自身の仲間であるはずのマルタンを一撃の
「……ジャネーーーット!」
と、唐突に何者かの名を呼んだ。
ややあって、彼のギルド拠点につながっているのであろう斜坑から、
「ジャム様、御用の向きは何ですか?」
ジャネットは、ついさきほど主人筋の一人を葬ったジャムに対し、特に何でもないという様子で用件を問うた。あれは、シャルティアほどではないにせよ、いささか頭のネジが緩んだNPCであるに違いない、とキーノは思う。
「
簡潔にジャムがそう命じると、やはりジャネットは何の疑問もない
「キーノ・インベルン。」
やはり唐突に名を呼ばれて、キーノはジャムの方へと歩み寄った。
これを妨げる見えざる手はもうない。
「手間をかけるが、生き残った子どもたちはおまえに託す。」
と、ジャム。
「それは承るが……その……すまない!」
キーノは深く腰を折ってジャムに頭を下げた。
「私の思慮の足りない行動のために、おまえにマルタンを……」
「
軽く差し出されたジャムの手の平がキーノに向けられる。
「これは私の問題で、おまえには関係のないことだ。」
「で、でも……」
キーノには、少なくともジャムは、マルタンが憎くてこうしたようには思えなかった。
マルタンのジャムに対する態度があんまりであったのは事実だが、ジャムが滔々と流した涙は、ジャムのマルタンに対する特別な感情の存在を雄弁と語って余りあった。
「キーノ・インベルン。
おまえは本当に心根が優しいのだな。」
相変わらずジャムの表情はいっさい揺るがぬ鉄面皮を保っているが、キーノには不思議と彼が微笑んでいるようにも見えた。
「おまえは結果的に私を救った、とも言える。
そして……アインズ・ウール・ゴウン。」
ジャムは大魔王の名を呼んだ。
「聞いているな?
あぁ、混乱の元になるから姿を現す必要はない。」
その言葉の通り、アインズは
ついさきほどまでアインズの気配を
「おまえにも感謝を捧げよう。
手間をかけるが、拠点崩壊後の我がNPCの処分はおまえに任せる。」
そう言うと、ジャムは足を地面から浮かせそのまま宙に浮かんで坐禅を組んだ。
左右、腰の高さに
「我は
常に
魔法詠唱であるかのようにそんな言葉を唱えると、次第にジャムの姿が薄くぼやけて向こうが透けて見えるようになり、やがてそのまま音もなく空間に溶け込んで消えた。
あっ、とキーノはジャムのあった位置へと手を差し伸べたが、既に何の手応えもなく、ただ虚しく空気を掴むのみであった。
コンコンチキを先駆けに飛ばして、キーノたち
数え上げてみれば生き残った子どもは百五十名と少しで、オークネイス前市長の見積もりは甘かったようだ。逆に言えば、今少しキーノたちの行動開始が遅れていれば、すべての子どもを食べ尽くしたマルタンが思わぬ行動に出ていた可能性もあった、ということになろう。
子どもたちを引き連れての旅は、キーノたちも中継点とした宿場町までも五日の旅となり、最初の一日目は糧食もなかった。
自分たちが遅かれ早かれマルタンに脳を
宿場町には、温かい食事と
聞けば、コンコンチキから顛末を知らされた新市当局が
正直なところキーノは、一番最初に
無論これには、彼女が制圧なった市庁舎前で
が、キーノがこれを自身の功と誇ることはなかった。
むしろ彼女は、今回の一件に学び、一層自身の活動を陶冶すべきである、とすら考えていた。
*
「……ということがあってな。」
「ふーん。」
大陸北西遥か彼方、アーグランド評議国のとある
大魔王アインズ・ウール・ゴウンは、いつものように前触れもなくふらりと現れて、転寝していた友ツアーに、世界
アインズの情緒的な部分を支えるのは主に愛妃アルベドの任とするところで、彼が心に何かもやもやとしたことを
が、今回は
さりとて、どうにももやもやとしたものが晴れないのも事実なので、仔細を忘れてしまう前に、とツアーの元を尋ね問われず語りに語った、といったところ。
「何と言うか。」
こいつはどんな反応を示すだろう、と期待半分、不安半分のアインズはない耳を傾けた。
「キミたちは存外ボクの娘を好き勝手に使ってくれるものだね。」
……そこかよ!
「おまえはそう言うが、これはオレたちなりにコニーに気を遣ってのことなんだぞ。」
「?」
ツアーは、なんでやねん、という顔をしている。
「オレは時折あいつのところに顔を出すが、決まって別れ際の言葉は……」
と、アインズは舞妓のように
「……既に子を得よう、などという歳でもないが、さりとて独り寝が寂しい夜もあるぞなもし。それともアインズさん。そなたが
ツアーから見たそれは下手糞な盆踊りだ。
アインズの動きにウケたのか、言葉の
「実際、あいつのところから戻って来たセバスは頬が痩せこけて見るも無惨な有り様だった。おまえに対してもそうだが、オレは貸し借りが一方に傾くのは好まんから、コニーにもこちらの
「なるほど、それはセバスには悪いことをしたね。」
どこまで本気で言っているのかは不明瞭ながら、ツアーはそんなことを言う。
「気にする必要はない。あいつも役得と思っていなくもなかろうし、これを仕組んだデミウルゴスは終始上機嫌で自室に籠もって床をバンバン叩きながら笑い転げていて、
ちなみにデミウルゴスはセバスとコニーの情事をまたぞろワケのわからん手段で録画していたようだが、なんなら届けさせようか?」
「冗談はよしてくれ!」
ふんっ、とツアーは鼻息を吹いて、アインズはハハハッ、と愉快げに笑った。
「で。」
やおら口調が真面目に転じたツアー。
「そのプレイヤーは……どうなったんだろう?」
ツアーにとっても、プレイヤーが戦闘によって打ち倒されたわけでもないのに透けて見えるようになってそのまま消えた、という話は興味関心を惹くらしい。
「まぁ、ああなるだろう、と予想はしてたんだが。
正直なところ……わからん。」
「予想してた?わからない?」
どちらもツアーにとっては意味不明であるらしい。
「うろ覚えだがな。
あいつの
<すべての煩悩から解脱した彼は、最後に残った欲望、
一切衆生の救済を果たした暁に虚空へと溶けて消えるだろう。>
……だったかな。どんなに荒唐無稽なことであっても、ゲーム上意味がなく雰囲気を醸すだけのただの言葉であっても、フレーバーテキストに書かれていることはこちらの世界で現実になる。あいつにとっちゃ、自分で片をつけた友人、そいつがおやつに集めた孤児の解放、が心残りのすべてだったんだろうな。
あいつが殺した仲間は
「それで予想していた、と。
どうなったかがわからないのは、ユグドラシル的には<虚空へと溶けて消える>が無定義だから、ということだね。」
「流石だよ、ツアー。呑み込みが早くて助かる。
とにかく、あいつはユグドラシル的には死んではいないからな。何かの拍子に戻って来ないとも限らないから、ナザリックの記憶にはあいつの外見、能力、事の経緯は残しておくが、まぁ、よもや役に立つ日は来るまい。」
「なるほど、よくわかった。」
と、ツアーは大きな竜の前脚を突き出してそう言うも。
「でも、ではアインズがどうしてボクを訪ねてきたのかがわからなくなる。」
ツアーとしては、アインズの関心事は、結局どうなったのか、再来の可能性も含めて不明瞭なジャムなるプレイヤーの去就であるように聞こえていたので、そこに問題を感じていないのであれば、ではアインズが何を論じたいのかがわからない。
そもそも、これまでに撃退されたプレイヤーにしても、
「それが自分でわかるくらいなら、煙たがられるのを承知の上でおまえの安眠を妨げには来ないさ。」
……安眠妨害だとわかってはくれているんだね。幸いだ!
とツアーは思うも、これは口には出さない。
「キミが必要以上に陽気に振る舞うのは、決まって何か不安があるときだ。」
「……素直には認め難いが、ツアーがそう言うくらいだからそうなんだろう。」
アインズは、言葉を濁しつつもツアーの指摘を素直に受け入れる。
「改めて、この世界においてユグドラシルプレイヤーが否応なく背負わざるを得ない宿痾に思いを馳せている、といったところかな?」
「あぁ、そうだな。そうかも知れない。」
そう応じたアインズは、しばし呻吟した
「ジャムに決して嫌な印象はなかったんだ。むしろ鉄道を敷設して運行を現地人に任せ、互恵関係を結ぶってのはなかなか巧みで感心すらしたさ。実際あいつはオークネイスの支配層からは敬意を以て遇されてたようだしな。鉱山が資金源、ってのは永続性に難ありではあるが滑り出しとしては上々で、オレはあいつとは大地溝帯を境に管轄を区切って、今後現れる無作法な
「まぁ、キミからしたら、彼らが多少人間、亜人の子どもを喰らったとて知ったことではないよね。キミとてそこについては偉そうなことは言えないのだから。」
「そういうことだ。だからオレには、ジャムに追い込みをかける理由なんて一切なかった。」
ちなみに。
オークネイスの
一方で、デミウルゴスはまったくの嘘だと思ってこれをやっていたわけでもない。彼は、ジャムの企図が<
「あいつは頭がキレるから、
「裏目かなぁ?結果良ければ、という気がしなくもないが。」
「あぁ、そこもおまえの言う通りかもしれん。いや、実際そうだろうよ。」
同意しつつもアインズには何か引っ掛かりがある様子。
「本質的にはジャム自身の問題だ。こればかりは断言できんが、<
一方でその少年の
「何と言うか……救いのない話だね。」
と、溜息混じりのツアー。
「連中の自業自得だ、と言ってしまえばそれまで、なのはそうなんだよ。オレが何もしなくても、きっとあいつらは遅かれ早かれ破綻する運命だったんだろうな。
だがな。」
アインズは一旦言葉を切り、今一度考え込む様子を見せた。
「仔細はともかく、連中の<
だが、ジャムにせよマルタンにせよ、中の人そのものではなく、むしろ直接には関係がない。
ジャムは
逆にマルタンは、元からジャムの好意に付け入って手段化してたのはそうだろうが、どこまで悪辣だったかはわからん。ジャムがこいつに恋していたのは事実なんだから、うまく立ち回ってたんだろうが、むしろ
ツアーは黙り込んだままアインズの話に耳を澄まし続けた。
「問題はな。
オレ自身もそうだが、こちらに渡り来たユグドラシルプレイヤーの主観では、ユグドラシル時代の記憶とこちらに渡って来て以降のそれはひと続きに繋がっていて、今でもオレはほんの半年前までは人間、モモンガの中の人だった気分が抜けないんだが、それを振り返っているオレは、間違いなく今ここにいるオレ、アインズ・ウール・ゴウンなんだ。オレは昔からずっとこうだった、こう考え続けてきた、と直感的には思えてしまう。
だからジャムは、きっと自分のことをマルタンに手を出すことなく優しく見守って来た純愛の紳士で、ユグドラシルのサービス終了日に勇気を振り絞って
「つまり。」
と、ツアー。
「図らずもキミは、彼らの成り立ちに思いを馳せた挙げ句……自分自身の成り立ちを疑わしく思えてきてしまったわけか。頭が良過ぎるのも考えものだなぁ。」
呆れた口調でそう言えば、
「うーむ……頭が良過ぎる、というのはともかく、当たらずとも遠からずといったところかなぁ?
正直、どうして自分がこの一件以降、こうもモヤモヤ感じるのかはよくわからないんだよ。」
アインズの口調は俄に柔らかくなり、スズキサトルの
一方でツアーは、アインズがまさに、そのスズキサトルの
まったく……世話の焼ける骸骨だな。
そう思わなくもないツアーではあったが、同時に、この比類なき大魔王が、アルベド、デミウルゴス、パンドラズ・アクターといったナザリックの誇る
「ボクはユグドラシルプレイヤーではないからね、その実のところに思いが及ばないのは事実だ。」
と、まず断りを入れた上でツアーは言う。
「しばしばボクら
この世界の
「<永い眠り>から醒めたとき、これはボクの主観からすると日常の惰眠と大差はないので、たちまちには長い時間が経ったことに気づかないんだよ。」
「そうなの?」
このツアーの告白に、アインズはきょとん、と驚いた様子を見せた。
「では何故自分が<永い眠り>に堕ちていたと気づくか、と言えば、訪ねてくる評議国代議員の顔触れがすべて知らない顔に入れ替わっているからだ。どれだけ長寿の種族でも、ボクが眠っている間に死んでしまうからね。」
ツアーが永年評議員を務めるアーグランド評議国においては、傘下の各種族から選出された代議員たちが、定期的に評議員たる
「あぁ、なるほど。そりゃそうなるわな。」
「で、馬々鹿々しくは思いつつも彼らに初対面の挨拶を交わして、ところでボクはどのくらい寝ていたの、と尋ねて初めて自分がどのくらい寝入っていたのかを知るわけさ。」
「……なんというか、おまえららしい、っちゃーらしい話ではあるわな。」
と、いささか呆れ気味のアインズ。
「でも、最近になって気づいたんだが、どうもそういう
「……?
どういうことだ、それ?」
「なーに、
ボクが<永い眠り>に堕ちていたと気づくのは、評議国代議員の顔触れが一気に入れ替わったことに気づくからだが、ボク以外の評議員たちはボクの知る限り代議員の名前と顔を憶えていない。」
いつものように、アインズの骨の口がパカリと
「……はぁ?」
「より正しく言うならば、寿命の短い人間、亜人との関係性に重きを置いていない、というべきかとは思うが、そういう具合だから、自分が<永い眠り>に堕ちていたと気付かない
まぁ、
ハハハッ、とアインズは笑った。
「そりゃ傑作だな!」
「キミのことだ。既にボクの言わんとするところには気づいているだろうが……」
「よしてくれ、ツアー。そういうデミウルゴスみたいな物言いは!
是非、おまえの言葉で聞かせてくれ!」
と、上機嫌なアインズ。
やれやれ、とツアーは話を続ける。
「つまるところ、ボクが自身が<永い眠り>を挟んで存在し続けていることを知るのは、もちろん一貫した記憶が続いているから、というのもあるが、むしろ周囲との関係性が大きいということだよ。都度それが
どうだいアインズ?キミたちの<
「……な!」
と、アインズは息を呑んだ。
「
彼ら自身、そんなことを自覚的に思い悩むのは余程の変わり
目を覚ましてそれを告げる
こくこく、と頷くアインズ。
「キミたちユグドラシルプレイヤーの場合、つまりこの話の睡眠がこちらの世界への転移に相当する。
そして、プレイヤー主観で一貫して感じられる記憶が、実は
一方で、キミたちの記憶は、限定的ではあるがユグドラシル以来の他者との関係性を正しく記録したものであり、キミを支える至高の四十一人の事績然り、忠実なる
決してキミを擁護して言うわけではないが、そういう意味で、キミ自身既に気づいているように、キミの介入、無介入に関わらず彼らの運命は決していたし、それを以てキミがキミ自身の記憶に不安を
自身、いささか詭弁に過ぎるかと思いつつそう言い切ったツアーには、この時点では、よもやこれからたったの八十年後に、自ら語ったこの枠組みを揺るがす
一方のアインズは、何かが吹っ切れたものか「流石はツアーだ、面白いことを言う、切り口が斬新だ!」と大いに感心して、意気揚々とナザリックへ帰還の途についた。
*
これから三ヶ月の後、鉱山から供給されていた維持資金を断たれた
同時に、
オークネイスの
拠点崩壊を察知したナザリック地下大墳墓は速やかにその制圧に乗り出し、大魔王アインズ・ウール・ゴウンは定石に従って最早従うべき
当然のことながら何よりも貴重な<
拠点内からは夥しい数の頭蓋を割られ中身を
対してマルタンは玉座の間
ナザリックによっておこなわれた後始末はこういったものだったので、現地人に供された蒸気機関に潜んでいた
キーノ・インベルン率いる<黒の
かくして世界はひとときの平穏を取り戻した。
まったく想定外の来訪者を得て、でありながらこちらの世界の原住民たちが誰一人知らぬままにトンデモない事態が進行するのは、これより八十年ほど先の話となる。
完
<次話予告>
足掛け四千年に及んだ大長編、終に完結。
「そいつは世界を
頼むから、今すぐそいつを消してくれ!」
完結話『
「アインズが虚無に堕ちることは、このボクが望まない。
アインズはボクの大切な友人であり、ボクにはかつてアインズが一人で
ツアーの口が大きく
「その借りを返すときだ!」
二月吉日公開予定。