生なる事実(1)
「やっぱり、あの子たちは面白いなぁ。」
短金髪おかっぱ頭、すらりと背の高い美青年がそう漏らす。
歳の頃は人間であれば十六、七、といったところだろうが、ややぽっちゃりの整った顔の左右に生える長耳は、彼が
「お、お
背後から、やはり短金髪ざんばら頭の細身の美少女が不満げに声をかけたが「もうちょっとだけ!」と返されて、ふてくされる様子を見せた。
「ソ、ソリュシャンからも言ってやってよー!」
少女は、さらに背後から二人の様子を興味深げに伺っていた豊満な美女に応援を求めたが、
「まぁ、よろしいじゃありませんか。
見聞を広めるのは、決して悪いことでは御座いませんでしょう?」
と妖艶な笑顔で応じられて、ぷーっと頬を膨らませた。
ユグドラシルから渡り来た
彼らもまた双子であるがゆえに重ねた
さきほど
蜥蜴人は<
ベロを面白がらせているのは、彼らが主食とする川魚を育てている生け簀だ。これは、一部に位階魔法を操る知性を有しつつも、長くは狩猟採集を中心に生活を営んできた彼らの文化の中では比較的最近に生じたもので、今から遡ること三百年前、
そもそものそれは、年毎に乱高下する安定しない漁獲量が潜在的に部族存続の大きな
彼らにとって幸いだったのは、そこから十年と経たずに南東の方角から屈強な
蜥蜴人側はそもそも閉鎖的な気質を有していたこともあってたちまちにはこれを受け入れなかったが、彼らにもその名が届いていた東の巨人グが、腕試しと称して蜥蜴人きっての猛者、
「無論俺モ、コイツラト和気藹々共ニ暮ラスナド御免被ルガ、存外コイツラハ
アッという間に数人の冒険者崩れの人間と
ところが、何かの拍子にこれをよろしい具合に調合して生け簀の魚に与えると、その肥育に極めて効果大であることが判明し流れが変わった。こうなると、集落で養殖された魚が蜥蜴人の糊口を十分に満たし、余剰分がカルネ村に向けて出荷され始めるまでにさほどの時間は要しなかった。
かくして、ド・クロサマー王国の建国に際しても、ザリュースは妻、
生け簀の様子を興味深げに眺めるベロは、もとよりそういった経緯については何も知らない。
ナザリック地下大墳墓の面々は、個々人に若干の差異こそあれ、至高の主アインズ・ウール・ゴウンを含め基本的にはこちらの世界の存在全般に関心が薄く、格下の有象無象、下手をすれば虫扱いであることが普通だ。これは極端な力の差があってのことであるが、より本質的には、ナザリックの誰もがこの世界で生まれた存在ではないこと、に起因している。
対して、マーレを父に、アウラを産みの母にこの世界で生を享けたベロ、そしてベラは、ナザリックの一員であると同時に自身をこの世界の存在である、と捉える自覚もあり、また、今でこそ極端なレベル差がありこそすれ、初めてトブの大森林を己の足で歩んだ時点では、ひとつ間違えれば命を取られかねない相手が周囲を闊歩していたことは憶えている。
そのような背景もあって、たとえばエントマが普く現住生物を「お肉」と呼ぶことに比べれば、若干マシな……あくまでも程度の差でしかないのであるが……認識をそれら全般に対して
その彼の関心を惹いて
森の恵みに形を与えて以て己の存続の糧にする、という点において、生け簀と果樹園はまったく同じものだ……少なくともベロにはそう思えた。
そして、母アウラ譲りの好奇心に溢れる彼を魅了するのは、ナザリックの果樹園が存外保守的で一旦軌道に乗って以降は……途中、害虫との戦い、といった一幕もあったにせよ……ただそのまま森の実りを淡々と受け入れ続けているのに対し、蜥蜴人の生け簀には日々改良が加えられ、より洗練されていくように見えたことだ。
鍛錬の
養殖密度の向上がその頻度を高くしていった時分、より標高の高い清水から別途水道のようなものが敷かれ、高低差を活かして生け簀の上流側に注ぎ込まれるようになって循環効率を改善したのに気づいたときは、
栄えあるマーレの名を襲名した暁には、自分もこういった工夫と改善を通して、至高の主とナザリックの仲間たちに貢献していこう!
そんなことを考えながらベロは生け簀を観察している。
対して、いつも一緒であるがゆえにその後ろで不満げな表情を浮かべる妹ベラには、そういう感性は
父マーレの気質を強く引き継いだ彼女は、ベロ同様に自身がこちらの世界に生まれた存在だという自覚は辛うじてあるので、父のように「潰してしまえば!」的な身も蓋もないことは言わないし、可愛らしい生き物を可愛らしいと感じる程度のまともさは備えている。
一方で、そうであるがゆえに、基本的には至高の主と自身の相方を除けば自分以外の存在に対する興味関心を丸っと欠いている、と言うかぶっちゃけ、ギルドへの忠誠すら欠く彼女にとっては、兄に愛されている自分、がそのすべてなので、兄の関心が自分以外の何かに向かっている状況は、それが何に対してであれ不満で仕方がないのだ。
そんな妹の思いを知ってか知らずか、ベロは、叶うものであれば、かつて母アウラが力ずくで至高の主の前に
もちろん、彼はギルド武器に秘められた忠誠の鍵に拘束されない存在でこそあるものの、至高の主アインズ・ウール・ゴウンが定めた掟、それ以上にそこに込められた意味については十二分に承知している。現地生物への不用意な干渉が、望ましからぬ思わぬ結果を招く恐れがあることがわからぬほど、既に彼は幼くはないのだ。
「も、もう!お
お、置いて行っちゃうんだからね!」
「ごめん、ごめん!」
ぷい、と背を向けて歩き出した妹の後を、ベロは慌てて追った。
*
ナザリック地下大墳墓にとって三回目となるユグドラシルプレイヤー来訪の時期、
前々回、魔女アナールに使嗾されたギルド、エリュシオンがツアーを襲いアインズとの対決を試みたのは転移歴100年
エリュシオンの行動の直接の動機が枯渇しつつあった手持ちのユグドラシル金貨への不安感であったことは理解されているので、今回、転移歴300年から既に2年経過してもなお来訪者の気配がまったく感じられないのは、単純に考えれば前回同様に、人知れず崩壊したギルドが沈黙していることを想起させる。
もっとも、この時点のアインズたちは知りようもないことだが、このとき既に箱庭系ギルド、カーター・ツィマーマンはアゼルリシア山脈の奥深くで奇跡的にも自給自足を開始していたのであるが、これにナザリック勢が気づいて対応開始するのは、まだ随分と先の話になる。
「幸いにして。」
と口を開いたのは
「宝物殿の金貨は掃いて捨てるほど御座いますので……」
参謀のこの言葉に、ナザリックの財務責任者、
気楽に言ってくれるな!
ギルド維持資金の管理が如何に神経を使う大変な業務であるかわかっていないのか!
との意思の表明であろうか。
これに気づかぬほどデミウルゴスは無能ではない。
「いや、パンドラズ・アクター。いささか不適切な言葉遣いだったようで失礼した。言葉の綾だから、そう苛立たないでくれたまえよ。」
と速やかに取り繕いつつも、再度こう言う。
「……掃いて捨てるほど御座いますので、これを、ぽつぽつとこちらの存在の人里から近からず遠からずのところに一定間隔に並べまして。」
「ふむふむ。」
大魔王アインズ・ウール・ゴウンとその后、守護者統括アルベドが興味深げにデミウルゴスの続く言葉を待つ。
「その行き着く先につっかえ棒で支えた大きなザルを用意し、ユグドラシル金貨を追ってそこに至った
はぁ……。
次から次へとよくも。
この悪魔はよくも次から次へとくだらないことを思いつくものだ!
「それは……スズメの取り方ではなくって?」
ペカりつつもアインズは、デミウルゴスの到底本気で言っているはずもないこの発言の真意を理解している。
前回、百年前もそうだったが、前々回の反省を踏まえて、ナザリック地下大墳墓は新たな来訪者の到来が想定される時期に厳戒態勢を採っている。
たちまちに金貨蕩尽しない程度の余裕があった来訪者は、さりとてその獲得は絶対に必要なので、この世界でまず目につく人間や亜人の社会からの略奪や収奪、穏当であれば交流による財の獲得を試みるだろう、とアインズおよびその思考を支える
であれば、その時期にいつもの調子でアインズが気まぐれの
そのような考えのもと、厳戒態勢が発令されたナザリックでは、アインズの狩りはもちろん、デミウルゴスの外征は自粛され、シャルティアによるナザリック外苑の哨戒も必要最小限に抑えられている。
唯一の例外はアウラ、マーレによるトブの大森林の管理業務であり、これは、そもそもその守護の任が
つまるところ、デミウルゴスのこの箸にも棒にもかからないくだらない発議は、ただただ「暇で退屈で仕方がないから、そろそろ厳戒態勢を解除してくれ」との意図からなされているものだ。
この辺り、ただアインズの傍らにあればそれで満足なアルベド、宝物殿で金貨と
「ゴホンッ!」
と、アインズが意味もなく咳払い。既に胡乱なアルベドの視線をそこはかとなく感じており、おそらく自分がこれから言わんとすることは彼女にはお見通しであろう、とは思いつつも、暇で退屈で仕方がなかったのはアインズとて同じことだ。
「……まず、デミウルゴスの提案についてだが、却下だ。理由は……言うまでも、ないにゃ?」
か、噛んだ!
「すべては、至高の主の思し召しのままに!」
デミウルゴスは恍惚の表情でそう応じるが、アインズとしては、白々しいにもほどがある!としか思えない。
「まぁ、なんだ……その……オレもそろそろ狩りがしたい……にゃ。」
あー、アルベドが睨んでる……
「その、アレだ!
一年以上も動きがないんだからたちまちにどうこう、ということはないだろうし、そもそも新たにやって来る
ど、どうか……にゃ?」
「では、厳戒態勢は解除、ということで?」
相変わらず噛み続けるアインズの内心を知ってか知らずか、デミウルゴスは素早く自身の利権に繋がるところへ話を持っていく。
「宝物殿金貨をスズメの餌にされるよりは……
パンドラズ・アクターにも異議はない様子。
「……なるほど、わかりました。」
とアルベド。
アインズは一瞬ホッとするが、それも束の間。
「ですが!」
と、凛とした守護者統括の声が続いて背筋が伸びる。
っつーか、ナザリックの支配者、オレ……だったよなぁ?
「デミウルゴスが何処へ行って誰の機嫌を伺おうが元より
アインズ様の狩り、についてだけは、向こう二年ほどはトブの大森林の内に
その、涼やかな笑みを浮かべつつも目だけが笑っていない愛妃の物言いに、アインズは縮み上がる。
「あー……アルベドの言う通りだ、ごもっともだ!ごもっともであるとも!
そうだ、そうしよう!しばらくは森の中で狩りをさせてもらおう!そ、それでよい……かにゃ?
いつもおまえが、そうしてオレのことを思ってくれていることを、嬉しく思うぞ!」
漸くアルベドの目も笑ったので、アインズは人心地ついた気分になった。
「で、では。
ナザリック地下大墳墓の厳戒態勢を一部解除する!」
「「「ははっ!」」」
こうしてこの日の
退出間際、アルベドはデミウルゴスのすぐ側を通り過ぎながら、嫌味のつもりで小声で囁く。
「
デミウルゴスの返しはにべもないものだった。
「
……
*
「では……お手並み拝見、といこうか。」
金糸銀糸に縁取られた豪奢な漆黒の
「<
兄ベロが
「え、えいッ!」
妹ベラが、母アウラが携えるそれほどの逸品ではないが、それでもこちらの世界の住人が扱うどれよりも優れた弓から矢を放った。それは過たず一撃で獣の急所を捉え、ドサリッ、と重量のあるそれが倒れ込む音がする。
「見事な連携
アインズは上機嫌でその様子を称揚した。至高の主と認める大魔王の賛辞に、双子にパァと屈託のない笑顔が浮かぶ。
獲物はトブの大森林に多く生息する
ベラは、早速
次々と切り出された肉の塊には、ベロがやはり
「メイドさんたちは、皆さん細身のわりにはよく召し上がりますからねェ。これだけあれば全員分の猪カツ丼に十分足りますよォ!」
既に三頭目となった獲物の肉塊を取りまとめながら、ベロが満足げにそう言う。
「ふふふ、そうだな。」
と、アインズも応じたが、彼自身の
「特別に二人にオレの技を見せてやろう。
ベラ、一匹オレに向かってけしかけてくれ!」
コクリ、と頷いたベラが薄暗い森の奥へと向かって静かに息を吹きかけると、ややあって、ドドドッと大質量の何かがこちらへ向かってくる音が響き始めた。
アインズに向かって一直線に途轍もない速度で迫りくるのは、やはり
「よーく見ていてくれよ。
……<
直後。
ベロとベラの目に見えたのは、アインズに向かって猪突猛進してきた獣が、アインズの身を捉えたかと思いきやまるで
ドサッ。
振り返った
「す……凄い!」
「流石はアインズ様ァ!」
ベロとベラはやんやと喝采を送った。
「今のは<
「その通り。
オレがユグドラシル時代も最も得意とした技の一つ、<
ベロの問いにアインズは、こちらの世界の生を屠った際に覚える小
「本来はこんな小物相手に披露するような技ではないがな。来たるべき
「あ、ありがとう御座います、アインズ様ァ!
ご、ご教示いただいたことは、け、決して忘れません!」
ベラがそう復命する様子に、アインズは満足げに頷いた。
事実、共に渡り来た下僕たちとは異なり、ユグドラシルキャラクタから顕現した者に宿命づけられたこちらの世界での短期記憶保持の制約を受けないベロとベラは、こういった体験を正しく自身の成長の糧とすることが可能だ。
「ベラ、この獲物も解体して持って帰ろう!」
「うん、お
二人は喜色満面で
「……<
ニグレド、オレだ。」
何を問わずとも、ナザリックの目、ニグレドは
(……お気づきの対象は御身から西南西五百メートルほど。亜人の
「ありがとう。またな。」
(恐れ入ります。)
短いやり取りの後、アインズは無言のままにニグレドが告げた方角へ向けて静かに歩き始めた。
これもまた取るに足りない獲物ではあるが、生ある者には違いない。
嗚呼……刈り取りたい!屠ってやりたい!
獲物の解体に夢中になっていたベロとベラは、このアインズの不穏な様子に気づいていなかったが、ふとした拍子に、至高の主が自分たちに背を向けて、まるで夢遊病患者か何かのようにふらふらと森の奥へと歩み去ろうとしているのに気づく。
「いかがなさいましたか、アインズ様ァ?」
ベロはそう呼び掛けてみるが応答がない。
ほぼ同時に、彼もまた至高の主が惹きつけられているのであろう気配を察知した。
(……あの子たちだ!)
それがここしばらくのお気に入りの観察対象、蜥蜴人であることにベロは気づいた。彼らもまた
そして……。
至高の主は、明らかにあの子たちをも狩りの獲物と定めて行動開始せんとしているように見える。とても強くてとても優しい骸骨は、でありながら、同時に<死>そのものでもあるのだ。
(ど、どうしよう……)
ベロは深く困惑する。
至高の主は絶対だ。元より、蜥蜴人はお気に入りの観察対象でこそあれ、別段愛情や共感を……共感については少しあったかも知れないが、それでも特別な思い入れのある対象であったわけではない。至高の主がこれを屠りたいと願うのであれば、
だがしかし。
この
まさに数ヶ月前、格闘戦技の師から常ならぬ面持ちで教示されたアレ……ギルド秘密鍵の忠誠の縛りと記憶の制約を受けない自分たちだけに課せられた重大な役割、として申し渡された、まさに……まさに、あの状況ではないのか!
それでもベロは、決断することが叶わなかった。
森の奥へとふらふらと歩み行く至高の主の背を目線で追う事しか出来ずにいた。
が、そのとき。
ギュッと自身の片腕にしがみつかれた感覚でベロは
傍らにあった妹ベラが、心配そうな、それでもまっすぐ兄ベロだけを、ただまっすぐにみつめる澄んだ瞳をこちらに向けている。蜥蜴人に特に興味関心を抱かず、むしろそれを夢中に観察する兄に嫉妬にも似た感情を示して見せた彼女もまた、師の言葉から自身と同じ思いを抱いていたのに違いない。
嗚呼、何て愛らしい瞳なんだろう!
そして、彼自身何よりも大切に思う妹の視線は、彼に勇気を与えた。
意を決して妹を見つめ返すと、妹もまたコクリと黙って頷き返す。
今はただ、ナザリックの一員として、栄えあるマーレ・ベロ・フィオーレ、アウラ・ベラ・フィオーラの名を継ぐ者として、成すべきことを為すのみ!
「<
「<
兄と妹は、何を言葉で謀るまでもなく至高の主の足止めを企図した技でその背後を襲った。
アインズの周囲から無数の茨が生え出してその身を縛り上げんと包み込み、召喚された眷属が作り出した
が!
外出に際し無意識のうちにアインズが自身に仕掛ける防御魔法がたちまちにこれらを無効化し、弾ける光の粒を辺りへと撒き散らした。
あろうはずもない背後からの攻撃に、金糸銀糸に彩られた漆黒の
そして、やはり無意識のうちに全開にされた<絶望のオーラ>の禍々しい紫色の輝きに包まれた紛うことなき<死>が、微塵の優しさも感じさせない声色で冷たく問うた。
「おまえたち……何の真似だ?」