億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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転移歴745年。
初代アウラ、マーレ八百二十一歳、その日が遂にやって来る。


第9話 転移歴745年 別れのとき
17.別れのとき


 転移歴700年代の冒頭、アーグランド評議国の人里からさほど遠からぬ原生林の一角に、巨大な火口(クレーター)穿(うが)たれた。

 

 作ったのは、(ほか)ならぬ白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツァインドルクス・ヴァイシオン、その人……もとい、その竜である。

 

 森の中に突如出現した大理石造りの金字塔(ピラミッド)から、木乃伊(ミイラ)を歩兵、多頭竜(ヒュドラ)を機動戦力とした軍団が手近な町に進撃を開始した。ツアーを憚ってナザリック地下大墳墓はアーグランド評議国々境以北を監視しておらず、当初はこの異変にまったく気づかなかった。

 ニグレドと恐怖公眷属(ゴキブリ)が事態を察知したのはほぼ同時で、それは評議国外からも感知可能なほどの超大規模な爆発だった。銘々から報告を受けた我らが大魔王アインズ・ウール・ゴウンは大慌てでツアーに<伝言(メッセージ)>を飛ばしたが、どうしたことか応答がなかった。

 流石のアインズもこれを大いに心配したが、状況もわからないままに評議国へ自身の下僕(しもべ)を派すのも躊躇われ、数日おきにツアーに呼び掛けを試みる日々を続けること一ヶ月、漸く応答があった。

 

(あぁ、アインズかい?)

 

「アインズかい、じゃないだろ!

 一ヶ月も応答がなくて気を揉んだぞ!」

 

(……キミがボクの身を案じてくれるとは。どうもありがとう。)

 

「……いや、そういうのはいいんだが。

 何があった?こっちではそちらでトンデモない大爆発があったことだけ掴んでいる。」

 

(あぁ、それはボクだ。)

 

「……はぁ?」

 

(自分では温厚な性格だと思っているのだけれどね、久しぶりにキレてしまって。

 何なら今から見に来るかい、何も残ってはいないのだけれど。)

 

 そう言われて落ち合ってみれば、原生林の只中に直径三キロにも及ぶ大穴が口開いていた。

 

「承知の通り<始原の魔法(ワイルドマジック)>はボクの生命力から削り出されるからね。

 キミの呼び掛けに応じなかったのは熟睡していたからだ、流石に疲れた。」

 

 白金(プラチナ)傀儡(くぐつ)姿でそう言うツアーは、簡潔に顛末を説明してみせた。

 

 原生林に一番近い湿地帯に集住している評議国を構成する亜人の一角、蠍人(パ・ピグ・サグ)から「見たこともない建造物が突然現れた」の報が評議会を通じてツアーの耳に届くまでに十日ほどを要した。

 <百年の揺り返し>の時期であることは承知していたので、ひとまずは様子見に、と単身傀儡を飛ばしたツアーを待っていたのは、目を疑う光景だった。

 

「八欲王でもあそこまではしなかった。

 連中、<換金箱(エクスチェンジボックス)>を多頭竜の背に載せて持ち出していてね。随伴する木乃伊が、あろうことか生きたままの蠍人たちを次々に捕まえては無理矢理放り込んでいたんだ。流石にキレてしまってね。」

 

 この時点でツアーは頭に血が昇ってしまったらしい。たちまちに視界の中にあった木乃伊、多頭竜すべてを撫で斬りにして葬ったのち、そのまま森の中の金字塔(ピラミッド)に乗り込んで大太刀回りをやらかしたのだそうだ。

 

「キミが水晶の塔でやってみせた戦術を参考にさせてもらった。小一時間も暴れてみせれば拠点防衛の要ありと判じたのか、外に出ていた連中が大慌てで戻ってきたよ。」

 

 頃合いをみてツアーは、拠点前の目立つ場所でまるで力尽きたかのように傀儡を擱座させた。木乃伊がそれをタコ殴りにしている()()()になっている間に自身の本体、すなわち竜王(ドラゴンロード)の姿で強襲を仕掛け、傀儡を回収したのちに急上昇、拠点直上から<始原の魔法>を放ったのだという。

 

「いささか大人気(おとなげ)なかった、とは思うのだけれどね。

 やり過ぎてしまって何も残らなかったのは、いろいろ調査してみたかったであろうキミに申し訳ないことをしたとは思うよ。」

 

 そう言われてしまえばアインズには返す言葉もない。

 むしろ、自業自得とはいえ転移直後にこいつの逆鱗を踏んでしまったプレイヤーに同情すら覚える。

 

 ただただ、

 

(こいつを怒らせるようなことは金輪際決してすまい!)

 

と堅く誓う以外に、いったい何ができようか。

 

 そんな具合で<百年の揺り返し>が早々に片付いたため、アインズたちは気の重い出来事(イベント)を控えた転移歴700年代を、比較的平穏に過ごすことが叶ったのである。

 

 

                    *

 

 

「ナモン、来て下さいましたか。

 ささ、どうぞこちらへ。母上がお待ちです。」

 

 息子アレインに先導され、()もなき非常勤政治顧(モン)デミウルゴスはスレイン報国神都大神殿地下の回廊を音もなく進んだ。

 

 アレインの外見は二百歳に達した時分から加齢の様子がまったくみられなくなった。彼は、こと戦闘や魔法の才については父母の何をも引き継がなかったが、異形種である父の不老長寿は例外であったらしい。

 そして父子とは異なり、長命でありこそすれ有限の寿命を有する元漆黒聖典番外席次こと人の子シロクロは、(つい)にその天寿を終えようとしていた。

 

「小生は席を外しておりますので、どうぞごゆっくり。」

 

 シロクロは寝台(ベッド)に横になって微かな寝息を立てている。

 入室した時点で、デミウルゴスの鋭敏な知覚は、この者の寿命がもう残り僅かであることを見抜いていた。

 

 強いて起こすまでもないと考えたものか、デミウルゴスは枕元の小さな椅子に腰掛けてシロクロを見ている。

 ややあって、シロクロの目がゆっくりと開いた。

 

「あらナモン。来るとは思わなかったわ。」

 

「何故そう思うかね?

 キミは息子を産んでくれた恩人だからね、これくらいの骨は折るさ。」

 

 デミウルゴスは、何でもない、という様子でそう答える。

 

「あなたが私を愛してなどいないことは元より百も承知。」

 

「当然だよ、私の至誠の愛は至高の(あるじ)アインズ・ウール・ゴウン様のみに捧げられるものだ。

 が、そのこととキミを大切に思っているかどうかは別問題だ。そうは思わないかね?」

 

「あなたにそんな憐れみを掛けられようとは思いもしなかったわ。」

 

 ふーっとシロクロは深く息を吐いた。

 その呼気に混じった何かが、デミウルゴスにいよいよのときを悟らせる。

 

「仮に、死後の世界が存在するものであれば……。

 シロクロ、キミは地獄に堕ちるだろう。」

 

「久しぶりに顔を見せて言うことがそれ?」

 

 シロクロは、いつものことだ、といった(てい)で顔色一つ変えない。

 対するデミウルゴスは、指先で眼鏡を鼻に当てながら飄々と続ける。

 

「キミは自身が天国に招かれるようなことをして来たとでも思うかね?

 そして、地獄が確定しているのは悪魔である私とて同じことだ。」

 

「……」

 

「一足先に行って露払いをしておいてくれたまえ。」

 

「……」

 

「キミと私が組めば、多少の難敵がいようとも地獄を支配することが叶うだろう。

 私はまだしばらくこちらにおらねばならないが、先に進めておいてもらえると手間が省けていい。」

 

「……そんなことをして何の意味が。」

 

 デミウルゴスは三日月型の笑みを浮かべ、左右に大きく手を開く。

 

「無論、後からおいでになるやも知れぬ我が至高の(あるじ)に捧げるためさ!」

 

 釣られてシロクロにも、弱々しいながらに笑みが浮かんだ。

 

「最期の最後に、あなたの言葉に何一つ真実などない、と実感できて満足よ。

 ありがとう。」

 

「ああ……。

 今は静かにおやすみ、シロクロ。

 いずれ辺獄(リンボ)で。」

 

 シロクロのまぶたがゆっくりと落ち、もう一度深く息が吐かれたのを最後に、続く吸気はなかった。音もなく立ち上がったデミウルゴスは彼女の遺体をそのまま残して退出する。

 

「ああ、ナモン。終わりましたか?」

 

 息子アレインが陽気に話しかけてくる。

 デミウルゴスは敢えて正面から受け止めようとはしなかった。

 

「アレインよ、そろそろ独り立ちの時期だ。」

 

「小生もそのように考えておりました。

 ナモンはナザリック地下大墳墓へお戻りの後は、シズ・デルタ嬢に命じて母と小生に関する記録をすべて削除なさるおつもりで御座いましょう?」

 

「作戦終了時の証拠隠滅、は基本中の基本だからね。」

 

「ナモンも存外感傷的(センチメンタル)でいらっしゃる。

 おっと……これは失言でした、お忘れ下さい。あぁ、いずれにせよお忘れになるのでしたな!

 元よりナザリックの記憶より小生を抹消くださいますのは小生にとっても好都合なれば、どうぞご随意に。

 

 ただ、一つお願いの儀が。」

 

「……なんだね?」

 

「至高の御方(おんかた)に、これまでのご厚情の数々に小生が深く感謝いたしておりましたことを言伝ていただけますれば有り難く存じます。

 アレインは……

 

 アインズ様を(ねた)ましくも深くお慕い申し上げておりました。

 

と、くれぐれも宜しくお伝え下さいませ。」

 

 それまで薄い笑みを浮かべていたデミウルゴスが不意に真顔になる。

 

「それは……どういう意味なのかね?」

 

「ナモンにはご承知のことで御座いましょう。」

 

 デミウルゴスは更に語気を強めて詰問した。

 

「……父が子の考えを問うているのだ、答えたまえ。」

 

 問われたアレインに、父の勘気を気にする様子はない。

 

「ご下問とあれば是非もなし。

 雲霞の如き弱者、愚者、無能ばかりに付き従われる我が身なれば、精鋭の強者、賢者の方々に忠誠を誓われる御方を妬ましくも思いましょう。」

 

「我々の忠誠は、ギルドの鍵によるものだ。

 至高の(あるじ)を妬むは筋違い……とは思わないかね?」

 

「これはまたナモンとも思わせぬ物言い。

 ギルドの鍵の権をその手に収められたこと……そのことこそが至高の御方の唯一無二性であることはよくご存知で御座いましょう。それを、(ほか)ならぬナモンの創造主、かたじけなくも小生が片諱を頂戴したウルベルト・アレイン・オードル様がどのようにお考えであったか、も。」

 

 ふと、デミウルゴスは思う。

 今、アレインが口にしたことは、デミウルゴスにとっては秘中の秘。決して至高の(あるじ)の御耳に入れるべからざる話だ。無論、聡明にして叡智際限ないアインズ自身は()うの昔にそんなことなどお見通しであるに違いなかろうが、下僕(しもべ)の口から敢えて言上して許されるような事ではない。

 

 それをよりにもよってこの者は、言伝てされたし、などと抜かしている。

 

 今ここで殺しておくべきだろうか?

 否、そんな芸のない解決策は矜持に触るし、何より至高の(あるじ)もお望みにはなるまい。

 

 これは……息子から父に宛てられた挑戦状だ。

 嗚呼、シロクロは本当に良い子を産んでくれた、とデミウルゴスは嘆息する。

 

 再び薄笑いを浮かべたデミウルゴスが言う。

 

「我が創造主、ウルベルト・アレイン・オードル様の生まれ変わりは(ほか)ならぬこの私、と考えて来たが、存外キミがそうであるのかも知れないね。」

 

 対してアレインは、ははは、と笑った。

 

「ご冗談を。そもそもお祖父(じい)様は、二度と阿呆らしい世界に関わりたいなどとは夢々お考えにはなりませんでしたことで御座いましょう。我らはただそのご遺徳を偲ぶのみの存在にして、ご遺命の実現に邁進するだけで御座います。」

 

 デミウルゴスは笑わず、むしろ身を翻し息子に背を向けた。

 

「……殊勝なことで結構だ。せいぜい精進したまえ。」

 

「ナモンにおかれてはくれぐれもご用心あれかし。

 あなたは小生のことをお忘れになるやも知れませぬが、小生はあなたのことを決して忘れはいたしませぬ。地の利は小生に御座いますぞ。」

 

 これにデミウルゴスは最早応じず、手中の光る玉を割って姿を消した。

 

 翌日、人の子の薨去が公のものとなり、スレイン報国は新たな支配者を迎えて国号をアレイン皇国に改めた。

 以降、長くアレイン皇国の名はナザリックの歴史に刻まれることはなかった。アレインが、父デミウルゴスが自国の行動に着目するような事態を徹底して()けた(ゆえ)である。

 

 再びその名が現れるのはこれよりまだ云千云百年先。

 

 国内外から総数一千万と号する弱者、愚者、無能を皇国首都に集めたアレインは、異様な熱狂の中、この世界のあらゆる不幸災厄の(せき)は大魔王アインズ・ウール・ゴウンに帰するものである、と断じる大演説を敢行する。以て、この狂喜の乱痴気騒ぎ(サバト)を見るに見かねたアインズの手により、一千万の有象無象を引き連れて<黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)>の(にえ)と消えた。

 召喚叶った上限いっぱい十六匹の可愛い黒い仔山羊(こやぎ)ちゃんは、七日をかけて大陸の爛熟しつつあった機械文明を壊滅せしめ、再びの暗黒、でありながら未知と活気に溢れる冒険の世界へと時代を回帰させることになる。

 

 アインズは事件の首魁を<蘇生(リザレクション)>しその真意を問うことを試みるが、アレインはその召命に応じることがなかった。

 

 

                    *

 

 

「アレイン皇国……ねぇ。」

 

 キーノ・インベルンが人の子シロクロの死とスレイン報国の国号変更を耳にしたのは、実際のそれから随分と経って(のち)、バハルス帝国に由来する都市国家の間を旅していた最中のことになる。

 この時分のバハルス帝国は、制度としての推挙歓呼による皇帝選出の観念こそ共有しているものの、最早一枚岩と呼ぶには随分と個性化した都市群のゆるやかな連合体となっていて、かつての帝都アーウィンタールも、今では往時を偲んで「古都」と呼ばれるのが一般的になっていた。

 

「あの絶死絶命にも寿命があったのねー。

 ま、シロクロちゃんがいなくなったのなら、スレイン……アレイン皇国だっけ?立ち寄るのを遠慮する理由はなくなったわさ。」

 

 町の市で手に入れた仔羊(こひつじ)から取った血を飲みながらクレマンティーヌが嘯く。相手によっては人間の血を頂戴することがないではないが、日常的にはこれが彼女の力の糧だ。

 

「やめとけ、やめとけ。真意はどうあれ、あのアインズ・ウール・ゴウンの息がかかった国であることに違いはない。下手に手を出せば火傷(やけど)では済まんぞ。」

 

 キーノは生真面目にそう応じながら、クレマンティーヌのために血抜きした後、<雷撃(ライトニング)>で炙った仔羊(こひつじ)のもも肉を頬張る。

 二人は今、とある町の拠点として確保した小さな宿の部屋に二人で居る。クゥイア、クゥイナの双子忍者は頼んだわけでもないのに荷物を置くや、噂話の収集に出払ってしまった。

 

「もちろん冗談だってばぁ!

 それはさておき……今、双子ちゃんいないじゃない?」

 

「ん……いや、な、なんだ……そ、その、まだ日も高いのに……」

 

「はぁ?

 

 ……もう、キーノちゃんの変態(へんたーい)、エロ助平(すけべ)

 そういう話じゃなくってさ。

 

 キーノちゃん……気づいてた?」

 

 急に神妙な表情を見せるクレマンティーヌに、一瞬淫らな妄想に陥りかけたキーノは正気を取り戻す。

 

「……何の話だ?」

 

「双子ちゃんよ!」

 

「クゥイアとクゥイナが……どうかしたか?」

 

「ときどき……入れ替わってるよね。」

 

「……はぁ?

 ど、どういうことだ!」

 

「私よりも全然長い付き合いなのに……気づいてなかったの?」

 

「気づくも何も。二人ともに見た目はそっくりだからなぁ。」

 

「そこよ!」

 

とクレマンティーヌは、誰に憚ってか小声で話す。

 

 曰く、少し前に立ち寄った町で、乞われてしばしばトブの大森林から現れる巨大百足(ギガント・センティピード)を討伐した際、油断したわけでもないのだろうが、百足の尖った足先がクゥイアの(ひたい)を掠めたのだという。怪我、というほどのものではなかったが、眉の一部が僅かに欠けていることにクレマンティーヌは気づいていた。

 その数日後、クゥイアがその町で仕入れた話に耳を傾けていたとき、よく見ると欠けたはずの眉が治っている。もう生え揃ったのか、と思いきや、隣で無言を保っているクゥイナの眉に、先日クゥイアが被ったはずの欠けがあるではないか。

 

「んで、その数日後改めてクゥイアちゃんの話を聞くふりをしながら眉を観察してみたら、治りかけの欠けがあって、逆に隣で黙ってるクゥイナちゃんの眉には傷一つないわけよ。」

 

 キーノとしてはこれまでそんなことはまったく考えたこともなく、何かの見間違いではないのかと訝しく思う一方、漆黒聖典の工作員として鍛錬されたクレマンティーヌの卓越した観察眼はよく承知しているので、彼女の話を否定する気にもなれない。

 冗談としては突飛に過ぎるし、そもそもクレマンティーヌは本人がどう思っているかはともかく、ふざけてあらぬことを口走っているのか、真面目に考えて喋っているのかは表情を伺えばすぐにわかる口だ。

 

 そして、今彼女が見せている表情は真面目そのもの。

 しかも、クレマンティーヌは随分と前からこのことに気づいていて、当初はキーノ、クゥイア、クゥイナが三人で示し合わせて自分をからかっていると考えてすらいた、と言うのである。

 

「正直、私自身これまでは気のせいかな、と思ってたわけよ。

 眉の欠けは本当にわかり易かったから、こりゃ間違いないわ、と思って。」

 

「うーん……俄には信じ難いが、おまえがそう言うからには本当なんだろうな。」

 

 はて、どうしたものか、とキーノは考え込んだ。

 これまでにも、双子のことをより深く理解したい、という思いからその来歴に探りを入れたことは少なからずある。が、二人は常に巧みに話を逸してしまうし、クゥイナは元よりクゥイアも(だんま)りに転じれば頑として応じないので取り付く島もなかった。

 

 二人にクレマンティーヌの気づきを突きつけて、真相を聞き出すべきだろうか?

 そもそも二人は、それに素直に応じたものだろうか?

 

 その行為が、彼らとの関係にひび入れることはないだろうか?

 

 

                    *

 

 

 トブの大森林。

 

 見渡す限りの草原を、金糸銀糸をあしらった豪奢な漆黒の装束(ローブ)を風に靡かせ歩む骸骨がある。

 両の腕には、年老いてなおも美しい二人の闇妖精(ダークエルフ)、シニョーラ・フィオーラとシニョーレ・フィオーレ、すなわち初代アウラとマーレが()(かか)えられている。

 二人の元来の在所、ナザリック地下大墳墓第六階層(ジャングル)こそが相応しいか、とも思われたが、何人(なんぴと)にも代えがたいこの二人の下僕(しもべ)が、もっとも活き活きとその能力を発揮して活躍したのは、彼らが切り拓き、今なおナザリックを支える盟約を樹立させ、そして守り続けてきたこの森だ。

 

 避けがたい運命の日が近いことを予感したアインズは、ここ数日をシニョーラ・フィオーラとシニョーレ・フィオーレを抱いて森の中を共に彷徨(さまよ)いつつ過ごしている。八百年に渡る思い出を語らい合いたいようには思うものの、何も思い出せることはない。

 アインズの記憶の中では、常に二人は転移直後、まだ幼かった少女、少年であったアウラ、マーレの姿をしている。そこに、目下彼女らを含めて四世代に渡っている子孫たちの姿が重なり合う。乙女と青年、紳士と淑女、そして人生の酸いも甘いも噛み分けてきた風格を漂わせる老女、老爺の今の二人。

 みな風体はよく似ているが銘々に少しずつ異なる個性を発揮し、アインズを驚かせも喜ばせもしてきた。そして皆、ナザリックの仲間たちのためによく尽くしてくれた。

 

 その元初発端の二人が、寿命を迎えようとしている……。

 

「せめて今一度、ぶくぶく茶釜様にはお会いしたかったですねェ。」

 

 やや嗄れた声色で、それでも昔のままのカラリとした口調でシニョーラ・フィオーラが言う。

 

「何を言ってる、ぶくぶく茶釜さんは常にオレの中にあっておまえと共に在ったんだぞ。

 姿を見せてやれないのは残念だがな、今もオレの心の中にはおまえを誇らしげに語る彼女の声が聞こえる。」

 

(サトルくん、ちょっと格好つけ過ぎ!)

 

 ……いいじゃないですか、ちょっとくらい!

 

「ふふ、そうでしたアインズ様。

 きっとぶくぶく茶釜様は、今のアインズ様を格好いい!と褒めておいでですよねェ。」

 

「ア、アインズ様?」

 

 続いてシニョーレ・フィオーレが尋ねる。

 

「アインズ様は、ぶくぶく茶釜様を……あ、愛しておられたのですか?」

 

 こ、こいつ……生意気な口を!

 

「さぁ、それはどうだろうな。

 もちろん、オレはぶくぶく茶釜さんのことが好きだ。彼女もオレのことを好いてはくれていただろう。」

 

(サトルくん、勝手なこと言わない!)

 

「だが、それが愛であったか?と問われれば、違うな。

 ぶくぶく茶釜さんは、オレたちギルド、アインズ・ウール・ゴウンの皆のお姫様、の一人だった。愛する、というのは少なからず独占したいという思いを伴うものだ。オレは彼女を独占したいとは思わなかった。彼女も、オレを独占したいなどとは夢々思わなかっただろうよ。」

 

(サトルくん……イカすぜ!)

 

「ボ……ボクは、お(ねぇ)ちゃんを独占してしまいました!」

 

とシニョーレ・フィオーレが泣きそうな顔をする。

 

「別に構わないじゃないか!

 おまえにとって、それだけアウラは大切な存在だったんだ。それは素晴らしいことだ。そしておまえたちは共に手を携えて、ナザリックのためによく尽くしてくれた。何を恥じることがある!」

 

 途端、シニョーレ・フィオーレがパァと笑顔に転じる。

 

 ……おまえ、本当は別に気にしてなんかなかったよな?

 おまえはそういう(やつ)だよ、昔から。

 

「これ以上、アインズ様をお支えすることが出来ないのが……残念ですゥ!」

 

 やはり嗄れた声で、だが悲しさなど微塵も感じさせないカラリとした調子でシニョーラ・フィオーラがそう言った。

 

「オレもおまえたちとの別れは残念だ。

 が、おまえたちがオレに遺してくれた子孫たちは、これからもオレとナザリックを支えてくれるだろう。おまえたちは胸を張ってそのことを誇っていいんだ。」

 

 死の支配者(オーバーロード)の死の支配者ゆえの第六感が、いよいよそのときが近づいてきていることを告げている。

 

「最後に……お願いしちゃってよろしいですかァ?」

「ボ、ボクもお願いがあります!」

 

 嗚呼、きっとそうなるだろう、とは思っていたよ。

 

「同じ死ぬなら……」

「ア、アインズ様の御手にかかって……」

 

 そんなこと出来るわけないだろ!

 

「あぁ、そうだな。

 

 だが、まだそのときではない。

 今少し、この風景を楽しもうじゃないか。」

 

 そこは、トブの大森林の中ではとりたててどうという場所ではないが、大きく開けた野っ原で、どうということはない花々が、それでも一面に咲き誇っていた。その中央、やはり何でもない小さな岩に、二人を抱きかかえたままアインズは腰掛けた。

 

 愛しい下僕(しもべ)の生命の火が二つ、ほぼ同時に消えようとしている。

 アインズは二人を強く抱き寄せた。

 

「お別れのときだ。アウラ、マーレ、本当に今までありがとう!

 <時間停止(タイムストップ)>!」

 

 こんなことをしても何の意味もないことは百も承知のアインズではあったが、そうせずにはおれず、MP(魔力)の許す限り時間の流れを止めて二人を抱きしめ続けた。やがてそのMPも尽き、時が再び流れ始める。

 

 そして、時宜(タイミング)を見計らいつつ耳元で囁く。

 

「ツ……ツインマキシマイズマジック……デス!」

 

「あぁ、アインズ様ァ……アインズ様は本当にお強くてェ……」

「お、お優しい御方です……」

 

 静かに二人のまぶたが閉じられ、そしてそのまま開くことはなかった。

 やがて光の粒となって弾けアインズの抱きしめた腕の中から霧散していく。

 

 幸いなのは……。

 

 幸いなのは遠からずオレはこれを忘れることだ。

 そうでなければ、二百年毎にこれをやり続けるのに耐えることは出来ないだろう。

 

「さて……帰るか。」

 

 そよそよとそよぐ風が綿毛を巻き上げ立ち上がったアインズを包み込む。

 それはまるでこれからも継ぎ継がれていくであろう生命の祝福であるかのようだった。

 

 

                    *

 

 

「聞いてよねェ、シャルティア!

 お(にぃ)ちゃんてば非道(ひど)いのよォ……って、シャルティア?」

 

 ナザリック地下大墳墓第六階層(ジャングル)

 気まぐれに通りすがった鮮血の戦乙女シャルティア・ブラッドフォールンは、このとき百四十一歳、その背丈はシャルティアをやや追い越し女らしさを感じさせるささやかな胸の膨らみも感じられる四代目アウラ……この時点ではまだ襲名を許されておらず幼名のベラで呼ばれる闇妖精(ダークエルフ)に捕まって由無し事に耳を傾けさせられていたが、実際のところは上の空で、その言葉は彼女の心にまで届いてはいなかった。

 

「ねェ、シャルティア!

 私の話、聞いてる?」

 

「……チビ助?

 あぁ、聞いているでありんす。」

 

「もう私の方が背が高いのに、チビ助、はやめてくれないかなァ!」

 

 そういきり立たれてシャルティアは、直視するのに辛さを感じる声の主に改めて視線を向ける。

 その姿は、面影こそ彼女のよく知るアウラのそれだが、本人の抗議にも言われた既に逆転した背丈、ベロを兄と呼ぶこと、発揮する曽祖父(初代マーレ)譲りの森祭司(ドルイド)能力(スキル)、そして何にも増して少女のそれから乙女へと転じつつあるささやかな胸の膨らみ……と、シャルティアの脳内に浮かぶ絵面(イメージ)に対して差異が多々ある。

 

 が、シャルティアにそれを直視することに辛さを覚えさせるのは、そういった記憶と実像の乖離そのものでは決してなく……おっぱい、については若干それがあるかも、だが……否応なくその姿が、先だって身罷った初代アウラを想起させるから、に他ならなかった。

 

「はぁーーー。」

 

と、再び目を(そら)してらしからぬ深い溜息をつくシャルティアの正面に、潜り込むようにしてベラが覗き込んだ。その純真無垢にして曇り一つない愛らしいまん丸な(まなこ)に、シャルティアは目が釘付けになる。

 

 ドキリッ!

 

 あろうはずもない(しん)の鼓動が、大きく脈打った錯覚をシャルティアは覚えた。

 

 創造主ペロロンチーノの嗜好を引き継いで、フレーバーテキストに同性愛者(レズビアン)少女愛者(ロリコン)と定められたシャルティアにとって、ちょうど片手の平に収まるほどの胸の膨らみを薄手の衣装の奥底に匂わせる今のベラは、好物も大好物だ。

 成長途上でレベル七十ほどでしかないベラを組み伏せるのは容易だし、ナザリック内にあって身を守る世界級(ワールド)アイテムを装備していない今なれば、肌身離さず纏って歩いている傾城傾国(チャイナドレス)で思いのままに操って、あんなことやこんなことを強いることすら出来もしよう。

 

 だがシャルティアは、ポンコツでこそあれ、それが自身が真に望むことではないことがわからぬほどポンコツではなかった。

 

 そもそもからして、初代アウラに対してもそのような思いがまったくなかったわけでは決してない。だからシャルティアは、彼女が実弟との間に二代目となる双子をもうけたと知らされたとき、それを悟られるような真似こそ本人の主観では決してしなかったつもりであるものの、何とも表現し難い深い喪失感を覚えたものである、憶えてはいないが。

 だから、初代アウラの死にこれまた深い喪失感を覚えつつも、何を今更、そもそもそれは私のものでは決してなかったではないか、という思いもまたないでもない。

 

 思えばシャルティアは、自身に(かしず)き如何なる無茶にも淫靡な要求にも応じる吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)に囲まれ暮らし、現地人との接触を禁じられた下僕(しもべ)が大半であるナザリックにあって、その近傍守護の任に際してのみではあるが迷い込んだ者を殺すも喰らうも勝手の特免を得た身分だ。

 端倪すべからざる至高の(あるじ)にも恵まれ、あらゆるこの世界の存在の中にあって、永遠不滅の自分自身は最も幸福な者だ、と考えないこともないが、しかし同時に、でありながら、過ぎたる望みと自ら認めつつも、満たされぬ何かを感じ続けていることもまた事実。

 

「あちきは……。

 何でも持っておって、何も持ってはおらん者でありんすなぁ。」

 

 さりとて、心の内に生じた烈情の炎もまた如何とも収め難く、彼女の瞳は変わらず自身を上目遣いに覗き込み続けるベラのそれに釘付けのまま、愚痴にもならぬ愚痴を吐くことしかできなかったのであるが、そんな彼女の葛藤を知ってか知らずか、ベラはさらりとこう告げた。

 

「シャルティアはナザリックのお姫様なんだからァ。

 もっとしゃんと、パリッとしてくれてないとォ!」

 

 ……はぁ?

 

「……コキュートスに、姫、と呼ばれておったのはおんしではありんせんでしたか?」

 

 実態を憶えてこそいないものの、幾度と繰り返されてきた熱狂(フィーバー)の季節が身体の何処かに刻み込まれたものか、シャルティアはそう問うたが、問われた方は、

 

「そんなの、私が小さいうちだけだよォ!」

 

とカラリと返す。

 

「知らなかったの、シャルティア?

 私のお母さんも、お婆ちゃんも、そして亡くなったひぃお婆ちゃん(初代アウラ)も……

 シャルティアのことをお姫様だ、と言って憧れていたのよォ!」

 

 その言葉に、シャルティアの目がまん丸に見開かれる。

 

「そ、そ、そ、そんなわけ……ありんせん!」

 

 顔を真っ赤にしながらシャルティアはベラの言葉を否定するが、やはりベラはそれを気にするでもなくカラリと応じる。

 

「うちの家系は、カラリとするかぼんやりするか、と相場が決まってるからねェ。

 シャルティアみたいにお嬢様然とした日傘(パラソル)も嫋やかな膝折礼(カーテシー)も、やってみたいとは思うけれど、まったく似合わないでしょォ?」

 

「……」

 

淑女(レディー)って意味ではアルベドも、見た目だけは捨てたモンじゃない、とは思うわよォ。でも、彼女も本質は私に勝るとも劣らずがさつでしょォ?

 

 だ・か・ら!

 

 ナザリックのお姫様、と言えば、あ・な・た、シャルティアなのよォ!

 その憧れのお姫様に、溜息なんて似合わないわよォ!」

 

 ベラはそう言いながら今度はシャルティアの背後に素早く回り込んで、その背をバンバン、と叩いた。そして、そっと身を寄り添わせる。

 

「シャルティアが、ひぃお婆ちゃんのこと、悲しんでくれてるのわかってる。

 わかってるけど、だからこそ言わせてちょうだい。

 

 アウラ、は、ひぃお婆ちゃんだけじゃない。

 お婆ちゃんも、お母さんも……そしてあと数十年もすれば私がアウラ!」

 

 アウラはそう言いながらポンッとシャルティアを突き離し、くるくると身を翻した。

 思わず、ふふ、とシャルティアの口元から笑みが溢れる。

 

「……あちきとしたことが。

 チビ助如きにそんな気遣いをされようとは思いもせんことでありんした。」

 

「だ・か・ら!

 もう私の方が背が高いんだから、チビ助、はやめてくれないかなァ!」

 

「アウラはチビ助、チビ助はアウラ。

 これは永遠不変の真理でありんすゆえ、どうにもならんことでありんす!」

 

 楽しげにそう言い返すシャルティアを見て、ベラは表に出しこそしないものの内心ホッと一息ついた。

 

 また一つ、一族の努めを果たすことが出来た、と。

 

 曾祖母初代アウラは、長くナザリック地下大墳墓における自身の役割(ロール)は如何にあるべきかを人知れず悩んでいたが、懐妊出産が契機となって、他者にこそ語られはしないものの、自分自身を「ナザリックのお母さん」と自認するに至った。

 もっとも、字義通りの双子の我が子に対する母親業についてはペストーニャ・ワンコとユリ・アルファに丸投げしたきりだったのであるが、それでも彼女は、(あるじ)アインズがナザリックの下僕(しもべ)たち全員を明示的に教導訓示するところの父親であるように、自身は慈しむべき仲間たちを暗示的に包容愛撫する母親なのだ、と自認していた。

 ほとんど我が子達と交わりを持たなかった彼女ではあるが、この一点についてだけは、自身のカラリとしたしっかり者の性格を受け継いだ二代目マーレに語り継がれた。以降、性別を問わずこの努めは、しっかり者の性格を受け継いだ子どもへとどこかの時点で受け継がれていったのである。

 

 今、シャルティアに語られたそれも、記憶に制約を受けない先々代、先代の母親自認役から、万が一シャルティアが塞ぎ込むようなことがあればこう言って元気づけてやれ、と語り継がれて来たものだ。

 同様に、アルベドが誰かに無駄な焼き餅を焼いて手がつけられないとき、デミウルゴスが策に溺れて自縄自縛に陥ったとき、セバスが自身の正義とナザリックの大義の狭間に苦しんだとき……等々、このようなアインズの命令によって一旦は解決しはするだろうが、本質的には下僕(しもべ)自身の気づき、乗り越えを必要とする場面に対し、ナザリックの母親役として如何に処すべきか、どう励まし、語らい、見守るべきか、三世代に渡って考えに考え尽くされて来た手段が、目下の四代目、未だアウラの襲名を許されないベラの精神の根幹にどかりと腰を据えていることに気づいている者は、永遠の相方であるマーレ、ときによってぼんやりしたアウラ以外には、至高の主アインズ・ウール・ゴウンも含め、(つい)ぞいないままなのである。

 

 

                    *

 

 

「どっちがクゥイアだ?」

 

 いつものように、気がつけば扉も開かずに室内にいた双子忍者に、キーノは単刀直入に尋ねた。

 いろいろと筋書き(シナリオ)を考えてはみたものの、そもそも不器用な自分には二人に真意を見抜かれぬまま話を進める術などない。さりとて、この謎をクレマンティーヌに丸投げする気にもなれなかったキーノは、ただ思ったままの疑問を二人にぶつけることにしたのだった。

 

 問われた双子忍者は互いに顔を見合わせ、

 

「意味不明。」

 わけわからん、の身振り(ジェスチャー)

 

で応じた。

 

「では訊き方を変えよう。」

 

とキーノは腹を括る。

 

「何日おきに二人の役割は入れ替わるんだ?」

 

「三日。」

 立てた指三本。

 

 呆れるほど素直に二人は同時に答えた。

 意味するところは単純至極。

 

 キーノも、六百年前に共に旅した<(あけ)薔薇(ばら)>のガ・ギンもリキウス・アインドラも、クゥイアとクゥイナをそれぞれ揺るがざる個、と見做してそれを疑うことなどしていなかったが、本人たちにとっては二人が三日おきに役割を入れ替わり、一方が会話担当(クゥイア)、もう一方が沈黙担当(クゥイナ)になっていることは、実は秘密でも何でもなかったのだ。

 

「何故そんなことをするのか……訊かせてくれるか?」

 

 思い切って踏み込んで尋ねた問いに対する答えは、大いにキーノを得心させた。

 

「忘れないため。」

 こめかみの横で指をくるくる回す身振り(ジェスチャー)

 

 嗚呼、謎が解けた!

 

 ユグドラシル由来の存在が記憶に難を抱えている、という話は、随分と昔にアインズ・ウール・ゴウンに語って聞かされて以降、秘中の秘としてこれだけはクレマンティーヌにすら話していない事柄になる。

 双子忍者がユグドラシル由来の存在ではないか、と薄々感じつつも確信を持てなかったのは、アインズがせいぜい()って一年だ、と言ったこちらの世界において新たに得た記憶を、少なくとも双子忍者は数十年分は遡って平気で語って見せたからだ。

 

 が、ここには、双子忍者が二人がかりで処する何らかのからくりがあったのである。

 

 実際のところそれは、ナザリックにデミウルゴスの日記と神託娘(オラクル)シズ・デルタがあるが如く、自身の短期記憶の問題に目聡く気づいた<翻訳の神秘>の施工者エドモン・ウェルズが、忍者支援部隊(ユニット)の情報連携機能を利用して編み出した回避策(ワークアラウンド)だった。

 

 アインズとは異なり下僕(NPC)を持たなかったエドモンは、研究者ゆえの虚心坦懐な自己洞察のみから自身の短期記憶に難があることに気づいたのであるが、その解決のため彼がなけなしのユグドラシル金貨を(はた)いてまで二体の忍者を活性化(アクティベート)したのは、(ひとえ)にエドモンが略奪などを潔しとせず、自ら施工したところの<翻訳の神秘>を活かしての現地人との交流にギルド維持の活路を見出したからに他ならなかった。

 ゆえに、エドモンが必要としたのは、記憶の永続ではなく、あくまでも拡張だった。付き合いのある人間、亜人の主だったものたちが、その現役世代にある三、四十年程度の間の記憶の共有さえ叶えば、意思疎通(コミュニケーション)には十分だったからだ。

 エドモンが利用したのは、ユグドラシルNPCの言語野……彼は脳神経学者だったのでそう呼んでいたが、実際のそれはキャラクタの言語設定(ロケール)である……が固定(ROM)ではなく可換(RAM)であった仕様である。実際、自身仏語話者であったエドモンは、ユグドラシル時代に少年忍者たちをfrançais(フランス語)設定の課金支援部隊(ユニット)として購入したのだが、無論それは、本来(デフォルト)は日本語のそれを差し替えただけのものだった。

 この言語野の容量は決して馬鹿にできたものではなく、除去(パージ)してしまえばかなりの記憶を補うことが出来る。加えてエドモンは、忍者たちが生来有していた情報収集からの戦況要約機能を活用した。見聞きしたままの記憶はただただ平板に記憶容量を消費してしまうが、要約を経たそれは生の記憶に比して大幅な圧縮がおこなわれるからだ。言葉を失った言語野に収まる要約記憶の保持期間は、エドモンの記憶拡張の要求を十分満たしていた。

 かくしてエドモンは、冗長性(リダンダンシー)も勘案の上で二体の忍者を目覚めさせ、三日おきに相方から前三日保持した要約記憶+増分を受け取りつつ、自身の言語野の中身を相方に譲り渡して記憶のための空き容量を確保する技術を教え込んだ。この(わざ)だけは何があっても決して忘れてはならない、と厳命しつつ。

 言語野を維持している側は区別の便宜のためクゥイアと呼ばれ、言語的情報の収集と対外交渉の助手、そして何より取り出した記憶の再生役を務めた。長期の要約記憶を維持している側は同様にクゥイナと呼ばれ、言語野を欠くので原則会話ができないが、視覚的情報の収集と必要に応じての記憶の引き出しに利用された。元より、二人の忍者の精神は遠隔通信(テレパス)でつながっているので、互いに記憶を利用することが可能だ。

 皮肉にも、決して忘れてはならないと厳命された事柄にエドモンの存在自体は含まれてはいなかった。もちろんこれは、常に彼らは共に在ったのでそんなことを命じる必要がなかったからだが、結果、ギルド崩壊を経て忠誠の縛りを解かれた二人の忍者は、言語同様に主人もまた可換な存在へと変容を遂げたのである。

 もっとも、長く(あるじ)を持たぬまま当てもなく世界を彷徨っていた二人が、混血武妖巨人(ハーフウォートロール)ガ・ギンを新たな主として迎えたのは、それでも記憶の片隅に微かに残されたエドモンの面影が為さしめたものであったのやも知れない。

 

 とまれ。

 キーノに、その詳細を知る術はない。

 

「おまえたち……ギンさんのこと、憶えているか?」

 

 不意に思い立って、キーノはそう尋ねてみるが、

 

「誰それ?」

 わけわからん、の身振り(ジェスチャー)

 

で応じられ、溜息をつかざるを得なかった。クゥイア、クゥイナもまた、ユグドラシルから来た者の御多分に漏れず、こちらの世界で得た記憶を失ってしまう存在だったのだ。

 あれほど慕っていたギンのことを憶えていないことを不憫に思わないでもないキーノではあったが、逆に、ガ・ギンやその母ガガーラン、リキウス・アインドラやラキュース・アインドラを失った喪失感を今だに不意に思い出しては感傷に浸ってしまうことのある自分と、過去の記憶をすっかり忘れ去ることのできる双子忍者は、果たしてどちらの方が幸福と言えるか、キーノには容易に結論することが叶わなかった。

 

「気づいたときは流石に驚いたけど。」

 

と、さきほどからこの様子を眺めていたクレマンティーヌ。仔細は語られずとも、意味するところは既に概ね了解しているようだ。

 

「私は別に気にしないわ、二人がときに入れ替わってんだとしてもさ。

 そもそも見分けつかないし、それ以前に私らみたいに吸血鬼(ヴァンパイア)でもないのに老けもしない双子ちゃんに、さらにひとつふたつ不思議要素が加わったって、今更何?だよねー。」

 

 クレマンティーヌのあっけらかんとした物言いに、キーノは随分と救われた感を覚える。

 

 そう、ナザリックの連中がそうであるが如く、重要なのは記憶の共有ではなく、今この瞬間共にあることを感謝し合えることだ!

 

「だから双子ちゃんも気にする必要なんてないのよー。」

 

 ニコニコ顔のクレマンティーヌが二人を招き寄せた。

 

「どうしてお姉さんのレテテ(おっぱい)がふたつあるか知ってたー?

 それはね、双子ちゃんのためにひとつずつあるからだよー!」

 

と双子を胸に抱きしめる。

 クゥイアとクゥイナ……どちらがどちらであろうか……は柔らかい感触を覚える頬をぽっと赤く染めた。

 

「キーノ小母(おば)さんにはないからねー!」

 

 クレマンティーヌがそう言うと、双子忍者の冷たく憐れむような視線がキーノに刺さる。

 

 ……はぁ?

 

 おまえらいい度胸してんな。

 そうか、おまえらそんなに私の<万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)>で消し炭になりたいか!

 

 猛烈な殺気を感じ取った双子忍者はアッという間に姿を晦まし、クレマンティーヌは大慌てで(あるじ)キーノ・インベルンに駆け寄ってその唇を奪った。

 

「キーノちゃんも!

 お姉さんがいいことして上げるからー、そんなにイキり立・た・な・い・で!」

 

 不意を突かれた……否、まさにそれこそを望んでいたキーノは、さきほどまで血走らせていた目をとろんとさせ、そして閉じ、自らクレマンティーヌの柔らかい胸元に顔を沈め、呪われた自身の祝福された境遇に感謝した。




<次話予告>

異世界の車窓から。今日は夜明けのエ・レエブルを()って、エ・ペスペルへと向かいます。

億劫のオーバーロード第10話『異世界の車窓から』

ひょっとしてこいつ、長く生き過ぎて痴呆が出て来てるんじゃないのか?
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