億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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黒い禁忌(タブー)(2)

「それでは……緊急の三賢者会議(トリニティ)を開催いたします。」

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層(ロイヤルスィート)円卓の間。

 かつてのギルメン、至高の四十一人を憚って常には用いられることのないこの部屋に(つど)うは、守護者統括アルベド、参謀デミウルゴス、財務責任者パンドラズ・アクター、知性値最大(カンスト)のいわゆるナザリックの三賢者(トリニティ)

 至高の主、我らが大魔王アインズ・ウール・ゴウンの姿はない。

 

「まずはアルベドから経緯の報告を。」

 

 デミウルゴスが緊急会の開催宣言に続いて報告を求めると、女淫魔(サキュバス)アルベドは常ならぬ重苦しい口調で語り始めた。

 

「昨日の午後、ナザリック上空に白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアー、その本体が突如飛来。(わたくし)を名指しして同行を求めた。この時点でアインズ様は行方知れず。ツアーがアインズ様の緊急事態とおっしゃるのを受け、その背に乗って向かった先はアゼルリシア山脈最高峰の(いただき)だったわ。」

 

「何でまた父上はそんなところに?」

 

 思わずパンドラズ・アクターがぽろりと漏らすも。

 

「ひとまずは黙って聞いてちょうだい。」

 

と、アルベドに窘められて口を噤む。

 

「……アインズ様と共にその場に居たのは、ツアーの孫にしてセバスの息子、正義白鉻の竜王(ジャスティスクロームドラゴンロード)タッチと、頭から足先まで黒づくめ、一見人間種、女の、顔を隠したプレイヤーが一名。戦闘の形跡はなかったけれど隣接する峯が崩落していて、これはアインズ様がこの世界における位階魔法の効果の実演(デモンストレーション)としてプレイヤーに見せたものでしょうね。」

 

「そのプレイヤーは少なくとも敵ではない、と?」

 

 デミウルゴスの問いに、アルベドは言い淀んだ。

 

「……敵でない、はその通りだけど、正しくは、敵にしようがない、と言うべきかしら。

 アインズ様は<絶望のオーラ>全開状態で蹲っておられ、御身の無事を確認した(わたくし)は、即座に三日月斧(バルディッシュ)でプレイヤーの首級(くび)を狙ったのだけれど、まったく攻撃が通らなかった。(かわ)されたのでも受け流されたのでも耐えられたのでもなく、まったく無効だったのよ。」

 

「<黒衣(くろご)>……で御座いますな?

 よもや、一般のプレイヤー同様に渡り来ることがある、とは考えられなかったもので御座いますが。」

 

と、意を解したのはパンドラズ・アクター。

 <黒衣(くろご)>とは、ユグドラシル<運営>が主にプレイヤーからの要求に応じてユグドラシル内部から不具合対応(デバッグ)をおこなう際に用いられた特権的な化身(アバター)で、仕様上プレイヤー、NPCとは戦闘行為そのものが成立しない。

 

(わたくし)はタッチが割って入ることを覚悟の上で仕掛けたのだけれど、彼は身動(みじろ)ぎひとつしなかった。既に事情を承知していて、ユグドラシルNPCである(わたくし)の攻撃が一切無効であるとわかっていたのでしょうね。」

 

「つまり……」

 

 デミウルゴスが、俯き加減に眼鏡の(ブリッジ)に人差し指を当てる。

 

「……アインズ様は<黒衣(くろご)>の身柄をタッチに預けようとなされた、ということだね。」

 

「正確なところはアインズ様に伺わなければわからないけれど、(わたくし)もデミウルゴスの言う通りだと思うわ。一見奇妙な会合場所も、アインズ様が(わたくし)たちがこの一件にかかわるべきでない、とお考えになったからなのでしょうね。」

 

 (つど)う三人はそれぞれに、むむむ、と唸った。

 至高の主がそう考えるのは当然、といえば当然ではあるが、さりとて、相談されることがなかったことについては忸怩たる思いもある。

 

「……ここからが本題よ。」

 

 アルベドはそう言葉を切って、二人の同僚の注意を喚起した。

 

「私が駆け付けた時点で、畏れ多いことながらアインズ様は錯乱状態に陥っておいでだったわ。たちまちに(わたくし)に縋りつかれ、まるで怖い夢をみた幼児のように震えておいでだった。ナザリックに帰投の後は(わたくし)女淫魔(サキュバス)の力で御慰め申し上げ、今は自室で仮初(かりそめ)のお休みをとっておいでよ。」

 

 常であれば、このような物言いをすればアルベドはたちまちに愛の妄想に陥って心ここに在らずになりそうなものだが、今日に限っては彼女は怜悧を保っている。

 

「タッチが言うには、きっかけは<黒衣(くろご)>、裏方(うらかた)黒子(くろこ)がアインズ様を、クシキノミヤサマ、と呼んだ直後から、アインズ様の様子がおかしくなったそうよ。

 ただならぬ事態と判じた彼は、慌ててツアーに我々の<伝言(メッセージ)>に相当する始原の魔法(ワイルドマジック)で連絡を取り、同じく事態を重く見たツアーは大急ぎでナザリックに駆けつけてくださった……ということになるわね。」

 

「クシキノミヤサマ……とはいったい?」

 

 パンドラズ・アクターが、ぽかん、とした様子で首を傾げる。

 

「ティトゥスに最古図書館(アッシュールバニパル)の蔵書を当たってもらったわ。その名は<現実(リアル)>の百科事典から容易に見つかった。

 九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)。2097年生まれ、日本の皇族。出生時の名は九条稀人(まれと)。ユグドラシル終了時点で在位していた天皇の曽祖父の弟の孫。父の代で皇籍離脱して九条家を興したが、2117年稀人(まれと)が二十歳の折、ときの皇太子とその弟が共に爆殺されるテロがあって、その子……ユグドラシル終了時在位していた天皇だけれど、これがまだ九歳だったことから、他にある男系唯一の男子であった稀人(まれと)を擁して九識宮家(くしきのみやけ)が創設された……ということみたい。」

 

 知性振り切り(カンスト)とは言え、元を質せばゲーム上(ユグドラシル)のNPCに過ぎない彼女らの<現実(リアル)>の理解は、同様に百科事典的な記載の羅列のみに依っている。しばしば彼女らは人間の識者であっても舌を巻くような本質を衝いた<現実(リアル)>観を語ることがあるが、これは、そういった百科事典的な知識に彼女らの知性が外挿(がいそう)したものに過ぎず、でありながら、それは彼女らにとっては自明の真理でもあった。

 

 二十二世紀の日本は、実態としては列島各所に散在するアーコロジーが極めて独立閉鎖的に機能する一方、日本国としての名目上の体裁は二十世紀中葉に成立した憲法の体制を引き継いでいた。アーコロジー間の交流が、その効率上の問題から情報、物資に限定され、人的移動がほぼないに等しいこの時代において、変わらず日本国統合の象徴とされた皇族は例外的な存在だった。各アーコロジーは、実質的には企業連合体として独立国に近い振る舞いをおこないつつも、皇族の行幸を迎えて自分たちが日本国を構成する一部なのだ、と再確認することを好んだ。

 そんな彼らは、アーコロジーから締め出され過酷な環境に甘んじる他なかった下層民、特にその内部での権力闘争を過激な行動によって勝ち抜こうとする一部の(もの)からすれば格好の(まと)であり、今アルベドから語られたところの2117年のテロ事件も、そういった文脈から生じたものであった。

 ときの皇太子が兄弟諸共に暗殺されるなど、いったい日本の危機管理(クライシスコントロール)はどうなっているんだ!と嘆きたくもなる話ではあるが、当時の日本国政府、各アーコロジーの実質的支配者たちに、皇族を政治利用する動機はあってもその安全を確実にする動機はあまりなかった。むしろこの事件は、アーコロジー住民の外部下層民に対する差別感情を煽る分断政策に大いに利用されたものであり、表向きには逮捕処刑された人物が果たして真犯人であったや否やも過分に怪し気な話ではある。

 

「その九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)……(さま)、が父上、であると?

 では(わたくし)は、父上を殿下、とお呼び申し上げるべきなんでしょうか?」

 

「冗談はやめて!」

 

 アルベドは屹っとパンドラズ・アクターを睨みつけた。

 

「事の真偽はともかく、アインズ様がそれをお望みになるようであればこんなことにはなっていないでしょ!」

 

 言われたパンドラズ・アクターは、しゅん、としている。

 

「少なくとも、ユグドラシルプレイヤーの個人情報にアクセスの権を有していた裏方(うらかた)黒子(くろこ)は、アインズ様……ただしくは彼女が知っていたアインズ・ウール・ゴウンのモモンガ様を、九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)、と認識していたことは確かだわ。」

 

「電脳関連の法令により、ユグドラシルを含むネット上のサービスを利用するに際し生体認証による個人特定が義務付けられていたはずだから、裏方(うらかた)黒子(くろこ)とやらがプレイヤーの<現実(リアル)>での実名を誤ることはほぼあるまい。」

 

 そう言うデミウルゴスには、こちらも常とは異なりまったく表情がない。

 

「そしてここからが核心なのだけれど。」

「まだ何かあるのですか!」

 

 アルベドの前置きにパンドラズ・アクターが驚きの声をあげるも、アルベドは取り合わない。

 

「九条稀人(まれと)には、夭折した歳の離れた腹違いの弟がいて、その名が(さとる)稀人(まれと)にとっては継母となる女の旧姓が……鈴木、なのよ。」

 

「「!」」

 

 デミウルゴス、パンドラズ・アクターが声をまったく漏らさず、でありながら驚く様子を見せた。

 

「……そんな偶然、あり得ますでしょうか?」

 

 辛うじてそう問うパンドラズ・アクターに、悲しそうにアルベドが応じる。

 

「偶然のはずがないでしょ。つまり……そういうことよ。」

 

「アルベド!」

 

と、突然強い口調でその名を呼ぶデミウルゴス。

 

「何か……貴女(あなた)は何か隠しているね?」

 

「……何のことかしら。」

 

 敢えて涼しげに応じるアルベドに対し、デミウルゴスは食い下がった。

 

「とぼけるのはよしたまえ。情報源(ソース)、だよ。

 よしんば<現実(リアル)>の百科事典に九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)なる人物の情報はあっても、世に知られる前に死んだ弟の名や、ましてや継母の旧姓が記されていようはずがないではないか。」

 

 言われたアルベドは唇を噛む。

 

「……デミウルゴスに隠し事はできないわね。」

 

 しばしアルベドは立てた人差し指を唇に当て、呻吟する様子を見せた。

 そして、明朗な口調でこう言う。

 

「本当はあなたにだけは伝えたくないの。でも、あなた自身が調べれば結局は行き当たることだから話すけれど、話すまえにひとつだけ約束してちょうだい。」

 

「言わずともわかる。

 三賢者(トリニティ)の合議なくしてアインズ様に伝えるな、だろう?

 もちろんだとも。」

 

 やはりデミウルゴスは、何の感情も垣間見せない能面でそう応じ、アルベドはこれに納得した。

 

「実物が読みたければ自分で最古図書館(アッシュールバニパル)に行きなさい。私の意図を先読みしたティトゥスに持ち出しは拒否されたわ。」

 

九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)、について書かれた他の書籍があったのだね?」

 

最古図書館(アッシュールバニパル)司書たちの酔狂がなければ絶対に辿り着けなかったはずだわ。書籍の名は『別冊黄金郷、実録日本の禁忌(タブー)』。暇を持て余した司書たちが収録記事表題に至るまで目録化していたせいで発見に至ったものよ。」

 

「ふふ、彼らの益体もない努力が意外な成果を生むこともあるのだね。」

 

 ここに至って、初めてデミウルゴスは薄い笑みを浮かべたがそれはすぐに真顔に戻る。これを確認した上でアルベドは説明を続けた。

 

「記事の表題は『幻の殿下、九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)』で、有り体に言えば露悪趣味的な(ゴシップ)記事の(たぐい)で文体も扇情的なのだけれど、存外内容はまともで、色眼鏡を外して読めば九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)に関する、他者が知り得る情報のほぼすべてが網羅されているの。夭折した弟とその母の話もここに書かれていたもの。」

 

「して……殿下はいかな御仁、と書かれているのですかな?」

 

 興味深そうにパンドラズ・アクターがアルベドの顔を覗き込んだ。

 覗かれた方としては、すでにパンドラズ・アクターが、殿下、と口にする敬意が創造主に向かっているのが否応なくわかるので、いささか心中複雑だ。

 

「……これもどこまで真実であるかはわからないし、原理的に(わたくし)たちにはそれを評価する手段がない、ということを理解した上で聞いてちょうだいね。

 九条稀人(まれと)の対外的なキャリアは十九歳のとき、大学在学中に立ち上げたコンサルティングファームに始まるの。」

 

「……それはまた!」

 

 嬉しそうなパンドラズ・アクターを無視してアルベドは語り続けた。

 

「二十歳で九識宮家(くしきのみやけ)が創設されて以降も、二十四歳までいくつかの事業の立ち上げに名前を連ねている。でもこれは彼の活動のほんの一面でしかなくて、三十余冊の著作があって一番最初のものは十七歳のときに公刊されているわ。これらについては最古図書館(アッシュールバニパル)の書庫からは見つかっておらず、問題の記事から表題が知れるのみだけれども、内容は要約不能ね。いずれも正統学問では評価されようもない学際的なものばかりで、しかもすべて異なる名義で発表されている。これが同一人物の手になるもの、とわかるのは、この記事の著者がそれを独自に調べ上げたからよ。」

 

「いやいやいや!」

 

 と、パンドラズ・アクター。

 

「ちょっと待ってください、アルベド。

 俄かに信じがたい超人(スーパーマン)ぶりですが……仮にそれが父上の前身であるとして、ですよ。

 なんでまたそんな御方が……ユグドラシルなんぞに耽溺されたんでしょうか?」

 

「そこよ。」

 

 アルベドは怜悧な表情を崩さずにそう応じる。

 

「二十八歳の九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)は、隠居を宣言してすべての事業、著述活動から身を引いてしまった。以降の消息は(おおやけ)にはなっていないわ。これは、謀殺された皇太子の長男、後に天皇になった男だけれど、彼が十八歳に達し立太子したことを受けて、と一般には理解されていたそうよ。」

 

「2126年。」

 

 と、たちまちに含意を看破してみせたのはデミウルゴス。

 

「……ユグドラシルのサービス開始の(とし)だ。」

 

「流石ね、デミウルゴス。私もそれで間違いない、と考えているわ。」

 

「で……アルベドがこれを私から隠そうとした理由は何なのかね?いや、言わずともわかる。

 この記事の……執筆名義だ。」

 

 はぁ、と溜息をつくアルベド。

 

「……覚悟をして聞いてよ。」

 

と前置きし、アルベドは驚愕の名を告げる。

 

「な……なんですと!」

 

「あなた……これをアインズ様に知らせたい?」

 

 デミウルゴスは顔色を失ったまま言葉を返さなかった。

 しばしの沈黙。に()えかねたものか、パンドラズ・アクターが、ぽそり、と一言(ひとこと)

 

「で……どうしましょう、これ?」

 

「悔しいけれど。」

 

 両膝の上で白魚のような指を血が滲まんばかりに強く握りしめたアルベドが答える。

 

「アインズ様のご親友のお知恵を借りないわけにはいかないようね。」

 

 

                    *

 

 

「アインズについては、もう何を聞かされても驚かないつもりだったんだけれど。

 流石にこれは驚くね。」

 

 ナザリック地下大墳墓第六階層(ジャングル)、ツアーお気に入りの巨木の木陰。

 

 アルベド、パンドラズ・アクターは、至高の主の無二の親友である白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツァインドルクス・ヴァイシオンのもとを訪れた。

 ツアーは、アルベドに縋りついたままのアインズを二人共に自身の背に乗せてナザリック地下大墳墓へ送り届け、その(のち)はアインズの身を案じてシャルティアに乞うてここ、第六階層に招き入れてもらってアルベドたちの協議が終わるのを待っていたものだ。

 

「ツアーもそう思われますか!」

 

 アルベドから一通りの説明を受けてツアーが発した言葉に、パンドラズ・アクターは嬉しそうにそう応じたものだが、これにツアーは胡乱な視線を返す。

 

「……いや。

 多分、パンドラくんが思っているのとボクのそれは違うような気がする。」

 

「そう……で御座いましょうか?」

 

 首を傾げつつツアーの顔を覗き込むパンドラズ・アクター。

 

「こちらにやって来る以前のアインズの前身の<現実(リアル)>における社会的地位、なんてことにボクは興味がないよ。

 そもそもアインズのモノの考え方やここぞというときの(はら)の座り様は、至高の四十一人の記憶の支えがあるにせよ、とても本人が繰り返しおどけて言うような、幼年学校を出ただけ、とか、ただの物売り、のものではなかったし、仮にそうであったとしたら、そんな(もの)にタブラくんや朱雀くんの遺した知識、ぷにっとくんやベルリバーくんの知恵を十全に活用できようはずがないだろう?もともと可怪(おか)しいな、きっと何かあるんだろう、とは思ってたんだ。」

 

「……まぁ、それはおっしゃる通りで御座いますが。

 では、ツアーは何に驚いてるんです?」

 

 パンドラズ・アクターのこの問いに、ツアーは一瞬躊躇ってからこう言った。

 

「よもや……スズキサトルくんも。」

 

 今一度の()

 そして。

 

「アインズの……化身(アバター)のひとつだったとは。」

 

 この言葉にパンドラズ・アクターは、(はた)から見る分には黒い点でしかない目と口を大きく(ひら)いて痙攣させた。

 

「やはりツアーもそこが問題だ、とお考えですか?」

 

と、不安げな表情で問うたのはアルベドだ。

 

「アインズは、当人はその自覚にいささか欠けるところがあるが、無駄に頭が良過ぎるからね。

 何だったっけ?……そう、クシキノミヤサマ、と黒子とやらがアインズを呼んだ時点で、一息にすべてを理解してしまったんだろう。困ったものだ。」

 

「うーむ、やはり(わたくし)には、どうして父上がそこに錯乱するほどの衝撃(ショック)を受けられるのか……理解が及ばないのですが。むしろ、これは見事なまでの貴種流離譚で、喜ばしいことではないのですかな?」

 

 そう問うパンドラズ・アクターにツアーは、やれやれ、といった感じの視線を向けた(のち)、ボクから話してしまっていいのかい?と問いたげにアルベドに目配せをした。

 これに黙って頷くアルベド。

 

「……いいかい、パンドラくん。キミがそう思うのは、クシキノミヤ、とやらが敢えて無邪気で無欲な少年、として演じたスズキサトルの性向を強く受け継いでいるからだよ。自分が実はやんごとなき生まれで、ある日突然それが明かされ晴れ舞台に登る、なんていうのは、誰しもが少年の頃に思い描く夢想のひとつで、パンドラくんにとっても自身の創造主がそうだ、というのは喜ばしいことなんだろう。それはそれで間違ってはいない。

 が、アインズ自身にとってはいささかわけが異なる。これまでアインズを支えてきたのは、もちろんキミたちの存在が第一にあるが、より本質的には、ユグドラシル時代を共に過ごした至高の四十一人の仲間たちとの記憶だ。しかし、実際に至高の四十一人と相対(あいたい)したのは、スズキサトルくんなんだよ。わかるかい?」

 

「スズキサトル様は……父上で御座いましょう?」

 

「その通り。だが、アインズは気づいてしまったのさ。

 そのスズキサトルが、実はクシキノミヤが徹して演じた化身(アバター)であった、ということにね。つまりこれは、アインズにとっては至高の四十一人に対しての……」

 

 ここでツアーは今一度言葉を切ってアルベドの表情を伺った。

 アルベドは今にも泣きだしそうな辛い顔を隠しもしなかったが、それでも涙を流すことは(こら)えてツアーに向かって深く頷いた。

 これを見たツアーは、敢えて言葉を継ぐ。

 

「至高の四十一人に対しての……裏切りなのさ。」

 

 しばしの重苦しい沈黙。

 

「まぁ、理解は理解として、だ。」

 

と、ツアーが再び口を(ひら)く。

 

「もっとも楽観的な考え方をすれば、半年もすればアインズはこの出来事を忘れるだろう。だからそれまでじっと待てばいい、というのも一案ではある。」

 

 これに対し、アルベドは潤んだ目で首を横に振った。

 

「……あぁ、そうだね、アルベド。

 きっとアインズはこのことをずっと考え続けるから、何故自分がそんなことを思い悩んでいるのかはそのうち忘れてしまうだろうが、自分が至高の四十一人を裏切ったのだ、という思いだけは(いだ)き続けるだろう。それはキミたちにとって、またこの世界に生きるすべての(もの)にとって決して望ましいことではない。」

 

 そう言ってからツアーは、ぷるぷる、と首を振った。

 

「いや、今ボクは嘘をついた。」

 

 これまでお気に入りの木の下で微睡みの姿勢を取っていたツアーが、俄かにその巨体を起こして立ち上がる。

 

「キミたちがどう思おうが、この世界の有象無象がアインズに滅ぼされようが、そんなことはボクの知ったことではないんだ。」

 

 そう言い切ったツアーは、バッ、と巨大な翼を左右に(ひら)き、巻き起こった風がアルベドのつややかな黒髪とパンドラズ・アクターの軍服の裾を棚引かせる。

 

「アインズが虚無に堕ちることは、このボクが望まない。

 アインズはボクの大切な友人であり、ボクにはかつてアインズが一人で(かか)え込むには余りにも大きな葛藤(ジレンマ)(かか)え込んだ際、眠りこけていて寄り添えなかった前科がある。今こそ……」

 

 ツアーの口が大きく(ひら)き、第六階層全体に響き渡る咆哮をあげた。

 

「その借りを返すときだ!」

 

 この言葉に、ついに感情が振り切れたアルベドが大粒の涙をぽろぽろと零し始めたのに気づいて、慌ててツアーは身を低くして顔をアルベドに近づけた。

 

「泣かないでおくれ、アルベド。まだ、キミの助けが必要だ。まずは種明かしをしてもらおう。」

 

 アルベドの涙でいっぱいの瞳が自身を捉えるのを認めてツアーは問うた。

 

「いや、概ね察しはついている。どうして遥か昔に<現実(リアル)>との接点を失ったナザリックにおいて、クシキノミヤなる人物の仔細を知ることが叶ったのか。それは太古図書館(アッシュールバニパル)にその人となりを記した書物があったからだ。そうだね?」

 

 涙を拭いながらアルベドはこれに大きく頷く。

 

「だが、これは偶然にしては出来過ぎている。

 ボクがアインズから聞かされた至高の四十一人、誰を思い浮かべても、<現実(リアル)>の支配者の噂話(ゴシップ)などに関心を寄せそうな(もの)はいない。書物のほとんどは、彼らの趣味的な知識や娯楽的な物語で占められていたはずだ。その中に、異色のそれが埋もれて混じっていたことには意味がある。」

 

 アルベドに加え、パンドラズ・アクターもこくこく、と頷く。

 

「そしてそれは……今ここにデミウルゴスがいないことと関係があるね?」

 

参謀殿(デミウルゴス)は今、まさに太古図書館(アッシュールバニパル)でその書物を読んでおるはずで……」

 

 そう告げるパンドラズ・アクターに、

 

「既に読み終えたよ。」

 

と、涼やかな声で割り込んだのは、遅れてやって来たデミウルゴスであった。

 ツアーは、敢えて何でもないかのような素振りで軽く前片脚を挙げて会釈する。

 

「やぁデミウルゴス、お久しぶり。」

 

「このたびツアーにはアインズ様の窮地に駆けつけてくださり、御礼の申し上げようもありません。」

 

 対するデミウルゴスは腕を胸の前で折って、白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)に軽く礼を捧げた。

 

「ボク自身の友人のためだ。」

 

と、事も無げに応じるツアー。矢継ぎ早にデミウルゴスに問う。

 

「で……キミの所見を聞かせてくれるかな?」

 

 問われたデミウルゴスはしばし呻吟する様子を見せたが、やがて左右に手を(ひら)いて朗々と語った。

 

「問題の記事は、一見して皮肉と哄笑に溢れ、知性に劣る(もの)がこれを読めば、書き手がやんごとなき身分の(もの)に対する読者の冷笑を誘うべく書いたもの、と読めることだろう。」

 

 ツアーは正しくデミウルゴスの言葉の含意を見抜いた。

 

「だが……実際には違うのだね?」

 

「ご明察です。書き手の背景調査にかけた熱量は尋常なものではなく、あらゆる行間に、九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)殿下に対する深い畏敬の念が、愛が……溢れたものだった。文面に現れる冷淡さは、それを自覚する書き手の……照れ隠し、であるに違いない。」

 

「なるほど……。

 で……書き手の名は?」

 

「アルベド。」

 

 突如デミウルゴスはアルベドに問い掛けた。

 

「ツアーにはどこまで話したのかね?」

 

九識宮(くしきのみや)稀仁(まれひと)様について書かれた書籍が太古図書館(アッシュールバニパル)に見つかった……そこまでよ。」

 

 ハッハッハッ、と(わら)うデミウルゴス。

 

「ツアー、あなたの聡明さには私ですら舌を巻くよ。」

 

 ツアーは大きな手の平をひょいひょいと振る。

 

「世辞はよせ、デミウルゴス。

 で、書き手の名は?」

 

 この問いにキリッ、とデミウルゴスの表情が引き締まった。

 しばしの呻吟。やがて意を決したように、その名が告げられる。

 

「記事署名には。

 麗部(うるべ)(おどる)……様と。」

 

「……キミの判断は?」

 

「疑いなく。

 我が創造主、ウルベルト・アレイン・オードル様……の手になるもの、で間違いない。」

 

「ボクがアインズから聞いたウルベルトくんは、自分で書いたものを太古図書館(アッシュールバニパル)に自ら忍ばせるような人物には思えない。デミウルゴスもそう考えて、誰がその書物を太古図書館(アッシュールバニパル)に収めたのかを調べたね?それは誰だい?」

 

「……当ててみたまえ。」

 

 ツアーは、確信をもってアインズのかつての友の一人の名を告げた。

 デミウルゴスは視線を逸らして唇を噛む。

 

「……お見事です。」

 

「この勝負、勝った!」

 

 やおらツアーは力強くそう断言するも、屹っとデミウルゴスはツアーを指差す。

 

「待ちたまえツアー。大枠においては私もあなたの考えにまったく同感だが、<アインズ・ウール・ゴウンの日誌(ログブック)>閲覧許可の権をアインズ様が独占されている以上、我々には事前に万が一の危険がないかを確認する(すべ)がない。」

 

「……デミウルゴスは勝算を如何程に見積もっているんだい?」

 

「九対一、で勝ちだ。」

 

「では勝負すべきだろう?」

 

 突如としてデミウルゴスが髪を振り乱して叫んだ。

 

至高の主アインズ・ウール・ゴウン様と我らがナザリック地下大墳墓の命運を、獣(ごと)きに賭けられてかーーーッ!

 

 ()てつく空気。

 しばしの()

 

 意外にもこれを()かしたのは、場を凍らせたデミウルゴス本人だった。

 

「……これは失礼を。(わたくし)としたことが感情を抑えることが叶いませんでした。」

 

 そう言いながら、ぺこり、と一礼。

 応じるツアーに(わだかま)りはない。

 

「無理もないことだ。キミの思いはわかっている……つもりだ。

 そしてボクもまた、今回の一件には一命を賭す価値がある、と考えている。」

 

「ツアー。」

 

 改めてデミウルゴスがツアーを仰ぎ見る。

 その姿勢は常になく真摯なもので、左右の手は体側に添えて指先まで真っ直ぐ伸ばされていた。

 

「アインズ様のためであればこの身を焼いて悔いない私ですが、こと今回の一件に関してだけは、私の言葉はアインズ様には届きますまい。なぜなら私はアインズ様の一部に過ぎず、只今のアインズ様は、アインズ様と対等に向かい得る(もの)の言葉を必要としておいでだからです。」

 

 そしてデミウルゴスは……ツアーの前に膝を折った。

 

「ツアーに、お願い申し上げます。

 どうか我が至高の主に……隘路から脱する一筋の光明を!」

 

 悪魔から捧げられた祈りにも似た声に、ツアーは優しい口調でこう返した。

 

「どうか立ってくれ、デミウルゴス。

 ボクは、アインズのことが好きな、彼の友の一人であるに過ぎない。」

 

 そして、大きな指先が跪いたままのデミウルゴスの肩に優しく触れる。

 

「キミと同様に……だ。違うかい?」

 

 しばしデミウルゴスは跪礼のまま動かなかったが、やおらツアーの指を取ってスッ、と立ち上がり、

 

「ここでしばしお待ち下さい。我らがこちらへやって来た直後、アインズ様がご自身の秘密にお気づきになられた経緯を記した日記を持って参ります。おそらくは御入り用かと。」

 

 これにツアーは満足げに頷きつつ、

 

「助かるよ、デミウルゴス。でも、ボクはキミたちの文字が読めないんだが。」

 

「もちろん代わって読んで差し上げますとも!」

 

 ニッ、と互いに笑みを浮かべて見つめ合う悪魔と竜王(ドラゴンロード)

 その隣で、不意にアルベドが片手を自身の耳に当てた。

 

「急いで、あまり時間はないわ。

 アインズ様が……お目覚めになったようよ。」

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