億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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混血森妖精(ハーフエルフ)の王、サミュエル・エルキュルハウゼンと来訪者(ユグドラシルプレイヤー)ドロレスの一子、エルキュル王国の王太子の物語全3回。


第14話 王太子サミュエルソンの失恋
王太子サミュエルソンの失恋(1)


「畢竟、統治などというものは利害の相反する二者に互いを監視させるのが一番だ。」

 

 髪にも顎髭にも随分と白い物が混じった、でありながら筋骨隆々とした肌色浅黒い老爺が、玉座とは名ばかりの籐編みの椅子にふんぞり返りながらそう言った。

 

按察官(アエディリス)たる王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)は無法をおこなう領主を摘発する権を有する。対して領主は、恣意的な介入をおこなう按察官(アエディリス)について俺に苦情(クレーム)する権を持つ。互いを牽制して無茶はせぬし、衝突したとてその大半は意思不疎通(ディスコミュニケーション)によるもので、俺が形ばかりの譴責を加えて(あいだ)を取り持てば、瞬く()に元の鞘に戻る。まぁ、その程度のものだ。」

 

「ですが父上。」

 

 老爺に向かい合う、まだ少年、と呼ぶに相応しい若者が問うた。

 少年は幼く見えるが御年(おんとし)百二十余歳。森妖精(エルフ)の血筋ゆえである。

 

按察官(アエディリス)と領主が結託して民を虐げたときは如何(いかが)いたしますか?」

 

「うむ、そこに気が向かうとはおまえはなかなか(さと)いな。」

 

 老爺は満足気(まんぞくげ)に頷いて見せる。

 

「まず大前提として、王国民の大半は能天気なお人好しで、大人しく真っ当に暮らしてさえいればあとは聡明な国王……俺のことだが……が何とかしてくれる、と思っているから、そういう(よこしま)(もの)は稀だ。が、決して皆無ではない。」

 

「そのようなことがありましたか?」

 

「覚えている限りで三回あった。」

 

「二百四十年で三度(みたび)ですか。確かに稀ではありますな。」

 

「八十年おきにあったわけではないぞ。俺の即位の経緯を承知している(もの)、その直接の子らが存命の(あいだ)はそんなことは起こらなかった。また、おまえがまだ赤子であった時分は(みな)おまえに夢中で、悪巧(わるだく)みなどする暇がなかった。」

 

 こう言われて若者は、照れくさそうにはにかむ。

 

「問題の事案はいずれもおまえの誕生の熱狂(フィーバー)が醒めて、この国は未来に渡って安泰なのだ、と誰もが安心しきった頃、おまえが物心(ものごころ)はついたがまだ国事のことまで解するには至っていない頃に立て続けに起きた。もっともうち二件は、俺が対処に動き出したと気づいた時点で当人たちの方から先に詫びを入れて来たので、譴責だけ加えて穏便に済ませてやった。」

 

「なるほど。で、残り一件は?」

 

「こちらは厄介だった。まったくの確信犯で村の軍も()き込んでいやがったから、これに対するには俺が王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)か、どこぞの村の軍勢を借り受けて乗り込むしかない状況だった。が、やるのは簡単だが、それはどのような形であれ民同士が槍を突き合わせる憂うべき事態になってしまう。」

 

「……して、如何(いかが)なされたのですか?」

 

「ドロレスだ。」

 

「母上?」

 

「とぼけるな。おまえとて、魔法の手習いを通じて母が尋常ならざる強者(つわもの)であることは承知しているだろう?」

 

「なればこそ、です。

 母上は敢えてその力を使って争われる御方(おかた)には見えません。」

 

「まぁ、アレもおまえを産んでからは随分と丸くなったからな。おまえのその見解は半分は正しく、半分は間違っている。確かにあいつは余程のことがない限りその力を他者に振るうことはないが、俺の敵、となれば話は別だ。まったく容赦がない。」

 

「それは……惚気(のろけ)ておいでなのですか?」

 

 訝しげな面持ちで若者は老爺の顔を覗き込むような仕草を見せるも、老爺にはこれを気にする様子はまったくない。

 

「何とでも言え。とにかく、俺が嫌々ながらも親征の準備を進めている間に、ドロレスは主だった関係者全員の首級(くび)()って帰って来た。具体的にどうやったのかまでは知らんし怖くて尋ねる気にもなれなかったが、あいつは一里(いちり)先の鹿の眉間を百発百中で射抜くからな。やられた(ほう)は何に襲われたのかすらわからなかっただろうよ。これを能天気な国民たちは微笑みの国母、と慕っておるのだから、幸せは牧場にあり(知らぬが仏)、とはよく言ったものだ。」

 

 若者は、引き攣った笑顔でこれを聞いている。

 薄々、そういうこともあったものだろう、とは承知していた様子。

 

「して……このお話の教訓は?」

 

 ()を正して若者は老爺に問うた。

 

「我が国の民は、幸いにして民同士で槍を交えたことはないし、今後もそうあるべきだ。これは、それ自体が不幸な出来事である以上に、一度(ひとたび)これを起こしてしまえば必ずや村と村の(あいだ)の蟠りとなって後世に災いとなるからだ。」

 

「仰せの通りです。」

 

「俺の仕事は、そういった事態を未然に防ぐことだ。そして俺には傍らにドロレスがあって、最悪の場合でもこうして解決してくれたもので、俺の没後もしばらくドロレスはおまえを支えてはくれようが、無類の強者(つわもの)でこそあれ母にも寿命はある。」

 

「私自身が母上の如くあれ、と?」

 

「具体はおまえに任せる。嫌でなければドロレスのような妻を求めるもよかろうが、ああいう女がそうそういるはずもない。おまえは俺と違って魔法が使えるから、そういう点では力技一辺倒で、衆を頼む(もの)に衆を以て当たらざるを得ない俺よりも優位(アドバンテージ)はあるだろうが、ドロレスほどの(もの)でもなければ所詮はただ一人の強者(つわもの)に為せることなど多寡が知れたものだ。」

 

「つまり、母上の没後に備え、常には用いぬ王国秩序維持の切り札を見出(みいだ)しておけ、ということでしょうか?」

 

「まぁ、平たく言えばそういうことだ。国家制度はすべてお膳立てして残してやるのだから、そのくらいのことは自分でやれ。」

 

 やれやれ、と若者は後ろ頭を掻く。

 只今の生まれは自身で望んだものでは決してないのに、トンデモない課題を押し付けてくれるものだ、と。

 

「委細承りました。本日のご教導に深く感謝申し上げます。」

 

「最悪、面倒臭かったら適当な誰かをサミュエルソンに立てて(とん)ずらするんだな。俺とドロレスの死後であれば、どうしようがおまえの勝手だ。」

 

 無茶苦茶なことを真顔で言う国王サミュエルに、その一子にして王太子であるサミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼは深く溜息をついた。

 

「なんとも父上は……お優しいことで有り難い限りです。」

 

 

                    *

 

 

 大陸西部中原に、世にも稀な大鬼(オーガ)を父に、森妖精(エルフ)を母に持つ混血森妖精(ハーフエルフ)サミュエル・エルキュルハウゼンが国王に擁立されて二百四十年。エルキュル王国(ロワイヨム・デルキュリーゼ)は穏やかな繁栄を続けていた。

 

 立太子から十数年を経た王太子サミュエルソンは、そのことを知る者はもはや父サミュエルしかいないが、異世界からの来訪者、ユグドラシルの魔法射手(マジックアーチャー)闇の中へ(イントゥーダークネス)のドロレスを母に持つ。

 そもそもは、こちらの世界の人々に比して驚異的な力を有するドロレスが記憶に難を(かか)えていることに気づいたサミュエルが、そんな女に自国内をうろつかれては敵わない、と仮初(かりそめ)の妃に迎えたものだが、自身に対等に向き合ってくれる相談役を欲していたサミュエルと、サミュエルの王気にすっかり魅入られたドロレスは人も羨むおしどり夫婦となった。

 

 そんな二人に転機が訪れたのは即位から百二十年を経て、建国に携わった人間、亜人の大半が(みな)世を儚んだ時分のことだ。

 生まれの特殊さからサミュエルは自身を種無(たねな)しと思い込んでおり、ドロレスは自身の肉体をつきつめればゲーム内の化身(アバター)だと考えていたので、二人は共に子を得ることなどまったく考えもしないまま、でありながら惹かれ合う男女の自然に従って、放浪癖の著しいサミュエルが王宮にある限りは飽きることなく激しい夜の営みを続けていたものだが、ある()、ドロレスは自身が身籠ったことに気づいた。

 さしもの豪胆な王サミュエルにとってもこれは驚天動地の出来事であったようで、泣き笑いながら王都リ・エリュキュリーゼを駆け回って、もともと何処か可怪(おか)しなところのある我らが王が遂に狂気に陥ったか、と民草の心胆を(さむ)からしめたものだが、真相が明らかになれば、能天気な王国民はたちまちに王子誕生の熱狂(フィーバー)の季節を迎えた。

 ドロレスが産み落としたのは見た目は極普通の華奢な森妖精(エルフ)だったが、父によく似る目立つ片八重歯があり、しかも男子であったことも手伝っていよいよ熱狂は増した。

 

 余談ではあるが、出産直後、サミュエルとドロレスは生涯を通じて唯一、といってよい夫婦喧嘩を経験している。きっかけは赤子を()いたドロレスが、

 

「この子の名前、どうする?」

 

と、夫に尋ねたことで、これにサミュエルは、

 

「元服のときにサミュエルソンでいいんじゃないか?」

 

と、さも当然のように答えた。

 

「元服……っていつよ?」

 

「さぁ。育ちにもよろうが、百歳くらいじゃないか?」

 

「……それまでは?」

 

「別に俺たちの子であることは明らかなんだからいいんじゃないか?」

 

「あなた……馬鹿なの?」

 

「曲がりなりにも一国の王に馬鹿とは何事だ!」

 

 ドロレスはこの瞬間まで、この世界の大鬼(オーガ)の名付けの習俗、父は子に元服に際してその名を譲りそれまでは名を持たない、どころか女性は生涯を通じて名無しである、を知らなかったので一騒(ひとさわ)ぎに至ったものだが、その辺りの行き違いを是正した(のち)も、

 

「どうせサミュエルソンになるのだから。」

 

と、サミュエルは名付けに関心を示さず、呆れたドロレスは論じるだけ時間の無駄だ、と開き直って、いずれ王になることを宿命付けられた我が子に、人の悲しみを解する子に育って欲しい、との願いを込めて、ドロローソ、の幼名を与えた。

 

 王子ドロローソは、生まれたその時点から、エルキュル王国の様態に大きな影響を与えた。

 

 王都リ・エリュキュリーゼの南端に位置する王宮は、常駐する王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)およそ十五名とその従者、加えてリ・エルキュリーゼの村から交代で派される使用人で運営されているが、原則としてこれを訪ねてくる王国民に門戸を開いていた。そういう物好きは決して多くはなかったが、誰でも国王サミュエルに謁見を求めることは可能で、数日待たされることはあっても拒まれることはなく、これは既に民の権利の一つ、と理解されていた。

 あどけない王子ドロローソを一目(ひとめ)見ようとする最初の民の一団が王宮を訪ねたのは出生から一年ほど経た時分で、この時点ではサミュエルもドロレスも、特に深い考えもなく野次馬を歓迎し、祝福への礼に土産まで持たせたものだが、彼等が自身の村に帰って王子ドロローソがどれほど可愛らしかったかを語り、その話が隣村へと広まるにつれて、王宮詣では一大流行(いちだいりゅうこう)と化した。何せ目当ての王子は成長の遅い森妖精(エルフ)で向こう五十年は愛くるしい姿のままだ、と(みな)承知している。出掛ける側は、生涯に一度は可愛い王子様を見ておこう、というノリだ。

 

 結果、それまで互いに孤立していてほとんど交流がなかった村と村の間に、王子詣での便(べん)を図る、というただそれだけの理由で、それまで誰も着手することのなかった街道整備が自然発生的に始まった。それは決して舗装までを伴うものではなかったが、藪を切り払う(マチェット)が旅の必需品でなくなるにはそう時間を要さなかった。

 人が行き交うには道のみでは足りない。女子(おんなこ)どもが王子詣でに加わり始めた時点で以前は野宿が当たり前だった中継地点に宿場町が生まれ、そこに必需品を運ぶ物流が開始された。長く王宮だけがポツンとあったリ・エルキュリーゼ南端の原野が、王子のお目見えを待つ人々が投宿する門前町と化したのもアッと言う()の出来事だ。

 さらには、以前は互いに孤立した村の中で閉じていた経済が俄かに活性化した。ごく限られた旅人の護衛を(おも)な職務としていた冒険者(ヴェンチャー)のそれに、古代の自由都市でそうであったような信用取引の仲介が加わった。応じてそれぞれの産地で閉じて消費されていた物品が王国中に広まり始め、中でも水源谷(オーシヴァル)の綿製品、灘の一つ灯(アンファー・シュルラナダ)の海産物は大いに珍重され、それぞれの村の発展を促した。

 もっとも、それはただ喜ばしいことであったはずもなく、ドロローソの立太子以前から王サミュエルが気紛れに講じる帝王学の中で触れられたように、心得違いの村の領主と王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)が結託し、民から搾取して富の独占を図る、といった現象は、この経済発展と足並みを揃えて生じたものだ。

 とまれ。ドロローソが幼児から少年へと成長を遂げ、王子詣での熱狂(フィーバー)は一旦は収まったが、一度回り出した王国経済はそれ以降も発展の一途を進んでいる。

 

 王サミュエルはドロローソが百八歳になったとき、正式な立太子を宣言してサミュエルソンの名を与え、王子ドロローソは、王太子サミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼとなった。サミュエルは、王子誕生後四十余年続いた大混雑が再燃することを憂いて、

 

「学びと鍛えの時期にある王太子は多忙ゆえ、謁見は新月の翌日に限る。」

 

との触れを発した。余程の阿呆でもない限り次の新月までの日数はわかるので、希望者は余裕を以て門前町に至り、投宿して拝謁を待つことができる。

 

「母上。」

 

 大賑わいの謁見日の翌朝、サミュエルソンは母ドロレスに声をかけた。

 

「また森?ドロローソも好きね。」

 

と気のない様子のドロレス。

 元来ユグドラシルプレイヤーである彼女は、御多聞に漏れずこちらの世界にやって来て以降の記憶が続かない、という宿命を負っている。王妃として暮らしながら、何故自分がそうなったのかわからなくなった時分は少なからぬ困惑があったものだが、これはそれを予想していた夫に宥められ、いつしか彼女はそのことに疑問を抱かなくなった。

 実子ドロローソについても同様で、只今の彼女はその幼少の時分の容姿どころか彼を出産した記憶すら失っているが、それでもドロローソが愛する夫サミュエルとの子であることは疑いようもなく、自身が国母ドロレス・デルキュリーゼであるという認識は、我らが大魔王アインズ・ウール・ゴウンがそうであるのと同様に、彼女にとっては既に不動の自己同一性認識(アイデンティティ)であった。

 

「どうか私のことはサミュエルソン、とお呼びください。」

 

 彼にとって、ドロローソ、は幼名であり、母が自分をそう呼ぶを好む心情はわからないでもないながらも、それでも男子としての自我を確立しつつある彼にとっては、子ども扱いを受けている感があってあまり嬉しいものではない。

 

「わかっているとは思うけれど、次の新月には間に合うように戻りなさいよ。

 王も王太子も不在となれば、迷惑を被るのはワタシなんですからね。」

 

 サミュエルソン謁見の日に前後して王サミュエルはふらりと姿を消してしまうことが多く、今も行方がわからない。もちろん遊び歩いているわけではなく、前月に持ち込まれた厄介事のうち実地検分を要する現場に自ら乗り込んでいるものだろうが、これを王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)に任せきることができない性分を、ドロレスは夫の美徳であると同時に救いようのない欠陥だ、と考えている。

 

「もちろん承知しております、母上。

 では急ぎますので、これにて。」

 

「ちゃんと<脱出(エヴァキュエイション)>の(アンカー)は済ませてる?」

 

「言われるまでもなく。」

 

「早く帰ってこないと、ドロローソのことも忘れちゃうわよ!」

 

 礼を執って足早に歩み去る息子にドロレスは背後からおどけた声を掛けたが、サミュエルソンは振り返りもせずに片手を挙げて、

 

御戯(おたわむ)れを。余程の事がない限り、母上の記憶は半年は保たれるはずです。」

 

と応じ、これを見送る母を微笑ませた。

 

 

 

「ミルゥ、待たせたね。元気にしていたかい?」

 

 サミュエルソンがそう言いながら王宮に隣接する厩舎に入ると、一頭の鷲頭天馬(ヒッポグリフ)が、キュルルルルー、と嬉しそうな囀りを放った。

 まだ自身サミュエルソンと名乗っていた時分の王がこれをリ・エルキュリーゼに持ち込んだ折は三頭のみあったそれは、追ってアーグランド評議国本土から取り寄せたもの、さらに当地で交配したものを加えて成鳥が四十頭ほどになっている。その数は王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)の定数三十三を満たしているが、実際にこれに騎乗できる(もの)はその半分にも満たない。

 ミルゥ、というのはその中でも特別な白子(アルビノ)で、腹に加えて背も真っ白な羽毛で覆われた個体だが、(ひな)の頃からドロローソによくなつき、ドロローソも自分の弟であるかのようにかわいがったので、長じてからは王太子サミュエルソン専用の乗騎となった。

 

「はいやっ!」

 

 ミルゥに飛び乗ったサミュエルソンが軽く鞭打てば、その体はふわりと蒼天に舞った。みるみる高度を上げて東へ向けて飛翔すれば、遠く彼方に万年雪を湛えるアゼルリシアの山々、その手前に目指すトブの大森林が望めるようになる。

 

「<伝言(メッセージ)>!

 ……あ、キュージコージかい?ボクだよ……そう、予定通り今出たところ。

 夕刻にはそちらに着くから……あぁ、手筈は整ってる?流石だね!

 うん、わかってる、油断せずに向かうよ。ミギコージにもよろしくね、じゃ、あとで!」

 

 民に対しては伏せられているが、サミュエルソンは既に第五位階魔法を操る魔法詠唱者(マジックキャスター)で、魔法の師はユグドラシルの超位魔法すら操る母ドロレスである。

 そのドロレスが最優先で息子に習得させたのが<伝言(メッセージ)>であり、これは、よもや後半生を異世界で王妃として生きるなどとは夢にも思っていなかった彼女が、ユグドラシル時代にこれを習得していなかったことを強く悔いたためだ。

 それ以前、王国における最速の情報伝達手段は鷲頭天馬(ヒッポグリフ)だった。ドロレスは、これがやたらと腰の軽い夫がひょいひょいと何処にでも出掛けていく口実になっていることを正しく理解していたので、通信相手に事前の面識を要するとは言え、原理的に最速の情報伝達手段となるこれを息子に修めさせて夫の牽制を試みたものだが、予想されていたことではあるが、王サミュエルの素行はまったく改まらなかった。

 一方で、第四位階に達して以降のサミュエルソンはいつでも何処をほっつき歩いているのやらわからない父王に<伝言(メッセージ)>を飛ばすことが可能になり、これは考えようによっては国家運営上の革新的な強みであったはずなのだが、実際には、息子から<伝言(メッセージ)>が飛んでくるということはその時点でドロレスがキレかけていることを意味する、と悟った父王は、息子から呼ばれる前に何らかの手段で在所を知らせてくるようになっただけだった。

 

 サミュエルソンは昼食兼おやつに持参したパンを齧りながら東へ向かって飛んだ。時折ひとかけパンを千切って前方へ投げれば、ミルゥはこれを器用に追って、でありながら背に乗る(あるじ)を大きく揺さぶることもなく啄んだ。

 目指す先は父王の生まれ故郷、トブの大森林。その手前にある丘上街(バスティード)森の玄関口(アントレ・デラフォレ)、ここで森への旅の供となる小鬼(ゴブリン)野伏(レンジャー)キュージコージ、ミギコージの二人と落ち合う手筈になっている。

 ミルゥをそのまま駆って森の上空にまで至れないわけではないが、元来性向優しく争いに向かないこの獣は、森に潜む危険を賢く捉えて如何に命じようとも決してそこに降りてはくれない。なので、これを信頼のおける宿に預けて、そこからは徒歩で進むのがサミュエルソンのトブの大森林詣での定石だ。

 日も傾き、背から差し込む西日に照らされて丘の上の石造りの街が見えてきた。目指す宿は街の東の端にあって、厩舎を備えた大きな中庭(パティオ)があって上空からでもよく目立つ。サミュエルソンが手綱を引けば、ミルゥは大きく翼を開いて返し(フレア)の姿勢を取り、速度を落としながら螺旋を描いてそこへと降りていった。見れば、二人の小鬼(ゴブリン)がこちらに大きく手を振って待ち受けている。

 

「こんちまたお日柄もよろしく、若様におかれてはご機嫌麗しく何よりで御座いますな。今宵はごゆるりとお休みあって、明朝からの旅にお備えくださいやし!」

「ゲロゲーロ!」

 

 キュージコージ、ミギコージは、建国の砌父王サミュエルを長く支えた小鬼(ゴブリン)野伏(レンジャー)マイシューマツ、フーライトルのそれぞれ甥孫(おいそん)に当たり、森の玄関口(アントレ・デラフォレ)冒険者(ヴェンチャー)として暮らしているが、その縁からサミュエルソンがトブの大森林を旅するに際しての道先案内人(ガイド)護衛(ボディーガード)として信を得て久しい。

 口先軽く多弁なキュージコージに対し、ミギコージは口下手で何に応じるにも「ゲロゲーロ!」と返すを常とする。只今のそれは「キュージコージの申す通り」ほどの意になるが、否の場合も同様に「ゲロゲーロ!」なのだが、サミュエルソンはその微妙な音調抑揚(イントネーション)からミギコージの賛否を察し得る程度には彼らと親しい。

 

「ありがとう!その……若様、は()めない?」

 

 素早くミルゥの手綱を取ってくれたキュージコージに謝意を示しつつ、サミュエルソンは他人行儀な物言いを嗜めたが、

 

「ご冗談はおよしになっておくんなさいよ、若様は若様であらせられますんで、あっしらといたしましては他には何ともお呼び申し上げようも御座んせん!」

ゲロゲーロ(ごもっとも)!」

 

と、取りつく島もなかった。

 

「……まぁいいや。

 お腹が()いちゃったから一緒に何か美味しいものを食べに行こう。今夜はボクの奢りだから!」

 

「喜んでご相伴に預からせていただきやす!」

ゲロゲーロ(ごっつぁんです)!」

 

 三人は、大人しく厩舎に収まったミルゥを宿に残して宵闇の街へ繰り出した。

 サミュエルソンの身分については森の玄関口(アントレ・デラフォレ)の住人の多くは承知しているが、当地は王国の傘下にあるわけではないし、何者とも対等に付き合うことを旨とする森の民の流儀に従う彼らは、サミュエルソンに対しても必要以上にへりくだることはない。

 これは彼が、当地を含むトブの大森林を旅することを好む理由の一つでもあった。お忍びであってもリ・エルキュリーゼの村を歩こうものならたちまちに正体を見抜かれ、大仰な平伏で迎えられてしまう。これは決して彼の好むところではない。

 一方で、サミュエルソンの旅の目的はそれだけでもなかった。当然のこととして、父王が若かりし日を過ごした地で自身を鍛える、ということは意識されているが、加えて、彼には父母にも明かせずにいる個人的な理由がある。

 

「今回は……どうかな?」

 

 当地でも供されるところのトブの大森林にのみ産する果実(フルーツ)の盛り合わせをつつきながら、サミュエルソンは自身の目的とするところの成就可能性を小鬼(ゴブリン)たちに問うた。親友、と呼んで差し支えないキュージコージ、ミギコージは、もちろんサミュエルソンの目指すところを承知している。

 

「さーて、こればかりはあちら様のご事情もおありでしょうし、なんたって気紛れな方々でやんすから何と申しようもありゃしませんが、若様のお望みに叶うことをお祈り申し上げるのみで御座いますよ!」

「ゲロゲーロ!」

 

 この返しにサミュエルソンは少年らしいはにかんだ微笑みを返した。

 

 

                    *

 

 

「事前情報通りだったな。」

 

 森の玄関口(アントレ・デラフォレ)の外れにあるうらびれた冒険者宿の二階。間仕切りのない大きな相部屋に三人の人影がある。

 

「供をしている二人はここではかなり名の知られた野伏(レンジャー)で、今仕掛けるのは得策じゃない。」

 

「もちろんそんなことは承知している。連中の行き先はトブの大森林だ。」

 

「よもや、とは思うが(あと)を追うつもりなのか?」

 

「まさか!そんなことをしたら命がいくつあっても足りやしない!」

 

 西から飛来した王太子サミュエルを街から見上げていたものは、小鬼(ゴブリン)野伏(レンジャー)キュージコージ、ミギコージのみではなかった。彼らもまた、この一室の窓から誰の目にもよく目立つ真っ白な鷲頭天馬(ヒッポグリフ)の姿を捉えていたのである。

 

「本来(ワシ)ハ……」

 

 他二人よりも二回りは大きい巨人が、人間種のそれとは随分と異なる獣の唸りにも似た声色でいう。

 

「コンナ、マドロッコシイコトハ好マンノダガ。」

 

 得物の金砕棒(スパイクドクラブ)に頬杖を突きながら不満を漏らすのは、一目(ひとめ)で尋常ならざる膂力の持ち主であることがわかる筋骨隆々とした大鬼(オーガ)

 

「あぁ、それはわかっている。」

 

 人間の男の一人から宥めるような声がかかる。

 

「だが、サミュエルは老いたり、とは言え歴戦の勇士と聞く。マグヌッソンが奴に遅れを取る、などとは決して思ってはいないが、万全を期すに越したことはない。」

 

 マグヌッソン、と呼ばれた大鬼(オーガ)は、この自身に阿るような発言にもどこか不満げだ。

 

 トブの大森林に隣接する、かつて自由都市エ・レエブル、リ・ブルムラシュールと呼ばれた領域は、エルキュル王国の傘下には加わっておらず、森の玄関口(アントレ・デラフォレ)に倣った丘上街(バスティード)が点在しており、森の民の流儀に従って、できる(もの)ができることをする、を旨とする牧歌的な共同体を営んでいる。主な住民は比率順に人間種、小鬼(ゴブリン)大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)。これは各種族の繁殖力にほぼ比例するものだ。

 マグヌッソンはそんな町のどこかに生まれた大鬼(オーガ)で、同世代の(もの)よりも頭一つ抜けた膂力を自負していた。いつしか彼の周囲にはその力を頼る不逞の(やから)が集まるようになって、村々を巡りながら強請(ゆす)(たか)りで生計を立てるようになった。

 これに応じる側は、必ずしも彼らを恐れているわけではなく、そもそも村々の生産力には余裕があるので、諭しても聞く耳をもたない阿呆共には欲しがるものを与えてやるのが話が早い、と遇されているに過ぎないのだが、悲しいかな本人たちにその自覚はなかった。

 物心(ものごころ)ついた時分からマグヌッソンは、隣接するエルキュル王国の建国物語を幾度となく聞かされたものだが、その経緯を直接知る(もの)の大半が鬼籍に入ったこの時代、その仔細は過分に省略されて、ただ卓越した膂力を有する英雄サミュエル・エルキュルハウゼンが王国を興した、と語られることが多くなっている。自身の力に阿る(よこしま)(もの)たちに囲まれる彼が、大鬼(オーガ)の血筋を引く王を打ち倒しさえすれば自身もまた王座に登り得る、との夢想を抱いたとて、その愚かさを責めることは誰にもできまい。

 

「お膳立ては俺たちに任せてくれ。若い時分は天下無双を気取ったサミュエルとはいえ、餓鬼を人質に取られては(あらが)いようもあるまい。」

 

「人質ヲ取ラネバ、(ワシ)ガ、……サミュエル、ニ(かな)ワヌト?」

 

 大鬼(オーガ)が歯ぎしりしながらそう問うので、二人の男は慌てた。

 

「待て待て、そういう意味じゃないんだ!

 サミュエルには、大した腕前の連中でこそないが、それでも三十人ほどの王国騎士(シュヴァリエ・ロワイヨム)もある。マグヌッソンならあんな連中を蹴散らすのは容易かろうが、それでも、そいつらを倒さねばサミュエルに手が届かんとなれば不利は免れまい?」

 

「ソコハ……」

 

 うーむ、と唸る大鬼(オーガ)

 

「認メルニ(やぶさか)カデハナイ。」

 

「ならば俺たちの援護射撃も理解してくれ。俺たちがやろうとしているのは簒奪で、失敗すれば磔獄門は間違いないんだから、打てる手はすべて打つ必要がある。これはマグヌッソンの嫌う卑怯、では決してないはずだ。」

 

 勝手な理屈もあったものだが、元より決しておつむの具合のよろしくない大鬼(オーガ)はこれで納得した様子だ。

 

「狙うとすれば、小僧(こぞう)が森から戻ったときだ。」

 

 謀議を再開する二人の男。

 

「旅の疲れで小鬼(ゴブリン)どもも早々に引き上げるはずだし、夜目の効かん鷲頭天馬(ヒッポグリフ)を乗騎としているからには、必ず宿で一泊してから王都を目指すに違いない。狙うとすればその夜だ。」

 

「どのくらい日を要するものだろうか?」

 

「正直なところわからんが、連中がトブの森の中心地、竜牙(ドラゴンタスク)を目指しているとして……それで間違いないはずだが、連中なら往復八日といったところだ。これに森での滞在を加えた頃、ということになるな。」

 

「ならば、今少し手勢を集める余裕もあるな。」

 

「あぁ。だが、声を掛ける連中はよくよく厳選しろよ。事前に話が漏れれば、俺たちを待っている運命は、ただの死にはならんのだからな。」

 

「わかった。俺には当てがあるので早速出掛ける。六日で腕が立って小回りが利くのをニ三人連れて戻るから、おまえはマグヌッソンとここに居てくれ。」

 

「あいわかった。」

「承知シタ。」

 

 こんな謀議が(そば)近くで進んでいようなどとは(つゆ)とも知らぬサミュエルソンは、宿に戻って明日からの旅に期待を膨らませつつ寝床に入った。

 

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