「Rien n'est éternel. Le temps du jeu est révolu. J'ai vraiment adoré… adoré.」
ユグドラシルのサービス終了日。
傍らにあった友人はそうジャムに言った。
時差の関係で午後五時となったそれに立ち会うべく、ジャムは仕事を休んで早朝からログインしたままだった。
主に南欧出身者で構成された十一人組のギルド繭。そのギルド拠点魔女の火祭りは、九つあったユグドラシルの世界の一つ、ムスペルヘイムの高峰かけら山に開口した火を吹く横穴だが、その名に反してギルドには魔女どころか女性の参加はなかった。
「D'accord, d'accord.」
ジャムはそう言葉を返しつつ、コンソールの端に表示されたユグドラシル時間を注視した。
まもなく正午。遂に楽しかったこの時間が終わってしまう。十一人いた仲間のうち、最後まで残ったのは今ある二人に過ぎなかったが、それは問題ではなかった。むしろジャムにとっては、この二人であることに意味があった。
「Vous pourrez répondre juste après la déconnexion forcée...」
ユグドラシルでは悍ましい怪物の姿をしたかけがえのない友に、ジャムは躊躇いがちに言葉をかける。
「Voudriez-vous vivre ensemble dans mon appartement à Liège?」
どのような感情によるものかは化身からは読み取ることが叶わないが、それでも、ビクッ、とこちらに向き直った友が、この誘いにどう応じたものか戸惑っているのはわかる。
だが、次の瞬間。
「……ん?」
友人が、さらに戸惑った様子でキョロキョロと左右を見渡した。
「強制ログオフ、されてないよね?」
対するジャムの関心は、勇気を出して友人に示した提案に対する回答にあったのだが、それを自覚しつつも、同時にジャムは、自分の心の中に生じた決定的な変化にも気づいていた。
緊張感、不安、期待、高鳴っていた鼓動、すべてが霧散して、完全な静寂の中にジャムはあった。
「コンソールも応答しないや。どういうことなんだろう?」
友人は、ジャムの誘いのことなどすっかり忘れ去ったかのように、右往左往しながら現状を把握しようと努めている様子だ。
「<運営>への緊急連絡すら出来ないようだけれど、何かあったのかな?」
「……そうだな。これじゃログオフすら出来ない。」
そこへ。
「いかがなさいましたか、マルタン様、ジャム様」
と、突然あろうはずもない女の声がかかって二人は息を呑んだ。
慌てて声の方向に視線を向ければ、魔女の火祭りに魔女がいないのは格好がつかないだろう、という理由で生成された拠点防衛NPCの一人、魔女のエレインが、きょとん、とした顔をして首を傾げている。
「……えっ?」
「いったいどういうことだ?」
どうしてユグドラシルNPCが命じてもいないのに寄って来て、しかも言葉で話しかけてくるんだ?と混乱する二人を余所に、魔女は至極自然な口調で、でありながら驚天動地の報を告げた。
「我らのギルド拠点が、何らかの作用により土中に埋没した模様です。
いかが取り計らうべきでしょうか?どうぞご命令を。」
*
「触れ得ざる御方。」
既に慣れてしまった……とはいえ未だ違和感のある呼び名で豚鬼から声を掛けられて、ジャムは自分が繰り返し思い返されるユグドラシル最終日の記憶を反芻していたことに気づいた。
「何か考え事をしておいでに見えましたが……出直したほうがよろしいですかな?」
「構わない。用件を。」
日常詰めているオークネイス市庁舎に充てがわれた一室で、ジャムは豚鬼に片手を差し出して続きを促した。
「先に冒険者組合を含め各所に触れしておりました件に、鉱山で応じた者があったと、つい先程、てれぐらふ、で報せがありまして。」
と、豚鬼はジャムが差し出した手に一枚の便箋を差し出すが、それは受け取られなかった。
「……あぁ、失礼。触れ得ざる御方は我らの文字を解されぬのでしたな。」
これもまた、ジャムにとってはこの世界で何が起こっているのか、の理解の一助となった事柄ではあるが、それをこの愛想こそよいが本質的には知恵を欠く豚鬼に語ってやる必要もあるまい、と、ジャムは、ひょいひょい、と手を振ってさらに続きを促した。
「冒険者風の男が鉱山を訪れて申しますには、ご所望の光る羊皮紙を発見、巨大な花崗岩の一枚岩に貼り付けられた状態で輝いていた、とのことで、ご案内すべく待っているので鉱山への来訪を乞う、とのことで御座います。」
ほとんど駄目元、と考えていた探索へのあまりに早い反応を訝しく思いこそすれ、ジャムは、この報せは誤報でも、多額の謝礼に目を晦ませた者による虚報でもあるまい、と確信している。
ジャムが金貨一万枚を賭けて、オークネイス当局を介して市の冒険者組合、電信網を通して第二都市、第三都市、第四都市に投げた探索は「光る羊皮紙に心当たりあれば、それには手を触れずに所在を知らせよ」というもので、対に存在するはずの<ロゼッタの石碑>には一切言及していなかった。が、今聞かされた発見の一報は、ただしくその外見を告げていた。
「私は真偽の見極めのために鉱山へ向かうので、あちらへはその旨を。
ほぼ当たりで間違いないと考えているので、謝礼の準備をするよう市長に伝えてくれたまえ。」
言いながら立ち上がり、既に豚鬼とすれ違って退出していこうとするジャムに、
「それはよろしゅう御座いましたな。へいへぃ、承知いたしましたですよ。」
と、豚鬼は卑屈に腰を折ってこれを見送った。
キーノからの召集に応じたとき同様、ジャムはピンと背筋を伸ばしたまま、しゅたしゅたと高速で歩いてまず北へ向かった。
必ずしもこちらの世界の地理に通じているわけではないし、ユグドラシル由来の経路案内機能も何の役にも立ちはしない。キーノの連絡を受けた際は、<伝言>の受信に伴い必然的に判明する発信座標に向けて一直線に進路を採った。途中に何があろうとも、彼の歩みを阻むものなどこの世界には存在しない。
今回、探索に応じた在地の冒険者は、西の鉱山に発見の報を伝えたらしい。これは元から「オークネイス市役所、またはChemin de fer沿いの小屋へ報せよ」としてあったからで、鉄道運行の便宜で敷設した電信を通じて速やかに知ることが叶うからだ。
ジャムは、鉄道の東の端が自身のギルド拠点魔女の火祭り、もう一方が目下その命脈をつないでいる鉱山であることはもちろんわかっているが、鉱山の正確な場所を記憶しているわけではない。なので、一旦線路まで歩いてこれに沿って西進することを選んだ。
四半日歩いて線路に突き当たり、もう迷うことはないと確信したかれは、所持品から記憶の補助に用いているお絵かき板を取り出した。容易に書いたり消したりできる主板の部分には目下取り組んでいる事柄の概要が、周囲には付箋でより長期に渡って憶えておくべき事柄が所狭しと貼り付けられている。
思えば、<現実>で福祉関係に勤めていたギルメンから、痴呆性健忘症の老人の自助支援にこういう手段があるのだ、という冗談交じりの話を聞かされていなければ、こちらの世界で突如発症した自身のそれに気づけたとて打つ手がなかったのではないか、とジャムは思う。
一方で、それが叶うのは、こちらの世界に来て以降見知ったものは次々と忘れ去ってしまうにもかかわらず、ユグドラシル時代の記憶だけは決して失われることがないからだ。
付箋の中でも、特にこの試みの初期に書かれた既に文字が掠れつつあるそれには、
<Pourquoi tout le monde parle français?>
に始まる、自身の一連の思索が記録されている。
ユグドラシルは非日本語話者に対し、お世辞にも優しい空間ではなかった。公用語は文字よりはむしろ絵に近い仮名文字だし、<運営>からの案内も通り一遍のもの以外はすべて日本語のみで供され、有志の翻訳を通じて初めて知った重要事を挙げれば両手の指では足りない。なので、突如として<現実>の肉体への帰還を封じて開始されたユグドラシル延長戦が、自分にとって都合のよいことにフランス語でおこなわれている、などという解釈は早々に破棄された。
そもそも、これが電脳上に構築された仮想世界だ、という考えも長続きはしなかった。何事にも恣意的であった<運営>とはいえ、顧客の肉体の物理限界を超えることは供しえない。この世界で活動を始めて以降、ジャムは涅槃の特典に謳われた食事不要、休息不要、を文字通り享受している。だから、今あるこの世界は、ユグドラシルの延長線上にあるものではなく、どういった機序によるものかはさておき、ユグドラシルの各種設定諸元がまったくの異世界に顕現したものだ、と考えた方がまだ納得がいく。
とすれば、たまたまその異世界で用いられている言語がフランス語に通じているのだろうか。フランス語は、二十二世紀にあっても覇権言語の一つではあったし、異世界であの難渋至極かつ少数派に過ぎない日本語が通用しているよりは飲み込みやすいが、それでも決して得心のいく話ではない。
そんなことを考えつつ、ギルド拠点維持資金確保を目的に交流を開始した現地人から、種々の伝承を聞かされて新たな可能性に思い当たった。豚鬼も人間も、共通してこの世界には彼らにとっての異世界、ジャムが遊んだユグドラシルから、触れ得ざる者、が長周期的に不意に現れるとの観念を有していた。どうもこの摩訶不思議な境遇に陥ったユグドラシルプレイヤーは、自分だけではないらしい。思えば、マルタンも共にやって来ているのだから、これを自分一人のみにもたらされた奇跡だ、と考える方がおかしいのだ。
そしてそれは、母語が同じだ、という理由だけで知己のあった妖巨人の錬金術師、ポアソン・バベルを思い出させた。<現実>ではエドモン・ウェルズといったそのプレイヤーは、ユグドラシルを機能拡張して、異言語の自動翻訳をおこなう研究開発に没頭していた。
あいつが、こちらの世界の歴史上のどこかの時点でやって来ていて、自慢の<ロゼッタの石碑>を発動させていたのだとしたら、すべての疑問が氷解する。エドモンの翻訳は、影響下にある者が自身の母語で他者の企図を聞き取ることを可能にするものだった。つまりこの世界ではフランス語が通用しているのではなく、自分には豚鬼がフランス語で話しているように聴こえるが、豚鬼は見慣れぬ異世界人が豚鬼語で話している、と思っているのだ。
だが、仮にそうだとして、<ロゼッタの石碑>は偉大な発明でありこそすれ、たかだか領域効果を発揮するアイテムでしかなったはずだ。なぜこれが世界全域に及んでいるのか。
……世界級アイテム!
マジックアイテムの効果を世界全域に波及させる破格の世界級アイテム、<巫女の布告>。これが欠けた謎の最後の一片だ。
そしてそれは……。
ジャムがこちらの世界へやって来てしまって以降、否応なく抱え込まざるを得なかった最大の懸念事の解決につながる可能性を秘めた鍵でもあった。
それがこの世界のどこかにあるかもしれない。それは確かに希望ではあったが、希望でしかなかった。
世界がどこまでつづいているかはよくわからないし、そもそも拠点維持がギリギリ叶っているのが現状で、会話に応じるようになったとはいえ、拠点防衛火力に特化し、複雑な課題を任せられるような高い知性を備えるNPCがほとんどいない状態で、本当に存在しているのかすら不明瞭な世界級アイテムの探索に資源を割くのは自殺行為だ。
せめてその存在の確証だけでも得られないか、と考え続けていたところへ、豚鬼に触れ得ざる者についての知識を伝えたというキーノ・インベルンの来訪が告げられ、ジャムは好機を得た、と確信した。キーノ・インベルンを介して他にもこの世界にいるであろうプレイヤーと接触を果たし、フランス語話者であろうはずもないそいつの言葉がフランス語で聞こえれば、仮説の真偽が判明するではないか!と。
引き合わされたプレイヤーが、ユグドラシルに非公式ラスボスの勇名を馳せたアインズ・ウール・ゴウンのモモンガであったのは想定外ではあったが、同時に納得のいくものでもあった。現地人の伝承は、無分別な略奪や破壊をもたらしたプレイヤーに対し、これに立ちはだかったプレイヤーの存在を示唆している。あのアインズ・ウール・ゴウンがそれをやって来た、というのは、知ってしまえばさほど驚くことではなく、むしろさもありなん、とすら思えるものだった。
モモンガがNPCを派しての遠隔会見で望んだのも、虚実入り混じる諜報戦に巧みと聞いたアインズ・ウール・ゴウンの面目躍如とでもいうべきものだった。当然あちらはジャムの誇る三手番殺しを警戒していようし、直接相見えてしまえば、こちらが<伝言>を習得していた場合に粘着されるのを厭うて、ということもあったろう。
逆に、臨機応変を欠くNPCが相手であったればこそ、こちらの真意が汲まれることがなかった、とジャムは考えている。日本人であるモモンガはエドモン・ウェルズのことなど知っているはずはないし、こちらの世界で日本語が通用することにもさして疑問を抱いていないだろう。
そして、少なくとも千年以上はこちらで活動しているアインズ・ウール・ゴウンは安定したギルド維持資金獲得手段を有しているに違いなく、そんな連中が、たかが拠点レベル五百八十のこちらに、この世界の原住民を無分別に殺して歩くような騒ぎを起こさない限り、関心を持つはずはない。
となれば、あとは時間の問題だ。
幸い自分には寿命がない。この世界の何処かにあることだけが確かな<巫女の布告>を探すのは、まさに砂漠に一本の針を求めるような難行ではある。だが、無限の時間があればそれはいつかは叶うのだ。そしてこちらの世界にやって来て疑いなく自身の肉体となったこの身には、完全な心の静寂が備わっていて、並の精神では耐えれようはずもない永劫の探索にも怯むところはまったくないのだから。
お絵かき板にまとめた記憶を反芻しながら、ジャムはひたすらに西へと、しゅたしゅた、と早足で歩み続けた。
目下、最大の関心事となっている事柄についてはそうそう失念することはない、とは既に理解しているものの、それでも致命的な健忘症を患っていることに自覚のあるジャムは、常にこうやって自分の記憶を補完しながら活動してきた。無論、この弱みを現地人に露見することのないよう人目を避けて、ではあるのだが。
はて、と歩みを止めぬままに、ジャムは今一度考えた。
<巫女の布告>の発見は、こちらの世界における一生の仕事になるものと腹を括っていたが、たちまちにその手掛かりが得られたところの意味するものは何であろうか、と。
ほとんどその可能性はない、と判じながらも、アインズ・ウール・ゴウンのモモンガ自身がそれを秘匿している可能性を鑑み、不死者探知能力を有する魔女NPCに命じての捜索は開始させているものの、それこそこれは砂漠を一本の箒で掃いて針を探すような話で、成果があるとしても百年、あるいは千年先の話だと考えていた。
蒸気機関の提供を通して互恵関係にあるオークネイスの民は基本的にはこちらの求めるところに協力的であるので、よもや現地人にそれは為せまい、とは思いつつも探索を発したものだが、意外にもこちらが当たりを引いたことになる。
しかも、電信伝いに知らされたところによれば、発見者はこちらが開示してはいなかった目当てのそれと共にあるはずの<ロゼッタの石碑>の外見を言い当てている。いささか文脈は異なるが、これはいわゆる鍵穴からの証言だ。現場に居合わせた者のみが知り得る真実の暴露は、一般に信憑性の高いものと判断される。
そんなことを考えながら早足に歩き続けること丸六日。
久々に訪れた鉱山でジャムを待っていたのは……。
漆黒の全身甲冑を身に纏い、背に己の身の丈ほどもあろう両手剣を二本交差させて背負った武者だった。
*
城塞都市オークネイスから、触れ得ざる者が街を出てしばらく戻ってこないようだ、の報せが早馬で届いて、半人半馬の騎馬弓兵五百を主力とする一団は進軍を開始した。
奇縁の真祖吸血鬼キーノ・インベルンはその最後衛、半人半馬の族長とオークネイス反主流派の指導者を擁する本陣に加わっている。軍団の意思決定を担う彼らとの連携を密にすべき、との判断もさることながら、必ずしも真意を信用されていない自分たちが目に見える範囲にいた方が、余計な疑念を招かずに済むだろう、との考えもあってのことだ。
オークネイスは歴史的経緯もあって常備軍を有さないが、治安維持のための憲兵隊五百がある。同道する豚鬼が言うには、これもやはり歴史的経緯による配慮から、憲兵隊の顔触れがすべて市長に従う主流派で占められることはなく、実際、早馬で触れ得ざる者の不在を知らせてきたのもその一員であった。少なくとも半数はこちらにつくはずだ、と豚鬼は請け負った。
彼らの描く大戦略としては、第一には市長の身柄を押さえて市の実権を掌握することを目指している。現地で内応する者がその所在を追っていて、おそらく攻略軍到着時点でのそれは市庁舎であろう、と予測されているが、これを憲兵隊の反主流派の実働部隊およそ百名で囲み、同時に市外から半人半馬の軍勢が威嚇すれば、自ずと残る憲兵隊は降るだろう、というものだ。
キーノは、大枠においては理に適った戦略だ、とこれを認めていた。
そもそもオークネイス市長、というのは絶対権力者ではない。有力商人からなる市議会から互選される再選が認められない任期八年の役職で、名目上の強制執行権、拒否権は謳われているものの、実際の職務は、任期中に生じた不祥事の責を負って自腹でその損失を埋めること、市行政に対する批判の矢面に立たされること、であり、反主流派が彼の身柄を押さえるべしと考えているのは、ある意味まさにその職責が果たされようとしている、と言うこともできた。
狭義のオークネイス市民、というのは、過去に市長を輩出したことのある家門に連なる者を差す。これは皆豚鬼で、であっても長い歴史を有するオークネイスだけあってその数は三万人を裕に超えるが、推定総人口四十五万人に比すればほんの一部でしかない。
他の居住者は、これらの家門に対して被雇用関係のある豚鬼、人間、その他の少数派亜人であり、商業都市に暮らす彼らは決して無学な者たちではないが、基本的には揉め事を忌避する日和見主義者と見做されている。目下目論まれる政変に際しては、彼らは旗色が明らかになるまでは静観を決め込むだろう、と考えられていて、ゆえに、攻略軍には非武装市民に対する狼藉、略奪の禁止が徹底された。一度四十万の街衆の怨嗟を買えば、たかだか五百騎に為せるところなど何もない。
唯一、不確定要素として懸念されるのは、百人を下らないであろう市在住の冒険者たちだ。キーノたちの目線からすれば箸にも棒にも掛からぬ力量の者たちに過ぎないが、中には牛頭人の猛者や、第三位階を操る魔法詠唱者もある。
オークネイスは、<冥と啼く七日間>を唯一の例外に外敵の脅威に永く晒されたことがないので、少なからぬ義侠心に溢れる彼らが、市外を囲む武装した半人半馬に過剰反応を示す可能性は否定できない。
「クゥイアをひとっ走りさせて、コンコンチキあたりに繋ぎをつけておくべきじゃないかな。」
オークネイス反主流派を背に乗せ駆け足で行軍する半人半馬たちに歩調を合わせて走るキーノが、隣でニヤニヤしながら駆けていたクレマンティーヌに声を掛ける。
キーノを来訪者ジャムに引き合わせた代数冒険者組合の、飛竜を駆る豚鬼コンコンチキは、十二分に話の通じる相手に思えたものだ。
「余計なことはしない方がいいんじゃなーい?
コンコンチキちゃんも、こっちにつくと決まったわけじゃないしねー。」
あっさりとそう返されてキーノは口を噤んだ。
「一旦動き出しちゃった戦争、ってのは、たとえキーノちゃんといえど、個人の才覚でどーこーはできないもんだわさ。」
と、クレマンティーヌは言う。
「表向きはオークネイスの反主流派が、プレイヤーと結んだ市長に戦いを挑んでる体だけど、その実は、これは半人半馬たちも含めて、こいつらが落としどころをみつけるための儀式なのよ。」
「……言わんとするところはわからなくもないが。
それにしては危険が大き過ぎないか?何が得られるかも定かでないのに。」
「それがてめぇで考えてわかる連中なら、こんなことにゃなってないわよ。
こうなるのが嫌だ、ってんならキーノちゃんが王様にでも何でも名乗りを挙げて、連中の代わりに全部取り計らってやるしかないわさ。」
はぁ……やはりそこに行きつくのか、とキーノは走る調子を乱さぬままに嘆息する。
対照的にクレマンティーヌは無暗矢鱈と楽しそうだ。
「せっかくの久しぶりの戦争なんだからさー、キーノちゃんも楽しもうよ!」
「おっぱい万歳!」
立てた指を横に振って首掻っ切るぞ、の仕草。
さっきまで姿が見えなかった双子忍者が突然クレマンティーヌの左右に現れて呼応して、キーノの頭痛はなお増した。
*
「おい、おまえ。」
二刀流の甲冑武者が、こちらの気配に気づいていないはずもないのに一向に関心を寄せる様子を見せないので、ジャムは自ら声を掛けた。
武者は、ゆっくりとジャムの方に顔を向け、顔を突き出しつつ自分自身を指差して見せる。
え、オレ?
と、でも言いたげだ。自分が呼ばれたものとは思っていないようだ。
「光る羊皮紙の件で連絡を寄越したのはおまえか?」
ジャムが簡潔に自身の関心事を告げると、
「あぁ、あなたが依頼主なのか?
てっきり豚鬼が来る、と思っていたから気づかなかった。勘弁してくれ。」
と、さきほどまで自分を指差していた片手を挙げて会釈する。
妙なヤツだな、と思いつつもジャムは素早く無詠唱で魔法による能力把握を試みた。軽い抵抗があって、おや、と思いはしたものの、すぐに仔細は判明する。人間種、男、戦士、レベル三十三。この世界の住人にしては突出してこそいるが、先に行き会ったキーノ・インベルンがレベル九十を超えていたことと比べれば滓のようなものでしかない。
「兜を外して顔を見せろ。」
それでもジャムは、素顔を見せない男を軽々に信じる気にはなれなかった。
だが、男はこれに応じなかった。
「オレはお前の探し物に付き合ってやっているだけで、それ以外のことを命じられる謂れはない。」
やり合って万が一にも勝てる相手でないことはわかっているだろうに、その堂々とした切り返しにジャムは若干の感銘を覚えた。
「若気の至りで挑んだドラゴンに焼かれて酷い面体なんだ。触れずにいてくれると助かる。」
男がやや力のない口調でそう付け加えたので、ジャムは「悪かった、忘れてくれ」と軽く詫びた。甲冑武者はこのやり取り自体には強い関心を持たなかったようで、
「あなたが探しているものは、ここから歩いて二日ほどのところにある。
もう日暮れも近いが、ここで一泊して明朝出発するか?」
と、実務的なところへ話題を戻した。
「おまえが必要ならばそうするが、私にその要はない。」
と、ジャムは応じる。
甲冑武者はこれに返答するでもなく、ついて来い、とばかりに片手を振って、交差して背負った二本の両手剣の目立つ背をジャムに向け、そのまま歩き始めた。
やはり妙な男だ、と思いつつ、ジャム自身、オークネイスの極限られた現地人とのみ必要最低限の交渉を持つのみで、必ずしもこちらの世界の人間、亜人の流儀に通じているわけでないことには自覚がある。敵対されたとて困るところがあるでもなし、黙ってその後について歩いた。
やたらと重装備であるわりに、甲冑武者は休憩を取るでもなく、食事を取るでもなく、ひたすらに歩き続けた。しばらくは鉱山に沿った平地を歩んでいたが、途中からは山へ向かって道なき道を登り始めた。唯一立ち止まったのは、いい具合に乾いた枯れ木を束ねて即席の松明を造り、胸元から取り出した火口で着火したときだけだ。甲冑武者が、ジャムの分に、と気遣ったものか二つ目を束ね始めたのを認めて、
「私には不要だ。」
と、ジャムが告げると、
「足元を誤って滑落しても知らんぞ。」
とだけ言って、甲冑武者は再び歩き始めた。
そのまま一言も交わさぬままに夜通し歩いて、夜明けに松明を丹念に消火した甲冑武者は、また無言のままに歩き始めるので、流石にジャムもこの男を薄気味悪く感じ始めていた。
「おまえ、大丈夫なのか?」
と、問うも、
「依頼人の利益が第一だ。金貨一万枚の大仕事ともなればなおさら。」
と、取りつく島もない。
「おまえの発した第一報は既に聞いているのだが。」
どんどん山奥へと分け入っていく甲冑武者に、ジャムは話し掛けてみた。
「ならそれがすべてだ。他にオレにわかることはない。」
と、気のない言葉が返される。
「今一度、おまえの見つけたものの見た目の特徴を聞かせてくれ。」
甲冑武者は、何も隠す必要はない、といった口調でジャムの、ほぼ予想した通りの事柄を復命した。
「オレの身の丈の倍ほどの、磨き上げられた花崗岩の石板があって、その少し高いところに光る羊皮紙がどうやってか貼り付けられている。狩りの途中に雨宿りした洞穴で偶然見つけたものだ。」
いよいよジャムは、本当に当たりを引いたらしい、と歓喜を覚えつつ、それを表には出さずに歩き続けた。
そして、甲冑武者が最初に告げた通り丸二日歩いた夕暮れどき、二人は奥深い山の中腹の岩場に開口する洞窟の前に立った。
「ここだ。ついて来い。」
やはり甲冑武者は何でもない様子で中へ入っていく。ジャムもこれに続いた。
洞窟はかなり大きなもので、二人は前後に連なって進んでいるが、左右に並んで歩くことも叶いそうだ。その幅は奥へ進むに従って広くなっていくようで、実際、しばらく進んだ後にまるで大広間のような空間が前方に待ち受けていることにジャムは気づいた。
ここで、はた、とジャムは足を止めた。
「……どうした?探し物はすぐそこだぞ。」
ジャムが立ち止まるとほぼ同時に足を止めた甲冑武者が、振り返りもせずに問う。
「これは……何の冗談なんだ?
……アインズ・ウール・ゴウンのモモンガ。」
「……なんの話だ?」
ジャムは片手の指を自身の額に当てつつ、一切の情動が伝わってこない平板な口調で続けた。
「おまえが考えているとおり、これははったりだ。そこまで読み切ってさらりと白を切ってみせる度胸には素直に感心する。虚実入り混じった駆け引きを弄したアインズ・ウール・ゴウンの面目躍如といったところか。だが……
要もないのに夜間行軍に松明を灯して見せたわりに、ここに至ってそれを失念したのは最後の仕上げを欠くと言うべきではないかな?」
ふふ。
ふふふふふ。
あははははははッ!
突如、漆黒の甲冑武者は両手を左右に広げ、やや斜め上を見上げて洞窟に響き渡る甲高い哄笑を放った。
「生憎、洞窟の入り口に枯れ枝はなかったんでな。
森を歩いているうちに拾っておくべきだった、次の機会があればそうさせてもらおう。絶対、忘れるけどな。」
そう言いながらゆっくりと振り返った甲冑武者は、ふんっ、と叫んで両手を振り上げた。
途端に甲冑の外装が吹き飛ぶと共に眩い光が放たれたが、もとより肉眼視に依存しないジャムは、不動のままにその様子を凝視している。
そして姿を現したのは。
金糸銀糸に縁取られた漆黒の装束を纏い、その中腹に鮮血を想起させる真っ赤な紅玉を抱いた骸骨姿の大魔王、アインズ・ウール・ゴウン、その人であった。