ドウニモ……妙ナ具合ニナッテキタナ。
老兵妖巨人ゲン・ガンは、自分の五歩ほど前を上機嫌に歩む女森妖精の背を見ながら、声には出さずに独り言ちた。
その女、ドロレスは、自身の来歴については多くを語らなかったが、当地の詳細についてはやたら詳しく訊き出そうとした。特に、ゲンたちがサミュエルと共に南方からやってくる無頼に村人を率いて立ち向かい、以て建国に至った話に目を輝かせ、自身がそこに加われなかったことを悔しがる素振りを見せた。
自分や大鬼の血筋を引くサミュエルが、少なからず武を嗜む存在であることには自覚があるので、その点についてゲンはとやかく言うつもりはなかったが、ゲンもサミュエルも、であるがゆえに、自身のそういった性向については自重を要することにもまた自覚がある。
一方で、ドロレスがただ無邪気に闘争の中に身を置くことを喜ぶような物言いをすることに、ゲンはいささか不穏な物を覚えざるを得なかった。あるいは、彼女がそこからやって来たというヴァナヘイムなる国?……彼女は一貫してそれを世界と呼び、その意味するところがゲンには今ひとつピンとこない……は、そうであって当然の修羅の国であったのだろうか。
とまれ。
ドロレスはゲンに、親友だという王サミュエルに引き合わせることを強く求めた。
そうするのが当然である、と言わんばかりに。
ユグドラシルの記憶から生じた彼女が、国王の友と名乗る何者かの出会いは戦役の導入であり、その後は王の謁見を得、共闘する仲間を募って使命へと挑むのがお約束である、と認識していることなど、ゲンには思い及ぼうはずもない。
元より、サミュエルは面会を求める何者をも拒むことはなかったし、何なら自分の方からお忍びで方々へ自ら鷲頭天馬を駆って押し掛け、少なからず王国国民を困惑させている存在だ。よもやドロレスの謁見に応じない、ということはなかろうが、曲りなりにも国王を名乗って自身に絶対の信を寄せてくれている兄貴分に、来歴不詳にして性向不穏かつ、確実に自分たちよりも格段の強者に見えるドロレスを取り次ぐことには躊躇いもある。
そこでゲンは、事の次第を短い書状に書き留めて子分の一人、小鬼野伏のマイシューマツに託し、一足先に目下の拠点となる水源谷へ走らせた。そこから更に早馬を継げば、五日ほどでこの話はサミュエルに……彼が何処かをほっつき歩いてさえいなければ……届くはずだ。
逆に自分たちは、まだ冒険者見習いのジャンたち三人を連れているがゆえにゆっくり進むしかないのだ、ということを口実に、強行すれば二日で辿り着ける水源谷への帰路に敢えて四日を費やした。ドロレスには、これを怪しむ様子はない。
「王サミュエルハ、私ニトッテハ幼馴染ノ兄貴分デモアル。」
荒野を歩みながらそう語るゲンに、ドロレスは興味深げに耳を傾けている。
「ヨモヤ、トハ思ウガ、ドロレスハ……王ニ害ナソウトスル者デハアルマイナ。」
「なに馬鹿なこといってんのよ!
私はこう見えて業は秩序寄りなの。ゲンの人柄からすればその王様が悪役、ってのはあり得ないから、そんなことしたら私が弱体化を喰らうじゃない!」
ここ数日の旅ですっかりゲンに打ち解けたドロレスは、かなりの覚悟を決めて核心を問うたゲンに、気安い口調でそう応じた。ゲンにはまったく意味するところがわからない。
「デハ、ドロレスハ、サミュエルニ会ッテ、何ヲスルツモリナンダ?」
今のところ、ゲンの知る限りにおいてサミュエルに阿って取り入り何らかの利を得よう、とする輩は王国にはいなかった。村々を巡った最初の行幸行脚で彼が示して見せた人柄が、そんなことは試みるだけ無駄であることを証して余りあったし、そんなことをせずともこの王は国をしっかと守ってくれるだろう、という安心感を与えることに成功していたからだ。
ゲンには森妖精の年齢を外見から然と判じることが叶わないが、ドロレスはサミュエルよりは確実に若い。おそらく三百歳には達していないだろう。一方で、その精神は齢既に二百歳を超えている自分よりもいささか幼く感じないでもない。
彼女もまた、王の庇護を求めているのだろうか。だが、まだその腕前を見たわけではないが、ゲンの戦士の直感は、この女森妖精とは戯れにも戦うべきではない、と告げていた。そんな者が強いて王の庇護を必要とするとも思えない。
「使命よ。」
と、ドロレスは言う。
「心配しなくても、王にとっても悪い話ではないはず。
物語が動き出したからには、これに素直に乗るのが定石ってもんでしょ?」
やはりゲンには、彼女の言うことがよくわからなかった。
水源谷はその名の通り滾々と湧水が湧き出す谷で、流れ出した水は大河となってかつてはレイブン候領とペスペア伯領を分かつ境にもなっていた。川はエ・ペスペル廃墟の東を通って南側で大きく西へ流れを転じ、そのままかつてのリ・ロベルの港へと流れ着く。
この川には、大昔に架橋された石組みの拱橋があったが、これは<冥と啼く七日間>で破壊され、今は点々と連なる橋脚部にその痕跡を遺すのみとなっていた。川の東側、トブの森に近い最初の四ヶ村の一つから発した開拓者たちは、この橋脚に綱を渡して渡河を成し遂げたと伝わる。
水源の鍾乳洞周辺は険阻な谷間で居住には適さないため、長く利用されることがなかったが、いわゆる帰還事業の直後に豊かな水資源に目をつけた者たちがあって入植が始まった。それは決して容易な道のりではなかったが、今ではそこから引かれた灌漑用水が以前は不毛であった谷の東西の台地に引かれ、食料はもちろんのこと綿花の栽培が盛んになり、先々は王国の衣料供給の一大産地として発展していくことが約された土地柄でもあった。
当初、再び訪れるやも知れぬ大災厄への恐怖感から、人々は水源に近い谷の中に集住していたものだが、農業が成功するにつれてそういった緊張感も薄れ、村人は田畑が広がる台地の上へと居を移していった。それでも、地名がそうであるように、水源を村と結びつける観念は強く人々に根を下していたため、今でも領主の居館と村の政に関わる人々は谷の中に集住している。
ゲンたち一行は、その水源目指して渓流に沿った上下の激しい道を進んでいた。
領主館の近くにかつて使われていた共有の倉庫があって、そこが現在の仮の水源谷の冒険者組合になっており、当地逗留中にゲン、マイシューマツ、フーライトルが寝泊まりしているのもそこになる。
ジャン、アラン、ローランの見習い三人は、いずれも台地の農家の次男坊、三男坊の生まれで、新国王から申し下された槍隊へ志願して適性を見出され冒険者見習いに転じた。幼少の時分から農作業で鍛えられた身体には自信のある口ではあったが、それでもこの渓流沿いの道を進むに当たっては大汗を掻いている。
対して、一件華奢に見える女森妖精ドロレスは、顔色一つ変えず、綿毛が風に舞うかのような足取りでひょいひょいと追従していた。
「王ニ、ドロレスノコトハ伝エテアルカラ、沙汰ガアルマデ村デ少シ待ッテクレルカ。」
村に至って、先行したマイシューマツからリ・エルキュリーゼに向けて早馬を走らせた旨を聞いたゲンは彼女にそう伝えたが、見るからに不服な表情で応じられた。
「そういうまどろこっしいのは好きじゃない。
王宮へ連れて行け!」
とのこと。
足手まといのジャンたちとここで別れてゲン、フーライトルと自分だけならば、もっと速く進めるはずだ、というわけだが、ゲンとて屈強でこそあれ決して疲れを知らぬ鉄人ではない。
「セメテ一日休マセテクレ!」
と請えば、
「一日休めば連れて行ってくれるのか!」
と迫る。
……厄介ナ女ヲ拾ッテシマッタモノダ。
と悔いても時既に遅し。
「サミュエル兄ハ存外腰ガ軽イ。勝手ニコッチカラ向カッテ行キ違ッテモ知ランゾ!」
を捨て台詞に同意させられる羽目となった。
その夜、明日の王都目指しての出立を控えて、ゲン、マイシューマツ、フーライトルはドロレスと食卓を囲んだ。ドロレスは魔法の指輪の力で食事を必要とはしなかったが、決して量は摂らないものの食事自体は楽しんでいるようだった。
一般に菜食を好むとされる森妖精であるのに干し肉を美味しそうに頬張ったドロレスではあったが、不思議と酒は決して口にしなかった。ゲンとしては、森妖精といえばまず大酒飲みのサミュエルが頭に浮かぶので意外な感を受けたが、思えばあれはサミュエルの親父さんの血筋であるのかも知れない。
「なんだか嫌な感じがする。」
と彼女が言うので、ゲンは遠慮して自身は大好きな酒を控えた。
その理由を含め、ゲンは強いてドロレスの過去について聞き出そうとはしなかった。語りたいことがあれば語りたいときに聞いてやる、がゲンの基本的な姿勢だ。逆に、そういった機微とは無縁な小鬼マイシューマツ、フーライトルの二人は、純粋な好奇心から何やかやと聞き出そうと陽気にドロレスに話し掛けた。その多くはしれっとかわされて成果を得なかったが、それでもいくらかわかったことはある。
第一には、かつてドロレスには彼女と同等の力を有する多くの仲間があったらしいことだ。
ドロレスだけでも到底太刀打ちできそうになく感じるのに、そんな連中が徒党を組んでいるなんて、とゲンは当惑したが、ドロレスが言うには、それは彼女の故郷ヴァナヘイムでは当然のことなのだ、とか。
彼女を含むギルド闇の中へは、決して最強ではなかったがヴァナヘイムでは少し知られた存在で、日々仲間たちと数々の冒険をこなしたのだ、と楽しそうに彼女は語った。中には竜を狩ったとか、魔法で魔神の居城を粉々にした、などという虚言癖を疑われてもしかたのない逸話があって、途中からマイシューマツ、フーライトルは、ドロレスが自分たちを楽しませるために法螺を吹いているのだ、と割り切っている様子だった。
その話の途中、ふと彼女が表情を曇らせることがあった。
その仲間たちも、この世界へやって来る一年と少し前あたりから疎遠になっていた、という行に至ってのことだ。だが、すぐにドロレスは陽気さを取り戻した。
「おまえらの王に会って使命を果たせば、きっとあいつらとの再会が叶う。」
と言うのである。そういうお約束なのだ、と。
流石にこれには得心がいかず、強いて問うまい、と思っていたゲンは口を挟んだ。
「良カッタラ……何故ドロレスハソウ思ウノカ、ヲ聞カセテクレルカ?」
問われたドロレスは、鳩が豆鉄砲でも喰らったような呆けた表情を見せた後、
「端役にこんなことを語る必要もないでしょうけど。」
と、随分失敬な前置きを挟んでこう答えた。
「私はこの戦役脚本の主人公なの。失われた仲間があって、国王との謁見、続く冒険があれば、最後には仲間との再会があって大団円。当然のことでしょ。あなたたちはその導入部の案内役に過ぎないのだから。」
敢えて反論はしなかったが、ゲンは彼女のこの物言いを含め、発言の端々に垣間見える物事の捉え方に大きな違和感を覚えている。
お世辞にもドロレスの考え方は真っ当な者のそれではなく、有り体に言えば妄想の類。良く言っても根拠を欠く信仰、彼女自身の祈りであるかのように聞こえたからだ。
彼女の言う主人公、が言葉通りの意味であるとすれば、ゲンの理解としては人生の主人公はそれぞれの人生を歩む本人しかいないのであって、その点ではドロレスとゲンは、力量はことなれども対等であるはずだ。ドロレスが主人公であるがゆえに幸福な結末が約束されているのであれば、ゲンもまたそうでなければおかしいことになるが、ゲンは自分が多くの偶然の行幸に恵まれた幸せ者だ、と感謝の念を抱くことはあっても、自分だけが特別にそうなのだ、などと考えたことは一度たりともなかった。
ヒョットスルト。
コノ女ハ、可哀想ナ女デアルノカモ知レナイナ。
ゲンは、そう思いつつも、よもや聞く耳は持つまいドロレスにそれを伝えることはしなかった。
一夜明けての旅は、谷の崖面に沿った九十九折の階段を昇ることから始まった。
水源谷の湧き水は何らかの偶然で南へ向かって浸食谷を形成したので、北方の王都へ向かう最短経路を採るには谷を囲む台地の上へ出なければならない。本来この階段はそのため、ではなく、今そこを歩むゲンたちからも垣間見ることが叶う、台地の上へと水を送る揚水水車の整備の都合で造られたものだ。
ゲンたち自身もそうだったが、初めて当地を訪れた者は誰もがこの高所へ水を自ずと汲み上げる幾重にも重なった水車に驚嘆の声をあげるものだが、ドロレスはまったく興味を抱く様子がなかった。
……サモアリナン。
とゲンは苦笑いするほかない。
階段を昇りきれば、台地の上は見渡す限りの畑が広がっている。元来は降雨のみでも育つ利用価値のない植生に覆われていた台地は、灌漑の成功によって衣食の両面で水源谷を支える生産拠点と化した。主に綿花、麦、豆の輪作がおこなわれており、畑の合々間々に村人たちの暮らす家が建っている。冒険者見習いジャンたちも、これらのどこかの生まれだ。
谷を昇りきった辺りをてっぺんに、台地は全体としては南西へ向かって下る緩やかな傾斜を為している。ドロレスの謁見要望を伝える早馬の出発駅舎も台地上にあって、王都に向かってはこの傾斜に沿って下って行ったはずだが、ゲンたちのような徒士の者は最短経路となる北への道を採る。普通の者が歩めば七日から八日の旅だが、ゲンは六日で辿り着けるだろう、と考えていた。騎馬と一日しか差が生じないのは、今日の大陸西部中原には、馬の速度を活かせる真に平坦な野原が存外限られているからだ。
台地の北端に至ると、馬では到底下ることが叶わない絶壁に至る。よく澄んだ晴れた日であれば、ここから北西に古の王都リ・エスティーゼの廃墟を望むことが出来るが、そうだとわかる高楼が残っているわけでもないので、敢えて立ち止まって眺める者などいない。
道、と呼べるほどの整備は為されていないが、先人によって安全に通れる経路には目印が施されており、滑落に注意しつつこれを下っていけば、平原に降り立つ時分には日も傾いてこの日の行軍は終わりだ。概ね難路はここまでで、後はひたすら北へ向かって荒れた平原を黙々と歩んでいくこととなる。
「預かっていた荷よ。」
さらに少し北へ進んで今宵はこの辺りで野営か、といった時分になって、如何な魔法か、ドロレスは中空から本来はゲン、マイシューマツ、フーライトルがそれぞれ背負っていて当然の糧食を詰めた背負い袋を取り出して見せた。
出立に際し、
「少しでも早く着きたいから、身軽にさせてあげるわ!」
と彼女が荷物運びを一手に引き受けたものだが、ユグドラシルプレイヤーが標準装備する所持品の能力など知りもしないゲンたちは、ただただ目を丸くして驚くほかなかった。
「どんな人なの、その王様は?」
食事をしながらドロレスにそう問われて、ゲンはどう返したものか一瞬迷った。
「私ハ、彼ノホカニハ王ヲ知ラヌカラ確タルコトハ言エンガ。」
とゲン。
「……王、ラシカラヌ王、トデモ言ッタトコロカ。」
「いいわね、そういうの!」
何が壺に嵌ったものか、ドロレスは愉快げに笑った。ゲンとしては、王らしからぬ王の事実上の補佐役の任を持て余していないわけでもないので、代われるものなら代わって欲しいくらいだ。
「強いの?」
マッタク……コイツノ頭ノ中ハドウナッテルンダ?
と思うも、ゲンはそれも口には出さない。
「……私ナラバ敢エテ戦イハ挑マンナ。
サミュエルホドノ戦斧ノ使イ手ヲ私ハ知ラン。」
「戦斧?
ゲンたちの王様は土小人なの?」
「サミュエルの旦那は姐さんと同じ森妖精ですぜ。」
ドロレスがゲンとだけ話すのが不満だったのか、フーライトルが割り込む。
「……はぁ?
戦斧を振るう森妖精なんているわけないでしょ!」
マァ、普通ハソウ思ウワナ。
「サミュエルハ、ソノ……混血デナ。」
「混血森妖精の王様!
ますます盛り上がるわ、そうこなくっちゃ!」
……多分サミュエルハ、オマエガ思イ描イテイルノトハ大分ト違ウゾ。
内心嘆息しつつ、彼女が嫌がりそうなので兄貴分が大酒飲みであることは伏せておこう、とゲンは思った。
*
自分たちが交々代々に見張りと火の番をするので休んでくれ、というゲンたちの言葉に甘えて……もっとも彼女自身は何が夜半に襲って来たとて何とでも対処は叶うのであるが……所持品から取り出した寝袋にドロレスは潜り込んだ。
眠りに落ちる僅かな間にドロレスはここまでに得た情報を再咀嚼し、直感的に思い描いていたこれからの物語の展開にますます確信を深めつつある。
ユグドラシルにおいては、如何に変種があろうとて戦役脚本は、所詮は<運営>がプレイヤーを楽しませるべく仕掛けた意図的なものでしかない。ドロレスと彼女のかつての仲間たちの念頭には常にそういった考え方があった。何に挑むにせよ、そこには作為的な必然性があって当然なのであって、それを前提にこれから起こることを予測し、備える癖が身についており、それは最早無意識的なものだったのだ。
国王の友であるというトロールは、主人公である自分を王との出会いへ導くべく差配された端役だ。その王が、自分同様のエルフでありながらバトルアックスを振るう猛者ともなれば、これは共に難敵に立ち向かう仲間であるに違いない。そして立ち向かうべき敵、も既におおよそ目星はついている。
自分と共にこの世界にやって来たに違いないかつてのレイドボスにしてギルドの下僕。
そもそもアレを調伏するにはギルド発足時のメンバー、ドロレスを含め十七人の協力を要した。そのことを思えば、仲間がトロールよりも少し強いだけ、のように今のところ思われるエルフ戦士一人、というのはいささか心許ない感はある。おそらく、エルフの王には他に当てになる強力な仲間がいるに違いない。
己に隷属していたNPCが最後の敵である、という展開はかなり変則的ではあるが決して脈絡不詳ではなく、むしろ、自分がそれを伴ってこの世界にやって来てしまった責任を自ら果たす、という劇的な演出だ、と評価できるのかもしれない。
どうしてそうなったのか、を含め、記憶への接触が封じられている、というのも、自身が経験したことがないのは当然として伝聞としても聞いたことのない趣向ではあるが、いよいよ<運営>もネタ切れに追い詰められたのだろう、と考えれば納得もいく。
思えば、仲間たちが去っていった、ユグドラシルが終わった、という記憶もこの物語の序章として仕組まれたものであったのかも知れない。
ユグドラシルでは、理由なく何かが奪われる、といったことは決して起こらない。もし今夜このまま一睡もしなければ、明日一日の間自身は弱体化の罰則を被るが、これは毎日一定時間眠らなければならない、という制約を自分が無視するからそうなるのであって、素直に眠るか何らかの魔法の品で対処すればよいだけの話だ。
同様に、仲間や記憶が不条理に奪われることは決してない。それらは物語の便宜で一時的に不可触となっているものであって、使命を突破すればすべてが彼女の手元に戻り、然るべき報奨も与えられて大団円となるのがお約束だ。
仮にこの使命に失敗するのだとしても、それはそれで構わない。
ユグドラシルは失敗を許容する世界だ。もちろん、敗北によって失われるものもなくはないが、それは<現実>で埋め合わせがつくもの……その意味するところは今の彼女にはいささか曖昧模糊としているのだが……だった、そうだったはずだ。
対して、具体が何も思い出せずにはいるが、<現実>は失敗が許されない世界だった……ように漠然と記憶している。ドロレスは、ライバルとなるプレイヤーたちの少なからぬ面々が、ユグドラシルでの冒険で失敗しないよう、敗北せぬよう慎重に振る舞い過ぎることに、常々疑問を抱いていた。ユグドラシルは失敗を許容して楽しむべく用意された世界なのに、どうして彼らは、まるでユグドラシルにおいてまで<現実>であるかのように注意深く行動するのだろう。
失敗するのが嫌だから?
敗北するのが恥ずかしいから?
もちろん、ドロレスとて使命の完遂、その達成度の極限を目指して細心の注意を払いはするが、失敗に怯えて投機的な冒険を躊躇うのは愚かなことだ。そうしたいのであれば、それは<現実>でやればいいじゃないか、ユグドラシルにはユグドラシルの流儀があって然りだ。
そして。
今の自分は女エルフ、ドロレスであるのだから。
ユグドラシルの流儀に従うに及くはなし。
「姐さん、寝坊助は置いていっちまいますぜ!」
小鬼フーライトルにそう呼びかけられてドロレスは目を覚ました。
見ればゲンたちは既に旅支度を整えてドロレスが起きるのを待っていた様子だ。
「ごめん!私、寝過ごした?」
「イヤ問題ハナイ。ドロレスガ荷ヲ運ンデクレルカラ、常ヨリモ進捗ガ早イ。
焦ラズトモ、予定ヨリモ一日前倒シデ王都ニ到着出来ルカモシレン。」
とゲンが笑いながら言う。
ドロレスは、慌てて皆が整えてまとめていた荷を所持品に仕舞い込みつつ、若干の当惑を覚えていた。
寝過ごす……なんてことが自分にあるのだろうか?
ゲンたちは疾に朝食を済ませていて、元より指輪の力でそれを必要としないドロレスは、あの美味しい干した果実を味わう機会を一回損したな、とは思いつつもそのまま皆と共に歩き始めた。
目下歩むところの荒野は、太古のリ・エスティーゼ王国の中心地であり、中原と言う場合、狭義には王都リ・エスティーゼを含むこの平野を呼んだものだった。
かつては農村、原生林、また農村、耕作に向かない岩場、また農村……が繰り返される豊かな平原であったが、件の大災厄の後は元から森に呑まれていた場所以外にも低木が繁茂して、踏破が不可能でこそないもののさりとて気楽に行き交える地勢では決してない。そういった植生の中に、極々稀に大災厄の破壊を免れた風車だの塔だのといった石造りの建造物が、ぽつり、ぽつりと遺されているのが、返って不気味さすら感じさせる光景だ。
もっとも。
それらすべてを自分のために設えられた物語の書き割り背景、程度にしか認識していないドロレスにとっては、特段興味を惹くものではない。
そんな彼女であっても、自身の索敵能力が無意識のうちに捉えた飛来する何か、を無視することは叶わなかった。明らかにそれは、ほぼ一直線に自分たちに向かって飛んで来るように思われたからだ。
これまたほとんど無意識のうちに、彼女の弓手は背にしたロングボウを掴み、右手の指先は腰の矢筒に第一射の矢を探った。
「ドウシタ?」
これに気づいたゲンが慌ててドロレスに声を掛ける。
「何か飛んで来るわ!」
やはり冒険の序盤にお約束の雑魚敵との邂逅と確信しているドロレスはそう応じるが、ゲンにこれを聞いて慌てる様子はない。
「待テ待テ、射ルナ。」
「?」
「言ッタロ?兄ハ存外腰ガ軽イ、ト。」
ドロレスに少し遅れて自身の視野に見慣れた輪郭を捉えたゲンが、やや呆れ気味の口調でそう言う。意味するところを悟ったドロレスは、あぁ、なかなか洒落た演出じゃないか、と不敵な笑みを浮かべた。
*
「お初にお目もじ仕ります。
ヴァナヘイムより参りました魔法弓手、闇の中へのドロレスで御座います、陛下。」
エルキュル王国国王にしてゲンの兄貴分、サミュエルが騎乗して来た鷲頭天馬から降りるや、その目前に駆け寄って膝を折ったドロレスは、随分と大袈裟な礼を執った。
ここまでの彼女の振る舞いと随分異なるその態度に、
(何ナンダ、コノ女……)
と背後でゲン、マイシューマツ、フーライトルは呆気に取られているが、そうであるのは彼らのみならず、礼を執られた王本人も例外ではなかった。
「何なんだ、この女?」
ゲンの脳内を覗いてでもいたかのように、王の口から同じ言葉が漏れる。
もっとも、礼を執ったドロレス本人とてごっこ遊びの延長線上で役割演技に徹したのみで、必ずしも心の底から敬意を抱いているわけではなかった。
その証拠に。
「……ん?」
顔を上げてサミュエルの姿を仰ぎ見たドロレスは、たちまちにその表情を曇らせた。
森妖精の王、と聞かされて思い描いていた姿とは随分と異なる出で立ちだ。戦斧を扱うと聞いていたので筋骨隆々としているのはともかくとして、整った端正な顔立ちながら肌色浅黒く青味がかって野獣の如き精猛さも垣間見える。
その内心を機敏に読み取ったサミュエルが、問われる前に答える。
「あー、そんな顔をしてくれるな。まぁ、事情を知らん者は大抵そうなるが、俺は大鬼を父に、森妖精を母に持った混血児でな。
それはともかく、ひとまず立ってくれ。そういう礼法は苦手なんだ。」
この物言いにしばしドロレスは訝しげな顔をしていたが、やがて何か納得したのか言われた通りに立ち上がったが、そこへすかさずサミュエルの右手が差し出された。
「成り行きでこの辺りの王をやっているサミュエルだ。サミュエル、と呼んでくれればいい。
貴女のことは、ドロレス、と呼べばいいかな?」
やはりドロレスは、その手を取ってよいものか一瞬迷う素振りを見せたが、
「ご随意になさってください、陛下。」
「サミュエル、だ。」
握手に応じつつ是と答えるや、たちまちに陛下呼びを否定された。
「……わかりました。では、サミュエル、と。」
ドロレスに微笑みが浮かぶのを見届けて、ひとまずゲンは安堵する。
と同時に、それがこの人物の美徳であることは認めつつも、それでも看過しがたい腰の軽さに苦言を呈したくもなる。
「サミュエル兄ハ、ジッ、ットシテイラレナイノカ?
コチラカラ出向クト知ラセタダロ?行キ違ッテタラドウスルツモリダッタンダ?」
「どうもこうも。」
言われた方に気にする様子はない。
「おまえが来る、というから出迎えに来たんじゃないか!」
ゲンは、こちらは六日の行程の一日しか進んでいないのに出迎えとは……と溜息を吐きつつ肩を落とした。元より、王宮なんぞに留まってはおれない性分なのは承知しているが、いくらなんでも身軽に過ぎる。
「サミュエル。」
と、ドロレスから声がかかって、呼ばれた王は、にこり、と笑みを浮かべながらそちらを向いた。
「早速、本題……に入らせていただいてもよろしいかしら?」
こちらはこちらで落ち着かん女だ、と再びゲンは溜息。
「元よりそのつもりだが、立ち話もなんだ。
さっき上空から眺めてこの先に石壁の小屋か何かの跡があったから、一旦そこで落ち着こう。」
言うが早いか、サミュエルは傍らで大人しくしゃがんでまっている鷲頭天馬の手綱を取った。慌てて小鬼マイシューマツが飛び出して来て「あっしに任せておくんなさい、旦那」と手綱を奪う。
「あー、マイシューマツ、すまんな、任せよう。
では、行こうか。」
サミュエルは、やはり言うが早いか先頭を切って歩き始めた。
フーライトルが手早く火を熾し、湯を沸かして茶を淹れて適当な岩くれに腰掛けて輪になった皆に、やはり手際よく配って歩く。
サミュエルが上空から見つけたのは大昔の厩舎か何かだったようで、屋根はすべて朽ちて落ちてはいたが、大部分の石壁は残っていて風を凌ぐには問題なかった。
「俺はこんな感じで、そうは見えないかも知れないが。」
サミュエルは、自身の森妖精らしからぬ逞しい胸板を強調しつつ言う。
「存外勉強家で、いろいろと古文書の類も読み漁ったものだが、寡聞にしてヴァナヘイム、を聞いたことがない。それは森妖精の国なのか?」
「いえ。ヴァナヘイムは、当地に似て亜人種、人間種が混ざり合って暮らす世界です。
この世界の名を承りたいのですが。」
逆に問われてサミュエルは言葉に詰まった。
彼の理解としては世界は世界。唯一無二のものに名はあるまい。
「そのヴァナヘイムからわざわざ当地を尋ね、俺を王だと知った上で伝えたいところ、とやらを承ろうか。」
サミュエルは答えようもない問いは無視して本題を促す。ドロレスの方も、特に問うたところに拘りはない様子で、居並んで耳を傾けているゲンたちに視線を走らせながらまずこう切り出した。
「お人払い……は御無用ですか?」
「どっちにしても、どうせ俺にはこいつらしか相談する相手がいないから後から話すことになる。ならばドロレスの口から直接聞いた方が話が早かろう?」
サミュエルがこう応じるであろうことはゲンたちは端からわかっていた様子で、敢えてドロレスの慇懃無礼な物言いには反応を示さなかった。
「……わかりました。
単刀直入に申しますと、私はこの国に迫る危機をお知らせすべくやってきた者、ということになります。」
「いきなり剣呑な話だな。」
ドロレスの語り出しに、サミュエルは動じる様子をまったく見せなかった。
「で……その危機、というのは?
ヴァナヘイム、なる貴女の故郷がこの国を狙っているか?」
「いえ。」
冗談めかして発せられたサミュエルの問いを、ドロレスはさらりと否定してみせた。
「ヴァナヘイムからもたらされる、という点ではサミュエルの仰る通りですが、危機は亜人、人間の類ではありません。」
「ほぅ……では、何なんだ?」
「機械仕掛けの神……私たちはアレをそう呼んでおりました。」
サミュエルは自身の顎を拳の上に載せて考え込む様子を見せる。
矢継ぎ早にドロレスは語った。
「生きとし生ける者を闇の中へ呑み込む、その名の通り機械仕掛けの化け物で御座います。
かつて、私は仲間たちと共にアレを一度打ち破りました。」
「ほぅ。」
「そして、一度はアレを支配下に収めたのですが、その力はまもなく失われるか、あるいは、既に失われてしまったと考えざるを得ない証拠があります。」
「で、今一度、貴女がそれを打ち倒して下さる、と?」
「こちらの世界へ辿り着き、奇しくも王の友であるというゲンと知己を得たのは、私にその使命が下されたゆえ、と考えています。」
「なるほど、よくわかった。」
ここに至っても、存外サミュエルは鷹揚な構えを見せた。
決して強がっているわけではない。
「では一つ、念のために尋ねたいことがある。」
「何なりと。」
自身の考えに疑念のないドロレスは、平然と構えて王の問いをまったが、その言葉にたちまちに驚かされることになった。
「その機械仕掛けの神、とやらは……大きな黒い球だったりするか?」
「……えっ?」
ここに至って初めてドロレスは、ゲンも、マイシューマツもフーライトルも、彼らからすれば途方もないはずのドロレスの話を、まったく平然と顔色一つ変えずに聞いていたことに気づいたのだった。