億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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『神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国』三部作の最終幕全6回を、いつものように三日毎に連投します。


新10話 神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国の忘失
1.発端導入(イントロダクション)


 ドロレスは、仄かな陽光の暖かさに目を覚ました。

 

 ユグドラシルにおいて、暑さ、寒さというのは、自身の属性に応じて強化(バフ)あるいは弱体化(デバフ)をもたらす領域(フィールド)効果であってそれ以上のものでも以下でもなかった、と記憶しているが、今感じているこれは、困惑することばかりのこの世界(ワールド)にあって唯一(こころよ)さを覚えているものであるかも知れない。

 森の中での野営で夜露を凌いだ隠蔽(コンシール)効果を有する寝袋(シュラフ)所持品(インベントリ)に収納しつつ、ドロレスはもう何度目になるかわからない現状整理を試み始めた。

 

 彼女は、自身の記憶に何らかの問題が生じている、と確信しつつある。

 

 ドロレスの自己認識としては、彼女はユグドラシルの世界の一つ、ヴァナヘイムの住人。ギルド闇の中へ(イントゥーダークネス)で中距離支援火力を担当した女エルフだ。

 はっきりしている記憶としては、ドロレスはユグドラシル最後の日……が何を意味するのか、今の彼女にはよくわからない……をギルド拠点吸入口(インテイク)の宝物殿で、独りギルドの黄金期を思い起こしながら感傷に浸って過ごしていた。

 そこへ、しばらく会っていなかったギルドの切込隊長、人間種の暗殺者(アサシン)ジョン・ネイトリーが現れた。ジョンは同じギルメンではあったが決して気の合う相手ではなく、実際、気を使っていくらかの思い出話を振ってはみたものの、ジョンは気のない相槌を返すばかりでまともな会話は成立しなかった。

 そうこうするうちに、ユグドラシルが終わるとされたユグドラシル時間の正午を迎えた……はずだが、その後の記憶が支離滅裂だ。名前もわからない何処ぞと知れぬ世界(ワールド)に自分はただ一人あって、一緒にいたはずのジョンは消えてしまっていた。

 以来、行く当てもないままに彷徨(さまよ)う日々を過ごしている。<飲食不要の指輪(リング・オブ・サスティナブル)>を所持していなかったら、自分は(とう)に野垂れ死んでいたことだろう。

 

 彼女が自身の記憶を疑う第一の理由は、ヴァナヘイムの他にもう一つ、彼女が行き来して暮らした<現実(リアル)>という名の世界があって、ユグドラシル最後の日以降はそこで生きていかねばならない、と考えていた記憶はあるのに、その<現実(リアル)>がどんな世界であったのか、まったく思い出せないことに気づいたからだった。

 

 ただ、今あるここが<現実(リアル)>ではない、ということだけははっきりとわかる。

 

 それは、自分が容姿端麗な女エルフの魔法射手(マジックアーチャー)ドロレスであるのはユグドラシルにあるときのみであり、<現実(リアル)>の自分はそうではなかった、というやはり思いだけがあるからだ。が、では<現実(リアル)>の自分が何者であったのか、についての記憶は一切ない。

 

 これがすべてであれば、失われたのは過去の記憶の一部、ということになるが、事態はもっと複雑で込み入っている、と彼女は考えている。彼女にそう考えさせる第二の理由、手帳、を所持品(インベントリ)から取り出し、パラパラと(めく)ってみる。

 これは、ギルドの仲間と冒険するに際し、主に地下迷宮(ダンジョン)戦役(キャンペーン)の攻略について備忘を記したもので、必ずしも完全に内容を諳んじられるわけではないが、そこに記されたことについては確かに自分が書いた、という記憶がある。

 

 一方で、最後の頁の見開きは、こちらも確かに自身の筆跡に間違いはないものの、これだけは自分で書いた記憶がない。しかも、その内容が不可解だ。

 

 走り書きされたそれの大半は意味不明な数字の羅列だ。自分の筆跡で書かれたそこに秘められた意図を自分で探る、というのも可怪(おか)しな話ではあるが、思い出せないものは仕方がない。

 彼女は随分な時間をその解読に費やしたような気もするのだが、あるとき、ふとその一部、掛け算と思しき一連の係数の一つが、ギルド拠点吸入口(インテイク)が一日の維持に要するユグドラシル金貨の枚数だ、と気付いた。そこに百八十が乗じられていて、つまり掛け算の結果はおよそ半年分のギルド維持費、ということになる。

 これに並んでいくつかの数字があるのだが、やたらと桁の大きな数と小数点以下の小さな数が掛け合わされていて、その積がすべて加算されて先にみた半年分のギルド維持費と比較されたことが読み取れる。とすると、大きい方の数字はギルド維持費に充てるべく集められた何らかの資材で、小さい方の数字はそれを<換金箱(エクスチェンジボックス)>に放り込んだ際の換金率だ。紙面には数字だけがあって注釈がないので、それぞれの資材が何であるのかまではわからない。

 

 明らかなのは、これがこちらの世界(ワールド)に来てから書かれたものだ、という点だ。何故なら、ヴァナヘイムにいた時分は拠点維持費はギルメン(みな)の課金で賄われるが常で……今思えば、その課金の原資は何だったのだろう……しかもそれは会計担当のギルメンの専権でドロレスが仔細に関わることはなかった。

 だからこの一連の試算は、こちらにやって来て以降のドロレスが、共にやって来たギルド拠点の維持を図っておこなわれたものとしか考えられない。が、自分にはその記憶はおろか、ギルド拠点が今何処にあるのかすらわからないのだ。

 

 つまり、失われたのは過去における<現実(リアル)>の記憶だけではない。

 現在進行形で記憶を失いつつある!

 

 この、記憶を失いつつある、という自覚はもちろんドロレスを気味悪がらせたが、それは彼女が感じている不安のほんの一部でしかなかった。

 以上の仮説が正しいとして、どうして自分はギルド拠点の維持を試みたのだろうか。もちろんそれが拠って立つ拠点だから、というのもあろうが、彼女には、自分がそうしたであろうと考えるに足る、彼女の属したギルド闇の中へ(イントゥーダークネス)ならではの事情に心当たりがあったのだ。

 と言うのも、ギルド拠点吸入口(インテイク)は、あるレイドボス調伏イベントに勝利したことで彼女らにもたらされたのだが、調伏されたレイドボスはそのまま闇の中へ(イントゥーダークネス)のギルメンに忠誠を誓う百レベル(カンスト)の拠点防衛NPCになったのだった。

 そして、他の手製NPCについて質より量を優先させるほど強力であった元レイドボスNPC、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)は、そのフレーバーテキストに、拠点崩壊時には再び無分別な破壊をもたらすレイドボスとなるだろう、と謳われていたのだ。

 ドロレスは、失われた記憶の中の自分は、ただただこの機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)(ぎょ)する(すべ)を失うことを恐れて拠点維持を目論んだのであるのに違いない、と確信している。無論、それを恐れた理由は、この世界(ワールド)に被害を及ぼさないため、などという偽善的なものではなく、アレの最初の犠牲者になるのは、過去にアレを仲間と共に調伏しアレから恨まれているに違いないドロレス自身だからだ。

 

 ユグドラシル最後の日の時点で、宝物殿には意味もなく向こう三ヶ月ほど拠点を維持可能なユグドラシル金貨が残されていた。手帳に書かれている資金調達計画がうまく運んでいたのであれば、更に六ヶ月は延命が叶ったはずだが、もっともはっきりしているこの世界(ワールド)での一番古い記憶は、今から半年ほど前に人間、亜人が入り混じった集団と邂逅し、悲鳴とともに逃げ出された出来事になる。

 とすると、もっとも楽観的な見通しでも、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)がギルド秘密鍵の縛りを解かれて暴れ出すまでに三ヶ月しか猶予がないことになるし、なんならアレは既に自由の身となって、ドロレスへの復讐の機を狙って何処かを彷徨(さまよ)っている可能性も否定できないではないか。

 

 だが、それすらも、あらゆることにユグドラシル時代にはなかった質感を覚えつつも、その一方でまったく現実味を感じることが出来なくなっている……そもそも彼女にとって、現実、とは何であろうか?……ドロレスには、辛うじて自分が物語の主人公であるとの希望を(いだ)かせてくれる要素でしかなかった。

 真に彼女を不安にさせるのは、一連の数字が書き込まれた手帳の隅、一番最後に書き加えられたとみえる文言の、なお増しての奇怪さだった。

 

 そこに見える言葉。

 

  <神聖アインズ・ウール・ゴウン帝国>

 

とは……いったい何だ?

 

 

                    *

 

 

「ゲンさん、どう思われやすか?」

 

 小鬼(ゴブリン)野伏(レンジャー)マイシューマツは、傍らの老兵(ヴェテラン)妖巨人(トロール)にそう声を掛けた。

 

「野営ノ(あと)、カ?

 真新シイモノデハ……ナイナ。」

 

 見渡す限り低木の荒野の一角の窪地にしゃがみ込んだ妖巨人(トロール)ゲン・ガンが、マイシューマツが指差す先の焚き火の痕跡を覗き込みながらそう応じた。

 

 既にその名も忘れ去られた(いにしえ)の城塞都市エ・ペスペル廃墟の南、新たに立った大陸西方の王の遺徳も及ばぬ無人の荒野を、ゲンたち六人連れが探索の旅をしていた。時刻はあと二刻で日も傾き始めようかという昼下がり。

 顔触れは、ゲン、マイシューマツに加え、同じく小鬼(ゴブリン)野伏(レンジャー)のフーライトルに、短剣(ショートソード)()げた人間種の戦士が二人、打杖(スタッフ)を肩に掛けた同じく人間種の魔法詠唱者(マジックキャスター)が一人。彼等は、ここから北へ徒歩で三日ほどの距離となる王国最南端の村落水源谷(オーシヴァル)を発して、人間の冒険者(ヴェンチャー)候補三名の訓練を兼ねた偵察に歩いている。

 

 トブの大森林生まれの三人組、ゲン、マイシューマツ、フーライトルの只今の身分は、よく言えば新王サミュエル・エルキュルハウゼンの友人であり食客、端的に言えば傭兵、ということになる。

 王の信任状を携えて村を巡ればおさおさ粗略に扱われることはない。彼等に委ねられた任は、第一には王国の南の防衛線の視察であり、第二には、村人の中からこの(もの)はと思われる人材を見出して、村の自衛や種々の問題解決を図る冒険者(ヴェンチャー)を育成することだった。今まさに手掛けているのは、その両者を兼ねた一石二鳥の仕事、ということになる。

 

 ふと見れば、少し離れたところで魔法詠唱者(マジックキャスター)が懐から何か取り出して地面に撒いている。

 

「弔いの跡でもあったのかい?」

 

 フーライトルがそう呼び掛けると、問われた男は、

 

「気休めですが、聖水でもくれといてやろうかと。」

 

と応じる。然るべく<聖別(コンセクレーション)>を施された清らかな水は、不死者(アンデッド)の発生を妨げる効能がある、とされている。

 

「葬られているのが噂を聞かなくなって久しい()()()()なのか、は気になるところですが、敢えて墓暴きまですることもないでしょう?」

 

 そう問う男に、ゲンは黙礼を返して同意を示した。

 

 一年半前まで、水源谷(オーシヴァル)を含む諸村は、神聖……帝国を名乗る人間亜人混成の無頼の集団の支配下にあった。

 支配下、といっても体系的な統治機構が存在したわけではない。その顔触れから南方、アベリオン丘陵の辺りに源を発すると解されていたその連中は、半年に一度貢納を求めてやってくるだけで、その一部が村に残留して大きな顔でのさばっていたことを除けば、直接的には村々に何ももたらさなかった。

 更に半年前に、突如として貢納の要求が四十倍に跳ね上がったことをきっかけに動乱が生じ、義侠心から(サン)クェール、只今の王都リ・エルキュリーゼの(がわ)に立って帝国に立ち向かったのが元アーグランド評議国代議員の混血森妖精(ハーフエルフ)新王サミュエルであり、ゲンたちもまた、これにトブの森から義勇軍として馳せ参じたのが今日(こんにち)に至る発端だ。

 そういう背景があるので、荒野に埋葬された何者かに聖水を注ぐ魔法詠唱者(マジックキャスター)を含め、村人の大半はかつての支配者たちに怨念のようなものは持っておらず、何なら彼等が時折、神聖……帝国、と自称したことを知る者もほとんどいない。それはゲンたち、自覚的にそれに立ち向かった者たちだけが有する限られた知見だった。

 

 諸村の庇護者として王の名乗りを上げたサミュエルは、その即位に際し、端的にたった三つの(のり)を忠誠を誓った村々に示した。

 

 <汝、殺すなかれ。

  汝、盗むなかれ。

  汝、欺くなかれ。>

 

 これがエルキュル王国の法のすべてだ。

 実際の統治は、形式上国王の信任によってその地位にあるとされる村々の領主に委ねられている。

 

 国王サミュエルは王都リ・エルキュリーゼ南端の仮宮をその本拠としており、ここにポリス・ウロヴァーナ以来彼に付き従う部下三十余名が、王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)、と称して共にある。これを養うのは王都リ・エルキュリーゼの民で、その負担は諸村に配分はされなかった。これはむしろリ・エルキュリーゼ側が、国王に臣従した最初の村、の既得権を手放すことを拒んだためにこうなったものだ。

 

 王国騎士の半数強は二人一組で諸村に派され、国王から課された国民の唯一の義務となる、

 

 <各村落は常任三十名、予備役七十名、計百名の槍隊を備えよ。>

 

を実現するために活動中だ。

 

 サミュエルたちは、建国から一年余を経た今も、神聖……帝国からの反撃があることに対する警戒を怠ってはいなかった。いざ事あるときに、最初に帝国軍と対したリ・エルキュリーゼの槍隊を率いてこれに当たっては遅れを取ることになる。なので、村々に防衛の一隊を備えることは急務であり、同時にそれは、村人たちに、自分たちは国王の庇護を受ける存在でありつつも、自分の身は自分で守るのだ、守れるのだ、という意識改革を迫ることも企図されていた。

 これとは別に、サミュエルは按察官(アエディリス)として空行騎兵(くうこうきへい)に村々を定期的に巡らせ、その慰撫と領主の監督をおこなうとともに、特に南方においては帝国からの再侵攻に目を光らせた。これに対しての返礼として、不定期ながら種々の貢納が王に対して捧げられた。サミュエルは特にこれを拒まず受け取って、先々少なからず必要となるだろう王宮から諸村に向けて届けられる報奨や支援の原資として蓄えた。

 

 国家としてのエルキュル王国の統治体制はこれがほぼすべてであるが、加えてサミュエルは、ゲンを含むトブの森からの義勇軍の中でも酔狂から森に帰らず残った者たちに声をかけ、信任状を与えて南端の村々での冒険者育成を依頼した。

 古来、国家が動員する軍と、個人の矜持で行動する冒険者は、似て非なるもの、と観念されている。前者が訓練と規律でもって脆弱なる個が集団で力を発揮するもの、と考えられているのに対し、後者は能力に秀でた個人が自発的な意思と鍛錬で当たるもの、と考えられていて、言うなればそれは表裏、水と油の関係だ。

 リ・ウロヴァールにあって種々の過去からの文献に親しむ機会のあったサミュエルは、歴史上しばしば能力に秀でた個人のみを集めて軍を編成する、つまり、冒険者軍、的なものを創設しようとする試みがあったことを知っているが、それらはすべてある規模に達した時点で失敗に終わったこともまた承知している。むしろそれは車の両輪のようなものであって、重ね合わせることには百害あって一利もないが、それぞれが潤滑に回ることで社会の支えとして機能するものだ。

 元を(ただ)せばリ・ウロヴァールの警備会社に由来する王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)は、まさにこの冒険者軍的な一面を有しており、ゆえにサミュエルはこれをある一定の規模以上に育てようとはしなかったが、これをやらされている当人たち、つまり一人一人の騎士にはそういう自覚はないので、彼等に冒険者育成を委ねると、一騎当千の集団を作ろうとして統制を失って瓦解していった過去の失敗の轍を踏む恐れが過分にあった。

 ゆえにサミュエルは、ゲンたち、個人の矜持に拠って立つ(もの)たちを派することで、その気風が王国に微かであっても伝播することを目論んだものである。

 

 ピュィーーー!

 

 不意に鳥の鳴き声を模した指笛が吹き鳴らされた。

 窪地から斜面を昇ったところで周囲を見渡していたフーライトルが発したものだ。その意を察したゲン、マイシューマツ、三人の男たちは姿勢を低くした。

 

 もっとも。

 ゲン、についてはそんなことをしても付け焼き刃、の感もなくはない。

 

「ドウシタ?」

 

 小声で問うゲンに、身を伏せてなお遠くの何かを伺っている様子のフーライトルが答える。

 

「人影です、しかも奇妙なことに一人でさーな!」

 

 今日(こんにち)、もっとも近い集落まで三日を要する荒野を一人で旅する者などあり得ない。となれば、非業の死を遂げた者が稀に自然に転じると聞く不死者(アンデッド)か、とも思われるが、それが発生する可能性が最も高い城塞都市廃墟は後方、やってくる方角とは真逆だ。

 彼等の基本方針としては、帝国の残党と疑われる者と出食わした際は様子見した上での即時撤収が事前に決められてはいたが、こういう場面(ケース)は想定されていなかった。

 

「あちらはこちらに気づいてますぜ、まっすぐ向かって()まさーな!」

 

「……先手ヲ取ロウ。」

 

 即座にゲンは決断した。

 もっとも、戦闘しようというわけではない。

 

「私ト、フーライトルデ接触(コンタクト)ヲ試ミル。

 他ハ此処デ待機シ、戦闘ニナルヨウデアレバ加勢セズニ一旦退()ケ。」

 

 マイシューマツはともかく、他三人の冒険者見習いはまだ戦力と見做すには覚束ない連中だ。

 

「承知しやした、どうかお気をつけて。」

 

 ゲンの意を察したマイシューマツが手早く三人の男たちを手招きし、窪地の死角で様子見するように指示すると、男たちは素直にこれに従った。これを見届けて、ゲンは得物の重鎚(ヘヴィーメイス)後腰(うしろごし)に吊ったまま、敢えて大手を振って目立つように振る舞いながら窪地を出て、やって来る何者かに大声で呼びかけた。

 

「オーイ、オーイ!」

 

 フーライトルも、相手に敵意ありと見られぬよう弓銃(ボウガン)は背に負い、ただ左手を腰の(マチェット)に軽く添えて即応の体制を採りつつゲンの後を追う。

 相手から応答はないが、特に物怖じする様子もなくこちらに近づいて来る。ややあって、その容姿がはっきりとわかるようになった。長身で細身、柔らかい体線(ボディライン)からして女性だが、こんな荒野に女一人とはますます面妖だ。

 

「オーイ、ドウシタ、仲間ト(はぐ)レタカ?」

 

 そう問いながら、ゲンは、サミュエルが即位を宣言する直前、水源谷(オーシヴァル)からやって来た臣従の一団から似たような話を聞いたな、と思い起こす。同じように一人で歩く者と出会って旅の連れに加えたが、リ・エルキュリーゼに着く直前に行方を晦ました、という一件だ。安否を案じた騎兵が周囲を捜索したものの、確かあれは結局見つからなかったはずだ。

 

 そうこうするうちに、女は何者であるかはっきりとわかる距離まで迫った。

 

 女森妖精(エルフ)

 背に長弓(ロングボウ)を背負っているところをみると射手(アーチャー)だが、左右の腰には矢筒に加えて剥き身の細剣(レイピア)が一振りずつ提げられている。旅に必需の荷を持ち運んでいる様子はまったくない。

 

 これ以上近づくと戦闘の間合いとなることを憚って、ゲンは一旦歩みを()めた。

 

「ヨモヤ、トハ思ウガ……言葉ガワカラヌカ?」

 

 仮に本当にそうであれば口にしても詮のないことではあるが、フーライトルに自分の懸念を伝える意図も込めてゲンはそう言ってみたが、意外なことにこれには女の方から反応があった。

 

「それはこっちの台詞。

 おまえは見たところ妖巨人(トロール)だが、人語を(かい)すの?」

 

 ……随分なご挨拶だな、とゲンはため息をつく。

 

「失敬なことを言ってもらうと困るね、(ねぇ)さん!」

 

 ゲンは咄嗟に、()せ、と片手で制すを試みたが、フーライトルは身軽にこれをかわして前に出て、女の言葉に噛みついた。

 

「こちらは国王陛下の親友にして、王国にこの人あり、と知られた義の巨人、名は(ゲン)、家名は(ガン)様だ。人語を(かい)するか、ったーどういう了見でぃ!」

 

と、肩を(いか)らせて大見得を切る。

 

 ナンデ……オマエガ私ノ名乗リヲスルンダ?

 

 ゲンは、まるで自身を言葉の通じぬ獣であるかのように言う女よりも、むしろフーライトルの芝居がかった振る舞いに呆気に取られたのだが、対する女の返しはさらに(むご)かった。

 

小鬼(ゴブリン)も喋るのか。」

「な!」

 

 今にも飛び掛からん勢いのフーライトルの襟袖をゲンの大きな指先がひょいと(つま)んで捕まえる。勢いでフーライトルはのけぞり、この様子を見て女は、フフ、と少しだけ……ほんの少しだけ笑った。

 

 どうやら情誼の通じぬ相手ではないようだ、とゲンは思う。

 が、只者でないのは確かだ。正直なところ、よもやそんなことになるまい、とは思いつつも、ゲンは彼女と得物を交えたとして、勝てる想像(イメージ)がまったく湧かなかった。大鬼(オーガ)の血筋も引き、森妖精としては破格の勇士であるサミュエル(アニィ)でもおそらくはまったく歯が立つまい、とすら思う。

 

 そして、以前にも似たような者と行き当たったことがある、と思い起こした。

 

 純血の妖巨人(トロール)であるゲンは、いくら容姿端麗であっても人間や森妖精の女性に心ときめくことはない。一方で、それが種族として整った顔立ちであることはわかる。目前の女森妖精がまさにそうだが、それは余りに整い過ぎていた。まるで絵に描いたものであるかのように。

 そしてその印象は彼に、王国建国の契機となった戦いの中で出会い、いつの間にか何処かへと消え去ってしまった三人組、アルファ、ベータ、ガンマを思い起こさせた。彼女らもまた絵に描いたような整った顔立ちで、人間種に恋心を抱かぬでもないマイシューマツ、フーライトルはめろめろになっていたものだが、この女森妖精からも同じような印象を受ける。

 

 そしてゲンは、アルファ、ベータ、ガンマは、その美しい姿とは裏腹に、まともな人間ではなく、異界から我々には(しか)とはわからぬ目的を携えて忍び込んだ魔物だ、と考えていた。

 

 これは……触れ得ざる者、という奴か!

 

 ゲン自身は、幼少の時分に兄貴と慕った義理で今も付き従う羽目になった王サミュエルから教わった言葉だ。

 曰く、この世界には、恐ろしい力を有し、我々とはまったく異なるものの考え方をしつつも言葉の通じる触れ得ざる者、があると。サミュエルは、自分たちが立ち向かって撃退した神聖帝国を名乗る無頼どもをまったく恐れてはいなかったが、その背後に触れ得ざる者があるやも知れぬ、と疑っていた。

 加えて、自身が王位に推された背後にもその触れ得ざる者の意図が働いた可能性もある、と聞かされて、正直なところゲンは、サミュエルがあまりに大きな(せき)を背負い込んだ結果、少し精神を病んでしまったのではないかと気を揉まないでもなかったのだが、考えてみれば、確かにアルファ、ベータ、ガンマの美女三人組が、まさに触れ得ざる者、の名に相応しい者たちであったのは事実だ。

 

 そして、(いま)目前にある女森妖精……。

 

 

 

 ドロレスを苛立たせていたのは、この世界(ワールド)の余りの邂逅(エンカウント)率の低さだ。

 

 彷徨(さまよ)えど彷徨(さまよ)えど、モンスターはおろか人間、亜人にすら出会わない。これでは物語(ストーリー)が進まないではないか、<運営>はいったい何をやってるんだ!と憤ってみたものの、今自分が苛立ちを覚える、<運営>、が何であるのか……かつて、ギルドの仲間たちと折りに触れその不手際を(あげつら)って愚痴ったそれが、実体として何であるのかがわからずにいた。

 だから、地平線の彼方から雄叫びを上げて歩んでくる巨人を認めたとき、それが単なるポップモンスターなのか物語の進行に関わるNPCなのかはさておき、ともかく何者であるのかを確かめよう、と思った。

 

 驚いたのは、近づくにつれて彼女からすれば雑魚モンスターに過ぎないトロールが、生意気にもユグドラシル標準語である日本語で話しかけてきたことだ。随伴したさらに雑魚のゴブリンは、このトロールが国王の親友であり、ゲンガンという立派な名すら持っていると言うではないか。

 真偽はともかく、国王の親友、なる存在との出会いが導入(イントロダクション)となるのは文字通り冒険の王道の一つではある。

 

「おまえはゲンガンというのね?」

 

 何やらこちらに向かって苛立っている様子のゴブリンを無視してトロールにそう問えば、

 

「ゲン、ト呼ンデモラエレバ結構。」

 

と応じられた。

 

「ワタシは闇の中へ(イントゥーダークネス)のドロレス。」

 

 ユグドラシルの標準設定(デフォルト)では、行動選択肢としての、名乗る、を選べばギルド名にキャラクター名を添えた台詞が吐かれる。ドロレスもこれに素直に従ったものだが、ゲンは何やら困った表情を浮かべている。

 

「……ドロレス、でいいわよ、ゲン。」

 

「アァ、済マナイ。チョット長クテドウシヨウカト迷ッテイタ。」

 

 この返しに、今度ははっきりとドロレスは、ウフフフ、と蠱惑的な笑みを浮かべた。

 

「あっしはフーライトルと申します。どうぞ、お見知りおきを、ドロレスの(あね)さん!」

 

 ゴブリンがゲンの前に身を乗り出してそう名乗るが、ドロレスからすると、国王の親友だというゲンのオマケにしか見えないゴブリンは、強いて相手にする価値があるようには思えない。ただ、ニコリ、とお義理の笑みを返してやれば、見るからにゴブリンは鼻の下を伸ばした。やはりこいつらは端役(モブ)だ。

 

 しかし……。

 

 ドロレスは呻吟する。

 憶えている限りにおいて、ユグドラシルで物語(ストーリー)朗読役(ナレーター)に過ぎないNPCが、こんな(ふう)に当意即妙な会話をしてくることなどなかったはずだが、これはこの新たな世界(ワールド)の新趣向なのだろうか。

 

「ここは何処なの?」

 

 彼女としては情報収集の第一歩として至極当然のことを尋ねているつもりでそう言ったが、問われた(ほう)はたちまちに不思議そうに首を傾げた。

 

貴女(あなた)……気ハ確カカ?」

 

 真顔でそう言うゲンに、流石に単刀直入に過ぎて馬鹿っぽかったか、とドロレスは頬を赤らめた。

 

「あぁ、言いを改めるわ。ここは何という世界(ワールド)なの?」

 

 やはりゲンは不思議そうにしている。

 

「強イテ言エバ、エルキュル王国ノ南ノ端、トイウコトニナルガ……」

「そうじゃなくて!」

 

 ドロレスはゲンの言葉を(さえぎ)る。

 

「私はヴァナヘイムから来たの。そういう意味での世界(ワールド)よ。」

 

 ユグドラシルのNPCであれば、自身の存在する世界(ワールド)の名を知っていて当然だ、と考えて問うた彼女の意図は、やはりゲンには伝わらない。

 

「ヴァナヘイム……トイウノハ聞キ覚エガナイ。

 貴女(あなた)ハ東カラ来タノデハナイノカ?」

 

「東?どうしてそう思うの?」

 

「私モ行ッタコトハナイガ、トブノ森ノ遥カ東ニ、エイヴァーシャー、ナル森妖精(エルフ)ノ暮ラス森ガアル、ト聞イタコトガアル。」

 

 再びドロレスは呻吟した。

 物語(ストーリー)が動き出したのは喜ばしい限りだが、思っていた以上にこの世界(ワールド)は奥が深そうだ。ひとまずはこの連中からもらえるだけの情報をもらうべきだろうか。

 

「差シ支エナケレバ、ダガ。」

 

とゲン。

 

「間モナク日モ落チヨウ。私タチハ少シ早メノ食事ヲ取ッテ明日ニ備エヨウト思ウガ、共ニ食事ヲシナガラ話ヲ伺イタク思ウノダガ。」

 

「……そうね、悪くはないわ。」

 

 ドロレスは、渡りに船、とこれに同意した。

 

「何モ荷ヲ持ッテオラレヌヨウダガ糧食ハアルノカ?

 我々ハ余裕ガアルノデ分ケルコトハ出来ル。」

 

 なんだ、このトロール。強面に似合わず随分とお人好しじゃないか、とドロレスは微笑む。

 

「私にはこれがあるから大丈夫。

 おまえたちは食事をしながらで構わないわ。」

 

と、左手の薬指に嵌めた指輪を示す。やはり、ゲンは意図を察せない様子だ。

 

「<飲食不要の指輪(リング・オブ・サスティナブル)>よ、そんなに珍しいものでもないでしょう?

 ここ半年、私は何も口にしていないわ。」

「ナ!」

 

 事も無げにそれを示したドロレスに対し、そんなものは御伽噺の中でしか聞いたことのないゲンは大層驚いて見せた。そして言う。

 

「……ナルホド、承知シタ。

 ガ、詳シクハ知ラヌガ、飲食不要トハイエ、何モ飲ミ食イセヌハ心ガ乾キモシヨウ。(たい)シタモノハナイガ、共ニ口ニシテクレタ方ガ、コチラモ気ヲ遣ワズニ済ンデアリガタイ。」

 

 お人好しなだけでなく、こいつは存外人情の機微にも通じるのか。

 雑魚怪物(ポップモンスター)のくせに!

 

「他ニ仲間ガアル、紹介シヨウ。コッチダ。」

 

 ゲンは無防備に背をドロレスに向けて晒し、片手を振り上げてついてくるよう促した。

 本当に妙なトロールだ、と思いつつ、他にどうしようもないので彼女は素直にそれに従う。

 

 向かった先の窪地には、ゴブリンがもう一人と人間の戦士二人、魔法詠唱者(マジックキャスター)一人がいて、それぞれマーシューマツ、ジャン、アラン、ローラン、と紹介を受けるも、ドロレスにはあまり強い印象を残さない。

 ゲンが何か指示を伝えると手早く焚き火が起こされ、ささやかな食事の準備が始まる。これを立ったまま眺めながらドロレスは、強いて憎悪(ヘイト)を招かぬよう、<無詠唱(サイレント)>で彼等の能力値(ステータス)の把握を試みた。

 思った通り、ゲンというトロールが頭一つ抜きん出ているが所詮はレベル二十台後半。百レベル(カンスト)の彼女からすれば屁でもない相手だが、六人中、知性(INT)においてもこのトロールが最上位であることは意外だった。このトロールと親分子分関係にあると思われるゴブリン野伏(レンジャー)二人はいずれもレベル十台後半、三人の人間は(みな)レベル一桁で注意を払うにも及ばない。

 

「掛ケタラドウダ。」

 

 ゲンがドロレスを傍らの石塊(いしくれ)へ手招く。これにも彼女が素直に従うと、

 

「口ニ合ウカハワカランガ、干シタ果実ダ。試シテミテクレ。」

 

と、(アプリコット)か何かを干したものが差し出される。

 ユグドラシルにおける食事は無味無臭なもので、ただただそれを定期的におこなわないと弱体化(デバフ)(こうむ)るので仕方がなく処理するものに過ぎなかった。指輪を装備するようになってから、彼女はそれをした憶えがない。

 

 黙ってその果実を受け取り鼻先に持ってくると、ぷん、と甘い香りが鼻腔を擽って、本能的にこれを口にしたいという衝動が走る。それでも彼女は慎重に、やはり<無詠唱(サイレント)>の鑑定魔法を発動させ、毒の有無や効能の把握を試みる。

 

 <干し果実(ドライフルーツ)。無毒。これ一つで一日の必要食料の五分の一に相当。>

 

 本来それが必要ではない自分が、それを必要としているに見える連中の一部なりとも奪うことにはいささか気が引けないでもないが、本能的な求めには逆らえず一口齧ってみる。

 

「……美味しい。」

 

 口の(なか)いっぱいに広がる自然だが濃厚な甘みに、思わず言葉が漏れた。

 

「ソレハ良カッタ。」

 

と、強面なゲンが微笑んだのがわかる。これがきっかけになったものか、それまで気にもしていなかった香ばしい薫りにドロレスは気づいた。見ればフーライトルたちが焚き火で何か干し肉のようなものを炙っている。

 

「……あれは?」

 

 ゲン以外は相手にするだけ無駄だ、と考えている彼女はゲンにそう問い掛けたが、

 

森妖精(エルフ)菜食主義者(ヴェジタリアン)ト聞イテイルノデ強イテ勧メルツモリモナカッタガ、干シ肉ダ。試シテミルカ?」

 

 ゲンがそう答えた時点で、ジャンが頃合いに焼き上がった串刺しのそれをドロレスに差し出していた。彼女自身の意思とは別に自然と手が出てそれを受け取る。

 

「念のために訊くけど。何の肉なのかしら?」

 

 早速頬張ろうと口を(ひら)きつつドロレスが尋ねると、

 

巨大鼠(ジャイアントラット)でさーな、(あね)さん!」

 

とフーライトルが応じて、思わずドロレスの手が()まった。

 

「騙されたと思って食べてご覧なさいな。これが存外イケるんですぜ。」

 

と、彼女に串刺しの炙り肉を差し出したジャンが笑う。勧められずとも、その香りの誘惑に抗う(すべ)は既に彼女にはなかった。目を瞑ってひと齧り。

 

「……あらやだ。本当に美味しいわ!」

 

 彼女が喜色の声をあげると、(みな)が一様にハハハハッと笑った。

 ここまで随分とうんざりとした気分を味わってきたものだが、この世界(ワールド)は悪くないかもしれない……ドロレスはそんなことを考え始めていた。

 

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