億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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不穏な幕開けから物語は始まる。


2.松脂谷(キエンタール)の惨劇

 夜半のただならぬ物音に、シーアンは目を覚ました。

 

 シーアンは、大陸東部の生き残り村の一角、塵の滝(シュタウプバッハ)に三隊ある郷士(ランツクネヒト)第三大隊(ドリッテスバタイヨン)予備役(リゼルヴェ)である。

 只今は対立する融水谷(ツィラータール)のそれに倣った兵制により、郷士(ランツクネヒト)一大隊は伍隊(トルップ)二十五組、計百二十五名の矛槍(ハルバード)装備の軽装歩兵からなる。各伍隊(トルップ)にはこれを束ねる伍長(ウンターオフィツァ)があってシーアンはその職責にあったが、(よわい)二十八を迎えてさらなる上席に推されることがなかったため予備役(よびえき)除隊となり、只今は塵の滝(シュタウプバッハ)の領域内でも北端となる開拓村、松脂谷(キエンタール)に暮らしていた。

 

 今なお村の西側から続く喧騒に、シーアンは無意識のうちに暗闇を探り、予備役(リゼルヴェ)の身分を示す徽章を兼ねる小剣(ショートソード)を手繰り寄せ腰に佩いて小屋を出た。

 

「……火事?」

 

 松脂谷(キエンタール)はその名の通り、針葉樹に覆われた谷の奥まったところにあって、ここから北西へ流れ出す河川はかつての古都アーウィンタールを潤す水源の一つでもあったが、シーアンから見てその川の流れ出す先、谷の出口の方角に火の手が上がっていて、そこから村人の悲鳴、怒号が聞こえてくる。

 

 妙だ。

 

 と、シーアンは思う。

 単なる失火にしては火の勢いが強過ぎる。

 

 とまれ、予備役(リゼルヴェ)である自身はこういったときに村人たちから当てにされている存在であることを承知するシーアンは、炎の方向に向かって駆け出し、直後、思わぬ風切音に驚いて身を(かが)めた。

 果たせるかな、ザクッ、と何かが自分のすぐ横の地面に刺さる音がして、微かな星明かりを頼りに目を凝らせば、一本の矢がそこに突き立っている。

 

「あそこに一人居るぞ!」

「体格からして兵だ、()て!」

 

 炎を背に浮かび上がる輪郭(シルエット)からそんな怒声が発せられ、シーアンは彼らから狙われているのが自身であることを悟った。

 

 夜襲?火攻め?

 そんな馬鹿な、とシーアンは憤った。

 

 塵の滝(シュタウプバッハ)融水谷(ツィラータール)の対立はシーアンが生まれるよりも前から始まっていて、飽きることもなく小競り合いを繰り返してきたものだが、あくまでもそれは専業(プロ)である郷士(ランツクネヒト)同士が野戦で相見(あいまみ)え、その押し合いで時々の互いの言い分の妥結点を探るものだったはずで、非戦闘員が暮らす集落を、ましてや夜襲するなど聞いたことがない。

 ともかく一旦難を逃れ立て直しを図らないことには、このまま単騎で総勢如何程(いかほど)かもわからない敵陣に斬り込んでも無益、と判じたシーアンは、身を屈めながら松林に逃げ込もうと遮二無二駆けた。繰り返し耳障りな風切音がして、明らかに自分は狙い撃ちにされているようだ。

 間もなく松林に身を隠せるか、というときになって、シーアンは肩口に熱い痛みを覚えた。どうやら一矢喰らったらしい。が、郷士(ランツクネヒト)として鍛えられた肉体はその程度では足止めされることはなかった。精神力だけで疾走を維持し、林に駆け込んだ(のち)は無我夢中に道なき斜面を這いつくばるように登った。

 

 どのくらい逃げてきたものだろうか。背後から追ってくる気配がないことを確認したシーアンは、傍らの松の木に寄り掛かるようにして一息つく。恐る恐る肩を探れば、思った通り一本の矢が突き立っている。シーアンは歯を食いしばりながら、腹立ち紛れに矢を引き抜いた。

 

 ……悪手だったか!

 

 矢は容易に抜けたが、相変わらずの暗闇ではっきりとはわからないものの、明らかに傷口から大量に出血している感がある。駆けるに支障なかったので傷は浅い、と半ば希望的観測から思い込んでいたものだが、どうやら矢は存外太い血管に達していたようで、たちまちに目眩と寒気が押し寄せてきてシーアンはそのままへにゃへにゃと松に身を預けたままへたり込んだ。

 

 何ということだろうか、こんな形で命を落とすことになろうとは……。

 

 朦朧とする意識の中で、シーアンは村を襲った何者か、それ以上に己の運命を呪った。

 

「そのままでは死ぬな。」

 

 唐突にそう話しかけられて、シーアンは最初、死の間際に幻聴を聞いているものだと思った。実際、何者かが自身が逃げ登って来た斜面を追って来た気配は皆無だ。

 

「逍遥と死を受け入れるのか?」

 

と、闇の中から聴こえる声が問う。

 

 そんなはずはないだろう!

 こんな死に方は不本意極まりないし、叶うものであれば、短い期間ではあったが寝食を共にした松脂谷(キエンタール)の村人たちの(かたき)は、戦士として取ってやりたい!

 

「おまえには選択肢がある。

 安らかな死を迎えるか、私の眷属として安らかならざる不死(アンデッド)の歩みを始めるか。」

 

 何を躊躇う必要などあろうか。

 この鬱屈たる思いを晴らす機会が得られるのであれば、悪魔にでも魂を売ろう。

 

「……不死(アンデッド)の、歩みを!」

 

 シーアンが最後の力を振り絞ってそう呟くと樹上から黒衣の何者かが降り立ち、羽織った外套(マント)でシーアンを覆い隠した。

 

 

                    *

 

 

「ん!……あぁ、エントマかね?

 いや、構わない。続けてくれたまえ。

 ……あぁ、落ち着いて。順を追って話してくれればそれでいい。考えるのは私の仕事だからね!」

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層(ロイヤルスィート)執務室。

 黙って入室してきて挨拶もせずに寝座椅子(ソファー)にふんぞり返り、何やらたくさんの書面に目を通しながら不敵な笑みを口元に浮かべていたデミウルゴスが、戦闘メイド(プレアデス)エントマ・ヴァシリッサ・ゼータからの<伝言(メッセージ)>を受けながら書付(メモ)を取り始めたのを視界の片隅に認めて、執務机にあった守護者統括アルベドは、はぁーーー、と溜息をついた。

 

 またぞろ何か……碌でもないことを企んでいるわね、と。

 

 ちなみにこのとき彼らの至高の主、大魔王アインズ・ウール・ゴウンは、当代のマーレ、アウラ兄妹とシャルティアを伴って、アゼルリシア山脈で在地の魔物(モンスター)狩りに興じていた。

 

 蜘蛛人(アラクノイド)であるエントマは、種族の相性よろしく、この世界を隈無く監視する恐怖公眷属(ゴキブリ)情報網(ネットワーク)と直接の精神感応(リンク)を有していて、しばしばこのようにそれが捉えた有象無象を報告してくることがある。

 一方で、彼女自身は見聞きしたこちらの世界の出来事に対し本質的に何の興味も関心もないので、その報告は得てして脈絡のないものになりがちだ。正直なところアルベドは、エントマを愛らしくは思えども、そのいつ終わるともわからない話の聞き役に回るのは御免被りたい、と考えていなくもない。

 対してデミウルゴスは、ナザリックの仲間であっても他人の情報分析力、要約力を(はな)からまったく当てにしておらず、(なま)の情報に自ら触れ解釈することを好むので、エントマとは相性が良かった。

 もっとも、頼もしい同僚として全幅の信頼を寄せつつも、状況の分析とそこへの介入、操作の(あいだ)の境界線が極めて曖昧……というか、そもそもそういうものがないように見えるデミウルゴスをよく知るアルベドとしては、エントマの話を楽しそうに聞いているデミウルゴス、という絵柄そのものに不安を煽られる。

 

 (わたくし)……愛する余りアインズに毒されているのかしら?

 あらやだ、(わたくし)ったら。アインズ、だなんて!

 

 などと妄想に耽りながらアルベドが頬を赤く染めていると、無闇に長かったエントマの話が終わったものか、

 

「これは面白くなってきました!」

 

と、上機嫌に立ち上がったデミウルゴスが、すたすた、と執務室から出て行こうとする。

 

「ちょっと、デミウルゴス!」

 

と、呼び止めるアルベド。

 

「ん?」

 

 意外だ、と言わんばかりの表情を浮かべながら、立ち止まったデミウルゴスがアルベドを振り返る。その視線を受けて、敢えてアルベドは杓子定規にこう言った。

 

「守護者統括たる(わたくし)に、何か報告することはないのかしら?」

 

 だが、問われたデミウルゴスは、

 

貴女(あなた)に面白い話ではないですよ。」

 

と、事も無げに片手を挙げて会釈し立ち去ろうとする。

 再びこれを呼び止めるアルベド。

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

「……なんだね、アルベド?

 私にもいろいろと予定があるのだがね。」

 

 アルベドとて、デミウルゴスの言っていることが必ずしも嘘だ、とは思ってはいない。

 おそらく彼の言う通り、それは彼女にとっては面白くも何ともない話ではあるのだろう。

 

 が。

 

 ()えあるナザリック地下大墳墓、ひいては至高の主アインズ・ウール・ゴウンへの貢献度を競う好敵手(ライバル)として、この狡知の悪魔が何を面白がっているのか、には頗る興味が掻き立てられる。

 

「エントマからの報告を共有してもらえるかしら?」

 

「……(あと)になって、面白くないだの何だのと文句を言わないでくれたまえよ。」

 

 そう応じながらデミウルゴスは寝座椅子(ソファー)へ戻り、手招いてアルベドに着座を勧める。アルベドも素直にこれに従って、三人掛けのそれに(あいだ)を置いて腰掛けた。

 

「ここ数十年小競り合いを続けていた大陸東部の両雄、融水谷(ツィラータール)塵の滝(シュタウプバッハ)(いくさ)に動きがあった。」

 

と、前置き無しに語り始めるデミウルゴス。

 この時点で、なんだ下等生物の話か、と関心の半分を失いつつなくもないアルベド。

 

「一ヶ月ほど前から、只今の融水谷(ツィラータール)総統(フューラー)自ら率いる二個大隊が、塵の滝(シュタウプバッハ)への入り口に当たる双頭の竜(ツヴァイドラッハ)なる村の前に野戦陣地を構築し、迎え撃つ守り手(がわ)と睨み合っていたのだがね。」

 

 大枠についてはアルベドも、さして興味こそないが折に触れてデミウルゴスがこれを楽しげに語るので承知はしている。

 人間種に少数の亜人種を加えた共和制集落、融水谷(ツィラータール)塵の滝(シュタウプバッハ)は、大陸の覇を競う、というほどではないが、長きに渡ってときに相手の非を鳴らし、ときに傍目にはどうでもいいようなつまらない要求を通すために互いの軍勢、彼ら自身が郷士(ランツクネヒト)と呼ぶ集団同士をぶつけ合ってきた。そのこと自体が、その存立基盤に民衆の支持を要する総統(フューラー)の地位を安定させ、ひいては双方の原始共産制社会を一枚岩として機能させるのに一役(ひとやく)買っていることも、正しくアルベドは理解している。

 

 正直なところ、彼女にとってはどうでもいい話、ではあるのだが。

 

「そして、ついに融水谷(ツィラータール)の阿呆どもが越えるべからざる一線を越えた。これまで、(いくさ)専業(プロ)同士の野戦対決に限る、と不文律されていたものを無視して、無防備の松脂谷(キエンタール)なる小村(しょうそん)を焼き討ちにしたのだよ!」

 

 無闇に楽しそうにそう言うデミウルゴスに対し、アルベドは既に、それがどうした?と言わんばかりの呆れ顔だ。素早くこれを見抜いたデミウルゴスは、

 

「だから貴女(あなた)には面白い話ではない、と言ったろう?」

 

などと嘯いてみせるも、対するアルベドは、デミウルゴスがただそれだけを以て、面白くなってきた!などと喜色を浮かべるような単純な悪魔ではないことも、これまた先刻承知だ。

 

「……続けなさい。」

 

と、話の続きを促せば、デミウルゴスは「流石、我らが守護者統括殿(どの)は抜け目がない!」と益々上機嫌。

 そして、こんなことを言い始める。

 

「面白いのはここからなのだよ。

 件の焼き討ちから三日も経ずして、融水谷(ツィラータール)政変(クーデター)があった。」

 

政変(クーデター)?攻められた塵の滝(シュタウプバッハ)の方にではなくて?」

 

 さしものアルベドも、予想していなかった話の流れにそう問い返す。

 

「おや、興味を持ってくれたようだね?

 どうやってか逸早(いちはや)く焼き討ちの事実を掴んだ融水谷(ツィラータール)に残る第二軍団の軍団長(ケントゥリオ)が、攻め手の陣頭指揮を執っていた総統(フューラー)の罷免追放を発議したのだよ。

 誠に以て遺憾の極みながら我らが主戦論者の総統(フューラー)は犯すべからざる(つみ)を犯し、塵の滝(シュタウプバッハ)の敵であるのみならず我ら人類すべての敵となった、とね。これは熱烈な歓呼を以て迎えられ、発議者はそのまま後任の総統(フューラー)に推戴されたのさ!」

 

 だが、アルベドはこれを、ふんっ、と鼻を鳴らして(わら)った。

 

「茶番だわ。見え透いた遠交近攻(えんこうきんこう)の計ではなくて?」

 

 アルベドの言わんとするところは、そもそもの焼き討ちを企図したのが新しい総統(フューラー)であり、政敵となる先任者を追い落とすとともに、塵の滝(シュタウプバッハ)との(あいだ)に共通の敵を設定することで関係改善を狙った一石二鳥の謀略ではないのか、というものだ。

 

「さて。そこまでの確証は私もまだ得ていないが、アルベドの推察は当たらずとも遠からず、と認めるに吝かではないね。」

 

「よもや、とは思うけれども……」

 

 訝しげな表情を浮かべてそう問うアルベドの意を察してか、デミウルゴスはたちまちにこれを否定する。

 

「まさか!

 どうして私が下等生物の政争に入れ知恵などすることがあるだろうか。」

 

 大袈裟に振り上げられたデミウルゴスの諸手に、なおも冷めた眼差しを注ぐアルベド。

 心当たりは大アリよ!と言ったところか。

 その矛先()らし、というわけでもあるまいが、デミウルゴスはこんなことを言い始める。

 

「それに……この政権奪取を為した(もの)は、我らナザリックとも浅からぬ因縁がある。」

 

「ん?」

 

 たちまちにアルベドの関心がそちらへ惹きつけられたのを認めて、デミウルゴスは畳み掛けるかのように続けた。

 

貴女(あなた)は憶えてなどはいまいと思うがね。

 かの(もの)融水谷(ツィラータール)の新たな総統(フューラー)の座を襲ったキャラバッシュ・ペシュメルは、かつてギルド水晶の夜(クリスタルナイツ)の知性振り切り(カンスト)NPCに使嗾され、装甲外骨格(パワードスーツ)に騎乗してコキュートス、セバスと対峙したブライア・ペシュメル、すなわち融水谷(ツィラータール)の初代総統(フューラー)の直系の子孫なのだよ!」

 

「あなた、ひょっとして……」

「ご明察だよ、アルベド!」

 

 やはりデミウルゴスは、言わずもがなにアルベドの言わんとするところを看破して見せる。

 

「私は、奇縁に導かれたこの(もの)が、<百年の揺り返し>の年から二年を経て未だ把握されない本百年紀の来訪者(ユグドラシルプレイヤー)の影響下にあることも可能性の一つとして疑ってはいるのさ。現時点で確証のある話ではないから、敢えて至高の御方のお耳にまで入れようとは思わないがね。」

 

 デミウルゴスのこの言に、やれやれ、とアルベドは溜息を吐いた。

 

「ひとまず……あなたが何を面白がっているのかはわかったわ。」

 

 さらに一言、苦言を加える。

 

「わかったけれど、守護者統括たる(わたくし)が承知しない話を、勝手に進めることだけはやめてちょうだいね。」

 

 だが。

 

「随分なことを言ってくれるじゃないか?

 私がいまだかつて、貴女(あなた)をないがしろにして勝手に何かしたことがあっただろうか!」

 

と、デミウルゴスは嘯いて悪びれない。

 対するアルベドの返しも辛らつだ。

 

「もちろん逐一憶えてはいないけれど、答えが()とわかりきった記録の検索をシズたちにやらせるほど、(わたくし)は無情ではないつもり。」

 

と、凛と構えてさらに一言。

 

「それに。

 過去にそういうことがあったかなかったかはともかく、只今のこれは、(わたくし)が敢えて問わなければ、あなたは黙ったままだったのではなくて?」

 

「今、話しただろ?」

 

「……それは(わたくし)が尋ねたから、でしょ?」

 

「それは私が貴女(あなた)の関心を惹くよう振舞ったから……とは思わないかね?」

 

 しばし沈黙したまま突き刺さるような視線で見えない火花を散らす二人。

 ややあって互いに、

 

((ふん、相変わらず喰えないヤツだ!))

 

と、物言いたげな苦々しい笑みを浮かべる。

 

 かくも二人は、仲の良いナザリック地下大墳墓の知の双璧なのであった。

 

 

                    *

 

 

 (のち)の世に<松脂谷(キエンタール)の惨劇>の名で知られることになる事件は、辛うじて逃げ延びることが叶った数名の村人により、松脂谷(キエンタール)から健脚者の足で南へ一日の距離にある塵の滝(シュタウプバッハ)の拠点、その中心地へ向かうそれを含む二つの谷への入り口となることに(ちな)双頭の竜(ツヴァイドラッハ)に、四日を経て伝わった。

 双頭の竜(ツヴァイドラッハ)を眺める丘の上に陣取った融水谷(ツィラータール)の二個軍団を迎え撃つべく集結していた塵の滝(シュタウプバッハ)郷士(ランツクネヒト)は、予備兵力となる五個伍隊二十五名を主軸とする救援隊を松脂谷(キエンタール)へ派すと共に、融水谷(ツィラータール)側の陣へ向けて糾問の使者を送ったがこれは取り合われることがなかった。

 と言うのも、()総統(フューラー)エムヤー・ウズルス自ら率いる寄せ手の陣には、この使者の直前に融水谷(ツィラータール)からの急使が到着しており、エムヤーの総統(フューラー)解任と追放、新総統(フューラー)キャラバッシュ・ペシュメル推戴の決議が知らされていたからだ。

 

「……そんな馬鹿な話があるか!

 諸君、これはキャラバッシュによる簒奪の陰謀だ!

 我らは一致団結して、あるべき融水谷(ツィラータール)を守らねばならん!」

 

 エムヤーは配下の二個軍団を前にそんな檄を飛ばして歓呼を求め、それは少なからず返されはしたが、彼の直属となる第一軍団の士官、すなわち彼の子飼いの部下によるものがほとんどで、末端の郷士(ランツクネヒト)の反応は半々。随伴してきた第三軍団に至っては、前代未聞のこの状況に当惑するばかりだった。

 そうこうするうちに二日が過ぎて塵の滝(シュタウプバッハ)陣営に、松脂谷(キエンタール)へ向かって焼き討ちの事実を確認した救援隊の一部が帰投した。想定されたよりも生存者は多かったものの家屋の大半は灰燼に()しており、非武装の民が襲撃されたことに対する怒りから(とき)の声が挙がった。

 

「その罪、万死に(あたい)すべし!」

「無辜の村を焼いた無法者たちを焼き尽くせ!」

 

 通例として、彼らの(いくさ)においては、複数の軍団が参戦している場合であっても実際に前線でぶつかり合うのは一個軍団同士であり、優勢劣勢が定まれば言わずもがなに一方が退()いて勝敗が決するのが常であったが、このときの塵の滝(シュタウプバッハ)軍は二個軍団全員に加え、やはり通常は前線には立たない支援の輜重(しちょう)隊までもが槍や弓矢で武装して、丘の上に防柵を張り巡らせた陣地に籠もる融水谷(ツィラータール)勢へ向かって整然と前進を開始した。

 この時点で自称総統(フューラー)となっていたエムヤーは、ひとまずは陣地に頼っての防戦を指示したが、第三軍団はこの下知に従わず、退却こそしないものの傍観の構えを見せた。エムヤーは怒り狂って、第三軍団の軍団長(ケントゥリオ)を叛逆の(とが)で斬首せよ、と子飼いの部下に命じたが、丘の下から二個軍団が迫りくるこの状況で、そんな命令に従う(もの)などあるはずもない。

 

 ついに目前に至った塵の滝(シュタウプバッハ)勢は、流石に無理押しはせずに矢と投槍で遠間(とおま)からの攻撃を開始した。たちまちに被害こそ生じはしないものの、その威圧は否応なく防戦するエムヤーの部下たちの精神力を削った。

 そうこうするうちに、東から迫る塵の滝(シュタウプバッハ)勢とは逆、南西の方角から進軍太鼓の音が聴こえてきて、何事かと振り返れば融水谷(ツィラータール)本国の守備についていたはずの第二、第四軍団が駆け足(ギャロップ)で向かってくるではないか。これがエムヤーに対する加勢であるはずがない。

 一方、事情がわからない塵の滝(シュタウプバッハ)側は「すわ、誘引の計であったか!」と、一旦攻撃を中止して引き下がったが、彼らを追って融水谷(ツィラータール)第二軍団から、両村の間で使者であると示すと了解される山吹色の旗を振り翳す丸腰の士官が駆けて来て曰く。

 

「無辜の民を焼き討ちにする、などという忌むべき罪を犯したエムヤー・ウズルスに対し、我ら融水谷(ツィラータール)はこれを、人類の敵、と見做して総統(フューラー)解任と永久追放を決した。

 これに従いたる士卒はただただこの者の失いたる職権に対する義務を果たしたのみの(もの)たちなので、素直に(くだ)(もの)に対しては免責をお願いしたい。」

 

 加えて、当地へ急行した第二、第四軍団に遅れて追って来る輜重(しちょう)隊には、少なからずあるであろう松脂谷(キエンタール)の生存者を支援すべく、包帯、薬草等の医療品、三百人日(にんにち)分の糧食があると告げて、自分たちにどのような意味においても塵の滝(シュタウプバッハ)と敵対する意思がない旨を示した。

 もちろん当初塵の滝(シュタウプバッハ)側はその真意を疑ったが、一つ間違えれば<松脂谷(キエンタール)の惨劇>の腹いせに殺されていてもおかしくない敵陣に一人非武装で乗り込んだ三十路(みそじ)手前の女士官が、新しい融水谷(ツィラータール)総統(フューラー)キャラバッシュ・ペシュメルの姪に当たるエリカ・アルボレアである、とわかって旗色は決した。

 

 融水谷(ツィラータール)第二軍団は、なおも野戦陣地に籠もる第一、第三軍団に投降とエムヤーの身柄引き渡しを求め、第三軍団と随伴していた輜重(しちょう)隊は、

 

「我々は個人ではなく融水谷(ツィラータール)の衆議に忠誠を誓う者だ。」

 

と、即座に武装解除してこれに応じた。

 一方の第一軍団は、擁するエムヤーに、

 

「私の市民権が剥奪された以上、つき従ったおまえたちも、(くだ)ったとて謀殺は免れまい。」

 

と煽られて、陣地を捨てての退却戦を開始した。第二軍団はこれを追撃したが、ほどなくして「共に人類の敵を討つ」と呼応した塵の滝(シュタウプバッハ)の一軍が加わり、エムヤー勢はたちまちに総崩れとなった。

 多くが武器を(なげう)って投降し、これへの対応に追われたことが(かせ)となって(つい)に十余名の子飼いの部下を連れて北へと逃亡したエムヤーの身柄確保には及ばなかったが、融水谷(ツィラータール)塵の滝(シュタウプバッハ)の軍団は、共に(とき)の声を挙げて勝利を祝した。

 

 かくして、共通の敵を得たことによりここ数十年続いてきた両者の不毛な対立に終止符が打たれ、融水谷(ツィラータール)塵の滝(シュタウプバッハ)は新たな一歩を踏み出すに至ったのである。

 

 

                    *

 

 

 ナザリック地下大墳墓の、地上部を含む第三階層よりも上の防衛の任を負う階層守護者、真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)にして鮮血の戦乙女の二つ名を捧げられるシャルティア・ブラッドフォールンは、頗るご機嫌であった。

 

 ナザリック南方(なんぽう)、かつて大陸の東西を結ぶ交通の要衝として機能していたところの城塞都市エ・ランテルを含む回廊平原が、さらに南、日中であっても不死者(アンデッド)彷徨(さまよ)うカッツェ平野の瘴気に呑み込まれて久しく、ナザリック近傍に迷い込む人間、亜人あれば殺すも喰らうも気儘勝手の特免を得たシャルティアとしては折角のその特権を享受する機会もまたなかったのであるが、ポンコツな彼女は決して正確な回数や頻度を把握していないのだが、このところ、どうしたことか続けて迷い込む一団があって、これを貪り喰らってご満悦だったのである。

 これまたシャルティアはこれを正確に記録する習慣を持たないのであるが、侵入者は常に人間種の五人組で属性(クラス)戦士(ファイター)ばかり。冒険者風ではあるが装備は統一されていて、揃った(しつら)えの小剣(ショートソード)を佩き、これまた量産品と見える板礼鎧(セグメンタータ)鉢兜(ヘルメット)を纏っていた。基本男性が多いが、稀に女性も混じっていて、これまたシャルティアを喜ばせた。

 

 無論シャルティアには、その意味するところはわからないし、そもそも興味もない。

 ただただ、鴨葱(かもねぎ)よろしく、向こうからやって来る獲物を無邪気に歓迎するのみである。

 

 さて。

 

 この彼女のご乱行は常にナザリックの目、ニグレドの監視下にある。一方で、ニグレドとて本質的にはナザリック外の出来事に深い関心はない。

 彼女の任は、第一義的にはナザリックに遅れてやって来る来訪者(ユグドラシルプレイヤー)の兆候を逸早く捉えること、シャルティアに限って言えば、そうと疑われる強者とシャルティアが無断で戦闘開始してしまわないよう見張ることであって、魔法監視への対策を欠き検出される個々のレベルが一桁()まりの有象無象をシャルティアがどう扱おうが知ったことではないし、そもそもニグレドの目からは、シャルティアが狩っているのが人間なのか、亜人なのか、はたまた魔物、獣の(たぐい)であるのかは、意識してそれを見分けようとしない限りはわからないのだ。

 

 そのような次第であるから、シャルティアが只今こうであることはしばしナザリックの誰からも顧みられることがなかったのであるが、その日はたまたま、<百年の揺り返し>に伴う厳戒態勢が一旦解除され、助手ナーベラル・ガンマを連れてこちらの世界の知的生物層の現状把握、にかこつけた趣味の時間に外出しようとする狡知の悪魔デミウルゴスが、ナザリック出入り口で上機嫌で帰投するシャルティアとばったり顔を合わせた。

 

「おやおや、シャルティア。

 随分とご機嫌じゃないかね?」

 

 ニコニコしながら会釈するでもなく擦れ違おうとするシャルティアに、立ち止まって振り返り声を掛けるデミウルゴス。

 

「おんしの知ったことじゃありんせん。」

 

 振り返りもせず自身の居所へ戻ろうとするシャルティア。

 

「随分といい香りがするわね。」

 

 鼻先をひくひくさせながらナーベラルが問えば、たちまちにその意を察したデミウルゴスが、不敵な笑みを浮かべながらこう続けた。

 

「血の……香りだね。」

 

 ぴた、とシャルティアの歩みが止まる。

 ばっ、と身を翻して開口一番、

 

「ナザリック近傍に侵入する在地の下等生物があれば、取って喰らうも(もてあそ)んで潰すも好き勝手は、アインズ様よりあちきが直々に承った勅命でありんす!」

 

 何を忘れ去ってもこれだけは忘れまじと誓ったところをがなり立て、

 

「デミウルゴスといえど、口出しは許さんのでありんす!」

 

と、噛みつかんばかりの形相でいけ好かない同僚を睨みつけたが、睨まれたデミウルゴスは涼しい顔でこれを受け流した。

 

「シャルティアは何か誤解しているようだが。」

 

 軽く両手を左右に広げ、いつもの三日月型の不敵な笑みを浮かべるデミウルゴス。

 

「もちろん、キミの務めに横槍を入れるつもりなど毛頭ないのだよ。

 むしろ、常にナザリック外苑を不埒な侵入者から守るシャルティアの働きに称賛を送りたいくらいさ!」

 

 そう言いながら大袈裟に拍手を打って見せる。

 こういう態度で応じられると、シャルティアは決して悪い気はしないが、このデミウルゴスの様子にナーベラルが胡乱な視線を送っていることには気づかない様子。

 

「で……今日の獲物はどんなだったか。

 キミの武勇伝を聞かせてくれないかね?」

 

「武勇伝……などというほどのものではありんせん。」

 

 そこからのシャルティアは、ぺらぺらとよく喋った。

 

 獲物は人間種ばかりで男が三人、女が二人。レベルはいずれも一桁で論じるに及ばず。面白くもない男三人の首を一息に跳ね飛ばした(のち)は、これに恐慌をきたした女を()一時間追い回していたぶり倒し、精根尽き果て逃げるのを諦めたので、助命を条件に服を脱いで互いの秘所を舐め合えと命じれば素直にこれに応じたので、これを()一時間眺め、途中からは自身も加わって楽しんだのち、飽きたので二人束ねて絞って飲み干した……とか何とか。

 これにデミウルゴスは「ほうほう!」「それは楽しいね!」と相槌を送ってシャルティアを喜ばせ、無闇矢鱈と獲物の詳細(ディテール)を聞き出した。これを横で待たされたナーベラルは、下等生物がいびり殺される話は嫌いではないものの、シャルティアの()()()()()()()趣味にはついていけないものか、終始(しか)(づら)

 

「……いやぁ、シャルティア。楽しい話をありがとう。

 呼び止めてしまってすまなかったね。では行こうか!」

 

 デミウルゴスはそう言うとシャルティアの肩に片手を掛けて、共に来た時とは逆方向へ歩き始めた。

 流石にこれにはポンコツなシャルティアも、おや、と気づいて、

 

「おんしは何処かへ出掛けるところだったのではありんせんか?」

 

と問うも、

 

「ちょっと仕事を思い出してね。」

 

と、デミウルゴスはそのまま共にナザリック内へ戻る。

 ナーベラルも黙ってこれに従ったが、第二階層に至ってシャルティアと別れた(のち)、漸く口を開いてデミウルゴスに真意を問うた。

 

「わからないかね?

 シャルティアのあの様子からすれば、これは今日が初めてではない。もし、これが数百年振りの珍事であるならば、人間どもはあの程度の()()()()()では済まなかったことだろう。」

 

 いつものようにナーベラルを振り返るでもなく、デミウルゴスは涼しげにそう応じた。

 

「で……私たちはこれから何処へ?」

 

「もちろんニグレドのところさ。」

 

「……なぜ?」

 

 ふーっ、と息を吐いて立ち止まるデミウルゴス。

 

「いいかね?」

 

と、やはり振り向かぬままデミウルゴスは右手の人差し指を立てて見せる。

 

「シャルティアの所業は、常にニグレドに監視されている。彼女に問えば、シャルティアのお楽しみがいつ頃から始まったか、どのくらいの頻度で起こっているか、知ることが叶うだろう。」

 

「それは、私が<伝言(メッセージ)>で尋ねれば済む話では?」

 

と食い下がるナーベラル。

 ここに至って漸くデミウルゴスは歩みを()め、呑み込みの悪い助手の(ほう)へと振り返った。

 

「私が話を聞いている間、シャルティアは楽しそうだったろう?」

 

「……それが?」

 

「同じ喜びを、日々我らが居城の周辺監視を怠らない僚友に(きょう)してならぬ法はあるまい。」

 

 なんと!

 この狡知の悪魔は、そんなところにまで心を配っているものなのか!

 

「アインズ様からお褒めの言葉を賜ったときですら、死を以て償いを、と応じるが常のキミには、その辺りの機微はわからないのかもしれないがね。」

 

 そう言われて、ナーベラルは恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 もちろんデミウルゴスはこれを見逃さない。

 

「あぁ、ナーベラル。私としたことが少し言葉が過ぎたようだ。

 言うまでもなく、そんなキミの過剰な忠誠心もまた、アインズ様は()でておいでなのだから、恥じ入ることなどまったくないのさ。その証拠に、キミが何度自虐で応じようとも、アインズ様はそれを前以て避けようとはなさらないし、キミが自身の首筋に剣の刃を当てれば、大慌てでお()めになるじゃないか!」

 

 ……いや、それは。

 慮るも憚り多きことながら、我らが至高の主は都度困惑こそすれ、決してそれを望んでおられる、とは、さしものナーベラルも思ってはいないのである。

 

「……ふふふ。」

 

と、微笑むナーベラル。

 

貴方(あなた)は疑う余地なく、我らがナザリック地下大墳墓に欠くべからざる大参謀だわ。」

 

「アインズ様であれば、よせよせナーベラル、デミウルゴスでもあるまいに、と(おっしゃ)ることだろう!」

 

 ハッ、と哄笑を放ったデミウルゴスは、再びナーベラルに背を向けて歩き始めた。

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