王太子サミュエルソンの失恋(1)
「畢竟、統治などというものは利害の相反する二者に互いを監視させるのが一番だ。」
髪にも顎髭にも随分と白い物が混じった、でありながら筋骨隆々とした肌色浅黒い老爺が、玉座とは名ばかりの籐編みの椅子にふんぞり返りながらそう言った。
「
「ですが父上。」
老爺に向かい合う、まだ少年、と呼ぶに相応しい若者が問うた。
少年は幼く見えるが
「
「うむ、そこに気が向かうとはおまえはなかなか
老爺は
「まず大前提として、王国民の大半は能天気なお人好しで、大人しく真っ当に暮らしてさえいればあとは聡明な国王……俺のことだが……が何とかしてくれる、と思っているから、そういう
「そのようなことがありましたか?」
「覚えている限りで三回あった。」
「二百四十年で
「八十年おきにあったわけではないぞ。俺の即位の経緯を承知している
こう言われて若者は、照れくさそうにはにかむ。
「問題の事案はいずれもおまえの誕生の
「なるほど。で、残り一件は?」
「こちらは厄介だった。まったくの確信犯で村の軍も
「……して、
「ドロレスだ。」
「母上?」
「とぼけるな。おまえとて、魔法の手習いを通じて母が尋常ならざる
「なればこそ、です。
母上は敢えてその力を使って争われる
「まぁ、アレもおまえを産んでからは随分と丸くなったからな。おまえのその見解は半分は正しく、半分は間違っている。確かにあいつは余程のことがない限りその力を他者に振るうことはないが、俺の敵、となれば話は別だ。まったく容赦がない。」
「それは……
訝しげな面持ちで若者は老爺の顔を覗き込むような仕草を見せるも、老爺にはこれを気にする様子はまったくない。
「何とでも言え。とにかく、俺が嫌々ながらも親征の準備を進めている間に、ドロレスは主だった関係者全員の
若者は、引き攣った笑顔でこれを聞いている。
薄々、そういうこともあったものだろう、とは承知していた様子。
「して……このお話の教訓は?」
「我が国の民は、幸いにして民同士で槍を交えたことはないし、今後もそうあるべきだ。これは、それ自体が不幸な出来事である以上に、
「仰せの通りです。」
「俺の仕事は、そういった事態を未然に防ぐことだ。そして俺には傍らにドロレスがあって、最悪の場合でもこうして解決してくれたもので、俺の没後もしばらくドロレスはおまえを支えてはくれようが、無類の
「私自身が母上の如くあれ、と?」
「具体はおまえに任せる。嫌でなければドロレスのような妻を求めるもよかろうが、ああいう女がそうそういるはずもない。おまえは俺と違って魔法が使えるから、そういう点では力技一辺倒で、衆を頼む
「つまり、母上の没後に備え、常には用いぬ王国秩序維持の切り札を
「まぁ、平たく言えばそういうことだ。国家制度はすべてお膳立てして残してやるのだから、そのくらいのことは自分でやれ。」
やれやれ、と若者は後ろ頭を掻く。
只今の生まれは自身で望んだものでは決してないのに、トンデモない課題を押し付けてくれるものだ、と。
「委細承りました。本日のご教導に深く感謝申し上げます。」
「最悪、面倒臭かったら適当な誰かをサミュエルソンに立てて
無茶苦茶なことを真顔で言う国王サミュエルに、その一子にして王太子であるサミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼは深く溜息をついた。
「なんとも父上は……お優しいことで有り難い限りです。」
*
大陸西部中原に、世にも稀な
立太子から十数年を経た王太子サミュエルソンは、そのことを知る者はもはや父サミュエルしかいないが、異世界からの来訪者、ユグドラシルの
そもそもは、こちらの世界の人々に比して驚異的な力を有するドロレスが記憶に難を
そんな二人に転機が訪れたのは即位から百二十年を経て、建国に携わった人間、亜人の大半が
生まれの特殊さからサミュエルは自身を
さしもの豪胆な王サミュエルにとってもこれは驚天動地の出来事であったようで、泣き笑いながら王都リ・エリュキュリーゼを駆け回って、もともと何処か
ドロレスが産み落としたのは見た目は極普通の華奢な
余談ではあるが、出産直後、サミュエルとドロレスは生涯を通じて唯一、といってよい夫婦喧嘩を経験している。きっかけは赤子を
「この子の名前、どうする?」
と、夫に尋ねたことで、これにサミュエルは、
「元服のときにサミュエルソンでいいんじゃないか?」
と、さも当然のように答えた。
「元服……っていつよ?」
「さぁ。育ちにもよろうが、百歳くらいじゃないか?」
「……それまでは?」
「別に俺たちの子であることは明らかなんだからいいんじゃないか?」
「あなた……馬鹿なの?」
「曲がりなりにも一国の王に馬鹿とは何事だ!」
ドロレスはこの瞬間まで、この世界の
「どうせサミュエルソンになるのだから。」
と、サミュエルは名付けに関心を示さず、呆れたドロレスは論じるだけ時間の無駄だ、と開き直って、いずれ王になることを宿命付けられた我が子に、人の悲しみを解する子に育って欲しい、との願いを込めて、ドロローソ、の幼名を与えた。
王子ドロローソは、生まれたその時点から、エルキュル王国の様態に大きな影響を与えた。
王都リ・エリュキュリーゼの南端に位置する王宮は、常駐する
あどけない王子ドロローソを
結果、それまで互いに孤立していてほとんど交流がなかった村と村の間に、王子詣での
人が行き交うには道のみでは足りない。
さらには、以前は互いに孤立した村の中で閉じていた経済が俄かに活性化した。ごく限られた旅人の護衛を
もっとも、それはただ喜ばしいことであったはずもなく、ドロローソの立太子以前から王サミュエルが気紛れに講じる帝王学の中で触れられたように、心得違いの村の領主と
とまれ。ドロローソが幼児から少年へと成長を遂げ、王子詣での
王サミュエルはドロローソが百八歳になったとき、正式な立太子を宣言してサミュエルソンの名を与え、王子ドロローソは、王太子サミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼとなった。サミュエルは、王子誕生後四十余年続いた大混雑が再燃することを憂いて、
「学びと鍛えの時期にある王太子は多忙ゆえ、謁見は新月の翌日に限る。」
との触れを発した。余程の阿呆でもない限り次の新月までの日数はわかるので、希望者は余裕を以て門前町に至り、投宿して拝謁を待つことができる。
「母上。」
大賑わいの謁見日の翌朝、サミュエルソンは母ドロレスに声をかけた。
「また森?ドロローソも好きね。」
と気のない様子のドロレス。
元来ユグドラシルプレイヤーである彼女は、御多聞に漏れずこちらの世界にやって来て以降の記憶が続かない、という宿命を負っている。王妃として暮らしながら、何故自分がそうなったのかわからなくなった時分は少なからぬ困惑があったものだが、これはそれを予想していた夫に宥められ、いつしか彼女はそのことに疑問を抱かなくなった。
実子ドロローソについても同様で、只今の彼女はその幼少の時分の容姿どころか彼を出産した記憶すら失っているが、それでもドロローソが愛する夫サミュエルとの子であることは疑いようもなく、自身が国母ドロレス・デルキュリーゼであるという認識は、我らが大魔王アインズ・ウール・ゴウンがそうであるのと同様に、彼女にとっては既に不動の
「どうか私のことはサミュエルソン、とお呼びください。」
彼にとって、ドロローソ、は幼名であり、母が自分をそう呼ぶを好む心情はわからないでもないながらも、それでも男子としての自我を確立しつつある彼にとっては、子ども扱いを受けている感があってあまり嬉しいものではない。
「わかっているとは思うけれど、次の新月には間に合うように戻りなさいよ。
王も王太子も不在となれば、迷惑を被るのはワタシなんですからね。」
サミュエルソン謁見の日に前後して王サミュエルはふらりと姿を消してしまうことが多く、今も行方がわからない。もちろん遊び歩いているわけではなく、前月に持ち込まれた厄介事のうち実地検分を要する現場に自ら乗り込んでいるものだろうが、これを
「もちろん承知しております、母上。
では急ぎますので、これにて。」
「ちゃんと<
「言われるまでもなく。」
「早く帰ってこないと、ドロローソのことも忘れちゃうわよ!」
礼を執って足早に歩み去る息子にドロレスは背後からおどけた声を掛けたが、サミュエルソンは振り返りもせずに片手を挙げて、
「
と応じ、これを見送る母を微笑ませた。
「ミルゥ、待たせたね。元気にしていたかい?」
サミュエルソンがそう言いながら王宮に隣接する厩舎に入ると、一頭の
まだ自身サミュエルソンと名乗っていた時分の王がこれをリ・エルキュリーゼに持ち込んだ折は三頭のみあったそれは、追ってアーグランド評議国本土から取り寄せたもの、さらに当地で交配したものを加えて成鳥が四十頭ほどになっている。その数は
ミルゥ、というのはその中でも特別な
「はいやっ!」
ミルゥに飛び乗ったサミュエルソンが軽く鞭打てば、その体はふわりと蒼天に舞った。みるみる高度を上げて東へ向けて飛翔すれば、遠く彼方に万年雪を湛えるアゼルリシアの山々、その手前に目指すトブの大森林が望めるようになる。
「<
……あ、キュージコージかい?ボクだよ……そう、予定通り今出たところ。
夕刻にはそちらに着くから……あぁ、手筈は整ってる?流石だね!
うん、わかってる、油断せずに向かうよ。ミギコージにもよろしくね、じゃ、あとで!」
民に対しては伏せられているが、サミュエルソンは既に第五位階魔法を操る
そのドロレスが最優先で息子に習得させたのが<
それ以前、王国における最速の情報伝達手段は
一方で、第四位階に達して以降のサミュエルソンはいつでも何処をほっつき歩いているのやらわからない父王に<
サミュエルソンは昼食兼おやつに持参したパンを齧りながら東へ向かって飛んだ。時折ひとかけパンを千切って前方へ投げれば、ミルゥはこれを器用に追って、でありながら背に乗る
目指す先は父王の生まれ故郷、トブの大森林。その手前にある
ミルゥをそのまま駆って森の上空にまで至れないわけではないが、元来性向優しく争いに向かないこの獣は、森に潜む危険を賢く捉えて如何に命じようとも決してそこに降りてはくれない。なので、これを信頼のおける宿に預けて、そこからは徒歩で進むのがサミュエルソンのトブの大森林詣での定石だ。
日も傾き、背から差し込む西日に照らされて丘の上の石造りの街が見えてきた。目指す宿は街の東の端にあって、厩舎を備えた大きな
「こんちまたお日柄もよろしく、若様におかれてはご機嫌麗しく何よりで御座いますな。今宵はごゆるりとお休みあって、明朝からの旅にお備えくださいやし!」
「ゲロゲーロ!」
キュージコージ、ミギコージは、建国の砌父王サミュエルを長く支えた
口先軽く多弁なキュージコージに対し、ミギコージは口下手で何に応じるにも「ゲロゲーロ!」と返すを常とする。只今のそれは「キュージコージの申す通り」ほどの意になるが、否の場合も同様に「ゲロゲーロ!」なのだが、サミュエルソンはその微妙な
「ありがとう!その……若様、は
素早くミルゥの手綱を取ってくれたキュージコージに謝意を示しつつ、サミュエルソンは他人行儀な物言いを嗜めたが、
「ご冗談はおよしになっておくんなさいよ、若様は若様であらせられますんで、あっしらといたしましては他には何ともお呼び申し上げようも御座んせん!」
「
と、取りつく島もなかった。
「……まぁいいや。
お腹が
「喜んでご相伴に預からせていただきやす!」
「
三人は、大人しく厩舎に収まったミルゥを宿に残して宵闇の街へ繰り出した。
サミュエルソンの身分については
これは彼が、当地を含むトブの大森林を旅することを好む理由の一つでもあった。お忍びであってもリ・エルキュリーゼの村を歩こうものならたちまちに正体を見抜かれ、大仰な平伏で迎えられてしまう。これは決して彼の好むところではない。
一方で、サミュエルソンの旅の目的はそれだけでもなかった。当然のこととして、父王が若かりし日を過ごした地で自身を鍛える、ということは意識されているが、加えて、彼には父母にも明かせずにいる個人的な理由がある。
「今回は……どうかな?」
当地でも供されるところのトブの大森林にのみ産する
「さーて、こればかりはあちら様のご事情もおありでしょうし、なんたって気紛れな方々でやんすから何と申しようもありゃしませんが、若様のお望みに叶うことをお祈り申し上げるのみで御座いますよ!」
「ゲロゲーロ!」
この返しにサミュエルソンは少年らしいはにかんだ微笑みを返した。
*
「事前情報通りだったな。」
「供をしている二人はここではかなり名の知られた
「もちろんそんなことは承知している。連中の行き先はトブの大森林だ。」
「よもや、とは思うが
「まさか!そんなことをしたら命がいくつあっても足りやしない!」
西から飛来した王太子サミュエルを街から見上げていたものは、
「本来
他二人よりも二回りは大きい巨人が、人間種のそれとは随分と異なる獣の唸りにも似た声色でいう。
「コンナ、マドロッコシイコトハ好マンノダガ。」
得物の
「あぁ、それはわかっている。」
人間の男の一人から宥めるような声がかかる。
「だが、サミュエルは老いたり、とは言え歴戦の勇士と聞く。マグヌッソンが奴に遅れを取る、などとは決して思ってはいないが、万全を期すに越したことはない。」
マグヌッソン、と呼ばれた
トブの大森林に隣接する、かつて自由都市エ・レエブル、リ・ブルムラシュールと呼ばれた領域は、エルキュル王国の傘下には加わっておらず、
マグヌッソンはそんな町のどこかに生まれた
これに応じる側は、必ずしも彼らを恐れているわけではなく、そもそも村々の生産力には余裕があるので、諭しても聞く耳をもたない阿呆共には欲しがるものを与えてやるのが話が早い、と遇されているに過ぎないのだが、悲しいかな本人たちにその自覚はなかった。
「お膳立ては俺たちに任せてくれ。若い時分は天下無双を気取ったサミュエルとはいえ、餓鬼を人質に取られては
「人質ヲ取ラネバ、
「待て待て、そういう意味じゃないんだ!
サミュエルには、大した腕前の連中でこそないが、それでも三十人ほどの
「ソコハ……」
うーむ、と唸る
「認メルニ
「ならば俺たちの援護射撃も理解してくれ。俺たちがやろうとしているのは簒奪で、失敗すれば磔獄門は間違いないんだから、打てる手はすべて打つ必要がある。これはマグヌッソンの嫌う卑怯、では決してないはずだ。」
勝手な理屈もあったものだが、元より決しておつむの具合のよろしくない
「狙うとすれば、
謀議を再開する二人の男。
「旅の疲れで
「どのくらい日を要するものだろうか?」
「正直なところわからんが、連中がトブの森の中心地、
「ならば、今少し手勢を集める余裕もあるな。」
「あぁ。だが、声を掛ける連中はよくよく厳選しろよ。事前に話が漏れれば、俺たちを待っている運命は、ただの死にはならんのだからな。」
「わかった。俺には当てがあるので早速出掛ける。六日で腕が立って小回りが利くのをニ三人連れて戻るから、おまえはマグヌッソンとここに居てくれ。」
「あいわかった。」
「承知シタ。」
こんな謀議が