに頷いて見せた。
あぁ、この
そして、改めて意を決して、叶うものであれば問おう、と考えていた話題へ駒を進めた。
「ツアーのご厚意に甘えて、今少しお伺いしたいことがあります。」
ツアーは無言のままに頷いて続きを促した。
「俺が今回王位に推されたのは、
「ほぅ。」
何処かで聞いた話だな、とツアーは思いつつ相槌を打った。
「ご記憶か、とは思いますが、同じ連中がかつてポリス・ウロヴァーナにも貢納を求めて来たことがあって、この変事を
「あぁ、そんなことがあったね、憶えているよ。」
「これを迎え撃つ軍備を主張した当時の
「窘めた……つもりはないんだけれどね。」
「これは……失礼しました。
ともかく、俺は何故ツアーがポリス・ウロヴァーナの軍備に賛同しなかったのか、については理解はしているつもりです。ですが、
その時点ではよもやこんな顛末になるとは思ってもみませんでしたが、結果的にその備えが中原を守ったのは事実だ、と考えています。」
「あぁ、それはそれで自然な心情だ。そこを咎めはしまい。むしろ……」
ひととき、ツアーは言葉を切って呻吟する様子を見せた。
そしてこう続ける。
「サミュエルには承知のこととは思うが、
一瞬、ツアーの脳裏に端倪すべからざる親友の腹心の姿が浮かんで消える。
そんなことには思い及ばないサミュエルは、ただただツアーの真摯な口調に表情を引き締めて傾聴する。
「だが同時にそれは、誰かによって常に為されねばならぬもの、でもある。
太古の
その重い言葉に、サミュエルは敢えて目を逸らさず、じっとツアーを見つめたまま耳を澄ました。
「だが、力の有無は本質ではない。
「ありがとうございます、そのお言葉でなお一層、不退の決意が定まりました。」
と改めて簡潔に謝意を示し、そしてもっとも問うてみたかったところへ踏み込む。
「その上で、ひとつご教示を賜りたいのですが。」
「うむ、なんだね?」
「アインズ・ウール・ゴウン。」
ゲホ、ゲホ、ゲホ!
「以前俺が、南方からやって来てポリス・ウロヴァーナに貢納を求めた軍勢の名乗りを告げたとき、ツアーは今と同様に咳き込まれましたが。」
「そ、そ、そうだったかな?」
思わず、らしからぬ狼狽を現じるツアー。
その意味するところを察する様子はサミュエルにはない。
「神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国に見えるアインズ・ウール・ゴウン、とは。
……いったい何なのでしょうか?」
やはりサミュエルには
が、明らかにツアーの目は、面倒臭い話を持ち出しやがって、と言っているように彼には見えた。
「俺は
あー、アインズから「片付いた」と聞かされてすっかり忘れていたが、まだ何か
聡明にもサミュエルは何かに気づいている様子だ。よもやアインズが企図して彼の王位を画策した、などということはなかろうが……デミウルゴスならば。
やりかねないな。
「ツアーには……何かお心当たりがおありなのでしょうか?」
うーむ、困った。どうしよう?
「……いいかい、サミュエル。」
ツアーは優しく諭すように語り始める。
「この世界には、ボクやサミュエルとはいささか異なる形でこの世界に関わる存在がある。」
「その
「まぁ、そう結論を
まず、キミが対峙した神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国。これは、その名を騙った
「なんと!」
そう言いながら、それまで敢えて椅子に座したまま姿勢を正していたサミュエルは思わず立ち上がった。
「ボクも確たるところまではわからないが、真のアインズ・ウール・ゴウンは、名を騙った連中をどうにかしたはずだ。此度キミが迎え撃った
「では、真のアインズ・ウール・ゴウンとは……?」
そう言いながら、サミュエルは身を乗り出す。
対して、ツアーは大きな手を
「そこだよ、サミュエル。」
ひょいひょい、と大きな手の平が振られて着座を促し、サミュエルは一礼を返しながら改めて腰を
「ボクの古くからの友人に、アインズ・ウール・ゴウンを指して、触れ得ざる者、と呼ぶ者がある。言い得て妙、とボクも思う。」
「俺にも……敢えてそこには触れるな、との仰せですか?」
「自ら王に名乗りを上げたサミュエルに、何かをせよ、何かをするな、と命じる権はボクにはない。強いていうならば、これは友人としての助言だ、と思って聞いて欲しい。」
そう言われたサミュエルは、この言葉をどう受け取るべきかたちまちには呑み込めないようで、難渋な表情を浮かべた。サミュエルがツアーに対してそうであるように、ツアーもまた、必ずしもサミュエルの表情からそれが読み取れるわけではなかったが、それでも握りしめられた
「たとえば、だ。」
ツアーは指を一本立ててサミュエルの注意を惹いた。その視線が再び自身をまっすぐ捉えたのを認めてこう続ける。
「空を見上げれば太陽がある。それは昨日も昇り、今日も昇ったから明日もそうだろう、と
評議国の民のほとんどはボクのことを言葉の上でだけ知っているか、あるいは知りもしない。サミュエルをはじめ、ごく僅かな
語っているツアー本人も、いささか詭弁だな、と思っていなくもないが、一方でそれは真理でもあった。
「
少なくともサミュエルにとって、アインズ・ウール・ゴウン……はそのようなものだ、と思っておくことだ。むしろ、そう考えておくことが、よもやあるまいとは思うが、それでも絶対の権力を手中に収めることでキミを惑わせるやも知れぬ
これを聞いていたサミュエルは、はじめのうちこそ訝しげな顔をしていたが、次第にその瞳に輝きを宿し、最後には何かを悟った様子で深く頷いた。
「最後の迷いが晴れました。ツアーのご教示に深く感謝します。」
この謝辞に、ツアーもまた深く頷き、
「それはよかった。サミュエルの国造りがうまくいくことを祈っているよ。」
と世辞を返しつつ、あの骸骨に釘刺しておく必要はあるかもな、などと考え始めていた。
*
「
数日後。
帰国したサミュエル・エルキュルハウゼンは、リ・エルキュリーゼ南端の
自身が王に相応しからぬおこないをなすときは遠慮なく討て、と言わんばかりの物言いは彼一流の矜持の為せるところであったが、彼自身、少なからぬ驚きを以て受け止められると予期したこの即位宣言に対し、
いくらなんでもそこまで驚かなくとも……と思うサミュエルであったが、よくよく見れば
「ツ、ツアー!」
「我はアーグランド評議国永年評議員、
我が友、サミュエル・エルキュルハウゼンの国王即位に当たり、ささやかな贈り物を捧げて賀したいと思うが、受けてくれるか?」
この言葉に、サミュエルは無言のままに衆に背を向けて跪礼を執った。
ツアーは指先で自身の鱗を一枚引き抜き、
「<
何やら呪文を唱えると、たちまちに鱗は
それはツアーの指先を離れ、ふわふわと宙を舞ってサミュエルの頭上に収まった。
「貴国の民と新国王の
そう告げるや、光り輝くその
しばしの沈黙。
そして。
「……
誰かが口火を切れば、
「「
「「
サミュエルを背後から熱烈な喝采歓呼が包み込んだ。
これに気恥ずかしさを覚えながらサミュエルは、おそらく自身の生涯最後となる跪礼を、既に遥か彼方に飛び去った友に捧げた。
「何……やってんだ、アイツ?」
と呟くのは大魔王アインズ・ウール・ゴウン。
毎度お馴染みナザリック地下大墳墓
「面白い見世物が御座います!」
と勧めるデミウルゴスに従って、ナザリックの
ツアーに、その有する規格外の力に反し、存外引っ込み思案な一面があって、特にその巨躯を衆目に晒すことを極端に恥ずかしがるきらいがあることを承知していたアインズとしては、そのツアーがここまでのことをやったことにただただ驚かされるのみ。
あの
これが、こうしておけば少なくともアインズは余計な介入を新王国に対して当面はすまい、と考えたツアーが敢えてやったことだ、といったところには、アインズの思いは及ばない。
ツアーの振る舞いが予想外だったのは愛妃アルベドも同様の様子で、可愛らしい猫の瞳をまん丸に
デミウルゴスは、いつものように口の
「父上。」
と、声を最初に発したのはパンドラズ・アクターだった。
「……なんだ、パンドラ?」
その呼び掛けにアインズが応じると、もじもじと遠慮気味にパンドラズ・アクターが言う。
「あの王冠、
「
骨の両手を交差させ
新10話へ続く
<次話予告>
神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国三部作完結編。
虚構の帝国を引き継いだ
「こいつは驚いた。
「アインズ様はアレをご存知で?」
億劫のオーバーロード新10話『神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国の亡失』
「あー、やめてくれ!
おまえの話を聞いていたら、ないはずの脳が沸騰して壊れてしまいそうだ!」
「お褒めに預かり」
「褒めてなんかないわーーーッ!」