血塗れの連判状(1)
「
彼が傍らにある白髪白髭の老魔法使いにこう呼びかけるのは、余人の耳はないので本音で応じよ、との符牒である。
一隊百名の謁見に十二分に足る大広間。高い採光
そのような視線などあり得ようもないが、天井からこれを眺めれば、これらすべてを包み込む仰々しくも
「なんじゃね、ジル?」
人の身にはあり得ぬ齢を重ねたゆえか最早首を振ることすらも
ジル、と呼ばれた偉丈夫には、その呼び名の印象が醸す幼い気配など微塵もない。
蓄えられた立派な
そして……。
やや
「本当は……やってみたかったのだろう、以前から?」
目線は北向きの
「……今更そんなことを問うかね、ジルよ?
おまえさんも随分と思い詰めた顔をして
「そういう
「……この歳になっても、
「……そうだな。
どちらからともなく、くくっ、と笑いが漏れ、やがてそれは大きな哄笑となって大広間に響き渡った。
*
リ・エスティーゼ王国
元より、本来王位を継ぐと目された娘婿バルブロ・ヴァイセルフの急逝に伴い王派閥に対しても貴族派閥に対してもその影響力を失っていた候は、良くも悪くも誰にも何も命じ得ず、また、誰も候を押し留めることは叶わなかった。
ただ自身だけが今だその手にあると信じる権勢を示さんと、自身の領地からの強制徴募兵、更には無遠慮に他列公の領地から
当然この動きは王国内に少なからず配された帝国間諜によっていち早く察知され、鮮血帝ジルクニフは自ら麾下二軍二万余を率いて迎え撃つことを即断した。
エ・ランテルの常備一軍を任されたかつての四騎士の
もっとも、ボウロロープ軍の統制の低さ、対する帝国軍の士気の高さの差もあって、帝国主力の到着は帝都を発しての遠路にもかかわらず王国側に比して五日遅れたのみであり、そもそもサンブルが暴発する
主力到着の翌朝、エ・ランテルの城門を開いて一軍が野戦を受けて立つ構えを見せたことで、ボウロロープ陣営は否応なく沸き上がった。
それを率いる将軍、雷光バジウッド・ペシュメルに並んで、鮮血帝ジルクニフ・エル・ニクス、その人があることを認めたからだ。
実のところ、エ・ランテルまで大軍を率いて至ったものの、ボウロロープ侯爵その人を含め、かの陣営に何らかの必勝の策があったわけでは決してない。
かつてリ・エスティーゼ王直轄領であったエ・ランテルは、なればこそ、外から攻めるには難攻不落の要衝であることは元から承知している。囲って兵糧攻めしようにも、帝国の兵站は王国のそれよりも数段優れており、籠城の糧食が尽きるよりも前に自分たちが飢えに陥ることは
できることは、せいぜい罵詈雑言で挑発して野戦に応じてくれるならば一戦交え、いくらかの名のある敵の首級を挙げれば上々。最悪城内に立て籠られたまま相手にされなければ「帝国の腰抜けどもは我が方に恐れをなして顔すら見せぬ」と喧伝しつつ早々に引き上げて留飲を下げるがよろしかろう、などとすら囁かれていたものだが、どうしたことか帝国は、一発大逆転の
すなわち、戦場において皇帝ジルクニフの首を取れば、ここ四半世紀の借りを一気に返せるばかりか、王国の覇権すら手中に舞い戻ることは疑いない。
「小賢しいジルクニフも老いたと見えて知恵の泉も枯れ果てたか!
帝都より長躯した軍に休息も与えず自ら陣頭に立って決戦に及ぶとは!
もはや我らが勝利は約されたも同じこと!」
侯はそう檄を飛ばして士気を煽ったが、一般兵卒は
むしろ、長征から二日と置かずに、明らかに有利な籠城を選ばず敢えて野戦へ皇帝自ら打って出たのは、我々にこれを好機と誤認させることで彼らの秘める必勝の計へ陥れるため、ではないのか。
といったことを、少なからぬ士官が考えてはいたが、これを侯爵に諫言する者は皆無であった。
相手がこの手の忠告に
ボウロロープ侯爵はこのとき既に
ゆえに、まともな判断力のある士官たちの
幸いにして数の有利は王国側にある。
王国は槍兵、弓兵、投石兵入り
対する帝国は主力となる前衛に重装歩兵千と少々、本陣を囲み前衛をその後背より支える槍弓兵八千の計一万弱。今のところ騎乗する者の姿は本陣奥深くにある皇帝と将軍、その
単純比較すれば戦力差は四倍だ。
が、これは士官のみならず一般兵卒も骨身に染みて知っているところだが、帝国騎士一人の戦力は王国戦士の五人乃至は六人に相当する。その多くが臨時の
進め、
とまれ、単純比較には前もって帝国の兵数に少なくとも五を乗じておく要があり、そうすれば王国四万に対し帝国五万となって、かたや嫌々巻き込まれた無意味な戦役、かたや皇帝親征の晴れ舞台ともなれば、その士気の明暗の
当の一方の領袖、を除いては。
さりとてここには、ボウロロープ侯爵に
と言うのも、王国軍の勝利条件は突き詰めれば侯爵が勝った気分になることなのであり、それが具体的にどのような状況を指すのかについては、それを侯爵に問うた
対する帝国軍が自ら定める勝利条件は、ボウロロープ侯爵では思い及ばぬほどに無暗矢鱈と高かった。
そもそも皇帝ジルクニフが王国の一地方貴族、それも今となっては傍流の老害に過ぎない小物の気まぐれに対し、わざわざ親征の軍を興して自ら当地へ至ったのは、今こそ積年の対王国戦略に一つの楔を打ち込む好機と見たからに他ならなかった。
遡って二十年と少し前、王直轄領が一夜にして
老ボウロロープ侯の暴発はまさに渡りに船、既に帝国領となって久しいエ・ランテルを囲む軍を派した王国側に非があるのは誰の目にも明らかで、迎え撃つ帝国には何を言い訳する必要もない。さらに、自他ともに王国鷹派の領袖と認める人物が目前までわざわざ出張ってくれるというのであるから、この機にこれを捕縛し、たちまちに命奪うことはなかろうとも十二分な
すなわち、帝国の勝利条件の第一はボウロロープ侯爵の身柄を押さえること!
だが、それを実現するためにこそ、敢えて帝国は数の上では王国に対して劣る陣容で立ち向かわざるを得なかった。圧倒的兵力でこれを迎えれば……それは決してジルクニフにとって難しいことではない……王国軍は一合も矛交えることなく退却してしまう恐れがあったからだ。
さらに、極端な話、麾下の士卒が
たとえ侯爵を討ち取ったとて、それが麾下の精兵云千の命と引き換えなのであれば、余りに目利きの利かぬ愚かな買い物。たとえ、既に帝国中興の祖の評価を得、圧倒的な支持を今なお捧げる臣民のそれをまったく損なうことがないのだとしても、他ならぬジルクニフ自身の矜持がそんなことは許さないのだ。
だから、王国側の侯爵を除く士卒の誰もが、自分たちは帝国に勝つことなど望むべくもなく生きて帰参が叶えば御の字だ、と考えているにもかかわらず、帝国側、特に皇帝ジルクニフ自身は、今回の
そして、同じく尋常ならざる心持ちの侯爵が自身を落ち着かせるべく陣中にもかかわらず酒を煽り続けるしかなかったのに対し、皇帝は常にも増した権謀術策を巡らせることで必勝を期したのである。
この数十年来繰り返された会戦の末、どちらから約したでもない決まり事、お作法のようなものが両国の間の
定員百名からなる大隊十隊を一軍とする帝国重装歩兵がこれを受け止める。騎士身分である彼らは重装であるがゆえに機動力を欠くので、まずは防戦一方だ。が、農民でしかない王国兵は不慣れな槍使い、それにも増して死にたくない一心で遮二無二これを振り回すがために疲労も早く、存外早く攻勢の限界に達する。
彼らが互いに顔を見合わせ「随分と騎士を押し返したからこれで十分じゃないのか、これ以上踏み込むと
ここからは王国貴族士官の腕の見せ所だ。
この時点でも数の優勢は王国側にあるので、背を見せて潰走しない限り戦線は維持可能だ。が、専業軍人でなく、敵味方密集した中に閉じ込められただただ生還を期すのみの王国兵は、周囲の雰囲気の変化に敏感でこの瞬間に
馬上の王国士官は自陣の様子に目を光らせ、崩れそうになる搦手を見つけては
このような駆け引きが数度繰り返されれば両者ともに疲労困憊、どちらの陣営からともなく一旦退却の指揮がなされれば、双方ともに向かい合ったまま徐々に戦線は剥離していく。この時点で勝敗を印象付けるような
実際にはここに
これまた数の暴力となるそれは決して馬鹿に出来たものではなく、むしろ運悪くそれに貫かれた者が死傷者の多くを占めることは否めないが、そもそも射程内が敵のみで占められていることが確約されない限り一斉射することは叶わない……混戦の味方白兵を無視して斉射戦術を用いる者があれば、その者は遅かれ早かれ味方の怨嗟で害されるはずだ……ので、それ自体は戦いの趨勢を決定する要因になることは少なく、あくまでも牽制に用いられるのが常である。
とまれ、そのような
常であれば、緒戦においてはじりじりと後退するはずの帝国側がまったくその様子を見せず、特に、体を右方向に向けて開いて両手で長槍を構える王国兵からすれば死角となる左翼方向から、押し返してくる気配を誰からとなく覚えたからだ。
これには、今回の決戦に向けて仕込まれた帝国側の秘策があった。
多くの王国士官が予想したように、会戦に打って出て来たのは長躯の遠征軍ではなくエ・ランテルに常駐していた守備軍だったのだが、であるがゆえに、その多くは本国の部隊に比すれば組成がやや
実は帝都からおよそ三週間をかけてなされた行軍に際し、バジウッド・ペシュメル麾下の選抜
彼らにだけは、バジウッドの手足として勇猛かつ正確無比にその意図を体現すべく、長躯しての即参戦が企図されていたからだ。野営時の食事に際しては、本来許されるはずもない少量に限っての飲酒さえも、将軍自ら「陛下にゃ内緒だぜ」と勧められる始末。もっともこれはバジウッド自身が吞みたかったがための方便やも知れぬが、ともかく、そういったこともあって彼らの士気は矢鱈滅法高かった。
この二隊が、通常は新兵が優先的に配される帝国軍最右翼にあって、最初の一合こそいつものように受け流して退いたものの、以降は猛然と押して出る構えを採ったのだ。
いつもと何かが違うぞ!
王国兵の誰もが自身の左、背中方向からの思いもよらなかった圧を明確に感じ取ったときには既に手遅れ、その陣形は王国士官が如何に督戦しようとも、個々人の意思にかかわらず成り行き的に右方向へと流れ始めた。
そしてこの一手は、鮮血帝ジルクニフが何段にも構えた必勝の策の最初の一手、に過ぎなかったのである。
辛うじて瓦解を
緒戦時点では気配もなかった軽装の弓騎兵がこちらに向かって突進してくるではないか!
刹那、帝国重装歩兵がすすっと三歩
実のところこの部隊こそが真の強行軍、皇帝自身が率いる主力から王国間諜の視線を警戒して五日遅れて進発し、兵站を重んじる帝国の原則に反して騎馬のみが必要最低限の乾燥糧食のみを携えて、日中であっても
これを率いるは、やはりかつて帝国四騎士と謳われた将軍、激風ニンブル・アノックその人である。
開戦前夜に、夜陰に紛れて乗り換え用の馬を運び出した長子サンブルと城外で落ち合い、ぎりぎり戦場を見渡せる砂丘の陰から好機を伺っていたものだ。
ニンブル自身を含めその体力は限界寸前であったが、王国軍右翼に間合いを維持して整然と迫りつつ再度の斉射、今一度の斉射と続けば、最早彼らの疲れに乗じて立ち向かう王国兵は皆無で、それ以前にそんなことに気づける者などいようはずもなく、流石に背中こそ見せぬものの、遮二無二槍衾を振り翳しつつ後退する以外になす
この様子を、王国軍最奥、少し高くなった丘の上から眺めていたボウロロープ侯爵は、決して聡明ではないがまったくの阿呆でもないので、自軍が既に負け
何ら策を指し示すことなくいつも通りの開戦を号令したのが
が、通例であれば、重装歩兵を主軸とするがゆえに追撃戦に不向きであり、一旦王国が退き始めれば
これを皮切りに、続くエ・ペスペル殲滅戦が余りに人口に膾炙したため一般の人々にはあまり知られてこそいないが、大陸の戦史を専門に探求するものの間では伝説となった四日四晩の追撃戦が始まる。
これを帝国側で指揮したのは、長征の二軍のもう一方を率いていたやはり四騎士の一角、不動ナザミ・エネック将軍である。
緒戦に続く追撃こそバジウッド率いるエ・ランテル軍がそのまま担ったが、夕刻からは、城内で一日休養して英気を養ったナザミ率いる二軍のうちの一軍がいつの間にかこれに入れ替わった。
ナザミ軍は、計算され尽くした行軍速度でバジウッド軍の後を追い、少しずつ、本当に少しずつその人員を入れ替えた。ナザミ自身がバジウッドと本陣での立ち位置を代わった時点で王国軍に直面する前衛の顔触れはすべてナザミ軍の士卒に差し代わったのだが、呆れたことにこの交代劇は一定の進軍速度を保ったままおこなわれたので、王国側からすると、追いついてこそこないがまったく歩みを止めず、どころか疲れる様子も見せない帝国軍は、まるで迫り来る壁のようだった。
その壁の後ろには、半日後には再び前衛と入れ替わるべく追いつかんとする一軍があり、さらにその後方には、一日後の再交代に備えて休息を取っている一軍があろうなど、王国士卒には知る由もない。
それでも王国軍は、潰走に至れば一気に殲滅されかねないことを承知していたので、仮眠はおろか食事すらままならぬままに退却戦を続けるしかなかった。一日経過した時点で、この
対して侯爵の領地から徴用された連中は、乱戦の中であればともかく、馬々鹿々しくも整然と続く退却戦から脱走することが叶わない。氏素性が割れているがゆえに、士官に脱走を見咎められれば郷里に残した家族親類縁者に累が及ぶ恐れがあるからだ。
日に一度は、最後の力を振り絞っての押し返しが試みられたが、都度、突如帝国軍の右左翼のいずれかから、やはり後方で一旦休養を取って元気溌剌なニンブル、サンブル父子に率いられた弓騎兵が突出し、数斉射を浴びせて出血を強いた。
これを繰り返すうちに、元は帝国の四倍だったはずの王国士卒は五千を切り、逆に、エ・ランテルに最低限の守備を残して全兵力を以て追撃する帝国は三軍三万余となって兵力差は六倍。実力差を勘案すれば、実に三十倍の戦力を以て迫る
四日目の夜に、ここまで、潰走ともなれば乱戦の中自身が騎兵の
夜が明けてこれに気づいた王国軍が、その後方から順に精も魂も尽き果ててへにゃへにゃとその場に座り込み始め、首魁の無責任な遁走は帝国側も知るところとなった。
四日四晩の追撃戦を、常に馬上にあって若干の微睡みはありつつも、
むべなるかな、エ・ペスペルの城壁が彼方に見え始めた辺りでニンブル率いる騎兵隊はボウロロープ一行に追いついたが、これが返って裏目に出た。
エ・ペスペルの領主、ぺスペア侯爵はそもそもボウロロープ一党の企てには知らぬ顔で、抗う
城外から開門を声高に叫ぶボウロロープ侯に対し、ぺスペア侯は彼を城外に待たせたまま物見櫓から嫌味の一つでも投げかけてやろうと自身出御して出迎えたのだが、このとき側近の一人が平原の彼方に追走する騎馬の土埃に気づいた。
ぺスペア侯は、決してボウロロープ侯が好きではないしむしろ蛇蝎の如く嫌ってはいたが、さりとて、前王ランポッサⅢ世の娘婿でもあった自身は、儚くも夭折した
が、一命を救われたボウロロープ侯は、何を思ってか付き従った子飼いの部下たちに命じてぺスペア侯に剣を突き立て、エ・ペスペルからの退去を求めたのである。
この異変は、ニンブルが走らせた早馬でジルクニフの知るところとなった。
ジルクニフは、流石に今宵は一旦進軍を
六日目の朝、数台の馬車がエ・ペスペルの城門を開いて現れ王都方面へ街道を上り始めた。サンブル・アノックがこれを追ってたちまちに取り押さえたが、憮然とした様子で降車したぺスペア侯はサンブルに対し、臆面もなくこう言い放って彼を呆れさせた。
不法に我が権を犯すかの者の非道を訴えるべく王都へ
汝らがボウロロープを煮るも、エ・ペスペルを焼くも、
と。
その余りに無責任な態度に
「民草を顧みぬ貴公に、斬首を以て報いる他に何がある?」
かくして、ボウロロープ侯の無謀なエ・ランテル攻城戦に始まった
*
「
と再びジルクニフが呼び掛ける。
「あのとき……。
エ・ペスペルを囲んだあのとき、オレが
問われた老魔法使い、世に名高い
言われてみれば然り。
ぺスペア候側近の証言から、ボウロロープ候に付き従った者は、自軍を見捨てて走った縁者とお抱えの
「ジルが、あの馬鹿者を始末したい、と常々考えておったのはわかっておる。
その好機を逃すまじ……ということでは、なかったのかな?」
「まさか!
それでは巷間言われる<鮮血帝>、そのものじゃないか。」
かか、とジルクニフは笑ってみせる。
「種を明かせば、これだ。」
と懐から取り出したのは、一通の書簡。
蜜蠟で封じられていた跡こそあるが、そこに本来あるべき印章の
「読んで……構わんのかね?」
「無論だ。
そのために
フールーダは、ざっと書面を黙読する。
他人の手に落ちることを憚ってか一切の固有名詞が仄めかしに留まっているので一見して意が取り難いが、既に起こってしまった会戦の経緯を知る今となっては、それを補って読むことは容易だ。趣意を拾えば以下の通り。
『貴殿もよく承知の馬鹿者が兵を募っている。
遺憾ながら、貴殿にはこれを漏れなく打ち滅ぼすことをお勧めしたい。
それが、貴殿と我らの関係に
悲しいかな、我らは貴殿の膝下に
たとえ
我らは、次なる者たちへ席を譲らねばならぬ。
その者たちは、貴殿が道を誤らぬ限り、謹んで朝貢の礼を執るだろう。
その者たちにこそ、それが成し得るだろう。
為には、これこそが唯一の道、と皆に信じさせる
かの馬鹿者はその
幸いなるかな、我らがお
貴殿に同じく、民草の明日を思えばこそ。』
「馬鹿者、は言うまでもなくボウロロープ侯爵。我ら、は
彼らの戴くお
とフールーダ。
「その
「そういうことだ。あの
エ・レエブルを領地とするレエブン侯爵家現当主はその座を継いで間もない二十代後半の若者だ。長くリ・エスティーゼ王国の王派閥と貴族派閥の間に立って蝙蝠を演じつつ、その
「その
「……ああ。それは
ジルクニフは師父の揚げ足取りを素直に認めた。
「しかし……であれば、
主君の一挙手一投足には必ず何らかの明確な意思がある、と知る老魔法使いは、疑義を呈しつつも自信なさげにそう問う。
「
おまえの提案に、あのバジウッドですら引き気味だったのに気づかなかったか?」
「無論それには気づいておったとも!
じゃが、鮮血帝の諢名で知られるジルが、過酷な一手を即断するに何を憚る?」
いつしかジルクニフの視線は、何を見定めるでもなく高い天井へ向かって焦点を失っていた。
「なればこそ、だ。
鮮血帝は即断即決でなければならんが、それは、オレに忠誠を誓う誰にとっても得心のいく即断即決でなければならぬ。ニンブルならばともかく、バジウッドやナザミ、連なる平民叩き上げの士卒が、市民巻き添えの無差別爆撃を呻吟もなしに即決するオレを見て、諸手を挙げて快哉を叫ぶとでも思うか?」
この言を受けてフールーダは、エ・ペスペル攻城戦を議した席上、口火を切った己の発議を回想する。
*
「この際は、かねてより秘したる禁呪、磨き上げたる我が位階魔法の精髄を以て、エ・ペスペルをボウロロープ一党、市民諸共に、焼き尽くしてご覧に入れましょうぞ!」
フールーダがさも愉快気に、本当に愉快気に為したこの放言に、攻城戦の仔細を議すべく本陣幕屋に
皇帝ジルクニフは、何を思ってか顔色一つ変えない。
「
日常、皇帝とその側近たちの限られた
その視線は、呼び掛けた相手の反応を待たず、彼が、空恐ろしい御方ながらも決して暗愚冷血ではないと知る主君へと向かった。
「陛下からも言ってやってくださいな。オレっちと、麾下の軍にお任せいただければ、幾日かはお待たせすることにはなりましょうが、一命に替えても城を落として見せまさぁな!」
だが、応えは主君からではなく、老魔法使いから返された。
「ペシュメル将軍。」
と他人行儀にその名が呼ばれる。
「陛下が、ボウロロープ如きを……
得難き貴公や麾下の忠勇の士卒の命を以て、
ハッ、とバジウッドのみならず、居並ぶ諸将の背筋が伸びた。
誰もがフールーダの真意を悟らざるを得なかったからだ。
この大老魔法使いは、我らを無用の市街乱戦から遠さげるため。
そして何より陛下の
敢えて!
敢えて、未来万年に渡り、
鬼よ悪魔よと
「すまないが。」
と、やはり顔色、声色ともにまったく揺るがさずジルクニフが言う。
「パラダイン卿を残し、皆、一旦席を外してくれるか。」
異を唱える者などあろうはずもなく、一人、また一人と、野営陣地ゆえに布地一枚を隔てるのみではあるが幕屋から退出し、そこには皇帝と老魔法使いだけが残された。
「フールーダ、近くへ。」
そう呼ばれて、老魔法使いは数歩前へ出る。
「もっと近くへ。」
フールーダは「盗み聞きをご懸念ならば何か魔法を用いましょうか?」と軽口を叩きながら皇帝の目前まで歩みよったが、跪礼を執ろうとしたまさにそのときにジルクニフ自身もまた腰掛けていた椅子から立ち上がって膝を折り、師父の皺だらけの手を取った。
「陛下……」
「オレは……」
「……」
「オレは……元よりこうなることを望んでいたのやも知れぬ。」
このとき初めてフールーダは、主君ジルクニフが、ボウロロープ侯がエ・ペスペル市民を
だが、今更その仔細、責の所在を論じたとて何の益があろうか。
幼少の砌よりよく知る、この豪胆にして冷徹、でありながら繊細なこの男は、目下の最善の決断が、己が必ずしも望まぬ鮮血帝の諢名がこの一事を以てさらに血の色に彩られること、なおまして、師父たる目前の老魔法使いに万年語り継がれよう汚名を着せることを百も承知で、だが、決断せねばならぬ、否、己の意思で決断するのだ、と考えている。
そして同時にこの男は、それが、未来永劫、ではないにせよ、少なくとも向こう百年は帝国に繁栄と安寧をもたらし、少なからぬ王国の民草にとっても最良の一手であること……でありながら、その益を被るであろう人々の大多数からは決して理解されないであろうこともまた、承知の上で決断しようとしている。
不意に、視界の中の自身の手を取る主君にして愛弟子の手の像が歪んで、己の落涙をフールーダは知った。
「諸将に入幕を許す!」
ジルクニフはすっと立ち上がって威儀を正した。
フールーダーは腰を折りつつ
皆が整列したことを確認し、皇帝は宣じた。
「パラダイン卿の提案を
ペシュメル、エネック両将軍はエ・ペスペルの城門を固め二日の猶予を触れせよ。徒手空拳でさえあれば逃げ去る者は敢えて咎めず、ボウロロープ侯の身柄を引き渡す者には恩賞を約す、とな。仔細は任せる。
アノック将軍は引き続き騎兵を率いて哨戒し、武装して城外へ出る者、ないとは思うが来援する者に警戒を怠るな。」
「「おぉ!」」
と総員の喚呼を受けて、ジルクニフはただこくりと頷いて見せた。
果たせるかな、門を開いて出てくる市民はなかった。
これを肉の盾と考えて恥じないボウロロープ一党が許さなかったこともあるが、それ以上に、王国民は鮮血帝ジルクニフ・エル・ニクスについて、逆らう者は敵味方関係なく逆さ串刺しにして陣前に並べる、であるとか、
猶予の日限も過ぎた三日目の朝、フールーダを筆頭に十数名の
「聞けぃ!」
魔法の力で拡声されたフールーダの声が響き渡る。
「皇帝陛下の慈愛の猶予を顧みず、暗愚の侯爵と命運共にすることを選んだ己を呪うがよい。
汝らはこれから地獄の業火で焼き尽くされるが、それは帝国、王国の民草の未来を照らす光であると知れ!」
この宣告の真意を解する者などあろうはずもなく、応じる者もまたなかった。
「最期に、汝らを焼く者の名を告げよう。
<
およそ大陸において彼のみが成し得る
一瞬の静寂。
そして……
「<
たちまちに三本の紅蓮の炎の柱が竜巻の如く立ち上り、エ・ペスペルの市街を呑み込んだ。
*
(
「……はぁ?
ゴホンッ!
シャルティアにアウラ、マーレ、と
後はオレが処理する。
すまんが、アルベドとデミウルゴスには……内緒で、頼む。」
(承知いたしました。
どうぞお気をつけて。)
「あぁ、ニグレド。いつもありがとう。」
(恐れ入ります。)
ナザリックの目、ニグレドからの緊急報がプツリと切れて、さて、多分アイツだな……と思う。この前出食わしたのはいつだったけかな、というか毎度のことながら名前が思い出せんな。割り切ったつもりではあるがやっぱり不便だよな、この設定。
などと内心毒づきつつ、やはり毎度の如く
「やぁ、アインズ。こんなところで奇遇だね。」
思った通り、ニグレドの告げた方角から驚くべき速度で飛来し、およそ慣性の法則をまったく無視してアインズの頭上十数メートルのところでぴたりと静止し声をかけてきたのは……
空飛ぶ