億劫のオーバーロード   作:wash I/O

15 / 144
転移歴604年。
水晶の塔事件から103年。


第8話 転移歴604年 死肉喰らい
14.死肉喰らい(1)


(あっま)

 ……これってこんなにクドかったっけ?」

 

 喫茶店の張り出し(カフェテラス)で、黒装束に頭からすっぽりと頭巾(フード)を被った女が、琥珀色の蜜のかかった白玉を頬張るや、そう叫んだ。

 

「そうなのか?

 

 ……確かに。こんなに濃い味じゃなかった気がする。

 同じ屋号だから同じ味かと思ったものだが。」

 

 向かいに座った、同じような恰好だが小柄な女がそう答えた。

 

不死者(アンデッド)になって味覚が変わっちゃったのかな?」

 

「いや、私はあの時分からそうだぞ!」

 

 流しの冒険者、キーノ・インベルンとクレマンティーヌはエ・ペスペルで見かけた二人の思い出の屋号に釣られて、懐かしの甘味を楽しもうとその客になった。およそ五百年前、エ・レエブルで大層繁盛していたそれは今日(こんにち)も存続しており、復興なったエ・ペスペルに支店を出していたのである。

 

 が、二人にとってはまったく関心の外のことにはなるが、この五百年の間のエ・ペスペルを含む自由都市群の経済的発展は凄まじいもので、今でこそやや成長が停滞気味でこそあるものの、そのささやかな成果の一つが精製糖が庶民に容易に手の届くものとなったことだった。

 かくして、甘味にも惜しげもなく大量の砂糖が用いられるようになったものだが、これが五百年前に木の実由来の蜜に舌鼓を打った二人の口には今ひとつ合わない模様。

 

「あ、伝統の味(トラディッショナル・レシピ)とかいうのがあるわ!」

 

 目聡く献立(メニュー)の片隅に懐かしの味を思わせる記述を見つけたクレマンティーヌが嬉しそうに言う。

 

「でも、阿呆みたいに高いわ。」

 

「構わんじゃないか、(かね)に困っているわけでなし。」

 

 注文を取った給仕は「お勧めするようなものではないですよ」と断りを入れたのだが、二人は敢えてそれを追加注文(オーダー)した。

 

「もぐもぐ……あ、この味だわ、懐かしぃー!

 ……でも、何か味気ないわ。」

 

「どれどれ……ホントだ。

 この味のはずなのに、何か物足りない。」

 

「最初からこっちにしとけばよかったかなー。」

 

「まったくだ!」

 

と二人は愉快に笑った。

 

 頭を冷やして考えれば、五百年を経て料理の味が変わっていない、と前提している方がどうかしていると言えなくもないが、永遠の時の彷徨(さまよ)い人である彼女たちにとって、そんなことは些末なことに過ぎない。

 

「ズルい。」

 腕組みをしての不満げな仕草(ジェスチャー)

 

 いつの間にやら双子少年忍者クゥイアとクゥイナが、やはり黒装束に地味な頭巾(フード)付き外套(マント)を羽織った出で立ちで二人の陣取った席の傍らに現れ、不平を述べる。

 

(おまえら……そもそも物の味がわかるのかよ?)

 

と思わないでもないキーノであったが、給仕を呼び寄せて安い方の当世風(モダン・レシピ)のそれを二つ注文して宛がった。

 

「で、首尾はどうだ?」

 

 言わずもがな、二人に期待されている仕事は、エ・ペスペルにおける噂話を中心とした情報収集である。が、いつもであればたちまちに何か言い出す二人……喋るのはクゥイアだけだが……が何も言わずに白玉を貪っている。

 

「どうした、目ぼしい話は耳にしなかったのか?」

 

 訝しげにキーノが尋ねると、クゥイナが黙ったまま何か粗悪な、でありながらきちんと四角四面(しかくしめん)に大きさを切り揃えられた紙束のようなものを差し出した。

 

「……なんだこりゃ?」

 

 そこにはキーノには頭の痛くなる細かな文字がたくさん書き込まれており、上部には一際目立つ大きな文字で、世界の南(シュ・ド・モンド)と題されている。

 

新聞(ジョーナル)。」

 

 そう答えるクゥイアの説明は今ひとつ要を得ないが、どうやらエ・ペスペルでは……そして自由都市群各所においても……日常話題になったことをこのように紙に書き出したものが売られているのだそうだ。

 市井の生活にほとんど興味感心のないキーノには知る由もないことにはなるが、生活魔法とも呼ばれる第(ゼロ)位階魔法の、本来は印章などを札に転写して何某(なにがし)かの証明に用いる(わざ)を応用したものになる。

 

 とまれ、クゥイアが語るよりもその紙束を読んだ方が早い、ということらしい。

 

「長生きはするもんだな……こんなものに値段が付いて売られているなんて。

 いくらするんだ?」

 

 興味から尋ねたキーノにクゥイナが指四本を立てて示す。

 

「え!こんなものが金貨四枚?」

 

「銅貨。」

 

 即座にクゥイアから訂正がなされる。

 え……白玉より安いじゃないか!

 

「どれどれ。」

 

と、クレマンティーヌが紙束をキーノから奪った。

 もう長い付き合いなので、キーノがこういうものを辛抱強く読み解けない性格であることはよくわかっている。そしてキーノの眷属であるクレマンティーヌは、言わずもがなにキーノの至らぬところを補い、キーノを喜ばせることが楽しくてたまらない。

 

「この街の連中はこんなもん読んで面白いのかねー。

 物の値段ばかり書いてあるような気がするわー。」

 

 クレマンティーヌが目にしているのは、まさに『世界の南』紙の主たる売り物、市況相場の情報であり、投資熱を煽るべくその伝播を目論む者が背後にあってこその新聞の安値なのであるが、これまた彼女らの関心を呼ぶものではまったくなかった。

 

「おぉ、スレイン報国の話も載ってるじゃん!

 ……はぁ、何だこりゃ?」

 

 クレマンティーヌが素っ頓狂な声を上げたのでキーノは関心を惹かれた。

 

「どうした、面白い話でもあったか?」

 

「スレイン報国は只今深夜に街を徘徊する幽霊(ゴースト)の話題で持ち切り、だとさ。」

 

 

                    *

 

 

 ナザリック地下大墳墓が迎える六度目の<百年の揺り返し>は、未だ何の兆候も捉えられてはいなかった。

 

 五度目となった前回、デミウルゴスの日記上では「水晶の塔」と記録されたこれまでで最も大規模なギルド拠点の出現とそれを受けての殲滅戦が展開されたことから、今回ももしや、との期待とも不安ともつかぬ思いが転移歴600年前後は漂っていたものだが、四年を経てその緊張感も緩みつつある。むしろ、今以てまったく認知されていない前々回、転移歴400年に来訪したに違いないギルド同様に、人知れず内破してそのまま何処かに埋もれているのではないか、といった推測もなされたが、よくよく考えてみれば、これらはいずれにも根拠がない。

 

 (ダイス)を投げて、目が1、1と続けば、次に1はないだろう、と考えたくなるのは人情だが、その賽に何らかの細工が施されていないのであれば、どの目が出る確率も常に等しく六分の一だ。

 

 同様に、<百年の揺り返し>については、これまでの記録からは前回と今回、今回と次回について、如何なる相関も見出されてはいないので、目下知られている限りにおいてはどのようなギルド拠点が転移してくるかは常にまったくの出鱈目(ランダム)ということになる。

 そして、それが真に出鱈目である場合、全体としてこれを俯瞰すると、むしろ偏り、すなわち立て続けに強大なギルドが出現したり、逆に何百年も誰も気配すら感じさせない方が自然であるのは、直感と確率の間に生じる逆理(パラドックス)と言えるだろう。

 

「アインズ様、興味深いお話が。」

 

 過去のことなど何も憶えていないのに、一人で居るときに愉快げなデミウルゴスが突然現れて何か喋りだすと、これは碌でもないことの始まりに違いない、と考える癖が既にアインズには染み付いている。

 

 さりとて……聞かぬわけにもいくまい。

 そもそもデミウルゴスがこうして話し掛けてくる時点で、既に何らかの仕込みは済んでいるのであって、最早それは回避不能なのだ。

 

 誰か、代わってくれー!

 

「……ゴホンッ!

 おまえが無駄な話を聞かせるとは思っていない。続けてくれ。」

 

 どうして自分はこういうありもしない余裕を演じ続けているのだろう、と疑問を抱きつつアインズはデミウルゴスの話に耳を傾けた。

 

幽霊(ゴースト)?」

 

 いろいろな意味で得心がいかず、アインズは言葉のままに復唱して疑問を呈した。

 

「はい。スレイン報国北西部の町々で夜な夜な徘徊するという話が広がっておるそうで御座います。」

 

「……それが?」

 

「は?」

 

「いや、それがどうした?

 かつての<現実(リアル)>ならともかく、不死者(アンデッド)が闊歩するこの世界に幽霊が出て、何がおかしい。何ならオレだって不死者じゃないか。」

 

「あぁ!これは失礼いたしました、アインズ様。

 いささか言葉が足りませんでしたようで。」

 

 もう慣れたよ!

 

「まず、伝統的にスレイン報国には死者の魂、という観念が御座いません。」

 

 デミウルゴスが言うには、この世界では少なくない地域で知性のある存在の死後、遺体から半透明の魂魄が彷徨い出ていずこかへ去っていくという観念が共有されているものの、スレイン報国にはそれがないのだそうだ。

 どうやらこれは、六大神在世に、当時の法国で死者を遺品ごと片っ端から<換金箱(エクスチェンジボックス)>に放り込む習慣が存在し……他ならぬナザリックも、いつからかアインズの狩った獲物を同様に扱っているので、これを倫理的に非難する筋合いはなかった……それとの折り合いから「死はすべての終わりであり、それ以降は何もない」の観念が定着したものであるらしい。

 アインズ同様に死の支配者(オーバーロード)であった六大神の一柱、スルシャーナの口からそう説明されれば、当時の法国民にはそれを鵜呑みにする他なかったであろう。

 逆に、源流を同じくしつつも途中から袂を分かった旧リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国の領域では、現住の人々と混交していく過程で再び魂魄的な迷信が復活したのだそうな。むしろ、こちらの方が大多数の人間にとって、非合理であるにもかかわらず直感的には自然なのだ。

 

「実はこれを幽霊、と呼んでおりますのはこの話を噂として聞きつけた北方の人間たちでして、報国の民は『透き通った人型の何か』と呼んでおるようで御座います。」

 

 うーん……よくわからん!

 

「……で、何なんだ?」

 

「お戯れを、アインズ様。既にお気づきのこととは存じますが……」

 

「うがーーー!」

 

 突如アインズが雄叫びを上げて、堪らずデミウルゴスが後退(あとずさ)る。

 

「……いや、すまん。

 頼むからデミウルゴスよ。オレが何でもお見通しであることを前提に話を進めるのはやめてくれ。素直に、普通に、おまえが聞きつけ、気づいたことを話してくれればそれでいい。」

 

「……なるほど、そういう事で御座いますね!

 流石はアインズ様で御座います!」

 

 嗚呼、もう叫ぶ気力も起きん……。

 これ、実は意味もなく故意に(わざと)オレをからかって遊んでんじゃ……ないよな?

 

「……続きを頼む。」

 

「ハッ!」

 

 デミウルゴスが言うには、幽霊の観念を持たない者が幽霊目撃を証言するからには、それが実際には何であれ、彼らは何かを見たのに違いないのだ、ということらしい。

 

 そりゃ、そうかも知れないが。

 で……何なんだ?

 

 あいかわらずアインズには含意がさっぱりわからない。

 

「アインズ様は、こちらの世界では不死者(アンデッド)が闊歩する、とおっしゃいましたが、一般的に知られているそれは報国の東、カッツェ平野に現れるもので、しかもそれらは動死体(ゾンビ)骸骨(スケルトン)といった、物理実体を有する遺骸が不死者として活動するものです。」

 

 ほぅ……ようやく何のことかわかって来たぞ!

 

「つまりこういうことか?

 こちらの世界で一般的でない不死者が、一般的な不死者とは縁遠い場所で繰り返し目撃されている、と。」

 

「左様で御座います。」

 

「そして……それが始まったのは四年前以降で、それ以前には聞かれなかったのだな!」

 

「まったくもって左様で御座います!」

 

「そして報国の北西は……」

 

「アベリオン丘陵に接して御座います。

 恐らく今回の<百年の揺り返し>はこの辺りに出来(しゅったい)したものではないか、と愚考する次第です。」

 

 そう言いながらデミウルゴスは満足げに手を振って礼を執ったが、最早そんな礼儀作法はアインズにとってはどうでもよいことだ。

 

 統合すれば含意は明白である。

 

 来訪者(プレイヤー)自身が幽霊(ゴースト)なのであれば、よもや報国一般市民に繰り返し目撃されるなどというヘマは犯すまい。とすれば、目撃された幽霊は来訪者の比較的低レベルの下僕(NPC)である可能性が高い。そして、<百年の揺り返し>から四年経過した今日(こんにち)においてもそれが継続しているとすれば……

 

 そのギルド拠点は健在で、既に何らかの維持資金獲得手段を確立していることになる!

 

 これを受けて、ナザリックの目ニグレドに対してはスレイン報国以西の長距離探査(ロングレンジスキャン)が禁じられた。ギルド拠点が活きていれば、ニグレドが逆撃(カウンター)を被る恐れがあるからだ。愛すべき下僕(しもべ)にそのような危険を負わせることは、アインズにとっては慮外の振る舞いだ。

 合わせて、白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアーに対してはアベリオン丘陵に来訪者潜伏の可能性が伝えられた。おそらくツアーは超高空を哨戒飛行しなかったはずはないが、以降、ギルド拠点発見の報は届いていない。

 

 

                    *

 

 

 キーノたちは、アベリオン丘陵の北端から東へ伸びて自由都市群とスレイン報国を隔てる山麓を三日掛けて越え、今目前にはスレイン報国北西端の町の一つとなる第十三市があった。

 

 昨今、自由都市群と報国を行き交う旅人は、途中に中継点もない山麓を貫く獣道に近い旧街道ではなく、かなりの遠回りにはなるがエ・ランテルを経由する平原経路を用いるのが普通だ。こちらであれば、野営しなければならないのはせいぜい一日程度で、小さな村であっても宿を求めることは叶う。

 誰一人睡眠を必要としないキーノ一行は、最短距離となるせいぜい方角を迷わぬ道しるべ程度にしかならない草莽に埋もれた道に沿って南下したものだ。

 

 大陸中を旅してきたキーノだが、ここ五百年の間はスレイン報国に立ち寄ったことがない。

 未だその真意はよくわからないが、かの大魔王アインズ・ウール・ゴウンの息がかかった国であり、強いて自分が何かする必要もないだろう、と考えていたこともあるし、既に国家元首となって久しいそれがよもや最前線に姿を現すことはないだろう、とは思いつつも、再びシロクロと対峙する羽目は真っ平御免だ、と考えていたのもある。

 

「埃も落としたいしさー、今夜は宿取ろうよ。

 ふ・た・へ・や!」

 

 第十三市……スレイン報国の人口集住地は固有名称を持つことがなく、何の順序によるものかはわからないが番号が振られている……への入市には何の支障もなく、市の門で余所から来た者であることを告げれば、移住希望なのか旅人なのかを問われたのみであった。

 

「湯浴みをしたいのは私も同じだが……二部屋いるか?」

 

 クレマンティーヌの提案に、キーノは怪訝な表情で尋ね返した。

 

「急ぐ旅でもなし、幽霊探しは明晩からでいいじゃん!

 それとも……四人で、がご希望なのかしらん?

 いやーん、キーノちゃんの変態(へんたーい)、エロ助平!」

 

(あのなぁ、おまえ……)

 

 己の眷属に迎え入れて以来、クレマンティーヌはずっとこの調子だ。まぁ、そこが可愛いと思わないのでもないのではあるが……いかん、いかん、踏み入るべからざる道に……既に踏み込んでしまった我が身としては、最早抗う術もなし。

 

「……安宿に入って埃だけ落とそう。」

 

「キーノちゃんのケチ!」

 

「いや、その……なんだ。

 お楽しみは一仕事の後に取っておいた方が……よくないか?」

 

 頬を少し赤らめながらキーノがそう応じると、クレマンティーヌは口を三日月型にしてにんまりと笑みを浮かべた。

 

賛成(さんせーい)!」

 

 その様子にキーノは軽い眩暈すら覚えるが、クレマンティーヌを眷属として以降、その存在に大いに助けられて来たのは事実だ。自身が、すべてを曝け出して相対することのできる伴侶をこれほど必要としていたことにキーノは長く気が付かずにいた。その点ではクレマンティーヌには深く感謝している。

 

 ちょっと曝け出すべきでないところまで曝け出してしまった感がなきにしもあらず、ではあるが。

 

 エ・ペスペルの新聞でスレイン報国の幽霊騒ぎの話を知った際、これに強く食いついたのはクレマンティーヌだった。

 曰く、スレイン報国の連中は幽霊なんざ信じちゃいないのに……で始まる推理は、奇しくもデミウルゴスがアインズに嬉々と語った内容と異口同音。ただし、彼女は必ずしもこれを来訪者(プレイヤー)と結び付けて考えたものではなく、何か面白げなことが起こっているのであれば久しぶりに故国の土を踏むのも悪くない、と考えてのことらしい。

 そもそもクレマンティーヌは、キーノが自身をこの世界の人々と来訪者の「間に立つ者」と自認していることこそ承知はしているが、それ自体は彼女にとってはどうでもいい話に過ぎない。骸骨の化け物から繰り返される鯖折りの呪いから自身を救い出してくれた愛する(あるじ)と共に、冒険できるのでさえあればそれで彼女は満足なのである。

 

 安宿を取って身支度を整えた四人は、黒装束に薄茶(ベージュ)頭巾(フード)付き外套(マント)を羽織った出で立ちで夕暮れの第十三市を歩き出した。この外套は、さして特殊なものではないが、吸血鬼(ヴァンパイア)であるキーノとクレマンティーヌが日中の日差しで被る悪影響を最小限に留める力を有する。さりとて、二人にとって本来の能力を発揮できるのが日没後であることに変わりはなく、よほどのことがない限り彼らの探索は夜間におこなわれるのが常だ。

 

「うーん……六百年振りだし、こんなもんかな?」

 

 さして人通りが多くはないが、さりとて寂れているという訳でもない町並みを歩きながら、クレマンティーヌがぽそり、と呟いた。その表情はいつものように弛緩しきってはいるものの、目つきだけは妙に覚めている。キーノは、クレマンティーヌが時折見せるこういった仕草がたまらなく……いかん、いかん!

 

「ゴホンッ!……何か、変なのか?」

 

 強いて平素を装ったキーノがそう尋ねると、クレマンティーヌの表情がより険しくなった。

 

「まぁ、ここは元から変な国だったからね。今更何だ、ってわけでもないんだけど。」

 

 キーノは無言のままクレマンティーヌを見つめ、続きを促した。

 

「何というか……みんな笑ってやがるのが気に喰わない。」

 

「笑って……るのは結構なこと、なんじゃないのか?」

 

 キーノにはたちまちにはクレマンティーヌの言わんとすることがわからない。

 

「私が居た時分の法国じゃ、笑いってのはそれなりの強者が相手を煽るために浮かべる表情で、町の人間は笑ったりはしなかったもんさね。」

 

「ふーん、そういうもの……なのか?」

 

 どうにもキーノには実感が湧かない。

 が、クレマンティーヌには何らかの確信がある様子だ。

 

「昔の法国の連中は、決して苦しんではいなかったけど、もっと諦めた顔をしてた。他にどうしようもないから、とにかくやるべきことだけはやろう……上から下までそんな具合。でも、今ここですれ違う連中はみんな薄笑いを浮かべてやがる。」

 

 そして最後にクレマンティーヌはこう吐き捨てた。

 

「しかも、本人らに自覚があんのかは知らないけども、笑うしかない、って顔だ。」

 

 

 

 四人はその夜を、町の調査をおこなう際はいつもそうであるように、屋根の上を飛び回りながら過ごしたが、特に何という邂逅は生じなかった。

 明けて、同じくいつもそうであるように、市場や神殿といった人が集まる場所を巡り、自分たちは求道の冒険者である(てい)で会話を持ち掛け、語らうに足る有志を探したが、こちらもその結果は空振り、と言う他なかった。

 

「ここに暮らせば何も悩むことなんかありやしませんのに、敢えて道を求めて大陸中を旅をなさるとはご苦労様ですな。」

 

 町衆の反応は、要約してしまえばこれだ。誰一人として、キーノの来歴や語る言葉に関心を寄せる者はいなかった。どんな田舎の閑村であっても少なくない人が冒険譚を聞くことを欲するものだが、どうしたことかそのような者は皆無だ。

 

「確かにここは……妙な国、だな。」

 

 市場には、物が溢れているという感じでこそないが、生活に必要なものは一通り揃っている。飲食店や宿の(たぐい)も、大繁盛、という感じでこそないが、そこそこの人入りがあり、大賑わい、という感じでこそないがささやかな笑い声が聞こえてくる。

 が、クレマンティーヌにそう言われたからそう聴こえるものであるのかも知れないが、確かにそれは、他にどうしようもない、という笑いに聴こえなくもなかった。

 

 幽霊(ゴースト)、と切り出すと、皆何のことだかわからないという表情を示したが、背景を察したクレマンティーヌが「透き通って見える人間が現れる、って噂を聞いて来たんだけど」と問えば、証言は多数集まった。

 それは、毎夜というわけでもないがしばしば目撃されており、特に何をするでもなく町中をうろうろしては、夜明けまでには消えてしまうのだと言う。中には自分の家の中にまで入って来た、と語る者もあったが、何だろう?と沈黙のまま見つめていれば、やはり何をするでもなく消えてしまうらしい。

 

 キーノは、ユグドラシルからやって来た存在というとまずはアインズ・ウール・ゴウンに狂気の忠誠を誓う桁外れの化け物たちが思い浮かんでしまうので、この幽霊が同様な存在であるとすれば、その行動が大人し過ぎはしないか、と疑問に感じている。一方で、クレマンティーヌは別の考えを抱いているようだ。

 

「確信があって言うわけじゃないけど、何か知りたいことがある、って感じなのかな?」

 

 動きがあったのは、もう()めにしようか、などと考え始めつつもあった四日目の夜半のことだ。

 

 クゥイナが無言のまま片手を挙げて皆の注意を惹いた。四人並んで屋根の上に寝そべったまま指差す先に目をやれば、幽霊、が居たわけではないが、何ということはない路地裏に、夜半ともなれば誰もが寝静まるこの町には珍しく、窓の隙間から灯りが漏れている。

 ややあって、裏戸口が開いて数人の男が気配を殺しながら姿を現した。吸血鬼(ヴァンパイア)であるキーノ、クレマンティーヌ共に、月明かりのない新月の夜であるが、男たちが少なからず小剣などで武装していることに気づく。

 男たちは無言のまま身を屈めて駆け、申し訳程度に町を囲んでいる壁の方へと向かっていった。音を立てないよう注意を払ってこれを一人、また一人と乗り越えていく。不寝番が居る、というわけでもないが、町の門を通りたくない理由があるようだ。

 

 そして!

 

 キーノはその姿を背後から見守る影があることに気が付いた。取り立てて特徴のない女性だが、明らかにその身体が透けており、女の向こう側の建物の壁に書かれた文字が読み取れる。

 

「クゥイアとクゥイナは男たちを追え。

 何をしようとしているかだけ把握できれば一旦撤収だ。」

 

 小声でキーノが命じると、

 

「承知。」

 無言の頷き。

 

 ふっ、と二人の姿が音もなく消える。

 

 改めて透き通った女に目を向ければ、男たち全員が壁を越えたのを待って、ゆっくりとその後を追う構えを取った。

 

「クレマンティーヌはここで周囲を監視し、異変があれば口笛で知らせてくれ。」

 

「あいよ!」

 

 刹那、キーノもまた音もなく中空に飛んだ。

 そして、透き通った女の進路上にやはり音もなく着地する。

 

 すーっと、歩むわけでもなく浮かんだまま向かって来た女がキーノの少し手前で静止した。

 

「待て!」

 

 徒手空拳の両手を開いて前に突き出しつつ、小声で、ではあるが、はっきりと意思を伝える声でキーノは言った。

 

「事を構えるつもりはない。少し話ができないか?」

 

 透き通った女は表情一つ変えないまま、値踏みでもするかのようにキーノを見つめていたが、やがて野太い男の声でこう言った。

 

吸血鬼(ヴァンパイア)?」

 

「そうだ。だがおまえに対して害意はない。

 私は道を求める者で、おまえと話がしてみたいと思っている。」

 

 だがしかし。

 相手にその意思はないようだった。

 

「賊を送り込むのを()めろ。」

 

とだけ言うと、透き通った女は多くの町衆が証言したように、すーっと姿を消してしまった。

 

 次の瞬間、やはり音もなくクレマンティーヌがキーノの隣に着地する。

 

「あんなのキーノちゃんの雷撃(ライトニング)で一発でしょ?」

 

と軽口が発せられるが、それが単なる冗談(ジョーク)であることはキーノには承知のことだ。

 

「どうにも……よくわからんことになってきたな。」

 

 

                    *

 

 

 どうにも……よくわからんことになってきたな。

 

 と、彼は(ねぐら)の中で溜息をついた。

 疑いなく自身のものだ、と自覚するようになって久しい四本の腕を組み思案を巡らせる。

 

 憶えている限りにおいて、こちらの世界の存在であれほどの強さを誇る者に出くわしたのは初めてのことだ。無論、百レベル(カウンターストップ)に達している自分自身が対峙すれば造作もない相手ではあろうが、レベル七十弱の吸血鬼……しかもあれは真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)であるに違いない。

 そしてそれ以上に彼の意識を捉えて離さないのは、自ら吸血鬼であることを認めた()()に話し掛けられる直前、賊らしき連中の後を追った気配だ。巧みに隠蔽されていてその詳細はわからない。が、であるからこそアレは只者ではない、ということははっきりしている。

 

 少なからず世話になっている連中を悩ませている賊の発地を突き止め、あわよくば根を断ってやろうと思って送り込んだ下僕(しもべ)はなかなか成果を上げることが出来なかった。

 方角としては現在地から南東、いくつか点在する人間種らしき生物が集住する町がそうであろう、ということは早い時点で判明した。が、これらの町々はいずれも薄気味悪い町で、彼自身が直接体験したものではないが、昔の仲間に聞かされた前時代のRPG(ロールプレイングゲーム)NPC(ノンプレイヤーキャラクタ)を想起させる住人ばかりが暮らしている。皆、薄笑いを浮かべて黙々と課せられた仕事をこなすのみで、自身の知覚は間違いなくそれが生身の人間である、と告げているにも関わらず、まったく魂が宿っている感がない。

 

 そして、ようやく賊らしき者がそこから当地へ向かう現場を押さえたか、と思ったところで吸血鬼の少年に声をかけられた。

 これまでに、自身が送り込んだ斥候に対して対話(コミュニケーション)を試みてきた者は皆無であっただけに驚きを覚えたのは事実だが、であればこそ、無理に応じずに一旦撤収させた自身の判断に間違いはない、と彼は考えている。

 

 あの決して弱者ではない吸血鬼が、賊を裏で糸引く黒幕なのだろうか?

 

 否。

 

 吸血鬼が、豚鬼(オーク)が聖王国の人間たちとの交易の便宜のために貯めていた金貨や、結果得られた穀物を欲するのはどう考えても妙だ。一方で、吸血鬼は自身の斥候がやって来るのを待ち受けて意図を問い(ただ)すべく目前に立ちはだかったのは明らかで、これが偶然であろうはずもない。

 

 即時撤退は……やや短気だったかも知れないな。

 

「あの……失礼してもよろしいでしょうか?」

 

 外に通じる穴から声をかけられて、彼は応じる。

 

「あぁ、別に構いませんよ。どうぞ、お気遣いなく。」

 

 遠慮気味に入って来たのは思った通り豚鬼(オーク)だ。

 よもや自分が、こんな連中から(かしず)かれる身になろうとは、ユグドラシル時分には思いもしなかったことだ。

 

「お邪魔いたします……いかがですか、何かわかりましたか?」

 

「そうですね、正直なところまだよくわからないんです。

 あなたは、吸血鬼に遭ったことがありますか?」

 

 ひょっとすると、こちらの吸血鬼は自分が思っているそれとは幾分違うのかも知れない、と思いつつ尋ねてみる。

 

「吸血鬼……ですか?

 中には我々を襲う者もいないではない、と聞きますが、普通は人間や森妖精(エルフ)の血を好むものではないか、と。少なくともウチの連中の間では聞いたことがありませんよ。」

 

 返ってきた答えは想像の域を出るものではなかった。

 

「丘陵地帯を抜けたところにある人間の町から、問題の賊がやって来ているのは間違いないです。が、これが組織的にやっていることなのか、たまたまそこに賊が潜んでいるものなのか、に確信が持てずにいます。」

 

 正直にそう告げると、豚鬼は難渋な表情を示した。

 そういった込み入った物言いは理解し難い、と顔に書いてある。

 

「我々としては、あなた様の思し召しに従うのみですので、どうかお気のままにどうぞ。」

 

 豚鬼たちは、しばしば自分たちの領域を襲う賊に辟易とはしているものの、それを彼にたちまちにどうこうして欲しい、とまでは訴えてはこない。これもまた、彼からすると不思議に思われることの一つだ。一見して彼が豚鬼たちからすれば想像の埒外の化け物であることは承知していることだろう。その化け物を養いつつ、化け物に自分たちの敵の排除を期待しないでは、養う意味がないではないか。

 

「何が正義であるかは短兵急に求めてはならない、というのは、古くから伝わる真理です。

 賊には賊の、何か事情があるのやも知れません。」

 

 この度を越した物分かりの良さは、あの町の人間たちとは別の意味で薄気味悪い。

 

「失礼して私からの用件を。

 実は私の幼馴染が昨夜、息を引き取りまして。」

 

「……そうでしたか、これはご愁傷様です。」

 

「お心遣い、誠に痛み入ります。

 つきましては、彼の亡骸を持って参りましたのでお召し上がりいただけますと、故人も誉れに覚えるものかと思いますので、どうかお納めください。」

 

「……それはいつもありがとうございます。

 あちらの部屋に置いておいていただければ、後ほどありがたく頂戴いたします。」

 

「有難い仰せです。

 では、私はこれにて。御蟲(ヴァーミン)。」

 

 いつものように、豚鬼は意図不明の言葉を残して去っていった。

 おそらくあれは、キリスト教徒がまことに(アーメン)、と語尾に添えるのと同じようなものなのだろう、と考えてはいるものの、この概念が豚鬼には通じないので真偽の確かめようもない。

 

 では、せっかくなので有難く頂戴するとしようか。

 喰わずとも死なぬこの身ではあるが、その身が欲するところには逆らえない。

 

 

                    *

 

 

 キーノ・インベルンは、石材(タイル)張りの小部屋で全裸になって水浴びをしている。

 

 第十三市から深夜に密かに出ていった男たち数名を追ったクゥイア、クゥイナは四日経った今もまだ帰還してはいないが、それは取り立てて気にしてはいない。あいつらはそんじょそこらの相手には遅れは取らないし、万が一ヤバい相手に出食わしたのだとしても逃げ延びる術はいくらでもある。

 むしろ、キーノの心に引っかかっているのは双子忍者が賊を追った夜に邂逅した幽霊(ゴースト)が発した言葉、

 

「賊を送り込むのを()めろ。」

 

の意味するところだ。

 

 一見、女の姿をしていたのに幽霊は男の声でそう言った。

 確証はないものの、あれは白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアーが操るところの傀儡(くぐつ)に似た存在で、あれを背後で動かしている本人が男なのではないか、と推察している。

 思えば、遠い昔に随分と世話になった死霊使い(ネクロマンサー)が似たような(わざ)を身につけていたようにも思うが、彼女からもう少し詳しく教えを乞うていたならば何かわかったかも知れないのに、と考えてみても詮無きことだ。

 

 とまれ、あの幽霊は何者かに使役されている存在であるのは間違いない。

 そしてそれが、第十三市からまさに出ていこうとする賊の一団に関心を示し、キーノに対して「賊を送り込むのを()めろ」と言って姿を消したのだから、その何者かは賊の襲撃を繰り返し受けていて、それがどこから来たものか探るべく幽霊を第十三市を含む周辺の町々に送り込み、キーノをその黒幕と勘違いしたからこそあのようなことを言い残したのであろう。

 

 しかし……どうにもちぐはぐだ。

 

 クレマンティーヌが見抜いたように、幽霊自体はさして手強い相手には思われなかった。が、あのような存在を自在に操り、それを介して恐らくは遠方からキーノを吸血鬼(ヴァンパイア)と見抜き、即座に自身の言葉で以て応答できる者が、この町から出ていった賊如きを恐れるような存在とは思えない。

 なぜ、そいつは自ら賊を片付けてしまおうとはしないのだろうか。それが出来ないなんらかの事情があるのか。あるいは、問題の根は元から絶たねば意味がない、と考える(たぐい)であるのか。仮に最後の類型に当てはまるものであれば、遠からずこの第十三市がより強力な死霊か、場合によっては本人の逆襲を受ける可能性もある。

 

 ひょっとすると……。

 

 存外死霊使いはあのアインズ・ウール・ゴウンと似た者であるのかも知れない。

 六百年前、アインズがリ・エスティーゼ王国の犯罪組織や不良貴族を根刮ぎ殺して歩いたように、新たにやってきた似た性向を有する来訪者(ユグドラシルプレイヤー)が、賊の襲来に悩まされるアベリオン丘陵の何者かに肩入れして、その根を絶とうとして行動しているのであるとすれば……。

 

 自分に何か……出来ることがあるだろうか?

 

 ……それはともかくとして、だ。

 

 キーノは最後にもう一度手桶に汲んだ水を浴びて身を清めた。

 双子忍者と別れて三日は、日中は町衆の間を歩き、夜間は建物の屋根上を駆け回って過ごしたものだが、四日目になってクレマンティーヌが、

 

「ねー、いいじゃん!

 丁度あの子たちも居ないんだしさぁ!」

 

と言い出して聞かないので、適当な宿の一部屋を取った。簡易な水浴び用の小部屋が付いていて、追加料金を払えば湯も用意してくれるようだが、元よりキーノもクレマンティーヌも浴びる水の温度など気にならない身体なので冷たいままの水で済ませた。

 

「すまん、クレマンティーヌ。待たせたな!」

 

 どうせ脱ぐのにな、などと思いつつ浴衣(バスローブ)を纏って水浴び部屋を出ると、先に水浴びを済ませていたクレマンティーヌと……クゥイアとクゥイナがいた。

 

レテテ(おっぱい)を独り占め。」

 胸の前に丸みを作る身振り(ジェスチャー)

 

「あ、キーノちゃん!

 こいつら帰ってきちゃったわー。

 四人でやろっか?」

 

 やるかー、ボケーーーーーッ!

 

「……二人とも、ご苦労だったな。

 水浴び……するか?」

 

「当然。」

 頷き。

 

 ()()(みそぎ)に、と水桶に残した水がこんな形で役に立とうとは。

 

 

 

 双子忍者の話……喋るのはいつものようにクゥイアだけなのだが……を要約すると、次のような具合になった。

 

 第十三市の市壁を乗り越えて駆け出した男たちは、町の近くを流れている川の畔に繋ぎ隠していた馬に乗り、一路北西、アベリオン丘陵を目指したらしい。途中、一泊野営して二日目の夕刻に豚鬼(オーク)の集落に狙いを定め、夜半に天幕(テント)の一つを襲った。

 賊の狙いは金貨と食料だったようで、それさえ手に入れば、とそそくさと(きびす)を返して逃げ出した。行きとはやや違った経路を通った彼らは、途中の岩肌に穿たれた洞窟で他の男数名と落ち合い、どうやらそこが盗品の隠し場所であるらしい。

 ここまで確認して二人は第十三市へと一気に駆け戻ったのだそうだ。

 

「豚鬼の集落では、反撃はなかったのか?」

 

 キーノの問いにはクゥイナがぺらぺらと手を横に振って答えた。

 いよいよ以てこの行動は六百年前のアインズ・ウール・ゴウンそのままではないか、とキーノは思う。あの骸骨は、気に障った相手の殲滅に熱心であった反面、ド・クロサマー王国を唯一の例外に、被害者の救護に関心があったようには思えないからだ。

 

 これはアインズに言わせれば「いや、結構やったぞ、憶えてないけど」と文句の一つもありそうなものではあるが。

 

 となれば、遅かれ早かれアベリオン丘陵に潜む死霊使いが第十三市を襲う可能性は高い。あいつは賊が当地を発したことを確認したはずだ。が、当の賊はここにはいない。戻って来るのかどうかもわからない。そして、相手が想像通りの来訪者(プレイヤー)であれば、そんな些末なことは気にはすまい。

 

 鏖殺(みなごろし)だ。

 

 無論、これは最悪の状況を思い浮かべたもので、ひょっとすると死霊使いは当地を訪れて当局に善処を求めるつもりかも知れないし、キーノたちとは別に賊を捕捉して既に殲滅している可能性もある。が、それを確かめる術はないし、そもそも幽霊は第十三市以外の近隣の町にも出没していたというから、単に探し歩いていたのみならよいが、実はそちらにも賊がいて既に存在を知られているとしたら、これは只事では済むまい。

 

「クレマンティーヌ。」

 

 意を決してキーノは眷属に声をかけた。

 その声色から、クレマンティーヌもまた、これはいつものようにおどけて聞いてみせる話ではないことを理解する。

 

「やや悪い方へ考え過ぎかも知れないが、最悪、トンデモない化け物がこのあたりの町を襲う可能性がある、と私は考えている。」

 

 クレマンティーヌは、ただじっと(あるじ)をみつめることで続きを促した。

 

「想定通り相手がユグドラシルプレイヤーであった場合、迎撃手段はない。

 だから我々に出来ることは、近隣の町々に避難を呼びかけることだと思うが、この国ではこういう場合、何処に言えば伝わるものだろうか?」

 

 さしものキーノもこれを自身の独断と偏見だけで決行しよう、とは考えなかった。元より誰かから依頼されて着手した話ではない。が、たとえ自身もクレマンティーヌも薄気味悪いとしか思えない連中であっても、災厄から逃れる機会があるのであれば、提供しない手はないだろう。

 

「今はどうかはわからないけど、私の時代であればまずは神殿、かな。

 神官は皆六派閥のどこかには繋がっていたものだから。」

 

「既に日は落ちているが、取り合ってもらえるものだろうか?」

 

「神殿は救急の治療院を兼ねてるから、誰もいない、ってことはないとは思うけど。」

 

「では決まりだ。

 空振ったら大恥をかくことになるかも知れないが、手をこまねいて無辜の民が災厄に巻き込まれるのを見過ごすことは私にはできない。」

 

 不意に、すっとクレマンティーヌが身を乗り出してキーノの頬に口づける。

 

「私は無辜の民なんて知ったこっちゃないけど……

 

 そういうキーノちゃんは好きよ!」

 

 ぽっ、とキーノの頬が赤くなるが、彼女がそのクレマンティーヌの振る舞いに応じるよりも先に、クレマンティーヌはクゥイアとクゥイナの頬にも同じように口づけ(キス)していた。

 

 そして景気づけに一言。

 

「んじゃー双子ちゃん。

 キーノ小母(おば)さんの酔狂に、つっきあいまっすよー!」

 

レテテ(おっぱい)!」

 胸の前に丸みを作る身振り(ジェスチャー)

 

 お、お、おまえらなぁ……。

 なんて……なんて私は素敵な仲間に恵まれているんだろうか!

 

 これで……

 

 これで「小母(おば)さん」呼ばわりさえなければ完璧なのに!

 

 

 

 ところが。

 

 これがなかなかうまくいかなかった。

 

「どうなってるんだ、この国は?」

 

 思わずキーノが漏らす。

 クレマンティーヌも首を傾げている。

 

「良くも悪くも法国は警察国家だったからね。何かしら反応はあるとは思うんだけど。」

 

 クレマンティーヌの助言に従い町の神殿を訪ねてはみたものの、確かにそこには急病人に備えての信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が一人詰めてはいたものの、自分はただ治療に当たるのみの者で、町の大事だと言われても何もできることはない、と応じられた。

 駄目元で彼らが入市した際に「移住希望か、旅の者か」と問われた門へ向かってはみたものの、そこにはやはり一人の官吏が詰めてはいたが、自分は移住希望の方に手続きを案内するのみの者で、町の大事だと言われても何もできることはない、と応じられた。

 

 そして二人共に、緊急時の連絡先などというものはない、と言うのである。

 

 既に夜も更けてきて、流石に確証もない話で住人たちを叩き起こして「逃げろ」と喚くわけにもいかず、折角取った宿だから、と一旦戻って夜明けを待つことになった。

 一夜明けて、早朝から開いている市場の店員や通りを掃除していた男と、手当たり次第に「町の大事に関わることは何処へ相談すればいい」と問うてみたものの、皆口を揃えて「それは国がやってくれることだ」と答えるのみでまさに暖簾に腕押し、糠に釘。

 

「気は進まないけど……シロクロちゃんの居る神都に乗り込んでみる?」

 

 道筋は心得ているので案内できる、とクレマンティーヌが告げたとき、不意に彼女らは見知らぬ男から声をかけられた。

 

「町の大事、とやらを吹聴して歩いておられるのは、あなたたちでしょうか?」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。