「その機械仕掛けの神、とやらは……大きな黒い球だったりするか?」
サミュエルにそう問われてドロレスは息を呑んだ。詰まらせた。
それは機械仕掛けの神それ自身の姿では決してないが、それが形成する彼女のギルド拠点吸入口の外見上の特徴を言い当てていたからだ。
「あ、アレは既に出現しているんですか!」
「まぁ、そういうことになるわな。」
ここに至ってもサミュエルの口調は能天気だが、ドロレスは驚きが大き過ぎてその可怪しさにはたちまちには思いが至らぬ様子。
「俺が国王即位を宣言して、二ヶ月も経たない時分だったか。
灘の一つ灯という海沿いの村から変事の知らせがあってな。」
ドロレスが口をぽかり、と開けたまま固まっているので、サミュエルの方が語り出す。
「ある日の穏やかな昼下がり、船で沖に出ていた漁夫が海から波も立てずに浮かび上がってくる大きな黒い球に出食わしたんだそうだ。そんなものは見たことも聞いたこともない漁師は、よせばいいのにもっと近寄って見てやろう、と船をその球に向けたらしい。」
瞬き一つせずに、ドロレスはサミュエルの話に耳を澄ましている。
「近づいて見れば、その表面は磨き上げられた玉のように滑らかであるように見えるのに、不思議なことに周囲を反射して映すでもなく真っ黒だ。これまたよせばいいのに、手触りを確かめたい、と考えた漁師はさらに船を近づけて球の表面に手を触れた。すると突然、辺りは真っ暗闇だ!」
「待って!待って!」
ここで遂にドロレスが叫び声をあげた。
「あー、別に焦らんでいいぞ。もう一年以上も前の話だしな。」
相変わらずサミュエルの口調は能天気だ。
「それ、おかしいわよ!」
ドロレスは唾を飛ばしながらそう叫ぶ。
「……どこが?」
素でサミュエルは首を傾げる。
ドロレスは、何を言ってやがんだこの野郎、と食ってかからんばかりの口調で噛みついた。
「吸入口は、入れるけれど出れないもの!」
「らしいな。」
「……はぃ?」
「いや、この話を伝えた漁師本人もそう言ってたらしいぞ。急に真っ暗闇になったのに驚いて逆方向に船を漕いだが、目に見えない壁に突き当たって船がまったく進まなかったそうだ。」
「いや!だからおかしいでしょ、それ!」
「……どこが?」
再び素でサミュエルは首を傾げる。
ドロレスは、さきほどまでの礼は何処へいったのか、おまえは阿呆なのか!と言わんばかりの表情だ。
「誰がその話を伝えたのよ!」
「……そりゃ、語った本人だろうよ。」
サミュエルはサミュエルの方で、おまえは何を言っているんだ、と呆れ顔。
「だ・か・ら!
一度吸入口に呑まれたら、機械仕掛けの神を倒さない限りは出られないのよ!漁師がアレを倒せるわけないでしょ!」
「そりゃそうだわな。」
「……じゃ、おかしいでしょ、それ!」
「いや、出れたから俺はこの話を聞いたんだろ?」
「じゃぁ誰が機械仕掛けの神を倒したのよ!」
「そりゃぁおまえ……」
とサミュエル。
「髑髏様だよ。」
*
(最大警戒!
監視中の大陸西沖合に異常検知、敵ギルド拠点出現。
推定レベル総計……一千、脅威度極大!)
「あー、ニグレド。いつもご苦労さん。
攻性防壁に注意しつつ、叶うものなら映像を玉座の間へ。
主だった階層守護者は全員集合だ。」
(承知いたしました。)
ナザリック地下大墳墓第十階層玉座の間。
至高の主アインズ・ウール・ゴウンの指示を受け、ナザリックの目ニグレドが発した招集命令を受け取った階層守護者たちが集まってきた時分には、既に<遠隔視の鏡>が運び込まれてアインズ所望の映像が映し出されていた。
凪いだ沖合の海上に、大きな球の上半分のような真っ黒の穹窿状の姿がある。
「こいつは驚いた。吸入口だ。」
文字面とは異なり、大魔王アインズ・ウール・ゴウンは、平板な、むしろ呆れた口調でまずそう言った。
が、ユグドラシル時代のアインズ、すなわち非公式ラスボスと呼ばれたモモンガ、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンを知っている者が<百年の揺り返し>で現れることはこれまでにも数多繰り返されてはきたものの、逆にアインズがユグドラシル時代から見知っていた何かが現れたことは、ナザリック云千年の歴史上でも指折り数えるほどしかない珍事であるのは事実だ。
誰も決して逐一憶えてはいないのだが。
「アインズ様はアレをご存知で?」
アインズの愛妃にして守護者統括、女淫魔アルベドが問う。
「直接に見たことはない……はずだけどな。」
問われず語りにアインズは、集った皆に映し出されるそれが何であるかを語った。
ユグドラシルにおいてギルドを結成するには何はさておきギルド拠点を入手する必要があるが、その主な方法の一つにギルド獲得イベントを征する、というものがあった。他ならぬナザリック地下大墳墓も、元は多くの強者の攻略を退けた地下墳墓ナザリックをモモンガたちが陥落させて手中に収めたものだ。その後の課金に次ぐ課金で今日のナザリック地下大墳墓は、元のそれとは似て非なるものと化した。
そしてナザリックやアースガルズの天空城のように、その制覇戦が多くのプレイヤーの間で語り草になったものがいくつか知られているが、只今<遠隔視の鏡>が映し出すところの吸入口も、そうしたものの一つだった。
「まぁ、言っちゃなんだがナザリックなんかと比べれば幾段格は劣る。
アレが存外よく知られるようになったのは、第一にはアレが出現したのが人間種、亜人種中心の初心者向け世界ヴァナヘイムで無闇に犠牲者が多かったからだが、それ以上に多くのプレイヤーの印象に残ったのは、特殊な仕掛けを有していたからだ。」
物語としてのそれは、ヴァナヘイムに突如現れ人々を次々呑み込む黒い球の謎を解け、という存外ベタなもので、実際戦役脚本中のヴァナヘイムは吸入口から逃げ惑う演出NPCとソロプレイヤーで恐慌映画さながらの様相だった。
吸入口の仕掛けは、何処からでも容易に内部侵入が叶う一方で、一旦入ってしまうと中央に鎮座するレイドボスを倒さない限り出られない、というものだ。
これだけならばそういう罠はありだろう、という話になるが、これが語り草になったのは、その内部においてもプレイヤーの移動が中心へと向かう一方通行に制約されたからで、円周方向への移動こそ可能であるものの、レイドボスへ迫るに従ってその自由度がどんどん下がっていく、という悪辣なものだった。内部には一定時間毎にレイドボスから吐き出される眷属も潜んでいるので、攻略が進めば進むほど混乱度は増し、しかも中途退場は敗死以外にはない。
「実は、オレたちアインズ・ウール・ゴウンでアレを落としてやろうか、という話はあったんだ。」
「「なんと!」」
さらり、とそう言うアインズに下僕たちは揃って驚きの声をあげた。
別にそんなに驚く話でもないだろう、とアインズは続ける。
「さっきも言ったようにヴァナヘイムに出現したレイドボスだからな。主要な攻撃手段は生者に対する即死攻撃で、異形種中心のオレたちには大した脅威じゃない。やたらとあるHPは問題ではあるが、その時点で既にオレは蝕を究めてたから、戦術さえ間違えなければ一撃必殺さ。」
が、実際にはそれは着手されなかった。
そもそも吸入口は、レイドボスが形成するこの黒い球が攻略成功の後はその仕掛けを残したままにギルド拠点と化すことが予想されていて、であるがゆえに身の程知らずの多数の挑戦者を惹きつけた側面があるのだが、当時のモモンガたちには既にナザリック地下大墳墓があったのでその点における動機は乏しく、むしろ初心者の拠点獲得の機会を奪った、と逆恨みされる可能性が高かった。
それ以上にモモンガ個人にとってみれば、これがヴァナヘイムに限らずユグドラシル全域で話題になったがために俄に即死対策が流行って迷惑していたのに、そこに言わずと知れた即死魔法の使い手、超有名人の非公式ラスボスことモモンガが乗り込んでこれを制すればその傾向に拍車をかけるのは明白で、なんでオレが一文の得にもならないどころか不利益ばかり被る即死対策促進運動の旗手を務めにゃならんのだ!という思いがあった、という事情もある。
そうこうするうちに遂に吸入口が制覇された、という噂が聞こえてきてこの話は沙汰止みとなった。
「それはいささか厄介で御座いますなぁ。」
と呟いたのは、御曹司パンドラズ・アクターである。
「流石はパンドラ、そこに気づいたか。」
アインズのその言葉に、ポッ、とパンドラズ・アクターの頬が赤く染まる。
含意を語ったのはアインズではなく、狡知の参謀デミウルゴスだ。
「至高の方々がアインズ様の<あらゆる生ある者の目指すところは死である>を当てにされたのは、偏にユグドラシルにおいては同士討ちが無効であったがゆえ……ということで御座いますな、アインズ様。」
「そういうことだ、デミウルゴス。
中心に居座るレイドボスが実際にどんな奴なのかまでは知らんから、必殺技には<嘆きの妖精の絶叫>を使わざるをえん。」
「よもや、とは存じますが……」
「あー、皆まで言うなアルベド!
流石にオレもアレに単騎で飛び込むほど向こう見ずじゃないさ。」
たちまちに強い疑念の籠もった声でアルベドに問い掛けられたアインズは、大慌てで愛妃のそれを振り払った。
三賢者が口を揃えて言うように、後退離脱が叶わない吸入口に前衛を伴ったアインズが侵入すれば、必殺技の使用に巻き込まれて前衛は死んでしまうことになる。これは決してアインズが採用する戦術にはならない。
一方で、放置するわけにもいくまいな、とアインズは考えている。極めてゆっくりに、ではあるが、吸入口が陸地に向かって移動していることがニグレドによって確認済みであったからだ。
「あれを攻略したのは確か十七人組のクランで、レベルダウンを食らっての再出撃を繰り返して三度目の挑戦でレイドボスを打ち破り、その快挙をギルド名闇の中へに謳った連中だったはずだが、ギルド拠点となって以降の吸入口が可動式ギルドだった、という話は聞いた憶えがない。ということは、維持資金が尽きてギルド忠誠の縛りから解き放たれ、元のレイドボスに戻ったからこそ動いているんだろう。」
それは、吸入口が無分別な破壊をこの世界にもたらすことを意味している。
「あちきがお供をすればよろしいのではありんせんか?」
と意外なことを言い出したのは、鮮血の戦乙女シャルティア・ブラッドフォールンである。
「……なんで?」
と、その意が解せぬアインズ。
「忝なくもあちきは、創造主ペロロンチーノ様より復活アイテムを下賜されてありんせば、アインズ様の前衛を務めつつ必殺技に耐えることができるのでありんす!」
あぁ、その手があったか、とポンとアインズは骨の手を打つも、たちまちにブンブンと骨の頭を左右に振った。
「いやいやいや!
たかが暴走したレイドボスに、シャルティアとペロロンチーノさんの絆の逸品を浪費するなどありえんことだ!」
そんな、もったいない!とアインズは色めき立つも、これを自身の創造主を偲ぶ心情を慮ったものだ、と受け取ったシャルティアは感極まった様子で、
「あちきごときの気持ちにご配慮くださるとは……アインズ様ァーーー!」
目を瞑ってアインズの胸元へ飛び込もうと試みるも、
ズカッ!
「むぎゅぅ!」
目を閉じたことが仇となり、迎撃した守護者統括アルベドの極道蹴りを愛らしい顔面にまともに喰らいそのまま床に落ちた。
「あーぁ。」
その様子に、他人事のようにただ呆れた息を漏らすアインズ。
だが、次の瞬間。
「いや……それが正解か!」
ひらめきを得たアインズの、未だ物理的に何処に存在するのか定かでない頭脳に、必勝の連立方程式が組み上がっていく。
件の漁師が不用意に吸入口に触れて呑み込まれ、内部外縁で文字通り右往左往していた丁度その頃、巨大な黒い球の上空に<転移門>が開かれた。
まず、シャルティアの可愛らしい顔だけが出てきて左右をきょろきょろ。
飛び出すな、シャルティアは急に止まれない、といったところか。
安全確認を済ませたものか、真紅の全身鎧姿で吸血槍を携えた、いわゆる完全装備の彼女がその姿を現す。
続いて現れたのは既に蛙頭に変じて翼を開いた参謀デミウルゴス。そのすぐ後ろから、我らが大魔王アインズ・ウール・ゴウンが出現して<転移門>は閉じられた。
アインズが骨の片手を振り上げて合図を送ると、常の如く事前打ち合わせで作戦を入念に確認済みのデミウルゴスはたちまちにその意を察する。
「<次元封鎖>!」
既に御する者を失ったギルド拠点殲滅戦のお約束だ。
吸入口の残存NPCによもや転移能を有するものがいる、とは考えられてはいないが、念には念を入れるのは、云千年を通じて変わらぬナザリックの戦術原則である。
続いて!
「<死せる勇者の魂>!」
シャルティアの誇る切り札技能が発動された。
彼女は自身とほぼ同等の戦闘能力を有する化身を召喚することが出来る。この化身もまた死せる勇者の魂と呼ばれるが、シャルティアのような自我は持たずただ命じられたままに動く召喚魔物扱いだ。臨機応変の対応を欠くのが欠点だが、アインズからすればその点はシャルティア本人であってもさして変わらない。
「あちきに代わってアインズ様の御前に立ち、前衛を務めるのでありんす!」
とシャルティアが命じれば、真っ白に光り輝く以外は召喚主と見た目そっくりの化身はゆっくりと頷き、黙ってアインズの目前に位置を取った。
「「ご武運をお祈り申し上げるのでありんす。」」
デミウルゴスとシャルティアが、一礼を捧げながら声を揃えてそう言ったのが合図となって、アインズはシャルティアの化身を先頭に吸入口の外壁へとそのまま突き進んだ。
何の抵抗もなく内部への侵入が叶うが、たちまちに辺りは真っ暗闇。ギルド拠点となる便宜だろうか、ここまで洋上を飛翔していたのに水平面が床となって接地できるようになり、同時に、背中が壁に接している感触を覚える。
体験するのはもちろん初めてだが……なるほど、こういう感じなのか。
試みに一歩前進してみると、前に進むのにはやはり何の抵抗もないのに、変わらず背中に壁に接している感触がある。後ろから押されてこそいないものの、どんどん内へ内へと押しやられるような錯覚があって、なるほど初心者向け世界の住人であれば、これだけで恐慌に陥って自身の能力の半分も発揮できずに散っていった連中もあったろうな、と感嘆。
いやいや、物思いに耽ってる場合じゃねーや!
「<暗黒儀式習熟>、<上位不死者創造>!」
アインズもまた、技能を発動させる。
本来日に四体までの<上位不死者創造>を重ねがけして、レベル九十の最上位不死者を作成するものだ。
「出でよ……具現化した死の神!」
シャルティアが自分自身の化身、死せる勇者の魂を召喚してアインズに従わせたのと同様に、アインズもまた、死の戦鎌を装備し近接戦闘寄りであることを除けば、ほぼ自身と同等の戦闘能力を有する己の分身を左右に召喚した。
必殺技の巻き添えになる覚悟で前衛に志願したシャルティアの発言が、この戦術の着想の起点であったことは言うまでもない。
「オレの左右、後背を守る壁となれ!」
左右二体の死神の黙礼。
既にこの時点で、周囲から怪しい気配が随分と近づいてきているのをアインズは感じているが、この陣容にそんなものは最早問題ではない。
「いざ!」
死せる勇者の魂を前衛に、二体の具現化した死の神を後衛に、アインズはゆっくりと、でありながら確実な蹂躙を開始する。
迫りくる敵方魔物はその大半が人間ほどの背丈のイソギンチャクのような姿をした多触体、レベルは三十前後で、これは吸入口の自然湧き怪物、中央に鎮座するレイドボスの眷属であるらしい。その容姿に、前衛に立つ死せる勇者の魂は見るからに嫌そうに顔を顰めているのだが、その背を見ているアインズはそれに気づかない。
これに時折何の脈絡もなく人型の魔物、レベル五十前後が混じるが、どうやらこちらは吸入口を拠点としたギルド闇の中へが残した拠点防衛NPCの成れの果てであるようだ。
内向き一方通行の制約を受ける侵入者に対し、迎撃側はそういった制約を受けないようで、必然的にアインズの周囲は、アッというまに対流のような魔物の流れに呑み込まれた。それでも、シャルティアに由来する死せる勇者の魂の突破火力は凄まじいもので、徐々に、アインズ一行を吸入口の中央、レイドボスが待ち受ける往時の玉座の間へと導いていく。
同様の戦術は、もちろんユグドラシル時代に数多あった攻略者たちも取り得たものだが、必ずしも採用はされなかった。なぜなら、彼らの目的は中心部に達すること、ではなく、あくまでもそこで待ち受けるレイドボスを倒すことだったからだ。
レイドボスのHPは馬鹿げたもので、百レベルプレイヤーといえども一人や二人では継戦能力で押し負けてしまう。なので、迎撃側の戦力を分散させるべく全方位から複数人で同時侵入して中央で合流、その総火力で押し切るのが多くの場合選択された戦略だ。が、これは合流の時宜が重要で、これがうまく揃わないと、中央部に辿り着いた者から順にレイドボスに各個撃破されてしまう。
対してアインズには、単騎でレイドボスを確実に葬る手段があるがゆえに、いささか趣に欠けることを承知の上で、力技の強行突破に訴えたものだ。
ユグドラシル時代にギルド、アインズ・ウール・ゴウンで検討された攻略案も、アインズ、すなわちモモンガを取り囲むのがたっち・みー、武人建御雷といったギルドの誇る近接戦闘火力であったことを除けば、同様の発想に基づいていた。つまりモモンガ自身は決死隊によって送り届けられる爆発物のような役割を期待されていたことになるが、その芸のなさも当時のモモンガにこの話にのることを躊躇わせた理由の一つではあった。
只今のアインズは、丁度要人警護に守られながら群衆を掻き分けて進む最重要人物のような具合でじりじりと前進していた。ぶっちゃけ、中にいるアインズはいささか退屈だ。
はて、ギルド闇の中へとやらの連中は、どうやってこれを攻略したんだろう。全員揃ったかどうかはともかく、レイドボスを打ち倒すのに十分な火力が同時に中央部に踏み込めるよう、よほどうまく調整をやってのけたんだろうか。あるいは、うまく合流できればラッキー、駄目なら各個撃破覚悟の上で課金復活前提でこれを繰り返したんだろうか……などと考えてみる。
もうほとんど仔細を思い出せないが、結果的にアインズが新たに立った王を守り抜いた体になった、とデミウルゴスに嗤われた対暗殺者戦は、馬々鹿々しいまでに楽勝だった印象だけが残っている。あの阿呆も闇の中への一員だったろうから、他の連中も同じ感じなんだとしたら、存外快哉に迎えられたあの攻略成功が偶然の賜物だった、という可能性もあるのかも知れない。
そんなことを考えながら漫然と進んでいると、それまでただ暗闇の中から次々と多触体だの獣人だのが襲い掛かってきていたのが、進行方向、すなわち球の中心のやや斜め上の視線に光点が一つ現れた。
進むにつれてその輪郭が明らかになっていく。それはまるで素描の狂った飾り電灯か、無分別な増改築を繰り返した聖堂風琴のお化けのよう。そしてアインズの索敵能力は、明らかにその方向からとてつもない桁のHPを感じ取っていた。
「……念のために試してみるか。
<魔法位階上昇>、<魔法抵抗難度強化>っと。」
ここまですべての戦闘を化身たちに任せていたアインズが、初めて自ら魔法を行使する。
「<魔法の矢>!」
それはアインズの総MP量からすれば消費にも当たらない微々たる一矢ではあったが、それでも必要最小限に強化されたそれは、自ら発光して中空に浮かぶ何かを捉え直撃した。アインズのMP同様に、やはり被害と呼ぶには余りに小さい、それでも確実な変動を先程来感じるHPの塊から覚え、アインズはそれこそがレイドボスであることを確信した。
目測距離は五十メートルほど。
もう十分だ、あの態からして十二秒以内に範囲外に逃げ出す、なんてこともよもやないだろう!
「<あらゆる生ある者の目指すところは死である>!
<嘆きの妖精の絶叫>!」
ゴーーーン!
いつものようにアインズの後背に機械仕掛けの時計が現れ、どこからともなく物悲しい鐘の音が響く。
ゴーーーン!
二回目の鐘に呼応するかのように、レイドボスから鍵盤に腕を押し乗せたかのような巨大な不協和音が放たれる。即死攻撃の類のようだが、アインズたちには効果がない。
ゴーーーン!
アインズは第二波攻撃に備えて所持品から一振りの打杖を取り出した。超強力即死魔法詠唱直後の再充填待ちのアインズにはこれしか手がない。
ゴーーーン!
予測通り、レイドボスが音もなく放った無数の光弾が飛来する。大量の魔物に取り囲まれたアインズたちに回避する余裕はまったくない。
ゴーーーン!
「おまえらは前面を全力防御!後背はオレ独りで何とかする!」
前面から飛来する光弾を化身たちに任せ、アインズはレイドボスに背を向ける。後退を阻む力のために、寝返りを打ったかのような錯覚がある。
ゴーーーン!
「満願成就まで堪えろ!」
ゴーーーン!
自らをも励ますようにそう叫びながら力強くアインズは杖を振るい、たちまちに目の前の多触体複数を粉微塵に粉砕したが、生じた隙から同じく複数体からの攻撃を受け、僅かながらも被害を覚えた。
曲がりなりにもレイドボス戦だ、完封はあるまいよ!
ゴーーーン!
アインズの背を守る化身たちがレイドボスが放つ光弾にかなり痛めつけられているのを感じ、アインズの心も痛む。が、一発たりともアインズの背を襲ったそれはない。
ゴーーーン!
再び振るわれたアインズの杖が元は闇の中への下僕であったろう魔将の顔面をまともに襲い、ぐちゃぐちゃに叩き潰す。許せよ、あと少しですべてが終わる。
ゴーーーン!
遂にアインズの左後方にあった具現化した死の神が立て続けの光弾直撃を受けて爆散する。よくやった、おまえの消滅は決して無駄にはしない。
ゴーーーン!
死せる勇者の魂が右翼の具現化した死の神の穴を埋めるべく、大きく左右に腕を開いてなおも飛来する光弾多数を我が身で受け止め、アインズの背を守る。ありがとう、おまえに受けた恩の分はちゃんとシャルティアを可愛がって返してやるからな。
ゴーーーン……カチリッ!
「……終わりだ!」
アインズ以外の周囲のすべてが光の粒となって砕け散り、天へと向かって舞い上がった。
これを仰ぎ見つつ、アインズは両の手を左右斜め上へと振り上げて呟く。
「よくやった……また呼んでやるから、しばらくゆっくり休んでくれ。」
光の粒の霧散と共に真っ黒な穹窿も消えてなくなり、気が付けばアインズは蒼天下の海原の上に浮遊していた。
「お見事で御座います、アインズ様!」
たちまちに佇む主の姿を見つけた蛙頭の悪魔が、歓喜の声色で叫びながら飛来する。
本当、おまえはいつも楽しそうでうらやましいよ。
「吸入口に囚われておったと思しき現地人漁師が慌てて北東の方へ船を走らせておるようで御座いますが。」
と、デミウルゴス。
「始末いたしますか?」
なんでやねん!
「よせよせ、益体もない!
それよりも、だ。シャルティア!」
アインズはデミウルゴスの物騒な物言いを軽くいなして、遅れて合流してきた鮮血の戦乙女に声をかける。
「死せる勇者の魂はよくやってくれた。
改めてシャルティアにも礼を言っておこう。」
「恐れ入るのでありんす、アインズ様ァ!」
たちまちに抱き着いてきたシャルティアを、アインズは優しく受け止めて頭を撫でてやる。
もしアルベドがここに居たら、また極道蹴りだな。
「<嘆きの妖精の絶叫>の効果域外にも、いくらかレイドボス眷属やギルドNPCの残党はあったはずだ。放置してまた何か騒ぎを起こされるのも面倒だから……一緒に狩るか?」
にこり、とシャルティアが愛らしい笑みを浮かべ、
「喜んでお供するのでありんす!」
と応じて、二人は掃討作戦に着手した。
*
「右往左往するうちに突然闇が晴れて、漁師たちは洋上を飛ぶ人影に気づいた。それは黒衣を纏った骸骨で、漁師たちは大慌てで逃げ帰り、何人かを経てこの話が俺にまで届いたが、あぁ、髑髏様が何とかしてくださったようだ、ありがたや、ありがたや……となったわけだ。」
サミュエルはそう話を締めくくった。
聞かされたドロレスは目を白黒させるばかりだ。
「……何、なのよ。
その髑髏様……というのは?」
「あぁ、ドロレスは知らんか?
俺もゲンもここから東の方にあるトブの大森林の生まれなんだが、森には何千年も前から俺たちを見守ってくださる変わり者の不死者があって、髑髏様と呼ばれている。」
「……はぁ?」
「まぁ、ドロレスが俄に信じられないのも無理はない。俺自身、つい最近までは御伽噺だと思っていた。が、五十年ほど前の話になるが、ゲンは実際に髑髏様と会って言葉を交わしている。髑髏様はゲンの遠いご先祖様とは友人だったそうだ、凄いだろ!」
そう言われてドロレスの視線がゲンに向かうが、点になった瞳で見つめられたゲンは、どう思ったものか慌てて諸手を振った。別に自慢するような話じゃない、の意であろうか。
「そういうわけだから、ドロレスが遥かヴァナヘイムから俺たちに危機を報せるべく馳せ参じてくれたことには深い感謝を捧げるが、その危機自体は既に解決済みだから心配は要らん。手間をかけて……」
軽い口調で「悪かったな」と締めくくろうとしたサミュエルの言葉は中途で途切れた。
さきほどまで岩くれに腰掛けていたドロレスの身体から急に力が抜けて、膝をついて地面に崩れ落ちたからだ。
「おい、どうした!大丈夫か?」
サミュエル、ゲン、マイシューマツ、フーライトルは慌てて腰を浮かせてドロレスを囲んだが、たちまちには誰も何もすることができなかった。
彼らに取り囲まれたドロレスが、嗚咽をあげながら大粒の涙を落して泣いていたから、である。