億劫のオーバーロード   作:wash I/O

4 / 144
転移歴137年。
アインズは新世代の命名の儀に臨む。


3.命継ぐ者(3)

 神々しい緑色の輝きをペカペカと放ちながら、あんぐりとその口を開きつつ玉座にふんぞり返る骸骨、自身の愛人ナモンが至高の(あるじ)と呼んで忠誠を誓う大魔王アインズ・ウール・ゴウンの姿を、元漆黒聖典番外席次、現スレイン報国国家元首人の子シロクロは興味深く観察している。

 

 正直なところ、今以てこの人物が本当にナモンの至誠の愛に相応しい者であるのか、彼女には確信が持てずにいる。

 この場にいる誰よりも強大無比な魔力をその身に秘め、今、自身が初めて踏み込んだ荘厳華麗な玉座の間を所有し、それ以上に、ナモンを含む恐るべき面々からの狂気に満ちた忠誠を一身に集める存在であることはもちろん承知している。が、シロクロから見たアインズは、しばしばナモンからの教示なしには何も判断し得ず、それどころか何も覚えてすらいない神輿の上の裸の王様のようであった。

 

 今、まさにそうであるように。

 

 なので彼女は、余計なお節介かとは思いつつも、先ほど来捧げ上げたままであった自身の宝を一旦右の手に抱えて胸に抱きなおし、空いた左手で隣に屹立するナモンの洋袴(ズボン)の裾をつんつんと引いて注意を促した。

 思った通りすぐさまナモンの「ん?」という視線がシロクロを捉え、シロクロは目配せで以て「貴方(あなた)の至高の御方(おんかた)はいつものドツボに嵌ってるんじゃない?」と訴えてみせた。

 

 だがしかし。

 

 ナモン……()もなき非常勤政治顧(モン)を縮めたもので、彼がシロクロだけに許した自身の呼び名だ……ことデミウルゴスは、シロクロの真意を見抜けないはずもないのに、ただ、口を三日月型にニマリとさせたのみで、(あるじ)に対して助け舟を出すつもりはまったくない様子。

 

 シロクロは不思議に思う。

 

 自身の傍らに立つナモン、そして至高の御方の向かって左に寄り添う白衣の美女……確かアルベドと言ったか……は、いずれもシロクロの知る限りにおいてはこの世界に並び立つ者のいない頭脳明晰な存在であり、そんな彼らが彼らの(あるじ)の陥っている窮地に思い及ばぬはずもなかろうに……何せシロクロですら気づいているのだから……彼らは、こうして困惑の極致にある主人に敢えて助言せず、むしろまるでその窮状を楽しむかのように傍観することがしばしばある。

 

 ひょっとして……楽しんでいるのか、実は?

 

 

 

 よもやシロクロからそのように気遣われていようなどと思いもよらない我らが死の支配者(オーバーロード)アインズ・ウール・ゴウンは、未だどこに実在するのやら、そもそも存在するのやらわからぬ頭脳をフル回転させて、目下の事態打開の方策を探っていた。

 

 とりあえず、誰かよくわからん右端の森妖精(エルフ)は捨て置こう。

 

 左の二人の闇妖精(ダークエルフ)はアウラとマーレだ。

 その二人がそれぞれおくるみ(ケープ)に包まれた赤ん坊をこちらに向かって差し出している。

 赤ん坊も、尖った耳と肌の色からして闇妖精で、ときおり眠たげに開かれる瞳の虹彩異色(オッドアイ)、そしてアルベドから繰り返し告げられる「命名の儀を」との言葉を勘案すれば、驚くべきことではあるが、この赤ん坊はアウラの産んだ子どもでありアウラとマーレ同様の双子なのであって、今、その誕生の報告が為されており、合わせてアウラは自身の(あるじ)であるオレに、名付け親となることを求めている……ということになる。

 出産予定日は随分と前にわかるから、おそらくは三ヶ月以上前に計画(スケジュール)が組まれ、オレにもちゃんと本日のお披露目が知らされていたが、ツアーと遊んでいる間にすっかり忘れてしまったに違いない。酷いな、オレ!

 

 ここまではいい。

 いや、よくない!

 

 ……父親は誰だ?

 

 アインズの無駄に鋭敏な視覚は、双子の表情をやはり無駄に高い時間解像度(フレームレート)で捉え続けているが、なればこそ、ひたすら喜びとその中に微かな羞恥の混じる笑顔を絶やさぬアウラに対し、一見無表情でありながら、アインズ以外に気づく者もいまいが、微かに、極微かに、不意に邪まな思い出し笑いを繰り返すマーレに目が釘付けだ。

 

 しかも、思い出し笑いを浮かべた瞬間のマーレの視線は、決まって姉アウラを凝視している!

 

 嗚呼……来るべきときが来てしまったのだな。

 

 あまり真面目に考えたくなかったので、常に心の片隅で気になりながらもオレは(つい)ぞこれに真正面から向かい合うことがなかったものだが、セバスの暴走やシャルティアの(へそ)曲げ同様に、これもまたいつか宿命的に起こり得るであろうことはわかっていたのだ。

 

 誰にも打ち明けられずにいたことではあるが、アインズを土台(ベース)で支える<アインズ・ウール・ゴウンの日誌(ログブック)>には、実はアインズ自身を以てしても解読不能な箇所が少なからずあった。

 言うまでもなくその大部分はタブラ・スマラグディナが語った古今東西の蘊蓄だが、最右翼として、アウラとマーレの創造主であるぶくぶく茶釜、そしてやまいこ、あんころもっちもち、いわゆるアインズ・ウール・ゴウン紅三点が、本人たちは実に楽し気に、それでありながら傍から見る分にはなんとも(おぞ)まし気な瘴気を発しつつ交わした会話がある。

 その大部分は、アインズには理解できない言葉……腐女子語で以て彩られており、さしもの<翻訳の神秘>もこればかりは解読を助けてはくれないので、本当に何を言っているのかがアインズにはわからない。わからないが、それが極めていかがわしいことを言っていたのであろうことだけは容易に想像ができる。

 

 いや、違う。

 

 実は彼女らが何を話していたかはわかっているのだ、多分。ただ、どう表現したものか、アインズの直感が、その深淵を覗き込んではならぬ、覗いたが最期深淵に呑まれるぞ!と告げているのであって、ギルド軍師ぷにっと萌えから嫌と言うほど刷り込まれた戦術原則(ドクトリン)が、理解の一歩手前で即時撤退を余儀なくさせるのである。

 

 だがしかし。

 今、アインズの目前にその深淵が口を開いている……。

 

 待て待て!

 ひょっとして……いやまさか、そんな……。

 

 よもや、とは思うが、アウラとマーレの創造主ぶくぶく茶釜と、その実弟ぺロロンチーノの間にも、そのような関係が……

 

(潰すぞ、サトル!)

(冗談は腹にぶら下げたU(アルティメット)R(レア)だけにしてくださいよ、モモンガさーん!)

 

 そうですよね、お二人がそんな関係なワケないですよね!

 

 いやいや……。

 よくよく頭を冷やして考えてみれば、だ。

 

 アウラはマーレの姉、マーレはアウラの弟、二人は姉弟だ。それは疑いない。

 が、これはフレーバーテキストに書かれた設定……つまるところはお話に過ぎない。

 

 そして他ならぬアインズ自身を含め、そこから今以て解明かなわぬ未知の何某によってこちらの世界に顕現した我々が、かつての<現実(リアル)>の人間の倫理に拘泥する理由はない……ないはずだ!

 そもそもそれを言うなら、アインズ自身はこちらの世界に渡り来て以降いったい何人の人間、亜人を殺めたことであろう。さらに言えば、人間、亜人は駄目で魔物、竜なら屠ってよし、などという理屈が通ろうはずもない。そんな自分が、アウラとマーレの禁断の愛とその結晶にドン引きするなど、身勝手にもほどがあるではないか!

 

「あ……あのぉ……アインズ様?」

 

 現実逃避の脳内会議を続けるアインズに痺れを切らしたのか、アウラから声がかかった。

 

「にゃ、にゃ、にゃ……にゃんだ、アウリャ!」

 

 か、か、嚙み嚙みだーーーーー!

 ドン引きだーーーーー!

 

「怒って……おいでですか?」

 

 恐る恐るアウラがそう尋ねる。

 

「そ、そ、そ、そんにゃわけ、ニャいだろーーーーーぉ?」

 

 こんな吃音と嚙みで言われても説得力ないわな。

 

「私とマーレはみんなに……最期まで付き従うことが叶いません。」

 

 アウラは躊躇いがちに、ではあるが、それでもはっきりとした声で核心を突いた。

 寿命のない異形種が大半のナザリックの下僕(しもべ)たちの中で、亜人種闇妖精(ダークエルフ)であるアウラとマーレは、およそ八百年という、長くはあるがそれでも有限の寿命を有する例外的な存在だ。百レベルに達する階層守護者の中にあっては、この制約を有する者はこの二人だけになる。

 

「まだまだ大分(だいぶ)と先の話ですけど、それでもお別れの時はやって来ます。

 なので、私たちを継ぐ者をナザリックの皆と、そして誰よりもアインズ様に……遺さないといけない、と思ったんです。ね、マーレ?」

 

「は、はい、アインズ様。お(ねぇ)ちゃんの言う通りです。」

 

 アウラの振りにおずおずとマーレが応じたが、その際も一瞬邪まな笑みが浮かんだことを、悲しいかなアインズの目は見逃さない。

 

「デ、デミウルゴスが、そう教えてくれたんです。」

 

 き、貴様か!

 貴様がマーレを唆したのかぁーーーーーーーー!

 

 屹っと睨みつけるアインズの視線がデミウルゴスへ向かうも、睨まれたデミウルゴスは口を三日月型にしてニッと笑って応えた。

 

 駄目だコイツ、早く何とかしないと……どうもならんわな、今更。

 

 それに、だ。

 デミウルゴスはあくまでも……悪魔なのだが……背中を押しただけ。

 そもそもアウラ、マーレはそういう運命にあったのだ。

 

「アウラ、マーレ。」

 

「「はい!」」

 

 アインズの呼び掛けに二人が満面の笑みで即答する。

 立派な乙女、青年に育った二人ではあるが、こういうところは転移直後、まだ幼かった時分と何ら変わるところはなかった。

 

「おまえたちのナザリックに捧げる愛……確かに受け取った!」

 

 他に、如何様(いかよう)に応じる(すべ)があろうか。

 

「そして言わせてくれ、おめでとう、と。

 特にアウラ。双子を身籠るのは大変だったろう。ご苦労だったな。」

 

 アインズは、てっきりアウラが感涙に咽ぶものと思ってそう言ったが、言われたアウラは何事もなかったようないつものカラリとした口調でこう応える。

 

「いえいえ、アインズ様ァ!

 私は体を鍛えてますし、アインズ様のお言いつけをしっかり守って美味しいものをよく食べ、よく眠ってましたから全然平気でしたよォ。むしろマーレの方が、身重の間は私が……その……相手をしてあげられないので(つら)そうでしたァ。」

 

 今度は屹っと睨みつけるアインズの視線がマーレへ向かうも、睨まれたマーレは口を三日月型にしてニッと笑って応える。

 

 駄目だコ……もう、どうでもいーや。

 

「……おまえたちと同じ、女の子と男の子の双子なのか?」

 

「はいィ!

 でも私たちとは違って、お(にい)ちゃんと妹です。

 まぁ、たまたま私から出て来た順番が、ですけどねェ。」

 

 これもまた、<日誌(ログブック)>に刻み込まれた至高の四十一人の記憶が為せる運命の(わざ)か……とアインズは昔日の黄金の日々に思いを馳せた。

 

 下手に考えを巡らせるよりも、月並み(ベタ)ではあるがオレが気の利いた名前を無理に考えて、ホニョペニョコになるよりはましだろう。

 

「ベロ……と、ベラ、だな。」

 

「はいィ?」

 

 アウラはたちまちにはアインズの意が解せぬ様子。

 

「アウラとマーレのそれぞれ二つ名(ミドルネーム)を取って、兄はベロ、妹はベラと名乗らせるがよい!」

 

 パァ!とアウラとマーレの顔が笑顔に輝く。

 

「幼いうちはそのように……長じて、アウラ、マーレがそれぞれ自身の職責を任すに足る、と判じた折、この子たちにアウラ、マーレの名を襲名させよ。以降、おまえたちは元の姓、フィオーラ、フィオーレと名乗るように。」

 

「有り難き命名に、謹んで感謝申し上げます。

 我が子ベロ、ベラと共に永遠の愛と忠誠をアインズ様に!」

 

 二人は、高々と我が子を捧げ上げたまま、アインズに深い伏礼を捧げた。

 

(な、なんとか乗り切ったぞ!

 いや、まだよくわからんのが残ってたな……。)

 

 続いてアインズは、今以て誰であるかわからない、デミウルゴスの隣にアウラ、マーレ同様に赤ん坊を抱いて跪礼を取る女森妖精(エルフ)に視線を移す。

 

 アウラ、マーレと違って金髪ではない。束ねた真っ白な髪と真っ黒な髪が捻りあった二色髪(ツートーン)

 

 ん?

 

 さっき回想したキーノの話の中に、シロクロ、シロクロ、と意味不明の語があったな。

 

 試みにアインズは森妖精のレベルを<無詠唱(サイレント)>で読み取ってみる。

 レベル八十八。キーノが自分よりも遥かに強いと評したこととも符合する!

 

 こいつがシロクロだ!

 意外にもあの回想が役に立ったぞ!

 

 ……しかし、白黒髪にシロクロとは安直な名付け(ネーミング)だな。

 どこの馬鹿だ、そんな名付けをしたのは。機会があったらその間抜け(づら)を拝んでみたいものだ!

 

 ん?

 

 何処から取り出したものか、デミウルゴスが小さな手鏡をこちらに向けて、やはり口を三日月型にしてニッと笑っている。当然、そこに映っているのは玉座に鎮座するアインズ自身だ。

 

 ……な!

 

「覗くな!」

 

「はっ?」

 

他人(ひと)の頭の中を覗くな!」

 

「ハッ!」

 

 慌ててデミウルゴスが手鏡を何処ぞへ仕舞い込むのを認めてアインズは深い溜め息をついた。

 ほんっと、やっとれんわ!

 

「至高の御方(おんかた)。」

 

 このやり取りに痺れを切らしたのか、シロクロが恭しく赤ん坊を捧げ上げつつ声を上げた。

 

「ナザリックに連ならぬ卑しき我が身ではありますが、御方の腹心、最愛のナモンの子を得る(さいわ)いに浴しました。この上は、御方にナモンと私の息子の名付け親になっていただけますれば、これに勝る喜びは御座いません。」

 

 ナモン……って誰よ?

 

 ん?

 

 シロクロの言葉に視線をそちらに向かわせていたアインズの視野の右隅で、デミウルゴスが自分自身を指差しながらやはり口を三日月型にして……

 

「覗くな、と言ってるのがわからんか!」

 

「ハッ!」

 

 パン、パン、パン!

 

 ん?

 

 突然自分の右後ろ方向から()ぜる音がしてアインズは咄嗟に振り返ったが、今は平素の凛とした立ち姿に戻ってはいるものの、その直前、彼女が自身の膝を両手で叩いて笑いを噛み殺しているのをアインズは見逃さなかった。

 

 ア、アルベド……お、おまえまでも!

 

「ささ、アインズ様。

 デミウルゴスの息子にも命名の儀を。」

 

 ふふふ、とアインズは表に出ないように笑う。

 そうか、皆してそうなんだ。

 

 涙腺を失って久しい彼は涙することは決してない。

 だが、出来ることであれば、まさに今、感動の涙を縷々と流したことだろう。

 

 デミウルゴスもアルベドも、アウラとマーレが限られたその寿命を継ぐ者をもうけることでナザリックに報いようとした悲壮なまでの決断に、オレが心痛めることのないように、こうしてオレ好みの茶化しを入れて紛らわしてくれていたんだ……。

 

 なんて……なんてオレは素晴らしい仲間に恵まれているのだろうか!

 

 ペカーーーーーッ!

 

 いや、それはさておき。

 どうしよう……デミウルゴスの息子の名前。

 

 ひとまずアインズは、そうとわからぬようにシロクロが自身に向かって捧げ上げている赤ん坊を覗き込んでみる。一見してベロ、ベラと同様に尖った耳、そしてアウラ、マーレ、シロクロと同じ虹彩異色(オッドアイ)。その瞳がデミウルゴスに似て宝石でできている、ということはなかった。

 一瞬、本当にこれはデミウルゴスの子なのだろうか、そもそも森妖精と最上位悪魔(アーチデヴィル)の間に子が宿るなどということがあり得るのだろうか、との疑念が浮かんだが、それは次の瞬間には掻き消された。

 

 アインズの視線を敏感に感じ取ったその赤ん坊が虹彩異色の瞳にアインズを捉え、即座に忌々しいまでの三日月型の笑みを浮かべたからだ!

 

 あ……こりゃ間違いなくデミウルゴスの子だわ。

 

 ということは、だ。

 この子はデミウルゴスの子であり、我が無二の盟友ウルベルト・アレイン・オードルの孫、ということになる。

 

(私のことを忘れないでくださいよ、モモンガさーん!)

 

 黙っとれ、ペロロンチーノ!

 言葉の綾だ、()に受けるな!

 

 ったく、どいつもこいつも……。

 

「あ……あれ……」

 

 躊躇いがちにアインズは口にする。

 この命名を……デミウルゴスは喜ぶだろうか、あるいは憤慨するだろうか?

 

「アレイン!」

 

 ウルベルトの二つ名(ミドルネーム)を与えんと口にするや、ガクリッ、とデミウルゴスの膝が折れた。

 

 やっべ!

 マズったか、やっぱり!

 

 が。

 

 静寂の玉座に、静かに、静かに咽び泣く男の声が木霊(こだま)し始める。

 デミウルゴスが、跪いたまま声を上げて泣いている。

 涙をポロポロと溢して。

 床に落ちた涙は、彼の瞳同様に小さな宝石へと転じた。

 

「デ、デミウルゴス……もし嫌だったら」

 

 アインズの問いかけは中途で遮られた。

 スッと立ち上がったデミウルゴスがシロクロに強い口調でこう告げたからだ。

 

「シロクロ!

 今、至高の主より我らが息子に賜りし御名(みな)は、我が至高の主の真名に次いで高貴なるものぞ。」

 

 その言葉に、ここまで何処か物憂げであったシロクロの表情が満面の笑みに変わった。

 

「至高の御方!

 慈悲深くも格別なるお計らいに深い感謝を申し上げますと共に、息子アレイン共々永遠の忠誠をお誓い申し上げ奉ります!」

 

 感極まった声でそう叫んだシロクロは、アウラ、マーレがそうしたように、我が子をアインズに捧げ上げたまま深い、深い最伏礼を執った。

 

「皆の者、忠誠の儀を!」

 

 高らかにアルベドが告げる。

 

「「アインズ・ウール・ゴウン様万歳!

  死の支配者(オーバーロード)に栄光あれ!」」

 

 その場の皆が厳かに復唱した。

 これに応えてアインズもまた高らかに宣じる。

 

「ベロ、ベラ、アレイン万歳!

 命を継ぐ者に祝福あれ!」

 

 ふと、アインズの視線がアルベドを捉える。

 アインズは、マーレがアウラに、デミウルゴスがシロクロにそうしたように、アルベドに子を宿してやることは叶わない。彼女はそれを不満には思わないだろうか?

 

 だがアルベドは言葉発さぬままに「貴方のご心配は無用のものですわよ、アインズ」と優しい眼差しで応えた後に、凛とした口調で告げた。

 

「皆の者、復唱を!」

 

「「ベロ、ベラ、アレイン万歳!

  命を継ぐ者に祝福あれ!

 

  アインズ・ウール・ゴウン様万歳!

  死の支配者(オーバーロード)に栄光あれ!」」

 

 そして、アインズは深い溜め息をついた。

 

(はぁ……乗り切った。)

 

と。

 

 

                    *

 

 

 ナザリック転移歴137年の今日(こんにち)にあっても、帝国自由都市エ・レエブルは大陸西部では最も活気のある人間の街だ、と少なくともそこに暮らす誰もがそう思っている。

 

「で……恩人、とやらには首尾よく会えたのかい?」

 

 キーノ・インベルンは、一旦は戻ると約したかつて自身が所属した冒険者(ヴェンチャー)集団(チーム)<(あけ)薔薇(ばら)>の司令塔(リーダー)リキウス・アインドラを訪ねている。

 

「あぁ、思った以上の長旅になってしまったが、いろいろありはしたものの実りのある旅になったよ、筆頭参事殿(ミスター・プレジデント)。」

 

「そいつぁ良かった、キーノ小母(おば)さん!」

 

 こういう()()を込めた挨拶は、二人の通例になっている。

 

 多くの冒険者がそうであるように、リキウスは結婚に続く長子誕生を契機に冒険者家業から引退したのだが、これが想像以上の彼の人生の転機になった。その時点で既に五十歳手前に達していたリキウスが娶った二周りも年下の相手が、誰あろうエ・レエブル参事会議員ビョルケンヘイムの末の娘だったからだ。

 アインドラの家名こそ失いはしなかったが、結果的にリキウスはビョルケンヘイム一門の議席を引き継ぐ形で参事会入りを果たした。これをやっかんだ口さがない人々からは、やれ政略結婚だ、逆玉の輿だと陰口を囁かれたものだが、もちろんキーノはその真相を知っている。

 

 きっかけはキーノも共に携わったとある仕事で、護衛していた顧客(クライアント)が恐怖に耐えきれずに飛び出し、これを庇ったリキウスが命に関わるほどではないがさりとて楽観も出来ない大怪我を負ったことに始まる。

 自身の神聖魔法で急場を凌いだリキウスは仕事をやり通してエ・レエブルへ帰投したものの、見るからに調子を崩した。これを案じた師父ガ・ギンが、溜め込んだ(かね)に余裕もあることであるし、よい機会だから市の富裕層向けに先進的な医療を提供している評判のよい病院にしばし逗留して、この際徹底的に治療することを勧めた。しぶしぶこれに従ったリキウスは、そこで後の妻リュシを知ることになるのだが、彼女は諸人がこの状況で思い浮かべるような、いわゆる白衣の天使ではない。

 入院したリキウスは、当初せっかちな自身が病院での扱われ方に遅かれ早かれ苛立つであろうことを半ば覚悟していたのだが、どうしたことかそういうことは起こらなかった。いかなる(わざ)によるものか、その病院はありとあらゆることに対して段取りが行き届いており、自然とリキウスはその謎を解き明かしたいという好奇心に取り憑かれた。

 だが、不可解なことに知り合う医者や看護婦は、それぞれに銘々の職務については富裕層向け病院だけあって超一流ではあるものの、お世辞にもリキウスが感心する段取りを差配するような気の利く者には見えない。いよいよ深まる謎に入院以前はなかったはずの偏頭痛すら覚えつつあったある日、リキウスは運命的な出会いを果たす。

 

 それは、まったく華やかさを欠く一人の事務員の女の子で、事実、後に引き合わされた時点でキーノなどは何故リキウスがこんな垢抜けない小娘に一目惚れしたものかまったく理解できなかったのだが、無口で控え目なリュシは、しかし、恐ろしく物事の差配の手際が良く、それでいて、彼女がそれを言わずもがなに取り仕切っていることを、リキウスがそれを見抜くに至るまで、病院関係者を含め誰にもまったく気取られずにいた、という稀代の女傑だったのだ。

 彼女のその能力にすっかり惚れ込んだリキウスは年甲斐もない猛求婚(アタック)を開始し、それはあっけなく受け入れられた。リュシは、エ・レエブルにその名の知れた<朱の薔薇>のリキウス・アインドラなれば是非もなし、という(てい)だったというから、こちらはこちらでよくわからない感性の持ち主ではあったのだが、では結婚のご挨拶に、と彼女の生家を訪ねてみれば、<バベルの災厄>を共に乗り越えた参事ビョルケンヘイムが満面の笑顔で待っていた、という寸法だ。

 

 嵌められた!

 

 まずリキウスはビョルケンヘイムに、続いて入院を勧めたガ・ギンに食ってかかったが、いずれも濡れ衣だと取り合わない。実際、本当にこれは偶然であった、とキーノは聞かされているが真相は定かではない。むしろ不用意に自身の眷属としての力を与え以降は行方不明の魔女ラナー・ヴァイセルフを知る彼女としては、実はリュシ自身が、悪意はないにせよ同じ(たぐい)の魔女で、すべてを裏で糸引いていたのではないか、と勘繰っているが、それを口外することはなかった。

 

 気の早いことにその時点で既にリュシが第一子を懐胎していたこともあり、リキウスもまた、これも運命、とビョルケンヘイムの軍門に(くだ)った。かくして、街衆の嫉妬と羨望を一身に受けつつ義父の議席を継いで参事会議員となったリキウスは、あっという間に天性の交渉人(ネゴシエイター)の才を発揮し、また、そこに明に暗に助勢するリュシの手腕もあって、彼に対する陰口はこれまたあっという間に過去のものとなった。

 そして、山積していた都市の難題をものの見事に解決していった功を讃えられ、昨年来筆頭参事に祀り上げられるという栄誉を担っている。以来、筆頭参事殿(ミスター・プレジデント)、キーノ小母(おば)さん、の互いに望まぬ呼び名を交わす鍔迫り合いが続いている。

 

「そちらの首尾はどうなんだ?」

 

とキーノは尋ねた。筆頭参事の権を得るや、リキウスが長年温めていた(アイデア)の実現に動き出したことを知っているがゆえだ。

 

「もちろん課題山積ではあるが上々さ。

 しかも、キーノが出掛けている間に末恐ろしい人材を得た!」

 

「……以前に言ってた言語研究の客員教授、か?」

 

 リキウスがやろうとしているのは、エ・レエブル大学の設立だ。

 

 一夜にして<翻訳の神秘>が失われ、種族や出自階層の異なる人々の間で会話が通じなくなり、数ヶ月の後、突如として元に戻った未だに真相明らかでない大事件<バベルの災厄>に際し、リキウスは都市民の知の底上げの必要性を痛感し、もし機会を得られるものであればその礎となる機関を自ら立ち上げたい、と考え続けてきた。

 筆頭参事の叙任演説でこれを初めて披瀝した彼は熱狂的賛同を以て迎えられ、以降、その実現に向けて着々と準備を進めている。特にリキウスが重視するところの<バベルの災厄>以来俄にその必要性が声高に言われるようになったものの、<翻訳の神秘>が存在するがゆえになかなか誰の手にもつき難い、言語そのものの研究について、何でも西方に逸材がいるらしい、という話まではツアーの元へ旅立つ直前に聞かされてはいた。

 

「聞いて驚け、その名をフランチェスカ・デルカ。

 リ・ロベルの触れ得ざる者、エリュシオンのポール・ダラムとマリア・デルカの娘だ!」

 

「……な、な、なんだって!」

 

 これにはさしものキーノも目玉が飛び出んばかりに驚いた。

 リキウスたちは知る由もなかろうが、リ・ロベルのエリュシオンと言えば、紛うことなき異世界からの来訪者(ユグドラシルプレイヤー)……実際にはポールとマリアはその下僕(NPC)なのだが……だ。

 その娘とは!

 

「その娘は今どこに?」

 

「?

 あぁ、身辺整理のために一旦リ・ロベルへ戻った。翌年明けにはこちらに来てくれる手筈になってる。」

 

「どんなだった?」

 

「……あん?」

 

「いや、どんな感じなんだ、彼女は?」

 

「そりゃ頭はキレっきれさ、あのリュシも舌を巻くほどにな!」

 

「いや、そうじゃなくて!」

 

「?」

 

「戦闘者としての技量はどうなんだ?

 攻撃的な奴だったりしたか?

 あと、何か書付(メモ)か何かを見ながら話をしたりはしなかったか?」

 

「……あのなぁ、キーノ。」

 

 呆れ声でリキウスが応じる。

 

「俺の何倍も生きてるあんたにこんなことを言うのも烏滸がましいとは思うがよ!」

 

「?」

 

「キーノの関心が何処にあるのか、はもちろんわかってる。が、それを聞き出すにしても、もうちょっとやり方、と言うか、手順、と言うか、お作法みたいなもんはあっていいんじゃないか?」

 

 途端にキーノは赤面した。

 

「……すまん、つい興奮してしまって。」

 

「剣を振るうにしても、キーノお得意の位階魔法を放つにしても、相手に己の意図を丸出しにしてたら通る攻撃も通らないだろ。会話だって同じさ。いや、こんなこと、キーノにゃ河童に水練だとは思うけど。」

 

「いや、リキウスの言う通りだ。

 その指摘は有り難くいただいておこう!

 

 ……で、どうだった?」

 

「……結局、好奇心には負けるのかよ!

 

 まぁ、何だ。一言で言えば……思いの外普通、だったな。」

 

 普通……ここでも、普通、か。

 

「彼女とは握手を交わした。少なくとも親父さんみたいな迫力は感じなかったね。無論、何らかの偽装で俺が騙されている可能性を否定はしないが、率直な印象としては、うら若い女性にしては我が身を守る術はちゃんと身につけている、ってところが関の山か、とは思う。

 攻撃性、は……皆無だ。はきはきとした極普通の常識的なお嬢さんだったよ、言語研究に対する常軌を逸した情熱を別にすればね。

 書付(メモ)……ってのは、キーノが何を訊きたいのかがよくわからんのだが、もちろん研究者だから驚くほど大量の書付を持ち歩いてはいたけども、少なくとも話している最中はそれらに一瞥も与えなかった。というか、むしろ記憶力についてはクゥイア、クゥイナも真っ青なんじゃないかな、こちらが振る話題に対する理解と返しの速さは尋常じゃない。まぁ、俺が老いた、ってのを差し引いても、ありゃぁ天才(ギフテッド)って奴だと俺は思う。」

 

 キーノを窘めつつも、リキウスはキーノが知りたがった事柄については的確に答えて見せた。

 対するキーノは、ナザリック二度目の居候に際し、秘中の秘として示された知見との照合をおこなっている。

 

 アインズは、ユグドラシルプレイヤーは記憶を保持できないのだ、とキーノに語った。そんな嘘をつく動機がアインズにあるとは思えないから、それは真実であるに違いない。が、今リキウスから聞かされた話によれば、それのみを以て断定は出来ないものの、ユグドラシルプレイヤー自身はともかく、この世界に渡り来て以降にもうけた子どもはそういった制約を受けてはいないように思われる。

 

「まぁ、年明けまでキーノがエ・レエブルに居てくれるのなら本人に会えるさ。

 確かめたいことがあるのなら、自分の眼で確かめるんだな。」

 

 リキウスはそう言うが、無限の寿命を有するキーノにその程度の時間を待ち惚けることを忌避する理由はないものの、これ以上当地に留まり続けることは、この得難い友、リキウス・アインドラに対する未練を募らせる一方であることもまた承知しているし、彼女が自身に課したこれからの仕事において、ユグドラシルプレイヤーに連なる者たちとの知己を得ることの優先度は高くはない。

 

「……そうだな。

 ギンたちはどうした?」

 

 強いてキーノは話題を転じた。

 

「キーノが出掛けた半月後に出立したよ。

 聞いて呆れるぜ。武者修行だか何だか知らないが、カッツェ平野を徒歩横断するんだとか。報酬が約された仕事でもないのにまったく正気の沙汰じゃねーよ、早目に引退しといてよかったわ!」

 

 そう言いつつもリキウスはどこか寂しげではある。

 

「嘘か(まこと)か竜王国まで足を伸ばす、って言ってたからまだ当分は帰って来ないんじゃないかな。

 まぁ、見た目は老けないとは言え、歳は俺とそう変わらないはずのクゥイアとクゥイナがギンさんのあれに付き合うってのも大概だよな。」

 

 双子忍者がまったく加齢の様子を見せないことには当然誰もが気づいていたが、自身が吸血鬼(ヴァンパイア)であることを公言して憚らないキーノが共に居るために、エ・レエブルの街衆を含めそこを殊更思議する者はいなかった。忍者なんだから、これも忍術か何かなんだろ、と銘々が勝手に合理化していた筋もある。

 一方で、キーノだけは双子忍者が何らかの形でユグドラシルに連なる者、ギンの言うところの触れ得ざる者の類なのではないか、という疑念を、彼らに冒険の仲間としての信は置きつつも抱き続けている。が、こちらもアインズの語った記憶が保持できない、という話とは符合しない。いや、あるいはクゥイアとクゥイナは、フランチェスカ同様にユグドラシルプレイヤーの子、あるいは孫、ということはあるのかも知れない。この謎が、思いもよらぬ人物によって解き明かされるのは、まだまだ随分と先の話になる。

 

 半端者の私には、まだまだわからないことだらけだ……。

 が、さりとて、それを理由に歩みを止めるのは望むところではない。

 

「よかったら今夜は食事をしていけよ。リュシも子どもたちも喜ぶ。」

 

 リキウスはリュシとの間に一男三女をもうけた。リキウスは長男が自身同様にガ・ギンを師父と仰ぎ<何某かの薔薇>の名を継ぐことを夢想したこともあったが、息子ロキウス・アインドラは、冒険者としてよりも交渉人としての父の才を強く受け継ぎ、まだ十代半ばの若者ではあるが父の仕事を助ける秘書として活動していて、そのいささか生半可ながらも冴え渡る弁舌からエ・レエブルではちょっとした人気者だ。

 

「あぁ、そうさせてもらおう!」

 

 既に還暦を越えたリキウスとは、遠からず別れのときが来る。実際、今回の訪問が二人の最後の交わりとなったのだが、それでもキーノは、唐突だった魔神たちとの戦いの終焉、十三英雄を率いたリク・アガネイアの事実上の自死、早すぎた<蒼の薔薇>の解散に比すれば、穏やかに終焉を迎えようとしているこの関係を、深い喜びを以て受け入れている。

 アインドラの血が次世代へと受け継がれたことは確かに見届けた。そして彼らが、キーノ自身同様にこの世界をより善きものたらしめるべく、彼らなりのやり方で、否、彼らにしか出来ないやり方で前進し続けていることも。

 

 他に何を望もうか!

 

 かくして奇縁の真祖吸血鬼キーノ・インベルンは、しばし歴史の表舞台からはその姿を消し、でありながら水面下で着々と活動し続けることとなるのであった。

 

 

                    *

 

 

 悲壮なまでの決意で子をもうけたと語ったわりに、アウラ、マーレは共に子育てには清々(すがすが)しいまでに関心を示さなかった。為に、これまたわかっていたことではあるが、二人の子ベロとベラの養育は、メイド長ペストーニャ・ワンコ、戦闘メイド(プレアデス)の中でも教師やまいこを創造主とするユリ・アルファが務めることになった。

 

 ここにさらに意外な人物が二人加わることになる。

 

「あたしィィィの赤ちゃあァァァん!」

 

 一人は、創造主タブラ・スマラグディナによって赤ん坊に対する異様なまでの執着を植え付けられたナザリックの目ニグレド。

 当初アインズは、ニグレドのベロ、ベラに対するあまりのご執心がナザリックの防衛体制を劣化させることを憂いたものだが、とにかくニグレドが見ているこちらの頬が綻ぶほどに楽しそうで、それ以上に、これまでナザリックをその監視の目で守り続けて来た彼女に謝辞以上には報いてやれてはいなかったこともあり、どうせ二人が赤子のうちだけだ、と割り切って、アインズ自らは集眼の屍(アイボール・コープス)を多数召喚して監視の目を補うとともに、シャルティアによる外苑哨戒の頻度を上げることで当面の防衛を賄うことになった。

 

 そしてもう一人は……

 

(わか)ッ、(ひめ)ッ、(じぃ)ハ此処デスゾー!」

 

 ナザリックの誰一人予期しなかった呆れんばかりの子煩悩振りを、こちらも見ている側が恥ずかしくなるほど隠しもせず発露してみせた蟲王(ヴァーミンロード)コキュートスである。

 

 対して、遠からずスレイン報国第二代人の子……語義通りから言えば、人要素は最早四分の一(クォーター)ということになるが……を継ぐことが宿命づけられた皇子アレインは、シロクロが自ら養育している、とアインズは聞かされた。

 正直なところアインズは、曲がりなりにも国家元首の女性が、民からすれば誰の子ともわからぬ子を産んで育てるという状況(シチュエーション)が、少なからず報国に混乱を引き起こすのではないか、と危惧したが、そういったことはまったく起こらなかった。

 そもそもシロクロに対し物申すことが自殺行為である、という認識が国官たちの骨身に染みている、というのもあろうかとは思うが、それに加えて、デミウルゴスが裏で誰にもそうとは気づかれぬ形で()()()巧みな情報操作をおこなっていることを、只今のアインズは確信している。

 

 が、実際のアインズの関心は、誰がベロ、ベラの面倒をみるか、スレイン報国がどうなるか、には注がれておらず、ただ偏に、ユグドラシルNPCたるアウラ、マーレ、デミウルゴスの子、ベロ、ベラ、アレインが今後どのような性能(パフォーマンス)を発揮し、どのような性向(キャラクタ)を示すかに向けられていた。

 

 そもそもからして、シロクロの父であり、ユグドラシルプレイヤーと現地産の森妖精(エルフ)の間に生まれたデケム・ホウガン、そしてシロクロには、アインズたちが背負い込むところの短期記憶の問題はまったく見られなかった。ゆえに、アレインについてもこれに倣うのだろう、とアインズは判断している。

 

 問題はベロとベラだ。

 

 シロクロたちが短期記憶問題を孕まないのが、この世界で誕生したからなのか、この世界の存在の血が混じった結果なのか、は目下のところ判然とはしていない。前者であればベロとベラは記憶の制約を受けないことになるが、後者であればアインズたちと同じ、ということになる。そして、万が一後者が真実であった場合、さて、二人は成長することが叶うのか、という深刻な疑念がついて回る。

 

 まぁ、これは時間が経ってみねばわからぬことで、現時点で思案しても仕方がない話だ。

 

 逆にベロとベラが記憶に制約を受けない身であった場合、デミウルゴスとシズ・デルタによって成されるナザリックの歴史管理に一石を投じる存在となるわけだが、一方で、二人があのアウラとマーレの子である、という点が不安材料になってくる。シャルティアほど阿呆の()ではないにせよ、性格に難があるという点ではさほど大きな差があるようには、少なくともアインズには思えなかった。

 

 この点については当のデミウルゴスが並々ならぬ関心を寄せていたようで、この手の話題に触れる際のご多分に漏れず、さも自然を装いつつもアインズが一人でいるときを狙って現れ、

 

「アインズ様には既にご記憶にないとは存じますが……」

 

と開陳されたのは、ナザリックがこちらの世界に渡って来た直後、竜人執事セバス・チャンが当時のリ・エスティーゼ王国で偶然から助けた女をこっそり飼って、子どもまで産ませた逸話(エピソード)だった。

 もうその話の触りの段階でアインズは卒倒寸前だったが、当然のことながらデミウルゴスはそこに至る経緯にはまったく関心がなく、密かに動向を監視していたセバスの息子がどのような生物であったかについて、小学生の夏休みの自由研究の甲虫(かぶとむし)の観察のような(てい)で喜々として語り、これまたアインズを当惑の渦へと突き落した。

 デミウルゴスの言を信じるのであれば……他にどうせぃっちゅーねん!……ジャンと名付けられたところのセバスと人間の女ツアレニーニャ・ベイロンの間に生まれた男の子は、生育環境の悪さから発話が遅く知性もさほど感じられなかったものの、観察の範囲においては記憶制約らしきものは見られなかったらしい。セバスに由来する能力はまったく垣間見られもせず、十歳になるかならないかで母親ともども流行り病で没したのだとか。

 

「今更の話だが……よもやおまえが手を下したのではあるまいな?」

 

 思わずアインズはデミウルゴスにそう問うたが、問われたデミウルゴスは憮然とした表情で、

 

「許しなく現地生物に干渉するな、とお命じになられたのはアインズ様ではないですか!」

 

と、逆に助命の機を逸したことを責められる始末。

 オレに内緒のまま監視・観察し、こうして記録にまで遺していたおまえがそれを言うか!という気分になりもしたが、最早当のセバス本人すら忘却の彼方へ流し去った話を云々しても詮あるまい。

 

 だが、続けてデミウルゴスがやはり悦に入った調子で語った発案(アイデア)には流石のアインズも肝が冷えた。

 

「アウラとマーレの他にも、交配可能であろう下僕(しもべ)は御座います。既にベロ、ベラにはアウラ、マーレの能力をそっくりそのまま受け継ぐ兆しも垣間見えますからには、さらなる交配実験を試みナザリックの戦力増強に資するも一興かと愚考する次第で御座います。」

 

 無論、ナザリックの仲間をも実験台と捉えて悪びれぬデミウルゴスに対して、ではない。

 

「よもやアインズ様に交配を勧められて否と応じる下僕はおりますまい。

 むしろ、アインズ様のお心遣いに歓喜して生殖の喜びに浴するものかと!」

 

 デミウルゴスがこれを言い出すということは、自身明確に意識はしていなかったにせよ、少なからずアインズ自身にそれを望む性向があればこそ、それを喝破してデミウルゴスが代わって口にするのだ、ということを百も承知しているがゆえである。

 

「……いや、()めておこう。

 それからデミウルゴス。既に成ってしまったものには咎めはせんが、今後はオレの判断なくして他の下僕たちに同様の試みを使嗾するのはなしだ、いいな?」

 

「ハッ、すべては至高の(あるじ)たるアインズ様の思し召しのままに!」

 

 ……本当かよ?

 

 が、既にアインズの、実際のところはデミウルゴスにも増して冷徹な頭脳は、まったく他のところへと思考を巡らせている。

 

 デミウルゴスの物言いが、噴飯ものではありつつも合理的であることはわかっている。

 アインズが召喚する不死者(アンデッド)……原則戦術(タクティクス)級の存在であり戦略(ストラテジ)級の行動は期待出来ない……を除けば、ナザリック地下大墳墓の総戦力はそもそも当地に割り当てられた拠点レベルと、ルベド、ガルガンチュアといったようなユグドラシル金貨により課金強化(ブースト)されるそれの総計、の制約を受けて来た。

 が、赤ん坊でありながらベロ、ベラからは既に合計七レベルが検出され、それを相殺するアウラ、マーレのレベル低下(ダウン)が観測されないことから、それが絶対障壁でなかったことは既に判明している。と言うか、実のところそれは、際限なくこの世界の隅々まで生息範囲を拡げなおもその数を増す恐怖公の眷属が疾うの昔に証明していたのだが、モノがゴキブリだけにそのような観点でこれを考えたことがなかった、のは公然の秘密だ。

 

 とまれ。

 

 なれば、下僕たちの交配で以てその壁を突き破っていく、というのは極めて合理的な戦略だし、盤石なるナザリックを目指すのであればむしろそうすべきだ、ということはアインズにはよくわかってはいるが、論理と感情は必ずしも軌を一にはしない。

 アウラとマーレが自ら望んで子を得たことは疑うべくもないが、戦力増強のために下僕を家畜であるかの如く孕ませるのは、大魔王アインズ・ウール・ゴウンといえども首肯し難かった。

 

 一方で、アインズはそうであるが、他のユグドラシルプレイヤーもそうであるかはわからない。

 

 いささか変則的ではあるが、かの色欲(エロ)爺デケム・ホウガンが云百年に渡って自らを種付け実験台として呆れ果てんほどの書付を遺しつつ交配を繰り返し、愚かしくもシロクロという成功例を見落としたのは確認済みの事実だ。

 ツアー、キーノたちが対峙したという魔神がそういった実験の成れの果てであった可能性は十分あり得るし、今後訪れるユグドラシルプレイヤーがそれを試みる可能性は少なくない。

 

 そして何よりもアインズが深刻に頭を悩ませるのは、この思索の示唆するところだ。

 

 下僕の交配実験を通じてのナザリック戦力強化をアインズが躊躇う、という事実は、この世界に存在する、あるいはこれから到来するすべてのユグドラシル由来の存在に対し、この一件に限らず、アインズが自身の性向に従って敢えて選択を拒む戦略・戦術自由度があることを意味している。

 ユグドラシル時代のアインズ……モモンガ、鈴木悟……は、ゲーム上で実現出来ることであれば、たとえそれが余人から見ていくら愚かで恥知らずと罵られ得ることであろうとも、何一つ躊躇うことなどなかった。

 自分自身はその延長線上に存在している、と確信して疑わないまま今日に至ったが、実は、自身とナザリックの下僕(しもべ)が血肉を得た……少なくともアインズはそう認識しているし、これを今更仮想現実の類だと嘯いて合理化するつもりは毛頭ない……結果として、自覚のないままに自分自身に対して何らかの制約を課してしまっていたのだ。これでは、(おのれ)にこの世界を護る者であれかし、と無自覚の呪縛をかけたツアーを笑う資格はない。

 

「あぁ、ツアー……オレは疑う余地なく……普通、だよ。」

 

「何かおっしゃいましたか、アインズ様?」

 

 幸いなのは、オレが無意識に選択肢から排除しつつも実は頭のどこかで常に考えついてはいる口の端に上せるも呪わしい種々の着想を、丹念に拾い集めては可愛らしい包装紙に包んで並べて満面の笑みを浮かべ「お好きなものをお一つどうぞ」と勧めて飽くことのない悪魔(デミウルゴス)が傍らにあってくれることだ。こいつがいる限り、おさおさ他のユグドラシル勢、その他の脅威に遅れを取ることはないだろう。

 

 が!

 

 デミウルゴスの口車に乗ったオレは……いったいぜんたい何者になってしまうんだ?

 

 アウラとマーレの子ベロとベラ、デミウルゴスとシロクロの皇子アレインの誕生が、図らずもまったく予期しなかった深淵への扉を開いてしまったことに、アインズはただただ呆然とする他なかった。




<次話予告>

ナザリックの講談師パンドラズ・アクターが、至高の(あるじ)の無聊を慰めんと講じる一席とは?

億劫のオーバーロード第2話『バハルス帝国興亡史』

「せめてもの手向(たむ)けだ。
 ユグドラシル非公式ラスボスの必殺技でせいぜい派手に散華せよ!」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。