億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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本作シリーズが語る千年史の語られなかった隙間を、無駄な解像度で描く短編を気紛れに投じる趣向で御座います。今話は作中で繰り返し様々な人物から語られたリ・エスティーゼ王国の幕を引いたエ・ペスペル殲滅戦を、その当事者の視点から見た全3回、3日隔てて連投予定で御座いますれば、お楽しみいただければこれ幸い。


余1話 転移歴24年 血塗れの連判状
血塗れの連判状(1)


(じぃ)よ。」

 

 彼が傍らにある白髪白髭の老魔法使いにこう呼びかけるのは、余人の耳はないので本音で応じよ、との符牒である。

 

 一隊百名の謁見に十二分に足る大広間。高い採光狭間(さま)から日差しがあって室内は明るいが景色を楽しむ目線の高さに窓はない。中央やや上座寄りに幅広の卓(ローボード)を挟んで、質素な造りではあるが決して座り心地悪からぬ玉座と五人は並んで掛けられそうな寝座椅子(カウチ)が差し向っているが、二人の人影はいずれも寝座椅子にあって左右に並んで背もたれに深く身を任せている。

 そのような視線などあり得ようもないが、天井からこれを眺めれば、これらすべてを包み込む仰々しくも禍々(まがまが)しい魔法陣が床に(えが)かれているのを見て取ることが出来よう。魔法による覗き見、盗み聞きに備えたものであろうか。

 

「なんじゃね、ジル?」

 

 人の身にはあり得ぬ齢を重ねたゆえか最早首を振ることすらも億劫(おっくう)と見え、目玉だけを自身を呼ぶ声の方へ向けて、己だけに許された幼少の時分からの愛称でもって老魔法使いは(あるじ)の問いかけに応じた。

 

 ジル、と呼ばれた偉丈夫には、その呼び名の印象が醸す幼い気配など微塵もない。

 蓄えられた立派な皇帝(カイゼル)髭、その上に揺蕩う強い意志を秘めた両の(まなこ)

 

 そして……。

 (ぎょく)とてもかくありや、と溜息つかせる一髪もない艶々しい禿げ頭(スキンヘッド)!

 

 

 

 やや()があった(のち)、鼻髭の下のやはり強い意志を感じさせる口から問いが発せられた。

 

「本当は……やってみたかったのだろう、以前から?」

 

 目線は北向きの狭間(さま)、斜め上へと向けたまま、バハルス帝国第七代皇帝ジルクニフ・エル・ニクスはそう問うた。

 

「……今更そんなことを問うかね、ジルよ?

 おまえさんも随分と思い詰めた顔をして(わし)の手を取って詫びてくれたのではなかったかな?」

 

「そういう(じぃ)は、感極まって似合いもせん大粒の涙をぽろぽろと(こぼ)したじゃないか?」

 

「……この歳になっても、戦場(いくさば)独特の毒気は感情を揺らすでのぉ。」

 

「……そうだな。

 (じぃ)はもちろん、オレも随分と歳を食ったものだ!」

 

 どちらからともなく、くくっ、と笑いが漏れ、やがてそれは大きな哄笑となって大広間に響き渡った。

 

 

                    *

 

 

 リ・エスティーゼ王国(タカ)派の領袖ボウロロープ侯爵が、自身の主君ザナック・ヴァイセルフことランポッサⅣ世の了解も待たずに決戦の軍を帝国西端の橋頭保、城塞都市エ・ランテルへ向けたのは三ヶ月ほど前の話となる。

 

 元より、本来王位を継ぐと目された娘婿バルブロ・ヴァイセルフの急逝に伴い王派閥に対しても貴族派閥に対してもその影響力を失っていた候は、良くも悪くも誰にも何も命じ得ず、また、誰も候を押し留めることは叶わなかった。

 ただ自身だけが今だその手にあると信じる権勢を示さんと、自身の領地からの強制徴募兵、更には無遠慮に他列公の領地から()き集めた傭兵で四万余と号する一軍を組織し、愚かしくも経路上の自国他領の町村から糧食を収奪し、後背に怨嗟の声を残しながらエ・ランテルを望む平原に陣取ったものだ。

 

 当然この動きは王国内に少なからず配された帝国間諜によっていち早く察知され、鮮血帝ジルクニフは自ら麾下二軍二万余を率いて迎え撃つことを即断した。

 エ・ランテルの常備一軍を任されたかつての四騎士の一角(いっかく)、激風ニンブル・アノックの長子、准将軍サンブル・アノックは、このとき(よわい)二十と少しの若者であったが、父母の薫陶厚く、またそれ以上に幼少の砌より各軍団を渡り歩いて鍛え上げられた偉丈夫で、でありながら、帝都から届いた下知によく従い、場外で下卑た罵声を浴びせかけるボウロロープ一党の挑発に決して応じることなく、堅く城門を閉ざして親征軍の到着を待った。

 もっとも、ボウロロープ軍の統制の低さ、対する帝国軍の士気の高さの差もあって、帝国主力の到着は帝都を発しての遠路にもかかわらず王国側に比して五日遅れたのみであり、そもそもサンブルが暴発する()などあろうはずもなかったし、それ以前に、彼には既に別の密命が与えられており、そのために主力到着の二日前に数隊を率いて夜陰に紛れ、エ・ランテルを離れていた。

 

 主力到着の翌朝、エ・ランテルの城門を開いて一軍が野戦を受けて立つ構えを見せたことで、ボウロロープ陣営は否応なく沸き上がった。

 

 それを率いる将軍、雷光バジウッド・ペシュメルに並んで、鮮血帝ジルクニフ・エル・ニクス、その人があることを認めたからだ。

 

 実のところ、エ・ランテルまで大軍を率いて至ったものの、ボウロロープ侯爵その人を含め、かの陣営に何らかの必勝の策があったわけでは決してない。

 かつてリ・エスティーゼ王直轄領であったエ・ランテルは、なればこそ、外から攻めるには難攻不落の要衝であることは元から承知している。囲って兵糧攻めしようにも、帝国の兵站は王国のそれよりも数段優れており、籠城の糧食が尽きるよりも前に自分たちが飢えに陥ることは(はな)からわかっていたことだ。

 できることは、せいぜい罵詈雑言で挑発して野戦に応じてくれるならば一戦交え、いくらかの名のある敵の首級を挙げれば上々。最悪城内に立て籠られたまま相手にされなければ「帝国の腰抜けどもは我が方に恐れをなして顔すら見せぬ」と喧伝しつつ早々に引き上げて留飲を下げるがよろしかろう、などとすら囁かれていたものだが、どうしたことか帝国は、一発大逆転の好機(チャンス)を目前に晒してくれているではないか。

 

 すなわち、戦場において皇帝ジルクニフの首を取れば、ここ四半世紀の借りを一気に返せるばかりか、王国の覇権すら手中に舞い戻ることは疑いない。

 

「小賢しいジルクニフも老いたと見えて知恵の泉も枯れ果てたか!

 帝都より長躯した軍に休息も与えず自ら陣頭に立って決戦に及ぶとは!

 もはや我らが勝利は約されたも同じこと!」

 

 侯はそう檄を飛ばして士気を煽ったが、一般兵卒は(つゆ)知らず、少しばかり知恵を備えた士官以上の者たちは、皆、義理血縁に縛られたものであって担ぎたくて担いだわけではないこの首魁の上機嫌を、空寒い気持ちで眺めていた。

 (はや)る気持ちを抑え頭を冷やして考えれば、そもそもエ・ランテルには守備の一軍があったのであり、主力として遠路到着した二軍と、今、出陣してきた一軍が同じ軍であると考える理由はない。元より王国とは違って帝国の軍は常備軍、訓練規律が行き渡っており、将軍士官兵卒も個人的情誼でつながっているわけではないので替えが効く。皇帝を戴いて迫りくる軍は、長躯に疲弊したそれではなく、むしろ城内で罵詈雑言の挑発に耐えつつも反撃の機まで英気を養っていた者たちではないのか。

 むしろ、長征から二日と置かずに、明らかに有利な籠城を選ばず敢えて野戦へ皇帝自ら打って出たのは、我々にこれを好機と誤認させることで彼らの秘める必勝の計へ陥れるため、ではないのか。

 

 といったことを、少なからぬ士官が考えてはいたが、これを侯爵に諫言する者は皆無であった。

 相手がこの手の忠告に(あだ)もって報いる人物であることがよく知られていたからだ。

 

 ボウロロープ侯爵はこのとき既に(よわい)七十を超え、肉体の頑健さこそ実年齢を聞く者を驚かせるそれを保ってはいるものの、傲慢でこそあれ決して愚鈍ではなかった知性は既に衰えをみせ、むしろ自身屈強な戦士であるがゆえの頑迷さは悪い方向へ研ぎ澄まされさえしていた。

 ゆえに、まともな判断力のある士官たちの(あいだ)では、あり得ようはずもないジルクニフの首という大逆転劇を除けば戦略的に何の意味もないこの一戦の勝利条件としては、帝国軍に対してどうこうする、などということは早くもその思考の枠内からは消え去り、如何にして侯爵の不興を被ることなくこの不毛な戦場から生きて帰るか、に転じていた。

 

 幸いにして数の有利は王国側にある。

 

 王国は槍兵、弓兵、投石兵入り()じる四万余。率いる馬上の貴族士官は三百、といったところか。侯爵の周囲にはお抱えの無頼の輩が百や二百は侍っていようが、それらはこと戦術上の兵力と見るには値しない。

 対する帝国は主力となる前衛に重装歩兵千と少々、本陣を囲み前衛をその後背より支える槍弓兵八千の計一万弱。今のところ騎乗する者の姿は本陣奥深くにある皇帝と将軍、その近衛(このえ)しか見えない。

 

 単純比較すれば戦力差は四倍だ。

 

 が、これは士官のみならず一般兵卒も骨身に染みて知っているところだが、帝国騎士一人の戦力は王国戦士の五人乃至は六人に相当する。その多くが臨時の(いくさ)に駆り出された農夫に過ぎない王国兵に対し、帝国兵は騎士たる重装歩兵はもちろんのこと、槍弓兵、輜重(しちょう)隊に至るまで皆専業の常備軍である。

 進め、退()け、の号令に応じる以外は(おの)が身は(おの)が才で守れ、と、さも当然のように命じられる王国兵に対し、帝国兵は指揮一下正確無比に陣形を転じる訓練を施されその戦術を有効とする個々人の体力武技も鍛え上げられたものだ。無論、王国側にもそのような試みが皆無であったわけではないが、かつてそれに最善を尽くした王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが、平民上がりのその地位を(そね)まれた挙句に死地に追いやられて以降は、誰もその(てつ)を追おうとはしなかった。

 とまれ、単純比較には前もって帝国の兵数に少なくとも五を乗じておく要があり、そうすれば王国四万に対し帝国五万となって、かたや嫌々巻き込まれた無意味な戦役、かたや皇帝親征の晴れ舞台ともなれば、その士気の明暗の対照(コントラスト)からも、勝敗の行方は誰の目にも明らかではあったのだ。

 

 当の一方の領袖、を除いては。

 

 さりとてここには、ボウロロープ侯爵に一分(いちぶ)の理があった。

 と言うのも、王国軍の勝利条件は突き詰めれば侯爵が勝った気分になることなのであり、それが具体的にどのような状況を指すのかについては、それを侯爵に問うた時宜(タイミング)による、としか答えようもない。侯爵自身が「ワシは勝っている」と思っている限りそれは勝利なのであるから、ある意味において王国軍に負けはない、と強弁することもできよう。

 

 対する帝国軍が自ら定める勝利条件は、ボウロロープ侯爵では思い及ばぬほどに無暗矢鱈と高かった。

 

 そもそも皇帝ジルクニフが王国の一地方貴族、それも今となっては傍流の老害に過ぎない小物の気まぐれに対し、わざわざ親征の軍を興して自ら当地へ至ったのは、今こそ積年の対王国戦略に一つの楔を打ち込む好機と見たからに他ならなかった。

 遡って二十年と少し前、王直轄領が一夜にして不死者(アンデッド)の群れに呑み込まれた<死都エ・ランテル事件>をきっかけに、当地を含むリ・エスティーゼ王国東方辺境の切り取りに成功したジルクニフではあったが、以降、少しばかりの小競り合いはあったものの両国関係は膠着が続き、負担ばかり大きくて旨味を欠く王国の併呑までは望みこそせぬものの、帝国としては、今後決して王国は……その主体がヴァイセルフ王家であるか否かはこの際どうでもよいことだ……帝国に牙向くことはない、という決め手を打ちたいが、その一手を講じる大義名分を欠く状況に長くあった。

 老ボウロロープ侯の暴発はまさに渡りに船、既に帝国領となって久しいエ・ランテルを囲む軍を派した王国側に非があるのは誰の目にも明らかで、迎え撃つ帝国には何を言い訳する必要もない。さらに、自他ともに王国鷹派の領袖と認める人物が目前までわざわざ出張ってくれるというのであるから、この機にこれを捕縛し、たちまちに命奪うことはなかろうとも十二分な(はずかし)めを与えれば、当面の王国の帝国に対する戦意を挫くには十分であろう。

 

 すなわち、帝国の勝利条件の第一はボウロロープ侯爵の身柄を押さえること!

 

 だが、それを実現するためにこそ、敢えて帝国は数の上では王国に対して劣る陣容で立ち向かわざるを得なかった。圧倒的兵力でこれを迎えれば……それは決してジルクニフにとって難しいことではない……王国軍は一合も矛交えることなく退却してしまう恐れがあったからだ。

 さらに、極端な話、麾下の士卒が(みな)(ことごと)く討ち死にしても侯爵が勝った気分になりさえすれば王国の勝利条件を満たすのに対し、ジルクニフにとって自身を歓呼して()まない士卒の損耗を最小限に抑えること……叶うのであれば一兵たりとも失わぬことは、公言こそされぬものの第二の勝利条件でもある。

 たとえ侯爵を討ち取ったとて、それが麾下の精兵云千の命と引き換えなのであれば、余りに目利きの利かぬ愚かな買い物。たとえ、既に帝国中興の祖の評価を得、圧倒的な支持を今なお捧げる臣民のそれをまったく損なうことがないのだとしても、他ならぬジルクニフ自身の矜持がそんなことは許さないのだ。

 

 だから、王国側の侯爵を除く士卒の誰もが、自分たちは帝国に勝つことなど望むべくもなく生きて帰参が叶えば御の字だ、と考えているにもかかわらず、帝国側、特に皇帝ジルクニフ自身は、今回の(いくさ)に勝利を拾うのは不可能でこそないがさりとて決して容易でもない、と尋常ならざる心持ちで臨んでいた。

 そして、同じく尋常ならざる心持ちの侯爵が自身を落ち着かせるべく陣中にもかかわらず酒を煽り続けるしかなかったのに対し、皇帝は常にも増した権謀術策を巡らせることで必勝を期したのである。

 

 

 

 (のち)の世に長く語り継がれることとなったその合戦は、意外にも極めて平凡な幕開けであった。

 

 この数十年来繰り返された会戦の末、どちらから約したでもない決まり事、お作法のようなものが両国の間の(いくさ)にはある。領民ある限り後先考えぬ動員が可能な……結果的に国を自ら損なうこれを、可能、と称するのはいささか語弊があるようにも思われるが……王国は、大抵の場合数の優位を誇っている。ゆえに、先手を取るのは王国歩兵の槍衾を構えての進軍だ。

 定員百名からなる大隊十隊を一軍とする帝国重装歩兵がこれを受け止める。騎士身分である彼らは重装であるがゆえに機動力を欠くので、まずは防戦一方だ。が、農民でしかない王国兵は不慣れな槍使い、それにも増して死にたくない一心で遮二無二これを振り回すがために疲労も早く、存外早く攻勢の限界に達する。

 彼らが互いに顔を見合わせ「随分と騎士を押し返したからこれで十分じゃないのか、これ以上踏み込むと退()くに退()けなくなるんじゃないか」と前進の勢いを緩めて空気を伺いだした時分が反撃の頃合いだ。それまで同じく長からず短からずの槍で間合いを取っていた帝国重装歩兵が一斉にそれを前方へ投擲し、少なからずその餌食となった王国兵に生じた混乱に乗じて、一気に抜刀して押し返す。

 

 ここからは王国貴族士官の腕の見せ所だ。

 

 この時点でも数の優勢は王国側にあるので、背を見せて潰走しない限り戦線は維持可能だ。が、専業軍人でなく、敵味方密集した中に閉じ込められただただ生還を期すのみの王国兵は、周囲の雰囲気の変化に敏感でこの瞬間に恐慌(パニック)に陥る者も少なくない。

 馬上の王国士官は自陣の様子に目を光らせ、崩れそうになる搦手を見つけては退()くな、(こら)えろ、立ち向かえ!」と督戦する。腕に覚えのある者であれば自ら帝国兵の前に躍り出て、仕留めまでは出来ずともこれを押し返す。背を向けて逃げることが追撃を呼び込む危険極まりない行為であることは、無知蒙昧な王国兵とは言え承知はしているので、この王国士官の行為が「前進こそが活路」との思いを、たとえまやかしであったとしても兵たちの間に喚起することが叶えば上々。堅い槍衾を多勢に維持されれば、帝国重装歩兵といえども無理強いの強行突破は不可能だ。

 このような駆け引きが数度繰り返されれば両者ともに疲労困憊、どちらの陣営からともなく一旦退却の指揮がなされれば、双方ともに向かい合ったまま徐々に戦線は剥離していく。この時点で勝敗を印象付けるような()()……たとえばいずれかの陣営の名の知られた勇士が武運拙く落命した等々……が為されていればもう一方が勝鬨(かちどき)を挙げて終戦、どちらも納得がいかぬようであれば今一度同じことが繰り返されて……というのが王国対帝国の戦争の流儀、である。

 

 実際にはここに火兵(かへい)、すなわち遠戦(えんせん)兵装となる弓矢が加わって話はもう少し複雑にはなってくるが、この規模の兵力同士の会戦においてそれを用いるには自身無防備な弓兵を守る槍衾がどうしても必要で、それは必然的にその射撃が、狙いすましての直射ではなく味方越し山なり盲目(めくら)撃ちの曲射とならざるを得ないことを含意する。

 これまた数の暴力となるそれは決して馬鹿に出来たものではなく、むしろ運悪くそれに貫かれた者が死傷者の多くを占めることは否めないが、そもそも射程内が敵のみで占められていることが確約されない限り一斉射することは叶わない……混戦の味方白兵を無視して斉射戦術を用いる者があれば、その者は遅かれ早かれ味方の怨嗟で害されるはずだ……ので、それ自体は戦いの趨勢を決定する要因になることは少なく、あくまでも牽制に用いられるのが常である。

 

 とまれ、そのような戦術原則(ドクトリン)を図らずも共有する両者の衝突は、いつものように王国槍衾の進撃を帝国重装歩兵団が受け止めることから始まったのだが、二合、三合と打ち交わすうちに、王国兵側に無言の動揺が広がっていくことに、目敏い王国士官であれば気づいてはいた。

 常であれば、緒戦においてはじりじりと後退するはずの帝国側がまったくその様子を見せず、特に、体を右方向に向けて開いて両手で長槍を構える王国兵からすれば死角となる左翼方向から、押し返してくる気配を誰からとなく覚えたからだ。

 

 これには、今回の決戦に向けて仕込まれた帝国側の秘策があった。

 

 多くの王国士官が予想したように、会戦に打って出て来たのは長躯の遠征軍ではなくエ・ランテルに常駐していた守備軍だったのだが、であるがゆえに、その多くは本国の部隊に比すれば組成がやや新兵(ノーヴィス)に偏るきらいがあった。そのことは王国側も承知の上で計算に入れていたものだが、帝国側はさらにその裏をかいた。

 実は帝都からおよそ三週間をかけてなされた行軍に際し、バジウッド・ペシュメル麾下の選抜古参兵(ヴェテラン)二大隊二百名は、原則自身で背負うべき武具甲冑の荷駄を免除されており、どころか街道の平坦区間においては荷馬車に便乗しての寝ながら行軍すら許されていた。

 彼らにだけは、バジウッドの手足として勇猛かつ正確無比にその意図を体現すべく、長躯しての即参戦が企図されていたからだ。野営時の食事に際しては、本来許されるはずもない少量に限っての飲酒さえも、将軍自ら「陛下にゃ内緒だぜ」と勧められる始末。もっともこれはバジウッド自身が吞みたかったがための方便やも知れぬが、ともかく、そういったこともあって彼らの士気は矢鱈滅法高かった。

 

 この二隊が、通常は新兵が優先的に配される帝国軍最右翼にあって、最初の一合こそいつものように受け流して退いたものの、以降は猛然と押して出る構えを採ったのだ。

 

 いつもと何かが違うぞ!

 

 王国兵の誰もが自身の左、背中方向からの思いもよらなかった圧を明確に感じ取ったときには既に手遅れ、その陣形は王国士官が如何に督戦しようとも、個々人の意思にかかわらず成り行き的に右方向へと流れ始めた。

 そしてこの一手は、鮮血帝ジルクニフが何段にも構えた必勝の策の最初の一手、に過ぎなかったのである。

 

 辛うじて瓦解を(こら)えていた王国軍の、今度は逆側、右手方向から俄に(とき)の声が上がり、それは王国兵の構えからすれば真正面でもあったので誰の目にもよく見えた。

 

 緒戦時点では気配もなかった軽装の弓騎兵がこちらに向かって突進してくるではないか!

 

 刹那、帝国重装歩兵がすすっと三歩()退()き、騎兵からの最初の一斉射が王国軍右翼に浴びせかけられた時点で戦線崩壊が始まった。

 実のところこの部隊こそが真の強行軍、皇帝自身が率いる主力から王国間諜の視線を警戒して五日遅れて進発し、兵站を重んじる帝国の原則に反して騎馬のみが必要最低限の乾燥糧食のみを携えて、日中であっても不死者(アンデッド)彷徨(さまよ)うカッツェ平野ぎりぎりの道なき原野をひたすら駆けて当地に至ったものだ。その数二百五十余騎。参戦時点では中途脱落者もあって二百と少しになっていたが、それはそもそも計算されていたことだ。

 

 これを率いるは、やはりかつて帝国四騎士と謳われた将軍、激風ニンブル・アノックその人である。

 

 開戦前夜に、夜陰に紛れて乗り換え用の馬を運び出した長子サンブルと城外で落ち合い、ぎりぎり戦場を見渡せる砂丘の陰から好機を伺っていたものだ。

 ニンブル自身を含めその体力は限界寸前であったが、王国軍右翼に間合いを維持して整然と迫りつつ再度の斉射、今一度の斉射と続けば、最早彼らの疲れに乗じて立ち向かう王国兵は皆無で、それ以前にそんなことに気づける者などいようはずもなく、流石に背中こそ見せぬものの、遮二無二槍衾を振り翳しつつ後退する以外になす(すべ)を失っていた。

 

 この様子を、王国軍最奥、少し高くなった丘の上から眺めていたボウロロープ侯爵は、決して聡明ではないがまったくの阿呆でもないので、自軍が既に負け(いくさ)に陥っていることには気づいていた。

 何ら策を指し示すことなくいつも通りの開戦を号令したのが(ほか)ならぬ自分自身であることを棚上げし「こんな見え透いた手に引っ掛かりおって、馬鹿者どもめが!」と大声で毒づいたのはともかく、一旦数里退き下がっての立て直しを命じた判断は間違ってはいなかった。

 が、通例であれば、重装歩兵を主軸とするがゆえに追撃戦に不向きであり、一旦王国が退き始めれば(とき)の声を上げて小休止することを常とする帝国軍が、どうしたことか、決して猛追、でこそないものの、整然と前進してくるではないか。

 

 これを皮切りに、続くエ・ペスペル殲滅戦が余りに人口に膾炙したため一般の人々にはあまり知られてこそいないが、大陸の戦史を専門に探求するものの間では伝説となった四日四晩の追撃戦が始まる。

 

 これを帝国側で指揮したのは、長征の二軍のもう一方を率いていたやはり四騎士の一角、不動ナザミ・エネック将軍である。

 

 緒戦に続く追撃こそバジウッド率いるエ・ランテル軍がそのまま担ったが、夕刻からは、城内で一日休養して英気を養ったナザミ率いる二軍のうちの一軍がいつの間にかこれに入れ替わった。

 ナザミ軍は、計算され尽くした行軍速度でバジウッド軍の後を追い、少しずつ、本当に少しずつその人員を入れ替えた。ナザミ自身がバジウッドと本陣での立ち位置を代わった時点で王国軍に直面する前衛の顔触れはすべてナザミ軍の士卒に差し代わったのだが、呆れたことにこの交代劇は一定の進軍速度を保ったままおこなわれたので、王国側からすると、追いついてこそこないがまったく歩みを止めず、どころか疲れる様子も見せない帝国軍は、まるで迫り来る壁のようだった。

 その壁の後ろには、半日後には再び前衛と入れ替わるべく追いつかんとする一軍があり、さらにその後方には、一日後の再交代に備えて休息を取っている一軍があろうなど、王国士卒には知る由もない。

 

 それでも王国軍は、潰走に至れば一気に殲滅されかねないことを承知していたので、仮眠はおろか食事すらままならぬままに退却戦を続けるしかなかった。一日経過した時点で、この(いくさ)に支払いはない、と見限った傭兵組の一部は王国方面に逃散し、他の多くは帝国軍に投降を始めた。繰り返し対帝国の会戦に参加している連中は、鮮血帝がその渾名に(たが)って(くだ)ったものに存外寛容であることを知っているからだ。帝国軍は、そういった連中からは武具だけを取り上げて路傍に放逐した。

 対して侯爵の領地から徴用された連中は、乱戦の中であればともかく、馬々鹿々しくも整然と続く退却戦から脱走することが叶わない。氏素性が割れているがゆえに、士官に脱走を見咎められれば郷里に残した家族親類縁者に累が及ぶ恐れがあるからだ。

 日に一度は、最後の力を振り絞っての押し返しが試みられたが、都度、突如帝国軍の右左翼のいずれかから、やはり後方で一旦休養を取って元気溌剌なニンブル、サンブル父子に率いられた弓騎兵が突出し、数斉射を浴びせて出血を強いた。

 これを繰り返すうちに、元は帝国の四倍だったはずの王国士卒は五千を切り、逆に、エ・ランテルに最低限の守備を残して全兵力を以て追撃する帝国は三軍三万余となって兵力差は六倍。実力差を勘案すれば、実に三十倍の戦力を以て迫る()に、最早なす(すべ)なし。

 

 四日目の夜に、ここまで、潰走ともなれば乱戦の中自身が騎兵の(まと)となって捕縛は免れないと理解していたがゆえに踏み留まるしかなかったボウロロープ侯爵が、今なればぎりぎり自分たちだけは後背の城塞都市エ・ペスペルまでは逃げ切れると判じて、これまでそれを防いでくれていた士卒すべてを見捨てて、夜陰に紛れて騎馬での離脱を図った。

 夜が明けてこれに気づいた王国軍が、その後方から順に精も魂も尽き果ててへにゃへにゃとその場に座り込み始め、首魁の無責任な遁走は帝国側も知るところとなった。

 四日四晩の追撃戦を、常に馬上にあって若干の微睡みはありつつも、(つい)には一睡もせずに総督し続けた皇帝ジルクニフは、厭戦的な王派閥の一翼を担うぺスペア侯がボウロロープ侯を(かくま)うなどとは(つゆ)とも考えていなかったので「この(いくさ)、勝った!」と判じて、ナザミにはこのままエ・ペスペルに向けての進軍継続を指示し、アノック親子には先行しての元凶確保を厳命した。

 

 むべなるかな、エ・ペスペルの城壁が彼方に見え始めた辺りでニンブル率いる騎兵隊はボウロロープ一行に追いついたが、これが返って裏目に出た。

 

 エ・ペスペルの領主、ぺスペア侯爵はそもそもボウロロープ一党の企てには知らぬ顔で、抗う(すべ)がないために領内町村での軍事徴用の名を借りた略奪こそ黙殺したものの、その軍勢の通過に際してはエ・ペスペルの城門を堅く閉じて見送り、敗残の傭兵がちらほら見え始めた時分からは領内に戒厳令を発して、自身は巻き添えを避けるべく城内に籠ったものだ。

 城外から開門を声高に叫ぶボウロロープ侯に対し、ぺスペア侯は彼を城外に待たせたまま物見櫓から嫌味の一つでも投げかけてやろうと自身出御して出迎えたのだが、このとき側近の一人が平原の彼方に追走する騎馬の土埃に気づいた。

 ぺスペア侯は、決してボウロロープ侯が好きではないしむしろ蛇蝎の如く嫌ってはいたが、さりとて、前王ランポッサⅢ世の娘婿でもあった自身は、儚くも夭折した前王太子(バルブロ)を娘婿に迎えたボウロロープ侯とは、遠くはあれども縁戚ではある。流石に進退窮まったそれをここで見捨てるのは外聞憚られると考えたものか、文句は後で言ってやろう、と城門を開いて彼らを招き入れた。

 が、一命を救われたボウロロープ侯は、何を思ってか付き従った子飼いの部下たちに命じてぺスペア侯に剣を突き立て、エ・ペスペルからの退去を求めたのである。

 

 この異変は、ニンブルが走らせた早馬でジルクニフの知るところとなった。

 ジルクニフは、流石に今宵は一旦進軍を()めて野営しながらニンブルの吉報を待つつもりでいたが、よもやの凶報に進軍速度を上げることを命じ、五日目の夜はエ・ペスペルを半包囲する陣を張るに至った。

 六日目の朝、数台の馬車がエ・ペスペルの城門を開いて現れ王都方面へ街道を上り始めた。サンブル・アノックがこれを追ってたちまちに取り押さえたが、憮然とした様子で降車したぺスペア侯はサンブルに対し、臆面もなくこう言い放って彼を呆れさせた。

 

 ()はボウロロープに(くみ)する者に(あら)ず。

 不法に我が権を犯すかの者の非道を訴えるべく王都へ(のぼ)る要ありて、速やかに解き放て。

 汝らがボウロロープを煮るも、エ・ペスペルを焼くも、()は一切関知せぬ。

 

と。

 

 その余りに無責任な態度に(いか)り心頭のサンブルは、馬の鞭でこれを打ち据えて縄目を与え、ジルクニフの前に引っ立てた。ぺスペア侯は「礼儀知らずの蛮族め、身代金と引き換えに帰国した(のち)は、必ず悔い改めの機会を与えてくれようぞ」と喚き散らしたが、対する皇帝ジルクニフは、これを(わら)うでもなく、叱るでもなく、呆れるでもなく、ただ無表情のままにこう応じて候を失禁なさしめた。

 

「民草を顧みぬ貴公に、斬首を以て報いる他に何がある?」

 

 かくして、ボウロロープ侯の無謀なエ・ランテル攻城戦に始まった(いくさ)は、成り行きから攻守を転じ、帝国三軍によるエ・ペスペル攻城戦へと至ったのである。

 

 

                    *

 

 

(じぃ)よ。」

 

と再びジルクニフが呼び掛ける。

 

「あのとき……。

 エ・ペスペルを囲んだあのとき、オレが何故(なにゆえ)ボウロロープ一党の殲滅に固執したか、理解していたか?」

 

 問われた老魔法使い、世に名高い三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインは、はた、と首を傾げた。

 

 言われてみれば然り。

 ぺスペア候側近の証言から、ボウロロープ候に付き従った者は、自軍を見捨てて走った縁者とお抱えの破落戸(ごろつき)百名余り、事態を呑み込めずただ流されるままにその麾下に加わる他なかったエ・ペスペルの元の守備兵力が五百と少々。こんな下らぬ連中は捨て置いたとて害もなし。城外にてその非を滔々と訴える演説でもして勝鬨を上げ、凱旋に転じて悪かった理由はない。

 

「ジルが、あの馬鹿者を始末したい、と常々考えておったのはわかっておる。

 その好機を逃すまじ……ということでは、なかったのかな?」

 

「まさか!

 それでは巷間言われる<鮮血帝>、そのものじゃないか。」

 

 かか、とジルクニフは笑ってみせる。

 

「種を明かせば、これだ。」

 

と懐から取り出したのは、一通の書簡。

 蜜蠟で封じられていた跡こそあるが、そこに本来あるべき印章の(たぐい)は見えず、いわゆる密書であることはフールーダには一目瞭然だ。

 

「読んで……構わんのかね?」

 

「無論だ。

 そのために(じぃ)をここへ呼んだのだからな。」

 

 フールーダは、ざっと書面を黙読する。

 他人の手に落ちることを憚ってか一切の固有名詞が仄めかしに留まっているので一見して意が取り難いが、既に起こってしまった会戦の経緯を知る今となっては、それを補って読むことは容易だ。趣意を拾えば以下の通り。

 

『貴殿もよく承知の馬鹿者が兵を募っている。

 遺憾ながら、貴殿にはこれを漏れなく打ち滅ぼすことをお勧めしたい。

 それが、貴殿と我らの関係に画期(かっき)を為すと信じるがゆえである。

 

 悲しいかな、我らは貴殿の膝下に(ひざまず)くに(あた)わず。

 たとえ一時(いっとき)それを為したとて、第二、第三の馬鹿者が立つは必定。

 我らは、次なる者たちへ席を譲らねばならぬ。

 その者たちは、貴殿が道を誤らぬ限り、謹んで朝貢の礼を執るだろう。

 その者たちにこそ、それが成し得るだろう。

 

 為には、これこそが唯一の道、と皆に信じさせる画期(かっき)を要すもこれまた自明。

 かの馬鹿者はその(にえ)に好適。

 幸いなるかな、我らがお(かみ)も既にご同意。

 

 貴殿に同じく、民草の明日を思えばこそ。』

 

「馬鹿者、は言うまでもなくボウロロープ侯爵。我ら、は(いくさ)を厭う王国貴族。

 彼らの戴くお(かみ)、はすなわち、ランポッサⅣ世。」

 

とフールーダ。

 

「その内諾(ないだく)既にあり、と断言できる差出人は……レエブン候、かな?」

 

「そういうことだ。あの小倅(こせがれ)、親父に似て一癖あるが阿呆ではない。惜しむらくは生まれた場所と時代を誤ったな。」

 

 エ・レエブルを領地とするレエブン侯爵家現当主はその座を継いで間もない二十代後半の若者だ。長くリ・エスティーゼ王国の王派閥と貴族派閥の間に立って蝙蝠を演じつつ、その(じつ)国家を取り仕切っていた前レエブン候エリアスを、ジルクニフは高く買いまではしないもののそれなりに評価していた。

 

「その小倅(こせがれ)が、真に時代に画期を為す、となれば、必ずしも、生まれた場所と時代を誤った……ことにはならんのではないかね?」

 

「……ああ。それは(じぃ)の言う通りだな。」

 

 ジルクニフは師父の揚げ足取りを素直に認めた。

 

「しかし……であれば、(わし)が無差別魔法爆撃を申し出た折、即座に、それだ!と命じて……よかったのではないかな?」

 

 主君の一挙手一投足には必ず何らかの明確な意思がある、と知る老魔法使いは、疑義を呈しつつも自信なさげにそう問う。

 

(じぃ)は頭脳明晰だが、ゆえに人の情義に通じんところがあるな。

 おまえの提案に、あのバジウッドですら引き気味だったのに気づかなかったか?」

 

「無論それには気づいておったとも!

 じゃが、鮮血帝の諢名で知られるジルが、過酷な一手を即断するに何を憚る?」

 

 いつしかジルクニフの視線は、何を見定めるでもなく高い天井へ向かって焦点を失っていた。

 

「なればこそ、だ。

 鮮血帝は即断即決でなければならんが、それは、オレに忠誠を誓う誰にとっても得心のいく即断即決でなければならぬ。ニンブルならばともかく、バジウッドやナザミ、連なる平民叩き上げの士卒が、市民巻き添えの無差別爆撃を呻吟もなしに即決するオレを見て、諸手を挙げて快哉を叫ぶとでも思うか?」

 

 この言を受けてフールーダは、エ・ペスペル攻城戦を議した席上、口火を切った己の発議を回想する。

 

 

                    *

 

 

「この際は、かねてより秘したる禁呪、磨き上げたる我が位階魔法の精髄を以て、エ・ペスペルをボウロロープ一党、市民諸共に、焼き尽くしてご覧に入れましょうぞ!」

 

 フールーダがさも愉快気に、本当に愉快気に為したこの放言に、攻城戦の仔細を議すべく本陣幕屋に(つど)った三将軍、三十大隊長、誰もが、またまた首席宮廷魔術師殿の戯言(ざれごと)が始まった、と苦笑を漏らしたが、ただ一人、これが道化師を気取った放言などではなく本気も本気であるとたちまちに見抜いたバジウッド・ペシュメル将軍だけが、常の豪放磊落な彼に似合わぬ色を失った表情を浮かべたことに誰彼となく気づき、次第に苦笑は()んで幕屋は沈黙に包まれた。

 

 皇帝ジルクニフは、何を思ってか顔色一つ変えない。

 

(じぃ)さんよ……そりゃぁあんまり、ってモンだろうよ!」

 

 日常、皇帝とその側近たちの限られた私的(プライベート)な空間における無礼講であればともかく、諸将の集う公式の場において、バジウッドがこのような砕けた呼び名でフールーダに物申すことは決してなかったものだが、このときだけは、思わず()の彼が顔を出さざるを得なかったものと見える。

 その視線は、呼び掛けた相手の反応を待たず、彼が、空恐ろしい御方ながらも決して暗愚冷血ではないと知る主君へと向かった。

 

「陛下からも言ってやってくださいな。オレっちと、麾下の軍にお任せいただければ、幾日かはお待たせすることにはなりましょうが、一命に替えても城を落として見せまさぁな!」

 

 だが、応えは主君からではなく、老魔法使いから返された。

 

「ペシュメル将軍。」

 

と他人行儀にその名が呼ばれる。

 

「陛下が、ボウロロープ如きを……

 得難き貴公や麾下の忠勇の士卒の命を以て、(あがなう)うなどとお思いか!」

 

 ハッ、とバジウッドのみならず、居並ぶ諸将の背筋が伸びた。

 誰もがフールーダの真意を悟らざるを得なかったからだ。

 

 この大老魔法使いは、我らを無用の市街乱戦から遠さげるため。

 そして何より陛下の御心(みこころ)を安んじるため。

 

 敢えて!

 

 敢えて、未来万年に渡り、

 鬼よ悪魔よと(ののし)られかねない(よご)れ役を買って出る覚悟なのだ、と。

 

「すまないが。」

 

と、やはり顔色、声色ともにまったく揺るがさずジルクニフが言う。

 

「パラダイン卿を残し、皆、一旦席を外してくれるか。」

 

 異を唱える者などあろうはずもなく、一人、また一人と、野営陣地ゆえに布地一枚を隔てるのみではあるが幕屋から退出し、そこには皇帝と老魔法使いだけが残された。

 

「フールーダ、近くへ。」

 

 そう呼ばれて、老魔法使いは数歩前へ出る。

 

「もっと近くへ。」

 

 フールーダは「盗み聞きをご懸念ならば何か魔法を用いましょうか?」と軽口を叩きながら皇帝の目前まで歩みよったが、跪礼を執ろうとしたまさにそのときにジルクニフ自身もまた腰掛けていた椅子から立ち上がって膝を折り、師父の皺だらけの手を取った。

 

「陛下……」

 

「オレは……」

 

「……」

 

「オレは……元よりこうなることを望んでいたのやも知れぬ。」

 

 このとき初めてフールーダは、主君ジルクニフが、ボウロロープ侯がエ・ペスペル市民を(しち)に立て籠もることなど慮外、と考えていたことを悟った。

 

 だが、今更その仔細、責の所在を論じたとて何の益があろうか。

 

 幼少の砌よりよく知る、この豪胆にして冷徹、でありながら繊細なこの男は、目下の最善の決断が、己が必ずしも望まぬ鮮血帝の諢名がこの一事を以てさらに血の色に彩られること、なおまして、師父たる目前の老魔法使いに万年語り継がれよう汚名を着せることを百も承知で、だが、決断せねばならぬ、否、己の意思で決断するのだ、と考えている。

 そして同時にこの男は、それが、未来永劫、ではないにせよ、少なくとも向こう百年は帝国に繁栄と安寧をもたらし、少なからぬ王国の民草にとっても最良の一手であること……でありながら、その益を被るであろう人々の大多数からは決して理解されないであろうこともまた、承知の上で決断しようとしている。

 

 嗟乎(ああ)燕雀(えんじゃく)(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)(こころざし)を知らんや!

 

 不意に、視界の中の自身の手を取る主君にして愛弟子の手の像が歪んで、己の落涙をフールーダは知った。

 (わし)としたことが……歳はとりたくはないものじゃ。

 

「諸将に入幕を許す!」

 

 ジルクニフはすっと立ち上がって威儀を正した。

 フールーダーは腰を折りつつ後退(あとずさ)って元の立ち位置へ戻り、共に三将軍、三十大隊長の入場を待ち受ける。語られずとも、幕屋のうちでどのようなやり取りがなされたかについては、誰も疑ってなどはいない。

 

 皆が整列したことを確認し、皇帝は宣じた。

 

「パラダイン卿の提案を()とする。

 ペシュメル、エネック両将軍はエ・ペスペルの城門を固め二日の猶予を触れせよ。徒手空拳でさえあれば逃げ去る者は敢えて咎めず、ボウロロープ侯の身柄を引き渡す者には恩賞を約す、とな。仔細は任せる。

 アノック将軍は引き続き騎兵を率いて哨戒し、武装して城外へ出る者、ないとは思うが来援する者に警戒を怠るな。」

 

「「おぉ!」」

 

と総員の喚呼を受けて、ジルクニフはただこくりと頷いて見せた。

 

 

 

 果たせるかな、門を開いて出てくる市民はなかった。

 これを肉の盾と考えて恥じないボウロロープ一党が許さなかったこともあるが、それ以上に、王国民は鮮血帝ジルクニフ・エル・ニクスについて、逆らう者は敵味方関係なく逆さ串刺しにして陣前に並べる、であるとか、(くだ)った兵を搾血機に掛けてその生き血を呑む、であるといった根も葉もない風聞を存外素朴に信じていたからだ。

 

 猶予の日限も過ぎた三日目の朝、フールーダを筆頭に十数名の魔法詠唱者(マジックキャスター)がエ・ペスペル上空に<飛行(フライ)>で浮かんだ。

 

「聞けぃ!」

 

 魔法の力で拡声されたフールーダの声が響き渡る。

 

「皇帝陛下の慈愛の猶予を顧みず、暗愚の侯爵と命運共にすることを選んだ己を呪うがよい。

 汝らはこれから地獄の業火で焼き尽くされるが、それは帝国、王国の民草の未来を照らす光であると知れ!」

 

 この宣告の真意を解する者などあろうはずもなく、応じる者もまたなかった。

 

「最期に、汝らを焼く者の名を告げよう。

 (われ)こそは世に名高き三重魔法詠唱者(トライアッド)、フールーダ・パラダインなり!

 

 <三重魔法最強化(トリプレットマキシマイズマジック)>!」

 

 およそ大陸において彼のみが成し得る魔法強化(エンハンス)に両の手が振り上がり、

 一瞬の静寂。

 

 そして……

 

「<焼夷(ナパーム)>!」

 

 たちまちに三本の紅蓮の炎の柱が竜巻の如く立ち上り、エ・ペスペルの市街を呑み込んだ。

 

 

                    *

 

 

最大警戒(フェイタルアラーム)

 御身(おんみ)の西方およそ三十キロ高度五千メートルを北上する亜音速飛翔体を検知……あ、今、一旦静止し、御身に一直線に向かって参ります。)

 

「……はぁ?

 

 ゴホンッ!

 

 シャルティアにアウラ、マーレ、と骸骨(スケルトン)鉱夫隊の引き上げを命じよ。

 後はオレが処理する。

 

 すまんが、アルベドとデミウルゴスには……内緒で、頼む。」

 

(承知いたしました。

 どうぞお気をつけて。)

 

「あぁ、ニグレド。いつもありがとう。」

 

(恐れ入ります。)

 

 ナザリックの目、ニグレドからの緊急報がプツリと切れて、さて、多分アイツだな……と思う。この前出食わしたのはいつだったけかな、というか毎度のことながら名前が思い出せんな。割り切ったつもりではあるがやっぱり不便だよな、この設定。

 

 などと内心毒づきつつ、やはり毎度の如く無詠唱(サイレント)>で念のための防御強化(バフ)を施しながら、我らが大魔王アインズ・ウール・ゴウンは所持品(インベントリ)書付(メモ)を探った。

 

「やぁ、アインズ。こんなところで奇遇だね。」

 

 思った通り、ニグレドの告げた方角から驚くべき速度で飛来し、およそ慣性の法則をまったく無視してアインズの頭上十数メートルのところでぴたりと静止し声をかけてきたのは……

 

 空飛ぶ白金(プラチナ)傀儡(くぐつ)だった。

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