「お待ちください、どうかこちらを!」
キャラバッシュに
振り返れば、
見ればそこには、赤黒い液体を並々と湛えるグラスが……何故か四つ。
「今朝、村で屠られた
キーノ自身は血の
「ワタシとしては……マラトンちゃん、でもいいんだけどなーーー!」
と、おもむろに牙を晒して妖しげな笑みを浮かべるクレマンティーヌの後頭部を、
ポカリッ!
キーノの
「
もー、キーノちゃんたら!冗談に決まってるじゃなーーーい?」
「まったくおまえときたら……
ゴホッ……マラトン、ありがとう。頂戴しよう。」
敢えてキーノは普段口にしないそれを一息に飲み干した。
悲しいかな、旨い。と同時に、常ならぬ力が漲るのを感じる。節を曲げて敢えてこれを飲んだのは、マラトンの思いに応えるのみならず、これから立ち向かわんとする相手が、決して容易な
「双子ちゃんは要らないよねー?」
「
鼻を
ひょいひょい、とグラスを取ったクレマンティーヌが立て続けにそれを三つ
「くぅーーー!やっぱコレだわ!
んじゃ……
キーノたちは、日中は
追う黒服の男は丸四日先行していることになるが、読み通りであれば、取り立てて急ぐ必要のないその
加えて、黒服の男は目指す先に自身同様の
「連中……は気づいてるのかな?」
闇夜を疾走しつつ、クレマンティーヌがそう問う。
これまでにも、キーノたち<黒の
「それは……どうだろうな。」
キーノの念頭には二つの引っ掛かりがある。
これまでにキーノたちが捕捉した
加えて。キャラバッシュに示された十指の魔法の指輪の一つが彼の血の渇きを防いでいるものであるとして、他九つの中には、しばしばナザリックの下僕が装備して現れる<能力隠蔽の指輪>が含まれている可能性が高い。実際、キャラバッシュたちは当初は女眷属の
「むしろ、私たちが連中の関心を惹いてしまう恐れもあるな。」
二百五十年前、偽手紙に釣られた覇王、血塗れのエンリネを追ってトブの大森林を全力疾走した際、キーノたちは
「それでも……敢えて行くの?」
心配そうにそう尋ねるクレマンティーヌの言葉に、キーノは一瞬迷いを覚えた。
考えてみれば、自分たちは数千年に渡ってたくさんの人々に、
だがしかし。
キーノは最早
彼女は、運命、などというものを信じる
そして彼女は。
もう、決して後悔を残して先には進まない、と堅く
「もちろん行くさ。たとえ何が待ち受けていようともな!」
「……素敵よ、キーノちゃん!」
揺るがぬ決心を告げるキーノの言葉に、クレマンティーヌもまた迷いを振り払い敢えて軽口でそう応じ、改めて愛する
*
谷の出口から西へ向かって強引に山を越え、目指す閉ざされた平原を望む斜面を下っている中途で背後から夜明けを感じたので、黒服の男は頃合いの岩陰を見つけて、そこで日中の日差しを避けることにした。
一方で、自身の
なので彼は、ユグドラシル時代においても専らユグドラシル時間の夜間に行動するのが常だった。当然のことだ。彼は
所属していたギルドの仲間は、逆に日中に行動する
今振り返れば、ギルドの他の連中は、自分ほどにはユグドラシルに熱心ではなかった。連中は、口ではギルドのため、仲間のため、としばしば口にはしたが、実際のところ彼等にはユグドラシル以上に大切な何かがあったのだ。だから、ユグドラシル最期の日、とされた、何故かはっきりと思い出せるあの日の朝、誰一人として円卓の間に出現しなかったのだ。
結局……
西進を始める直前、彼は
その遥か彼方、手元の地図で空白になっている辺り、
知覚の大半を索敵に割きつつ、斜面を下って草原へ降り立ち歩むこと二刻ほど、不意に彼は何者かの気配を覚えた。それは巧みに偽装されていて、たちまちには何であるかがわからない。そしてほぼ同時に、
ぴゅぃーーー!
と響く指笛を聴いた。
どうやら自分は、
総数四、レベル合計概算二百台後半。
最初に気づいた気配と似た
他二体は
となれば、こちらはプレイヤーである可能性が高いが、彼はユグドラシルにおいて自分以外に
はて、いったいどれほどのプレイヤーが巻き込まれているものやらわからないこのユグドラシル延長戦の中で、最初に邂逅するプレイヤーが自分と同じ
そんなことを考えながら、ひとまず会敵してみようと腹を括った彼が歩調を緩めて待ち受ければ、果たせるかな、自身の進路に四人の人影が立ちはだかった。
その中にあって、もっとも小柄であるにもかかわらず、覚知される力は突き抜けて最大のそれが、やおら、何も持たない両手の平をこちらに向けて
「たちまちにおまえと事を構えるつもりはない!」
キーノは、敵意がないことを示すべく徒手空拳を示して目前の黒服の男に呼びかけた。
視覚でその存在が判然としている以外には、
キーノの呼びかけに、男はただ黙って足を
「私はキーノ・インベルン。
わかるか、とは思うが、おまえと同じ
名乗ってはみたものの答礼はない。
もっとも、キャラバッシュ、マラトンから伝え聞いた男は、自身関心のある話題が現れるまで寡黙だったということだから、これは予想されていたことでもある。
「私は、おまえたちユグドラシルからやって来る
キーノは簡潔に自身の立ち位置を告げる。少なくとも問答無用の略奪者でないプレイヤーであれば、こちらの言に耳を傾けなくはなかろう、との思いあってのことだが、やはり目前の男は沈黙したままだ。何であれば、この男の琴線に触れるのだろうか。
「そして只今は、おまえに危険があることを知らせるべく声を掛けさせてもらった。
決しておまえの力を侮るわけではないが、それでもおまえの目指す
この言葉に、ほんの一瞬ではあるが男が眉を顰めたことにキーノは気づいた。どうやら聞く耳がないわけではないようだ。が、変わらず男からは何の返答もなかった。
キーノは、危険を覚悟の上で、この男の真を測るべく敢えて問う。
「それを理解してもらった上で、一つおまえに問いたいことがある。」
やはり男は立ち尽くしたままだ。
キーノは続けた。
「こちらの世界の女を一人、眷属に加えたな?
これの<
ここに至って、漸く男が
片手を顎に当てて首を捻り、何か思案している様子。
やがて何かに納得したかのように頷いた男は、突然、ハハハハハッ!と哄笑を放った。
「おまえが
の第一声。
キーノは、キャラバッシュたちが当初、自身とこの男主従を混同していたことを踏まえて申し訳なさそうに言う。
「キャラバッシュ・ペシュメルから、おまえを私であると勘違いして接触した件は聞き及んでいる。それがおまえにとって迷惑だったのであれば、それについては詫びておこう。」
存外キーノは心底そう思いつつ言ったつもりだったが、その意図したところはまったく男には伝わらなかった。
「それで……」
と、男。
ん?とキーノは顔を突き出す。
「それで、私がおまえを
「!」
まったく予想していなかった男の返しにキーノは言葉を詰まらせた。
「
「な……いや、そ、そんなつもりは。」
「あの男に何を聞いてきたのかは知らないが、あの男も、人類のために今為すべきことを始めるだけ、などと偉そうなことを言っていたが、つまるところ、それが自分の地位を安泰にするから言っているだけのこと。おまえもそいつに取り入って、何らかの益を得ようとしているだけだろうよ。」
「ん、ん、んなわけあるか!」
「それに。」
と、男はいわくありげに妖しげな笑みを浮かべつつ腕を組む。
「眷属がどうのこうの、と言ったか?
あの女は生前の恨みで男を殺したがっていた。私はただあの女の望みを叶えてやっただけ。しかも私は、筋違いに恨まれた男を憐れんで、身を守る
「むぐぐ……」
最初は黙り込んでいた黒服男に突然理屈で畳み込まれて、キーノはたちまちに言い返すことが叶わなかった。男の物言いに釈然としないものは多々あるが、どう切り返せばよいものやら思い浮かばない。
「それに、眷属と言えばおまえも犬を一匹連れているじゃないか。」
「ワタシはどっちかってーと、キーノちゃんの猫なんだけどにゃん!」
何を思ってか、クレマンティーヌが猫の手真似をしつつ
何故か双子忍者クゥイアとクゥイナが左右に並んで同じ
「なればなおのことだ。
キーノは、思いもよらなかった男の言葉に口をあんぐりと開いておろおろするばかり。
だが。
「オッサン、そのへんにしとけや。」
さきほどまで猫の
「内心の狼狽が透けて見えてるぞ。」
「……
ここまで言葉尻は痛烈ながら、理路整然と喋っていた黒服男が、いささか苛立ちを感じさせる声色でクレマンティーヌの言に応じた。逆にクレマンティーヌは、落ち着き払った口調で続ける。
「歳はいくつだ?」
と、クレマンティーヌ。
「歳?」
黒服男は、唐突なこの問いの意味がわからぬ様子。
「ユグドラシルプレイヤーの中身の年齢が見た目と関係ない、ってのは知ってんだよ。当ててやろうか?四十そこそこ、てめぇで汗水流して働いたことのない世間知らずの坊っちゃん、ってところか。どうだ?」
このクレマンティーヌの断言に、意外なことに黒服男は押し黙った。
隣でキーノが目をまん丸にして驚いている。
「何故わかるか知りたいか?
おまえみたいなヤツは、飽きるほど法国で見て来たんだよ。親の七光で分不相応な
醒めきったクレマンティーヌの冷たい視線が、抉るように黒服男をジッと睨み続けている。
「おまえの物言いはあの
これまで出会ったユグドラシルプレイヤーは、それぞれに差はあれど、辿り着いちまったこの見知らぬ世界でどうしようか、と全力で足掻いてたもんさね。あんたはただ状況に流されてただけ。
「ず……随分と好き勝手なことを言ってくれるじゃないか、猫風情が!」
苛立ちを
「キーノちゃんと同じ
ここに至って、初めてニッ、と笑うクレマンティーヌ。
「アインズ・ウール・ゴウンの足元にも及ばねー。」
「おぃ、クレマンティーヌ!」
口にすべからざる名を口にした眷属の裾を引いてキーノは窘めようとするが、何かが心の琴線に触れて吹っ切れたクレマンティーヌは、まったく気にする様子がなかった。
対して、黒服男は、
「今……アインズ・ウール・ゴウン、と言ったか?」
クレマンティーヌの言葉に狼狽の様子すら見せていたところから転じて、興味なのか、
「おうよ!
おまえが行こうとしてた先にはアインズ・ウール・ゴウンがいるんだよ!糞とは言え、何も事情がわかってないおまえがアインズ・ウール・ゴウンに瞬殺されちゃ気の毒だ、って気遣ってキーノちゃんが追って来てくれたのに、恩知らずにもほどがあるぞ、おまえは!」
もうそのへんにしとけ、と後ろから裾引くキーノを引き摺りつつ、クレマンティーヌは片足を前に、バンッ、と踏み出して啖呵を切った。双子忍者が左右の脇に立ち、
だが。
「ク……ククク……ワハハハハハッ!」
クレマンティーヌに詰め寄られて一時は狼狽える様子さえ見せていた黒服の男が、再び哄笑を放った。
「くだらん!実にくだらん!」
と、断言する男。
「おまえは猫ではなく、狐だったか!」
「「……はぁ?」」
と、首を傾げるキーノとクレマンティーヌ。
「虎の威を借る狐、を知らんか?
そうやって、アインズ・ウール・ゴウンの名を騙って他のプレイヤーは恫喝できたものだろうが、生憎と私はあの連中を恐れてはいないのだ!」
威を借りて、って……。
どちらかというとアインズには
「非公式ラスボス、などと呼ばれたあのモモンガでさえ、私の敵ではない!」
「「えぇっ!」」
流石にこの発言にはキーノ、クレマンティーヌが再び
「何故なら、私は奴と同じ必殺技を持っている。
そして、奴はそのことを知らん。先制すれば私の勝ちだ!」
よもや
同時に、それまで何に備えるでもなく直立不動のまま喋っていた男が、やおら十指に備えた指輪の一つに触れた。
「これはマズそうだ、<
速やかにそう判断したキーノは、カルネ村につながる
「
形成されるかに見えた光り輝く
男は、さきほどの操作の以来、妖しい輝きを放つ指輪の一つを示してみせる。
「そんなものはお見通しだ。」
と、さきほどまでとは打って変わって余裕の表情を浮かべる黒服男。
「随分なお説教の礼に教えてやろう。私の
「「な、なんだって!」」
ここに至っても仲良く
果たせるかな、それは初手からの詰みだった。
「猶予時間は十二秒だ。せいぜい無駄な足掻きで私を楽しませてくれ!」
ババッ、と男の青白い手が左右に八の字に開かれる。
「<
「「!」」
突如、男の後背に機械仕掛けの時計……それが何であるかはキーノ、クレマンティーヌ共に知る由もないのであるが……が出現し、その針が十二分された盤を一つ進んで、
ゴーーーン!
と、何処からともなく不気味な鐘の音が響き渡る。
「<
耳をつんざく悲鳴と共に、男の足元から凄まじい冷気が放射状に放たれてキーノたちの横を吹き抜けていった。キーノたちはもちろんこの範囲殲滅即死魔法についての知識を持たないが、周囲に漂う濃厚な
ゴーーーン!
やおら男は中空から
「どうした、まだ十秒あるぞ。かかってこないのか?もう諦めたか?」
決して諦めたわけではなかったが、それでもキーノ、クレマンティーヌ共にたちまちにどうすればよいのかは思い浮かばない。
ゴーーーン!
ゴーーーン!
ゴーーーン!
虚しく両者睨み合い、残り六秒に至らんとしたそのとき!
耳をつんざく風切音と共に何かが西の空から飛来し、黒服男とキーノたちの間の地面に轟音と共に突き刺さり、辺り一面に猛烈な土煙が沸き立った。
「「「なッ!」」」
キーノたちはもちろん、黒服男も驚きの声を漏らすが、続く残り五秒を告げる鐘の音と同時に、この場の誰にも意味のわからぬ言葉が土煙の中から聴こえる。
ゴーーーン!
「セーニョ!」
衝突の衝撃波で早くも吹き払われつつある土煙の中に。
キーノは、両足から斜めに地面に突き刺さる、漆黒の