こちらの世界の多くの者が気づいていないことの一つに、<
これは、そもそもユグドラシルにおいて<伝言>が、世界観にこだわるプレイヤー向けに供された方便であり、ゲーム上は意味を有していなかったことに由来しております。ユグドラシルプレイヤーは、ユーザーIDを承知しておって相手方から着信拒否されていない限り、
一方で、ゲーマーと申します者はなかなかに厄介な人種で御座いまして「
そしてこれは、ユグドラシルの遥か遠いご先祖様、<
ところがこれを楽しめる程度の人数が集まりますと、必ず一人くらいは、やれ、提灯の油がもう切れるから暗闇になったはずだ、とか、やれ、松明を投げて敵の視線を幻惑したから攻撃判定に
ユグドラシルのサービス提供者、いわゆる<運営>は、自分たちが
このとき、こだわりを発露する側は、手前の勝手でこだわるわりにはそのために余計な
小生如きが至高の方々の為さり
すなわち、NPCの中でも後方支援的な役割が期待されるニグレド嬢、ナーベラル・ガンマ嬢、ソリュシャン・イプシロン嬢、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ嬢が<
もし、階層守護者の皆様にこのこだわりが徹底されておったのであれば、こちらに渡り来られて以降、外征に際して<伝言>を扱える助手の同伴を要する、などという無駄は避けられたのではないか、などと小生は考えてしまうので御座いますが、至高の四十一人とてよもやナザリック地下大墳墓が異世界で云百年の歴史を歩むことになろうなどとは夢にもお思いではありませんでしたでしょうから、それは言うだけ野暮、ということになりましょうな。
翻って、位階魔法を利用するこちらの世界の住人は、そもそも己の
加えまして、これも<運営>のこだわりになりますが、<
この、使用可能回数がわからない、せいぜい第三位階までしか達しないこちらの
前置きが長くなってしまいましたが、人の子、すなわち我が母、元スレイン法国漆黒聖典番外席次絶死絶命、転じてシロクロがスレイン報国を掌握して以降は、
どこぞの大魔王様の言い分では御座いませんが「
つまり、第一位階の箸にも棒にもかからぬ魔法詠唱者であっても、同じ市内にいる者に対しては面識さえあれば確実に<伝言>を飛ばすことが叶いますので、適当な数のそれを各市に配すると共に、上位からの司令を中継する第二、第三位階の魔法詠唱者も適切に配置いたしまして、スレイン報国全土を覆い尽くす
ザック氏が供されたものもまさにそれで、スレイン報国の国家運営に関わらぬ弱者、愚者、無能は
これは、そもそものスレイン法国が、それそのものでは御座いませんが、<
敢えて<現実>との違いを挙げますと、<現実>のそれが共産主義を方便として掲げつつ、その実のところ旗振る支配者自身は資本主義的価値観で
では、これが実際にどう回っておったのか、といったあたりを、再びザック氏のその後を追うことで見て参ることと致しましょう。
同じ釜の飯を食った者たちの
(への53、今日の仕事です。そこにある果実を傷んでいるものとそうでないものに選別しなさい。)
やはり頭の中にそんな声が聴こえて参りまして、何処で見張られているものやらわかりませんから、ザック氏はとりあえず言われた通りに選別に取り掛かります。時折、外から人がやって来て未選別の果実が運び込まれ、選別済みの果実が運び出されますが、他には特に何の変化も起きません。
午前いっぱい、こちらの世界の者たちには計時の習慣はないので御座いますが、かの
(への53、今日の仕事は終わりです。)
と声がします。ザック氏は一旦は席を立とうとしますが、他五人がそうしないのに気づいて、まだ何かあるものか、と様子を伺っておりますと、
(この部屋の仕事が優れていたと思うときは白の、普通であったと思うときは灰の、劣っていたと思うときは黒の
と聴こえて参りまして、たしかに自身が作業しておった台には白、灰、黒の三色の
(への53、部屋に帰ってよろしい。)
引き続き要領を得ない思いを抱きつつ、ザック氏は小屋を出ます。入れ替わりに同じような集団が小屋に入って来るところを見ると、これは交代要員である模様。その後は何の声も聴こえてはこず、他にやることもないザック氏はとぼとぼと充てがわれた部屋に戻りました。
(への53、裏の赤い看板の食堂で夕食です。)
と聴こえてきたのは夕刻間近。言われた通りにそこへ向かいますと、やはりそこは不自然な急な斜面が入り口に設けられた食堂で、朝食のときと同じ具合に自身の木札の席に、やはり温かい食事が用意されており、加えてほろ酔える程度ながらも
形の上だけ、と「人の子に感謝報恩を捧げます」と唱えてこれを頂戴し、しばらくすると(部屋に帰ってよろしい)と聴こえてこれに従います。
(への53、就寝です。)
……あん?
ここではこれが続くのか!
しかし、ザック氏が驚くのはこれからなので御座います。
(への53、起床です。復唱なさい。今日も一日、人の子に感謝報恩を捧げます。)
翌朝も、起床と人の子への感謝報恩が告げられ素直にそれに従ったザック氏ですが、
(への53、向かいの黄色い看板の食堂で朝食です。)
と告げられて驚きます。てっきり昨日と同じところへ行け、と言われると思っていたのに。
言われた通りにやはり急な斜面を
よもや、とは思うが、飽きないように気遣われているものだろうか?
自由都市に暮らしていた時分には、日によって異なるものを口に出来るなど考えもしなかったが……
などと訝しく思っておりますと、
(への53、部屋に帰ってよろしい。)
との声。
え!仕事は?
入れ替わりに食事に入ってくる人々とすれ違いつつザック氏は困惑するのですが、まだ街の全容もわからぬ今は、ともかく頭に聴こえてくる声に従う他に為す
(への53、仕事です。建物を出て、歩いて来る一団に続きなさい。)
と聴こえてきたのは丁度お昼頃のことで御座いました。これにも従う他ないザック氏は慌てて通りへ出ますが、ややあって言われた通りにやはり数人の男女が歩いて参りますので、これについて参ります。
「あ、あんた。」
ザック氏は、勇気を振り絞って先をいく男に声をかけてみます。意外にも男は、普通に応じてくれました。
「ん、なんだい?」
ひとまず、目下最もの関心事を問うてみます。
「……何処に向かってるんだい?」
「あぁ、あなたは新入りさんだね?」
問われた男は手慣れた様子でそう言いました。
「一昨日来たばかりだ。」
「今日は畑で雑草取りだ、多分。」
これにもザック氏は驚かされます。日によって変わるのは、どうやら食事だけではなく仕事もそうであるらしい、と。しかも、昨日は午前いっぱいが仕事だったのに今日は午後に変わっている。これもおそらくは日によって変わるのに違いあるまい、とザック氏は考えます。
「お、おれは、ザック、ってんだが……あんたは?」
「……あぁ。それはここでは意味のないことだから。」
男との会話はそこで途切れてしまいました。
果たせるかな、一団は市壁を越えて小一時間歩いた農場に至り、そこで二時間少々草むしりをやった後に、やはり昨日同様の白、灰、黒の
自分があのままリ・エスティーゼに暮らしていれば、早晩飢えるか糊口を凌ぐべく何らかの危ない橋を渡らざるを得なかったのは確かであり、そのことを思えば、この、頭の中に聴こえてくる声に従ってさえおれば、朝夕の温かくしかも日によって異なる食事が午前か午後の労働だけで保証される暮らしは、夢の国、といえば、まさに夢の国ではあるけれども……これは本当に自分が望んだ夢の国、なのだろうか?
さりとて、故郷を捨てて一文無しのザック氏には他に行く当ても御座いませんですから、惰性でこのまま幾日かを過ごして参りますと、段々とものを考えること、それ自体が馬々鹿々しくなっても参ります。
食堂は十日ほどで一巡いたしましたが、供される食事は変わらず日によって異なり、どれも決して飛び抜けて美味しくはありませんがさりとて不味くもなく、むしろ、その日の仕事が肉体労働のときは食事の量が応じて増えていることにザック氏は既に気づいております。
仕事の方は、未だに一度たりとも同じことをしたことは御座いませんが、二日目に訪れた農場には収穫に出かける機会があり、このときは場所を告げられるだけで先行く一団に合流せよ、とは告げられませんでした。どうやら天の声……そう教えられたわけでは御座いませんが、自ずとザック氏は頭の中に聴こえてくるそれをこう名付けております……は、自身がこの街に慣れるに従ってそれに応じた指示を投げてくるようだ、ということにも思い至ります。
こうして、人の子に感謝報恩を捧げる日々を送る限り食うには困らないことは呑み込めたザック氏なのですが、ただただそうしておれば無能に相応しい平穏な人生を全う出来たものを、ある日、余計なことを思いつきます。
仕事が午前か午後かはその日になってみないとわからんのですが、午前に仕事をした日の午後に仕事がないことは既にわかっておりますので、午前の仕事を終えたザック氏は、その日の午後、夕食までの時間を街の探索に充てることを思い立ちます。
集合住宅を出た時点では天の声から、勝手に外出しないように、と咎められるのではないか、と心配したものですが、そういうものは御座いません。あちらこちらで仕事をした成果で街の概容は掴めておりますから、普段立ち入らないところを含め、いろいろと歩き回ることが叶いました。
ここにもいくつかの気づきが御座いました。
第一には、この街の目につくすべての住人が、慣れの程度の差こそあれ、自分と同じような暮らしをしていることであり、互いに会話を交わすことがほとんどないことです。もっともザック氏自身、そんなことを天の声に命じられたわけでもないのですが、たまたま通りすがった誰かと目が合いますと、無意識の内に、
「人の子に感謝報恩を。」
と口にしてしまいまして、相手もやはり笑顔で同じ言葉を返します。敵意は一切感じないものの、交歓や共感もまたそこには御座いません。
第二には、入市に際して「旅ですか、移住ですか?」と問われたことからも想定されるように、少なくない
驚いたことには、彼らは食事をしたり物品を手に入れたり宿に泊まるに際し、公金貨、銀貨を支払っております。ここまで食事に対価を求められないこと、仕事に賃金が支払われないことから、サック氏はスレイン報国ではそもそも
そして最も大きな気づきは、外からやって来た人間、亜人が、疑いなく
言うまでもなく、ザック氏自身は今や後者の部類、ということになりましょう。
(への53、赤い看板の食堂で夕食です。)
の声にハッと
そしてこのとき、結果的に自身の寿命を縮めることとなる気づきを得てしまったので御座います。
常に食堂に入った時点で温かい食事が用意されていたのは何故か。
それは、自分が充てがわれた部屋、または仕事場に居ることが前提されていて、そこから食堂までの所要時間は予測できるから、自分に対するそれと同じ手法で操られている食堂の給仕もまた、自分が席につく直前に温かい料理を供することが可能だからだ。
が、今日初めてその前提を崩した自分は、今こうして冷めた食事を食べている。
意味するところは……自分はまったく監視されてはいない、ということ。
天の声が命じたわけでもないのに外出した自身が、何の咎めも受けていないこともこれを裏付ける。
思えば、仕事が終わる都度投じることを求められる三色の
ザック氏は、自分がスレイン報国の秘密に気づいた、と北叟笑みます。
明けて翌日。
「今日も一日、人の子に感謝報恩を捧げます。」
いつものように食事を済ませ、その日に差配された仕事は外からやって来た旅人向けの宿の清掃で御座いました。ザック氏は、自身に充てがわれたそれよりは上等な
その翌日、また翌日も同様に過ごし、ついには差配された仕事場に出向く必要すらないことに気づきます。自身が欠員を出した仕事場では、これを不満に感じた同僚が少なからず
嗚呼、これこそがおれが求めていた夢の国だ!
こうなって参りますともう歯止めが効きません。
入国に際し取り上げられることがなかったのでそのまま忍ばせておりました
それでもいつも通り、食事は供されるので御座います。
嗚呼、人の子に感謝報恩を!
そんなことが三ヶ月も続いた頃で御座いましょうか。
(への53、青い看板の食堂で朝食です。)
の声にそこへ向かったザック氏は上機嫌に「今日の飯は何だい?」なんて軽口を
聡明な読者諸兄におかれては既にお気づきのこととは存じますが、ザック氏の大きな勘違いは、我がスレイン報国が個々人の行状の管理などという、労力ばかり要して見返りの少ない事業にはこれっぽっちも関心がなく、弱者、愚者、無能はすべて漏れなく
仕事を終えた最後の三色の
そして、これが白にせよ黒にせよ一定の閾値を越えた者については
この一連の手続きも半ば自動化されておるもので、そもそもザック氏が「天の声」と呼んだところの<
本人に何の過失もなく巻き込まれる者も多少はおりましょうが、
よく出来て……御座いましょう?
誤解のないように申し添えますれば、只今垣間見ていただいたこれはスレイン報国のほんの一部、弱者、愚者を取り回しておこなう生産活動の中でも最も下層の部類で御座いまして、もちろん、もっと人間的な営みもおこなわれておるので御座います。
たとえば、小生の名を冠しましたアレイン親衛隊であるとかアレイン報恩団などといったものをやっておる連中は、実のところザック氏と同じ境遇の者たちなのですが、ザック氏よりも少しだけまともな……否、考えようによってはより愚かなこの連中は、日に四時間しか差配されぬ仕事では
中にはそこから頭角を現して、より理知的な職責へ、自律的な思考へと至る者もないではないので御座いますが、そもそも国家運営に関わる国官の類は、移住に際しての技能の有無、幼少の時分の教育選別でより分けられておりますれば、市井で
これを非道、無情と評するは自由なれども、小生と致しましては、そのような御高説を述べる
少なくとも我が国においては、この枠組みの内部で従順におる限り……まぁ、国家体制と経済均衡維持のための間引きは常に必要なので御座いますが……職と衣食住と、子孫を残すことすら約されておるので御座いますから、これを非難される方々におかれましては、代案をお示しいただきたい、より清廉潔白な手法によってそれを実現して見せていただきたい、と、このように考えておる次第でして。
愉快……で御座いましょう?
もっとも。
仔細に差異こそ御座いましょうが本質的には似たような国に、何の疑問も抱かず、抗する声を上げるでもなくお暮らしの読者諸兄に、はたしてこれを
いや、失敬。これはいささか言葉が過ぎました、ご容赦くだされ。
諸兄の行く末に
*
以下、余談では御座いますが、至高の御方、
小生の思いますところ、この問い自体が本質的に誤っておりまして、そもそも「生まれ変わり」とは何であるのか、何が満たされていればそれは生まれ変わりであり、何がそうでなければそうでないのか、が定義不可能である以上、これは論じる意味のない問いなので御座いますなぁ、身も蓋もない話では御座いますが。
そのような意味において、恐れ多いことでは御座いますが、至高の御方も父ナモンも浅はかなことを小生に問うておられる、と申し上げざるを得ないので御座います。
さりとて。
これで終わっては単なる詭弁……ウルベルト・アレイン・オードル様がお得意だったそうで御座いますなぁ……で終わってしまって興に欠けますので、少し異なる角度から論じてみたい、などと思っておるので御座いますが。
<
仏典は学ぶものではなく、思い出すものである。
とか何とか。
これは背景に輪廻転生観……皆様もご承知かとは思いますが、これは本来仏教に由来するものでは御座いません……を前提としておりまして、仏教者は前世、今世、来世に渡って仏道を行じておるのに違いないのであるから、今、目前に文献として存在する仏典を学ぶ、ということは誤った認識であり、仏典に縁すれば前世に学んだことが思い出されるのだ、といった意味合いになっておるので御座います。
無論、この言説にまったく真理性など御座いませんで、より厳密に申し上げるならばこれは立証、反証ともに不可能な命題にて御座いますれば、ただの言葉、に
されど。
本稿冒頭にて述べましたユグドラシルにおける<
一方で、小生は述べましたるところの<運営>の意図であるとか、プレイヤーの心理であるとか、共産主義が破綻するのは何故か、その他諸々につきまして、すべて疑う余地なく真理であると確信しておるので御座いまして、これを先の宗教家の言と合わせて鑑みまするに、これらを小生が
もっとも、読者諸兄がおそらくそうであられるように、聡明慧眼なウルベルト・アレイン・オードル様なれば、儚くも馬々鹿々しい生者の世界に今一度生まれ出たい、と願われたとは到底思えはしないので御座いますが。
それでは皆様、云千云百年先にいずれまた。
完
<次話予告>
「そもそも
億劫のオーバーロード余9話『クレマンティーヌの憂鬱』
「あんた……キーノちゃんのことが好きなの?」
「いったい何を聞いてたんだ?オレには情愛や憎悪が欠落していた、と言った端はなからそれとは!」