億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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転移歴501年。
水晶の塔迎撃の余韻。皇子アレインは三百六十四歳なれど、二百歳の時分から加齢の様子は見られない。


12.水晶の塔(2)

「おまえが自由に動き話せるようになって以降、何があったか聞かせてもらおうか。」

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層(ロイヤルスィート)執務室の応接組家具(セット)の一人掛け長椅子(ソファー)にふんぞり返ったアインズは、第一声まずそう問うた。

 

「名も……問わずにそれか?」

 

 対面して三人掛けに座らされた全裸の半陰陽、射手の天使(キューピッド)は見た目にそぐわぬ老成した声でそう尋ねる。見た目に意味がないのは、ルベド同様この者とて同じことだ。

 

 天使の背後には、万が一に備えてか、これを捕らえて来た蟲王(ヴァーミンロード)コキュートスと執事セバス・チャンが屹立している。アインズの傍らには守護者統括アルベドと参謀デミウルゴス、その助手ナーベラル・ガンマの姿も。

 

「名乗りたければ名乗るがいい。

 興味ないし、聞いても忘れる。」

 

 この傲岸不遜な態度にいささか天使は困惑せざるを得ない。

 

 目前にあるこの確実に百レベルに達している死の支配者(オーバーロード)が、自分の仲間たちを悉く葬った(かたき)であることに疑いはない。

 が、捕虜として拷問にでも晒されるものかと覚悟して連れ込まれた絢爛豪華な応接室で、(かぐわ)しい紅茶とささやかな茶菓子すら饗ぜられた今となっては、その真意がまったくもって理解できなかった。

 

「何が聞きたい?」

 

 名すら興味がないと言う者が知りたがることとはいったい何だ?

 

「まずはおまえの(あるじ)……この場合、()主と言った方がいいかも知れないが、そいつがどうなったか、についてだ。」

 

 水晶の塔がこちらへ転移して以来一年余が経過しているとはいえ、誰に何を命じられるわけでもなく機能停止した拠点遺構に籠っていたNPCたちは、まだ転移時点の記憶を失ってはいまい、とアインズは考えている。

 

 アインズの推測は正しく、天使はしばし黙考した後に語り始めた。

 

 ユグドラシルにおいてかくあれと定められた通り、主と仲間たちの間を飛び回って賑やかしさを演出するのみの存在であった自分が、突如として自ら考えたままに行動し喋ることさえできる自由を得たと気づいたのとほぼ同時に、自身の忠誠を縛り付けていた力が失われたことを天使は知ったのだと言う。

 

「慌てて玉座の間に向かってみれば、七界の守り人(セブンガーディアンズ)玄武(げんぶ)に詰め寄っていた。」

 

 アインズ自身は六体しか視認していないが、ナザリックの階層守護者に相当する熾天使(セラフ)は計七体存在していて、外に姿を現さなかった一体は、どうやら玉座の間に残ってそこでアインズの必殺連続技(コンボ)で散華したようだ。

 

「玄武、というのは?」

 

「かつての(あるじ)のうちの一人の名だ。

 邪鏡院(じゃきょういん)玄武……私にとっては創造主でもあった。」

 

 ……中二病(くっさ)

 

 アインズは思わずそう叫びたくなる自身を必死にこらえた。忠誠の縛りを解かれた後とは言え、仲間たちに創造主を弑されたこいつの気持ちは察するに余りあるし、それ以前に名乗りの大人気(おとなげ)なさについてはギルド、アインズ・ウール・ゴウンとて偉そうなことを言えたものではない。

 

 っつーか、死獣天朱雀がいい感じに(かぶ)ってんじゃねーか!

 

「百レベルの熾天使たちは、公金横領の罪を鳴らして玄武を殺した。

 最期の最後まで玄武は、おまえたち、いったい何の冗談だ、と(わめ)いていたよ。」

 

 アインズの憂慮を知ってか知らずか、天使はさらりとそう言った。

 

 ユグドラシル終了間際、宝物殿金貨の<現実(リアル)>現金(マネー)への払い戻し(キャッシュバック)を試み、そのままログオフせずに異世界転移を迎えたがために、ギルド拠点崩壊とともに自身の下僕(しもべ)に殺されたプレイヤーは少なくないのではないか、という話は、アルベドが大胆にも自身の創造主タブラ・スマラグディナを例えに出して示した仮説であるが、この天使の言葉を()に受ける限り、水晶の塔ではまさにそれが起こっていたことになる。

 

 アインズは背中に冷たいものを覚えざるを得なかった。

 

 自身の前身、鈴木悟の性格を思えば、彼がそのようなことをするどころか考えもしなかったのは明らかだが、一方で、もしそれを悟がおこなっていれば、アインズと運命を別った……その後の悟が<現実>を生きていったかについて、アインズは今一つ確信が持てないのではあるが……悟は、普段は決して口に出来ないご馳走程度にありつけたのは確かなのだ。

 その場合のアインズ、すなわちモモンガは、転移直後、自身の傍らにあって忠誠の縛りを解かれたアルベドの三日月斧(バルディッシュ)で首刈られ、邪鏡院玄武とやらと同じ運命を辿ることになってアインズと名乗ることすらなかったのだろうが、これは決してまったくあり得なかった話ではない。

 

「訊いていいか?」

 

と天使。アインズは無言のまま頷いて続きを促す。

 

「なぜ、(ほう)っておいてくれなかったんだ?」

 

 その表情から察するに、天使はそもそも開戦のきっかけとなった帝国軍を差し向けたのがアインズであると思い込んでいる様子だ。

 

「誰も塔の外になど関心はなかった。

 私たちはあのまま塔の中で遊び暮らすことさえできればそれで構わなかったのに。」

 

 はて。

 これに対して、塔を襲った軍隊は自分とは無関係だ、と弁明すべきだろうか?

 

 そんな必要はあるまい、とアインズは思う。

 そもそも自分はこの天使の理解も共感も赦しも必要とはしていない。

 

 だがしかし……天使の物言いには余計なお世話ながら言い返してやりたいところがある!

 

戯言(たわごと)だ。」

 

 アインズは簡潔にそう言い切った。

 

「……戯言だと?」

 

 天使が苛立たしく問う。

 

「その通り、戯言だ。

 ユグドラシルは、ギルドとギルドが攻めぎ攻められ奪い奪われする世界。

 そこに生を享けた者が、拠点内で遊び暮らせればそれでいい、とは、戯言以外の何物でもない。

 

 そうは……思わないか?」

 

 激昂の様子を垣間見せた天使は、アインズにそう諭されて虚を衝かれたかの如く脱力した。

 

「せめて、おまえたちの塔の隠蔽くらいは試みるべきだったな。そうすれば、少なくともあの間抜けな軍団の急襲を受けることはなかった。」

 

 ここに至って天使は、かの脆弱な人間の軍隊を差し向けたのが、どうやら目前の骸骨ではないらしいことに気づく。が、仮にそうだとして、だからどうだと言うのか。最早すべては終わってしまった過去で取り返しは効かないのだから。

 

「私は()めたんだ!

 何が出来ようはずもない人間どもにかかずらう理由などない、と。

 

 が、誰もが、身の程知らずの人間どもに天界の鉄槌を下さん、といきり立って聞く耳をもたなかった。」

 

 天使の弁明は、アインズに対して為されたものであったろうか。あるいは、破滅への一歩を思い留まらせることが叶わなかった仲間たちに?

 

「ではお似合いの組み合わせだった、としか言いようがない。

 あの人間どもも、動機は似たようなものだったろうよ。

 

 結果、おまえたちはオレの目に()まってしまった。

 おまえたちが何者であり、あそこで何をしていたか、は問題ではない。

 オレよりも弱い者がオレの前に不用意に飛び出せば、どうなるかは問うまでもない。

 おまえとて、目障りな虫が(まと)わりつけば同じことをするだろうさ。」

 

 こう言いつつも、アインズは必ずしも水晶の塔がナザリック地下大墳墓に比して戦力で劣る、とは考えていなかった。天使の証言から百レベルの熾天使が七体いたことがわかっているが、その数はナザリックの百レベルNPCに総数でこそ劣るものの、戦闘火力に特化した天使たちと、至高の四十一人の妄想と愛着の産物である自身の下僕(しもべ)が単純に真正面から衝突していれば、勝敗がどうなったかはまったくわからない。

 

 が、そういったことが決して起こらないのもまた事実。

 

 たとえ百レベルNPCの数でこちらが劣っていようとも、ルベドやガルガンチュアといった不正(チート)気味の兵装がなくとも、勝ったのは自分だ、とアインズは考えている。

 放射状に戦力を分散させるなど愚の骨頂で、必ずしもこいつら自身の(せき)ではないが、彼らにこの世界を渡っていく力が本質的に欠けていたことは明らかだ。たとえ戦力比が逆転していてもアインズは必勝の策を編み出したであろうし、それが敵わない相手であれば自身の存在を知られる真似は決してしない。

 

「で、どうする?」

 

 唐突にアインズは問うた。

 

「どうする……とは?」

 

 天使はその意図がわからない。

 

「殺さないのか?」

 

「死にたいのか?」

 

「……」

 

「ユグドラシルNPCは自殺が出来ない。おまえが速やかに仲間の元へ行きたい、と願うのであれば、オレはご覧の通りの死の支配者(オーバーロード)だ。敗者への敬意を以て苦痛のない(すみ)やかな死をくれてやろう。」

 

 この大魔王然としたアインズの物言いに、天使はしばし沈黙する。

 そしてぽそりと。

 

「天使に……」

 

「天使に……何だ?」

 

「天使に、ありもしない死後の世界を語るのはやめてくれ。

 ありもしない世界を望んだとて、仲間たちとの再会は叶わない。」

 

 面白いやつだ、とアインズは内心ほくそ笑む。

 

「……もっともだ。

 礼儀を欠く失言だった。詫びさせてくれ。」

 

 アインズがそう言いながら頭を下げたので天使は大層驚いて見せた。

 が、アインズは悪びれもせずにこう続けた。

 

「おまえが死にたいのであれば速やかに殺してやる、というのは本当だ。

 なぜならおまえはオレ同様に異形種で寿命がない。この世界には少なからずおまえを殺し得る者がいるが、そんな者は極僅かだ。確率的に言えば、おまえは永遠に当てもなく彷徨(さまよ)うことになるだろう。」

 

 天使はじっとアインズを見据えている。

 

「その覚悟があるならば何処へでもいくがいい。

 

 ただし!」

 

 何だ、と全裸の天使が息を呑む。

 

「適当に見繕ってやるから服は着ていけ。

 そのままこの世界をうろつけば、おまえはただの変態野郎だ。」

 

 不意に天使の目元が緩んだ。

 アインズとしてはそれで十分だった。

 

 この名も知らぬ天使が、アインズを(かたき)とつけ狙い続ける可能性は少なからずある。が、レベル二十にも達せぬこの者に何がなせようはずもなく、そして何より、遠からず天使はアインズはおろか仲間たちが非業の最期を遂げたことすら忘れ去ってしまうのだ。

 その暁には、この天使はユグドラシル時代の自身の記憶のみを保ったまま、どうして自分はこの見知らぬ世界を一人彷徨っているのだろう、と疑問を抱きつつ永遠に歩み続けることになるのだろう。

 

 それを敢えてこの者が望むというのであれば、阻む理由はアインズにはない。

 

 

                    *

 

 

「母上、お聞きになりましたかな……おっと、皆々様お揃いとは気づきませず、大変失礼をいたしました。どうぞ、議事をお進めください。」

 

 スレイン報国神都(しんと)大神殿謁見の間。

 国家元首人の子を国官が囲んでなにやら討議している席へ、自身だけが通ることを許された直行の回廊を通って姿を現した皇子アレインは、母シロクロに声をかけた後、自身の不調法を丁寧に詫びた。国官たちの間からは「アレイン様はなんと気さくであられることか」とささやかな笑い声すら漏れている。

 

「アレイン。構わないわ、続けて。

 皆も構わないわね?」

 

 シロクロにそう問われて、(いな)と答える者はこの国にはいない。

 

「さすれば。

 人の子のお許しも得ましたので、国官の皆々様には申し訳なき仕儀ながら言上つかまつります。」

 

 アレインはそう言いながら絹帽(シルクハット)を取って母に対し跪礼を執った。

 

 もっともこのやり取りは、名もなき非常勤政治顧問ナモンことデミウルゴスから、穏便に国事に割り込みをかけ恣意的な方向へ誘導したいときの演出として教え授けられたもので、シロクロとアレインは共犯関係にある。

 

「東方にて何やら不穏の動き(これ)あり。国官の皆々様にはご承知かな?」

 

 実際、さきほどの議事の中にバハルス帝国に不穏の気配あり、の報告は含まれていたのではあるが、詳細が知れぬがために深くは議論されていなかった。

 

「小生が独自に聞き調べ及びましたるところによれば、そもそもの発端は遥か東、カルサナス都市国家連合に、触れ得ざる塔、なるものが出来(しゅったい)したことに始まる(よし)。」

 

 アレインは母に会釈して立ち上がり、左右の手を大きく振り上げながら興奮気味に集う国官たちに訴えかける。すべては計算尽の演出である。

 

「なんでもその塔は水晶造りで見上げれば遥か雲にも届く威容。連合諸都市はこれを、触れ得ざる、と名付けて静観したようなれど、帝国皇帝ジルクニフⅪ世殿は、この世界に害なすものであればと英断を下され、虎の子の魔法剣団二百を含む一個軍団一万余人を派兵されたのだとか。」

 

 なんと!と驚きの声があがる。

 スレイン報国において、彼ら自身が神と呼んだ異世界からの来訪者(ユグドラシルプレイヤー)が信仰対象の地位を追われて久しいものの、それでも観念として、来訪者……触れ得ざる塔がそれの(たぐい)であることは、報国々官であれば思い至らぬ者はいない……が(たわむ)れにも軍事力を以て対すべき相手でないことは理解されている。

 

「果たせるかな、塔より天使の大群俄に沸き起こり、帝国軍は壊滅、連合にも少なからぬ被害が生じているとのことで御座います。」

 

 なんと!なんと!どうしたことか!と国官たちは色めき立つが、やがて、自分たちを捉える人の子シロクロの冷ややかな視線に気づいて口を噤む。シロクロの前で、どうしたらよいのか?と狼狽えることが即座に首刈られることにつながるのは皆百も承知している。

 

「幸いなるかな、天使の軍勢は如何なる理由からかは存じ上げませぬがそのまま雲散霧消したとか。さりとて、それが残した傷跡は残りましょう。

 かの大地溝帯を越えて連合からこちらへ逃げて来る者はそうはあるまいと思いますが、軍団壊滅を受けてバハルス帝国が政情不安定となるは必至。少なくない難民が、我らがスレイン報国を目指すものではないか、と考える次第でして。」

 

とここでアレインは一旦言葉を切った。

 母シロクロは見るからに興味がない様子。であるがゆえに、国官たちは互いに顔色を伺って、さてこの場を切り抜けるにはどうしたものか、と困惑した色を浮かべた。

 

「未だ若輩の小生如きが国事に物申すのは憚られますが。」

 

 国官たちから、はっきりとは言われないが、どうかご見解をお聞かせください、我々をお導きください、との声が漏れるのを確認してアレインは続ける。

 

「古人曰く、窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)に入るは仁人(じんじん)(あわ)れむ所、猟師もこれを殺さず、などと申しますれば、過去より種々因縁あるバハルス帝国と言えども、国官の皆々様には是非ともご一考を賜りたい。」

 

 おお、とどよめきが沸き上がり、流石はアレイン皇子、慈悲深き仰せ至極ごもっとも、と賛辞が飛び交う。

 

 元より、そんなことにアレインの関心はない。

 決して阿呆ではないが、母シロクロの目を憚って創意することを忌避する彼らに、自らの意思でもってある向きへ進むと決断することが活路である、と信じさせるのが目的だ。

 

「バハルス帝国は、庶民一般に至るまで教育水準すこぶる高く、これを人材として取り入れれば我が国ますます富み栄え、慈しむべき報国民の福利にも資すところ大で御座いましょう。我が身不才なれば仔細を論じるには(あた)いませぬが、お集いの国官の皆々様のご尽力あれば、必ずやよろしい成果を得るものと期待しております。」

 

 丸投げを受けた(てい)であることに気づかないのか、国官たちは、これの実現に邁進する限りは人の子に首刈られることはない、と無邪気に信じたものか喜色満面だ。

 

「ですが。」

 

とアレイン。

 

「同じく古人の曰く、大の虫を生かして小の虫を殺す、とか。あくまでも本義は我が国の民の幸福なれば、皆々様におかれてはどうぞ大事を踏み誤ることのなきよう、憚りながらご助言申し上げる次第で御座います。」

 

 なんと、かたじけなくもアレイン皇子は我々如きが母上様の手にかからぬようお心遣い下さっているではないか、ありがたや、ありがたや、と国官たちは囃し立てた。より関門(ハードル)が高くなっただけだ、ということに気づく者はいない。

 

「母上、小生はこれにて。」

 

 元よりこんな話……そもそも彼女に国政だの民だのに関心はまったくないのだが……に興味のないシロクロは、息子にただ黙礼で応じ退出を促した。同時に、国官たちが高ぶった声で口々に誓いを立てつつ謁見の間を後にしていく。

 

「只今アレイン皇子より承りましたお話につきまして、実現のための具体的方策を各所と協議の上、追って人の子に裁可いただきますべく奏上致しますれば、今しばしのご猶予を。」

 

 シロクロは面倒臭そうに片手を振って彼らを追い払った。国官たちからすれば、人の子からそのように退出を許されるだけでも行幸だ。国政における最高の地位にあるとは言え、謁見の間に踏み入ったが最後、頭と身体(からだ)が別々に退場することとなる者も少なくないのであるから。

 

 見送るシロクロは深い溜息をつく。

 

 すべてが茶番だ。

 が、ナモンが望むことであれば、拒む理由などあるだろうか。

 

 

 

「アレイン、訊いていいかしら。」

 

 彼女ら親子以外にはナモンのみ立ち入ることが許される禁裏、かつての六大神のギルド拠点遺構内に設けられたアレインの私室で息子と合流したシロクロは、そう切り出した。

 

「何なりと、母上。」

 

 何やら書物に目を通していたアレインは、母の声に即座に振り返り改めて絹帽(シルクハット)を取った。

 

「さっきの……何?」

 

 アレインが何を考え何をしようとしているかになどさして興味はないが、裏で糸引いているであろう愛するナモンの真意がどこにあるのかには頗る興味がある。息子アレインもそれについては十二分に承知しているようで。

 

「母上がお訊きになりたいのは、父ナモンが何を思ってこのような茶番を小生にやらせているのか、といった辺りかとは推察申し上げますが。」

 

 アレインは、母に対しては父親のことを、父ナモン、と表現するのが常だ。

 

「であれば誠に残念なことでは御座いますが、これは小生の一存にて。東方の異変についてご教示くださったのは父ナモンですが、さきほど国官諸兄に申し下したところは小生の創意で御座います。」

 

 シロクロが不思議そうな顔をする。

 ナモンに命じられたわけでもないのに、息子はどうしてそんな面倒臭いことをするのか?

 

「母上は珍しくも何故小生がこのようなことをせんとするかに関心をお持ちのご様子ですのでそれにお答えしようと思いますが、敢えて申し上げるならば、これを小生にやらせておりますのは父ナモンに(あら)ず。かたじけなくも小生に片諱を賜りました祖父、ウルベルト・アレイン・オードル様のご遺命とでも申すもので御座います。」

 

 ナモンは、シロクロに対しては自身の創造主について多くを語らないので、息子の名の由来となった御方であることこそ承知しているが、どのような人物であったかについてはほとんど知る由もない。むしろ、ナモンが至誠の愛と忠誠を捧げるところの無能な骸骨アインズ・ウール・ゴウンの親友であったということだから、似たようなものなんじゃないか、と考えている節もある。

 

「父ナモンより教示されたところによりますと、ナザリックの皆々様が渡って参りましたユグドラシル、またその背後にあってお祖父(じい)様がユグドラシルと行き来しておいでであった<現実(リアル)>なる世界について、お祖父(じい)様はかよう仰せであったそうで御座います。

 

 世界は、弱者や無能にあまりに厳しい。弱者が弱者のままに、無能が無能のままに楽しく暮らせる世界があって何が悪い、と。」

 

 シロクロにはたちまちに意味するところがわからない。

 アインズ・ウール・ゴウンやウルベルト・アレイン・オードルが弱者であったはずはないが、無能、は当てはまらないでもなかろうから、それは単に自分たちが楽しく遊んで暮らしたい、と言っているだけではないのか、と。

 

 そんな母の思いを知ってか知らずか、アレインは陶酔した表情で続ける。

 

「小生は、お祖父(じい)様が理想となされた世界を実現してみたい、などと(だい)それたことを考えておるので御座いますよ。」

 

 シロクロは、面倒臭い話を振ってしまったな、などと思いつつ、息子の言うことには耳を傾けてやろう、程度の情は持ち合わせているので、黙ってそのまま話を聞いている。

 

「弱者が強くなろうと汗かかずとも咎められるでもなく、むしろ、おまえは弱者のままであってよいのだ、と受け入れられる世界。

 愚者が賢くあらんと学ばずとも咎められるでもなく、むしろ、おまえは愚者のままであってよいのだ、と受け入れられる世界。

 無能が無能のままに、自身の何が無能であるのかすら知らされることもなく楽しく遊び暮らす世界!」

 

 ここに至って、漸くシロクロはアレインの言っていることが少しわかった気がした。

 確かにそういう世界は……ナモン好みではあろう。

 

 それは、楽園(ユートピア)の皮を(かぶ)った煉獄(ディストピア)だ。

 

 今は昔、かつてのスレイン法国は、遮二無二居もしない神に仕えることが()しとされ、それに足る力を持たない者にはひたすら自己否定が植えつけられる世界だった。自身、圧倒的な力を有していたが故にそうした国是から傷つけられることのなかったシロクロ、当時の漆黒聖典番外席次は大層不思議に感じていたものである。

 

 何故、この国の力なき人々はここから逃げ出さないのか?

 

 だがしかし。そう感じていた自身すらもこの国に(とど)まり続けたのは、最も労を要すること、すなわち自ら決し判ずることを忌んだがゆえに、何事も神のご意向と合理化されてさも当然のように物事が進む法国が存外心地よかったからなのだ、ということは、ナモンの薫陶を受けて自由な精神を手に入れた……と彼女は信じている……今なればこそよくわかる。当時の力なき人々も、そのようなある種の自虐嗜好(マゾヒズム)に酔っていたものなのだろう、と。

 

 息子アレインは、それとはまた少し趣の異なる世界を指向しているらしい。

 

 一見法国を支配しているに見えた神官長たちが、実は互いの顔色を伺いつつ落としどころを探り合っていただけで、決断、などという言葉とはほど遠い存在であったことに気づいたのは、まさに自らこの国の支配者たらんと彼らを謁見の間の一段高いところから薙ぎ払った瞬間だ。

 つまるところ法国では、支配者さえもが他人の意向を伺う存在であり、楽しく遊び暮らしてなどいなかった、ということだ。事実、彼らはほとんど私財を持たなかった。自身が下した……実際には場の空気を読み切っただけで創意したわけでは決してないのだが……と信じる決定に少なくない国家予算が投じられることのみに矜持を見出す哀れな存在だった。下々の者については何をか言わんや。

 そして息子アレインは、実態としては当時からさほど変化したとも思えないこの報国の民に、楽しく遊び暮らしているのだという錯覚を植え付けるつもりであるらしい。思えばアレインの言葉を、慈悲深き聡明な皇子よ!と歓喜した国官たちの姿は、確かに楽しそうではあった。

 

 いや待て。

 

 当の本人が楽しく遊び暮らしている、と感じているとき。

 それが錯覚であるか真にそうであるかを、見分ける意味などあるものだろうか?

 

 そもそも、それらの間に差などあるのか?

 

 そこまで考えて、シロクロは普段使わない頭の部分を使って軽い頭痛を覚え考えるのを()めた。こういう複雑怪奇な事柄は愛するナモンの教えを乞うのが一番だ、と彼女は知っているからだ。

 

「ええ母上、そうなさるのがよろしいでしょう。」

 

 何を漏らしたわけでもないのに息子にそのように同意され、シロクロは一時(ひととき)の微睡みに沈んだ。

 

 

                    *

 

 

「<百年の揺り返し>という物言いは、厳密には正しくないことになりましょうな。」

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層最古図書館(アッシュールバニパル)

 二本(つの)骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)司書長ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスの言葉にアインズは耳を傾けている。

 

「先の仮称水晶の塔は、転移してきた瞬間が特定された最初の事例(ケース)となります。」

 

 銘々が記憶を維持できないナザリックにおいて、日々の経過は今から四百年前、ティトゥスたちが<百年の揺り返し>の原因探求の一環として精密な天体観測を始めた副産物として生じた「転移歴」と呼ばれる暦に拠っている。

 それ以前は、デミウルゴスの日記に記録されたところの「転移以来n日目」と直線的(リニア)に数え上げられたそれがすべてであった。これが三万八千日を少し越えた時点で、主にアインズの直感に最も近いという理由から、この世界の冬至を一月一日とし、三十日を一ヶ月とする暦への機械的な置換がおこなわれた。

 

「水晶の塔の出現は昨年の冬至の少し前のことでしたので、厳密には転移歴499年のことになります。一方で、デミウルゴスの日記と言えどもその書き始めの時点にはいささか曖昧な部分が御座いますが、それでも我々ナザリックがこちらに転移して参りましたのは夏至の少し前であったことがわかっております。」

 

「五百年で半年ずれた、ということ……でよいのかな?」

 

 アインズは、<百年の揺り返し>が正確な周期性を有している前提でそう尋ねたが、ティトゥスはそのようには考えていない様子。

 

「もう一事例、正確な転移の瞬間を捉えるまでは断言はできますまいが、おそらくそうではありますまい。」

 

 ティトスは天体観測から百年の周期性を探し続けたが、未だそれは見出されてはいない。

 この世界の星々は正確に三百六十一度の見かけ上の日周運動を示し、星座の季節変化がぴたり三百六十日で元に戻る。これを逸脱するものとして、独立した別の周期性を示す惑星が肉眼視可能なもので五つ知られているが、いずれも百年の周期とは無関係で、五つすべてを勘案すると一万五千飛んで十五年の周期を示すと想定されている惑星間の相対位置関係のいかなる組み合わせからも、それは見つからなかった。

 

「こちらも正確な転移日が確定している事例では御座いませんが、四百年前のギルド、エリュシオンの事例については、彼らのギルド維持資金の推移から逆算する限り、彼らがこちらへやって参りましたのは転移歴100年の秋でないと説明がつかないことがわかっております。

 これは<百年の揺り返し>の周期が百年よりも少し短い周期で繰り返されており、以てナザリック転移の季節に対して水晶の塔のそれが半年前倒しになったという仮説と整合いたしません。」

 

 ふむふむ、とアインズはわかった素振りで頷いて見せるが、正直なところティトゥスの話からは振り落とされつつある。

 

「周転円のような苦し紛れの説明を付け加えることで整合させることは叶わなくはないでしょうが、これはオッカムの剃刀の原則に反しましょう。

 自身の探求の方向性を正当化するために申すわけでは御座いませんが、結果的に<百年の揺り返し>と天体の運行に関連は見出せませんでしたが、それを探求したがために、この世界の天体の運行が極めて恣意的かつ正確な周期を有することがわかりました。

 たとえば、五つの惑星は互いに()な運行周期を有し、がために、その相対位置関係を以て一万五千余年の暦を用いることが可能になっております。これを利用しておる現地文化はないようで御座いますが、これらがそこまで正確、かつ、知性ある者にとって利便ある造りになっておるにもかかわらず、<百年の揺り返し>だけがおよそ百年ではあっても正確性を欠く周期で繰り返されるのは理屈として整合いたしません。」

 

 口がパカリと開きそうになるのを懸命に(こら)えるアインズの真意を知ってか知らずか、ティトゥスは自説を滔々と語った。

 

「となれば、聡明なアインズ様には既にお気づきのこととは存じますが……」

 

「世辞は無用だ。遠慮なくおまえの知見を聞かせてくれ!」

 

 変に知ったかぶりをして後日ティトゥスから教えを請われたりするのは真っ平御免なアインズは、すかさず正直な心情を吐露する。

 

「然らば。」

 

 と司書長は居住まいを正した。

 

「この世界の側がユグドラシルプレイヤーを呼び寄せておるものであれば、その周期は天体の運行同様に正確であるはずです。が、そうでないということは、前提、すなわち、この世界の側がユグドラシルプレイヤーを呼び寄せている、が間違っていると考えるべきで御座いましょう。」

 

「ん……それは、どういう意味になるんだ?」

 

 アインズにはたちまちにティトゥスの含意するところがわからない。

 

「つまり、プレイヤーはこの世界に呼ばれているのではなく、ユグドラシル側の力でこちらに押し出されている、と考えるのが自然かと。以下は(わたくし)が想像を逞しくするところで何ら根拠のあるものでは御座いませんが……」

 

「遠慮はいらん、是非聞かせてくれ。」

 

 言い淀むティトゥスに、アインズは続きを促した。

 

「……<現実(リアル)>においてユグドラシルがサービス終了を迎えた後、運営、とやらはユグドラシルに用いられていた資源(リソース)を解放するために、我々を定義づけていた情報(データ)削除(ドロップ)するなり書庫化(アーカイブ)するなりしたはずで御座いましょう?」

 

 その情報から未知の力でこの世界に血肉を得て……アインズにもティトゥスにも血と肉はないのだが……顕現した者が自ら語っている、という点を除けば、ティトゥスの推論は真っ当だ、とアインズは思う。

 

「この処理がギルド単位で順におこなわれたものと仮定して……おそらくそれで間違いありますまいが、その所要時間は概ね一定では御座いましょうが、個々のギルドには当然個性が御座いますから、厳密には多少の誤差が生じ得ます。

 この処理所要時間がこちらの世界のおよそ百年に等しい、と考えると、<百年の揺り返し>の時期がおよそ百年の周期を保ちつつも一定でないことの説明にはなり得ます。」

 

「ユグドラシルのサーバの後始末に百年?」

 

「只今申し上げましたことは、時間の相対性を前提として御座います。<現実(リアル)>の時計の進み方とこの世界のそれが同じでなければならない理由は御座いません。我々が体験して参りましたところのこの世界の五百年が、<現実>の五秒と対応していても何もおかしくはありますまい。」

 

 自然物理の知識を欠くアインズには、このティトゥスの発言の真に意味するところを理解するのは難しかった。

 

「もちろん以上の仮説は、立証も反証も出来ぬ、つまるところ戯言(ざれごと)に過ぎませぬ。説明のもっともらしさはその真実性の証明にはなりませんからな。

 とまれ、先程も申し上げました通り、この世界の天文周期の正確さから外挿して、ユグドラシルプレイヤーを招来せしむる引き金(トリガ)がこちらの世界側の何らかの時計である可能性は低い、と申し上げざるを得ません。」

 

 なるほど、とアインズは納得した。

 彼自身、よもやおこなうまい、と考えていた着想(アイデア)ではあるものの、三賢者会議(トリニティ)において、ティトゥスの探求が<百年の揺り返し>を引き起こしていると考えられるこの世界の何らかの周期を特定した場合、たとえば超位魔法<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>等の手段でその運行を停止させることにより、新たな来訪者(ユグドラシルプレイヤー)の参入を阻害できるのではないか、と議論されたことがある。

 

 只今のティトゥスの説明は、その可能性を否定するものだ。

 

 もっとも、この世界に他にどんな副作用をもたらすか不明瞭な上に、アインズの経験値を少なからず消費し場合によっては格下げ(レベルダウン)さえ招きかねない手段を用いるつもりは、そもそもアインズにはなかったのであるが。

 

「その先については、少なくとも現時点の我々は探求の手段を持ちませんし、原理的な限界からおそらくは今後もそうで御座いましょう。ご期待に沿えず残念では御座いますが。」

 

「うむ、よくやってくれた。

 元より、<百年の揺り返し>の原理については、知ることが出来れば幸いではあるが、原理を知らずとも対策は可能なもの、に過ぎないのだからおまえが気に病む必要はないぞ。」

 

 アインズは鷹揚にそう返したが、ティトゥスはまだ何か付け加えたいことがある様子だ。

 

「ん……他に何か?」

 

「もし、お許しいただけるものであれば……」

 

 嗚呼、そうか!

 こいつもやはり創造主たちの性向を強く引き継いでいるのだな。

 

「もちろん、天体観測と探求は今後も心赴くままに続けてもらって構わない。オレは、すべての知に実用性を求めるほど傲慢にはならないつもりだ。」

 

 アインズの心配りは正しく(まと)を射ていたようで、ティトゥスは、その禍々しい外見に見合わぬ笑顔を見せた。

 

「ありがとうございます!

 思えば、我が創造主の皆々様は、(わたくし)が只今体験させていただいているような、真の未知、生なる事実に対する探求の機会に飢えておいでであったように推察申し上げます。」

 

 このティトゥスの言葉はアインズの心を強く捉えた。

 

 そう……かつての<現実(リアル)>は、現実ではあったがアインズ、すなわち鈴木悟とその仲間たちにとって、必ずしも実感を伴う現実ではなかった。今振り返るからこそそう感じられるのかも知れないが、すべてが薄い(もや)に包まれたかのような、予定調和とまやかしに塗れた<現実>。あらゆる知は、天下り的に申し渡されるものに過ぎず、自ら求めて得た知、と信じるそれも、権力者の都合に合わせて誂えられたもの、でなかった保証はない。

 ティトゥスの言う通り、自身を含む至高の四十一人は、<現実>では叶わない真の未知、生なる事実に取り組むことを求めてユグドラシルに耽溺したものではなかったか。が、ユグドラシルとて、その運営によって供された予定調和とまやかしに塗れた仮想世界であったことは論を待たない。

 

 そして今、アインズもティトゥスも、今以て不明なことだらけのこの異世界において、真の未知、生なる事実に直面し続けているのだ。

 

「浅学不才の我が身では御座いますが、至高の方々の思いを引継ぐ(えい)に浴しますことは至福の極みにて、これからも精進に励みたく存じます。」

 

 かつての仲間たち、至高の四十一人もまた、こちらに渡り来ることが叶っていれば、心底この世界の冒険を楽しんだことだろう。

 

 否。

 

 自分は鈴木悟そのものではないし、仲間たちもそのままこちらに渡って来れるわけではないのだから、そんなことを夢想することに意味はない。

 

「……ああ、よろしく頼む。

 また、興味深い気づきがあれば何でも遠慮なく知らせてくれ。」

 

「ははっ!」

 

 アインズは、ティトゥスとの会話に満足しつつ最古図書館(アッシュールバニパル)を後にした。

 

 それがどのような原理によるものであれ、<百年の揺り返し>は備えざるを得ない不可避の出来事(イベント)なのだ、との思いを新たにしつつ。




<次話予告>

アインズ不在のナザリック地下大墳墓において、守護者統括(アルベド)参謀(デミウルゴス)が語らう秘密の計画とは?

億劫のオーバーロード第7話『世界征服検討予備会』

「アインズ様を皇帝として推戴する計画(プラン)はまた当分お預けだわ。」
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