「ア、アインズ様!
ボ、ボクは……もう駄目かもしれないです!」
「……はぁ?」
いつものように骸骨の口が、パカリ、と開く。
ナザリック地下大墳墓第十階層玉座の間。
珍しく一人で訪ねてきた双子闇妖精一族の末子、ベロに唐突にそう泣きつかれた大魔王アインズ・ウール・ゴウンが途方に暮れている。
アインズと共にこちらの世界にやって来た初代アウラ、マーレが、他の百レベル階層守護者たちとは異なり有限の寿命を有する自分たちが至高の主に最期まで寄り添えない運命に気づき、自身の後継に据えるべく禁断の愛を育んで双子をもうけたのは転移歴137年の出来事。
際してアインズは、二人のミドルネーム、ベラ、ベロを子どもたちに与えること、子らが長じて任を継ぐに相応しいと認められたとき、アウラ、マーレの名を襲名させて、名を譲った世代は元の姓となるフィオーラ、フィオーレを名乗ることを定めた。以来この決まり事は、三千年を超えて久しいナザリックの歴史の中で糞真面目に踏襲され続けている。
今、アインズの目前で泣きべそをかくベロは齢八十歳。世代を重ねる毎に双子の姉弟あるいは兄妹、性格、容姿、能力はランダムに入れ替わっているが、只今のベロは初代マーレと同じ弟、一見気弱でありながらその実酷薄なぽっちゃり顔の森司祭だ。年齢が近いこともあって、アインズにとっては自身の記憶に焼き付けられた初代マーレそのものに見えるが、成長過程にあるベロのレベルは四十に過ぎない、という点が異なっている。
おまえみたいなヤバい奴に泣きつかれるのがどんな気分かわかるか?
泣きたいのはこっちだわ!
これまたいつものように身勝手な身も蓋もない感想を抱きつつ、それでも立場上威厳を保たざるを得ないアインズは、敢えて玉座に深く身を委ねたまま鷹揚に尋ねた。
「まぁ落ち着け、ベロ。
おまえがそこまで取り乱すからには余程のことなんだろう、とは思うが、それでもおまえたち一族はこれまでも幾多の試練を姉弟手を取り合って乗り越えて……」
「そ、そこが……も、もう駄目なんです!」
こともあろうにベロは、諭す至高の主の言葉を上書いて叫んだ。
決して安定した情緒の持ち主ではないことは百も承知だが、それでもこれまでにこんな態度をマーレの性格を引き継いだ者が示したことはなかった……はずだ。
と、アインズが自身の頼りないことこの上ない、というかまったく当てにならない記憶に見つかるはずもない安心材料を求めて心の内で右往左往するうちにも、ベロは玉座のアインズにどんぐりのような瞳を潤ませながら縋りついた。
「ボ、ボクは……。
お、お姉ちゃんに、み、見限られちゃうかもしれません!」
……はぁ?
なお一層骨の口をパカリ、と開きつつ、アインズは声すら出ない。
*
「若様ッ、吉報ですぜい。お目当ての御方が湖の畔の広場にお越しになられたようで、集落の連中が歓待してる、ってー話で御座いますよ!」
「ゲロゲーロ!」
トブの大森林のほぼ中央、大きな湖を取り囲むように点在する蜥蜴人の集落の中でも最大勢力となる竜牙の客人向け天幕で微睡んでいた王太子サミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼは、供の小鬼野伏キュージコージ、ミギコージの声に慌てて横たえていた身体を起こした。
森の玄関口を立って四日。道中、手土産代わりに大柄な野猪を一頭狩ったほかには大きな波乱もなく目的地に辿り着いた三人は、歓迎してくれた蜥蜴人に提供された寝床で休んでいたものだが、一足先に目を覚まして集落の様子を見て歩いていた小鬼二人が、サミュエルソンが真に目的としていた出来事が現在進行中であるとの急報を告げたものだ。
「そう慌てなさんな、若様。髪が寝癖で撥ねておいでですぜ。まずは身なりをお整えになって、それからゆるゆると向かいましょう。なーに、蜥蜴人の出し物は早々には終わりませんから、余裕は十分御座いますぜ。」
「ゲロゲーロ!」
もう数千年に渡って継承されてきた神事、であるが、竜牙はしばしば森に暮らす亜人、人間たちからは、精霊さん、と呼び慕われる客を迎えることがある。
精霊さんの見た目は闇妖精の子どもで、いつも二人連れで現れるが、数千年に渡ってほぼ変わらぬ容姿であることから森の民にも少なからず含まれる森妖精とは別格の存在、と認識されていて、彼らは精霊さんを森の守護神と見做し、事実上の信仰の対象として恭しく接してきた。
いつも前触れなく現れる精霊さんは、唐突に集落を見下ろす樹上に二人並んで腰かけ、誰に声を掛けるでもなくぼんやり眺める体を取るのであるが、森の民側はこれに備えて、只今の我々はこんなことをやって生活を営んでおりますよ、といったところを説明する出し物の準備をしていて、誰かが精霊さんの出現に気づくと、たちまちに集落は祭りと化して賑やかになる。
出し物の多くは、直近に開発された狩りや漁、農業や養殖の新技術で、これを説明を加えながら披露すると精霊さんは、やんややんや、と手を打って無邪気に喜ぶのだが、森の民はこれを、森の守護神たる精霊さんが自分たちの暮らしを陰ながら見守ってくださっている証であり、出し物はそれに対する答礼であると観念していた。
身支度を整えた三人が湖に面する広場に近づくと、そこには既に蜥蜴人を中心に、人間、森妖精、小鬼の人だかりができていて、中には大鬼、妖巨人の姿も見えた。
広場を見下ろす高い木から横に張り出た太い枝の上に、仲良く二人並んで腰かける精霊さんがあって、楽しそうに出し物を眺めている。目下示されているのは近年湖に流入する川の一つに設けられた水車小屋の模型で、これは水流を原動力に石臼を回して森の南端の村から届く穀物を挽き、さらにはこれを蜥蜴人が営む養殖池へ自動給餌する機構を有していた。
途中からサミュエルソンは、色白の雌の蜥蜴人が熱心に語るその仕組みにすっかり魅入られてしまい、本来の来訪の目的を失念しそうになったほどだ。一通りの説明が終わったとき、彼もまた共に手を叩いて称賛の意を示した。
主たる出し物が終わってまだ精霊さんが留まるようであれば、後は銘々が勝手に精霊さんに報告申し上げたいことを言上するのが常で、この順番を待つ列が自然と生じる。
その多くは、住民のみならず飼育される家畜も含んで最近生まれた子を示し、精霊さんのお陰で新たな仲間を迎えることができました、ありがとうございます、と謝意を捧げるもの。これに当の精霊さんはさして強い関心を示さないことは昔から知られていたが、稀に大喜びで手を打たれることがあることも皆承知なので、これも恒例として繰り返されてきた儀式となっている。
サミュエルソンは、どうか自分の番が回って来るまでお留まりいただけますように、と祈りながら、遠慮気味にこの順番待ちの最後列に加わった。
「まもなく孵る私の卵です、どうか祝福を!」
「精霊さんのご加護をもちまして娘エンリネは安産でした!」
「今年元服シ、ジェファーソン、ノ名ヲ継イダ愚息ダ!」
「二十年振りに生まれた多頭竜の幼生、ルルル、で御座います!」
サミュエルソンはこの様子を興味深く眺めている。特に先程紹介された多頭竜の幼生は何やら精霊さんの心を捉えた模様で、二人いるうちの細面ざんばら髪の精霊さんが身を乗り出して、パァ、と笑みを浮かべているのが見て取れた。
自分も……そんな風に受け入れてもらえないものだろうか?
期待と不安の入り混じった気持ちを抱えたまま、遂にサミュエルソンの番が回って来る。
「精霊さん!」
と、声を上げたのは小鬼キュージコージ。
「あっしは森の外、森の玄関口の街から精霊さんにどうしてもご紹介申し上げたい御仁を連れてやって参りやした。どうかお見知りおきくださいやし。森の遥か西、エルキュル王国の王太子サミュエルソンで御座います!」
この露払いを受けて、サミュエルソンは片手を胸に当て、恭しく跪礼を執って精霊さんに挨拶を捧げる。
「サミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼ、で御座います、麗しの精霊様。
父王サミュエルは当地にて精霊様のご加護の下生まれ育ち、只今は大陸西方の安堵に努めております。これも偏に精霊様の御威光の賜物にて深く感謝申し上げますと共に、これからもトブの大森林と王国の良好な関係を末永く育みますことを、我が身命を賭けてお誓い申し上げます。」
やや阿りが過ぎるだろうか、と自嘲しつつも、それでもサミュエルソンは素直に自身の思うところを精霊さんに言上した。期せずして、周囲の森の民から少なくない喝采が起こる。森の民自身には、縁遠い西の王国の王太子に阿る理由は特にないが、それでもその当人が自らここまで足を運んで、今後とも森との良い関係を続けていきたい、と精霊さんの前で誓ってみせたのは大いに歓迎された。
一方で、サミュエルソンにとって、自身の口上が森の民に受容されたことは喜ばしいことではありつつも、それ自体は決して彼の主たる目的ではなかった。
恐る恐る顔を上げ、視線を樹上の精霊さんに向けてみれば。
さきほど多頭竜の幼生に対してそうであったように、細面ざんばら髪の精霊さんが身を乗り出して、パァ、と笑みを浮かべ、何故か可愛らしい鼻をひくひく、とさせている。
あぁ!精霊さんはボクを気に入ってくれたものだろうか!
とサミュエルソンは一瞬心を躍らせたが、一方で、その隣にあるぽっちゃり顔おかっぱ頭の精霊さんは、こちらには視線を向けず、細面ざんばら髪の精霊さんに見るからに不安そうな視線を注いでいた。
……あれ、何かマズかったかな?
いや、とっかかりとしては決して失敗ではないはずだ!
そう自らの心を奮い立たせたサミュエルソンは、すっと立ち上がって今一度樹上の精霊さんに一礼を捧げた。これを受けて、キュージコージが声高に集った人々を煽る。
「紳士淑女の皆さま……
トブの大森林万歳!
王国に栄光あれ!」
ノリのよい森の民たちもまたこれに声を揃えて応えた。
「「トブの大森林万歳!」」
「「王国に栄光あれ!」」
サミュエルソンは方々に向きを変えては丁寧にお辞儀をし、同時に右手を精霊さんに差し向けて、この場の主役はあくまでも精霊さんである、と示す体を採った。その心はたちまちに森の民にも解されたようで、なかなか見どころのある王子様じゃないか、とより一層喝采は高まった。
「「トブの大森林万歳!」」
「「王国に栄光あれ!」」
この間も変わらず細面の精霊さんは興味深げに鼻をひくひくさせながらサミュエルソンをジッと見つめ、ぽっちゃり顔の精霊さんはその様子を不安げに見つめていたが、やがて二人は現れたとき同様に、何の前触れもなく不意に姿を消した。
*
「さっぱり……意味がわからんのだが。」
引き続き、骸骨の口をパカリと開けたままの大魔王アインズ・ウール・ゴウン。
元より、アウラ、マーレの一族がベラ、ベロを名乗る幼少の時分に限り、故意に隠形を解いてトブの大森林の原住民たちの前に姿を晒し、精霊さんの名で親しまれていることは……憶えてはいないものの……承知はしている。
只今泣きじゃくりながらベロが告げた話も、アインズからすれば普段通りのその一幕に過ぎない、としか思えないのだが、訴えるベロにとっては違うらしい。
「ボ、ボクは悔しくて……」
ポロポロと涙を零しながらベロは続けた。
「そ、そいつは、ボ、ボクみたいにどもることもなくて、シュッとしてて、ボ、ボクよりも、お、男前で、し、しかも、お、王子様なんです!」
……おぃおぃおぃ。
ひとつ間違えたらトブの森の連中は皆殺しの憂き目に遭ってたってことかぁ!
漸く何があったのかを朧気ながら察したアインズは、自身紛うことなき死の支配者であることを棚上げしつつ、背筋に冷たいものを感じていた。
「ブ、ブチ殺してやろうか、とも思ったんですけど……」
図星かよ!
「な、生意気にも、あ、あいつはボクより、す、少しだけ強くて……」
これを聞いて、アインズの頭は戦略脳に切り替わる。
成長途上にあるベロはまだレベル四十に過ぎないから、より強い存在があり得るのは仕方がないとして、ベロの話通りであれば百歳を少し超えただけの現地人森妖精の少年がレベル四十以上、というのはちょっと破格で驚くべき話であるからだ。
「し、しかも、お、お姉ちゃんが鼻をひくひくさせるのは、お、お気に入りの生き物の前でだけなんです。あ、あいつと刺し違えたとしても、お、お姉ちゃんに嫌われたりしたら、ボ、ボ、ボクは!」
ぎゅ、っと拳を握りしめ目を閉じたベロは叫んだ。
「……生きていけませーーーん!」
一方の大魔王アインズ・ウール・ゴウンは、悲しいかな笑いを堪えるのに必死だった。
いくらなんでも笑ってやるのは可哀そうだが、さりとてこのベロの様子は余りに微笑ましく可愛らしくて笑いたくて仕方がない。仕方がないが笑ってしまえばベロを傷つけるのは必定だ。でも笑いたい。何故、こんなときに限って神々しい緑色のペカりはやってこないんだ!
要するにベロは、愛する姉ベラが年恰好の近い在地の森妖精に関心を示したのに、やきもちを焼いているのだ。
これが、他の下僕の話であれば、アインズはただ笑って済ませる。何故なら、アインズ自身同様に下僕もまた、ユグドラシルからやって来た者の宿命に縛られ、こちらの世界での記憶が続かないからだ。放っておけば皆、すべて忘れ去ってしまう。
が、こちらの世界で生を享けたアウラ、マーレ一族はその辺りの事情が異なる。彼らは、そもそもやや難のある性格をしているがゆえに完璧、ではないが、その生涯に渡って一貫した記憶を有しており、何ならその一部は口承を通じて世代を越えて受け継がれている。過分に思い込みの激しい二人の記憶なので、アインズ自身がナザリックの戦略的判断のためにそれを当てにすることは原則ないが、それでもアウラ、マーレ一族の記憶は、ことトブの大森林に関する知見とナザリックの下僕同士の長期的な関係性の記録としては決して無視できるものではなかった。
そして、困ったことに初代アウラの性格を引き継いだ者がカラリとしていて何事も流してしまうのに対し、初代マーレの性格を引き継いだ者は一見へらへらと陽気に振る舞いながら存外根に持つ質で、一度抱え込んだ何かは、いつ炸裂するやもしれぬ潜在的な爆弾となることが多かった。
「と、と、ともかくだにゃ。」
やべ、笑いを堪えるあまり……か、噛んだ。
「ひとまずその話はオレが預かろう。」
と、アインズ。
もちろん、現時点で具体的な対策案は何もない。
相談する当てもない。少なくともアインズは、この件をデミウルゴスに知られて事態をよりややこしくすることだけは何としても避けねばならん、と考えている。
「お、お姉ちゃんには……内緒にしていただけますか?」
端から初手を封じられてしまった、とアインズは鼻白むも、ベロがそう望むのは当然、といえば当然のことなので請け負わざるを得ない。
「も、もちろんだとも。いったいオレを誰だと思っている?世に居並ぶことなき大魔王、アインズ・ウール・ゴウンだぞ!」
大魔王だからどうなることでもないような気がしなくもないが、ともかくこの場を収めたい一心でアインズが力強くそう断言すれば、さきほどまで泣きじゃくっていたベロは、それが嘘であるかのように……よもやこいつもデミウルゴスみたいにオレを玩具にしようとしてんじゃねーだろな!……パァ、と明るい笑顔を見せた。
「よ、よろしくお願いします、ア、アインズ様ァ!」
オレはいったい何を頼まれたことになるんだろう?と訝しく思いつつ、アインズは元気よく駆け去っていくベロの後ろ姿を見送った。
*
「若様、どうにもお元気がないようですが、どうなすったんです?折角思い人の御尊顔も拝せまして若様の名乗りも叶いましたのに、もう少し喜んでいただけやせんとお供した甲斐がないってもんで御座いますよ!」
「ゲロゲーロ!」
野営の焚火をボーッと眺めているところにキュージコージからつっこみが入って、サミュエルソンは慌ててこれに応じた。
「あー、ごめんごめん。もちろん供をしてくれたことには感謝してるよ。」
幸運にも目的としたところが速やかに果たせたので、サミュエルソンは一日を竜牙の現族長との語らいに費やした他は、母の機嫌を損ねぬようにと日程を切り上げて帰路についた。
只今はその二日目の夜、行程の丁度半ばで、頃合いの岩場を見つけて火を熾し、乾燥糧食で簡単な食事を済ませて一息ついていたところだ。手持ち無沙汰に枯れ枝をパキパキと手折って焚べながら、サミュエルソンは真正直に思っているところを伝えた。
「ただ、手応えがなかったわけじゃないけれど、ちょっと期待していたのとは違うな、という思いもあってね。」
「……と、おっしゃいますってーと?」
「ゲロゲーロ?」
「麗しの君は随分と不安そうな様子に見えた。ボクは礼法に適うもの、と考えて、敢えて格式張った挨拶を捧げたつもりだったけれど、これが返って不興を買ったんじゃないか、と心配でね。」
「いやいや若様はご立派でいらっしゃいましたよ。まぁ、あちら様はあちら様で幾千年に渡って森の民から崇敬を受けてこられた御方、並みの森妖精であられようはずもなし。さりとてそれを言ったら若様だって、決して並みの森妖精じゃありやせんからね。そこはあっしが太鼓判を押しますよ……って、あっしが言ったとて、何の御慰めにもなりゃしませんけどね。」
「ゲロゲーロ!」
キュージコージの心遣いが嬉しくて、サミュエルソンははにかんだ微笑みを浮かべたが、直後、その目付きが俄かに鋭くなる。これを見逃すほど小鬼たちは鈍感ではない。
「……ん?若様、どうかなさいましたか?」
「ゲロゲーロ?」
「あぁ、いや、ごめんね、キュージコージ、ミギコージ。
でもキミたちの安全のためには多分こうするのが一番だから。」
「「?」」
キュージコージ、ミギコージは、たちまちにはサミュエルソンの言うところの意味がわからず互いに顔を見合わせたが、すぐに寄りかかるように崩れ落ちて眠りに落ちた。
サミュエルソンが<無詠唱>で<眠り>の魔法を用いたからだ。
「こういう日が来るのは覚悟はしていたけれど、いざそうなると……流石に少し怖いな。」
そう独り言ちながら、サミュエルソンは直感が告げる方向へ体を向けて地に片膝をついた。
そして朗々とこう言う。
「抗いはいたしません。どうかお姿をお見せください、いと高き御方。」
しばしの沈黙。
そしてややあって。
「こいつは驚いたな。」
の声と共に、突如としてサミュエルの三歩先に姿を現したのは!
金糸銀糸に縁取られた豪奢な漆黒の装束を纏い、中腹に鮮血を想起させる深紅の玉を抱えた骸骨姿の魔法詠唱者であった。
「万全を期していたわけじゃないが、オレの隠形を見抜くとは末恐ろしいやつだ。」
そう言いつつ、既にアインズはサミュエルソンの値踏みを始めている。
森妖精、魔法詠唱者、射手、野伏、王……レベル総計四十五。
そういった在地の者としては突出した能力値に加え、アインズの接近に気づくや、まず恐慌に陥るであろう供の小鬼を速やかに眠らせ、自身は礼を執ってアインズの出現を乞うた、外見の幼さからは思い及ばない冷静な判断力、行動力が彼を少なからず驚かせた。
「しかもオレのこの姿を見て驚きもせんとはな!
オレのことを……知っていたのか?」
「ご下問ですのでまずお答えいたします。」
と、前置きしてサミュエルソンは言う。
「父王サミュエルより、トブの大森林には古来より、髑髏様の名を森の民より捧げられる偉大にして慈愛溢れる聡明な御方があり、忝くも御尊顔を拝す栄に浴した際は決して礼を怠ってはならぬ、ときつく教えられて参ったもので御座います。」
この言にアインズの脳内では、
髑髏様?ドクロサマー?
思い出せないけど、何だか懐かしい響き。
と、益体もない思いが駆け巡る。
「名乗り遅れました。西方エルキュル王国の王太子、サミュエルソン・ドロローソ・デルキュリーゼで御座います。どうぞ、お見知りおきを。」
……憶えられそうにない。
「御身が自らお越しになられましたのは尋常ならざること、と拝察いたします。
元より私には御身に仇なすつもりは毛頭なく、森に立ち入るに際しても細心の注意を払って参ったものですが、私に思い至らぬところがあってご不興を買ったものであれば、謹んでお詫び申し上げます。」
矢継ぎ早に理路整然とした先手を取られて、アインズは言葉につまった。
尋常ならざること、の理由が、安心して任せられる下僕がいないから仕方がなく自分で来た、だなんてことを知ったら、こいつはどんな顔をするだろう?
「……あぁ、いや。不興、だとか、そういうのじゃないんだ。」
サミュエルソンは、あくまでもアインズには逆らわない体を保つつもりなのか、跪礼を執ったまま身動ぎ一つしない。
「まぁ、なんだ。ちょっと訊きたいことがあるだけなんだ。
そのまま、もアレだから、ちょっと座らんか?」
存外砕けた物言いに一瞬サミュエルソンは胡乱な表情を垣間見せたが、お言葉に甘えて、とその場に胡坐を掻いて座った。これに、やや間を空けて、アインズも向かい合って座る。
「王太子だ、と言ったな。おまえの父が王なのか?森妖精か?」
何の前置きもせずにアインズはそう問うた。
サミュエルソンからすると、ここまでの対応と訊きたいことだけ訊く、という態度は一見ちぐはぐに思われるものだが、これに答えない筋はない。
「父王は、大鬼を父に、森妖精を母とした混血児で御座います。」
ほぅ、と感心した様子でアインズは骨の拳を握って顎に当てる。
もっとも、アインズは彼の父、サミュエル・エルキュルハウゼンの即位の経緯や、無二の友白金の竜王ツアーがその即位式に駆けつけたこともすべて見知ってはいたのだが、そんなことは既にすべて忘却の彼方なので、ただただ珍しい組み合わせだな、というところだけに思いがいっている。
「で、母は?」
「少しばかり魔法に優れた森妖精で御座います。」
と、サミュエルソンは即答するも、
「嘘だな。」
と、アインズ。
思わず、ゴクリ、とサミュエルソンは息を呑んだ。
サミュエルソンが初めてトブの大森林への旅をおこなうに際し、何をしようがおまえの勝手だが、これだけは決して忘れてくれるな、と父王から厳命されたことが二つある。
第一には、アインズにも包み隠さず語ったところの、トブの大森林には古来より髑髏様の名を森の民から捧げられる触れ得ざる者があり、邂逅した場合は決して抗わず礼を尽くせ、というものだ。
そしてもう一つは……。
髑髏様に問われても決して母については真を話すな、母に対しても髑髏様の話は決してするな。
「おまえのレベルは四十五。父の特殊な生まれを加味しても、おまえの年齢で達せられるものではない。」
このとき初めてサミュエルソンは、数字の上では自分が既に父王を超えてしまっていることを知った。だからとて、父から王権を簒奪しよう、などという馬鹿なことは考えもしないが。レベル、とやらがどうであれ、まだまだ自分にはあの破天荒な王の後を担うことなど敵うはずもなし。
それはともかく、父の厳命がどのような事情によるものかはわからないが、明らかに髑髏様はこちらが母については隠し事をしようとしていることを即座に見抜いたようだ。
髑髏様には決して抗わず礼を尽くせ。
髑髏様に問われても決して母については話すな。
両命題を同時に果たすことは最早不可能だが……どうすべきか。
速やかにサミュエルソンは決断した。
「失礼いたしました。仰せの通り嘘で御座います。これは父王より、髑髏様に問われても決して母については話すな、と厳命されていたが故、で御座います。ここからお察しいただけるものか、とは存じますが。」
と、ここで一旦言葉を切る。思った通り、既に髑髏様は言わんとするところに思い至っているようで、こくこく、と頷いている。
「母は、畏れ多くも御身と同じ出自の者、で御座います。」
かなりの覚悟を以てサミュエルソンはそう答えた。
これは、母に結果的に仇なすことになるだろうか?
だが。
「ちょっと待った。」
何を思ってか目前の骸骨は骨の左手を開いてサミュエルソンに差し出し、右手でごそごそと中空から何かを取り出す仕草を見せた。現れたのはゴミくずのような数枚の紙片で、それをちらちら見ながら、うーむ、うーむ、と骸骨は唸っている。
なるほど、とサミュエルソンは得心した。
極度な忘れっぽさは母の個性と思って、それはそういうものなのだと半ば諦めて生きてきたものだが、この髑髏様の様子からすれば、この世界ではない異世界から渡り来た、と聞かされた母がそうであるように、髑髏様もまた何らかの記憶の難を抱えた存在なのだ、と。
「すまん、待たせたな。」
こちらも何かに納得したのか、紙片を片付けて改めて向き直る骸骨。
「お母さん……は、元気にやってるのか?」
「……はぃ?」
あまりに意外な声がかかって、思わずサミュエルソンは間抜けな声を漏らしてしまった。
「いや、えーっと、ちょっと待てよ。」
再び紙片を取り出す骸骨。
「闇の中へのドロレス、さん、だったか?」
「髑髏様は母をご存じで?」
「いや、直接の面識はないんだが。ドロレスさんたちの活躍はちょっと知ってたんだ。」
「なんと!」
「で……元気にやってるか?」
「はい、お陰様で。息子の私から見ましても羨ましいほどのおしどり夫婦を続けております。」
「そうか。」
と、感慨深げに腕を組むアインズ。
「それはよかった。」
「は、はぁ……ありがとう、ございます。」
サミュエルソンは父の厳命とのちぐはぐさに困惑を余儀なくされた。
一方のアインズにはアインズで、何か思うところがあるらしい。
やおら、ここまでとは随分と異なる軽い口調で、
「おまえにこんなこと言ってもわからないと思うけど、こっちに来た奴のほとんどは自滅の道を歩むんだよ、残念ながら。ドロレスさんは……よい縁に巡り合えたんだな、本当によかった。」
その上で、突如野太い声に戻って釘を刺す。
「が、本人のためにならんから、今話したことはお母さんには内緒だ。いいな?」
ここに至ってサミュエルソンは、父王と目前の骸骨が、どうやらまったく同じ気遣いを母に対しておこなっているものだ、と気づいた。あぁ、母上は幸せ者だ、とサミュエルソンの頬が緩む。
「もちろんで御座います。」
「では、もう一つ訊かせてもらおう。」
サミュエルソンは、この髑髏様は、どうやら素は極めて優しく温厚な人物であるように思われるのに、どうして何かを問うのにいちいち魔王然とした物言いをするのだろう、と疑問に思うが、考えてみれば父王にしても、身も蓋もない性格をしているわりには公の場では随分と尊大古風な言葉遣いを弄ぶことがあるものだ。
それを言えば自分だって、髑髏様に対するときとキュージコージ、ミギコージと語らうときは別人のようになっているのだから、これは誰だって大なり小なりそうなのだ。逆に言えば、髑髏様がとてつもない御仁であることを疑う余地はないが、さりとてその本質は自分と大きく変わるところはない、ということを意味してもいるのだろう。
「おまえ……精霊さん、に会うために来たのか?」
「お察しの通りで御座います。」
最早何も隠し立てする必要もあるまい、と考えるサミュエルソンは素直にそう応じるも、
「それは、王国、とやらに精霊さんの庇護を求めてのことか?」
と、思いもよらぬ問いを投げかけられて思わず、
「まさか!」
と声を張り上げてしまい、慌てて「失礼しました!」と畏まった。
が、対する髑髏様は、なぜサミュエルソンがそうなのか、には思いを馳せてはくれないようで、ここは包み隠さず話してしまうが吉だろう、と思い至る。
「実は……恋をいたしまして。」
髑髏様は、声は発さないが骸骨の口がこれ見よがしに、パカリ、と開いている。
呆れられたものだろうか、とサミュエルソンは不安を覚えた。その不安を振り払うかのように、問われず語りに事情を話すサミュエルソン。
「初めて精霊さんのお姿をお見掛けしたのは五年ほど前のことになります。以来、なんとかご挨拶する機会を得られないものか、と森を訪ねて参ったものですが今回初めて名乗りを上げることが叶いました。ですが……」
と、一旦言葉を濁す。
「ですが……何なんだ?」
おい、これどうすりゃいいんだ、と困惑しつつもそう問う大魔王。
「兄君には気に入っていただけたようですが、麗しの君には返ってご不興を買ってしまったようで、なかなかうまくいかないものです。」
「えっ!」
「……えっ?」
アインズとサミュエルソンは互いに視線を交わしたまま、しばらく固まってしまった。