億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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城塞都市エ・ランテルにて密談をおこなう皇帝ジルクニフと師父フールーダに、皇帝秘書官ロウネ・ヴァミリネンによってもたらされた凶報とは?リ・エスティーゼ王国の命運や如何に?


血塗れの連判状(3)

 ジルクニフは黙ったまま左手を振ってロウネを室内へと招き入れる。

 凶報を聞くならば防諜整った空間であるに越したことはないし、対応の策を下知するに誰かを呼ぶ必要があるのであれば、ロウネにこのままそれを経緯も含めて聞かせた方が話は早い。

 

 対するロウネは、焦点定まらぬ視線を主君へ向けて、ただ目で「よろしいので?」と問う。

 ジルクニフは黙礼で応じてその背を押し、自ら扉を閉じて施錠した。

 

「凶報のようだな。」

 

 つかつかとロウネを追い越したジルクニフは、奥手の玉座へ腰かけてロウネにフールーダの隣へ座るよう目配せした。

 このとき彼は、ロウネがその手に何やら大きな巻物を手にしていることに気づく。件の旧王国領支配の素案だろうか、それにしてはいささか大きすぎる感もあるが。

 

「こんなものがエ・ランテルの(いち)の商人から届けられまして。」

 

幅広卓(ローボード)に置かれたのは、まさにさきほどジルクニフの気を惹いた巻物だ。

 

 市井から上がって来て幾人かの手を経てロウネまで届いたものであれば、相当の人目に既に触れたに違いないが、取り急ぎ箝口令(かんこうれい)を手配する必要があるものだろうか?と考えたジルクニフの疑念はたちまちにロウネに悟られたと見え、

 

「誰も意味するところが()せぬため小職まで届いたものと見え、その点ご懸念は不要かと。」

 

と問わず語りに返される。

 

「ですが、一大事であることに違いはありません。

 とにかくご覧下さい。」

 

 ロウネはそう言って卓の上に紙面を広げた。

 

 まず目についたのは全体を覆う巨大な紋章のような模様。

 紙面に漉き込まれたものではなく、最後に上から描き加えられたように見える。紙の材質は決して粗末ではなくむしろ手練れの職人による逸品であることは明らかだが、決して高級なそれではない。

 

 上部に表題があって、幾らかの、帝国風の書法に倣ってはいるが不慣れに見える文面が続き、その下に同意、あるいは承知を示すものであろうか多数の署名が連なって、最後に、全体を覆っている紋章を相似に小さくしたようなそれが、やはり複数横に連なっている。

 

「パラダイン卿。これは魔法、呪術の類か?」

 

とジルクニフが問うが、これにはフールーダよりも先にロウネが応えた。

 

「無論、その点については検疫済みです!」

 

 老魔法使いも黙ったままに、然り、と頷く。

 

「ひとまず読んでみるか。」

 

と表題に目を向ければ、そこには大きく力強いが丁寧朴訥な筆致で、

 

 

 <ド・クロサマー王国建国宣言>

 

 

とある。

 

「……なんじゃこりゃ?」

 

 思わずジルクニフの口から呆れとも戸惑いとも取れる気の抜けた声が発されたが、ロウネは変わらず深刻な面持ちでこう加えた。

 

(くだん)の村、から届けられたものだそうで。」

 

「村?」

 

「当地エ・ランテル北方、トブの大森林に接して設けられた(とりで)、人間、亜人が入り混じって暮らす、あの村です、陛下!」

 

「な!」

 

 驚きの余り己の禿げ頭(スキンヘッド)を、ペチリ、と自ら打ったジルクニフは、椅子から身を乗り出して卓上の紙面に食らいついた。

 

 ともかく目を通してみる。

 

 

  もりのみんなにラブ&ピースなネム・エモットちゃん。

  今日からド・クロサマー王国女王、なんて……エモくね?エモットだけに。

  そこんとこよろぴこ。

 

  女王ネム・エモット

 

 

「建国趣意書として最低限の体裁は整っています。」

 

と真顔のロウネ。

 

 え、マジかよ?

 なんでおまえ、笑わずにいれんのよ!

 

 見ればフールーダも、糞真面目に紙面の、特に紋章を品定めしている様子。

 

 え?

 吹き出しそうなのオレだけかよ!

 

 ともかく正気を保つために、ジルクニフも無理強い自身の頭脳を分析様態(モード)へと切り替える。

 建国宣言……なのか、これが?……は、恐らくは帝国風の書法に通じた者が素案を示し、追って清書されたものに見えるが、末尾の署名と本文の筆跡が一致するので、表題を含め、どうやら自称女王ネム・エモットが自ら筆を取って書いたものらしい。

 

 書いた者の人柄が見て取れる、優しく不器用だが、それでいて力強い意志を感じる筆致。

 

 自然とジルクニフの視線は続いて連署された署名へと向かう。

 為政者の職業病、とでもいうべきか。公文書体裁の紙面に署名が連なっていると、ついついそこに見知った名がないか一通り探してしまうのは、広大な帝国に漏れなく目を光らせていることを自負し、実際にそうである彼の、実益を兼ねた遊びのようなものだ。

 

 女王以外の署名の筆頭は、エンリ・エモットとある。

 姓が同じ、ということは、女王の親類縁者なのだろうが、()せないのは、本人の署名が何も肩書きを伴っていないのに対し、後から署名の頭に「覇王」と書き加えられており、しかもそれがエンリの署名と同じ筆致の×(ばつ)印で打ち消されている。何の冗談だ、これは?

 

 その、覇王、の筆跡は、エンリに続く署名の筆跡と一致するように見える。

 薬師(くすし)ンフィーレア・バレアレ……確かまだ王国領であった時分のエ・ランテルに、バレアレと屋号する帝国にも名の届いていた手練れの薬師があったはずだ。エ・ランテル再興後にその名を聞いた憶えがないからてっきり死都エ・ランテル事件で落命したものかと思っていたが、よもやかの村へ落ち延びていようとは!

 

 とまれ、連署の中に自身の記憶につながる名前を見出したことで俄然興味をそそられたジルクニフは、検分を続行する。

 

 元エ・ランテル冒険者組合長プルトン・アインザック。うーん、何か闘技場関係者から聞いた憶えのある名前のような気もするが……きっと肩書き通りの人物なんだろう。と言うか、よくその肩書きを今も名乗れたものだな、死都エ・ランテル事件に責任感じてねーのか、おまえ?

 

 ペテル・モーク、ルクルット・ボルブ、ダイン・ウッドワンダー、セリーシア・ベイロン、と知らぬ名が続いて一瞬ジルクニフの集中力が途切れそうになるが、次下の署名に目が釘付けになる。

 

 ヘッケラン・ターマイトにイミーナ・ターマイト!

 フールーダの魔道の愛弟子、アルシェ・フルトの伝手あって親交を結び、今も帝都で孤児からの人材育成をやらせているロバーデイク・ゴルトロンの孤児院設立を手伝っていた請負人(ワーカー)仲間だ。

 孤児院が軌道に乗ってからは消息を聞かなかったが、こいつらもこの村に合流していたのか……というか、同じ姓を名乗っている、ということは、他人(ひと)のことをどうこう言えた義理でもないが、(つい)混血森妖精(ハーフエルフ)の魔性の軍門に屈したか、あの野郎!

 

「見ろ(じぃ)、ここに知った名が……」

 

と声をかけるもそれは中途で切れる。

 

 フールーダが何やら懐に手を差し入れて探し物をしている様子だからだ。

 まぁ、教えてもこいつはヘッケランなんて憶えてないわな、多分。

 

 いくらか知らぬ名前が続いた後、ジルクニフの目は奇妙な一連の署名に()まった。

 似たようで、それでいて微妙に異なる肩書きが以下ずらっと続くのだが、その筆跡は乱れ気味で、亜人の(たぐい)が人間のそれに見様見真似で倣ったもののようだ。

 

 覇王エンリ親衛隊長ジュゲム

 覇王エンリ近衛団長ゴコー

 覇王エンリ守護筆頭カイジャリ

 覇王エンリ護衛首座スイギョ

 

 似たようなそれがさらに続いている。

 

 ……なんじゃこりゃ?

 

 さらによくわからないことには、これらの肩書きが漏れなく、先に見たところの自身に書き加えられた「覇王」の肩書きを自ら打ち消したエンリ・エモットの、やはりその筆致で打ち消されている。

 

 おいおいおぃ。

 なんか……楽しそうだな、こいつら!

 っつーか、交じって一緒に遊びてー!

 

 しかし……。

 親衛隊にせよ近衛にせよ、フツー、女王につかないか?

 なんでどれもエンリなんだ?

 そもそも……覇王、って何?

 

「おぉ!」

 

と、フールーダが驚きの声を発してジルクニフはハッと(われ)に返る。

 

「これは紋章に(あら)ず!

 署名に代えた手形(てがた)ですぞ、陛下!」

 

 見れば、何やら魔力を秘めた単眼鏡(モノクル)……さきほどは懐にこれを探していたようだ……で紙面の不思議な模様を検めていたらしい。その皺だらけの指が一つのそれを屹っと指差す。

 

「これはトブの大森林にあって、東の巨人と恐れられた妖巨人(トロール)グ・ガンの手形!

 こちらは同じく西の魔蛇(まじゃ)リュラリュース・インダルンのそれ!」

 

 老魔法使いは興奮気味に語る。

 どうやらかの単眼鏡(モノクル)には、署名手形の由来を見抜く力が備わっているようだ。

 

「これは蜥蜴人(リザードマン)の司祭、奇跡の白子(アルピノ)と謳われた朱の瞳(レッドアイ)部族(クラン)のクルシュ・ルールー。その夫と伝わる勇者、緑爪(グリーンクロー)のザリュース・シャシャ!」

 

 (じぃ)よ……。

 おまえ、宝可梦(ポケモン)愛好家(マニア)みたいになってるぞ。

 

「そして……な、な、なんと!」

 

 まだ驚くことがあるのか?

 

「この全体を覆う一際(ひときわ)巨大な(しるし)は!」

 

 え!

 これも手形なのか?

 

「英知ある瞳と強大な力を備えた獣!

 も、も、も、森の賢王(けんおう)じゃぞ、ジルよぉ!」

 

 嗚呼……

 

 署名の末尾にネムの筆跡で「(けん)ちゃんのでよみにくくなってマジゴメン」ってあるのは……そういうことかよ。っつーか、ロウネの前でオレをジルと呼んでくれるな!オレは(じぃ)宝可梦(ポケモン)仲間じゃねーぞ、コラッ!

 

「随分とお楽しそうですが?」

「んなわけ!……いや、そういうわけではない。」

 

 ロウネから訝しげな声がかかって、ジルクニフは自分が口を半開きにしたままニヤけていたことに気づき、慌てて居を正した。

 

「懲罰の軍を発しますか?お命じあればたちまちにアノック将軍を此処へ……」

「そんなヤバ……いや、ゴホンッ……そんな益体(やくたい)もないことをするはずがなかろう。

 帝国は人間の帝国であって、亜人を云々するものに(あら)ず!」

 

「しかし……」

 

 そう……

 この時宜(タイミング)に、よりにもよってこんなものがオレの元に届くなんてことが。

 

「オレの名で……」

 

「はっ?」

 

 偶然であろうはずはない!

 

「オレの名で祝辞を届けよ。」

 

 これはあの骸骨の……

 未だ忘れ得ぬ、我が生涯において一番美味い軽食と珈琲を供しつつ、

 

 オレには昔、凄い仲間がいてな。ま、碌でもない連中で、オレのことをわかってくれてたか、というと、今思うと怪しいところもあるんだが、それでも、そいつらがあればこそ今のオレがいるんだ、もう会えないんだけどな。おまえもさ。まぁ、仲間たちに思うところもあるだろうけど、オレはさ、まぁ、今日無理やりここにおまえを連れてきて話しただけだけどさ、でも、オレはおまえのことわかるよ。皇帝、なんて名乗ってるやつに失礼かとは思うけど、わかるよ、そういうことにしといてくれよ。オレはおまえのこと忘れちゃうんだけどさ、おまえはオレのこと憶えておいてくれよ。オレがおまえのことわかってる、って憶えといてくれよ、な!

 

と、問わず語りにわかったようなわからないような御託をぺらぺら喋ったあの摩訶不思議な骸骨からの……

 

「……はぁ?

 で、では、早速草案をまとめますので追って御裁可を……」

 

「無用だ!」

 

「はっ?」

 

「……御世(みよ)、つつがなけれ。

 それでいい。」

 

 ……新たな局面を迎えたオレに宛てられた、祝辞。

 であるに違いあるまい!

 

「はぁ……」

 

「古来、こういう諧謔には諧謔を以て返すが(いき)、というものだ。

 そうだろう、パラダイン卿?」

 

 フールーダはこの問いかけには直接応えず、

 

「これ……(わし)が貰ってもよいかの、ジルよ?」

 

と、愛好家(マニア)垂涎の建国宣言書を掲げて見せた。

 

 

                    *

 

 

 ボウロロープ侯、ペスペア侯の敗死と、城塞都市エ・ペスペルの壊滅がリ・エスティーゼ王国全域に知れ渡るには二ヶ月を要した。現国王ランポッサⅣ世は、存命のブルムラシュール侯、レエブン侯、ウロヴァーナ辺境伯を始めとする(おも)だった貴族たちに王都への参集を命じ、レエブン侯を除く皆が揃うにこれまた二ヶ月かかった。

 

 レエブン侯欠席のまま御前会議の開会が宣言されるや否や……というのは白々しい話であり、これは国王とレエブン侯が予めそうなるように謀ったものなのだが……エ・レエブルから早馬が飛び込み、レエブン侯と連なる一門が皆揃って所有の領地を在地の富裕商人たちに売却しヴァイセルフ王家に対する封臣契約の一方的破棄を宣言したこと……

 

 加えて、

 

 旧レエブン侯領の地権を得た商人たちが連名で共和制の樹立を宣言し、合わせて、バハルス帝国が示した新たな枠組み、<帝国自由都市(フライエライヒスシュタット)>への参入を表明したことを報じた。

 

 そもそも列席した北方貴族の第一の関心は、王国中最大の面積を有する故ボウロロープ侯の領地をどう扱うか、有り体に言えば、自領として接収することは流石に能わずとも、僅かなりともそこから自己の権益を如何に切り取るか、に注がれていたため、誰一人としてこの寝耳に水の事態に対して一言の見解を述べることすら叶わなかった。

 

 唯一、早馬飛び込みの時点で財力順首位であることから演説に臨もうと立ち上がっていたブルムラシュー侯が、そのままの勢いで、結果的にこの未曾有の事態のきっかけとなった故ボウロロープ侯を口汚く問責し始めたのだが、このまったく無意味、無価値な放言が小一時間ほど続いた時点で、それまで玉座にあって黙ったままこの無駄話に不機嫌そうに耳を傾けていた小太りの国王ランポッサⅣ世が、

 

「あー、やめだ!やめだ!」

 

と投げやり気味に階上の玉座を立ち「俺はレエブン侯の(ひそみ)(なら)うことにした。皆、入ってくれて構わん!」と大声を張り上げた。

 

 刹那、謁見の間の分厚い扉が開かれ、この時点で居並ぶ貴族たちには知る由もなかったことになるが、王直轄領リ・エスティーゼ、およびリ・ロベルの、やはり有力商人家門の当主、またはその名代が、それぞれに数人の大荷物を担いだ冒険者らしい護衛を連れて、どやどやと踏み込んだ。

 本来、国王と封臣契約を結んだ直臣以外は、爵位持ちであっても入室許されぬ謁見の間への乱入者に貴族たちはいきり立ったが、腕っぷしのよい冒険者たちに一瞥を受ければ、権威の他に寄って立つところのない彼らに、黙り込む以外の抗する(すべ)があるはずもなし。

 

 この間にもランポッサⅣ世は、小さな経机(テーブル)を玉座の前の階下、本来臣下が跪礼を執って己へ忠誠を誓う辺りにえっちらおっちらと自ら運んで据え置き、

 

「流れ作業にして手間を省きたい。

 皆、俺の示した額面で異議はないんだな?」

 

と商人、名家たちに声をかけつつ、自らは経机の前の地べたへ、ぺたり、と座り込む。

 

 呆気に取られる貴族たちを余所(よそ)に、商人たちは国王の前に順番待ちの列を作った。

 ランポッサⅣ世は「七割即金は譲らんぞ」「こちらの借財は証書ある場合に限り額面で相殺な」「約束手形は五割増しで頼む」などとぶつぶつ呟きながら、経机に準備されていた羊皮紙に次々と署名、血判、玉璽を加えていった。

 入れ替わりに、彼を取り囲むようにして重たそうな革袋や木箱(チェスト)、証書の(たぐい)が積み上がっていく。

 

 この流れ作業は半刻ほどで終わった。

 

「今宵の()(しろ)くらい、頂いても罰は当たるまいよ。」

 

 凝った肩をほぐしつつやおら立ち上がったランポッサⅣ世は、そう言いながら手近な革袋を(ひら)いて金貨を一掴み己の血に汚れた掌に取り、自身の懐に収めた。

 

 そして、居並ぶ貴族列公を見回しこう告げたのである。

 

「封臣契約の終了を宣言する。

 残りは手切れ金だ、好きにするがいい。」

 

 想像の埒外の出来事に、あんぐりと口を開いたままの諸侯を尻目につかつかと広間の中央を進んだ彼は、退場済みの商人たちが開け放したままにしていた扉に至るや振り返り、

 

「リ・エスティーゼ王国、ヴァイセルフ王家はこれにておしまい。

 俺はザナック……ただのザナックだ。」

 

と言い捨てると、自らバタン、と謁見の間の扉を閉じた。

 

 しばしの沈黙。

 

「……どういうことだ!」

「一体全体何が起こったんだ?」

「陛下はご乱心か!」

「我々はこれからどうすればいいんだ?」

 

 誰が口火を切ったものか謁見の間はたちまちにざわめきに包まれるも、皆、ざわめくばかりで、ではどうするか、といった辺りに具体的な提言を為す者は皆無である。

 

「あっ!」

 

 ややあって、さきほどバタンと閉じられた謁見の間の扉が、今度はそーっと外から開かれるのに誰かが気づき、皆の視線が一気にそこへと集まる。

 

「すまん……ちょっと忘れ物だ。

 辺境伯はどこにいる?」

 

と申し訳なさそうに顔を覗かせたのは、さきほど颯爽と退出していったランポッサⅣ世改め自称ただのザナック、である。

 

(せつ)めはここに」と申し出ながら、王国貴族にしては珍しく温厚誠実そうな老人が人垣を割って歩み出たが、何を思ってかザナックが彼に対して膝を折ったので慌ててウロヴァーナ辺境伯も跪礼を返した。

 

 が、ザナックは何を気にするでもなく、老人の手を優しく取ってこう告げた。

 

「さっき一切合財売り払った領地から、おまえのところのイジェ荘園は外してある。

 伯には面倒を押し付けて申し訳ないが……(ラナー)を頼む。アレには言動を慎むよう、俺から言い聞かせておくので、な。」

 

 この言葉に伯爵は瞳を潤ませながら息を詰まらせ、

 

「……へ、陛下!」

 

と既に契りを破られた主君を呼んだが、呼ばれた本人は、

 

「ただのザナックだ!」

 

と返した後は「邪魔して悪かった、続けてくれ」と、今度は扉を閉じもせずにそそくさと姿を晦ませてしまった。

 

 

 

 言うなればこれは、国王が自ら企図し単身遂行した政権転覆(クーデター)と言えなくもない。

 とまれ、このような顛末を以て前代未聞の無血革命が為され、リ・エスティーゼ王国の歴史は幕を閉じることとなった。

 

 アゼルリシア山脈に鉱山を擁し懐具合に余裕のあったブルムラシュー侯爵は、たちまちに兵を集め始めこの好機に中原の覇を狙ったが、帝国自由都市との盟約締結を口実に一軍を挙げて将軍ニンブル・アノックが北進中、の報を得て沈黙を強いられた。

 以降、候は幾度となく明に暗にリ・エスティーゼ王国後継国家の王たらんと策謀を繰り返したがその実りはなく、四半世紀を経て、某大魔王が気紛れにおこなった実験が虎の子の鉱山を枯らして(のち)は、凋落の一途を歩むことになった。

 

 ボウロロープ侯爵家は、かの御前会議に家名断絶、領地召し上げを如何に防ぐか、のみを念頭に臨んだものだが、まったく予期しようもなかったこの政変のどさくさに次期当主を祭り上げてボウロロープ侯国の成立を宣言。前当主の暴挙を反省材料に、しばし極めて保守的な領地経営を続けていくこととなる。

 

 ザナックがそのまま行方を眩ませたため……爵位を返上したレエブン家の庇護を受けたとも、この暴挙を逆恨みした何者かに謀殺されたとも噂されたが真相は知られていない……ウロヴァーナ辺境伯領あらためウロヴァーナ伯国は、唯一ヴァイセルフ王家に連なるラナーという切り札を手中に得たが、当のラナー本人が……その真意はともかく……狂気に陥った(てい)で荘園に籠ってお気に入りの召使いと共に花に水やる日々を現じ、野心の企てようもなかった。

 

 エ・レエブルを訪れたニンブル・アノックは、軍団を城外に野営させたまま少数の近衛を率いて入市し、前レエブン候から土地権利を引き継いだ豪商たちと会見した。

 同行した皇帝代理ロウネ・ヴァミリネン秘書官は開口一番「帝国は市参事の帝国自由都市参入の要請を受諾する」と宣じ、これが根拠となって、以降市政を司る豪商有志は参事、その集会は参事会、と呼ばれるようになった。

 

 帝国自由都市、の字面は厳めしくも、その内実は参事のみならず少なくない市民たちを呆れさせるほどに野放図なものだった。

 

 第一に、帝国自由都市はバハルス帝国の庇護下にある、とされた。

 が、これはまったく実態を欠くもので、そもそも帝国軍がその防衛の責を負うものではなく、ただ、言葉の上で「庇護下にある」と言われるのみだ。平たく言えば、帝国自由都市の安全、権益を犯す者があれば、()()()()帝国が気が向けば誅伐することもありましょう、というものだった。

 逆に、帝国自由都市自身が何をすれば帝国軍の矛が向けられるのか、については明文されなかった。そんなことは自分の頭で考えろ、とでも言わんばかりに。

 

 第二に、帝国自由都市民は()帝国市民権を持つ、とされた。

 バハルス帝国は臣民に個々人の自由権、安全権、財産権を保障しており、これを現実足らしむべく帝国軍の警察力があって皇帝の名の(もと)の司法裁判も整備されているが、()帝国市民にもたらされたのは言葉の上での権利の保障、のみであり、被保護権、被裁判権はなかった。

 要するに、おまえたちには権利がありますよ、と言われただけだ。

 当然のことながら、帝国軍に志願する資格もないので、必然的に、帝国において最も強い自尊心の源とされる皇帝選挙権も認められることはない。

 

 第三に、帝国自由都市は帝国皇帝に年次の貢納を欠かさぬ、と定められた。

 貢納、の主体は帝国自由都市、すなわち市参事会であってそこに暮らす民ではない。如何様に賦課しどうやって徴収するかはこれまた、そんなことは自分の頭で考えろ。清々(すがすが)しいまでの丸投げだ。

 

 要約すれば……と言うか、要約するまでもなく、これがすべてだった。

 

 そして、それは簡潔(シンプル)であるがゆえに、速やかに領域の人々に広まった。

 何だかよくわからないままに恐ろしい速度で進行する支配者の交代劇、特に新たな支配者が、実のところを見知ってこそはいないものの、鮮血帝と渾名される()()と聞き及んでいたがゆえに、人々は随分と不安を抱えて事態の推移を見守っていたものだが、当地は帝国自由都市であり、汝らは準帝国市民である、との布告が聴こえてきて、その意味するところが理解されてくるにつれて、人々は随分と拍子抜けした気分を味わうことになった。

 

 え!

 何これ?

 どうすればいいの?

 

 こうして帝国自由都市の人々は、常日頃うんざりし続けていた恣意に満ちた貴族階級からの気まぐれな無理難題に、存外自分たちがどっぷり依存していたことを思い知らされたのである。

 

 この一大改革を無血……先だったボウロロープ候の大敗北があってこその話であるから、決して無血だったわけでもないのではあるが……にして一日に成し遂げたザナック・ヴァイセルフの剛腕は、それこそ伝説として語り継がれるに値するものであったようにも思われるが、それは為されず、行方が知られぬこともあってその名は存外早くに旧王国民の念頭からは消えていくことになった。

 と言うのも、これに立ち会った豪商名家、すなわち帝国自由都市参事会議員たちは、その実現に前後して各自がそれぞれに取り組んだ交渉や調整の労を誇らしげに語りはしたものの、対するザナック、レエブン候のそれについては、難局を放棄して逃げ出したと揶揄する者こそあれ、その実のところまで慮って懐かしむ者なぞいなかったからである。

 

 が。

 

 ()()はこうして、何があったのかを知っている。

 

 何故か?

 

 無論それは、この一連の出来事を愉快気に諸手を叩きながら覗き見ていた者があったからだ!

 

 

                    *

 

 

 頂戴して……構わんのかな。

 

 では、頂くとしよう。

 

 (コクリッ)

 

 こ、これは!

 

 いや、決して貴殿に取り入ろうと世辞するわけではないが……。

 こんなに美味い茶を喫するのは生まれて初めてだ!

 

 ……俺が。

 俺が、如何に狭い世界に生きて来たかを思い知らされるよ。

 

 え?

 貴殿が怖くはないのか、って?

 

 正直に言えば、もちろん怖いさ、見紛うことなく骸骨だもんな。

 だが、貴殿には興味もなかろうが、俺はついこの(あいだ)、一世一代の大博打をやってな!

 お陰で、もう怖いものなんて何もなくなったんだよ。

 吹っ切れた、と言うか、もう何事も、どうでもよくなったんだな。

 

 いや、失敬。

 このような壮麗な場所に招いていただき、こんなに美味い紅茶を馳走になった、御用の趣を承ろう。

 

 ほぅ。

 貴殿の配下の(かた)(くだん)の大博打にお気づきで?

 面白い見世物があるから、と勧められて!

 魔法の力で一部始終覗き見ておられた、と?

 

 あー、いやはや!

 何ともお恥ずかしいことこの上ない!

 

 え?うん、ほぅ……お楽しみいただけたか!

 

 であれば幸いだ!

 正直言うと……俺も楽しかったんだ!

 権威にふんぞり返った連中が口をぽかーんと()けて、

 二の句も継げない(さま)ほど可笑しいものはないよな!

 

 いや、アレはまったく俺の創意というわけでもなくてな。

 リーたんが……あ、いや、幼い時分から知った者なのでついこう呼んでしまうんだが、随分と立派な青年に成長したあのリーたんがな、俺の手を取って、真摯な瞳でこう訴えたんだよ。

 

 陛下!

 

 ……あ、いや。貴殿のような御仁の前でこんな言葉を用いるのもどうか、とは思うが、つい最近まで王様業をやってたんでな。そこはご勘弁願いたい。

 

 でな。

 そのリーたんが言うんだよ。

 

 陛下!

 中原(ちゅうげん)の民草の未来を切り拓く礎に、(わたくし)と共に、なってはいただけませんか?

 

 なんてな!

 (がら)にもなく目頭が熱くなってな……。

 

 そういうわけで、青写真を考えたのはリーたんなんだ。

 でも、あの謁見の間での茶番は俺自身が考えて差配したんだぞ!

 一生分の勤勉さを使い果たしたよ。

 

 お陰で少し痩せ……え?

 痩せたようには見えない?

 

 それは……貴殿が随分と細く出来ておいでだからだ、そうだろう!

 肉、ないもんな!

 

 ともかく、だ。

 

 思惑通り切り抜けられただけでも御の字だと思っていたが。

 よもや貴殿のような(かた)に楽しんでいただけたとは、望外の喜びだ!

 ちょっと画竜点睛を欠いたけどな。

 

 え?

 ……いや、颯爽と大見得切って出て行っておいて、間抜けにも戻ったろ?

 

 ほぅ!

 

 貴殿も似たようなことをしたことがあると?

 しかも公女の目前で、とな?

 

 いやぁ、これは奇遇!

 俺の妹も、まぁ、俺が王様業だったから当然公女なんだよ!

 まぁ、別人だろうけどな。

 

 とまれ、あの何とも言えぬ気まずさを貴殿もご承知であろう!

 

 だよな、だよな!

 穴があったら入りたいとはまさにあのことだよな!

 いやぁ、貴殿は見た目に似合わぬ愉快な御仁だ!

 

 で……。

 

 不躾なことをお尋ねするが。

 

 やはり貴殿は、死を司る神……

 

 あー、怒らないで!

 何がお気に召さんのかわからんが、気を鎮めてくれ。

 

 ……ふむふむ。

 死の支配者(オーバーロード)であらせられる、と。

 

 それ、死を司る神と何か(ちが)……

 

 あー、怒らないで!

 わかった!

 わかった!

 貴殿は死の支配者だ!神などでは決してない!

 

 で。

 その死の支配者、にお尋ね申し上げるが。

 

 貴殿は……痛み、苦しみのない安らかな死、を授ける御業(みわざ)をお持ちだろうか?

 

 ほぅ、やはりお持ちか?

 

 では。

 それを俺に……授けてはもらえんだろうか?

 

 あぁ、呆れられるのは仕方ない。

 自分でもいささか無責任だ、と思わないでもないんだ。

 

 でも、だな。

 

 俺は……俺は自分の今生での仕事をやり切ってしまったんだ。

 

 無論、今後を楽観視などしてはいない。

 俺は博打に勝って、大きく流れを変えた!

 それは間違いない、と信じている。

 

 が、この新しい流れが万民にとって最良である保障はない。

 むしろ、この新しい流れに苦しむ者も少なからずいようよ。

 だが、それは何をやっても常にそうであることだ。

 ぶっちゃけ、そこはどうでもいい。

 

 とにかく、この新しい流れはもう拒めるものではない。

 ところが……悲しいかな俺は古い世界を象徴する者だ。

 

 ただのザナックだ、と大見得を切ってはみたものの、俺がリ・エスティーゼ王国国王ランポッサⅣ世であった事実は消えはしないし、俺が望むと望まざるとにかかわらず、俺が生きている限り、俺を利用して流れを逆流させることを企てる者は必ず現れるだろうし、それを器用に受け捌く器量など俺にあろうはずもなく、良かれと考え裏目を踏むのは目に見えている!

 

 そんな……

 そんな馬鹿げた話の具になるなんて真っ平御免だ!

 

 だから。

 

 今こうして己の仕事を成し遂げた、という充実を感じている今このときに、貴殿の慈悲に縋って人知れず退場することを望むんだが。

 

 身勝手に過ぎるだろうか?

 

 ……おぉ!

 

 なんと……なんと!

 

 貴殿はこんな俺を……

 情けなくもこの世から逃げ出すことを望むこの俺を……

 

 (おとこ)、と評してくださるか!

 

 最早、何も思い残すこともない。

 一思(ひとおも)いにやってくだされ!

 

 最期に……。

 

 最期に、御尊名をお伺いしてもよいか?

 

 ほぅ?

 アインズ・ウール・ゴウン、とな!

 

 嗚呼、麗しくも神々(こうごう)……いや、失敬。

 神、はNGだったな、そうだよな?

 

 嗚呼、麗しくも……禍々(まがまが)しい尊き御名(みな)であられることよ!

 

 御世(みよ)、つつがなけれ!

 とご祈念申し上げる。

 

 アインズ・ウール・ゴウン殿万歳!

 死の支配者(オーバーロード)に栄光あれ!

 

 

                    *

 

 

「ザナック、って知ってるか?

 リ……何とか王国の王様……だったやつだ!」

 

「……誰それ?」

 

 

 

                    完

 

 

 




とこんな感じのものを、今後も気紛れで投稿する所存なれば乞うご期待。
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