アインズとツアーの異世界鉄道珍道中。
18.異世界の車窓から(1)
「何じゃ……こりゃ?」
「いや、だから列車だよ。」
隣に並び立つ
自由都市エ・レエブル城壁の外側に広がる
横幅2メートルと少し、長さはその四倍弱の箱型の
馬に牽かれているのが第一だが、これはアインズ自身が<
まず目を惹いたのは客貨車それぞれに外目に目立つ外輪が四つ取り付けられていることだ。つまり、基本的な構造は、いわゆる馬車と大差はなかった。木製の大きな車輪には金属の輪が嵌められており、さらに外縁を動物の皮を鞣したと思しき素材で囲まれている。
(これに乗って……ツアーと十二時間の二人旅だとぉ?)
*
事の発端は、ナザリック地下大墳墓地上部に白金の
ナザリック内部へこれを招き入れると、その防衛結界によりツアー本体から<
「や……やぁ、アインズ。お久しぶり!」
ん?
<百年の揺り返し>を捉えて駆け付けた……という感じじゃないな。
アインズはツアーの様子に訝しさを覚えるが、果たせるかな、そのツアーはなにやら常になくもじもじした仕草で、言い出しにくい何かを抱え込んでいることは一目瞭然。
「何か……厄介な頼み事、といったところか、ツアー?」
「!
察しがよくて助かるよ。」
パンッ、と甲冑の両の籠手の平を打って合わせたツアーの頼み事は想像の埒外だった。
「……列車に乗ってみたい、だと?」
「知らないかい?
去年開通したんだよ、エ・レエブルからエ・ペスペルまで半日で行けるんだ!」
アインズとしては疑問が山ほどある。
列車、と言うからにはこの世界初の鉄道が開通した、ということなのだろうが、転移以来八百年ずっと<
ツアーの言う人間の街……だよな、多分きっと……の名前は当然のことながら記憶になく、如何程の距離があるものかは知らないが、ツアー本体にせよ傀儡にせよ、ものの数分でひとっ飛びだろう。何が悲しくてこの獣は、自分で飛ぶよりも何十倍も時間がかかる手段を敢えて使いたがるのだろうか。
そして最大の疑問は。
何でオレを誘うんだ?
そんなもん、乗りたければ勝手に乗ればいいじゃないか!
「いやぁ、一人だと気恥ずかしくてね。」
いや、全身甲冑姿二人の方がもっと恥ずかしいだろ!
「一人が嫌なら、娘でも誘えばいいじゃないか。」
「こんな恥ずかしいことをコニーに頼めるわけないだろ?」
オレになら恥ずかしくない、ってのはどういう了見なんだ?
「いやぁ……アインズなら、こういう、何というか、酔狂を理解してくれるんじゃないか、と。」
……まぁ、それはわからんでもない。
実のところ、話始めは何言ってんだコイツ、な気分ではあったものの、次第にツアーが乗ってみたがる列車とやらに興味津々なのも偽らざるところ。
「そういうわけで、アインズも甲冑姿になってくれ。
今日は朝一番にエ・レエブルからの列車が出ることは事前に調べて来たんだ。」
アインズから見てツアーは、断られることなど決してない、と確信しているように見えた。
何なんだ、そのノリは!
最早ツアーが翻意することはないと諦めたアインズは、大雑把にツアーの言うエ・レエブル近傍への
「ちょっと、探してくるよ。」
と、人目がないことを幸いに空高く飛び上がったツアーを見送りながらアインズは、そんなことが出来る奴が列車に乗ろうだなんてどういうことなんだ!と、その酔狂に無理やり付き合わされていることを含め、今なお憤懣やるかたない思いを抱えていた。
一方で、存外怜悧な彼の一面は別の可能性を考えてもいる。
<百年の揺り返し>があって然りのこのときに、<
かつて、
そんなことを考えつつ、上空から駅を発見したツアーに導かれてそこへ辿り着いてみれば、そこには夜明け前にも関わらず少なくないエ・レエブル市民が集まっていた。
身なりの整った紳士淑女は、おそらくアインズやツアー同様にエ・ペスペルへ向かう乗客なのだろうが、その数は決して多くはない。むしろ目立ったのは小さな子供を連れた、旅支度とは思えない日常着の父親たち。ツアーの言によればこの列車とやらの運行が始まったのは一年ほど前だということだが、まだその存在は市民にとっても珍しいもので運転日にはこうして見物客も現れるのだろう。
ややあってその一角にどよめきが起こり、問題の列車とやらが姿を現した。
「何じゃ……こりゃ?」
「いや、だから列車だよ!」
見るからに心うきうきな様子の隣に並び立つ
六頭の
馬に牽かれる外輪車、という出で立ちもさることながら、アインズにこの奇怪な乗り物は決して<現実>の知識に基づくものではあるまい、と確信させたのは、この列車を正面から見たときの中央、二列並ぶ八足馬の間、各車両の正中線直下を貫く一本の鉄製の
思わずアインズは駆け出して車両の床下を覗き込んだ。線路、というよりは、継がれて連ねられた鉄線に近いそれに対し、車両の床下に前後方向に二つ取り付けられた逆Yの字の金具が噛み合っている。つまりこの軌道は、<現実>の鉄道のそれが鉄輪を介して出来るだけ低摩擦で車両の重量を受け止めるべく存在するのに対し、ただただ鉄鎖で連ねられたたくさんの馬車が左右へ逸脱しないようにしているだけなのだ。
列車の重量そのものを支えているのは綺麗に舗装され磨き上げられた石畳で、進行方向南へ向かって真っすぐ続いている。見える範囲で道幅は車両の幅よりもかなり広く確保されていて、ほぼ中央を貫く軌道が道路の中央分離帯のように見えた。なるほど、この道は街道を兼ねていて、列車が運行されないときは普通に人馬が行き交うものなのだろう。
「モモン、モモン!
皆が困っているよ!」
真名を出さぬよう気遣って発せられたツアーの呼び声で、アインズは、不意に列車の床下を覗き込もうと飛び出した自身を取り押さえようと後に続いた、三人の駅員らしき制服姿の男たちを引き摺っていることに気が付いた。
「い、いやぁ、済まない諸君!
物珍しさに、つい魔が差してしまったよ、はっはっはっ!」
意味もなく甲冑の後頭を搔きながらアインズが体を起こすと、駅員たちは「困りますよ、お客さん!」「本当に危ないんですからね!」と口々に不満を
なんてことだ!
これじゃぁ、列車に乗りたいだなんて子供っぽいことを、と
そんな彼の心中を知ってか知らずか、
「いやぁ、モモンも興味を持ってくれて良かった。誘った甲斐があったよ!」
と白金の甲冑が無邪気に喜んでみせる。
「乗車のご予定ですかな?」
不意に、さきほどの駅員たちよりも一段格上と見える制服を来た男から声がかかった。
「今時甲冑姿……は、まぁ、お好きにしていただいて結構ですが、その
と男は言い淀む。彼が迷惑気に言うそれが、二人が交差させて後背に背負ったままの二本ずつ計四振りの
そりゃそうだわな!
「これは失礼した!」
内心馬々鹿々しく感じつつもアインズは自身の両手剣を
(……いい機会だ!)
半ば本能的に、アインズは受け取った剣の一方に対し
(これは……ゴ、
……このまま
「ちゃんと
(あ、バレた!)
アインズはツアーから受け取った剣も
駅員の目からは、手品のように長大幅広な剣が突如として消え去ったように見える。
「……
甲冑姿といい……いい大人が何やってんです!」
無遠慮に放たれた命知らずの発言に、切れてしまうほどアインズは
ペカーーー!
「今度は光ってみえて……エ・ペスペルで興行される奇術師か何かなんですか?」
「ははっ!ま、まぁ、そんなところだ!
席へ案内して……もらえるかな?」
駅員は訝しそうな様子を見せつつも、手招きで二人を客車へと導いた。車両は壁で仕切られた四つの個室に区切られていて、それぞれに乗車のための扉が備えられている。これも、アインズが知識として知る<現実>の鉄道とは随分と異なるものだ。
「お二人で金貨百枚になります。」
一人金貨五十枚とは結構いい値段だな、と思いつつ、アインズはツアーを振り返った。
白金の甲冑は、駅員の言葉が聞こえていなかったのか微動だにしない。
「ツアー、一人金貨五十枚だそうだ。」
「ああ、よろしく。」
……はぁ?
普通誘った方が払わないか、こういうのは!
「済まん、ちょっと待ってくれ!」
駅員に会釈してアインズはツアーの首根っこを掴まえ、抗う様子を見せないそれを裏路地へとずるずる引っ張り込んだ。
「……どういうことだ?」
「どうもこうも。よろしく。」
「……おまえ、国の偉いさんだろ!
金貨くらい幾らでも調達できるんじゃないのか?」
「こんなことの為に金貨を工面してくれ、なんて恥ずかしいことを評議国の代議員に頼めると思うかい?」
オレに
「どうせ小悪党を殺して貯めた金貨だろう?」
それを
反論する気すら失せたアインズは、パンドラズ・アクターに<
嫋やかな
ああ!
こっ
そんなアインズの気持ちを知ってか知らずか、ツアーは相変わらず能天気な口調でシャルティアに声をかける。
「やぁシャルティア、お久しぶり。
キミも一緒に列車に乗るかい?」
待て待て!
パンドラには金貨百枚としか言ってないぞ!
一方、問われたシャルティアは、何だこいつ?と怪訝な表情を浮かべた後はそそくさとナザリックへ帰投してしまったので、運賃不足に対するアインズの心配は杞憂に終わった。
本当にその格好でエ・ペスペルまでの旅路を過ごすのか、と訝し気な表情のままの駅員に運賃を払い、二人は客車先頭車端の個室に導かれた。浮世離れした身なりから他の旅客との隔離を図られたものか、隣室は空きのようだ。
室内を覗き込んで見れば、進行方向に向かって腰掛ける
存外上手く出来ているが……これ、今はいいけど逆方向に走るときはどうするんだろう。これで背中方向にずっと走ったら、オレたちはともかく人間は耐えられんのじゃないか?
列車と言えば折り返し前後両方向に走るものだ、という先入観からアインズは
一方、そういった細かい部分には関心を一切払わないツアーは「いやぁ、興奮してきたねぇ!」と声を上擦らせながら個室奥窓際へと無遠慮に進み、鎧戸を跳ね上げた後は寝座椅子の上に正座して外に向かう姿勢を取る。
その姿は、<現実>の子どもが初めて親に連れられて乗った電車でやるであろうそれ、そのままだ。
よもやあのツアーに、こんな一面があったとはなぁ……。
アインズは半ば呆れ果てつつ、自身もツアーから少し離れたところに腰を降ろした。呆れ果ててはいるものの、幼い時分の我が前身、鈴木悟だって子どもの頃には同じことをしたに違いないのだ。ツアーはたまたまそのときが、生まれて千云百年経ってから初めて巡って来ただけ、ということなのだろう。
考えてみれば、本人がそれをどう思っているのかはよくわからないが、ツアーは人懐っこいわりには孤独で、同時に云百万人が暮らす国家の運営を監督するという重責を担い続けている存在でもある。さらには、アインズがそこに加わるまでは、独りで<百年の揺り返し>に立ち向かうべく身構え続けてすらいたのだ。
たまに、こんな息抜きがあっても悪いことはあるまい。
「なかなか走り出さないねぇ。
キミの時間魔法で何とかならないかい?」
……前言撤回だ!
こいつの底抜けの無遠慮さには最早文句を言う気力すら起きんぞ!
自身も手持ち無沙汰に、乗車に用いた扉に穿たれた鎧戸を開いてみれば、丁度アインズたちの乗っている客車の傍に
意外なことに、ユグドラシルの位階魔法を尽く知悉するアインズであるにも関わらず、たちまちにその魔法が何であるのかがわからない。気配は<
彼女が車外から客車床下に向けて施していたのは、位階魔法と不完全にしか結縁することが叶わなかった人々によりその構成要素の一部を引き出した副産物としてこちらの世界で生まれた第
もっともアインズにそれを知る由はないのだが、重ねて、当初危惧したところのこの列車出現の背後に
ややあって列車前方からカランカラン、と金属製の鐘を打ち鳴らす音が聴こえる。おそらく<現実>の鉄道の警笛に相当するものなのだろう、とアインズが考えていると、果たせるかな、小さな衝動があった後に列車は動き始めた。
「動いたよ、アインズ!」
随分と楽しそうで結構だな、おまえは!
内心そう毒づくアインズも、見るからに楽しそうなツアーのその様子を楽しんでいないわけでは決してない。
しばらく列車は、徒歩とさほど変わらないゆっくりとした速度で走行した。こんな調子で本当に十二時間で目的地に着くのだろうか、とアインズは訝しく思ったが、しばらくしてその理由に気づく。
出発時に聴こえた鐘の音がその後も一定間隔で聴こえてきていたのだが、都度、少し遅れて車窓に石畳から降りた馬上の旅人や、ときに列車に道を譲ったと思しき馬車が垣間見えることに気づいたからだ。この列車同様出立に夜明けを待っていた人々によって、街道を兼ねるこの石畳の道は混み合っている。だから列車は徐行して、他の旅人を認める都度鐘を打ち鳴らしては道を譲るよう促していたのだ。
何とも牧歌的な話で保安も何もあったものではないな、とアインズは嘆息するが、<現実>の鉄道だってその黎明期はきっとこんな感じであったのに違いない。自分は、たまたまこの世界において、これから数々の失敗や事故を経て陶冶されていくであろう
思った通り、エ・レエブルから
「いやぁ、思った以上に楽しいねぇ!」
と、窓に向かって正座したままのツアーが無邪気に言う。
ふっ、と鼻で
「あぁ、そうだな。なかなかどうして悪くはない。」
と素直に同意してみせた。
「それはよかったよ、無理に誘ったから機嫌を損ねてはいないかと気を揉んでいた。」
気を揉んでた?
本当かよ!
「人間たちも大したものだ。」
ツアーは上機嫌でそう言うが、なまじ<現実>の技術を少なからず知っているアインズは、それについては俄に首肯し難い。
「まだまだ至らんところが多いとは思うがな。」
「そうなのかい?」
人間は失敗するものなんだ。
どんなに優秀であっても、いくら集中して事に臨んでも、失敗は必ず起こる。
だから、あらゆる戦術は、どこかで失敗が起こるかも知れない、ということを前提に、それでも完遂される戦術でなければならないんだよ。
鉄道なんかはいい例だよね、知っているかいモモンガさん?
大昔、鉄道には信号なんてなかったんだ。列車は必ず線路に沿って走るし前は見えているのだから、ぶつかりそうになれば
でも、実際に走らせてみれば、列車は予定通りには決して走らないし、進む先に他の列車はいないはずだ、と思っているところからやって来る列車があってぶつかるんだよ。だから「この先に進んではいけない」と示す信号が設けられる。
ところがこの信号も、人間が操っている間は思い込みで大丈夫だと思って青にしていたら実はその先で列車が立ち往生している、なんてことが起こるんだよね。だから、早い段階で信号は機械的な手段で列車の運行と連動するようになった。
が、今度は人間が信号を見落とすんだよ、さっきの信号は青だったに違いない、って思い込んで危機回避の機会を逃すんだね。莫大なお金を注ぎ込んで、運転士が赤信号を見落としても列車が自動的に停止する機能が実現された。
じゃぁ、もう運転士なんて乗らなくていいじゃないか、全部自動運転にしてしまえば……という着想は繰り返し試みられたけれど、22世紀の
この話の肝は、ここまで備えたから絶対に大丈夫、ということは決してない、ってことなんだよね……失敗は必ずどこかで起こる。だから、どこかで誰かや何かが失敗しても、別のどこかでその失敗を取り返せるようにしておく。
それでもやっぱりすべての備えをすり抜けた失敗の可能性はゼロにはならないんだけど、それもそういうものなんだ、と心構えしておいて、いざその失敗が起こった時は、失敗が起こったことをちゃんと受け止めた上で冷静に対処するとともに、起こってしまった失敗に備える新しい工夫を考えて加えていく……結局はその繰り返しなんだよ。
「遅かれ早かれ、この列車とやらは大きな事故を起こして死傷者多数を出すだろう。そのこと自体は不可避だ。人間たちに感心するのは、連中がその事故に学んでこの列車をより安全にする工夫を施し、その迂遠だが避けがたい道のりを進んでいく覚悟を見せたとき……まで取っておくんだな。」
いつの間にか、ツアーは向きを変えて車内のアインズの方に向き合っていた。
「
今の知見は……ベルリバー君あたりのそれかな?」
「まぁ、そんなところだ。」
「ところで、
そりゃ、ツアーには何のことだかわからんわな。
「ふふふ、この列車が順調に発展すれば、そのうちこの車窓に立ち並ぶようになるさ。」
「その言い様からすると、キミたちの<
ツアーも薄々これが
「そういうことだ。これを面白がるおまえのことだから、見せられるものなら見せてやりたいが……
「それは面白そうだね。
でも、キミたちの<現実>の書物がボクに読めるかな?」
「おまえに代わって読み上げる
「そいつはいい!」
*
二時間ほど田園風景を走り続けた後、列車の速度が落ちて来てぽつぽつと人家が見え始め、最徐行に至った時分にこれまでと左右方向の揺れの感じが微妙に変わったことに、アインズ、ツアー共に気づいた。ややあって、エ・レエブルのそれほど広くはないがそれでも磨き上げられた石畳が敷き詰められた広場に列車は止まり、外から駅員が告げて歩く声が聞こえてくる。
「小休止となります。
出発の前に鐘を打ちますので、お乗り遅れのないようご注意ください!」
少なくともアインズは、こちらの世界で正確に計時する時計を見たことがない。だから「何時何分に出発します」などという案内は不可能だし、乗客の方もそんなことを告げられても応じる
「少し外を見て来るよ。」
「ああ、乗り遅れないように気をつけて。」
ツアーにそう言われて、仮に乗り遅れても<
はて、列車のような移動している目標に対し<
駅は小さな町の外れに設けられているようで、アインズはすぐにここが、徒歩でエ・ペスペルを目指す旅人が最初に投宿する宿場町なのだ……実際にはここまでの途上にあと二つ、同様の、でありながら駅を欠く小さな町があったのだが……ということに気づいた。
そういった連中は早朝に歩き始めて日暮れ前にここに辿り着くのだろう。思えばエ・レエブルからの出発直後、そんな感じの旅人が何組もこちらに道を譲っていた。それを所要二時間に短縮するこの列車は、なるほど金貨五十枚を払う価値があるものなのかも知れない。
もう一つの気づきは、只今停車している列車の直下に
ここまでの道のり、車窓を楽しむツアーの子どもっぽい様子を愛でながら、アインズはぼんやりと、この列車の
その疑問の答えが、今この石畳の広場が軌道を欠いていることだった。なるほど、と思いながら進行方向に視線を向けてみると、石畳が狭まって列車のそれを少し越える幅になっている辺りから再び軌道が始まっている。さらにその直前に石畳の一部が板張りになっている場所があり、左右に数人の屈強そうな人夫が控えていることを見ると、列車が再び軌道区間に入る際、人夫が板張りの部分を左右に動かして、列車側の金具が軌道を正しく噛むように調整するのだろう。振り返ってみれば、さきほど通って来たであろう広場への入口部分にも似たような構造がある。
つまり、この列車の軌道はただただ高速走行時の横方向安定のためだけにあるのだ。
同時にこの仕組みの存在は、この広場において対向列車との交換が企図されていることを意味している。
野放図なその着想に呆れつつも、アインズはこれがこの世界の住人なりに考え尽くした結果なのだろう、ということも理解している。
この
十中八九、遠からず正面衝突の大惨事が起こるんだろうなぁ……知らんけど。
何ならこの列車を運営している連中に、<
そんなことは大きなお世話以外の何でもないし、絶対安全な
そもそも、オレは死を齎す者、
カランカラン、と出発を告げる鐘の音がしてアインズの思索は断ち切られた。
自席に戻ってみると、木製の
「何だ……それ?」
「さっき女の子が届けてくれたんだ。お飲み物をどうぞ、って。」
「お飲み物も何も……おまえ、飲めるのか?」
「……料金に入っている、と言われたから、受け取らないと損かな、と。」
おまえ……妙なところがオレに似てきたよな。
「まぁ、何事も経験だから頂いておくよ。」
「おぃ!」
アインズが止めようとするのも聞かず、ツアーは甲冑の
「あーぁ、席を汚しちゃって……後で謝っておけよ。」
ひょっとしてこいつ、長く生き過ぎて痴呆が出て来てるんじゃないのか?
「……」
「……どうした?」
「次の小休止では食事が出る、と聞いたけどどうしよう?」
「知るかー!んなもん断ればいいだろ!」
「……でも、食事も料金のうちなんだよ?」
一事が万事ねじが一本飛んだツアーの振る舞いに呆れつつ、アインズは、人間の考えることは大なり小なり同じところに行き着くものなんだな、と感心してもいた。
アインズが記憶している限りにおいて<
機内食の場合と異なるのは、この列車の客室は互いに通路のようなもので繋がっているわけではないので走行しながら給食することが叶わないことだが、列車の行き違いや牽引する馬の休憩、交換に小休止は必要なのだから、駅のある町に予め手配しておいて今しがたツアーが受け取ったように配ればいい、ということなのだろう。むしろそうすることで、経路上の町にこれまでになかった新しい仕事が生まれ発展を促す、という副次効果を狙ったものであるのかも知れない。
「おまえが払ったわけじゃないだろ!
オレは別に飲み物も食べ物も要らないし、損した気分になんかなってない。
おまえが気にすることじゃないだろ?
そういうのを、他人の
「その言い回しは……」
「……ん?」
「死獣天朱雀君あたりが好きそうだね。」
「……ふふっ、はははっ!
まったくご明察だよ、ツアー!」
*
列車は時折けたたましく鐘を打ち鳴らした後に徐行し、街道を行く人馬や馬車を追い越したり行き違ったりしていたが、とりわけ長く鐘が鳴らされた直後に、相変わらず窓に向かって果実酒に濡れた座席の上に正座していたツアーが大きな声を上げた。
「見てご覧、アインズ。
この列車、
その言葉に、そんなわけないだろ!と憤りながらアインズも車窓の景色に目を向けたのだが、確かにその瞬間、窓を通して見える風景は列車が地面から10メートルほど浮き上がって走っているような錯覚を与えた。
もちろんそんなはずはなく、窓から身を乗り出して下を見てみれば、列車は幅1キロ強はあろうかという河原に架橋された石橋の上を徐行しているところだった。ふと横を見れば、同じように窓から身を乗り出して眼下を伺っている乗客と目が合う。恥ずかしー!
「<
「見ろ、こんな具合だ。」
そこには、幾重に連なった石組みの
「あぁ!これはいいね。」
集眼の屍は
それにしても、この見事な拱橋といい石畳の街道といい、どうやって人間たちはこれを造ったのだろう、とアインズは疑問を覚えた。
タブラ・スマラグディナやぷにっと萌えから聞かされた蘊蓄を通して、ではあるが、鈴木悟の時代から遡って二千年以上前の古代ローマには既に似たような建築技術が存在したことは知っている。何かきっかけさえあれば、こちらの世界の人間たちに同じことが出来ない理屈はないだろうが。
などと呻吟していると、河を渡り終えて再び加速するやに見えた列車がまたもや鐘を打ち鳴らしながら徐行を始めた。
続けて渡河などするものか、いや、支流が並行して流れているということなのだろうか、と車窓に再び目を向ければ、ツアーが
小鬼たちは、銘々
「今の見たかい、アインズ?」
「あぁ、
「いや、そうじゃなくて。」
と言いながらツアーがこちらへ振り向く。
「じゃ……何なんだ?」
どうやらツアーが注目していたのは、保線作業員の姿、そのものではないらしい。
「彼らの
「はぁ?……ひょっとして、そのドクロサマーってオレのこと?」
「……訊きたいのはこっちだよ、アインズ。
実はこの事業に一枚噛んでいた、という話ではないのかい?」
そう問われてアインズは心底困惑する。
元より、記憶にないことが自分が関わっていないことの証拠にならないことは百も承知だ。
「うーん……。
まったく記憶にはないし、すっかり忘れているのだとしても、どう考えてもオレがこんなことをやろうとする……とは俄に思えんのだがな。」
「ナザリックに帰ってから、アルベドかデミウルゴスあたりに訊いてみるんだね。」
よもやあいつらがこの世界の住人の生活改善に関心があるとは思えないし、この列車の運行がナザリックの利益になることなんてないはずだが、と再び考え込んでいると、ツアーがすっと腰を上げて座っているアインズの前を手刀を切りながら横切った。
(何やってんだ、こいつ?)
と首を傾げる間もなく、客室扉に達したツアーがそれを開いて身を乗り出そうとしたので、アインズは慌ててその手を取り、室内に引き戻した。
「おい!何やってんだ、ツアー!」