億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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転移歴604年。
来訪者(ユグドラシルプレイヤー)田中(すぐる)は、殺してくれとアインズに願った。


16.死肉喰らい(3)

 戦友ガ・ギンの墓所の前で、キーノは久しく脈打ったことなどないはずの自身の心臓が、バクバクと鳴り響いているかのような錯覚を覚えている。

 爆砕執事の登場まではともかく、よもや大魔王アインズ・ウール・ゴウンその人自ら姿を現すとは、あり得ないことではないもののまったく予期はしていなかった。

 

「またも今一歩出遅れたよ、ギンさん。」

 

 自分よりも年下で幼児の時分に遊んでやった相手であるにも関わらず、あまりに達観したその知性に感服していつしかそう呼ぶようになった物言わぬ故人の墓所に、キーノはそう帰投を報告した。

 

「あの四本腕は、私が最初に連中に殺されたときに出食わした化け物だ!」

 

 珍しくクレマンティーヌが震え上がりながらそう言う。先に<転移門(ゲート)>を潜らせたから彼女は気づいてはいまいが、自身に地獄の三百年間……主観的にはもっと短いものなのであろうが……を味わわせたあの骸骨野郎もやって来ていたことを教えてやるべきだろうか?

 

「ナザリックの連中もアベリオン丘陵のアレに気づいてたんだな。町衆の避難が成っていたことだけが幸いだ。」

 

とキーノは呟いた。

 

「ケッ、化け物同士が殺し合ってりゃいい気味さね!」

 

 吐き捨てるようにクレマンティーヌがそう言うのが耳に入り、反射的にキーノは言い返してしまう。

 

「それはないんじゃないか、クレマンティーヌ!」

 

 自身の(あるじ)とは認識しつつも、キーノからこのように強い口調で窘められることは一度たりともなかったので、クレマンティーヌは呆気にとられたものかぽかーんと口を開いている。

 

「あ、いや……すまん。ちょっと興奮が残っていて強く言い過ぎた。」

 

 頭を掻きながらキーノは手短に詫びたが、続けてこうも言う。

 

「でもな、クレマンティーヌ。

 化け物、という意味では、普通の人たちからすれば私たちだって……そうだろ?」

 

「……そりゃまぁ、キーノちゃんの言う通りだとは思うけども。」

 

「そして、感じ、考え、どうしようか、何とかならないか、と藻掻いている点においては、世の中の人たちや私たち、そしてユグドラシルからやって来る化け物たちも、実は大差はないんだよ。」

 

「……」

 

「このことに気づいている者は少ない。ひょっとすると、思い上がりかも知れないが、この世界を普通に旅する者の中では私だけか、と思うこともある。だから私は、そんな私だからこそ出来ることをやりたい、と考えてここまでやってきた。」

 

「……」

 

「出来ることであれば、丘陵に潜んでいたプレイヤーがアインズ・ウール・ゴウンと事を構えずに済むようにしてやりたかったんだが……今一歩及ばなかったな。」

 

 ふふふ、とキーノは自嘲気味に笑ってみせた。

 

「でも……キーノちゃんがそこまで背負い込む必要ある?

 この世界がどうなろうと、私はキーノちゃんが無事であって欲しいよ。」

 

 そう言われてキーノは一時(いっとき)思案する。

 よい機会だ。この思いを……重いかも知れないが彼女にも共に受け止めて欲しい。

 

「おまえには耳の痛いことを言うかも知れないが、おまえ、多分昔は随分と面白がって人殺しをやっただろう?」

 

 うっ、とクレマンティーヌが口を尖らせる。

 

「誤解しないでくれ、責めてるわけじゃない。それに人殺し、という点では自慢にもならないが私の方が数段格上だ。正確には知らないが、私が国(おと)しとして覚醒する行き掛けの駄賃に吸い上げた命は万じゃ足りない。文字通り、国を一つ滅ぼしたんだ。」

 

 えっ、とクレマンティーヌが今度は自身の口を押さえた。

 

「だが、これも誤解しないで欲しいんだが、私は何も、自分はそういう罪深い存在だから贖罪のために我が身を捧げてユグドラシルプレイヤーに対する盾になろう、なんて大それたことを考えているわけじゃ……以前はそうだったかも知れないが……今はないんだ。

 

 ラナー・ヴァイセルフ……知ってるか?」

 

 唐突に文脈を無視した名前が飛び出して、一瞬クレマンティーヌはきょとんとした表情を示したが、

 

「リ・エスティーゼの気色(きっしょく)悪いお姫様?」

 

と問い返す。

 流石は元漆黒聖典。知っているのみならずその本質まで見抜いていたとは。

 

「これまた語るに恥ずかしい話だが、あいつに一杯食わされてな。不用意にラナーとその従僕に不死をくれてやった。」

 

 クレマンティーヌは、不意に自身の中に何か形容し難い不思議な感情が浮かんだのに気づく。

 そして思う。

 

 あぁ、これは嫉妬だ。

 私は、私のキーノちゃんの牙が私ではない他の女の肌に当てられた、と聞いて妬いているのだ。

 

「もっとも、おざなりな手技だったせいもあって下等吸血鬼(レッサーヴァンパイア)止まり。要するにただ死なないだけ、の悲しい怪物になっちまったんだがな。」

 

 続いてクレマンティーヌの中に優越感が浮かび上がる。

 私は、キーノちゃんに愛されているからこそ、今こうして手中にある力を手に入れたのだ、と。

 

「ラナーはなんでそんなことしたと思う?」

 

「……永遠の美貌、とか?」

 

「まぁ普通はそう思うわな。でもラナーは吸血鬼化した時点で八十代の婆さんだったんだ。」

 

 げっ、そんなババァの血を吸うなんて、キーノちゃんってばどーかしてるよ!

 

「笑うぞ。

 あの馬鹿は、アインズ・ウール・ゴウンと喧嘩するために吸血鬼化の道を選んだんだ。」

 

「……はぁ?

 下等吸血鬼があの骸骨野郎に敵うはずねーだろ!」

 

「その通り、私たちですら論外だ。

 が、ラナーは、ユグドラシルの連中だけが読める彼らの文字を彫った石碑をあちこちにばら撒いて、アインズ・ウール・ゴウンに続いてこちらに渡って来たプレイヤーを釣ったんだよ!」

 

 さしものクレマンティーヌも目が真ん丸になる。

 

「実はな。この墓で眠る友ガ・ギンは、晩年は他ならぬその釣られたプレイヤーに託されてラナーがばら撒いた石碑を探しては壊して歩いてたんだ。後始末、というか、ほとんど尻拭いだな。」

 

「な……なんでそんなことを?」

 

「クレマンティーヌならピンと来るかと思ったけど、流石に話がぶっ飛び過ぎだよな。

 つまりこうだ。石碑はプレイヤーをラナーに誘導しようとするが、そのラナーは返り討ちにボコられて行方不明だ。」

 

「行方不明?」

 

「悲しいかな、眷属が消滅したかどうか私にはわかるんだ。ラナーと従僕は消滅はしていない。

 が、以降五百年足取りが知れないから、石でも抱かされて湖の底に沈んでるか、氷漬けにされて高山の頂上で晒しもの、とでもいったところじゃないかなぁ。」

 

 そう言いながらふふふ、と笑うキーノには、流石のクレマンティーヌも少し背中に冷たいものを覚えざるを得ない。

 

「だが、石碑は残り続けるし、新たなプレイヤーはやって来る。プレイヤーは石碑に従ってラナーを探すがラナーはいない。プレイヤーは思うわな、騙された!骨折り損だ!こんな世界、滅ぼしてやる!」

 

「んな無茶な!」

 

「ああ、無茶だよ。だが、連中はそういう存在なんだよ。

 自分たちをこの世界に招かれた客だか何かだと思い込んでいて、世界全体を十把一絡げに考えがちなんだ。個別の事象に対する対処が、そのまま全体に適用される。

 百年前のカルサナス都市国家連合の事件がまさにそれだ。気づいたアインズさんが割って入って止めたみたいだけどな。あの人も大概お人好しだ。」

 

 クレマンティーヌには、自身に三百年に渡る地獄を与えた骸骨野郎を、親し気にさん付けで呼び、あの人、とすら呼び、あろうことか、お人好し、と評するキーノが空恐ろしい存在に思われてきた。

 

「……話が()れたな。

 ラナーはそうやって招き寄せたプレイヤーを煽って、よりにもよってアインズ・ウール・ゴウンと、アーグランド評議国の竜王(ドラゴンロード)ツァインドルクス・ヴァイシオンと戦わせたんだよ!紛うことなきこの世界の二強に、吸血鬼とはいえただの婆さんが喧嘩を売ったんだ!」

 

「なんでまた……そんなことを?」

 

「これが傑作なんだ。私もアインズさんたちから聞かされただけだから正確なところはわからん。が、どうもラナーはアインズさんがこちらにやって来た直後にその存在に気づいて取り入ろうとしたらしい。まぁ、おまえの故国の建国に関わった連中の(ひそみ)(なら)おうとしたんだろうな。」

 

 クレマンティーヌには、それはまるで神話の世界を自ら再現しようとした無謀な試みであるように聞こえる。

 

「で、アインズさんにあっさり無視された。アインズさんはラナーに『口だけの人間に何ができる?』と問うたらしい。その通りじゃないか!と思わないでもないが、ラナーはこれを随分と恨みに思ったらしくてな。私を巻き込んで吸血鬼化した挙句に最強竜王と最凶骸骨に正面対決だとよ。狂ってるとしか言いようないわな。」

 

 狂っている……狂っていた、という点でクレマンティーヌは偉そうなことを言えた義理ではなかったが、自分よりも明らかに弱いものをいびり殺すしか能がなかった自身のことを思えば、ラナーのぶっ飛びぶりは常軌を逸しているどころの話ではない。

 

「でもな。」

 

 ここまで揶揄するような口調で軽口を叩く(てい)であったキーノが不意に真顔になる。

 

「私は……存外ラナーは正しかったんじゃないか、と思ってもいるんだ。」

 

「はぁ?

 

 じゃ何?キーノちゃんもあの骸骨に喧嘩売る気なの?

 流石にそれは付き合いきれないよー!」

 

「そういう意味じゃないんだ。」

 

 ドン引き気味になって狼狽えるクレマンティーヌを、キーノは開いた片手を差し出して制する。

 

「やり方は最悪だった。が、あの馬鹿は、間違いなくアインズ・ウール・ゴウンに真正面から立ち向かったんだよ。戦った、という意味じゃない。同じ土俵で、同じ目線で向き合おうとしたんだ。」

 

 ハッ、と何かに気づいたようにクレマンティーヌの表情が転じた。

 

「スレイン法国を建国した連中は、ただただユグドラシルプレイヤーを神と崇め奉るだけで、六大神が死んだ後も六大神が何者であったのかを深く考えることもなく、神の名を騙りながら自縄自縛のわけのわからん陰謀国家を回し続けた。

 私は十三英雄の一人として、竜王とプレイヤーと共に暴走した魔神と戦って辛勝を拾ったが、とどのつまりは何もわからないままに遮二無二力押ししただけだった。」

 

 十三英雄だって!

 クレマンティーヌの目が真ん丸に見開かれる。

 

「ラナーは違った。ユグドラシルプレイヤーを自分とはまったく異質の存在であると理解しつつも、それと真正面から向き合ってぶつかり合おうとしたんだよ。結果的にやったことは支離滅裂だが、私はその一点についてだけは彼女を評価してもいい、と思っている。

 私の知る限り、この世界にこれを成し遂げた者は四人と一匹しかいない。

 一人は今話したラナー。そして詳細は知らないがド・クロサマー王国初代女王姉妹の二人。バハルス帝国第七代皇帝ジルクニフ・エル・ニクス。」

 

「えっ!あの色男が?」

 

「……あぁ言うの好み、だったのか?」

 

「いや、そういうわけじゃないけど。

 彼氏にしたいとは思わないけど、遠目に眺めるには目の保養にはなったよね。」

 

「おまえは死んでたから知らんだろうが、晩年は長年の心労が祟ってか禿げ上がって、とても見れたもんじゃなかったぞ……まぁ、そんなことはどうでもいい。これもツアーからの又聞きだから詳しくは知らんが、アインズさんがエラくこの鮮血帝を気に入っていたらしい。」

 

「ふぁ?」

 

「で、最後の一匹が今の話にも出て来た白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツァインドルクス・ヴァイシオン、通称ツアーだ。彼はアインズさんとは親友、とでも呼べる間柄で、実際私の見るところ彼らは互いに随分と異なる存在でありながら、どこかがよく似ている。」

 

「キーノちゃんは……その四人と一匹に続こう、って魂胆なの?」

 

「そういうわけじゃない。私は少なからずアインズさんと語らう時間を得たが、はっきり言って彼は理解不能だ。その強大な力もさることながら、精神が異様だ。

 狂っている、とかそういう意味ではなくて、その奥深さが異常だ。彼と対峙すると、私はときに三十人だか四十人だかの只ならぬ相手と向き合っているような……そんな錯覚を覚えた。とにかく思考の幅と奥行きがおかしいんだ。

 だが……表面上の彼は、実のところ愉快なおっさんだ。」

 

「お……おっさん!」

 

 そんな物言いをしてあの骸骨に殺されないのか?とクレマンティーヌの顔が雄弁に語っている。

 

「本人がそう言ったんだぞ。

 何を隠そう、ラナーに一杯食わされたことを除けば頑なに吸血を忌み嫌っていた私がおまえを我が眷属に迎えようと腹を括れたのは、アインズさんに『伴侶とするに値する者であれば眷属に迎えても構わないじゃないか』と言われたからだ。流石の私も驚いて本人に言ってやったよ。まさかあなたからそんなことを言われようとは思わなかった、と。そしたら本人がこう返したんだ。」

 

 クレマンティーヌは続く言葉を身を乗り出して聞こうとする。

 

「おっさんは、女の子にこういう余計なお節介を焼くものだ!

 ……ってな。」

 

「あの骸骨野郎が?

 自分はおっさんで、女の子にお節介を焼くってかぁ?

 

 く……くくく……あっはっは!

 そりゃ傑作だわ、わっはっは!」

 

 途端にクレマンティーヌは大声で笑い始めた。ひぃひぃ言いながら笑い続け、キーノの肩をバンバンと叩いた。キーノは何だか懐かしい、心地良さを覚えている。

 

「アインズさんは、ちょっと突き抜けて特別だ。そして彼は、何やかやとこの世界にそれこそ余計なお節介を焼いているようだが、本質的にはこの世界の存在に対して関心はないんだ。彼に殺されるとしたら、それは落雷を受けるようなものでどうしようもない。だからといって、常に落雷を恐れて暮らす必要はないし、ましてや落雷と仲良くしようなんて思わないだろ?」

 

 そう問われて漸くクレマンティーヌは笑うのを止め、真摯な視線をキーノに向けた。

 

「だが、今後も百年ごとに来訪者はやって来る。何故かはわからないし知る(すべ)もないが、それでも連中はやって来るんだよ。そして、多くの人間や亜人にとってはあまりにも長い百年という時間は、あらゆる伝承を霞ませてしまう。スレイン法国がそうだったように、だ。

 だから誰かが、ユグドラシルプレイヤーに真正面から向かい合うことは、困難だしとてつもなく危険ではあるけれども、それでも不可能ではないんだ、という知識を語り継いでいく必要がある。そうは思わないか?」

 

 クレマンティーヌは目を輝かせながら、うんうんと頷いた。

 

「さっき話した四人と一匹だが、最後の一匹、つまりツアーは桁外れの別格としても、この話の肝は、この四人は決して屈強な戦士でも魔法詠唱者(マジックキャスター)でもなく、ただの人だった、という点だ。無論、ラナーとジルクニフは王族だ、という点で良くも悪くも特別な生育環境にあったのは事実だ。が、ド・クロサマー王国の姉妹は後に王族に祭り上げられはしたが、アインズさんとの出会いの時点では……そしてその後継者たちも、おまえも知っての通りごく普通の村娘だ。

 

 これが何を意味するか……わかるか?」

 

「ユグドラシルプレイヤーと向かい合うのは……やろうと思えば誰にでも出来る、ってことかな?」

 

「流石はクレマンティーヌ、まさにそこなんだよ!

 何もしないよりはましだ、程度のことでしかないことはわかっているが、それでも、強者、弱者、賢者、愚者を問わず、この者は、と思う者には伝えていきたい……そう考えている。

 そしてそれは、何もこの世界の人たちに限った話じゃない。ユグドラシルから来る連中に対してもそうだ。幾万の命を吸い上げた私、面白半分に人殺しを嗜んだおまえは、むしろユグドラシルプレイヤーに近い存在だ、とも言える。その我々から連中に、こちらの世界の者一人ひとりと真正面から向かい合うことは出来なくはないんだ、と伝えてやりたい。

 

 アベリオン丘陵に潜んでいた者には、今一歩それが及ばなかった。」

 

 そういってキーノは深く息を吐いた。

 

「私の言いたいことが……わかってもらえたかな?」

 

「私……」

 

「……」

 

「私……キーノちゃんがご主人様なのを誇りに思うわ!」

 

「……まぁ、おまえが私の眷属なのは最早不変だから仕方がないんだが……その……なんだ……私はおまえを支配したりするつもりは……」

 

 もごもご、とキーノが言い淀む。

 

「何?」

 

「だからその……ご主人様、じゃなくて……伴侶、ということにしておいて欲しい。

 共に『間に立つ者』であろう、とする伴侶だ。」

 

「嗚呼、嬉しい。」

 

 クレマンティーヌが静かに目を閉じ、ゆっくりとその顔が、唇がキーノに向かい始めたそのとき、

 

「見てらんない。」

 目を塞ぐ身振り(ジェスチャー)

 

「うぉ!

 すまんすまん!おまえらも居たんだったな、すっかり忘れていた!

 

 もちろん、クゥイア、クゥイナも伴侶であり仲間だ。

 お前たちが共に在ってくれることに深く感謝している。

 

 今の流れだと説得力ないかも……だが、嘘偽りのない真実だ!」

 

 こうして四人は、改めてガ・ギンの墓所で絆を確かめ合ったのであった。

 

 

                    *

 

 

 思えば、である。

 

 アインズは死の支配者(オーバーロード)の身体の求めに応じて、容赦なくこの世界の人間、亜人、怪物、動物を飽きるほどに殺し続けてきた存在だ。

 

 が。

 

 ユグドラシルプレイヤーは殺してはいなかった。

 否、最初に直接に邂逅したプレイヤーは殺した。が、それは追って蘇生(リザレクション)することを前提としていて、ユグドラシルの延長線上の出来事でしかなかった。

 

 <現実(リアル)>の人間、鈴木悟に由来する存在としての狭義の殺人、つまり、ユグドラシル由来のプレイヤーを復活不能(ロスト)まで追い込むことはやってはいなかった。

 

 これは偶然なのか?

 

 そんなわけはない。

 自分は無意識のうちにこれを避けていたのだ。

 

「ここでは<蘇生(リザレクション)>が使えてしまうんでしょうか?

 万が一にも再び呼び起こされないように、<真なる死(トゥルー・デス)>でお願いできますか?」

 

 田中のこの言葉に、僅かに、本当に僅かながら動揺を覚えたのがその証拠だ。

 

 <真なる死(トゥルー・デス)>と言えども完全な復活不能(ロスト)にこそは至らないが、蘇生(リザレクション)の難易度は桁違いで、ユグドラシルでのみ入手可能であった必要となる魔法の品(マジックアイテム)は、こちらの世界では稀有な貴重品……の割には何か無駄遣いをしてきたような気がしなくもないが……だ。

 そして、仮にそのような稀有な品が手元にあったとしても、今後田中を敢えて呼び戻す者がいようはずもない。こちらの世界で唯一知己を得たアインズですら、遠からず彼のことを忘れ去ってしまうのだから。

 

 田中の言葉は、確かに、人間的な意味で殺してくれ、と乞うているのにほぼ同じだ。

 

 もちろん、アインズは自身がこちらに顕現した仕掛け……自身がNPC同様にユグドラシルキャラクタに由来する存在であり、自分のことを鈴木悟だと思っているのは<日誌(ログブック)>に記録された鈴木悟と仲間たちの会話や振る舞いがフレーバーテキストとしてそこに流し込まれた結果なのであって、自分は決して人間鈴木悟そのものではなく、敢えて言うならばそこから生じた模倣品(コピー)なのだ、ということは理解している。

 だから、田中が乞うているのは、要するにその模倣品を消去してくれ、と言っているのであって、躊躇う理由などない。<現実>の鈴木悟や田中卓がユグドラシル終了後にどうなったか、を知る術はないが、常識的に考えれば、複写がおこなわれたとて原本が損なわれることはないのだから、そこで人間鈴木悟に由来する何かは、こちらの世界に渡ったアインズと、翌朝ユグドラシル喪失感を覚えつつもいつものように出社していった鈴木悟に分岐したのだ、と考えるのが最も自然ではある。

 

 が、明らかに自分は、田中の言葉に動揺している!

 理屈と感情は必ずしも一致しないものだ。

 

 加えて、アインズを困惑させるのは、その動揺を素直に認めつつも、ユグドラシル非公式ラスボスの矜持が、決して自身の動揺を田中に悟らせるまじ、と強く訴えてきていることだった。

 

 これ……どうすりゃいいんだよ、おい!

 

「えっと……それは可能です。」

 

 事実としてはそうなので、アインズはひとまずそう答えた。

 

「ありがとうございます、鈴木さん!

 では早速……」

 

「あ、田中さん、少し待ってください。

 もう少しだけお話ししても構いませんか?」

 

「あ、もちろん構わないです。後で殺してくださるのならば。」

 

 おいおい……妙な展開になっちゃったなぁ。

 こんな会話、あり得るか?フツー!

 

 自分に、強いて田中を翻意させる必然性はない。

 それはわかっている。

 

「驚かれるかとは思いますが、実はオレ、これをもう六百年ほどやっていまして。」

 

「……え?」

 

「まぁ、呆れられて当然とは思うんですが。

 さらに言うと、お仲間の奥さんだったと言うスルシャーナさんですけども……」

 

「あぁ、結局離婚しちゃったんですよね、彼ら。」

 

 ……そんな気まずい話、聞かせてくれるなよ!

 

「あ、すいません。気まずいですよね、こんな話。

 どうぞ、続きを。」

 

 わかってんのなら言うなよ!

 遠からずすっかり忘れられるのが幸いだわ!

 

「実はスルシャーナさんがお亡くなりになられたのは、今から千年以上前の話だ、ということがわかっています。」

 

「え!

 それってどういう……?」

 

「あぁ、混乱されるのはわかります。

 オレも確かなところはわからないんですが、ここでは、ユグドラシルの終了をログインしたまま迎えたプレイヤーが百年ごとに現れるんです。つまり、スルシャーナさんはオレの六世代前の先輩で、田中さんは奇しくもオレに六世代遅れてこちらに来られた、というわけです。」

 

「……それって、どこかに攻略Wikiか取説があってお読みになったんですか?」

 

 な……そう来るか!

 いや、こちらに来たばかりのゲーマーだったら、自然な発想ではあるわな。

 

「いえ、そういうものはありません。オレ自身が六百年間、実験したり、調べて歩いたり、こちらで知り合った存在と語らったりして得た知識で、絶対に正しいかはわかりません。むしろ、その途上といったところです。」

 

 アインズには、自分にしては恐ろしく慎重に言葉を選んでいる自覚がある。

 田中が既に明確に死を指向している以上、自分が今やっていることは事実上は自殺志願者に対する相談(カウンセリング)だ。そういうものが<現実>に存在したことは知ってはいるが、それはどうあるべきか、などという知識はない。

 

 何なんだこれ?

 戦闘以上に緊張するじゃねーか!

 

「はぁ……鈴木さんは流石非公式ラスボスと謳われただけあって、凄いですね。」

 

 うーむ、いちいちに鈴木さんと呼ばれるのも(つら)いが、どうすればいいのか。

 そもそもオレは、こいつをどうしたいんだ!

 

「あの……田中さんを無理に引き留めよう、とかそういうのじゃないんです。

 が、必殺連続技(コンボ)は<伝言(メッセージ)>ででも呼んでもらえればいつでも出来るので……」

 

 って、ピザの出前かよ!

 

「何と言いますか、ほら、ユグドラシルでもちょっと嫌なことがあって、キャラクタ消しちゃえ!みたいなことを勢いでやってしまって、後から、あー、あのとき持ってたレアアイテム、もー手に入んないじゃん、みたいなことあるじゃないですか。なので、今すぐでなくてもいいんじゃないかな、とは思うんですよ。」

 

 とてもじゃないが、大魔王の台詞じゃないな。

 

「鈴木さん。

 お気持ちはとても嬉しいです。これは嘘偽りのない本心です。」

 

 声色は、自殺を翻意した者のそれではない。

 

「鈴木さんは、さきほどご自身は飲めない、と仰いましたよね?

 死の支配者(オーバーロード)ですもの、こぼれちゃいますよね、飲んでも食べても。」

 

 メイドたちが用意してくれた高脚机(テーブル)の上には、出されたまま冷めた紅茶が二組、茶菓子も手つかずに残っていた。

 

「私……食べれるんですよ。」

 

 あぁーーー!そこだったか!

 

 アインズは、これを本人の口から語らせる流れを期せずして作ってしまったことをひどく悔やんだが、もう手遅れだ。覆水盆に返らず、含む紅茶は顎から漏れる。

 

「ご承知かとは思いますが、私、蟲の死霊使い(ヴァーミンネクロマンサー)なので。

 食べるんですよね……死体を。」

 

 そう。

 田中から漂いアルベドの体臭の如くアインズの鼻腔を擽った香りは……

 

 死臭だ。

 

「何がきっかけになったのか憶えていないんです。多分、豚鬼(オーク)さんに誰かの死体を食べているところを見られたんでしょうね。そしたら……」

 

 もう皆まで言われずともオチは見えた。

 

御蟲様(おむしさま)に食べていただけるなんて栄誉なことだ、と死人が出るたびに運んで来られるようになりましてね。彼ら、本当にいろんな種族で仲睦まじくやってるんですよね。周辺にも噂が広がって、山羊人(バフォルク)さんだとか、獣身四足獣(ゾーオスティア)さんだとか、どんどん届くわけですよ。ありがたいことだ、栄誉なことだ、って。」

 

 アインズは、必死に平静を保った。

 

「そうなったら、いただかないわけにはいかないですよね。で、食べるじゃないですか。滅茶苦茶美味しいんですよ、ほんと、気が狂いそうなくらいに。<現実(リアル)>での食事って、味気ないな、みたいな印象だけ憶えていますでしょ。もうほんとに美味しくて仕方がないんですよ。要するに豚肉(ポーク)山羊肉(マトン)獣肉(ジビエ)ですからね。<現実>ではいつも合成食品(パウチ)だったと思うんで、本当、美味しいんです、とにかく。で、皆さんにも喜んでいただけて。」

 

 完全に怖い話(ホラー)じゃねーか!

 

「で、ある日豚鬼さんが言うんですよ、最近野盗に困ってまして、とか。よし、世話になってることでもあるしいっちょ片付けてやるか、と思って出向いてみたらこれが人間なんですよね、その野盗が。え、人間いるの?って訊いたら、そりゃいますよって。獣身四足獣さんなんか、華奢な連中ですけど野盗はともかく存外気骨のある連中もいて、根はいい奴らなんっすよ、とか言って、あぁ、ここいい世界だなぁ、このままここで暮らしてもいいかな、とか思ってたら、山羊人さんが言うわけですよ。御蟲様(おむしさま)の噂は人間にも伝わってるので、そのうち巡礼団が来ますよって。」

 

 そりゃそうなるよなー、この場合。

 

「みんな親類縁者の遺体を担いできますから、どうか召し上がってやってください。みんな喜ぶと思います。いや、人間は華奢だから食うところ少ないだろ、だから俺たちも最近では食べなくなったんだし。何言ってんだよ、御蟲様(おむしさま)は腹が減ってるんじゃなくて死者の魂を清めるべく食べて下さるんだから、そんなことは仰らないでしょうよ、ね、御蟲様(おむしさま)。って言われたら、もう気が狂いそうですよ。だって、出されたら食べちゃうんですもの、美味しいから。」

 

 野盗を直接殺さなかった理由がわかった。

 殺したら……そのまま食べちゃうからだ。

 

 死の支配者(オーバーロード)と謳われたアインズが生者を屠る衝動から逃れることが出来ないのと同様に、田中もまた、死肉喰らい(スカベンジャー)と定められたフレーバーテキストに縛られているのだ。

 

 十全な人の心を保ったままに。

 

「で、野盗の根城がわかったからやっつけて来るよー、って言って出て来たんです。みんないい人ばかりなんで恩返しはしたいな、って。そしたら鈴木さんに出会って。こんな機会(チャンス)もうないかも知れないから殺してもらおうって。勝手なことばかり言って申し訳ないんですけども、もし出来れば、野盗がもうあの人たちを襲わないように鈴木さんの方で手を回していただけると有難いです。あと、これ、もう力を失ってるんですけどウチのギルド武器です。豚鬼さんには本当に世話になったんで、彼らの役に立つかはわからないですけど、鈴木さんの方から届けてもらって、私が本当にお世話になって感謝していた、ってお伝えいただけると嬉しいです、ほんと、勝手なことばっかり言っちゃって申し訳ありません。」

 

 田中は一気にそう喋った後、ぴたり、と黙った。

 

 アインズは覚悟を決めた。

 これは……もう送ってやる一択以外、ないよな。

 

 そう思い詰めたアインズは、内なる声にかつての仲間たちの意見を求めるべく心眼を閉じる。

 最初に聞こえてきたのはこれだ。

 

 やっちゃいなよー、モモンガさーん!

 

(あのなぁ……。)

 

 動物の中にも自己犠牲的に敢えて死ぬものがいるけど、死そのものを目的に死のうとするのは人間だけだよね。でも……それもまた、自然なんだよね。

 

(うーん……)

 

 自死、と言いますと我々日本人ですのでどうしても切腹、ハラキリが思い浮かぶわけですが、あれは武士の誇りでもなんでもなくて周囲から無理やりやらされてたんだろ、とお考えの筋も存外多いと思うのですけれども、そういう側面もありながら、意外にやっている本人たちはそうでもなかったと申しますか、現代よりも生命自体の価値が低い、と言うか、みんな簡単に死んでしまうので、同じ死ぬなら華々しく、何か残して死にたい、死に意味を持たせたい、という指向性はあったんですね、実際に意味があったかは別にいたしまして。

 

(興味深い話ですけど、田中さんとは……関係ないですよね。)

 

 介錯ご無用!

 

(あんたがハラキリしてどーすんだよ!)

 

 ご存知でしたか?社員が死んでも会社は困らないけど会社が死ぬと社員も死ぬんですよ、まぁ、その会社が社員を殺すんですけどね。

 

(死ぬしかない感、漂っちゃってますよ……)

 

 死にたい人がいたら、殺してあげるのは当たり前!

 

(……そういうキャラだったっけ?)

 

 自殺する側は呪いとしての効果を高く評価しがちだが、呪われる側は大抵自殺したことにすら関心がない。

 

(……身も蓋もないなぁ。)

 

 左様。貴方がお考えになっておられるほど、貴方の魂に価値などないのですよ。

 

(うーん、引き止めてんのか追い込んでんのか……)

 

 殴って死んじゃったらどうするかって?もちろんもう一発殴るのよ!

 

(し、死体蹴り!)

 

 生物学的な死が人の死全体の文脈に占める割合は実はそんなに大きくはないんです。ほとんどの場合において、死者は生物として死ぬ以前に社会的、経済的、歴史的、精神的に死んでいて、生物学的死はそれを追認するものだ、という言い方すら出来るでしょう。

 

(結局のところ……そこに行き着きますよね。)

 

 内なる声は何も指し示してはくれなかったが、それは元から承知していたことでもある。

 ギルドの記憶に由来するそれは、真摯な闘争の記録でありこそすれ、実際のところ自他の生命までは本当の意味では賭かっていなかったのだから。

 

「……そういう次第なので、鈴木さん。

 お願いできますでしょうか?」

 

「わかりました。」

 

 アインズは、やはり自身が僅かであっても決断に迷ったことを悟られるのを嫌って簡潔に応じた。

 

「本当に我が儘勝手で申し訳ないのですが、最後に一つだけお願いしてもよいでしょうか?」

 

「……オレに出来ることであれば。」

 

「あの……大魔王モモンガ、として()っていただけると嬉しいかな、と。」

 

 ふふ……殺すのが惜しくなるほど愉快な人だ。

 いや、もう死んでいるからこそ愉快なのかも知れないが。

 

「わかりました。

 オレはこちらではアインズ・ウール・ゴウンと名乗っているので、それでやらせてもらって構わないですか?」

 

「あぁ、いいですね。

 大魔王アインズ・ウール・ゴウン……良い響きだ!」

 

「えっと……念のために召喚した怪物(モンスター)を事前に片付けてもらって構わないですか?

 ひょっとすると後で暴れだすかも知れないので。」

 

「あ!

 これは気づかずに失礼しました。」

 

 田中が腕を大きく振ると、後方で待機していた不死者(アンデッド)の群れが雲散霧消した。

 

「立ちましょうか?

 お茶の席で……ってのもおかしいですしね。」

 

「そうですね、あちらの広場ででも。」

 

 アインズと田中は、無人の第十三市の普段は青空市でも開かれるのであろう広場で改めて対峙した。

 

「では、よろしいですか?」

 

「はい、お願いします。」

 

 アインズは強いて頭を切り替えた。

 自分は何人(なんぴと)を屠っても悔いない大魔王、死の支配者(オーバーロード)なのだ!

 

「ふはははっ、貴様に死霊系魔法の真髄を見せてやろう。

 大魔王アインズ・ウール・ゴウンの力を以て永劫の闇へと消え去るがいい!」

 

 片手を大きく振りかざしながらアインズはそう叫んだ。

 心の何処かでこれを馬々鹿々しく感じているのは事実だが、こうして魔王(ロール)を演じ始めてしまえば、意外に気分(テンション)が昂じてくるのが不思議だ。このぐだぐだな状況を上書きしてしまいたくて自分を誤魔化しているからだろうか。

 

「<あらゆる生ある者の目指すところは死である(The goal of all life is death)>!

 <真なる死(トゥルー・デス)>!」

 

 嗚呼……やっちゃったよ。

 

 ゴーン……

 

「感無量です!

 最期に……素晴らしいものを拝見できました。」

 

 ゴーン……

 

「……冥土の土産に教えてやろう!」

 

 ゴーン……

 

「おまえのその身体(からだ)と運命を分かった人間(プレイヤー)、田中卓は、ユグドラシルサービス終了の翌朝は普通に会社へ出社し……」

 

 ゴーン……

 

「……大事な会議とやらに出席したはずだ。」

 

 ゴーン……

 

「つまり……貴様が気にせねばならんことなど、そもそも何もなかったのだ!

 ワッハハハハッ!」

 

 ゴーン……

 

 何言ってんだよ、オレ?

 

 ゴーン……

 

「たとえ嘘であっても、そう言ってくださる優しさ。

 本当に感謝します!」

 

 ゴーン……

 

「大事な会議というのは、私の経営していた会社の倒産決議だったんです。」

 

 ゴーン……

 

「その夜には。

 ……首を括って保険金ですべてを清算するつもりでした。」

 

 ゴーン……

 

「だから。

 ……私は既に死人だったんです。」

 

 ゴーン……

 

「だから……。

 鈴木さんは、私を殺した、だなんて気にしないでくださいね。」

 

 ゴーン……

 

「本当に。

 ……最期の最後に亜人さんたちと鈴木さんの優しさに触れることが出来て」

 

 ゴーン……カチリッ!

 

 光の粒となって消えていく田中の身体を呆然と見つめつつ、アインズは呟いた。

 

「最期の最後まで……本当に後味の悪いやつだなぁ。」

 

 人の心を保ったまま蟲の死霊使い(ヴァーミンネクロマンサー)となったことに田中は耐えることが出来なかった。

 

 が。

 

 では、こうして死の支配者(オーバーロード)として平然として居られる自分は、最早人の心を完全に失ってしまったものなのだろうか?

 

 否。

 

 今覚えるこの後味の悪さこそが、微かに残る人の心の(あかし)であるのかも知れない。

 

 

 

 気さくだった田中とは随分と異なる無骨な御蟲様(おむしさま)の来訪に、豚鬼(オーク)たちは大層驚いては見せたものの決して慌てふためいて逃げ出すということはなかった。

 

田中殿(たなかどの)(ゆえ)アッテ旅立タレタ。

 コレハ世話ニナッタオマエタチヘノ礼トシテ預カッタ物ダ。」

 

 コキュートスは集落を代表して応対した豚鬼に、田中の遺品となる元は彼のギルドのギルド武器であった一振りの刀剣を授けた。コキュートスの目からみてそれはなかなかの業物ではあったが、豚鬼たちに到底使い(こな)せるものには見えない。

 恭しくこれを受け取った豚鬼は、コキュートスを集落の一角にうず高く積み上げられた遺体の元へと誘った。

 

「武辺の御蟲様(おむしさま)もお召し上がりになっていかれますか?」

 

 コキュートスは酒とツマミは嗜むが、食事を必要としない身だ。

 特にアインズから指示を受けていたわけではないが、彼なりに案じたものか豚鬼にこう応じた。

 

「遺骸ハ大地ニ埋メ、花ノ種デモ撒クガヨイ。

 キット田中殿(たなかどの)ニ届クデアロウ。」

 

 これは必ずしも嘘ではない。

 地下に蠢く地虫の(たぐい)がこれを糧とするに違いないのであるから。

 

 やがて当地の亜人の間には、墓所に咲く花をタナカドノと呼ぶ習慣が根付くことになる。

 どうしたことか、スレイン報国方面からの賊の襲来は聞かれなくなった。

 

 

                    *

 

 

「私ニハ……何故(なにゆえ)田中ト名乗ッタアノ者ガ、アインズ様トノ決戦ニ臨マナカッタノカ……ドウシテモ理解ガデキヌ。」

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層(ロイヤルスィート)のバーにて。

 

 ショットグラスでストレートのルースキー・ブリリアントを呷りながらコキュートスがそう呟くのを聞いて、傍らにあって手の中のブランデーグラスをくるくると鼻先に弄びながら芳香を楽しんでいたデミウルゴスはただ一言、

 

「そうかね?」

 

と相槌を打った。彼は雄弁でこそあれ、求められぬ助言はしない口だ。

 

 至高の(あるじ)に対して、を唯一の例外に。

 

「アノ者ガ死ヲ希求シテイタコトハ理解シテイル。

 ナレバコソ、百レベル(カウンターストップ)ニ達シタユグドラシルプレイヤータル者、(おの)ガ全テヲ賭ケタ一戦ヲ以テ華々シク散ルガ本懐。ソウハ……思ワンカ?」

 

「キミの言わんとするところはわからなくはない。」

 

 くぃ、っと琥珀色の液体が一気にデミウルゴスの喉を潤す。

 

「だが。」

 

 とくん、とくん、と心地よい手酌の音。

 

「アインズ様の前に立った時点で、いやそれ以前に、彼は既に死んでいた。」

 

「アノ者ハ、我々ノ(よう)ニハコノ世界ニ適応デキナカッタ……ト?」

 

 ウォッカをもう一呷り。今日は酒の進みがいささか速い。

 

「それももちろんあるが、実際にはもっと以前のことだ。

 <現実(リアル)>で経営していた会社を倒産させたのだろう?

 それが確定した時点で、彼は死んでいたのだと思うがね。」

 

「ウーム、ドウニモ分カラン。

 会社、トイウノハ、生キ死ニニ関ワルホドノモノナノカ?」

 

 この脳筋は、会社が何かわかっているのだろうか?

 

「コキュートス、キミは会社というものが何かを知っているのかね?」

 

「アインズ様、当時ノモモンガ様ヲ含メ、至高ノ方々ノ一部ガ<現実>ニオイテ糊口ヲ凌グ(すべ)トナサッタモノ、ト承知シテイル。」

 

 おや、意外に正しい理解じゃないか。

 

「ダガ、糊口ヲ凌グ術ヲ失ッタトテ、代ワリハイクラデモミツカロウ。

 剣ニ斃レタワケデモナク、死ヌトイウノハ理ニ(かな)ワヌデハナイカ。」

 

 デミウルゴスは、友の存外深い<現実>の解釈を楽しみながらレミーマルタンを一口含み、口腔で転がして香りを楽しんだ。

 

「キミの理解はまったく正しいよ、コキュートス。」

 

 相手の胸中に釘打つ最良の手段の一つは、まず相手の認識を全面的に認めてやった上で、その認められた認識に僅かな綻びを生じさせてやることだ。そうすれば、微かに生じた均衡(バランス)の乱れがやがて大きな衝撃(インパクト)となり、何をせずとも内破が起きる。

 もっとも、デミウルゴスは必ずしもコキュートスを論破することを望んでいるわけではない。

 

 彼にはこれ以外の話法が、そもそも備わってはいないのだ。

 

「だが、彼は死んでしまったのだよ。

 愚かしくも、糊口を凌ぐ術でしかないものを、自分自身と同一視してしまっていたのだ。」

 

「私ハ貴様ホドニハ知恵ガ回ラヌ。今少シ説明シテクレルカ?」

 

 デミウルゴスがコキュートスを愛して止まないのは、こうして友が示して見せる自身の能力の限界に対する実直な受容ゆえだ。

 コキュートスは決して見栄を張っての背伸びも、気を遣っての遠慮もしない。常に自身の全力を以て事に当たり、それで手に余ることをデミウルゴスを含む仲間に頼ることを躊躇わない。

 

 一瞬の判断で勝負が決まる世界に生きる、剣士の類稀なる資質!

 

「たとえば、だ。

 キミは強い。今もその気になれば一瞬で私の首を飛ばすことが出来るだろう。

 だが、私の首を飛ばすのは、実際にはキミではなくキミの振るう剣だ。そうだね?」

 

「ウム、ソノ通リダ。」

 

「この場合、キミが田中で剣が彼の会社だな。

 田中は剣、すなわち会社こそが自分である、と考えた。それ自体は間違った考えではない。コキュートスも愛刀を以て己の分身とする観念を抱いているだろう?」

 

「ウム、ソレモ然リ。」

 

「さて、この剣が難敵に出会うか、あるいは、取り扱い上の事故でも構わないのだが折れてしまったとしよう。コキュートスが、糊口を凌ぐ術など代わりはある、と言ったのは、新たな剣を求めるに等しい。」

 

「アア、ソウダナ。」

 

「だが、田中は愚かにも倒れた会社を見て自身の絶対的敗北、死としか考えることが出来なかった……たったそれだけのことなのだよ。」

 

「ナルホド……」

 

「さらに言えば、だ。」

 

とグラスに残った琥珀色のブランデーを一気に呷る。

 

「剣が折れるのとは違って、会社が倒れるというのは一瞬の出来事ではなく、複数の複雑な過程(プロセス)の連なりなのだよ。田中はその中途でこの先会社が倒れる、と自分の中で確定させてしまった。剣はまだ折れておらず、不穏な軋みを立てているに過ぎないのに、その音に剣ならぬ自身の闘志を折られた……否、自ら折ってしまった、というわけさ。」

 

 グラスをバーカウンターに預けて振り返る。

 

「そのような者に、アインズ様との決戦に及ぶ矜持など残っていようか?」

 

「……アルマイナ。」

 

 ことり、とコキュートスもまたショットグラスを置いた。

 

「キミは、種族の近しい田中にも最期に武人の誇りを抱かせたい、と祈っていたものだろうと思う。キミのその優しさを私は貴重なものだと思うがね、あの場面での彼に対してはそれは酷いものであったかも知れない。」

 

「ウム。」

 

「対して慈愛大海の如く広く深いアインズ様は、短い対話の中であの者の既に死者であることを見抜き、相応しい冥府(ばしょ)へとお導きあった、というわけさ。」

 

「アア、(まこと)ニ。貴様(きさま)ノオ陰デ得心ガイッタ、感謝スル。」

 

「なになに、何のことはあるまい。

 私に出来ることなど所詮は事後諸葛亮。アインズ様のお振る舞いに常に学び、その意味するところの後塵を拝するのみで何を誇ることがあろうか。

 

 さぁ、友よ。

 我らが永遠不滅の至高の(あるじ)と、悲しくも世を儚んだ憐れな敗者に乾杯しよう。」

 

 ぱちん、とデミウルゴスが指を打ち鳴らすと、今宵の締めの辛口のカクテル二つが届いた。

 

 

 

 この年の暮れ、四代目となるベロ、ベラの闇妖精双子(ダークエルフ・ツインズ)が産声を上げ、合わせて百レベルに達した両親が三代目アウラ、マーレを襲名した。

 玉突きする形で祖父母はフィオーレ、フィオーラを襲名し、押し出される形となった既に目尻に小皺も目立つ曽祖母父初代アウラ、マーレはこれ以降、区別の便宜と敬意を込めてシニョーラ・フィオーラ、シニョーレ・フィオーレと呼ばれるようになった。

 

 アウラ、マーレを原初とするナザリックの戦力は未だ赤子のベロ、ベラを除外しても単純に三倍に増強されたことになるが、そのことよりもアインズの心に否応なく影を落とすのは……

 

 遠からず別れのときがやって来てしまう、という冷厳な事実である。




<次話予告>

遂に訪れる命限りある者との別れのとき。

「ああ……。
 今は静かにおやすみ、シロクロ。
 いずれ辺獄(リンボ)で。」

億劫のオーバーロード第9話『別れのとき』

「せめて今一度、ぶくぶく茶釜様にはお会いしたかったですねェ。」
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