アインズ不在のナザリック地下大墳墓の幕間劇。
13.世界征服検討予備会
「毎度のことながら前回から随分と間が空いてはしまったがね……始めましょうか、アルベド。」
「望むところよ、デミウルゴス。」
ナザリック地下大墳墓
大半の
ちなみに大魔王アインズ・ウール・ゴウンその人は、シャルティアとコキュートスを伴って南方エイヴァーシャー大森林に潜むと聞く
「まずはいつものように現状分析から始めよう。
最初に、直近の騒ぎの元になったバハルス帝国からだが。」
「かの愚行……水晶の塔に余計な手出しをして軍団が壊滅した一件の責任の所在を巡って、確固たる道筋を示せなかったことから皇帝権威は失墜。再びの地方分権へ向かっているわね。既にいくつか小競り合いは生じているようだけれど、私たちの関心を呼ぶほどのものではないわ。」
二人がおこなっているのは、仮称、世界征服検討予備会。
アルベド、デミウルゴス共に、
なので、いつ
この間、殊更この話題に関心を持たないパンドラズ・アクターが、玉座の間にあってナザリック防衛の指揮監督を担っている。
「残念だけれども、アインズ様を皇帝として推戴する
「
バハルス帝国皇帝、などという称号は、アインズ様に捧げられるには器が小さ過ぎる。」
「それはそうだけれど、あの広大な面積を誇る帝国を、最も穏便に支配下に収める手段として有効である点に疑いはないでしょう?」
ナザリックの戦力を以てすれば、一部の
だが、そんなことをして何の意味があろう。
それは世界殲滅であって征服ではない。
二人の考える世界征服とは、この世界の竜王を含む普く存在が、彼らの至高の
「その点については、先の事件のもう一方の被害者、カルサナス都市国家連合同様だと私は思うがね。」
カルサナス都市国家連合は、便宜上そう呼ばれてはいるものの、その名に対応する政治権力、支配機構が存在するものではなかった。名称にも含まれる通り、これはとある盟約に参加し相互不可侵を誓った都市国家、遊牧部族の総称に過ぎず、国家としての主体は個々の参加者に散在している。
デミウルゴスの分析するところ、彼らを国家連合に繋ぎ止める動機は、ただただ大昔に彼らが自ら体験した血で血を洗う大戦争への恐怖心、再び同様の愚行に至れば今度こそ自分たちは皆滅んでしまうのではないか、という危惧なのであって、それはそれで合理的な判断ではあろうが、その連合した力を特定の方向へ向けて何かを為そうという
同様に、バハルス帝国は一見して中央集権を指向する巨大国家に見えて、実のところ内実はカルサナス都市国家連合に似る、とデミウルゴスは見ている。
建国の経緯もあって、バハルス帝国の民にとって自身の抱える暴力装置、その実態は歴史とともに随分と変遷を繰り返してはいるものの、変わらず
そのような観点において、帝国の人々の基本的な帰属意識は自身の生まれ育った都市村落と紐づいているのであり、その維持の便法として軍団、帝国が希求され、いつしかそれが本質とすり替わるという点は、カルサナス都市国家連合が都市間の紛争を厭うて連合しつつ、連合としての主体的意思を持とうとはしないことに通じている、というのがデミウルゴスの理解だ。
対してアルベドは、少し異なる考え方をしている。
「それでも、あれだけの広さの領域を統べる大義名分を備えた称号が前以て存在することの意義は大きいわよ。」
何らかの謀略を以てアインズがバハルス帝国皇帝の称号を得る、という
もっとも、本人はもちろん憶えてなどいはしないが、初代ジルクニフ・エル・ニクスから臣民に望まれた皇帝ゆえの苦悩を吐露され、それに共感を覚えたアインズがそんな称号を捧げられたとて素直にその座に収まったはずもないのではあるが。
とまれ。が為に、二百年前の
蓋を開けてみればそれは杞憂に過ぎなかったのだが、彼女もデミウルゴスも、特にこれを問題視していたわけではない。仮にそれを為した来訪者がいたとすれば、これを討ってこの世界本来の在り方に立ち戻らせることを口実に、スレイン報国の御旗の
「カルサナス都市国家連合はそれを欠くのだから、彼らを支配するには少なくともいくつかの都市を殲滅して我々の力を目に見える形で示す必要があるし、それは全面戦争を引き起こして
「それは
にやり、と
「水晶の塔の一件を経ても、ついにカルサナス都市国家連合はこれを連合全体の問題としては認識せず、塔の所在地を実効支配する
こういう原始的な連中を直接に相手にするなど馬鹿げた話で、周囲すべてを支配してしまえば、彼らは自然と我らの軍門に
「となれば……やはり世界征服の足掛かりになるのが自由都市群だ、というのは揺るがないことになるのかしら。」
「そういうことになるだろうね、実力行使の必要もないのだから。」
ここ数百年、この議論を繰り返す中で二人の共通認識として確立されているのは、世界征服の最初の一歩として最も相応しいのは、旧リ・エスティーゼ王国の中原、エ・レエブル、リ・エスティーゼ、リ・ロベル、後に加わったリ・ブルムラシュールと復興成ったエ・ペスペルから成る自由都市群である、という見解だ。
もっとも、実力行使の必要もない、とのデミウルゴスの言にも
買収だ。
アゼルリシア山脈西方の肥沃な平原に暮らす人々は、リ・エスティーゼ王国建国の時分以来ただただ権利の保障、なかんずく土地の所有権、利用権に対するそれを求め続けてきたものだ、とアルベドは分析していた。
誰の目から見ても無能極まりなかったヴァイセルフ王家と連なる貴族達に対し、民草が唯々諾々と従って背かなかったのは、偏に彼ら旧支配層が、無理難題を押し付けつつも民草の土地耕作権だけは決して侵さなかったからであり、先祖代々伝わる肥沃な大地の利用権さえ誰かが保障してくれるのであれば、とりあえずは食うには困らないという観念が根強く行き渡っていたからである。
事実、最終的にエ・ペスペルの殲滅を以てヴァイセルフ王家の終焉に至ったバハルス帝国との戦争においても、無為に兵士として徴用される人々は、バハルス帝国を自身の土地権利を侵害せんとする存在だ、と捉えていたからこそ、守る価値もない王家貴族の盾となって、否、自身の生存権を賭けて戦ったものであった。
それゆえに、ヴァイセルフ王家が倒れた後、バハルス帝国から帝国自由都市なる枠組みが示され、安全保障を名目とした貢納を怠らぬ限り先祖伝来の土地所有権、利用権は勝手たるべし、と触れられた際、旧王国民は随分と拍子抜けを覚えたものである。
一方でそれは、これまで種々問題はあるにせよこれらの権利を保障していた王族・貴族階層が駆逐されたことを受けて、自らその確保に努めなければならないことをも意味していた。
であればこそ、政治権力を旧貴族層から引き継いだ新しい支配層、制度上参事会と称した有力商人たちにその政治力の裏付けとなる支持を顕わにすることで、民草は新たな権利保障を求めるに至ったのである。
つまり、その
「
近来の経済発展に伴って自由都市群の投資市場は活況を呈しているから、むしろその試みは年々容易になっていきつつある、とすら言えるのではないのかしら。」
アルベドは、うふふ、と微笑みながらそう語る。
対するデミウルゴスはいささか忌々し気だ。
「返す返すも忌々しく思うのは、外的脅威に対してほとんど無力な連中がかの経済的繁栄を享受できるのは、ただただアインズ様が度を逸した慮外者を狩りの獲物とすることで無意識下の抑止力となられたこと、加えて、やはりアインズ様の計略により生まれたド・クロサマー王国が連中の潜在敵であったトブの大森林の亜人勢力を統制してきたから、であるのに、連中にその自覚がまったくないことだ!
そうは思わないかね、アルベド?」
が、アルベドは微笑みを崩さない。
「
まさにすべてはアインズ様の思惑通り。そういったすべての種明かしが自由都市買収完了の暁に公知されるとき、連中がどんな表情を浮かべるかに思いを馳せれば、そんなことに苛立ちを覚える必要もないでしょう?」
「嗚呼、私としたことが……。
まさに
己の
「それで……少なからず自由都市の繁栄に寄与している、貴方の
アルベドは話題をスレイン報国へと向けた。
大学まで設立され、都市部に至っては読み書き
「あそこはまだシロクロの国で、
「同じことでしょう?
本当のところ
「ふふ、それも
結論から先取りしてしまえば、あそこは滅びるべくして滅びる国だ。アレインはただその最良の滅びへ向けて舵取りをしているに過ぎない。そして彼は、きっとやり遂げるだろう。」
「最良の滅び?」
期せずしてデミウルゴスから放言された不穏な言葉にアルベドが疑問を呈した。
「以前にも説明したとは思うのだが、些末事だから
思えばスレイン報国……この場合、法国、と以前の国号で語った方が正しいのやも知れないが、彼らがこうであるのは皮肉としか言いようがない。
考えてもみたまえ、アルベド。
この世界の存在で、
「六大神……のことね?」
「その通り。今更ではあるが、八欲王に事前に備えることさえ叶っていたならば、我々がこちらに渡って来た時点で彼らがこの世界全土を支配していた、としてもおかしくはあるまい?」
アルベドは少し思案した後、デミウルゴスの言葉に首肯した。
「が、仮に八欲王が六大神を屠らなかったとしても、スレイン法国に世界征服は叶わなかっただろう、とも思うのだよ。何故なら、この愚かな連中はただただ異世界からの来訪者に、未来の不確実性を減じることのみを求めたからだ。」
ん?とアルベドが首を傾げる。
「わかりにくかったかね?
これは連中に限った話ではないのだよ。わかりやすいのはアーグランド評議国、そして竜王国だ。
彼らは仔細は異なるがよく似た物の考え方をしている。社会集団が健全な存続を期するにあたり、もっとも重要となるものが考え抜かれた社会運営制度であることを、彼らはよく承知している。
特定の聡明な支配者に依存する体制は、寿命に縛られた者には永続が叶わない。だから彼らは、支配の役割を担う個人が世代を交代しても、一定水準の知性さえ維持していれば何とか運営が叶う仕組みを確立したわけだ。」
「それは政治の基本ね。」
「だが、不確実性は残る。制度は所詮制度、それを運営する者があって初めて成り立つものであり、そして制度は必然的にその者に権力を与えるのだから、権力者が制度を乗り越えて社会を破壊する
そこで彼らは、自分たちを超越した存在をそこに招くことでこの不確実性を消し去ろうとした。」
「
「その通り!
竜王は本来人間、亜人の営みになど関心を持たぬ存在だが、忌々しいツアーを含め、例外的にそれを楽しむ者もある。その竜王に恭しく礼を尽くし、自ら定めた制度を彼ら自身が遵守していることの監視を彼らは求めた。この方略が絶対的に適切なものだ、と私は思わないが、少なくとも両国共にこの世界で千年の時を越えて安定しているのは事実なのだから、最適解の一つではあったのだろう、と認めるに
そしてこの逸話の最も重要な点は、彼らは制度の監視を竜王に委ねはしたが、彼らの制度の主体は引き続き彼ら自身であった、という点だ。
対して、スレイン法国もまた、六大神に不確実性の解消を求めたという点では同様でありながら、馬鹿げたことに連中は自らその主体であろうとはせず、ただただ六大神の言い成りになりさえすれば未来の不確実性が消え去るものと思い込んだ……彼らはこれを信仰、と自認していたのだから、信じた、と言うべきだが……ともかく、そうであった。
こうして育まれた連中の思考様式は、六大神の亡霊が占めていたその座をシロクロが奪取した後もまったく変化していない。連中はただ、言い成りになれる相手を求めているだけで、自ら事の主体になろうという考えを完全に放棄している。
そんな連中に健全な社会の維持など叶おうはずもない。そしてそんなことは、我が息子であれば疾うに看破していることだろう。だから彼に出来ることは、確実にやって来る自国の滅びを最良のものとすること、しかないのだよ、そもそもね。」
息子が支配者たることが約された国が確実に滅びるのだ、と語りつつもやたらと楽しそうなデミウルゴスをアルベドは訝しく思うが、同時に、そうだ、こいつはこういうヤツだ、という気もする。
「その点において、ローブル聖王国は、狙ってそうしたものではないが面白い芽が出ている。」
「コキュートスが神様扱いを受けている国ね?」
「これがコキュートス自身によって企図して仕組まれたものであったならば、私はナザリック最高の智謀の将の称号を、喜んで彼に譲り渡すだろう。無論、彼にそんな自覚はないのだがね。だが、彼の人徳……蟲徳がなければ成し得なかったこと、であるのは確かだ。
先の竜王の国、スレイン法国との対比で言えば、これまたコキュートスが意図してそんなことを彼らに伝えたはずもないが、結果的にかの国の民は不確実性そのものを受容することを自ら選んだ、と言える。」
「四つの
この時分、ローブル聖王家は存続こそしていたが、かつて少なくとも王国北部に対しては有していた絶対的権威を失い……否、アルベドも言及した四つの
更には、アベリオン丘陵の亜人連合との間で共有される祈りの言葉、銘々が自ら正義を希求し続けていくべきなのだ、とする信念は、デミウルゴスですら驚かざるを得ない強固な連帯感を現じて、この地域の安寧を支え続けている。
「元を
図らずもコキュートスが……引いてはあの狩りに際しコキュートスを供に選ばれたアインズ様が打ち込んだ楔が、ここに画期をもたらしたのだ。歴史上、悟りを開いた聖者は少なからず存在するが、自らの悟りを国の下々はおろか他種族まで分かち与えた聖者はそうはいない。そもそも聖者は国を追われるもの、と相場が決まっているのに、だよ!」
再びアルベドは、ローブル聖王国を変革した聖者を楽し気に語る悪魔を訝しく思う。それはおまえの趣味嗜好とは真逆ではないのか、と。
もちろんデミウルゴスは、聖王国がアインズの支配下となり自身の気儘な介入が許された暁に、聖なる気概に溢れる同国民を堕落させる愉悦を思い描いて悦に浸っているのだが、そのあまりに回りくどい捻くれた喜びを理解することは、さしものアルベドにも荷が重かった。
「今思えば、コキュートスに縁した
「アインズ様がそのような者を必要とされる、とも思わないけれども、
シロクロの一件を思えば、アルベドにはデミウルゴスの言がただただ自身の
「まぁ、それはこの際どうでもよいことだよ。
おそらく……否、いつも同じ結論に達しているのだとは思うのだがね。」
「ええ、そうね。」
皆まで言わずとも、アルベドにはデミウルゴスの言わんとするところを察することが出来た。
彼女自身、まさに今そう思っているからだ。
「我々がこうして世界征服検討予備会を開いてわかることは、世界征服のための最適の布石は、すべて既にアインズ様ご自身によって為されていて、我々はその後を追っているに過ぎない、という驚愕すべき事実だよ!」
「まったくその通りよ。
憶えてはいないのだけれど、
「ああ、私もそうであったろうと思う。今となっては顔から火が出そうになるほど恥ずかしいことだ。幸いなのは、慈悲深いアインズ様は、我々のそういった愚かしさを失念して下さっていることだ!」
いや、それは慈悲深いから、じゃないだろ?
とアルベドは思うが、強いて突っ込みはしない。
最愛の
「意味するところは、だ。」
とデミウルゴスが一旦言葉を切って間を設ける。
「間違いなく、世界征服、はアインズ様の今後の展望の中に組み込まれている!」
「それについてはまったく同感よ、デミウルゴス。でも……」
「そう……アインズ様はそれを命じては下さらない。
残念なことだ。」
ふぅ、と溜息をつく悪魔に女淫魔は優し気な笑みを送る。
「そう気落ちする必要はないでしょう?
私たちには無限の時間があり、遅かれ早かれその日はやって来るわ。
いつ
「ああ、
もし、私が気落ちしたように見えたのであれば、それは誤解だ。おそらく我々は、この結論を繰り返し確認し続けて来たのだろうと思うが、そうし続けることが出来ること、それ自体が我々の喜びであり誇りとするところだ。」
デミウルゴスは満面の笑みでそう応え、アルベドの懸念を打ち消した。
「今回の検討結果についても、日記に記録しておいてくれるのでしょう?」
「もちろん、そこは任せてくれたまえ。
こうして今回の世界征服検討予備会はその幕を閉じた。
陽の目を浴びるその日、とやらが、果たしてやって来るのか否か、それは誰にも知りようがない。
*
転移歴500年代中庸、引き続き繁栄を謳歌していた自由都市エ・レエブルにささやかな産業革命の兆しが見られた。
バハルス帝国が事実上崩壊し大陸西部への影響力を失った結果、かつて帝国への貢納で安全保障を受けていた帝国自由都市は、その従属関係の自然消滅に従って、ただ、自由都市、と称するようになった。
リ・エスティーゼ王国滅亡に際し廃墟と化したエ・ペスペルを復興し衛星都市として確立した後、大陸西部随一の学府アインドラ大学を擁するエ・レエブルはあらゆる分野で躍進を遂げ、遂には<
エ・レエブルの有識者たちは、これこそ歴史に画期を為すものぞ、と色めき立ったのであるが、ここに思わぬ障壁が立ちはだかり、意外なことにそれは他ならぬスレイン報国だった。
エ・レエブルが頭一つ抜きんでているものの、リ・ロベル、リ・エスティーゼの経済的勃興は著しく、それは必然的に各域内における貧富の差の拡大を招いた。だがしかし、不思議なことにこういった場合につきものの
これら自由都市群は長らく「銘々がその責を負う限りにおいて自由勝手」を理想と掲げてきたため、この時点においても公に治安維持の軍や警察を運営するという発想を欠いており、今なお個々人、特に
が、そうしたことは起こらなかったのだ。
皇子アレインの噂が自由都市群に伝わって以降、主に自由都市で食い詰めた者たちの多くがスレイン報国へ移住していったからである。
民、というものは、ときに為政者よりも
弱者、愚者がそのままに楽しく遊び暮らせる国を造るのだ、とするアレインの真意……果たして本当にそうなのだろうか?……が母に告げられたのは触れ得ざる塔事件の後の話であるが、自由都市民の多くはもっと早くから、スレイン報国がそれを指向していること、国家と慈悲深い皇子がすべてを差配してくれる夢の国であるらしい、ということに気づいていた。
一方で、自由都市群の為政者たちも当然この人口流出には気づいていたが、移住していく者の大半は、そのまま都市内に留まられても遅かれ早かれ厄介事の火種になりそうな連中ばかり、と、これを気にも
そして、自動織機の発明を受けてその動力源としての安価な労働力が求められた時点で、エ・レエブルには、自動機械の採算に合う賃金で割に合わない仕事を引き受ける無能は最早一人も残ってはいなかったのである。
無論、聡明なエ・レエブルの
そもそもそういった町村に暮らす人々は、エ・レエブルのような生き馬の目を抜く自由競争社会を潔しとせず、旧王国時代以来の牧歌的な暮らしを好んだ人々だ。彼らは「これを導入して日々の労働を楽にせよ」と迫る
機織りは農閑期や長雨で野良に出られない際の趣味を兼ねた小遣い稼ぎであり、そもそも苦になどしてはいない。何が悲しくて、その趣味を取り上げられた上に先祖伝来の田畑を売り払ってまで訳のわからぬ機械なんぞを贖わねばならんのか、と。
かくして、エ・レエブルに見えた産業革命の萌芽は、虚しくも忘れ去られていったのである。
ところで。
結果的に自由都市群の産業革命を阻んだ夢の国、スレイン報国は、果たして本当に夢の国であったのだろうか?
ここに一つ興味深い数字がある。
実はスレイン報国は、国号変更以来、皇子アレインの登場を経てもなお、その統計上の総人口がほとんど増減していない。
少なくない移住民を受け入れ続けているにも関わらずだ。
そもそも前身となるスレイン法国が、六大神のギルド維持資金を捻出すべく建国されたこともあり、伝統的に同国では
つまり、かつてはユグドラシル金貨に<
そして総人口は、この経済がうまく回る程度に常に
報国に国号が改まって後は、内部にいる者で気づく者はいまいが、これがより悪辣になった。各々の民が要求される生産量は、それを浪費していた六色聖典がいなくなったことにより過分に軽減されはしたものの、並行して始まった人口流入は否応なく経済の
が、表向きは不意の流行り病であるとか、自然災害であるということになってはいるが、恣意的な間引きがおこなわれていることに、気づく者は気づいていた。実際、秘密警察的な性格も有していた六色聖典の解散以降、報国内では人の子シロクロの国家運営に疑念を抱いた人々による少なくない
だが、そこに参与した人々に自覚はなかったであろうが、実はこの運動は、呆れたことに国家によって運営されていた。
建国以来の歴史の積み重ねもあって勤勉実直な性向を有する報国民の中からは、少なくない聡明な人材が輩出され、中でも体制への迎合の才を発揮したものは次々とシロクロに首刈られる国官の補充に充てられたものであるが、そうでない者は、本人の意図とは関係なく自然とこの抵抗運動に吸収されていくことになる。そして多くの場合、巧みな扇動を受けて以下のような思想を胚胎するに至る。
今は雌伏のとき。
たとえ一時は賊の汚名を被ろうとも、報国民解放活動の資金を得る義賊たるべし。
かつて大陸の多くの陰謀の輸出元であった法国は、報国に改まって後は野盗の産地となり、彼らは隣接するアベリオン丘陵やエ・ペスペル、エ・ランテル周辺へと散っていく。その多くは、そもそもうまくは
すると、これをデミウルゴスが捕捉して、嬉々として至高の
かくして。
報国に流れ着いた食い詰め者は、これさえやっておけば楽しく遊んで暮らせる、とされた銘々の能力に余裕をもって差配された仕事を淡々とこなし、そこから一歩足を踏み外せばいつの間にやら誰にも気づかれることなく間引きされている、という境遇に甘んじることになった。
そして、野盗に陥れられる者同様、そもそもこの構造に思いが至るものは決してそこには陥らないのであるから、必然的に、アレインが愉快げに語ったように、弱者、愚者、無能だけが上澄みのように濾しとられ、楽しく遊び暮らしながら只今のスレイン報国の生産全般を支えているのである。
これを地上の楽園、夢の国、と評するか否か、についてはなかなかに難しいものがあると言えよう。
そして次なる動乱は、奇しくもこの巧みに組み上げられた構造を
<次話予告>
六百年振りに故国の土を踏むクレマンティーヌを、
億劫のオーバーロード第8話『死肉喰らい』
「ねー、いいじゃん!
丁度あの子たちも居ないんだしさぁ!」