コン、コン。
三度叩扉音で物語は幕を開ける。
たちまちに扉が内から開かれ、中から予期していたそれとは随分と異なる人物が姿を現したのを認めて、女はやや身構えた。
「お待ちしていたわ。」
と、応じたのは、訪問者と年頃、背格好、体格、いずれも似通った女。腰に小剣を佩いているが、服装は訪問者同様の普段着だ。
見れば室内には同じような軽装に、やはり小剣を佩いた体格のよい男が四人。加えて、一見して明らかに神聖系魔法詠唱者とわかる法服姿の男が一人。
「どういう……こと?」
訪問者は憮然とした態度で問うが、問われた女は悪びれる様子もない。
「貴女たちと事を構えるつもりはないわ。
ただ、ご同道をお願いしたいだけ。」
怖気る素振りこそないが、訪問者は意向を伺うかのように後ろを顧みる。
その視線の向かう先、暗闇から滲み出すように姿を現す黒服長身の男。その両肩には傷一つない見事な体格の鹿が一頭ずつ担がれている。
「鹿はどうすればいい?」
何の気配も発さないまま突然視界に入ったその男に室内の女は一瞬息を呑んだが、間の抜けた問いに肩の力が抜けた。
「……土間にでもおいておけばいいんじゃなくて?
葡萄酒は、これから案内する先に、とっておきのものが用意してあるわ。」
敢えて女が軽口でそう応じると、それまで表情らしい表情のなかった黒服男は、微かに、ではあるが、ニッ、と笑みを浮かべた。
満月の夜とはいえ、足元は暗い。
自分たちはともかく人間たちは足元が覚束ないんじゃないか、と女は思うが、二人を前後に挟んだ酒蔵で待ち受けていた集団は、迷いのない歩みでほとんど足音も立てずに黙々と先を急いだ。ひょっとすると魔法詠唱者が、夜目の効く支援魔法を用いているのかもしれない。
一行は無言のままに半刻弱歩き続けて村の外れ、ほとんど廃屋のような小屋に辿り着いた。とても人が住んでいるようには見えないが、でありながら、そこからは外から目立たぬように気遣われていると思しき弱々しい灯りが漏れている。
「伯父貴、お連れしたわ!」
先頭を歩いていた小剣を佩いた女が、叩扉するでもなく小屋の扉を開くと、中から、
「公務中はその呼びは止せ、と言ったはずだ。」
と、野太い男の窘める声がする。
一瞬立ち止まった女は、チッ、と舌打ちを一つ発した後「入ってちょうだい」と振り返らずに手招きだけして中へと進んだ。
廃屋に見えた外見に比して室内は思いのほか綺麗に整っていて、微かに紫煙が燻っている。煙草を嗜んでいたと思われる人物は、こちらに背を向けて上座を空けて着座していた。女と黒服男は、付き従った兵士らしい男たちから上座を勧められる。椅子は一つだけあって、黒服男が黙ってその後ろに立ったので、女が席についた。
「無作法な招きとなったことについてはお詫びを申し上げる。」
席についている男が、強い意志を感じさせる口調でそう言った。
恰幅のよい齢五十前後の髭面の男。
ここまで案内してきた女を含む兵士、魔法詠唱者は、着座した男の後ろに整列する。
「まずは名乗らせてもらおう。
私は融水谷にて総統の職責にあるキャラバッシュ・ペシュメルだ。」
この言葉に、向かい合った女は一瞬色めき立つ様子を見せたが、ほぼ同時に、後背から言葉には言い表すことの叶わない圧を覚えてこれを抑えられた。これに気づいてか、あるいは気づかないものか、キャラバッシュはこう問う。
「伝え聞いていたのと随分風体が異なるようにも思うのだが。
貴女が……キーノ・インベルンなのだろうか?」
……はぁ?
問われた女は見るからに困惑した表情を浮かべた。
やはり、意向を尋ねるかのように後ろに屹立した黒服男を振り返るが、男は何の反応も返さなかった。
「……違うのか?それはそれで構わない。
貴女がたは、吸血鬼、とお見受けするが……あっているだろうか?」
無遠慮にキャラバッシュは核心を衝いた。
問われず語りに彼は続ける。
「キーノ・インベルンというのは、三百年もの昔から当地をしばしば訪れ、我らに種々の助力や助言を与えてくれている有徳の吸血鬼の名だ。
貴女がたがキーノ・インベルンではないのだとしても、ここしばらく吸血鬼の被害は聞いたことがないし、その人外の力をすれば何を奪うも勝手気儘であろうに敢えて鹿を手土産に葡萄酒を求める貴女がたも、キーノ・インベルン同様の有徳の吸血鬼であろう、と考える次第だが……あっているだろうか?」
やはり女はどう応じたものか困惑している様子を隠さなかったが、黒服の男は、言葉は発さぬもののあからさまに愉快げな笑みを浮かべた。
「お近づきの印に一献差し上げよう。」
キャラバッシュがそう言って弾指すると、背後の男が盆の上に用意したグラスに葡萄酒を注ぎ始めた。無言のままに人数分のそれが用意され、上座から順番に深紅の液体を満たしたそれが素早く配られる。
「今宵の邂逅が善きものとなるように。」
キャラバッシュはそう宣じてグラスを掲げると一息にこれを飲み干した。背後の部下たちもこれに続く。
席の女と立ったままの黒服男は、それぞれいっときグラスを顔の前で揺らして香りを確かめた後、軽く口に含んで口中で酒を転がした。
女はたちまちに目を見開いて驚きを示し、黒服男は、やはりはっきりと、ではないが微かな喜色を浮かべて満足げにもう一口、続いてすべてを飲み干す。
「御口にあえば幸いだが。秘蔵の二十年ものだ。
お望みとあれば、土産に数本用意している。」
「用件を。」
ここに至って、初めて黒服男が、やはりまったく感情を表さない平板な口調でそう問うた。
キャラバッシュは、満足げに頷いてこう返す。
「あなたがたを有徳の吸血鬼と見込んで、教えを乞いたいことがある。」
キャラバッシュは相槌のようなものを期待して一旦言葉を切ったが、向かい合う男女はいずれも口を噤んだままだ。はて、どうしたものか、と一瞬呻吟した表情を見抜いたものか。
「聞いている。続けろ。」
と、背後の黒服男がやはり無感情な声を発し、これに不穏なものを覚えつつも最早退く筋はない、と意を決したものか、キャラバッシュは続けた。
「私よりも遥かに長い時を過ごしているであろうあなたたちは承知やもしれぬが、谷を南西に進めばやがてカッツェ平野へ至る。」
やはりこれに耳を傾ける男女に反応はないが、女の方が一瞬背後の男を顧みた後に、
「その名を聞いたことはある。日中であっても不死者が彷徨う不毛の大地、であるとか。」
と、キャラバッシュの言を補うように言った。
「……左様。
その北側には、伝承によれば回廊、西バハルス帝国、あるいは新領土と呼ばれた平原が西へと続いていて、太古の昔、当地を統べた帝国の威光は、これを通って遥か大陸の西側に広がる肥沃な大地にまで行き渡っていたという。だが、三百年前の大災厄以来、回廊もまたカッツェ平野に発する不死者に飲み込まれ、大陸西部との交流は絶えて久しい。」
興味関心を惹けているものか、変わらず黒服の男は無言のままでいる。
着座の女は落ち着かない様子で、きょろきょろと、キャラバッシュと背後の男に交互に視線を走らせているが、当人はどう応じてよいやらわからないようだ。
キャラバッシュは思う。
キーノ・インベルンが、実年齢はともかく見た目は幼気な少女と聞かされていて、女が着座して男が背後に立ったので、てっきり女が主で男が従僕と思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。
「これをご覧いただきたい。」
再びキャラバッシュがパチン、と弾指すると、後背の部下の一人が何やら大きな羊皮紙の巻物を持って進み出、客との間の平台の上に開いた。
それは……。
右上に谷の出口が配された絵地図だった。
「十年ほどを費やして、私の配下を訓練名目で繰り返し派して作らせた、谷の出口からカッツェ平野を望む辺りの地図だ。」
と、キャラバッシュ。要々所々を指差しながら説明を加えていく。
「精密な測量をおこなったわけではないが、私自身一度出向いて、実用上は問題ない程度の正確さがあることは確かめている。
谷の出口近くの×印は、古の帝国が築いた砦の跡だ。今は跡形もないが、残された石材は新たな橋頭保の素材として利用価値があるだろう。谷から南へ出て西へと向かうこの破線は、大災厄以前の文明が魔法の力で動く荷車を走らせた石造りの高架の跡になる。これは当時、少ないながらもしばしば南からやって来る不死者に対する防壁を兼ねていたと考えられ、これから我々がやろうとしていることに大きな示唆を与えるものと目している。」
「やろうと……していること?」
漸く反応を返したのは女の方だ。
キャラバッシュは、わざとらしく大きく頷いて見せた。
「私が目指すのは、回廊を不死者から取り戻し、大陸西部への道を切り拓くことだ。
そのために、同じ不死者であるあなたがたから、有益な助言をいただけないか、と考えて今宵はお招きした次第だ。」
このキャラバッシュの言葉に、女は大きく目を見開いて驚きを隠さない。
一方の黒服男は、やはり関心があるのかないのか黙ったままだが、明らかにその視線は地図を食い入るように見つめている。
「谷を抜けて以降、三色に塗り分けている部分は不死者との邂逅頻度を示したものだ。色の濃い部分が一日居れば確実に襲われる領域で、つまりカッツェ平野、ということになる。当たり前のことにはなるが、そこから染み出るように三日のうちには邂逅する領域、七日のうちには邂逅する領域と広がっていて、かつての防壁は概ね三日の域と七日の域を隔てる辺りを通っていることがわかる。
つまり、なんとか三日に一度、不死者を防ぎつつ防壁の再建を進めれば、理屈の上では防壁より北の回廊を安全に……とまでは言えなくとも、相応に武装した者であれば通行可能とすることは叶うように思えなくもない。
無論、我々がこの計画にそれなりの人員を注ぎ込んで生者の気配をばらまけば、これに呼応して不死者の出現頻度が上がる、といったことへの考慮は必要かとは思うが、大枠の方針はそういうことになるだろう、と考えている。
あなたたちに教えを乞いたいのは、果たしてそういうことは可能であるのか、我々が見落としている危険はないか、何かもっとよい方法はないか、といったところの助言だ。」
「可能かどうか、はともかく。」
と、口を開いたのは、やはり着座した女。
「なぜ、そんなことを試みる?
そもそも、仮に可能であるとしても、おまえの存命中にそんなことをやり切れるはずもないだろう!」
「愚問だ。」
キャラバッシュは即座に断言した。
「あなたがたとは違い、我々の生涯は儚くも短い。だが我々は既に三百年に世代を重ね、大災厄の直後は僅か二ヶ村であった人類の可住地を、三拠点数十ヶ村まで拡大してきた。
最初にこれに着手した我が始祖、ブライア・ペシュメルは、必ずしも現在の状況を予期はしていなかっただろう。彼はただ、その時為すべきことを始めただけだ。私もまた、その実りを自ら得ることが決してなかろうとも、ただ始めるだけだ。それが成し遂げられるか、など、私の知るところではない。」
女は、何か思うところがあるものか肩を震わせつつ、それでも何も言い返すことができない。
「ただはっきりと言えることがひとつだけあるとすれば、だ。
誰かが始めなければ、成し遂げられる可能性はいつまでも無だ、という不動の真理があるのみ。そして、そこに新たな希望を見出して一致団結するのではなく、不毛な党派間の小競り合いを繰り返すのみであれば、我々は確実に……」
「ジェネレータ。」
キャラバッシュの熱を帯びた語りは、唐突脈絡不祥な黒服男の言葉で断ち切られた。
「……今、何と?」
慌ててキャラバッシュが問い返すと、黒服男は直接には問いに応じず、逆に問いを発した。
「不死者は何だ?」
「何だ、とは?」
「吸血鬼か、私のような?」
キャラバッシュは問われた意味を解して即答する。
「いや、あなたがたとは違う。主には骸骨と動死体。極々稀に大物が混じるとも言われるが、これはカッツェ平野の奥深くに踏み込まねば余程ない、と考えられている。」
「であればなおのことジェネレータだ。
吸血鬼であれば、真祖と獲物となる人間、亜人があれば増えていくこともあるだろうが、骸骨、動死体などのポップモンスターは、ギルド拠点から発するものでないのであれば、必ず何某かのジェネレータがあってそこから生じているはず。これを攻略するのはフィールドを制する基本中の基本だ。」
これまで無口だった黒服男が突如雄弁にそう語ったこともさりながら、キャラバッシュには男の言葉の端々に不明瞭な言葉があって、たちまちには意味するところが呑み込めなかった。辛うじて、不死者が生じる砦か何かがあって、それを攻略する必要がある、と言われていることはわかる。
「我々に……それが可能だろうか?」
「戦力は?」
またも唐突に問われ、すっかり会話の主導権を奪われたキャラバッシュはいささか困惑気味だ。
「……我ら融水谷に四個軍団軽装刃鋒兵五百と同数の弓槍兵、加えて大鬼が三。塵の滝、熊の高地に計五個軍団。総員挙げて、は現実的にはありえないが、合すればおよそ二千名に届くか届かないか。屈強な亜人の類も、承知はしていないが他にいくらかはいるだろう。」
女は、大陸東部で拮抗する三勢力すべての軍勢を、まるで自身の戦力のように語るキャラバッシュに呆気に取られているが、黒服の男はにべもなく断言した。
「論外だ。ジェネレータの破壊には、少なくともレベル七十以上、五名以上のバランスの取れたパーティーで臨むのが定石。おまえらではいたずらに不死者の素材を増やすが関の山だろう。そんなことよりも、だ!」
やおら黒服男は、目前の着座する女を押しのけるように一歩進んで卓上の地図に指を立てた。
キャラバッシュは、一世一代を掛けた計画を、そんなこと、呼ばわりされて、いささか憮然とした面持ちではあるものの、流石に黒服男の迫力に押されて言い返すことができない。
「これは何を意味している?なぜ北回りの経路を考慮しない?」
黒服男が指差す先は、色分けが示す不死者邂逅率がない箇所、地図の上部、方角で言えば北側だ。
谷の出口を形作る山は、東側は壁のようにそのまま南東へ向かい、カッツェ平野の東端にもなっている。一方で西側は西へ向かって弧を描くように先細っていく。その西端までは地図では見切れているものの、これに回廊と隔てられた北側には、更に北に広がる森との間に盆地に見える隙間がある。
黒服男の問う、北回りの経路、とは、谷の出口の何処かで西側の山を越え、この隙間を通って西進すれば少なくとも南から押し寄せるに見える不死者との邂逅は避けられるのではないか、というものだ。
「も、もちろんそれは我々も考えたが、不可能、という判断をしている。」
「この空白だな?」
黒服男の指は地図上を西へ滑って、不自然に何も書き込まれていない箇所へ向かった。回廊とは連山で隔てられた北側に、ぽっかりと空いた空白。さらにその北側には森の南限が書き込まれているので、より一層それは不自然に見えた。
「そこには過去三度、探索の伍隊を送り込んでいるが誰一人戻らなかった。カッツェ平野に向かった者たちは、不死者に追われこそしたが皆生還しているのに、だ。
その奥に広がるトブの大森林には、我々に対し友好的な者たちも住まっていて少なからず交流もあるが、そもそもは人間の領域ではない、と観念されている。そこに不死者以上に把握不能な触れ得ざる脅威が存在するのであれば、強いてこれに挑む理由は我々にはない。」
このキャラバッシュの答えに、黒服男はハッハッハッ、と哄笑を返した。
「面白い話を聞かせてくれた礼に、おまえらの命を取るのは勘弁してやろう。」
「「「……えっ!」」」
ここまでの、突っ慳貪ながらも存外理知的な対話からは予想されなかった物言いが飛び出して、キャラバッシュとその部下、さらには黒服男に押しのけられたまま着座していた女までもが驚きの声を上げた。
「今更何を驚く?
有徳の吸血鬼など聞いて笑わせる!私がおまえたちをたちまちに歯牙にかけんのは、おまえたちのような滓を狩っても楽しくも何ともないし、血の渇きなど指輪の力で何とでもなるからだ。」
と、青白い透き通った十指それぞれに嵌められた、恐るべき魔力を秘めた指輪が示される。
「おまえたちが当てにしていたキーノなんとやらも似たようなものだろう。私同様、暇を持て余しておまえたちに助力したことがあったのやもしれないが、本質は私と同じ、血と戦いに飢えた化け物に違いない。」
一気にそうまくし立てた黒服男は、やおら平台においていた空のグラスを取った。
「女!」
と、視線はキャラバッシュの姪、彼らをこの廃屋へ誘った女隊長エリカ・アルボレアへ向かう。
「注げ。」
「……はぁ?」
「さっきまだある、と言っただろう?
久しぶりにたくさん喋って覚えた喉の渇きは、おまえの血で潤しても構わんのだぞ。」
エリカは、ぐっ、と言葉を詰まらせたが、不意に、
「やれ!」
と、黒服男を指差した。たちまちに意を察した神聖系魔法詠唱者が、一瞬躊躇う様子を見せつつも右手を振り上げようとした刹那、
「<心臓掌握>!」
黒服男の指輪だらけの右手が突き出されるや何かを握りしめる体。心臓を一息に握りつぶされた魔法詠唱者は、内から突如生じた血圧に目、鼻、口から、びゅっ、と鮮血を噴き上げて、ぐにゃり、と床に崩れ落ちた。
「「「な!」」」
「何故、命じたおまえではなく命じられた男を殺めたかが……わかるか?」
挑発する口調で黒服男がエリカに問うも、エリカは血が滲み出さんほどに唇を噛み締めるのみで言葉を発することが叶わない。
「おまえの分不相応な誇りがその男を殺した、そのこっ恥ずかしいまでの馬々鹿々しさをおまえにじっくり味わって欲しいからだよ。酒は美しい女に注がれた方が旨い、というのもあるがな。」
「エリカ……注いで差し上げよ。」
キャラバッシュが諦観の声でそう告げると、エリカは顔を歪ませながら未開封の瓶の栓を抜いて、黒服男が掲げたグラスに、目を合わさぬよう俯きながら深紅の葡萄酒を注いだ。
「最初からそうしておけば、部下を犬死にさせることもなかったのに。」
退くエリカに黒服男から言葉の追い打ちがかかるが、エリカがこれに応じるよりも前にキャラバッシュから窘める声がかかって、彼女はすごすごと下がった。その様子を満足げに眺めながら、黒服男は酒を一煽り。
「おまえに一つ問いたいことがある。」
と、その視線が向かった先はキャラバッシュ・ペシュメル。向けられた側は、狼狽を隠し切れこそしないものの、敢えてじっと黒服男に対して視線を逸らさずみつめている。
「私は自身の力量が察知されない術を用いているのでおまえたちにはそれを計りようもなかっただろうが、それでも、私がおまえたちの想像の及ばぬ力を有していることくらいはわかっていたはずだ。
私がおまえたちの産するこの酒を嫌っていないことを承知していたおまえたちには、それを質に、私に何とかいう平原の不死者駆逐を頼む手もあったはずだが、敢えてそれをせず、自らそれをおこなうための助言のみを求めたのは何故だ?」
キャラバッシュは、黒服男をじっとみつめたまま答える。
「回廊通行の権の奪還は偏に我ら生者の都合。人の世の事は人が決せねばならんが道理、は我が始祖以来受け継がれた家訓だ。」
「力は借りぬが見識は求める、と?」
「……貴殿とて、我らが醸造した葡萄酒をお楽しみではないか。」
このキャラバッシュの言葉に、黒服男は、ふっ、と鼻で嗤いつつグラスに残った銘酒に一瞥を与え、それを一息に飲み干した。
「……及第点だ。
褒美におまえにはこれをくれてやろう。」
空いた方の手が手品のように中空から何かを取り出して対面着座する男に向かって放り投げる。キャラバッシュは慌ててこれを受け止めた。手の中にあるものを見れば、銀製に見える十字型の何か。
「護符だ。私に対しては何の役にも立たんが、ここにある下等の眷属程度であれば接近を許さぬ力がある。」
え?と下等の眷属呼ばわりされた女の視線が黒服男へ向かうが、黒服男にこれに応じる気配はない。
「これはもらっていく。控えくらいは備えているのだろう?」
そう言いながら、黒服男は卓上の羊皮紙の地図を巻き上げて、十字の護符とは逆に中空に消した。元よりキャラバッシュたちに抗う術はない。
「旨い酒には謝辞を述べておこう。では諸君、引き続きよい夜を。」
言うが早いか、黒服男はキャラバッシュたちに一瞥も与えることなく、すたすたと小屋から出て行ってしまった。取り残された女が慌てて後を追って立ち去り、残された者たちは、安堵とも諦念とも取れる深い深い溜息を吐いた。
「待って!ちょっと待って!」
女下等吸血鬼シーアンは、黙々と歩む自身に不死の力を与えた主に追い縋った。
「あぁ……おまえが居たんだったか。」
黒服男はそう呟くも振り返ることはない。
「いったいこれからどうするの?」
眷属の問い掛けに男は立ち止まって振り返った。
「逆に訊こう。いったいおまえは何を聞いていたんだ?」
「……はぃ?」
「まぁ、ただの操り人形に理解を求めるだけ無駄か。」
「操り……人形?」
吐き捨てるように言われた言葉を、唖然としたままにシーアンは復唱する。
「気づいていなかったのか?おまえは曲がりなりにも自我を有している、と思っているかもしれないが、それはまやかしだ。私の<血の支配>は、おまえに私が好ましく思う振舞いを強いていて、そのために生前のおまえの記憶を利用している。おまえの主観はそれをおまえ自身の意思だと感じているのだろうが、私が技能を解けばたちまちにおまえは理性など何処かへ消え失せて、血に飢えたただの獣と化す。」
「え?……えぇ!」
自身を眷属に迎えたそれを除き、敢えて吸血を避けているように見える主の喉の渇きを癒すべく酒蔵へ誘い、また、強いて在地の人間たちとの揉め事を起こしたいと思っていないように見える主を忖度して葡萄酒の入手にも穏便な手段を弄した自分は、主の期待に……絶対の愛を捧げる主の役に立っていると思っていた、信じていた。
それがすべて、まやかしだというのか。
「教えてやる義理もないし、そもそもおまえは今から語ることもどうせわからなくなってしまうだろうが、それも一興だから教えてやろう。
私の読みでは、地図の空白の箇所には巧みに隠蔽されたギルド拠点がある。この世界では出会う者がどいつもこいつもレベル一桁の滓ばかりで、いったい私はこれから何と戦って心の飢えを満たせばよいものか、と思っていたが、漸く攻略すべき目標が見つかった。」
黒服男は何かを掴まんとするかのように両手の平を上に向けて震わせながら、楽しそうに、本当に楽しそうにそう語る。その余りに楽し気な主の様子をシーアンは心の底から嬉しく思うが、主はその思いもまた、まやかし、であるというのか。
「ユグドラシルプレイヤーが相手となれば、おまえに資するところはまったくない。当座の道先案内人に眷属に迎えたものだが最早用済みだ。そして、私は連中に言わせれば有徳の吸血鬼だそうだから、その期待に応えてやろうと思う。」
これみよがしに牙を晒して黒服男は、ニヤリ、と嗤った。
「おまえが、自身が暮らした村を焼き討ちした仇として、さきほどの連中に殺意を抱いていたのはわかっている。が、そもそもの焼き討ちが茶番だ。私はアレをずっと眺めていたが、連中に村を殲滅する意図などなく、政治的な見世物として、村を焼いて適当に目立った的を射ていただけで、逃散する村人は故意に見逃されていた。おまえが狙い撃ちされたのは、体格から兵士であることが一目瞭然だったから、作戦企図が見抜かれ伝わることを憚ってのことだろう。まぁ、おまえはまったく思い至らなかったようだがな。」
「な!」
シーアンには、そう驚きの声をあげる以外には何もできない。
「そんなことを確信犯的に差配できる人間などそうそういようはずもないから、黒幕があの髭面であるのは間違いない。にもかかわらず、間抜けなおまえは最初こそ殺意剝き出しで私が抑えねば今にも噛みつきそうな勢いだったくせに、途中からはあの男の話にありもしない心を射られて、あの男の大言壮語を叶えつつ、かつ、私を喜ばせる方策はないか、などと思いめぐらせていただろう?
だからおまえは阿呆なのだ!
あの髭面が英雄にでも見えたか?言っていることは大層立派だが、端から当人は実現可能性もその責も放棄しているではないか!アレは、ああいって見果てぬ夢を語っておれば自身の存命中の権力維持は安泰だ、程度の日和見主義に過ぎん。
あぁ……愚かにもおまえは、そんなことのために村を焼いたアイツをやはり殺したい、と思っているな。そうするといい、と言うか、これから私が<血の支配>を解けば、生者としての最期の瞬間の情念に縛られたおまえは、遮二無二あいつらを殺しにかかるしか道はないのだ!
簡単にあの髭面がおまえの手にかかるのも興を削ぐから護符をくれてやったが、せいぜいない知恵を絞って襲うことだ、おっと、まもなく理性を失うおまえにそもそも知恵なんかないか?」
シーアンは、すべてこの男の言う通りであること以上に、ここまで言われてもなお、自身の中に主としての男に対する揺るがぬ忠誠と愛情を覚え、それが悔しくてたまらないが、既に自身不死者である彼女には、流す涙すらなかった。
「何が楽しくてこんなことをするんだ、と思ったな?
簡単なことだ。プレイヤーが待ち受けているであろう場所までは長旅になる。その間、私はおまえと髭面がどう決着をつけるのか、思い出し笑いを浮かべながら想像を巡らせて楽しむんだよ。私の役に立てて嬉しいだろう!」
遂にシーアンは、がくり、とその場に膝をついてへたりこんだ。
「ではお別れだ。旨い酒を馳走してくれたこと、それ以上に面白い話へと導いてくれたことには感謝している。これは嘘じゃない。その礼に、生前の心残りを晴らす機会をくれてやろうと言うんだ。
まさに私は……有徳の吸血鬼だ!」
月明かりの下、外套を翻し立ち去る後ろ姿に、あれほど自身の中に漲っていた、この御方に尽くしたい、喜ばれたい、といった思いが次第に霧散していくのをシーアンは感じる。入れ替わりに、村を焼いた連中を、否、生きている人間を殺したい、飽きるまで血を啜ってやりたい、という思いが頭の中いっぱいに広がって……
やがて、それを認識する自我すら霧散して。
シーアンは人型の獣となった。