コン、コン。
「……ん?誰か訪ねてきたぞ。
クゥイア、一旦離れ……くはぁ!……ってさらに突いてどうする!
ちょ……クレマンティーヌも変なところを……あ!あ!
おまえらちょっと……むぐ!……クゥイナまで何だ、どさくさにどこに
扉の前で待たされる客は、漏れ聞こえる声にいささか不安を覚える。
「先触れもなく失礼いたします。
第二軍団にて
キーノ・インベルン
「あー、私がキーノだが、すまんがちょっとだけ待って……いや、だからおまえら
何が……起こっているんだろうか。
生真面目な若者、クスクルには思い及ばない。
待つことしばし。
「はぁ、はぁ……待たせて済まなかった、私がキーノ・インベルンだ!」
小屋の扉を中から
「あ……
恐る恐るそう尋ねるも、問われた側は特に意を察することもなく。
「キーノで構わない。用件はなんだ?」
と、手招きしながら
「おまえは軍人だな。言うまでもないが、私たちは人間同士の勢力争いについては、どのような事情があろうとも加勢することはないぞ。」
開口一番、冒険者の不文律で釘を刺しにかかるキーノに、クスクルは慌てて諸手を振った。
「それはもちろん承知しております。が、本日お願いの儀は、その辺りとまったく無関係、というわけでもないのは認めざるを得ません。」
「……ひとまず、聞こうか。」
対してクスクルはこう言った。
「ご足労で申し訳ないのですが、これから
奇縁の
数年前、カルサナス平原から大地溝帯を越えて大陸東部、遥か昔バハルス帝国と呼ばれた辺りに戻って来た彼女らは、その時点で明らかに対立
貨幣経済が廃れて久しい当地では、
「お願いしたいのは、ある男の見定め、ということになります。」
遡ること半月ほど前、湖に暮らす漁師から村に報せがあった。曰く、遭難者と思しき一団を保護したのだが、手に余るので
「漁師たちが手に余る、と言ったのも無理のない話で、身なりぼろぼろ息も絶え絶えの遭難者の
「……はぁ?」
思わずキーノの口から間抜けな声が漏れる。
世間知に疎いキーノとは言え、
「もちろん、これだけの話であれば頭のおかしい迷い
クスクルは、
それによれば、
「人類の敵……とは。また随分と剣呑な物言いだな。」
もちろんキーノはエムヤー、という人物を直接には知らない。が、要するに、村と呼ぶには随分と大きくなってしまったとはいえ、村の
「エムヤーは、部下に命じて
「そいつ、ワタシとは気が合いそうね!」
と、冗談のつもりなのだろうが空気を読まない相槌を打つクレマンティーヌに、その意を
「……で、私に頼みたいこと、というのは?」
概ね察しつつも敢えてキーノはそう問うた。
返された答えは想像した通りだ。
「不躾ではありますが、
*
デミウルゴスがアインズに語ってみせたように、
幸いにして目論見は当たり、古代バハルス帝国時代に何らかの事情で遺棄された鉱山はまだまだ埋蔵量が豊富で、派遣元両村からの糧食支援を受けつつ村は順調な滑り出しを見せた。このときたまたま立ち寄ったキーノたちもまた、普通の人間では立ち入ることが危険な廃坑の調査や、不意に何かに追われたかのように……まぁ、きっと
風向きが変わったのは、この開拓を
こういう空気は否応なく見下される側にも伝わって、さりとて食糧自給の叶わなかった彼らは当面は唯々諾々と従ったものだが、問題意識を持った有志が冷涼な当地でも相応の安定した収量が見込める麦の品種を見出して、たちまちに独立独歩の気運が高まった。
この時点で既に
結局、下風に立つを潔しとせず、の世論が勝ちはしたものの、そういった辺りへの配慮があって、
以来
このような背景があったので、真偽のほどはともかく、自分は
これが、発見されたエムヤーが湖の
「あぁ、キーノさん!
何て……何て
好きにさせておくと気が触れたように暴れだすから、という理由で椅子に縛りつけられていたエムヤーは、入室してきたキーノ一行に対しても随分な罵詈雑言を浴びせたものだが、キーノがその妖しげな光を発する瞳で顔を覗き込めば、たちまちに、とろん、とした目付きに転じて口調も柔らかくなった。
<魅了の
本来は
やろうと思えば、キーノはこの力でもってエムヤーにどのような荒唐無稽な作り話であっても真実のように語らせることも可能ではあり、本質的にその影響下で為された証言には第三者から見た信憑性は皆無だ。一方で、キーノ自身が魅了されたエムヤーに問う分には、エムヤーは自身の知る真実しか語ることができなくなる。
ただいまの
「私はエムヤー・ウズルス。キーノさんのような
いちいち目を輝かせて多感な乙女のような口調でそう応じる薄汚い中年男に、既にキーノはうんざりな気分を覚えていたが、こうして名乗るところを見るとこの男がエムヤー本人である点は疑いないようだ。
「お恥ずかしながら、信を寄せていたキャラバッシュ・ペシュメルに
キャッハッハッ、とクレマンティーヌが笑い、キーノの冷たい視線がそちらを振り返る。
「……本人が笑ってくれ、って言ったじゃなーい!」
キーノは軽くこれを無視して、エムヤーに核心を問うた。
「おまえが無辜の村を村民諸共に焼き討ちにしたのでそういうことになった、と聞いているんだが……そうなのか?」
これにエムヤーは、変わらず穏やかな表情でこう答える。
「そんなことをしたら、本当に戦争になるじゃないですか。そんな馬鹿なことはしませんよ。」
「……はぁ?」
自身の力でエムヤーが嘘をつけない、とわかっているキーノなればこそ、エムヤーのこの物言いには首を傾げざるを得ない。
「本当の戦争……って。
そもそもおまえは兵を率いて
「ええ、そうですよ。」
「おまえがやっていたのは、戦争、じゃないのか?」
この問い掛けに、エムヤーはキーノが思ってもみないことを言い始めた。
「キーノさんのような聡明なお
何なんだ、唐突に?
キーノは困惑の表情を隠せないが、元よりそれに気づく感性を封じられているエムヤーはぺらぺらと持論を語った。
「黙って野良仕事に精を出していれば何不自由なく暮らせるものを、暇に任せてつまらぬ欲や見栄に取り憑かれて無意味な揉め事を起こすのが常。そんな連中に平穏無事な暮らしをさせるには、目に見えてわかりやすい敵を示してやるのが一番です。つまり
ぽかん、と口を
「おまえたちの暮らしの取るに足らない不満の原因はあいつらだ、と指し示し、軍団を派して小競り合いを演じ、ちょっとした勝利を見せつけてやれば、村人たちは自分たち自身では成しえない大きな力への一体感を得て満足します。それで十分なのですよ。
敵方の村を焼き討ちになどすれば、その怨嗟は丸々こちらに跳ね返り、否応なくこちらもそれに応じることになって際限がありませんから、そんなことは百害あって一利もなし。互いに
恍惚とした表情を浮かべながら、エムヤーは一息にそう言い切った。
キーノとしては、エムヤーが<魅了の
「まぁ、ありがちな話ではあるわさー!」
と、ニコニコ顔のクレマンティーヌ。
「今は懐かしい法国も、終始そんな感じだったもんさね。」
遥か昔に雲散霧消した大陸西部の雄、スレイン法国において、情報戦や謀略の
「念のために言っておくけど。」
クレマンティーヌの言に渋い顔をしているキーノに、不意に真顔になったクレマンティーヌが告げる。
「キーノちゃんが腹を立てる話じゃないわよ。
国、政治、ってのは
まさに、心の底から沸々と湧き上がる怒りの感情と、一方で、いや、それはちょっと違うんじゃないか?という理性の板挟みになっていたキーノは、もっとも頼りとする相談役のその言葉に、ひきつらせつつあった目元を緩ませた。
「あぁ……いや。それは確かに……クレマンティーヌの言う通り、かもしれないな。」
「んでさー、クスクルちゃん!」
「……あ!え?はい、何でしょう?」
ここまで言葉交わすこともなく、有り体に言えば無視されていた感もあったクレマンティーヌから突然名指しされて、呼ばれた士官が慌てて反応を返す。
「こいつ……どうすんの?」
変わらずエムヤーは、うっとりとした目でキーノを見つめていた。
俄かに口元をどこぞの悪魔のように三日月形に歪めた笑みを浮かべるクレマンティーヌ。
「殺しちゃう?」
間髪入れず双子忍者が、
「
首を掻っ切る
……おまえら、妙なところで息が合うよなー。
と、呆れるキーノ。
だが、生真面目なクスクルは、くすりともせず、
「私は一介の
正直申しまして、この哀れな御仁がエムヤー・ウズルス本人なのであれば、後々の災いを防ぐため死んでいただくしかない、と考えていたのは噓偽りないところではあります。」
これに対して屹っとした鋭いキーノの視線が突き刺さるも、本人もそれには気づいていて、慌てて諸手を振った。
「で、ですが!
さきほどクレマンティーヌ
ここまで
むしろ、
エムヤーはキーノの力で眠らされ、馬上に乗せられて村まで運ばれることになった。その処遇は、追って
数人共にあったエムヤーの部下たちは、
クスクルは、余計なことを村で公言せぬことの宣誓は求められるだろうが、決して貴殿らの悪いようにはならないだろう、と応じた。元より若い
「謝礼はどのようにさせていただくべきでしょう?」
と、これまた生真面目に問うクスクルに対し、
「……気が向けば子山羊でも一匹届けてくれ。」
と気のない返事を返したキーノは、図らずも巻き込まれたこの騒動を反芻し、考え込んでいた。
「キーノちゃんが考えてるほど単純な話でもないと思うんだなー、ワタシとしては!」
頭の後ろに手を組んで斜め上に視線を向けながら、キーノの隣を歩いていたクレマンティーヌがおもむろにそういう。
「……私が考えてるほど、とは、どういう意味なんだ?」
キーノは訝し気に問う。
「言葉通りの意味よ。
キーノちゃんってば、エムヤーちゃんを陥れた新しい
図星かよ!と内心悪態をつくキーノ。
「いや、確かに私には政治のことはよくわからないから、エムヤーがそうであったように、新
「そこよ。
その焼き討ちも、新
「え!
そう……なのか?」
やれやれ、と両手の平を天に向けるクレマンティーヌ。
「そりゃ可能性だけ言えばいくらでもあるでしょうよ。エムヤーちゃんを恨んでた誰かが仕組んだことかもしれないし、エムヤーちゃんの配下に不届き
逆にキーノは目を真ん丸にしてクレマンティーヌを見上げている。
「なるほど……確かにそうだな!」
「……その納得の仕方も単純に過ぎるけどさーーー!
黒幕として陰謀の一番の受益者を疑う、ってのはイロハのイ。まぁ、
「どういう……ことなんだ?」
キーノには、クレマンティーヌの言わんとするところがよくわからない。
「エムヤーちゃんも言ってたでしょ?
村人には、わかりやすい敵、が必要なんだ、って。」
「それは……哀れなエムヤー、がそうなんじゃないのか。
人類の敵、だっけ?」
「んなわけあるかい!」
キーノのこれまた単純な解釈に、クレマンティーヌは即座に突っ込んだ。
「エムヤーちゃんがさ、ふてぶてしくも
「な、な、な、なるほど!」
正直なところ、キーノはクレマンティーヌが思い描くところについていくことが叶わない。
「つまり、新
いつの間にか、クレマンティーヌの表情から常の締まらない笑みが消え去り、無表情に遥か彼方を見据えるような視線があてもなく
「それはいったい……何なのか?」
ゴクリ、とキーノは息を呑む。
「まさか、とは思うけど。
骸骨姿の大魔王さん……じゃなきゃいいけどねー。」
「……おいおいおぃ、よせよクレマンティーヌ!縁起でもない!」
思わぬクレマンティーヌの言葉にキーノは顔色を失いながら突っ込みを入れるも、突っ込まれた側はただ
そして。
恐るべきことにこのクレマンティーヌの冗談は、
さほど的外れでもなかったのである!
*
ナザリック地下大墳墓
「今日は少し、趣の異なるものを試してみないかね?」
デミウルゴスが取り出したのは、ナザリックのものにしては造りが粗末な酒瓶。
「……現地人ノ手ニナルモノカ?」
「察しがよくて幸いだ。先だって原住民集落を視察に歩いた際、失敬してきたものさ。
無理には勧めないが、どうだね?」
「……試シテミヨウ。」
パチン、とデミウルゴスが指を鳴らせば、阿吽の呼吸で
「ありがとう、ピッキー。」
簡潔に謝辞を告げつつ、デミウルゴスは指で
「香りは……及第点のようだね。」
左手の平で瓶の底を掴んだまま、鼻先で少し回してそれを確かめたデミウルゴスは、まず自身のグラスに、続いてコキュートスのそれに血液のように赤い液体を、とくん、とくん、と、これまた小気味よい音を立てながら注いだ。
「慈悲深きアインズ様が、もったいなくも愛してやまぬ原住民たちに。」
「取ルニ足ラヌ者タチニモ
「「乾杯!」」
チーーーン!
「思ったよりも……悪くはないものだね。」
とは、デミウルゴスの言。
コキュートスもまた、いっとき口内で転がして曰く。
「正直言エバ、ナザリックニテ供サレル酒ノ方ガ
ガ、コレニハコレニシカナイ……野趣、トデモイウベキ何カガアルナ。」
フフフ、と笑みを交わす二人。
「口直しといこうか。
ピッキー!シャトー・オー・ブリオン、
バーナザリックで供される酒は、元を質せばこの分野にも一家言あったバーの設計者にしてピッキーの創造主、自然愛好家ギルメン、ブループラネットが課金で調達した
内臓されたデータベースに<
ユグドラシル時代のそれは、単にフレーバーテキストに「シャトー・オー・ブリオン、赤、2129年」と記載された、容器や
ちなみに。
この世界においては過ぎた防衛力である、との判断から、
これは大魔王アインズ・ウール・ゴウンの、
「先ダッテ、アウラ、ニ問ワレタノダガナ。」
新しいグラスに注がれたシャトー・オー・ブリオンを一口含み、その
「コチラノ世界デ生ヲ享ケタ、アウラ、マーレ、ノ一族ハ、ギルドノ忠誠ノ鍵ノ縛リヲ受ケテハイナイガ、自ラノ意思デ、アインズ様ニ忠誠ヲ誓ッテイル。」
うんうん、と頷くデミウルゴス。
「アウラガ言ウニハ、実際ニアインズ様ガ自ラ何カヲ彼女ラニ命ジルコトハ稀デ、専ラソレハ、アルベド、アルイハ、デミウルゴス、カラ差配サレルモノダ、ト。」
「まったくもってその通りだね。」
「アウラガ案ジルノハ、モシ、アルベドノ命令ト、デミウルゴスノソレガ、互イニ
「……なるほど、面白い疑問だ。
問われたキミは、どう答えたのかね?」
「私ハソンナコトハ考エタコトモナカッタノデナ。
宿題トシテ持チ帰リ、今コウシテ、オマエニ相談シテイル。」
デミウルゴスは、コキュートスを小馬鹿にした態度に見えぬよう気遣いつつ、それでも楽し気に
あぁ、我が友のなんと実直、誠実なことか!
「そんなものは簡単なことだ!」
デミウルゴスは両手を左右に大きく振り広げて即答する。
「元より我らナザリックの
さりながらアルベドは、恐れ多くも至高の四十一人の方々より、守護者統括を拝命したる身。
アインズ様を別にすれば、その命令はすべてに優先されて然りだろう!」
ん……?
と、コキュートスが、見るからに友の真意を疑う
「……何か言いたそうじゃないか、コキュートス?」
もちろん、これに気づかぬはずのないデミウルゴスは顔を斜めに傾けながら、いささかおどけた様子でコキュートスにそう問うた。
「デミウルゴスノ言ウトコロハ、モットモダ。」
と、コキュートス。
「ダガ、コト対外戦略、戦術ノ面ニオイテハ、決シテアルベドヲ
「構わないも何も!」
ハッ、と
「要はアルベドが、私の思い描く戦略戦術に矛盾することを言い出さぬようにすればよいのだろう?そんなことは簡単で、彼女は私にそうされたことにすら気づかないだろう!」
マッタク……。
コノ悪魔ハ困ッタヤツダ、と表情を欠くコキュートスであっても思っていることが顔に出る。
「ソコモワカラヌデハナイ。
ガ、アルベドトテ知性値
コキュートスとしては、自信過剰な友人が勢い余って虎の尾を踏まぬよう窘めたつもりでそう言ったのであるが。
「彼女がそう考えるとき、そう考えさせているのは他ならぬ私さ!」
そう三日月型の笑みを浮かべて断言したデミウルゴスは、グラスに残ったシャトー・オー・ブリオンを一息に煽った。
コキュートスは思う。
デミウルゴスは、
だが、そんなことは問うだけ無駄だ。
アルベドもデミウルゴスも互いに、
すべてはアインズ・ウール・ゴウン様の為に!
この一点だけは、アルベドもデミウルゴスも完全に
敢えて問題があるとすれば。
この不動の
ふと思い立って、捨てずに置いていた、デミウルゴスの土産の現地産ワインを再び一口含んでみる。
洗練されず、種々の雑味がぶつかり合って、でありながら、それが野趣ある味わいとなったそれは、シャトー・オー・ブリオンよりは、アルベドとデミウルゴスの織り成す
言い返されると面倒臭いので、口にはしなかった。