億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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夜更けの訪問客にご用心。


4.招かれざる客

 コン、コン。

 

「ん……日も落ちて随分経つというのに。

 鍵はかけていないから勝手に入っておいで。」

 

 不意に聞こえた扉を叩く音(ノック)に、酒蔵の管理人の初老の男は面倒臭そうに大きな声でそう応じた。

 

 コン、コン。

 

 再び扉が叩かれる。

 

「……ったく、(なん)だっていうんだ!

 ちょっと待っていておくれよ。」

 

 やりかけていた手仕事を()めて男は立ち上がり、扉に歩み寄って自ら(ひら)く。

 

「……見ない顔だね。」

 

 扉の外にいたのは三十になるかならないかの年頃の女。

 短く切りそろえた髪、不美人ではないが化粧っ()がまったくなく、体線(ボディライン)が目立たないゆったりと余裕のある長袖、洋袴(ズボン)姿だが、それに隠された肉体が(しな)やかに鍛えられたものであることは一目(ひとめ)でわかる。

 自身郷士(ランツクネヒト)上がりの男は、目前の女もまた郷士(ランツクネヒト)であるか、年齢からすれば自身同様の退役者(ヴェテラン)であろう、と当たりをつけた。

 

「夜分に申し訳ない。」

 

 女はぶっきらぼうな口調ながら、まず夜更けの訪問を詫びた。

 その媚びぬ素振りから、男はますますただの村娘ではない、との確信を深める。

 

 それにしても。

 月明かりのせいか、やけに顔色に血の気がなく青白い。

 

葡萄酒(ワイン)を分けてもらえないか、と。」

 

 融水谷(ツィラータール)に属する谷間の娘村(むすめむら)としてはほぼ東端(とうたん)となるここ赤い村(ロートハイム)を含め、この辺りには貨幣経済は存在していない。

 各戸の菜園で個人で栽培されたものを例外に、村の農場の産になるものは(みな)の共有財であり、これは醸造に相応の手間を要する葡萄酒(ワイン)とて例外ではない。今、この女が試みているように、銘々の要に応じて酒蔵を訪ねて求めればごく当たり前に供されるのが普通だ。

 酒が無償で供されれば、無遠慮な呑兵衛(のんべえ)がすべて一人で飲み尽くしてしまうのではないか、などという顧慮の必要はない。そんなことを試みる馬鹿者(ばかもの)は早々に共同体からつまみ出されて進退窮まるからであり、食べ物を手に入れるのに「こいつは物の役にも立たないのに身の程知らずめ」などと他人から言われない程度には共同体に貢献しよう、というのは、当地に暮らす人々の暗黙の倫理規範となっている。

 

「もちろん構わないとも。」

 

 男は気安くそう応じた。

 

 村人が二千人にも満たなかった初代総統(フューラー)ブライア・ペシュメルの時代であれば露知(つゆし)らず、分家十数ヶ村に至り総人口については把握すらされていない当地では、飲食物を求めるに当たって身元改め、のようなことはおこなわれない。当地に存在し生活の流儀を承知している(もの)は、たとえ見知らぬ顔であろうとも須らく融水谷(ツィラータール)の一員であるに違いないのであるから。

 

 背を向けて葡萄酒(ワイン)を取りに行こうとする男に、女が背後から声を掛ける。

 

熟成物(ヴィンテージ)をお願いしたい。」

 

 男は立ち止まって振り返り、随分なことを言うじゃないか、という顔をした。

 

 赤い村(ロートハイム)葡萄酒(ワイン)生産量は当地および周辺数ヶ村の需要を賄って余りあるものであり、特に良質なそれはたちまちの消費には供されず、(びん)なり樽に詰めて冷暗所で熟成される。これが熟成物(ヴィンテージ)と呼ばれるが、常用酒(テーブルワイン)とは区別して扱われるもので、祝い事や村の功労者への贈答品などに用いられるものだ。

 これを求める(もの)があれば、在庫があれば拒む理由はないが、これに限らずそういった付加価値の高い嗜好品の(たぐい)の入手には、相応の物品を差し出して物々交換するのが当地の作法になる。

 

「……何と交換に?」

 

 一見手ぶらに見える女に、訝し気に男は問う。

 よもや身体(からだ)(しち)に、と言ってくれるな。決して魅力のない女だ、とは思わないが、こちらは(よわい)五十も過ぎて、そういう方面は()うに卒業済みだ。

 

 対して、戸口に佇んだままだった女は、すっと横に身を(ひるがえ)し、中の男からは壁に隠れて見えなくなった。

 何をやってるんだ、と男は首を傾げたが、さきほどまで女が立っていたその後ろに、それまでまったく気配を感じなかったもう一人の人物があるのに気づいて息を呑んだ。

 

「な……なんだ?」

 

 女も体格が良かったが、暗闇の中から滲み出るように姿を現した自分よりは若く見える中年男性は、これまた無暗(みやみ)に優れたがたいで背丈は戸口を潜るにしゃがむを要すほど。見たこともない立派な仕立ての闇夜に溶け込む黒い紳士服(スーツ)を纏っている。

 その黒服が無言のまま、足音も立てず滑るように近づいてきて、さては押し込み強盗か!と身構えるも、黒服が両肩に担いでいた荷が、どさっ、どさっ、と無造作に戸口の土間に投げ入れられて、酒蔵の管理人は再び息を呑んだ。

 

「こ……こりゃまた!」

 

 投げ込まれたものは、見事な体格の鹿が二頭。

 酒蔵の管理人は大慌てでこれを検分するが、いったいどうやってこれを狩ったものか傷一つなく、でありながら(すで)に完璧に血抜きが済んでいるようで、食肉としてはもちろん、毛皮を取るにしても一級品の代物だった。

 

「そうは見えないが、あんたら凄腕の狩人なのかい?」

 

 管理人の問いに男女いずれも応じる様子はない。

 

「……まぁいい。これほどの逸品なら申し分はないさ。少し待っていてくれ、丁度よいものがあるんだ!」

 

 男女を待たせたまま管理人は室内に戻り、地下の貯蔵庫(ワインセラー)から二本の(ボトル)を小脇に抱えて戻って来た。

 

「先だって祝い事があったときに詰めた余り物なんだがね。出来の良かった七年もので評判も上々だったんだ。気に入ってもらえると思う。持って行ってくれ。」

 

 管理人がそれを差し出すと、黙ったままに女が手を差し伸べてこれを受け取った。

 

「またこういう獲物があれば是非届けておくれよ。地下の樽には他にも自信をもってお勧めできるのがまだまだあるんだ。あんたらのために瓶に詰めておくから。」

 

 この言葉に女は黒服の男を、チラリ、と振り返った。

 そちらを一瞥するでもない黒服は、ただ衣擦(きぬず)れの音一つ立てず静かに右手の人差し指を天に向けてこう言う。

 

「また、満月の夜に。」

 

 自然と管理人の視線は黒服が指差した上方(じょうほう)へと向かい、南東の空に妖しげに赤く輝く丸い月を認める。

 

「あ、あぁ!満月の夜だね。きっといいものを用意しておくよ!」

 

 管理人がそう言い終わるのを待たずに黒服は身を翻し、駆け去ったわけでもないのにその姿はたちまちに宵闇の中に消えてしまった。酒瓶を抱えた女も、やはり物音一つ立てずにその(あと)を追いすぐに見えなくなる。

 

「……薄気味悪い連中だが、悪い取引じゃないな。」

 

 満足()に頷いた男は、まずは綺麗に皮を剥いでおこう、と戸締まりをして作業に取り掛かった。ここまで見事に血抜きしてあると(あと)の行程が楽でいい。適当に解体した肉は翌朝に村の飯場に届けよう。二三日(にさんにち)は皆がこのご馳走に喜ぶだろうし、それを届けた自分の株も上がって言う事なしだ。

 

「しかし……」

 

 と、思った通り、面白いようにすいすいと剥ぎ取れる皮の質感を楽しみながら男が呟く。

 

「確かアレは三本残っていたような気がしたんだか。

 ……勘違い、だったかな?」

 

 

 

 融水谷(ツィラータール)傘下の村々のご多分に漏れず、赤い村(ロートハイム)は申し訳程度に整地された街道が通る主谷(しゅこく)から分かれる支谷(しこく)の奥に位置する。その村の外れ、山肌から街道を見晴らせる場所に一本の背の高い針葉樹が立っていて、黒服の男はそれに背を委ねて物憂げに佇んでいた。

 後ろから追いついた女は男の傍らに歩み寄り、黙ったままさきほど手に入れた二本の酒瓶を差し出したが、男はうち一本のみを受け取った。

 

「グラスも栓抜き(コルケンツィーアー)もないんだけど。」

 

 女はやや申し訳なさそうにそう言うが、男にそれを気にする様子はない。

 黙ったままに右手で瓶の底を掴み、(コルク)を自身の口元に近づけると、やおら牙を立てて、ポンッ、と引き抜いた。そのまま、慈しむかのような手つきで瓶をゆっくりと揺らして、しばし揺蕩(たゆた)う芳香を楽しんでいる様子。

 

 女は引き続き不安げに男の様子を見つめているが、やがて男はやはり無言のままに、瓶の胴を握り直してそのまま喇叭(らっぱ)飲みに葡萄酒(ワイン)を口に含んだ。

 

「……どう?」

 

 と、女が問う。

 

「雑味。」

 

 即座に男がそう言うので女は顔を引き攣らせたが、男は再び瓶を傾けて、さきほどよりも多くの量を口に含んだ。しばらく口腔でこれを転がした(のち)、喉を鳴らすでもなく静かにそれを飲み干すと、もっぱら表情のない男の顔に、それとはわかりづらいものではありながら、それでもそうだとわかる微かな喜色が浮かんだことに女は気付いた。

 

「荒々しくも力強いそれが、舌を心地よく包む。それは欠点、ではなく、むしろ深い森の香りを想起させる。決して洗練されてはいないが、だからこそ、野性()のある味わい。」

 

 男は再び瓶を傾けて、今度はごくり、ごくりと音を立てて呑んだ。

 そしてこう言う。

 

「礼を言おう。

 何か、欠けていたパズルのピースが一つ、埋まったような気がする。」

 

「あなた……存外、詩的なのね。」

 

 と、女。

 これにも男は特に応じることもなく、再び酒を煽りながら、()いた左手で女が抱えたままの酒瓶を指差し、続いて女を指差した。

 

「……いいの?」

 

 これに男ははじめて、ニヤリ、と牙を見せて笑みを浮かべ、こう言った。

 

「村人を襲って余計な騒ぎを起こされるよりはましだ。」

 

 

                    *

 

 

 熊の湖(ベルナーゼー)から南へ向かい湖を取り囲む連山の峠を越えると、東は中央山嶺、西にはトブの大森林をそれぞれ彼方に望む南北に長い平原に至る。

 太古の昔、バハルス帝国が興った古都トブの森(トブヴァルト)が丁度その中程、森から発して南へ向かい最後にはカッツェ平野へと至る大河の(ほとり)にあって、この辺りは長く帝国の穀倉(こくそう)地帯として栄えた。今はその名すら伝わらぬ初代皇帝が立って政治的な理由から首都は遥か北東、アーウィンタールへと移ったが、それでも当地は長く帝国の中心地の一つだった。

 

 ただいまは、見渡す限りの荒野(こうや)

 <(めぇ)()く七日間>が人々の深層心理に根深く植え付けたところの平地に都市村落を設けることに対する忌避感はこの時代にも継承されていて、今日(こんにち)に至ってもこの沃野の再開墾は試みられることがなかった。

 唯一の例外が、今、奇縁の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)キーノ・インベルン率いる<黒の百合(ゆり)>が歩む、申し訳程度に石畳で舗装された街道で、平原(へいげん)の北端から南端まで、ほぼ一直線に続いている。これは、熊の高地(ベルナーオーバーラント)が開拓され、まだ食料供給を融水谷(ツィラータール)に強く依存していた頃の名残で、同様のものが塵の滝(シュタウプバッハ)へ向けて、やはり熊の湖(ベルナーゼー)から東へ、かつてのアーウィンタールを少し行き過ぎる辺りまで築かれている。

 もっとも、これらの舗装街道はそれぞれの村まではつながってはおらず、そのかなり手前に設けられた荷馬車を係留する無人の駅で終わっている。これまた言うまでもなく、<(めぇ)()く七日間>の破壊が街道に沿って進んだ記憶がそうさせたものだった。

 

融水谷(ツィラータール)の様子を見てこよう、と思っている。」

 

 これまた真正直(ましょうじき)に、キーノたちの小屋に仔山羊(こやぎ)を連れて再訪した熊の高地(ベルナーオーバーラント)の士官クスクル・カーベインに、キーノはそう告げた。

 

「もちろん私は、おまえたちの政治に口出しするつもりはない。」

 

 そう断りつつも、キーノは結果的に知ってしまった融水谷(ツィラータール)政変(クーデター)、それ以上に、彼らがこれからどこへ進もうとしているのか、に興味を(いだ)いている自身に自覚があった。

 これに対しクスクルは、熊の高地(ベルナーオーバーラント)執政(コンスル)たちが哀れなウズルス氏の療養名目の幽閉を決めたこと、彼に付き従った子飼いの部下たちがそれぞれの識見に応じて郷士(ランツクネヒト)の教導隊に迎え入れられたことを告げてキーノを安心させると共に、

 

(わたくし)どもも皆様方のなさることに口出しはいたしませんが、我らが哀れなウズルス氏を保護していることは、くれぐれもご内密にお願いいたします。」

 

と、守秘を求めた。

 半ば正気を失っているとは言え、融水谷(ツィラータール)の政変を不正なものと見做せば、同地において総統(フューラー)に推されたエムヤー・ウズルスを擁する熊の高地(ベルナーオーバーラント)は、融水谷(ツィラータール)に対する軍事行動の大義名分を有している、と言えなくもない。

 そのつもりがないのだとしても、熊の高地(ベルナーオーバーラント)執政(コンスル)がエムヤーの境遇を憐れんで庇護を決めた、と考えるのは余りに情緒的に過ぎる。先々の政治的な(カード)になり得る、という怜悧な計算もあってのことなのだろう、といった辺りは、そういったところに疎いキーノにも理解はできた。

 

「言われるまでもない。冒険者たるもの、依頼を通して知った秘密を他者に語ることはない。

 こうして報酬(仔山羊)も届けてもらったことだしな。」

 

 キーノが敢えてそう言って笑うと、生真面目なクスクルも漸く笑みを浮かべた。

 

熊の高地(ベルナーオーバーラント)は、融水谷(ツィラータール)塵の滝(シュタウプバッハ)のいずれに対しても事を構えるつもりはありません。互いの自立が守られることが最善、と考えるゆえですが、両者が(ごう)して我らを併呑せんと目論むようであれば、受けて立つほかありません。この点は御心に(とど)めおきください。」

 

 そんな会話を反芻しつつ平原を南へ、南へと黙々と歩むキーノは、今一度、どうして自分は誰に頼まれたわけでもなく融水谷(ツィラータール)へ向かっているのだろう、と自らに問い掛けていた。

 

 キーノの最大の関心事は、繰り返しこの世界へやって来る来訪者(ユグドラシルプレイヤー)に対し、こちらの世界の住人に然るべき知識を語ることで、起こらずに済めば越したことはない()()にとっての悲劇を未然に防ぐことだ。

 一方で、悲劇は必ずしも来訪者(ユグドラシルプレイヤー)のみがもたらすものではない。永劫の(とき)彷徨(さまよ)い続けてきたキーノにとって、ただいまは、十三英雄と魔神の戦いの(あと)の復興期に続く二度目のそれ、ということになるが、新しい秩序の確立は、否応なく様々な目論見を(かか)えた(もの)たちの衝突を引き起こす。実際、今、ここで起こっていることがそれだ。

 一度目の時分は、実年齢はともかくキーノ自身がまだまだ幼かったこともあって、人間、亜人社会の成り立ちに何某(なにがし)かの影響を与える、などということは考えもしなかったが、今の自分たちは、既にあちらこちらの生き残り村の復興に少なからず関与してしまっている。それ自体についてキーノは、自分は為すべきことを為してきた、と自負している一方、竜王(ドラゴンロード)来訪者(ユグドラシルプレイヤー)を除けば破格な力を有した自分が、恣意的にそこに介入することへの忌避感を覚えているのも否定はできなかった。

 

 ふと、キーノの視線は、双子忍者クゥイア、クゥイナと何やらじゃれ合いながら歩いている自身の眷属にして最も信頼する相談役、愛する(ひと)、クレマンティーヌへと向かう。

 <(めぇ)()く七日間>で灰燼に()した文明社会に茫然自失となったキーノに対し、クレマンティーヌがこんなことを言ったことがあった。

 

「丁度いい具合に街だの国だのがなくなったこの機に、生き残った連中を束ねて王様にでも名乗りをあげる?それなら、連中を守りたい、って話にも筋が通るわさ。ワタシはキーノちゃんの親衛隊長にでも騎士団長にでも、何なら政敵を片付ける刺客にでも、(なん)にでもなってあげるわよ!」

 

 無論キーノはこれを、大災厄を未然に防げなかったと分不相応な自責の念を抱え込んで打ちひしがれたキーノを立ち直らせるべく発せられた方便である、と理解しているが、今思えば、実はもっと深いところを衝いていたものだったのかもしれない、とも思われるのだ。

 自身の真に望むところが、この世界の民草に安寧をもたらすこと、であるのであれば、クレマンティーヌの言うように、王の名乗りを挙げて一国を()べるべきだ、というのは理に適っている。

 

「んで、キーノちゃんは融水谷(ツィラータール)に乗り込んでどうするつもりなのかなー?

 新総統(フューラー)の陰謀を暴いて、キーノちゃんが取って代わる?」

 

 キーノの視線を感じ取ったクレマンティーヌがそう軽口を叩く。

 もちろん冗談だ、とはわかっているが、どうするつもりなのか、という問いに明確な答えはない。

 

「もっとも、キーノちゃんは見た目だけはちっこい女の子だから、連中が推してくれるとも思えないけど。」

 

 融水谷(ツィラータール)のみならず、大陸東部の社会で肩書はどうあれ支配者として認められるには、群衆からの推戴歓呼を得る必要がある。それは人々が自ら選んだ統率者に進んで協力していくことを誓う儀式であり、そういった人々に対して力尽くの支配は出来なくはなかろうが、被支配者の自主的な参加がなければそれは国家としては決して機能しない。

 そして事実としては、この辺りの社会で女性が郷士(ランツクネヒト)に席を得るようになって久しくはあるものの、その中から総統(フューラー)が推戴された実績はなかった。

 

「何ならワタシが代わりに初めての女総統(フューラー)になるのもありよね。

 随分女の子の兵隊さんも増えたとは言え野郎が多数派なのは変わらないから、ワタシの色気でイチコロよ!」

おっぱい万歳(ヴィヴレテテ)!」

 左手は胸の前で丸みを作り、右手は斜め上に振り挙げて敬礼(ジークハイル)

 

 ……あれ?

 冗談、でもないのか?

 

 キーノのその思いは素直に顔に出る。

 

「やめてよキーノちゃん!そんなことするワケないでしょ!」

 

 ……本当(ほんと)かな?

 

「それに、どう考えたってそういうのはワタシの(がら)じゃないわさ。

 ワタシは生来の壊し屋。国を滅ぼすのは大好きだけど、国を興すなんて阿呆らしくて面倒臭くってやってらんないわよ!」

 

 うーむ。

 これは、あーよかった、というべきところ……なのだろうか?

 別の意味で剣呑なことを聞かされた感がなきにしもあらず。

 

「そもそも。」

 

 クレマンティーヌは問われず語りに続けた。

 

「国、だなんて大袈裟な話でなくとも、群れを組んで生きるのは人間、亜人だけじゃない。獣にだって鳥にだって群れで暮らす連中はいるわさ。ちょっと考えればわかることだけど、群れる理由は皆が幸せ(ハッピー)になることじゃない。一番強いやつに助けてもらうか、一番弱いやつを生贄にして生き残るか、それだけの話。そしてワタシは、誰かに縋るのも縋られるのも、縋ってるやつも縋られてるやつも、大嫌い……なのよねん!」

 

 敢えて軽い口調で語られるそれは、でありながら、この世の真を()いていた。

 

「キーノちゃんだってそうでしょ?

 もしキーノちゃんたちにその気があれば、魔神との戦いの(あと)、十三英雄の(みな)でこの世界を支配してたってよかったわけよ。もしそうしてたら、それこそナザリックの連中がこちらにやって来たときの初動も、実際の歴史とは随分と違ったでしょ?

 でも、キーノちゃんたちはそうしなかった。来訪者(ユグドラシルプレイヤー)が百年おきにやって来ることに気づいてたツアー、も含めてね。」

 

 それは、キーノにとってはなかなかに耳の痛い指摘だった。

 もちろん、どう考えても当時の自分にそんなことを試みる技量も覚悟もなかったのはわかっている。一方で、ツアーを含む十三英雄たちが、魔神の撃退のみに専念し、その後の人間、亜人社会の再興を為るに任せた結果はどうであったか。

 

 スレイン法国は、存在しない神の威を騙ってひたすら民を薪に()べる陰謀国家と化した。事大主義に陥ったリ・エスティーゼ王国は、腐敗貴族と連なる犯罪組織で内破した。バハルス帝国も、中興の祖初代ジルクニフが登場しなければ王国の轍を踏んでいたのは間違いないし、そのジルクニフにしても、改革の過程で鮮血帝の渾名を戴くほどに血を流したものだ。

 その中で民草は数え上げるも馬々鹿々しくなるほどの悲劇に見舞われたことだろうが、果たしてそれらの悲劇は、キーノたちが身を挺して彼らを守り通したところの魔神によるそれと、何か違うだろうか。違わないのだとしたら、それらの悲劇に対しても、十三英雄は隠遁などを決め込まずに、民草を守るべく立ち向かうべきだったのだろうか。

 

「以前はこんなこと考えもしなかったんだけどさー。

 存外ワタシは、あのアインズ・ウール・ゴウンと気が合うような気もするのよねー!」

 

「……はぁ?」

 

 クレマンティーヌの驚天動地の発言にキーノは驚きの声をあげるが、言っている本人は特におかしなことを言っているつもりはないようだ。

 

「アインズさんは言ったわさ。みんな自由気ままに跳び回ってもらいたい、何かをやらせたいわけじゃない、どうして欲しい、こうして欲しいなんてのはない、って。

 ワタシもまったく同感。(みな)好き勝手にぶつかり合って、ムカつくやつは文句言う前に叩き潰せばいいし、守りたいやつがいれば守ってやればいい。ツアーがアインズさんと馬が合うって話も、その辺りの感性(センス)が通じあってるからじゃないのかなー。」

 

 ……なるほど、とキーノは息を呑む。

 自分は、なまじツアーやアインズの存在を知ってしまっているがゆえに、本当は自分自身の内から湧き上がる思いから発していることを行動に移すに際し、無意識のうちにツアーやアインズの視点からみてそれは正しいことだろうか、呆れられたり咎められたりすることはないだろうか、と考える癖がついてしまっているが、そんなことを求められたことは一度たりとてないし、そもそも彼ら自身は名実ともにこの世界最強の存在であるがゆえに、キーノがそうであるような視点を外部に求めることが叶わず、常に自分の意志と決断を背負い続けざるを得ない(もの)たちだ。

 

「好き勝手やってりゃ他の好き勝手と衝突することもあんでしょーけど、やり合って勝てばよし、勝てそうになければ節を曲げて媚びるもよし、叩きのめされて逃げるもよし、逃げもできずに滅ぼされて消えるも一興、でしょ。っつーかワタシら、それ以外に終わりがないんだから。」

 

 達観したに聞こえるクレマンティーヌの言はまさにその通りで、彼女をその道連れに巻き込んだのは他ならぬキーノ自身だ。無論、キーノはそのことをクレマンティーヌに責められているとは思っていないし、詫びたいとも思わない。

 これは、クレマンティーヌが好き勝手にやっていく上での覚悟を語ったもので、彼女が言う通り、おそらくはツアーもアインズも、その辺りはまったく同じなのではないか。

 

「ふふ……流石だよ、クレマンティーヌ。

 おまえと話していると、もやもやと霧が漂っていた心の中に快い涼風が吹き抜けて晴れ渡るようだ!」

 

「よしてよ、キーノちゃん。どこぞの悪魔(デミウルゴス)でもあるまいに!」

 

「……ふぁ?」

 

「それに。

 

 ワタシはキーノちゃんの眷属。

 ワタシの力はキーノちゃんの力。

 ワタシの言葉はキーノちゃんの言葉。

 

 ワタシはキーノちゃんのためだけに今、此処に在るんだから当然よ!」

 

 そう言いながら、歩きながら腰を屈めたクレマンティーヌがキーノの頬に軽く唇を触れる。

 幾千年を経ても気恥ずかしく感じる喜びを覚えながら、キーノは、何が自分を只今歩む道のりに誘ったのかを自覚しつつあった。

 

 簒奪が計画的なものであったにせよ偶発的なものだったにせよ。

 <松脂谷(キエンタール)の惨劇>が誰の手によるものであったにせよ。

 

 自分は、新総統(フューラー)キャラバッシュ・ペシュメルなる人物の、

 覚悟のほどを問うてみたいのだ、と。

 

 

 

 南へ向かうにつれて向かって左側、東から中央山嶺がせり出すように迫ってきて、呼応するように前方にも連山が現れて舗装路が荷馬車が留置された駅で途切れると、街道は谷間に入って趣をがらりと変える。

 <(めぇ)()く七日間>以前は、谷底をカッツェ平野へ向かって流れる渓流に沿って石畳の街道が整備されており、城塞都市間の帝国軍団(ライヒスレギオン)の行軍移動速度を正確に見積もることを企図して設計されたそれは、なるべく勾配を生じさせぬよう適宜築堤や架橋で補われた高速道路(ハイウェイ)であったものだが、ただいまのそれは、街道が彼方からやって来た大災厄を集住地へ誘った、という思い込みから、今なお瓦礫として残るかつての街道跡から数段山肌に沿って上った辺りを等高線に沿って針葉樹の木陰を縫って進む水平道(トラバース)になっている。

 曲がりくねったそれは事実上の獣道(けものみち)で、人外の力を有する<黒の百合(ゆり)>とて否応なく進行速度を緩めざるを得なかったが、種族特性上日中の日差しを嫌うキーノとクレマンティーヌにとっては、むしろ勢いに任せて駆け抜けた平原よりは心地よい道のりでもあった。

 

 谷の東側斜面を蛇行しながら進むこと二日、そのまま南進する谷に東からもう一つの谷が合流してきた。真っ直ぐ進めばカッツェ平野、合流して来た谷の方角に目指す融水谷(ツィラータール)がある。

 キーノたちは斜面に沿って東へ進路を転じるが、途中、谷間へと降りていく分岐路があった。否、それが道とわかったのはキーノたちだからであって、見分ける目を持たぬ(もの)からすれば、それは自然の沢であるかのように見えたことだろうが、比較的近い間に数人の人間が、それも繰り返し通ったものであることは彼女らの目には明らかだった。

 キーノの知識としては、百年ほど前に融水谷(ツィラータール)を訪ねた時点で、その西端(せいたん)はここからもう少し東へ進んだ谷間の小村(しょうそん)だったような憶えがある。あれから南へ向けて新たな開拓でもあったのだろうか。

 さらに半日進めば、キーノが憶えていた通り、ここまで絶えることのなかった針葉樹林が突然途切れて、南面する斜面に街道を挟んで段々畑が上下に連なる光景が現れた。開拓当初、こういった農地は村がある支谷(しこく)にかなり入り込んだところから始まっていて、東西に走る主谷(しゅこく)からは容易に村の存在がわからないような配慮がなされていたものだが、街道に沿ってやってくると観念された大災厄への警戒感が三百年の時を経て和らいだものか、あるいは単に人口増加に伴い支谷(しこく)の奥のみでは食料生産を賄いきれなくなったものか、今ではこうした段々畑がどの支谷(しこく)に村があるのかを示す道標(みちしるべ)のようになっている。

 夜半の人気(ひとけ)のない畑の中を、緩やかな弧を描いて北へと曲がっていく道を進めば、やがて支谷(しこく)を越えた向こう側の同じような光景が見えてきた。道に沿って進む限り、谷を奥まで進んで村の中心地を通過し、折り返して来ないことにはあちらには辿り着けない。

 

「……面倒臭いな。

 夜中で誰の目もないし。跳ぶか?」

 

 キーノが仲間を振り返ってそう問うと、既にクレマンティーヌは準備体操のつもりなのか屈伸運動を始めていて、双子忍者は何処から取り出したものか、全身でXの字を作れば丁度四隅に手足が届きそうな広さの布を銘々()にしている。

 

「間違っても畑に墜ちてくれるなよ。

 <飛行(フライ)>!」

 

 キーノが闇夜にひゅん、と飛び上がると、少し遅れてそれを追い越すように、自身、弩に放たれた矢になったかのようなクレマンティーヌが飛んで、続いて、手足の先で(はし)(つま)んだ布地を背面で母衣(ほろ)のように開いた双子忍者が、風に乗ってふわふわと谷間を越えていった。

 

 そんなことを繰り返しながらさらに三日東進すると、南側は相変わらず谷間に面した急な斜面だが、北へ向かって緩やかな登りになった牧草地が見えてくる。ここでさらに東へと向かう街道から別れて北進すれば、中央山嶺の南端で小高い山に囲まれた高原となっている、目的地融水谷(ツィラータール)へ至る。

 早朝の柔らかな日差しを薄茶(ベージュ)頭巾(フード)付き外套(マント)で遮りながら、ちらほら見える家畜の間を進んでいくと、えぃ!えぃ!という威勢のよい掛け声が聴こえてきた。見れば、揃いの鉾槍(ハルバード)を構えた三十人ほどの若者が隊列を組んで訓練をしているらしい。

 その一団の中に遠目にも抜きんでて目立つ巨人の姿があって、街道を村へと歩むキーノたちに気づいたものか、若者たちの隊列から離れて歩み寄って来た。

 

 その肩に担がれた、これ見よがしに目立つ斬馬刀(ホースチョッパー)

 

「アァ!思ッタ通リ、キーノ小母(おば)サンジャナイカ!」

 

 ……小母(おば)さん?

 

 カチン、ときつつも、誰の目から見ても可愛らしい少女でないはずがない自分を、敢えて小母(おば)さん呼びするのは、以前に知己があって、かつ、際して双子忍者を通してその呼び名をあって然りの敬称と思い込んだ者に違いないので、キーノは自身の朧げな記憶との照合を試みた。

 

「おまえは……あぁ、ゲオルグソンか!」

 

「七年ホド前ニ息子ガ元服シテ、今ハ、ゲオルグ、ダヨ、キーノ小母(おば)サン!」

 

 キーノの姿を認めて歩み寄って来た大鬼(オーガ)は、百年ほど前の<黒の百合(ゆり)>の当地来訪時には元服襲名したての若者だった人物で、ゲオルグの名を受け継ぐ(もの)としては、初代総統(フューラー)ブライア・ペシュメルと親交厚かったゲオルグソンから数えて三代目に当たる融水谷(ツィラータール)の斬り込み隊長だ。

 

「そいつは……おめでとう!

 親父さんは元気にしてるか?」

 

 キーノは百年前に語らった、当時ゲオルグと名乗っていた目前のゲオルグの父、初代ゲオルグソンの従弟(いとこ)ハロルドソンの血縁上の長男に当たる人物の息災を問うが。

 

「孫ノ元服ヲ見届ケテ、三年ホド前ニ身罷ッタ。」

 

「……そうか、悪いことを訊いたな。謹んでお悔やみを。」

 

 だが、ゲオルグに気にする様子はない。

 

「ナーニ。親父ハ、グランゲオルグ、ヲ、三年ト少シ名乗ッタモノダ。悲シムコトナド何モナイサ!」

 

 大鬼(オーガ)には父から息子へ、息子から孫へ、と名を受け継ぐ習俗があり、ゲオルグソンの息子がゲオルグソンを襲名した時点で父ゲオルグソンはゲオルグと名乗るようになる。この時点でさらに先代のゲオルグが存命であった場合、祖父はグランゲオルグと名乗り、これは大鬼(オーガ)の通念としては大変名誉なことであった。

 

「そうか……では私もグランゲオルグの充実した生涯を祝福させてもらおう。」

 

「……カタジケナイ。」

 

 ほんの一瞬、キーノはゲオルグの瞳に光るものを覚えるが、敢えてそれ以上は何も言わなかった。限りある命を生きる(もの)は、愛別離苦の運命(さだめ)から逃れることができない。それを既に逍遥と受け入れている(もの)に対し、無限の(とき)の旅人である自分が、さらに言葉を重ねるは無粋だ。

 

「叔父ハロルド、ハ今モ元気ニシテイル。キーノ小母(おば)サント再会叶エバキット喜ブダロウ。冥土ノ土産ニ会ッテイッテヤッテクレ。」

 

「あぁ、そうさせてもらおう!

 そうさせてもらうから、その……小母(おば)さんはやめてくれ。」

 

 キーノのこの言葉にゲオルグは八重歯を見せて破顔し、片手を村の方に差し出して同道(どうどう)の意を示した。訓練は構わないのか?と問えば、自分は郷士(ランツクネヒト)見習いの自主朝練に付き合っていただけなので、とゲオルグは応じた。

 そして歩き出すや、こんなことを言う。

 

「シカシ惜シイコトヲシタ。キャラバッシュ、モ、キーノ……達ニ会イタガッテイタノニ。」

 

「……キャラバッシュというのは確か、おまえたちの新しい総統(フューラー)だな?」

 

 キーノがそう尋ねると、ゲオルグは驚いて見せた。

 

「キャラバッシュ、ヲ知ッテイルノカ?」

 

「実は、そのキャラバッシュ・ペシュメルと少し(はな)してみたい、と思って立ち寄らせてもらったんだ。」

 

 キーノは正直に来訪の目的を告げる。

 対してゲオルグは、残念そうにこう答えた。

 

「デアレバ重ネテ残念ダ。キャラバッシュ、ハ、五日ホド前ニ、村々ノ視察カ何カデ僅カナ近衛ノミヲ率イテ東ヘ向カッタ、ト聞イテイル。」

 

「そう……なのか。」

 

「半月モセズニ戻ルトハ思ウガ、急グ旅デナイノナラ、ユックリシテイッテクレ。」

 

 ゲオルグは、百年ぶりに当地を訪れた触れ得ざる者キーノが、自分たちの新しい総統(フューラー)を名指しして面会を求めたことに特に疑問を(いだ)いてはいない様子。

 

「キャラバッシュ、というのは。」

 

と、キーノ。

 ン?と、先を進むゲオルグが振り返る。

 

「キャラバッシュは、どんな男なんだ?」

 

 問われたゲオルグに、やはりそこに疑問を覚える素振りはなく、むしろ当然だ、といった構え。

 

「マダ五十ニナッタバカリノ若造デ剣ノ腕前モソコソコ。

 ダガ、キャラバッシュ、ニハ、俺ニハ見エテイナイモノガ見エテイル。

 ソンナ男ダ。」

 

 ゲオルグの簡潔な人物評に、キャラバッシュを謀略で以て総統(フューラー)の座を奪い取った人物、と疑っていなくもなかったキーノは意外な印象を受ける。

 少なくともゲオルグはキャラバッシュに敬意を払っているようだし、種族特性から他者の心根を直感的に見抜くのに()けた大鬼(オーガ)がそう言うからには、決して悪人ではないのだろう。その意味するところは、果たして何だろうか。

 

 この時点のキーノは、その人となりに触れるまでに一波乱待ち受けていることをまだ知らない。

 

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