億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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旧知と語らうキーノたちに急報が届く。


6.真祖の負うところ

「ねぇ、ハロルド!遊ぼうよー!」

「ハロルド、あの木の上に持ち上げてー!」

「待テ待テ、今、キーノ小母(おば)サント、大事ナ話ヲシテイル。後デ遊ンデヤルカラナ。」

 

「いや……だからその、小母(おば)さんはやめろ!な。」

 

 融水谷(ツィラータール)の村の中程、大きな広葉樹の木陰になった広場で、人間の子どもたちに取り囲まれる老大鬼(オーガ)と、奇縁の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)キーノ・インベルンは向かい合っている。

 

「「きっとだよー、(あと)でねー!」」

 

 駆け去っていく子どもたちに微笑む大鬼(オーガ)は、

 

「可愛イ子タチダ。

 モットモ、孫娘タチトハ比ベヨウモナイガナ。」

 

と、八重歯を見せて破顔した。

 彼の名はハロルド。当地への到着に際しキーノたちを迎えたゲオルグにとっては叔父に当たる人物になる。ゲオルグが第一子に男児を得たのに対し、ハロルドの息子ハロルドソンは女児が三人続いて最後に男児を得た。(すえ)の子はまだ幼く襲名に及ばないので、ゲオルグとハロルドは、名と世代がひとつずれた状態になっている。

 

「兄ノヨウニ、ナントカ古老(グラン)ノ号ヲ得ルマデハ生キタイモノダガ、私モ老イタ。

 ヨモヤノ、キーノ小母(おば)サントノ、今生(こんじょう)デノ再会ガ叶ッタデ、ヨシ、トスルモ悪クハナイ。」

「だからその小母(おば)さんは……まぁ、いいか。」

 

と、キーノは溜息をひとつ。

 さきほど駆け去った子どもたちがハロルドの言を憶えていて、あの子たちが老成した時分に当地を再訪する自分をキーノ小母(おば)さん呼ばわりしてくれるか、と思うと目眩がしないでもないが、何を今更だ。

 

 ハロルドが言うには、彼と彼の甥ゲオルグの一族は、婚姻適齢期を迎えた子女があればその父親が、ときの総統(フューラー)に暇乞いをして子を伴ってトブの大森林に赴き、息子であれば嫁を、娘であれば嫁入り先を求めるのだそうだ。

 先程ハロルドが、人間たちの子どもも可愛いが自身の孫娘とは比べるべくもないと評した娘たちも、上の二人はハロルドソンが森の然るべき若者を見出して送り出したのだという。大鬼(オーガ)たちに、一旦家族を離れた娘と便りを交わす習慣はないので、ハロルドからすれば輿入れに旅立った彼女らを見送ったのが今生の別れ、ということになるが、彼らの感性としては、それは人生における究極の達成感の一つであって、なんら悲しむべき出来事ではないらしい。

 自身、永遠の(とき)彷徨(さまよ)い人であるキーノは、こういった人間、亜人の世代交代を数え上げるのも馬々鹿々しくなるほどに見続けてきた存在だが、未だに実感をもって当人たちの伴う情感を理解することが叶わない。彼女からすればそれは、半ば哀れであり、半ば羨ましくもあった。

 

「……それで。

 ゲオルグにも訊いたんだが、ハロルドの現総統(フューラー)評を聞かせてくれないか?」

 

 ひとしきりの雑談の(のち)、キーノは自身の関心事をハロルドに問うた。

 (よわい)三百に近いハロルドは、初代総統(フューラー)にして現職の直系の先祖にあたる晩年のブライア・ペシュメルに面識があるのでなおのことだ。

 ハロルドは、キーノが何故それを自身に問うのか、には関心がないようで、素直に思うところを述べた。

 

「キャラバッシュ、ハ、ブライア、トハ、マッタク似テイナイ。ガ、コレマデニ見タペシュメル一族ノ中デハ、一番ブライアニ似テイル、トモ言エルナ。」

 

 古老らしい含蓄ある物言いでハロルドはそう応じた。

 

「……その心は?」

 

 ハロルドの知る最晩年のブライア・ペシュメルは、老いてもなお陽気で多弁な男で、最後の実子を得た時点で七十に近かった絶倫の人でもあったらしい。対してキャラバッシュは陰気、とまでは言わないまでも寡黙な男で、五十を越えても独身のまま、決して強者ではないが郷士(ランツクネヒト)一筋に生きてきた、(はた)から見る分にはブライアのような面白味には欠ける人物なのだそうだ。

 一方、ハロルドは他のペシュメル一族には見られなかったこの二人の共通点も見出していて、それは、何かを常に独りで抱え込んでいるような秘密主義的な一面であり、ブライアに限って言えば、周囲にそれを気取られないために無理に明るく振る舞っているようにさえハロルドからは見えていた。

 対してキャラバッシュは、自身の姪を中心に数人の股肱の臣を(かか)えていて、外面の派手さに反してその(じつ)孤独であったブライアほど極端ではないものの、何事もそういった直臣に諮っているかに見えて、その(もの)たちと話してみればキャラバッシュは彼らに対しても決して完全には心を(ひら)いてはおらず、己の手のみでは余るところの実施を委ねているだけ、とハロルドは見ていた。

 そして、両者ともにそうでありながら、村人多数に語るに際しては、平易で明るい言葉遣いを好み、(みな)に不安を(いだ)かせないように、未来へ向かって希望が感じられるように心配(こころくば)ることに余念がない……。

 

「如何セン、私ハ頭ガ回ランノデナ。自身マダ若カッタ時分ノ、ブライア、ハモチロン、ペシュメル、ニ対シテモ、ソンナニ抱エ込ンデ大丈夫カ、モウ少シ肩ノ力ヲ抜ケ、ト、言ッテヤリタイハ山々ダガ、彼等ニハ彼等ノ考エガアルノハ私ニモワカルカラ、(つい)ゾ何モ言ッテハヤレナカッタ。

 キーノ、ガ、キャラバッシュ、ヲ気ニ掛ケテクレルノナラ、何カ助言(アドバイス)シテヤッテクレ。」

 

 キーノは、生来()(もの)であるはずのこの老大鬼(オーガ)の、そうでありつつも細やかな人間観察の眼力に素直に感服していた。

 頭ではわかっているつもりではありつつも、キーノ自身はこの世界で触れ合う有象無象を、ともすれば善悪二元で考えがちな性向の持ち主だ。村人を率いる立場にありながら村人に明かせぬ秘密を(かか)え込むブライアやキャラバッシュは、その一点においては腹黒い人物であるのかもしれないが、ハロルドの語りは、人間、特に複雑な社会関係を営む人間というものが、そう単純に分別されるものではないことを示唆している。

 

 自身の眷属であるクレマンティーヌ、特に個人としてどうこうしたいという明確な意思を有していないように見える双子忍者クゥイア、クゥイナのみを従える彼女は、そういった人と人との煩わしい駆け引きにかかずらうことのない存在だ。

 そんな彼女であっても、大昔、いっときナザリック地下大墳墓の食客に甘んじた時分は、何を考えているのやら……何も考えていないのかもしれないが……よくわからないシャルティアとの付き合い方には随分と気を(つか)ったものだ。ましてや、なお増して何を考えているのやら意味不明な赤服悪魔(デミウルゴス)や、見境のない爆砕執事(セバス)などの下僕を従えた大魔王アインズ・ウール・ゴウンは、如何程の気苦労を背負い込んでいるものだろう。

 そのアインズも、おそらくは下僕には明かせず抱え込んでいることが山程あるはずだ。思えば、アインズはキーノやクレマンティーヌと語らった僅かな時間のうちにも、常のそれとはえらく異なる軽い口調で喋り始めることがしばしばあった。アレが彼の押し隠した()なのだとすれば、彼もまた、本心を押し殺してナザリック地下大墳墓を統制すべく孤軍奮闘する(もの)であり、なればこそ、あの途方もない化け物集団は現在に至るまで、こちらの世界で種々暗躍しつつもその存在も居所もわからないままであるのだろう。

 程度の違いはあるにせよ、ブライアもキャラバッシュも同じような立場にいるからこそそうなのだ、と考えれば、これはある意味において、支配者、統率者の(うつわ)、であるのかもしれない。

 

 そんなことを考え込んでいたキーノの視界に、今在る広場に沿った小道を大慌てで走る(もの)の姿が見えた。そしてその男は、木陰でハロルドと並んで座ったキーノたちを認めるや、やはり大慌てで駆け込んで来る。

 

「探しましたよ!大変なことになりました、一緒に来てください!」

 

 

 

 <総統(フューラー)赤い村(ロートハイム)吸血鬼(ヴァンパイア)に狙われ孤立、至急来援を請う。>

 

 広場に急を知らせに来た男の(あと)を追えば、郷士(ランツクネヒト)の詰所の一つに人集(ひとだか)りができていて、その輪の中心で、へたりこんでぜぇぜぇ荒い息を吐いている男が、剣呑なことが書かれた紙片を(みな)に示しつつ地面をバンバンと叩いていた。

 ただならぬことが起こっているのはわかるものの、どう応じたものか誰にも思案がない。

 

「クゥイナちゃん、とりあえず万能薬(エリクサー)!」

 

 クレマンティーヌがそう告げると、双子忍者の沈黙担当が黙ったままへたりこんだ男に近づき、やおら懐から取り出した薬瓶の封を切って、(なか)の青い液体を男に振り掛けた。

 供した当人には何の益もなく、キーノ、クレマンティーヌにとっては劇薬にもなるそれは遥か昔、ド・クロサマー王国建国に関わった薬師(ンフィーリア)が編み出した秘伝(レシピ)によると伝わる秘薬で、何かの役に立つこともあろう、と旧カルネ村に立ち寄る都度、いくらか調達して忍ばせている逸品だ。

 

「うっ……え?……はぁーーー。」

 

 突然乱れた呼吸が整って、当の本人が驚きと安堵の声を漏らす。

 男の手から紙片を奪ったキーノが、凛とした口調で問うた。

 

「仔細は道すがら聞こう。私たちは地理に不案内だから道先案内を頼む……いやいや、心配ない。おまえは舌を噛まないように気をつけながら椅子に座っているだけでいい。

 この場の(もの)で最上位は誰か?」

 

 キーノの問いに浅黒い肌の士官が挙手で応じる。

 これに対してもキーノは、厳たる口調でこう言い放った。

 

「軍団で我々の後を追うか否かの判断は任せた。

 私たちは、おまえたちの総統(フューラー)の救援に駆ける!」

 

「駆ける、と言っても……赤い村(ロートハイム)までは五日はかかるぞ!」

 

「私たちなら一昼夜だ。

 クレマンティーヌ、準備はできたか?」

 

「あいよ!」

 

 振り返れば、素早くその意を察したクレマンティーヌが、先程まで息絶え絶えだった件の男を椅子に縛り上げ、これを双子忍者、クゥイア、クゥイナが神輿(みこし)のように左右から(かか)え上げている。

 

「んじゃ、()っきますよーん!」

レテテ(おっぱい)。」

 胸に丸みを作る仕草(ジェスチャー)

 

「え!……これ大丈夫なんですか?」

 

 椅子に縛られた男の問いは軽く受け流された。

 

「走っている間は黙っていろ、舌を噛むぞ。

 いざ、出発!」

 

 キーノの気勢を合図に、四人+椅子上の一人は、土煙を後方へ靡かせながら風のような速さで視界の彼方へと消え去った。

 

 

                    *

 

 

 コン、コン。

 

 黒服男と連れの女が立ち去ってしばし。

 キャラバッシュたちは呆然と小屋の中で、さてどうしたものか、と呻吟していたが、不意に扉を叩く音(ノック)が聴こえて、扉に一番近い位置に立っていたマラトンは、反射的に「誰だろう?」と口にしながら扉へ近づいたのだが、

 

「待て!()けるな!」

 

と、キャラバッシュの発した怒声に、(すんで)のところで取っ手に掛かりかけたその手を()めた。

 

「伝え聞くところによれば、吸血鬼(ヴァンパイア)は内から招かれねば家屋に(はい)れない、という。酒蔵の管理人も、彼等の最初の訪問時繰り返し戸を叩かれた、と言っていたとか。」

 

 この言葉に、マラトンの(ひたい)を冷たい汗が流れる。

 その間にも、戸外からは不自然なまでに平板な女の声。

 

「すいません、道に迷った(もの)です。(なか)へ入れていただけませんか?」

 

 さきほどまで語らっていた女と同一人物には聞こえないが、さりとて、この時宜(タイミング)で迷い人が村外れの廃屋を訪ねるはずもなし。

 

 コン、コン。

 

 ゴンゴン!

 

 ドンドンッ!ドンドンッ!

 

 次第に扉を叩く音が大きくなっていて、キャラバッシュたちは戸外の吸血鬼(ヴァンパイア)に殺意があることを確信した。そのうち、廃屋のあちらこちらがギシギシ、と軋み始め、天井近い破風窓がガタガタ、と揺らされる。

 

(みな)、落ち着け!」

 

 色を失いそうになった部下たちに、キャラバッシュの一喝が飛んだ。

 

「思った通り、この(もの)は我らが内から招かぬ限り(なか)へは入れぬようだ。ならば、耳障りではあるが敢えて無視して、対策を考えるが(きち)だ。」

「そんなの、夜明けを待って逃げるに決まってるじゃないの!」

 

 間髪入れずに彼の姪、エリカが金切り声をあげるが、キャラバッシュは片手を挙げてこれを制する。

 

「それは得策ではない。」

「どうして!」

 

 キャラバッシュは、立ったままだった部下たちに、無駄に体力を消費せぬよう銘々()きに腰掛けるよう促しながらこう続けた。

 

「日差しの(もと)吸血鬼(ヴァンパイア)に襲われることはない。それはそうだろう。が、街道の多くは日中でも()が差し込まぬ針葉樹の森だ。多少の手負いは覚悟の上で襲われぬ、とは限らない。

 それに、日が落ちたあとは屋内に籠もる、とすれば、どれだけ急いでも融水谷(ツィラータール)までは四日はかかる。家屋を求めるには途中の村に立ち寄るほかないが、それは我らを追う吸血鬼(ヴァンパイア)を村へ連れて行くことにもなろう。我らだけで、何も事情を知らぬ村人たちを吸血鬼(ヴァンパイア)から守れるか?アレには今の我々の装備では為すところがない。」

 

 エリカは、伯父の言葉に唇を噛んだ。

 

「幸いなことに。」

 

と、キャラバッシュ。

 この状況下で、幸い、とはこれ如何(いか)に?

 

「私の読みでは、戸外で我らを恫喝しているのは女、従僕であった方の吸血鬼(ヴァンパイア)だ。」

 

 (みな)が一様に、どうしてそんなことがわかるんだ、という視線をこの豪胆な主君へ注ぐ。

 

「彼女は、私が融水谷(ツィラータール)総統(フューラー)と名乗ったとき、あからさまな殺意を私に向けた。理由はわからないが、私は何か恨まれているのだろう。が、かの(もの)(あるじ)、後ろで屹立していた黒服の男が何やら魔力でこれを制した、と私は見た。

 そして、これだ。」

 

と、その黒服の男から投げ渡された十字形の護符(アミュレット)(みな)に示した。

 

「あの男はこの護符(アミュレット)に、下等の眷属程度であれば接近を許さぬ力がある、と告げた。」

伯父貴(おじき)はあの化け物を信じるの!」

 

 またも、貴方は気でも狂ったのか、と言わんばかりの声色でエリカが叫ぶが、キャラバッシュはやはり片手を挙げてこれを制する。

 

「エリカは化け物と言うが、アレは終始理知的で、私が乞うた教えに対しても、態度はどうあれ真摯に答えた、と私は見ている。確かに信のおける(もの)では決してなかったが、それとあの男の言葉の真偽は別だ。あの男に、この護符(アミュレット)に限っては嘘をつく理由はない。

 一方で、明らかにあの男は我々を見下し、そして、只今我々がおかれているこの状況を予見し、それを思い描いて楽しむような素振りだった。つまりこれは、あの男からすれば余興なのだ。この護符(アミュレット)をどう用い、どうやって窮地を脱するか……試されているのだよ。」

 

 淡々とそう話すキャラバッシュに、誰も返す言葉がない。

 

「だから私は、敢えてあの(もの)の予測を裏切る決断をする。」

 

「そ、それは……どのような?

 私は、どのようなことであっても、総統(フューラー)を信じ、その(めい)に従います!」

 

 恐る恐る、でありながら、誓いを立てつつマラトンが問えば、キャラバッシュは、うんうん、と満足そうに頷いて、やおらこう宣じた。

 

「まず、私はここに残る。」

「「「馬鹿な!」」」

 

 一斉に全員から異議の声があがるが、キャラバッシュは意に介さない。

 

「あの女の狙いは間違いなく私だ。私がここに居座る限り、他に被害が及ぶことはない。」

 

「それは……そうでしょうけど。」

 

 エリカが不服そうな声色でそう言うも、キャラバッシュは迷いなく断言する。

 

「あの男の酷薄さからすれば、おそらくこの護符(アミュレット)は一人しか守らぬ。

 あの男は、実りを自ら得ることが決してなかろうとも為すべきことをただ始めるだけ、と語った私の真を問うておるのだ。大口を叩いておいて、窮地となれば自分一人助からんと護符(アミュレット)を頼りに逃げ出すのか、とな。

 だから私は……」

 

 そして、彼は護符(アミュレット)をマラトンに手渡した。

 

「……敢えてその逆を採る!

 マラトンに総統(フューラー)として命じる。

 これより遮二無二融水谷(ツィラータール)へ駆けよ!」

 

「な!」

 

 マラトンは返す言葉が口から出ない。

 

不死者(アンデッド)に対抗し得る魔法詠唱者(マジックキャスター)、加えてゲオルグ、ハロルドソンの来援を請えば、下等の眷属、と評されたあの女を抑えることは叶おう。」

 

「わ、わ、私を……お信じくださる、と?」

 

 どうして貴方は、私が護符(アミュレット)を頼りに我が身だけを守って逃げ去る、と疑わないのか。

 マラトンは震える声でそう問うが、キャラバッシュはその手を強く握りしめた。

 

「許せ、マラトン。おまえはこの任で(いのち)を落とすやもしれん。たとえ護符(アミュレット)吸血鬼(ヴァンパイア)から守られようとも、融水谷(ツィラータール)まで駆けよ、との(めい)は余りに過酷。だがそこに微かにでも勝機がある限り、私は決して諦めるつもりはないのだ。」

 

 マラトンは、熱い涙を流してその手を握り返した。

 決してこの総統(フューラー)の期待は裏切るまい、と。

 

「エリカ、簡潔に状況を記し来援を請う書面をマラトンに持たせよ。融水谷(ツィラータール)まで走れば、よもや状況を自ら語ることが出来まい。ここにある糧食のうち、消化がよく駆けながらでも食べられて精のつくものは、すべてマラトンに持たせるのだ。我らはここに籠もるのだから四五日(しごにち)食わずとも死にはせん。」

 

「我ら……ということは、私たちはここに伯父貴(おじき)といっしょに籠もる……のね?」

 

 そう問うエリカに、ここまで、口調こそ強くあれども感情を(あら)わにすることのなかったキャラバッシュが、はじめてはにかむような表情を見せた。

 

「流石に私も……一人は心細いのでな。」

 

 この言葉に、誰もが絶望的な状況を感じつつも、それでも微かに笑みを浮かべた。

 

 

 

「……といった次第で、私が一人駆けてきたのです。」

 

 双子忍者に椅子ごと担がれたマラトンは、キーノたちの猛烈な移動速度にしばしうめき声をあげていたが、やがて、三日三晩(みっかみばん)の早駆けに疲れ果てたのか眠りに落ちた。万能薬(エリクサー)がなければ、融水谷(ツィラータール)にたどり着いた時点で落命していてもおかしくはなかったのだ。

 その間もキーノたちは駆けに駆けること半日、その日の日暮れ頃にマラトンが目を覚ましたのに気づいて小休止をとり、彼に食事を与えながら事の顛末を聞き出した。

 

 不眠不休で火急を知らせるべく長駆した男の名がマラトンとは。

 なんならその業績を称える陸上競技(スポーツ)でも創設してやるか!

 

 などと、キーノが思ったかどうかはともかくとして。

 

「<道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)>!」

 

 マラトンから差し出された護符(アミュレット)を検分してみれば、キャラバッシュが看破した通り、装備者一名に対し下位の不死者(アンデッド)の接近を許さない効果がある。キーノやクレマンティーヌには何の影響も与えない程度の代物に過ぎないが、逆に言えば、赤い村(ロートハイム)でキャラバッシュらを今この瞬間も押し込めているであろう女吸血鬼(ヴァンパイア)の力量は、キーノからすれば屁のようなものだ、ということだ。

 一方で、その女を連れ、護符(アミュレット)を手品のように中空から取り出して見せたという黒服の男は、おそらくはキーノ同様の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)に違いない。そして、悠久の旅路の中でナザリックのシャルティア・ブラッドフォールン以外に同族と相見(あいまみ)えたことのないキーノは、その男は来訪者(ユグドラシルプレイヤー)であるか、あるいはその下僕(NPC)であるに違いない、と判じた。

 マラトンの話をそのまま信じる限り、キャラバッシュたちを押し込めているのは女吸血鬼(ヴァンパイア)のみであろうが、ユグドラシルからやって来た真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)も関わってくるようであれば、これは決して容易な相手ではない、と。

 

「今夜はここで野宿されるんですか?

 日は暮れてしまいますが、もう少し進めば村が……」

 

 簡単な食事を終えたマラトンが至極常識的な問いを発するも、

 

「私たちが本領発揮するのはこれからだ。」

 

と応じるキーノ。マラトンはわけがわからずに鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔をしている。

 

「あぁ、まだ言ってなかったか。

 私はキーノ・インベルン。おまえたちが面会を求めていた吸血鬼(ヴァンパイア)だよ。」

 

「……えっ!」

 

 なおまして困惑するマラトンを余所(よそ)にキーノは号令を発した。

 

「その間抜けな口を閉じていろ、ここからの行軍速度は日中の比ではなくなるからな。目的地が近づいたら双子のいずれかの肩を叩いて知らせろ。

 クレマンティーヌ、クゥイア、クゥイナ、準備はいいか。時短のため、以降すべて谷は飛び越えるぞ!」

 

「あいよ!」

「任せておけ、小母(おば)さん。」

 親指を立てて了解(サムズアップ)

「お……小母(おば)さん?」

 

「そこは聞き流せ!口を閉じていないと本当に死ぬぞ!」

 

 闇夜を吹き抜ける一陣の風と化した<黒の百合(ゆり)>は「ひぃーーー!」と叫ぶ男の悲鳴を(あと)に残しながら、一路、東へ駆ける!

 

 

                    *

 

 

 そろそろ限界に近いな、と、腕を組んで目を閉じたまま泰然不動を貫くキャラバッシュ・ペシュメルは思った。

 

 マラトンを救援要請に送り出して既に四日。糧食は尽き、水分はこの状況下では無駄に上等な熟成葡萄酒(ヴィンテージワイン)を数本残すのみ。室内は(こも)る人々の汗と汚物の(にお)いで咽返(むせかえ)っている。

 想像通り、女吸血鬼(ヴァンパイア)は廃屋に立て籠もった面々に執着しているようで、日が暮れれば飽きもせず扉を叩き、破風窓を揺すぶり、ときに挑発や哄笑が繰り返されるので、キャラバッシュたちは眠ることもままならない。

 日中、そういった陽動は収まるのでひと眠りしようかとするも、不意に投石か何かが屋根に飛んできて叩き起こされる。どうやら吸血鬼(ヴァンパイア)は、日が差している間は近くの森に潜みそこから石を投げつけてくるらしい。つまり、陽光の下であっても監視下にはあるので、あちらが自滅覚悟で飛び出してくれば無傷では済まないということだ。

 

「マラトンは一人で逃げちゃったんじゃないの!」

 

 苛立たし()に悪態をつく姪エリカを、キャラバッシュは敢えて無視した。

 若干の身贔屓はあるやもしれないが、女に生まれてなお剛胆な(さが)の彼女には、一目置いて側近として鍛えてきたものだが、如何せん短気、思慮の浅さが(たま)(きず)だ、とキャラバッシュは考えている。もっとも、この状況下にあっては何人(なんびと)に対しても、泰然自若であれ、と求めるのは酷な話だ。それがわからぬキャラバッシュではなかった。

 

「そもそもは!」

 

と、エリカの部下の一人が上官を()っと指差す。

 

貴女(あなた)が無用な挑発をしなければ彼が死ぬことはなく、そうすれば<死霊退散(ターンアンデッド)>で女吸血鬼(ヴァンパイア)を難なく退(しりぞ)けられたはずです!」

 

 その視線は、黒服男の見たことも聞いたこともない邪悪な魔法で一瞬で殺された法服の魔法詠唱者(マジックキャスター)へ向かっている。彼自身が持ち歩いていた聖水で清めたのでよもや不死者(アンデッド)と化して襲ってくることはなかろうが、遺骸は既に仄かな腐敗臭を漂わせ始めていて、これに耐えられなくなるのも時間の問題だろう。

 

「無用の言だ。」

 

と、キャラバッシュ。

 

「エリカが何をせずとも、あの男は彼を手にかけたことだろう。むしろ、エリカのせいで我らが吸血鬼(ヴァンパイア)に抗する(すべ)の一つを失ったのだ、と思わせることで、今おまえがまさに陥っているような不和の種を意図的に残したものだ、と考えるべきだ。」

 

 これを自身への助け舟と(かい)したものか、エリカが、フンッ、と鼻を鳴らして部下を侮蔑する態度を示したのを見て、キャラバッシュは鋭い眼光で姪を睨みつけた。

 

「無用な言はおまえもだ!

 さきほどの、(いのち)を賭して救援要請に走っている部下の真意を疑うかのような発言は、聞かなかったことにしてやるから今後は口を慎め。平時であれば降格ものだぞ!」

 

 さしもの強気の彼女もこの指摘は(こた)えたようで、しゅん、と肩を落として項垂れる。

 キャラバッシュは(ひたい)に握った(こぶし)を当てて、ふーっ、と深く息を吐いた。

 

 そのとき。

 

 コン、コン。

 

 と、扉を叩く音(ノック)

 

 そろそろ夜も白み始める時分、しばらく外から物音がなかったので今宵は早々に引き上げたものか、と思いきや、飽きもせず女吸血鬼(ヴァンパイア)は内からの招き入れを求めているらしい。

 

 だが、続いて外から男の声がする。

 

「マラトンです!今、増援を連れて到着しました!」

 

「お、遅かったじゃないの!私はあなたを疑ってなんかなかったわよ!」

 

 俄かに喜色を浮かべたエリカが立ち上がり、足早に扉に駆け寄って取っ手を掴む。

 さきほど、部下と姪に気を吐いたためか、自身疲労困憊のキャラバッシュは反応することが叶わなかった。

 

「私も……おまえが招き入れてくれることを疑っていなかったさ。」

「な!」

 

 エリカが勢いよく開いた扉の外に立っていたのは、件の女吸血鬼(ヴァンパイア)

 先の会見に際しては、異様に肌が青白いほかは至って普通の外見であったにもかかわらず、只今の彼女は、真っ赤に血走った瞳を滾らせ、口元には鋭い牙が()き出しにされていた。

 

 万全のときであればともかく、食も睡眠も足りないエリカは、無駄覚悟の抜刀すら叶わず後ろへ倒れ込んだ。ほかの部下たちも、応戦する気力すら起こらぬ様子。ただ一人キャラバッシュだけは、腕を組んだまま強い意志を秘めた目で吸血鬼(ヴァンパイア)を睨み返すも、彼とて為す(すべ)がないのは同じだ。

 

「どうやって嬲り殺して、焼き討ちされた村の仲間たちの恨みを晴らしてやろうか。」

 

 女吸血鬼(ヴァンパイア)の独白に、キャラバッシュは元から見開(みひら)いていた目を、さらに大きく、裂けんばかりに見開(みひら)いた。

 

 この女は……。

 元は松脂谷(キエンタール)に縁があった(もの)か!

 

と。

 

 そうであれば、自身に向けられた殺意も無理のないものだ、とキャラバッシュは悟る。

 (いさ)めるを聞かずに大軍を率いて東進した前総統(フューラー)エムヤー・ウズルスの陣へ向かう補給部隊に「事態を動かせ」と命じた汚れ仕事専門の部下を忍び込ませたのは自分だ。不敵な笑みで「任せておいてくれ」と請け負った(もの)たちが、よもやあのような手段に及ぼうとは考えもしなかったことではあるが、でありながら、その一手があの時点での最善手の一つであったことは疑いようもなく、なればこそ、即座にキャラバッシュは動いたのだ。

 融水谷(ツィラータール)のみならず、塵の滝(シュタウプバッハ)、ひいては熊の高地(ベルナーオーバーラント)を含めた三勢力の新たな時代を切り拓く方策として、自身が下した決断は間違ってはいなかった、という思いは今なおある。

 

 だが。

 

 こうして吸血鬼(ヴァンパイア)に身をやつしてまで、松脂谷(キエンタール)に焼かれた(もの)の怨念を晴らさんと自身の前に立ちはだかる(もの)を迎えては、キャラバッシュの信念も揺るがざるを得ない。

 自身が背負った人間集団の義と、一人ひとりの人間の利は必ずしも一致せず、ときに前者は容赦なく、悪気すらなく、それを為したことに気づくこともなく後者を踏み潰す。確かに自分はそれをやってしまったのだ。踏み潰された死体の中から復仇を誓ってやってきたこの(もの)に、如何(いか)に抗弁することが叶おうか!

 

「これまで……だな。」

 

 キャラバッシュは、逍遥と目を閉じた。

 ……まさにそのとき!

 

 開かれたままの戸口から一陣の風が吹き込んだかと思いきや、それはキャラバッシュの前で二つの旋毛風(つむじかぜ)となって立ち上がり、キャラバッシュの体を引き裂かんと振るわれた、女吸血鬼(ヴァンパイア)の鋭く伸びた爪が、カキン、カキン、と何かに受け止められて金属音を放った。

 

「……なんと!」

 

 驚いて再び目を開いたキャラバッシュの視界には、自身の前に立ちはだかって吸血鬼(ヴァンパイア)の必殺の一撃を苦無(くない)で受け()める二人の少年の後ろ姿があった!

 

「クゥイア、クゥイナ、よくやった!」

 

 少女、と言ってよい幼げな、でありながら、随分と老成して度胸が据わって聞こえる声が、おそらくは自身を身を挺して守った二人の少年を戸外から称賛するのが聴こえて、キャラバッシュは立ち上がった。

 

「大丈夫、マラトンちゃん?」

 

 キャラバッシュを救命するに際し、双子忍者から椅子ごと投げ捨てられて転がるマラトンにクレマンティーヌがそう声をかける。結果的にこれが、キャラバッシュに真の来援到来を確信させた。

 

「マラトンなのか!」

 

 なおも目前に立ちはだかる女吸血鬼(ヴァンパイア)越しに、残った力を振り絞った大声でキャラバッシュが呼ばわれば、

 

総統閣下(マインフューラー)!キーノ・インベルン殿(どの)をお連れしました!」

 

と、こちらも大声で返答。

 

「!」

 

 告げられた来援者の名に、キャラバッシュはさらに目を見開(みひら)いて目の玉が飛び出しそうな勢い。

 そうこうするうちにも、クゥイア、クゥイナは、じりじり、じりじり、と女吸血鬼(ヴァンパイア)を牽制後退させ、遂には戸外へ押し戻した。

 

「女、私がわかるか?

 私は真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)キーノ・インベルン。」

 

 キーノは名乗りながら、廃屋の前で前後を挟まれて狼狽する女吸血鬼(ヴァンパイア)に声をかける。

 返事はない。

 

 なんてことだ!

 

 と、キーノは(ひたい)に手を当てて深い溜息をついた。

 この女の主人は、おそらくはマラトンの話に登場した黒服の男であろうが、こともあろうにこの男は、真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)(せき)を放棄して故意に<血の支配(ドミネーション)>を解いていやがる。

 こうなれば、クレマンティーヌのような生前からの特異な精神の持ち主であるか、あるいは、今もキーノが悔いている「理性的であれ」のみの縛りを与えて自由にさせたラナー王女のような場合を除き、吸血鬼(ヴァンパイア)はただただ血に飢えて猛り狂うだけの獣と化してしまう。そして、血の盟約である吸血鬼(ヴァンパイア)の主従関係には、キーノとて割って入ることは叶わない。つまり、この女には対話可能な正気を取り戻す機会が既に失われているのだ。

 

 それは……。

 キーノとしては、断じて許しがたい仕儀だった。

 

「クレマンティーヌ、これは私の仕事だ。」

 

 背後で既に刺突剣(スティレット)を抜き、自ら今まさに放たれんとする弓矢の如く構える最愛の眷属をキーノは片手を差し出して制する。

 

 かつて。

 キーノは、大魔王アインズ・ウール・ゴウンから自身の器をこんな問いで試みられたことがある。

 

 <この世界が吸血鬼(ヴァンパイア)に満ち溢れないのは何故だ?>

 

 初めてこれを問われたとき、キーノは困惑していたこともあって「そんな(おぞ)ましいことを」と返してアインズの失笑を買ったものだが、ナザリック地下大墳墓の食客身分から解き放たれたとき……アインズの言葉を借りれば、卒業試験、ということになるが……キーノは迷わずにない胸を張ってこう答えたものだ。

 

「まともな真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)であれば眷属にするものは厳選するし、最後までその面倒を見るし、不都合があれば自ら始末する。仮にそれを怠る吸血鬼(ヴァンパイア)がいれば、遅かれ早かれ心得のある他の吸血鬼(ヴァンパイア)に始末される。」

 

 (いま)目前にある哀れな血に飢えた獣は、まさに、それを怠る吸血鬼(ヴァンパイア)、が闊歩していることを意味していた。

 

 であれば。

 これに始末をつけるのは、心得のある他の吸血鬼(ヴァンパイア)、である自身の責務である、と。

 

「今、悪夢を終わらせてやる。」

 

 優し気に、そして何処か悲し気にキーノは呟き、右手を天に向けて高く振り上げた。

 攻撃意図を悟ったのか、獣がこちらへ向かって駆けてくる。

 

「<万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)>!」

 

 不死者(アンデッド)であろうがなかろうが、およそこちらの世界の住人に扱えようもない第九位階、最上位の雷撃を受けて、耐えられるものなどあろうはずもない。

 

 哀れな血に飢えた獣、シーアンは、一瞬で燃え上がって灰と崩れ去った。

 

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