第四市へ組53(1)
親愛なる読者諸兄におかれては、我がスレイン報国がいったいぜんたいどのように運営されていたものか、摩訶不思議にお考えになっておられる
父ナモンより承りましたところによりますれば、父の無二の悪友であらせられた自称正義の味方の至高なる御方が、かよう仰せであったそうで御座います。
「長期
とか何とか。
されば小生が、それを実現してみよう、などと
えっ?それを言うなら「水着回」ではないのか、と?
それはごもっとも至極では御座いますが、如何せん本作は小説の体裁を採っておるもので御座いますれば、さて皆様ご覧あれ、あちらに麗しのナーベラル・ガンマ嬢が
では、早速始めて参りましょう。
どこから取り掛かったものか、と思いもするので御座いますが、これを、そもそもスレイン報国は面積云々、人口は如何程、首都は
言うなればアナール学派の手法……どこぞの吸血鬼
名前がありませんと何かと不便で御座いますからして、仮にこの男を、ザック氏、と呼ぶことにいたしましょう。貧相な赤ら顔が思い浮かんで、親しみが湧きましょう?
さて、このザック氏。馬車の御者を
と申しますのも、リ・エスティーゼを含む自由都市は随分と風向きが変わって参りまして、少し以前まではかつての貴族に代わって中間層の商人たちが……市政を取り仕切る豪商は皆お抱えの馬車、御者を所有して御座います……ザック氏のような流しの馬車を用いたものですが、最近では、そういった商人たちはザック氏のような不届き
そもそも馬車などというものは、他の皆が
こうなって参りますとザック氏、これさえあれば食うに困らぬと先祖
生業を転じようにも、昨今の自由都市では最低限、読み書き算盤はこなせませんと働き
さりとてこの時分の自由都市は、物価の急上昇こそ起きてはおりませんが、その水準は最下層民であれば遮二無二働いて何とか女房と一人の子どもは養えようか、といったもので、怠惰な性向の人間が耐えられるものでは
そこで頭に浮かびますのが、夢の国と噂されるスレイン報国で御座います。
弱者、愚者であっても楽しく遊び暮らすことが叶う夢の国、すべては国が差配してくれて仕事は最低限、食事も昼寝も保証つき……まぁ、真っ当な知性を備えた者であればこんな胡散臭い話に乗る方がどうかしている、と小生などはその胴元であることを棚上げして思わなくもないので御座いますが、そこに乗る以外に道がないことこそが、その者がどうしようもない無能であることを
だいたいザック氏は、都市の利便にかまけて怠惰を貪り
理由は簡単で、同様の性向を備えた知り合いが
ではそれは何なのか、と申しますと、この時分の自由都市の路地裏なんぞを歩きますと、年端もいかぬ子どもたちが何やら
シロとクロはのんきの印
スレイン、スレイン、僕らのスレイン!
これに
ザック氏ももちろんこの唄はよく存じておりまして、
小生がこう申すのも如何なものかとも思いますが、馬々鹿々しくもこの歌詞が人の口伝いに広まりますうちに、毎日僅か四時間だけ働けばのんきに暮らせる桃源郷、人の子シロクロ様がすべてご差配下さる弱者、愚者の夢の国、スレイン報国伝説として人口に膾炙しておるので御座います。
さて、いよいよ行き詰まりましたザック氏は、夢の国目指しての旅立ちを決意いたします。
リ・エスティーゼからスレイン報国までは、街道沿いに歩いて健脚の冒険者であれば二週間、一般的な市民であれば二十日ほどかかりましょうか。決して容易な旅では御座いません。
自由都市域内は、普段からも行き交う旅人多く比較的治安も安定して御座いますので、このときまだ廃墟のままの城塞都市エ・ペスペル辺りまでは気楽な旅、小さな町村は街道沿いに点在して御座いますから宿を取ることも叶い、軒先雑魚寝で構わなければ
エ・ペスペルを越えますと、いろいろと難儀が御座います。まず、バハルス帝国西端の城塞都市エ・ランテル。紆余曲折御座いまして帝国が実体を失って久しゅう御座いますから、決して世情不安定、とまでなってはおりませんが、不逞の輩と遭遇する確率は自由都市域とは比べようも御座いません。
首尾よくこれを通り抜けたとして、街道は一直線に目指すスレイン報国までつながっておりますから道に迷うことはありますまいが、左手に日中であっても
さりとて、捨てる神あれば拾う神あり、などという言葉がありますように、既に旅費を贖う手持ちも欠くザック氏にはひとつ当てがあったので御座います。
決してその総取引量は多くは御座いませんが、スレイン報国と自由都市の間にも交易、は御座います。
この時代、都市、国家を跨いでの交易には大きく分けて二つの
この旅人、というものは、この世界においては冒険者同様に立派な生業なので御座いまして、もちろん自由都市域内であれば、本当に何か別に目的があってついでに荷物を預かる者も多御座いますが、こと対スレイン報国となりますと、これは、商材を運ぶことに特化した旅人、になります。
そしてここに面白い
つまり、片道の旅人に潜在的な
まぁ、これもそもそもは小生どもがそのような状況を作り上げた上で、
片道旅行に希望をのせて
廃墟、エ・ランテル、カッツェ平野!
スレイン、スレイン、僕らのスレイン!
と宣伝しておる成果、なのでは御座いますが。
とまれ、お陰を持ちましてザック氏は、本来であれば自弁せねばならんところの半月分の糧食の確保費用は免除されます。代わりに二十キロ少々の荷を担いでの旅でその駄賃も相殺ということにはなりますが、復路にもつく面々はこの経路に慣れた本職の旅人ですから、何かと心
このような次第で、騎馬の
際してザック氏は、御者を生業としていた都合上馬の扱いに通じておりますので、
と言いますのも、このような旅人を襲う野盗の
目論見通り、エ・ペスペル廃墟までの旅は特に波乱もなく進みます。夜は、馬の飼葉を分けていただくのに僅かばかりの謝礼を支払って農家の軒先で
八日目になって城塞都市エ・ランテルが見えて参ります時分になりますと、ザック氏含め、片道組はいささかそわそわとして参ります。住み慣れた街を離れて一週間以上、そろそろ酒だの良からぬ遊びなどが恋しくなってくるので御座いましょう。
本職の旅人たちはそれを十二分に承知しておりますから、敢えてエ・ランテルへは入市せず、本職二名のみがここまでに消費した糧食を贖うべく街へと向かい、片道組は期待が外れてがっくりといたします。もっとも、この時分の帝国はやや
幸いにして心配された野盗と出食わすこともなく、残る危険はカッツェ平野から不意に溢れ出す
と申しますのも、我が国から流出したところの
無論、運悪く
果たせるかな、ザック氏を含む一行も一度だけ
そんなこんなで行程十七日目の夜、街道は既にカッツェ平野からは
「スレイン報国の周辺には、エ・ランテルなどの成り行きで行動する野盗とは少し毛色の異なる連中が出没するので、喜ぶのは報国の市壁が見えるまでとっておくことだ。」
なんて話をしている
片道組なんぞは俄に色めき立ち
「欲しいのは金貨と乾燥糧食だけだ。置いていってくれれば命は取らん。」
暗闇の中からそんな声が聞こえて参りますと、ザック氏なんかは「そんなわけあるかい、油断させておいて皆殺しだろう!」などと、自身も似たようなことをやっていたくせにいきり立っておるわけですが、本職組はスレイン報国周辺に現れる野盗、自称、スレイン法国解放戦線の皆さん……お聞き及びかとは存じますが、そもそもはある程度の能力がありつつも体制迎合の才に欠けたがために、自身気づかぬまま国家に使嗾されてこれをやっておる阿呆どもで御座います……が存外理知的であることは承知しておりますので、交渉を持ちかけます。
「今回の旅は利ざやが少ない。余り持っていかれてはこちらも生活に困るので、押麦三袋、公金貨八枚で手を打ちたい。」
「五袋、十二枚欲しい。」
「四袋、十枚までなら。」
「交渉成立だ。」
どちらも、斬り合っては損だけあって得がないことは百も承知ですのであっさりと手打ちに至るのですが、ザック氏だけは昔の性悪の腐れ縁どもの所業が脳裏に浮かんで離れず、
「では、焚き火の
と賊側の声がしております
「「あっ!」」
旅人、賊、双方から驚きの声が挙がりますが、どちらも予期せぬことにて打つ手なく、ザック氏は独り薄い月明かりの
己の勝手で交渉決裂となった旅の道連れがどうなったかはいささか気にはなりますが、元よりザック氏としては自身が夢の国スレイン報国に至ることがすべてであって、世話になった旅人や他の片道組がどうなろうが知ったことでは御座いませんし、むしろ後者については、追々夢の国の食い扶持を奪い合う
ザック氏は宵闇の間は遮二無二駆け抜けます。夜が明けて小川をみつけて自身と馬に給水し、もう食べるものも置いて参りましたので、腹を括ってかっぽかっぽと速からず遅からずの
只今のスレイン報国の都市には固有名が御座いません。法国であった時分には、六大神やその眷属に
妙なところで知恵の回るザック氏は、独り馬で駆け込めば返って怪しまれる、と考えたものか、市の手前で馬を乗り捨てまして、自身は何者かに追われて這々の
本日の受付終了
と近隣数ヵ国語で書かれた立て札で御座いました。無論、ザック氏は字が読めないので御座いますが、おそらくそういうことであろう、というのは察しがつきます。やむなく市外にて野宿の憂き目となり空腹の一夜を過ごしました。
夜が明けまして再び市門が開かれますが、ザック氏はたちまちにはそこには向かわず遠目に様子を伺っております。と申しますのも、前々夜見捨てて逃げて参りました旅の道連れが遅れてやって来る可能性があることがわからぬほどザック氏は阿呆ではないのですな。
これから挑まんとしているのが移民、ないしは亡命の手続きであることは承知しておりますので、そこにはある程度の時間を要することが予想されます。これに遅れてやって来た見捨てた道連れと同席するなど真っ平御免、とでも考えたものでしょうか、手近な野草を齧って空腹を誤魔化しながら日が傾くのを待ったので御座います。
いよいよ日も暮れんか、という刻限になりまして、今一度北の方角を見やり、懸念の集団が現れないことを確認したザック氏は、改めて追われて逃げ込む
「旅の
というもの。
残った体力を振り絞って演技をしたのにその甲斐がなかったな、とザック氏は拍子抜けするのですが、ともかく必死の形相で役人の同情を惹かんと、自分は賊に追われて……とないことないこと語らんとすると差し出された役人の手の平がこれを制し、
「そういうのは結構ですので。」
と気のない反応。改めて、
「旅ですか、移住ですか?」
と問われます。
ザック氏が正直に「移住を」と告げれば「では、こちらへ」と市壁の内に設けられた小部屋に通され、そこには別の役人が控えておりまして、矢継ぎ早にザック氏に尋ねます。
「位階魔法は扱えますか?」
「……扱えないと移住できませんか?」
「いえ。文字は読めますか?」
「……読めないと移住できませんか?」
「いえ。何か技能はありますか?」
「馬の扱いには慣れております。」
「はい、ではこちらを。」
と、役人は一枚の木札をザック氏に与えます。
4へ53
ザック氏にはこれが読めません。
「……何ですか、これは?」
「あなたの番号札です。へ、の53。憶えておきなさい。
ザック氏は「この地図の通りに進んで、この建物の三階、二番目の部屋で休みなさい」と小さな紙片を手渡され、もう一人法服姿の男と引き合わされた後は、そのまま市街へ放り出されたので御座います。
聡明な読者諸兄には既にお察しのこととは存じますが、スレイン報国においては移住者というものは、単なる
さきほどのやり取りにも見えたように、せいぜい把握すべきは
無能の名前などいちいち把握するのも面倒ですので、番号でこれを管理いたします。「4へ53」というのは第四市の無能へ組の53番、ということで御座いますな。今後、特別な才を示すようであれば他の市へ移送されることもありましょうが、大抵の無能はたまたま辿り着いた市で完結いたしますので、役人も必要最低限に「へ53」の部分のみを文字の読めぬザック氏に教示したので御座います。
逆にザック氏は、生まれも先の居住地も、生業はおろか名前すら問われなかったことに困惑したもので御座いましょうが、既に疲れ果てておることもあって言われるがままに地図に従って日没間際の街を歩きます。幸い道に迷うこともなく目的の建物に辿り着きまして、そこは自由都市でもよく見られる
やはり言われたままに三階の二番目の部屋を目指します。建屋入り口を含め、どの扉も施錠されておらずいささか物騒ではないか、などと思わないでもないので御座いますが、もう体力も限界に近づいておりますので、その辺りの詮索は翌朝以降と割り切って充てがわれた部屋に入りました。
そこは二段の
そして翌朝。
ザック氏は、生まれて初めての体験をいたします。
(への53、起床です。)
ん?
誰かの声にザック氏は目を覚まします。既に日は昇っていて東向きの窓から明かりが入っておりますが、室内には前夜同様他に誰の姿も見えません。
(復唱なさい。)
再び声が聴こえてザック氏は驚きます。頭の中に直接声が聴こえてきます。無学なザック氏には、これが位階魔法<
(今日も一日、人の子に感謝報恩を捧げます。)
「……」
(復唱を。)
「……」
(復唱を。)
どうやら従わないことには先に進まないようだ、と悟ったザック氏は、言われるがままに復唱します。
「きょ……今日も、一日、人の子?に……感謝、ほ、ほ?」
(報恩を捧げます。)
「……報恩を捧げます。」
(への53、建物を出て左三軒隣の青い看板の食堂で朝食です。)
「……」
それ以降は、頭の中に直接聴こえてきた声はいたしません。
少なくとも朝食にはありつけそうだ。しかし、持ち
いささか不可解なことに入り口扉に続く床が前のめりに傾斜しておりまして、空腹であることも手伝ってよろめいたザック氏は転がり込むように食堂に飛び込みました。中では既に数人の男女が食事をしており、かれこれ二日まともな食事が出来ていない彼にはたまらないよい香りがぷーんといたします。
「す、すいません。おれは
思い切ってザック氏は、女給と思しき中年の女性に声をかけてみます。
「番号札を。」
彼女はそう言って右手を差し出し、ザック氏がやはり言われるがままに「4へ53」の
「……い、いただいて……よろしいんで?」
女給は黙って頷き、
「人の子に、感謝報恩を。」
「えぇ、えぇ!感謝、報恩いたしますとも!」
ザック氏は女給の言葉を復唱した後、大慌てで指された席へ向かい料理に貪りつきました。それは決して豪勢な食事ではありませんでしたが、彼が自由都市で常食していた乾ききったパンや野菜屑と比べれば、温かいというだけでまことに上等な食事ではあったので御座います。
どうにも要領を得ないが、これは移住初日の
などと、食事を終えたザック氏が呻吟しておりますと、既に食事を終えていた他の客が一人、また一人、と立ち上がるのに気づきました。
(への53、仕事です。他の人の
またも頭の中に直接声が聴こえてきます。
やはりザック氏は、わけがわからない、とは思いつつも、他にどうしようもないので、既に扉を開けて外へ歩み出つつある同じ釜の飯を食った人々の