「一命を救っていただいたことに厚く御礼申し上げる、キーノ・インベルン
「キーノ、と呼んでくれて構わない。
私の勝手でやったことだ、気にしないでくれ。」
キャラバッシュの姪エリカを含む部下たちは延べ四日に及んだ籠城戦に疲労困憊で、夜明けと共に
キーノはキャラバッシュにも一休みするよう勧めたが、当人は事情を説明する義務があるとこれに応じず、ついにはキーノが折れて双子忍者に
「これは……恐ろしい効き目だな。
濁りきっていた思考が澄み渡っていくのを感じる。」
「トブの大森林の南端に村があって、そこで造られているものだ。要を覚えるのであれば自分たちで交易するといい。もっとも、良く効く薬は同時に劇薬でもある。これに頼る癖がつけば返って寿命を縮めることにもなるだろう。」
「……キーノの言う通りだ。
生涯に一度の稀有な体験、として記憶に刻むに
このやり取りを通してキーノは、キャラバッシュが極めて理知的であり、かつ、分を知って欲深でないことを確信した。元よりゲオルグ、ハロルドの語った人物評を通して承知していたことではあるが、直接
そして、キャラバッシュが最初に話題にしたことは、キーノからすれば意外なものだった。
「窮地を救っていただいてこんなことを言うのも何だが。
あの名も知らぬ女
「……?
マラトンから、あいつがおまえに何か執着していたらしいことは聞いているが。
何か心当たりがあるのか?」
そこはキーノも道すがら、妙だ、とは考えていたところだった。
自身がクレマンティーヌに対してそうであるように、高位の
彼女の主人であったろう黒服の男が、わざわざキャラバッシュ一人であれば身を守り得る
では……彼女がキャラバッシュに執着した理由は何だ?
「この
と、キャラバッシュ。
「それもマラトンから聞いた。おまえは件の
キーノはそう応じるも、キャラバッシュは「いや、そうではない」とキーノを制した。
そして端的に
「……ウズルスに行き合ったか?」
キャラバッシュがその職を奪ったと知る前
「いや、立場上明言し難いのは察せるのでそれは構わない。」
ほほほーん、と、キーノから一歩下がって二人の会話に聞き耳を立てるクレマンティーヌは、このおっさん、想像以上になかなかのキレ
キャラバッシュはそれに気をやるでもなく、真摯な口調でこう続けた。
「確証があるわけではないが、あの女
「……えっ?」
と、
「つまり、彼女には私を恨みに思う正当な事由があった、ということだ。
無論、私には私で為すべきことがあるから、黙して彼女に討たれるつもりはなかったし、なればこそできる限り抗ったものだが、キーノの来援がなければ今こうして語らえていようはずもなく、実際私は、一瞬とはいえ彼女に討たれてもやむなし、と観念したし、生き残れたのは私の力ではなく、ただただ偶然に助けられたものだ。
だから……彼女には気の毒なことをした、と思っている。」
自身を
「それに、キーノたちが繰り返し、触れ得ざる者には安易に触れるべきでない、と警告してくれていたにもかかわらず、私は自身の力量を過信してそこに手を出し、挙げ句にこの
キーノ自身はキャラバッシュと面識を得るのはこれが初めてだが、キャラバッシュはキーノが三百年に渡って村々を巡って語り歩いた警句を、伝え聞いて育ったものであるらしい。
「黒服の男……だったか?
それが、触れ得ざる者、であると?」
キャラバッシュはこの問いには直接に答えず、これまた予想外のことを語り始めた。
「キーノは、我が始祖、ブライア・ペシュメルと面識がおありか?」
古老ハロルドの語りにもその名が現れたブライア・ペシュメルに対し、キーノは直接の知己を有してはいないが、その名は知っている。
二百五十年前、ナザリックの参謀デミウルゴスに使嗾され、保護を試みたトブの大森林の覇王、血塗れのエンリネは、
逆に言えば、
つまり、ブライアとクリフの間には何らかの交流があったことを示唆している。
無論、すべてが片付いた後に大魔王アインズ・ウール・ゴウンからエンリネの無事のみを知らされたキーノは、その仔細までは知る由もない。当時のキーノたちはその真のところを、既に
そんなことを思い返しながら黙ってキーノが
「ペシュメル家には、ブライアが書き遺した膨大な書付が伝わっている。それは故意に含意がわかりにくいように知識の断片があちこちに散らばるような書き方がされていて、我が一族の中でも敢えてその読み解きに挑む
「なるほど……その辺りは私が承知しているところにも通じている。」
キーノがそう相槌を打つと、キャラバッシュは核心に触れた。
「黒服の男が語った言葉の端々に意味不明瞭な
思わずキーノは、その愛らしい瞳を
「主だったものを挙げれば……。
<ジェネレータ>、<フィールド>、<パーティー>、<レベル>、<ギルド>。」
「……今、<レベル>、<ギルド>と言ったか?」
それは、まさにキーノにも聞き覚えのある言葉!
しばしば、大魔王アインズ・ウール・ゴウンの口から語られたユグドラシルの言葉で、それぞれ強さを数値で示したもの、ナザリック地下大墳墓のようなプレイヤーとNPCからなる一団、を意味することはもちろんキーノは理解している。
「キーノには意味がわかるようだな。であれば、あの男はまさにキーノの言う、触れ得ざる者、ということになるのではないだろうか?」
となれば、黒服の男が
しかも、シャルティアが力こそ強大であれども存外ポンコツで単純明瞭な思考の持ち主であるのに対し、黒服男は、おそらくは
さらに加えて、これを先祖伝来の書付から得た知識と、限られた対話の
「そいつはちょいとヤバいやつさね。」
ここまで黙ってキーノとキャラバッシュの会話に聞き耳を立てつつ、正しくその意を追っていたクレマンティーヌが、ぽそり、とそう漏らす。
「まったくだ。そいつが喉の渇きを癒やすべく村々を襲い始めたら、私たちでも太刀打ちできるかどうか……」
「いや、そこは心配ない、と思う。」
「「……なんで?」」
キャラバッシュがキーノとクレマンティーヌの懸念をあっさりと否定して見せたので、不意に女主従は疑問を
「理由は二つ。
第一に、彼は、我々のような弱い者を狩っても楽しくないと言い、血の渇きはこれで満たされると指一杯に嵌めた魔法の指輪を示してみせた。私には、これは嘘には聞こえなかった。
実際、彼はやろうと思えば我々を容易に皆殺しにできたはずだが、私の姪の不適切な命令に従って<
「ワタシ、ちょっとそいつと気が合うかも!」
「おぃ!……で、第二の理由は?」
唐突におかしな共感を表明する
「そもそも、あの男の態度が豹変したのは、我々が地図を示してからの話だ。」
「地図?」
キーノは、マラトンから、キャラバッシュたちが何か教えを乞うべくキーノと思い込んだ
「実物は彼が持ち去ってしまったので手元にはない。少し待ってくれ。」
キャラバッシュは懐から紙と筆を取り出し、素早く記憶に基づいて略図を
「これは……カッツェ平野の北東端?」
たちまちにキーノは地図が指し示す箇所を読み解く。
「流石だな。意外にも彼はまったく理解を示さなかったのだが。
これは私の二十年越しの腹案で、我ら
「「な!」」
この気宇壮大な言に、キーノのみならずクレマンティーヌまでもが驚きの声を上げた。
「それじゃぁ、乞うた教え、というのは?」
「お察しの通り、カッツェ平野から滲み出る
と、キャラバッシュはさきほど描いた略図に丸を一つ
キーノとクレマンティーヌが揃ってこれを覗き込むが、たちまちには含意がわからない。彼女らの認識としては、そこはいわゆるカルネ村から真東に普通の人間の足なら一日かそこら進んだ場所になるが、特に何もない草原だ。
が、不思議とそこに立ち入った記憶はない。理由は簡単で、そこは特に行く理由のない場所だからだ。そのまま東に進んでも連山に行く手を阻まれるのみ。<
「彼は、我々の地図でこの部分が白地になっている意味を問うた。私は正直に、
「「!」」
やおらキーノとクレマンティーヌは顔を見合わせた。
互いの表情に、どうやら同じ事……最凶最悪の事態を考えている、と気づく。
どうして今の今までこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。
思えば、
これまでに知己を得た
そして……連中は今なお、トブの大森林の守護者を自認し、広大な果樹園を経営すらしているじゃないか!
目前にあるキャラバッシュの耳を憚って、二人は敢えてその語るべからざる名を口にはしなかったが、何も言わずとも、互いの意は通じていた。
対するキャラバッシュはそこに気づいてか気づかずか、そのまま自身の最大の関心事を口にする。
「おそらく彼はそこへ向かったのではないか、と私は考えている。そもそも、第一の理由でも述べた通り、彼は本質的に我々に関心がないようだった。彼が残した眷属は哀れではあったが、キーノによって彼女が滅ぼされた今となってはたちまちの脅威はないと私は判じている。
むしろ私は、彼に教えを乞うたのと同じところをキーノに問いたいのだが。」
「待て!」
キーノは片手をキャラバッシュに向けて突き出し、強い口調で告げた。
「おまえの求めるところは理解したし、そこに協力するのは吝かでない。」
「では……」
再びキーノは強い口調でキャラバッシュの言葉を遮る。
「待て!
私には、おまえの求めに応える前に……すべきことがある。」
「ちょ!待って待って!」
と、割り込んだのはクレマンティーヌ。
「まさかキーノちゃん!」
「そのまさかだ。黒服の男を追うぞ!
そいつに強いて急ぐ理由はないはずだから、存外のんびりと向かっているに違いないし、おそらく日中は足止めされているはずだ。今から追えば追いつけなくはあるまい!」
「いや、そこじゃなくて!」
と、クレマンティーヌは食い下がる。
「気が合うかも、とは言ったけどさー。
そんな、てめぇの眷属を放り出していくような糞野郎、放っておけばいいじゃん!
返り討ちに合うのに任せておけば……」
「
再びキーノは、今度はクレマンティーヌの言を強い口調で遮った。
「何?同じ
「それも違う。むしろ逆だ。」
「……逆?」
「その男が
「いやー、それはキャラバッシュちゃんの話で推して知るべし、じゃないのかなー?」
「推して知ることと、知っていることは別だ。
実際、ウズルスを通して知ったキャラバッシュ、ゲオルグ、ハロルドから聞かされたキャラバッシュ、そして実際にこうして
「そりゃぁ……そうでしょうけどぉ。」
「これまで私は、存在を知った
「じゃ、やっぱり助け船を出すと?」
「それも違う。逆だ、と言ったろ。
私は一人の
「あちゃーーー!」
クレマンティーヌは
「んじゃ……行っちゃいますか?」
「すまない、クレマンティーヌ。
いつも通り、トンデモないことに巻き込むことになるが……」
「何を今更、よ!言ったでしょ!」
申し訳なさそうなキーノの肩を、クレマンティーヌがバンバン、と叩く。
「ワタシはキーノちゃんの眷属。
ワタシの力はキーノちゃんの力。
ワタシはキーノちゃんの剣、キーノちゃんの盾。
双子ちゃんも、覚悟はいいわね?」
「
左手で
この様子を、ぽかん、とした様子で眺めるキャラバッシュがぽつりと
「お……
「そこは聞き流せ、キャラバッシュ!
ゴホッ!ゴホッ!
ともかく、私たちには先にやるべきことがある。必ず追って訪ねるので、おまえはおまえの
そう言われてはキャラバッシュにキーノを引き止める言葉はなかった。
むしろ、キーノたちが何やら自身には思い及ばぬ巨大な何かに立ち向かわんと誓っていることは、仔細のわからぬ彼にも理解できる。
「どうか、ご武運を。」
深々と一礼を捧げそう言うキャラバッシュにキーノは、
「ありがとう、おまえに会いにきてよかったよ!」
と、微笑み返した。
本当によかった、と言えるかどうかは現時点ではまったく未知数だ。
そして、待ち受ける出来事は、まさに驚天動地のそれだったのである。
*
「お耳に入れたき儀が。」
ナザリック地下大墳墓第十階層玉座の間。
特にこれという理由もなく独り佇んでいたところに、この上なき頼れる
今度は……何だ!
「お、おまえが無用なことをオレに告げるとは思っていにゃい。」
いきなり噛んだ!
「されば。
現地人の中に、我らが栄えあるナザリック地下大墳墓の所在を掴みつつある
「……はぁ?」
いつものようにパカリ、と骨の口が
馬々鹿々しくもこの時点でアインズの脳裏を占めたのは、
ヤベッ!今週の
という、狡知の悪魔に比して頼りないことこの上ない自分自身への疑惑だった。
こちらの世界にやって来て以降、物理的には見晴らしの良い野原に剥き出しになっているナザリック地下大墳墓の地上部は、初代マーレの
数年毎に大掃除的に施される<
ユグドラシル時代から欠かさぬ習慣である毎朝の防御系
「いや……その……すまん。きっと何かの拍子に失念したもの、だにゃ!」
「……はっ?」
再び噛みながらしどろもどろになる至高の主に対し、今度はデミウルゴスが口をポカン、と開けて、この骸骨は何を言っているんだ?という顔をしている。
え?
オレのやらかしじゃないの?
「浅学不才の
……いちいちこちらの精神を抉ってくれるな、オマエは!
「シャルティアが現地人の冒険者集団をナザリック近傍で討ち取る、といったことが、ここしばらくの
「……ん?」
デミウルゴスの続く言葉に、どうやら自分のミスについての話ではない、と気付いたアインズは、やおら常の冷静な思考を取り戻す。が、長続きはしない。
「シャルティアの活躍。
ご関心がおありですかな?」
いや別にどうでもいいよ、と言うのもどんなものか、とアインズが返答を保留している
「シャルティアは侵入者のうちの男は速やかに屠り、女は助命を餌に服従させて互いの秘所を舐め合わせたり、糞尿を食すことを強いるので御座いますなぁ。やがてそこにシャルティア自身も加わりまして、
口パカ、ペカペカ!
「やがてあちらの方もこちらの方も十二分に満足いたしましたシャルティアは、恍惚とした女二人を重ね合わせまして、これを雑巾のように絞り上げまして、血液、愛液、その他諸々を一滴残らず飲み干すので御座います!」
……絶対に
もっとも、
口パカパカ、ペカペカペカペカ!
「この集団は、すべて五人一組で、明確な統率者があり、装備の水準が揃っている等の共通点を有することから、いずれも同一の勢力から組織的に送り出されたものであろう、と
一方のデミウルゴスは、まともな報告に転じた辺りからあからさまに口調が平板、退屈そうになった。
相変わらずわかりにくい……いや、ある意味わかりやすい悪魔だよ、おまえは。
「なるほど、そこはおまえの言う通りなのかも知れん。が、シャルティアが
と、自分のせいでない、と踏んだ途端に能天気になる大魔王。
「いえいえアインズ様。むしろそこが問題で御座いまして。」
「?」
「それぞれ独立した
「!」
なるほど、とアインズは虚を衝かれた気分だ。
正しく言えば、ユグドラシル時代、またこちらの世界にやって来て以降を通じて、
が、逆にナザリック地下大墳墓自身がそういった戦略で炙り出される、などという事態について、正直なところアインズはその可能性すら考えたことがなかった。
「し、しかし、だ!」
と、アインズ。
「そうやって、なんかこの辺がヤバいぞ、と気づく
だからどうだ、というんだ?やってる側からしたら、ここはヤバそうだから近寄らないようにしよう、になるんじゃないか、
一見筋が通ったことを言うアインズの脳裏は、ただただ面倒臭いので関わり合いになりたくない、という思いで占められていた。
「そこも問題で御座いまして。」
問題だ、問題だ、というわりに、その問題を語る都度、当のデミウルゴスが無闇に楽しそうであるのがアインズの不安をこれでもか、と煽る。
「侵入者の力量、装備から、この
「……だから?」
「……
どこまでも噛み合わない二人はしばし互いに、ポカン、とした顔で見つめ合っていたが、デミウルゴスが先に痺れを切らして話を進めた。
「対立する勢力を糾合すべく、外部に共通の敵を措定するは情報謀略戦のイロハのイ、で御座います。」
それは……わからないでもない。
なんなら、デミウルゴスの創造主ウルベルト・アレイン・オードル、そして
考えてみれば。
無駄に啀み合うデミウルゴスとたっち・みーの忘れ形見、爆砕執事セバス・チャンについても、共通の敵を充てがって、というのも妙案では……いやいやいや!
比べるのもどうかと思うが、デミウルゴスは、陰湿でありつつも単純明快なカラリとした一面も備えていたウルベルトほど
「流石で御座います、アインズ様!」
勝手に脱線して脳内会議に陥っていたアインズに、突然デミウルゴスは諸手を振り上げ賛辞を投げかけた。
褒められている
セバスと共闘……したいの?
だが、続いてデミウルゴスから発された言葉は、アインズからすれば想像の埒外も甚だしいものだった。
「ご懸念の通り、未だ足跡掴めぬ本百年紀の
……?
んなこと心配してねーよ!
っつーか、おまえが仕込まん限り、そんなことがあってたまるかーーー!
と、内心つっこみ吹き荒れつつも、それを素直に口に出せないアインズ。
何でもない
「お、おまえの言う通りだが、い、いくらなんでも。
そんな作劇上のご都合主義極まる偶然なんて……ないだろ?ないよにゃ!」
いかん、また噛んだ!
だがデミウルゴスは、嫌に神妙な様子で眼鏡の
「アインズ様は、いささか御身の
……おまえ。
遠回しに、すべてはオレのせいだ、と言ってないか?
「とまれ、そういった種々の
「んなことするかーーー!
あ……いや、おまえの話はよくわかった。オレの方で善処はするから一旦捨て置け!」
「……よろしいので?」
何を問われているのか既によくわからんが、オレは、天文学的に
「あぁ!よろしい!大いに結構だ!報告ご苦労だった!
頼むから……余計なことだけはしてくれるな!」
ただただ逃げ出したい思いで捨鉢にアインズがそう告げるや、デミウルゴスは折った
「……ははっ!
すべては我らが至高の主、アインズ・ウール・ゴウン様の思し召しのままに!
と深く叩頭の礼を執る。
アインズは敢えて口には出さず、心の内で、
(うそつき!)
と呟いた。