億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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()()()()()なあの人の掘り下げ回。助言を与えるかの人と結果彼女が至る自己認識に、心暖かく、追って背筋冷たくなっていただければ勿怪の幸い。


余9話 転移歴368年 クレマンティーヌの憂鬱
クレマンティーヌの憂鬱


(あね)サン……(あね)サン!」

 

と声を掛けられて、はっ、とクレマンティーヌは(われ)に返った。

 

「ドウシタイ?ボーットシテ、ラシクモナイ!」

 

 そう言いながらガハハハ、と笑うのは、訓練(トレーニング)に付き合ってくれている村の人食い鬼(オーガ)たちだった。

 

「……いやー、ちょっとねー。」

 

とクレマンティーヌは気のない返事を返す。

 

 真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)キーノ・インベルンの直系の眷属に迎え入れられて三十年。

 

「夜半の吸血鬼の力に頼る癖がつくのはよくない。」

 

と勧めるキーノに従って、敢えて全力の出せない日中に、村の人食い鬼(オーガ)妖巨人(トロール)に相手をしてもらい、キーノ達の足手まといにならない程度の力を身につけるべく鍛錬の日々を過ごしてきた。

 際しては、キーノの予備を譲られた、日中の日差しが彼女たちに与える悪影響を最小限に(とど)める魔力を秘めた薄茶色(ベージュ)頭巾(フード)付き外套(ローブ)を身に纏っている。

 

 真祖吸血鬼は吸血を介して眷属を迎えるに当たり、どの程度まで自身の力を分け与えるか融通が効くのだそうで、キーノに真に永遠の旅の(とも)であれと願って迎えられたクレマンティーヌは、破格の貴族吸血鬼(ヴァンパイアロード)として不死者(アンデッド)の道を歩み始めることとなったが、そこに至るまでの紆余曲折(鯖折りコンボ)があったがために、決してそこからの道のりは平坦ではなかった。

 

 かつて漆黒聖典第九席次であった時分に誇った武技の数々は、一切発揮することが叶わなかった。どうやら不死者化は人間として身につけた各種の能力を一旦解消(リセット)してしまうものであるらしい。

 一方で、クレマンティーヌ自身はそのことは問題視はしていなかった。鍛錬を重ねるにつれ回復、どころか人間であった頃のそれを遥かに超えて発揮されるようになった(パワー)速さ(スピード)は、もはや彼女に<流水加速>や<不落要塞>などを用いる必要性を感じさせなかったからだ。むしろ常に<能力超向上>状態なのであって、普段はそれを抑え気味に用い、いざというときに全解放するメリハリを学ぶことの方が彼女にとっては至難であった、とすら言えよう。

 

 かくして、既にかつての絶頂期のそれを上回る力を手に入れたクレマンティーヌではあるが、最近になって、自分でもそれが何であるのかはっきりとはしないものの、そこはかとなく不安に感じていることがある。

 

 途中、ちょいちょいおかしな()()があるため、キーノに眷属に迎え入れられた時点で既に彼女は自身の年齢というものを顧慮することをやめてしまっていたが、遡ること四百年近く前にこの世に生を享けた自分ではあるが、もし、普通に生きてきていたとすれば、主観的に費やした時間は六十年を軽く越え、本来であればそろそろ己の寿命を意識し始めていておかしくない時分だ。

 対して今の自身の肉体は人間基準に考えれば三十歳少し手前、もっとも脂の乗り切った世代のそれで、元より漆黒聖典で鍛え上げられた加算がある。実際、村の少なからぬ人間や小鬼(ゴブリン)森妖精(エルフ)の男たちが少なからず自身の色香に迷っていることにクレマンティーヌは気づいていたし、相手をするつもりは毛頭ないもののそのことに悪い気はしていなかった。

 

 が、本来であれば自身の死について真面目に考え始めるであろう時期を迎えたことで、改めて彼女は、自分が不死者、吸血鬼になってしまったことの意味を、存外深く考え込んでしまっていることを認めざるを得なかった。

 

 そもそも。

 

 相手が人間であれ亜人であれ、自分が忌まわしい殺人狂であったことに自覚はある。

 自分は従うべき(あるじ)キーノ・インベルンの眷属であり、主の望まぬことは決してしない、との思いが常にあることはわかっているので、その結果そうした衝動が抑制されているものか、とも思うが、それにしても、以前の自分であれば、今もそうだが人食い鬼(オーガ)たちから「(あね)サン」と呼び慕われ、自分もそれににこやかに笑顔を返すなどという状況は想像もできなかったことだ。

 

 自身の記憶は、物心(ものごころ)ついた時分から、ほとんど虐待塗れだった六色聖典の下積み時代、頭角を現して漆黒聖典に席次を得た全盛期、嫌気が差しての出奔、骸骨野郎(アインズ)との邂逅、鯖折りコンボ、キーノ・インベルンとの出会い、そして再会、と一直線(リニア)に繋がっていて、自分はずっと昔から今も変わらずクレマンティーヌである、と彼女は考えている。

 

 だが、自分は変わった。何処かで決定的に変わってしまった。

 でなければ、今目前にあって声を掛けてきた人食い鬼(オーガ)、昔であればそれが固有の名を有することすら考えもしなかった彼に対し、ベルグソンは強面(こわもて)の割には存外優しいところがあるよなー、などと微笑ましく思っていることなどないはずだ。

 

「ドコカ具合デモ悪イノカイ、(あね)サン?」

 

 引き続きクレマンティーヌの顔を心配そうに覗き込むベルグソンに、クレマンティーヌは「ありがとね、大丈夫だから」とその頬に軽く口づけした。

 対してベルグソンは、やや頬を赤らめながらこう応じた。

 

「オレハ難シイコトハヨクワカランケド、何カ悩ミガアルナラ()()ニ相談シテミルノガイインジャネーカ?」

 

「……先生?」

 

「アア、先生モ不死者(アンデッド)ダシ。」

 

 

                    *

 

 

 クレマンティーヌが、ベルグソンの言うところの先生、の訪問に意を決するまでさらに三日を要した。

 

 目下、(あるじ)キーノ・インベルンと、共に行動する愛嬌こそあるがその実何だかよくわからない双子忍者クゥイア、クゥイナは、村の外からもたらされた急報……おそらく以前に縁があった町か村が何らかの魔物(モンスター)に襲われ救援を請われたのだろう、とクレマンティーヌは考えている……を受けて出掛けたっきりでしばらく音沙汰がない。

 

「私が不在の間、くれぐれも村のみんなに迷惑をかけたりはしてくれるなよ。」

 

との言葉を残してキーノは旅立って行ったが、そんなことは言われるまでもないことだ。

 

 一方で、今思えば、これを、言われるまでもないことだ、と考えた自身への疑問が、そもそもの発端なのではないか、とクレマンティーヌは考えてもいる。

 人外、英雄の領域に片足を掛けたクレマンティーヌ様は、誰彼憚ることなく襲い、(なぶ)り、殺し、奪う者ではなかったか。骸骨野郎の鯖折りコンボの後、弱った身体(からだ)がその実行を不可能にしたが、それでもいつか回復の暁には再びそうしたいものだ、と自分は考えていたはずだ。

 そんな自分が、キーノ不在の間に村人に迷惑をかけるななんて、言われなくてもそんなことするはずねーだろ!と考えているのは……何故なんだ?

 

 これは、ある種の自我同一性(アイデンティティ)問題、ということになるだろうか。

 

 誰かに相談事をする、というかつての自分らしからぬ行為が人目につくのを憚って、クレマンティーヌは日が暮れるのを待ってベルグソンに教えられた小屋を訪ねてみた。既に小屋の(ぬし)は外に出て自身が歩いてくるのを待ち受けている様子だ。

 ある程度の力を有した不死者は、不死者の気配を敏感に察知することができる。あちらは自分が近づいてくるのに気づいて出迎えてくれたのだろうか。それにしては彼女は彼の気配を察知できなかったのだが。

 その姿は、クレマンティーヌにとっては嫌なことを思い出させる骸骨姿の魔法詠唱者(マジックキャスター)。さりとて否応なく漏れ伝わってくる強さは、自身のそれをやや上回るものの、主キーノ・インベルンには及ぶものではない。

 

 不死の大魔法使い(エルダーリッチ)か?

 

 対する骸骨は、

 

「キーノ小母(おば)さんの眷属だな、話は聞いている。」

 

と、やおら両腕を開いてクレマンティーヌを抱きしめ(ハグし)ようとしたので、

 

「な、何っ!」

 

と、ドン引き気味に表情をひきつらせたクレマンティーヌはぴょいと引き退()いた。

 

「……え?」

 

 一方の骸骨、ド・クロサマー王国の()(びと)の一人にして村の教師役でもあるデイバーノックは、彼女のこの反応にいささか当惑気味だ。

 キーノ・インベルンには何かと恩義もあるし、その眷属に形ばかりの親近の情を示すつもりの振る舞いだったのに……そもそも彼は、不死者である自身の接触が生者に大なり小なり悪影響を与えることを憚って、よほどの強者(つわもの)でない限りはその身体(からだ)に触れてしまうことがないようかなり日々気遣って過ごしている。相手が不死者だからそこに気遣う必要はあるまい、と考えたものだが、キーノの眷属が村の人間、亜人の男たちと和気藹々やっていることは聞き及んでいて、これは大人の女だ、と理解していたのにキーノ同様に存外初心(うぶ)なのだろうか……などと見当違いのことを考えているのは、クレマンティーヌの知ったことではない。

 

「……ゴホンッ。

 まぁ、なんだ。よく訪ねてくれた。何もないが入ってくれ。」

 

 勧められるがままにクレマンティーヌはデイバーノックの小屋の中に入った。不死者が住まっているわりには綺麗に片付いていて、唯一例外なのは机の上に大量の紙束が無造作に積み上げられていることだ。室内は香の薫りが漂っていて、不思議とそれは彼女の心に落ち着きを与えた。

 

「おおよそ、おまえの考えていることは察しがつく。」

 

 デイバーノックはクレマンティーヌに席を勧めながらそう切り出した。

 

「……どゆこと?」

 

 来訪の目的すら告げぬうちにそう言われて、クレマンティーヌは首を傾げたが、

 

「ある程度の自我を保って不死者となったものは、人間であったならばそろそろ寿命か、という時期になれば何やかやと悩みだすものだ。違うか?」

 

 いきなり真を射られて、いささか居心地が悪い。

 

「話の順序がおかしかったか?

 オレはデイバーノック、見ての通りの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、第五位階に達した三重魔法詠唱者(トライアッド)だ。聞いているとは思うが、無駄な長生きを買われて村では教師の真似事をやっている。

 おまえは?」

 

「……クレマンティーヌ。」

 

 クレマンティーヌは、どうにも自分がこの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に手玉に取られている感があって苛立たしいのだが、通しで七十年弱の生涯しか歩んでいない自分と、云百年は既に過ごしていよう目前の不死者にそういう格の違いが生じるのは致し方ないことか、とも思う。

 対してデイバーノックは、骨の指を自身の顎に当てて呻吟することしばし。

 

「昔に聞いた名だな。法国にいたか?」

 

 隠すことでもあるまい、とクレマンティーヌは頷いた。

 

「三百七十年ほど前の漆黒聖典に、そんな名の殺人狂がいたな。おまえか?」

 

 ケッ、知ってやがんのかよ、と内心クレマンティーヌは毒づく。

 そんな彼女の反応はデイバーノックにはお見通しだ。

 

「ならばより悩みも深かろう。」

 

「……はっ?」

 

 クレマンティーヌには、どうにもデイバーノックの話の進め方が、合間、合間の理路を欠いていて俄についていき難い。その辺りもデイバーノックには見透かされているようで、改めて仔細が説明される。

 

「オレは吸血鬼(ヴァンパイア)のことは詳しくは知らんから的外れのところがあるやも知れん。

 が、過去にはオレも含め少なからず禁呪を以て己を不死者化せんと図った者たちがいる。そいつらは、皆、不死者化すると同時に生者への情愛を一切失った。」

 

 ……そりゃ、そうだろう。とクレマンティーヌは思う。

 

 言われてみれば、母親を復活させる(すべ)を見つけるために不死者化するのだ、などと青臭い餓鬼っぽいことを顔にも似合わず意気揚々に語ったズーラーノーンのカジット・バダンテール(カジッちゃん)は、儀式魔法<死の螺旋(モータル・スパイラル)>が成就した途端に「お母さん、お母さん」と喚きながら手当たり次第に周囲の生者を殺し始めた。面白いけど付き合いきれねー、と思っていち早く遁走(とんずら)させてもらったものだが、あれもそう……だったのだろうか?

 

「情愛と憎悪は表裏一体、情に厚い者ほど憎も深い。一方を失えば天秤は一気に傾く。道理だろ?

 だから、不死者化を成し遂げた者の多くは、何を企図してそれを為したかとは無関係に、ただただ生者を屠る化け物に落ちぶれて、遠からず討伐されたものだ。」

 

 どうにもクレマンティーヌには、デイバーノックの言わんとするところがよくわからない。

 

「おまえが、オレが噂に聞いた漆黒聖典のクレマンティーヌなのだとしたら、おまえには天秤の片方が(はな)から欠けていたことになるわな。」

 

「な!」

 

 歯に衣着せぬ物言いで人格の欠落を指摘され俄に気色ばむクレマンティーヌだが、デイバーノックにはそれを気にする様子もない。

 

「まぁ、そういきりたつな。別におまえを軽んじて言っているわけじゃない。」

 

と宥めてこう続ける。

 

「かく言うオレもそうだった。曲がりなりにも整合した自我を保って不死者化するには、情愛、憎悪、が限りなく平板(フラット)であることが必要であるらしい。言っているオレも、最近になって漸く思い至ったことではあるんだが。」

 

 クレマンティーヌの目が、驚きの余り真ん丸に見開(みひら)かれた。

 一方のデイバーノックは、

 

「意外だったか?

 それともおまえは、当時リ・エスティーゼ王国の裏社会にいたオレの耳に届くほどの快楽殺人者の悪名を馳せておきながら、自分は情愛に深い人間だった、とでも思っているのか?

 であれば、オレの言っていることは的外れで、キーノ小母(おば)さんの並外れた力がおまえの自我の維持をもたらした、のかも知れんな。」

 

と事も無げに言う。

 

 これを聞いて、クレマンティーヌには確かに思い当たるところがあった。

 漆黒聖典の席次を得るまでの道程は筆舌に尽くし難いもので、他の連中がどうであったかは知ったことではないが、少なくとも彼女は、自分自身を含めこの世にあるすべての生きとし生けるものは所詮はいずれ腐って塵となる肉の塊に過ぎない、と心の底から割り切ることで正気と狂気を均衡(バランス)していたのだから。

 殺人を楽しんでいなかったわけでは決してないが、強いて殺したかったわけでもない。どうせいつか死ぬのだから、今殺してやったからとて何が違う、と思っていただけだ。

 

「不死者は本能的に生者を屠ることを望む。だが、その動因となっているのは生者であった時分の情愛の裏返しの憎悪だ。これを欠くと、生者を屠ることを望みながら、それが億劫(おっくう)になる。どうせ(ほう)っておけば(みな)死ぬのに、どうしてオレが手間を掛けてこいつを殺す必要があるんだ?とな。おまえもきっとそうだろう。」

 

 見透かされていることに不愉快さを覚えつつも、まさに今の自分が感じている違和感がそれであるので、クレマンティーヌは黙ったまま頷いた。

 

「そして、もし自分が人間であったならばそろそろ死ぬんじゃないか、という時分になって、はたと考えさせられるわけだ。何もしなくとも(みな)死ぬ、自分を置いて。では、置いていかれる自分は何なんだ、と。まぁ、そんなところだろう?」

 

「あんたも……デイバーノックもそうだったの?」

 

 不意にデイバーノックは遠くをみつめるような仕草を見せる。

 もっとも、既にその眼球は失われて存在しないので、どこを見ているのかはわからない。

 

「さぁ、どうだかな。自慢にもならないが、オレは本当に魔導の探求がすべてだったから、そういうことにすら思いを馳せなかった、というのが正直なところだ。この村に暮らすようになって、漸くその辺りのことがわかってきた。遅れてやって来た思春期、とでも言うべきか。」

 

 この骸骨らしからぬ物言いに、思わずクレマンティーヌは、ふふふ、と笑いをこぼし、慌ててそれを隠した。

 

「おまえが存外人間らしい思考を維持しているのは、キーノ小母(おば)さんの力が突き抜けているからだ、とは思う。アレは、オレが言うのも可笑(おか)しいが正真正銘の化け物だ。何がきっかけかなのかは正直なところ知らんし知る(すべ)もないが、自ら真祖吸血鬼化した不死者は破格だからな。本人には言うなよ、オレもあいつの馬鹿げた雷撃を受けたくはないからな。」

 

 最早笑いは隠しようもない。

 

「だが。」

 

と、やおら真面目な口調に戻るデイバーノック。

 

「それが人としてあるべきものであったかはともかく、人間としての成熟した自我を得た後に不死者に至ったオレやおまえとは違って、キーノ・インベルンは容姿にも現れている通り、自我を成熟させる以前に不死者化した特殊な事例(ケース)ではある。

 あいつは、疑いなく強者ではあるが、存外脆いところがある。余計なお節介かとは思うが、おまえが支えてやってくれ。」

 

 ぽかん、とクレマンティーヌの口が(ひら)く。

 

「あんた……キーノちゃんのことが好きなの?」

 

 今度はデイバーノックの口がぽかん、と(ひら)いた。

 

「いったい何を聞いてたんだ?オレには情愛や憎悪が欠落していた、と言った(はな)からそれとは!

 ……キーノ小母(おば)さんには以前に大きな借りがあってな。だが本人はあんな感じだから借りを返そうにも素直に受け取ってはくれない。だから、余計なお節介は承知の上で、今おまえにこういう話をした……とまぁ、そういうわけだ。わかったか?」

 

 なるほど、とクレマンティーヌは北叟笑む。

 

「不死は、端的に言えば能力、ではなく呪いだ。」

 

とデイバーノック。

 クレマンティーヌは、キーノも以前にそう言っていたことを思い出して頷く。

 

「この呪いの厄介なところは、生者の時分はその呪いの呪いたる所以(ゆえん)がわからないことだ。呪われてみて初めて、これが呪いであることがわかり、そして呪われてしまってからはどうしようもない(たぐい)の呪いだ。わかるか?」

 

「あぁ……わかるよ。」

 

「オレたちには滅びたいときに滅びる自由がある。おまえもそこは好きにすればいいが、今しばらく呪われた我が身を享受するのであれば、呪われたがゆえに為せることに意を注ぐことだ。それが出来る(あいだ)は決して虚無には陥るまい。そして、それが何であるかは、おまえには言わずもがなだろうよ。」

 

 ここに至ってクレマンティーヌは、決して完全に解決したわけでもないとは思うが、自身がもやもやと心の内に抱えていたものが一気に軽くなるのを感じた。誰かにこうして相談する、というのも悪くないものだな、と思う。

 

「今日は、あんがとね。この借りはそのうち返すわ。」

 

とクレマンティーヌは立ち上がる。

 

「ややこしいことを言ってくれるな。キーノ小母(おば)さんへの借りを返したのはこちらの方だ。」

 

 クレマンティーヌを送り出そうとしたものか、デイバーノックも立ち上がったが、その漆黒の道服(ローブ)を纏った骨の身体(からだ)が、クレマンティーヌの柔らかい肉体の抱擁(ハグ)に包まれた。

 

「あんた、いいやつだな。」

 

 静かにデイバーノックもクレマンティーヌの腰にまで骨の腕を伸ばして抱き返す。

 クレマンティーヌはもはや恐怖を感じることがなかった。

 

「村の連中からもそう思われているのが目下最大の悩みだ。あいつらは、いくらなんでも不死者に対する警戒感がなさ過ぎる。」

 

「……くくっ。だよねー!」

 

 二人はしばし、はははっ、と笑いながらその場でくるくると回った。

 

 

                    *

 

 

 クレマンティーヌは深夜のトブの大森林の中を一人駆けている。

 

 吸血鬼化した直後は、これを試みようものならあっという間に何処ぞの幹に顔面から突っ込んでいたものだが、今やそんなことはまったくない。それ自身が意思を持った矢であるかの如く、自在に木々の間の僅かな隙間を縫うように飛び回る事ができる。

 休息や睡眠を必要としない彼女は、夜半はこうやって過ごすことが多い。そもそも鍛え上げられた身体(からだ)を操ることは彼女にとっての喜びであったし、無心に夜の森を駆けている間は頭が澄み渡って考え事が捗る、というのもある。

 

 デイバーノックとの対話で得られた示唆は、彼女にとって非常に価値あるものとなった。

 

 何故、あれほど人殺しを楽しんだ自分が今ではそんなことをしようとも思わないのか?

 それは、彼女にとって最早そんなことは何の意味もないからだ。

 

 そんな自分が不死者として存在し続ける理由は何か?

 それは、強大なれども危うげな(いとお)しい(あるじ)、キーノ・インベルンを支えていくためだ。

 

 わかってしまった今となっては、どうしてこんな当たり前のことに自分は思い至らなかったのだろう、と疑問にすら思うが、吸血鬼化は人間であった時分に比べて破格の力を彼女にもたらしはしたが、頭の回転が以前と変わったようには思えないので、それは考えても仕方のないことだ。

 

 その一方で。

 

 決してこれは悩み、といった(たぐい)のものではないが、生得の才能だけでは決して辿り着けない漆黒聖典の席次まで得た、存外勤勉で思弁家でもある彼女ならではの好奇心が訴える問いがある。

 

 改めて、彼女はここまでに至る自身の記憶を遡ってみる。

 物心(ものごころ)ついた時分、六色聖典の一員たらんと一足早く修養に入っていた兄の後を追ったこと。拷問に近いそれを通り抜けた頃には兄も含めてすべてがどうでもよくなっていたこと。漆黒聖典に席次を得た後も、その頂点にどうやっても抗えようもない化け物(番外席次)が存在することに気づいてその地位すらどうでもよくなったこと。面白半分に法国の至宝を盗み出し秘密結社ズーラーノーンに助力したこと。やはり面白半分に聖王国の気狂(きちが)い女騎士団長に助力して骸骨野郎に殺されたこと。その骸骨野郎に現世に呼び戻され鯖折り三連発を喰らったこと。言葉を教えてくれ、とおかしなことを頼みにきたキーノ・インベルンとの出会い。もう一度同じことを骸骨野郎にされたこと。キーノちゃんとの再会、そして眷属への迎え入れ……。

 

 淀みなく思い出せるけど……これ、何処(どこ)に記憶されてるんだ?

 

 漆黒聖典に至る修養過程で一通りの医学知識は教授されていたが、それは作戦中に負った怪我の応急措置に関するもので、クレマンティーヌの人体に関する理解は復習を兼ねた人体解剖で得たものだ。

 腕を切り落としても、足を切り落としても、目玉をくり抜いても、耳鼻を削ぎ落としても、肚を(ひら)いて一つずつ臓物を取り出しても、中途で絶命する者はいたが、思考や記憶を失う者はいなかった。だが、頭に穴を穿ってそこにあるぶよぶよとした柔らかい脳を傷つけると、たちまちにそいつは口が利かなくなってやがて死んだ。

 これらの人体実験からクレマンティーヌは、脳に人間の思考や記憶が局在するのは間違いない、と考えている。

 

 ひっそりと静まり返った夜の森に立ち止まったクレマンティーヌは、周囲に獣も含め何者(なにもの)の気配もないことを確認した上で、得物の刺突剣(スティレット)を抜き、おもむろに自身の頭に突き立て、ぐるぐると中身をかき混ぜ……

 

 あへ

 

 うひ

 

 ほにゃ

 

 …………

 

 うへー、気持ち悪い(わりー)。やるんじゃなかった。

 

 貴族吸血鬼(ヴァンパイアロード)の力はたちまちに自ら傷つけた肉体を修復した。自分が白木の杭で心臓を貫かれるか、首を斬り落とされるか、日光に焼き尽くされるかしない限りは決して滅びない存在である自覚が既に彼女にはある。

 

 さきほど自身を実験台にしておこなった実験に際し、その瞬間クレマンティーヌは思考を失ったし、自分が何処の誰かもわからなくなっていた。

 その体験は、十代の半ばだった時分に訓練名目で麻薬、ライラの粉末を過剰摂取(オーバードーズ)させられたときの感覚を思い起こさせる。これを自身に強いた当時の教官たちは、身動きできないクレマンティーヌにいろいろと好き勝手してくれたものだが、漆黒聖典に席次を得た後、全員いびり殺してやったものだ。何なら彼女の解剖学的知識は、彼ら……だけでもないが……の()()的な協力によるものであるところが大である。途中で番外席次が()めに割り込まなかったら、クレマンティーヌは法国の教官という教官をすべて(なぶ)り殺していたことだろう。

 

 とまれ、これが思い出せる、ということは、肉体の回復に伴い記憶もまた元通りになったことを意味するが、ここがクレマンティーヌの好奇心をくすぐるところになる。

 

 脳が壊れた状態の自分は、思考ができず記憶も辿れなかった。構造の回復に伴い思考と記憶が回復するということは、思考と記憶は脳の構造に依存しているのだろう、と考えることができる。

 では、これを再構築してみせた吸血鬼(ヴァンパイア)の力は、いったい何を青写真にこれをおこなったのだろう。脳の構造自体にはあるべき雛形があるのかも知れない。腐り具合を見てやろうと悉く切り(ひら)いた教官達の頭の中身は、見た目上はまったく個性がなかった。人間として共通のあるべき姿へ回復する、というのはわからないでもない。吸血鬼(ヴァンパイア)でなくとも、切り傷は適切に保護すれば元に戻るのだから。

 が、クレマンティーヌの記憶は彼女に固有のもので、脳がその記憶の記録装置なのだとすれば、これを無作為に破壊すれば、修復に際して参照(リファレンス)すべき鋳型は彼女の記憶そのもの以外にはないはずだ。だが、吸血鬼(ヴァンパイア)の力は造作もなくこれをやってのける。

 

 それを言えば、これまた彼女固有の事情になるが、少なくとも過去二回、自分の肉体が完全に失われたに違いないことを彼女は理解している。

 骸骨野郎の即死魔法を喰らってから驚天動地の復活魔法で呼び戻されるまで、百年の時間が経過している。よもやその間彼女の遺体を無傷に保管した者など居ようはずもないから、父母から直接に生を受けた原初(オリジナル)のクレマンティーヌの脳を含む肉体は、アベリオン丘陵で良くて朽ち果てたか悪ければ獣の餌になったはずだ。

 キーノの話を素直に信じれば、あの骸骨野郎はとてつもない異世界からやって来た想像の埒外の化け物で、振るう位階魔法も桁違いだと言うから、無からクレマンティーヌを再構築することもできるのだろう。三十手前(アラサー)、女、鍛え上げられた戦士、おかっぱ頭(ボブヘアー)といった属性は、彼女固有のものではあるが、共通の特性を有する者は少なからずいるだろうから、復活の位階魔法は、そういった標準的な情報への接触(アクセス)手段があれば容易にそれを成し遂げるのだ、といったところは、納得するしないは別にして、無理のない仮説ではある。

 が、生まれてからアベリオン丘陵での即死までの記憶を、無から再生されたクレマンティーヌが引き継いでいることには一考の余地がある。それは何処かに保存されていたのでなければ、再構築できたはずがないからだ。

 

 もちろん、そういった無理を排する別の仮説を考えることはできる。

 

 今のクレマンティーヌが、にもかかわらず自分の記憶は継続している、と考えているのは、まさに自分の記憶だと考えているそれと実際の記憶が一致するからだが、よくよく考えてみればこれは同じものが同じだ、と言っているだけのことで、何の証明にもなっていない同語反復(トートロジー)だ。

 今の自分は、そのように感じるよう意図的に設計(デザイン)された泥人形だ、と考えても矛盾はない。骸骨野郎の百年越しの復活で元通りになったと思っている自身の容姿肉体も、それが百年前のそれと同じだと感じるのは記憶に依存しており、記憶の(ほう)に今ある肉体を昔からそうだと感じる改変が加わっている可能性は否定できないし、そもそも最初の復活の百年前に漆黒聖典第九席次疾風走破クレマンティーヌが存在したことすら、それを知る誰もが(とう)の昔に死に絶え、唯一生存している番外席次絶死絶命に真偽確認を求めるなど狂気の沙汰だから、やはり証明のしようもない話だ。

 つまるところ、先程来振り返り続ける記憶の最終端である今現在に疑いなく存在するクレマンティーヌ、という枠組み自体が、まったく自然にそうであると信じることができるにもかかわらず、実は存外真偽が怪しげな前提なのだ。

 

 そもそも不死者(アンデッド)、とはいったい何なんだ?

 

 キーノに対する借りを返すのだ、と言って随分な広長舌を披露してくれたデイバーノックは、本人も言っていた通り無駄な長生きの甲斐あってかなかなかに聡明で蓄えている知識も幅広い。が、どう見てもあいつの骸骨頭の中に脳があるようには思えなかった。では、あいつの無駄知識はどこに蓄えられているんだ?

 自分を酷い目に合わせてくれたあの骸骨野郎とて脳がある気配はなかった。あれは随分とおかしな存在だし、キーノもそんな感じに言っているから、人骨の見た目に意味などはなく、そもそもこの世界に生じた時点から脳なんかとは縁がない存在であるのかも知れない。一方でデイバーノックは、本人の言を素直に信じる限りはクレマンティーヌ同様に元は人間だったはずだ。

 クレマンティーヌは脳を壊すと一時的に思考も記憶も正しく機能しなくなるが、デイバーノックには壊す脳がない。にもかかわらずデイバーノックは自分と同程度かより明晰な知性を備えているように見えた。これをどう解釈すればよいのか?

 

 当の本人に問うてみるのも一興か、とは思うが、クレマンティーヌは極短い対話の機会ではあったがデイバーノックを典型的な不可知論者だ、と考えている。

 あいつは一連の会話の中でも自分がわからないことについては包み隠さずわからない、と言ってまったく悪びれなかった。論理的に説明がつくことは事細かに分析してみせるが、その範疇を超えることについて、アレは「それはそういうものだ」で済ませる、と言うか、立証反証不可能命題を考えるのは時間の無駄、と思っている(くち)だろう、時間を惜しむ必要のない身の上なのに、だ。

 だから、いくら博識なデイバーノックといえども、おそらくこの問いには答えられはしまい。むしろ、そんなことにかかずらう理由はまったくない、と理路整然にお説教されるのが関の山だろう。キーノ……にこれを問うのは、それこそ時間の無駄だ。

 

 スレイン法国に生を()けたクレマンティーヌは、基本的には唯物論者だ。霊魂や魂魄といった観念は、彼女からすると説明のための説明に聞こえて説得力がない。

 だが、自身の肉体消失と復活と不死者化、デイバーノックの有り様から類推すると、生者、不死者を含め、この世の知性ある存在は、物理的肉体と、記憶や思考の癖などを(とど)めた霊魂的な何か、の二要素から成っている、と考えた(ほう)がしっくりくるのは事実だ。

 その一方で、クレマンティーヌ自身の自覚としては、肉体を失っていた期間の記憶は一切ない。自身の魂魄はその間、何処(どこ)にあって何を考えていたのだろう。否、デイバーノックたち骸骨(スケルトン)系不死者に対して殴打攻撃が有効、とされるのは、まさに彼らが魂魄が活動するための物理実体なしには存在し得ないことを示唆している。魂魄それそのものは静的、あるいは非活性なもので、それが思考したり行動したりするには、それが一般的な物質から構成された肉体であれ、幽霊(ゴースト)に見られる幽体(アストラルボディ)であれ、何らかの器が必要であるのかも知れない。

 両者が生者としての誕生から今日(こんにち)に至るまで、常に不可分であったと考えられるキーノやデイバーノックに対し、クレマンティーヌは自身の履歴に()()があることを自覚している。やはり問いは、わたしがわたしであるためのそれ……最早クレマンティーヌはこれを霊魂と呼ぼうが魂魄と呼ぼうが、そこにこだわりはなかった……は、わたしの肉体が存在しない(あいだ)何処(どこ)にあったのだろうか、否、今この瞬間もそれは、何処にあるのだろうか、へ帰ってきてしまう。

 

 そもそもこの、何処(どこ)、という問い自体も怪しげだ。

 自分が最初に死んだのがアベリオン丘陵だったのはわかっている。最初に復活させられた玄室の所在はわからないが、鯖折りコンボの後に城塞都市リ・エスティーゼ近くへ打ち捨てられたのは確かだ。二度目の死はリ・ボウロロールの近郊だったが、復活させられたのは見たこともない恐ろしく調度の整った部屋で、<転移門(ゲート)>を(くぐ)った(のち)にエ・ランテルの北に放置された。

 死と復活の場所はまったく無作為かつ恣意的なもので、死に際して肉体と分断された霊魂がその場に(とど)まるであるとか、復活に際して魂魄を何処(いずこ)からか探し出す必要がある、といった仮説とは整合しない。

 むしろ、既に今の自分は必要としなくなってしまったが、かつては一時(いっとき)も休むことなく呼吸せねばならなかった空気同様に、目には見えず手に触れることも出来ないが、それでも普く空間に偏在している、し続けている、と考えた方が納得がいく。

 

 仮にそうだとすると、今自分はトブの大森林の中にぽつんと一人佇んでいるが、実はこの周囲にも太古の昔から生まれては死に、生まれては死にしてきた多数の魂魄が漂っていて、骸骨野郎の弄ぶような、破格ではあるが適切な手段さえ講じれば、自分がそうされたように再構築することが叶うのだろうか。

 

 だとすると自分は……かつて無為に殺しに殺しまくった人々の魂魄に囲まれて、今、此処に立ち尽くしているのだろうか。

 

 嗚呼、図らずも自分はエラいところへ踏み込んでしまった、と改めてクレマンティーヌは思う。

 

 愛しい(あるじ)キーノ・インベルンも、デイバーノックも、不死者であることは呪いだ、と言った。当初クレマンティーヌは、まぁ、そういう考え方もできるでしょうよ、くらいの受け止め方をしていたが、今は違う。確かにこれは呪いだ。

 

 デイバーノックは、強大ではあるが特殊な出自ゆえに脆いところがなくもないキーノを支えてやれ、それを続ける限り正気を失うことはない、と言った。そんなことは言われるまでもなくそうするつもりだったことで、それは最早自分の唯一の存在理由だ。そこには一切の疑いも迷いもなく、むしろ喜びすら覚えている。

 一方で、ここ数日考えた一連の疑念について、自分はこれを永遠に考え続けていかざるを得ないのだ、という気づきは、番外席次と骸骨野郎を例外に……否、もう二度と挑みはしないが、それでも自分はあの化け物どもにも初見では戦いを挑む者だった……何者をも恐れず戦いを挑み続けてきたクレマンティーヌをして、武者震いを抑えられない空寒さを感じさせてもいた。

 

 キーノは、骸骨野郎の玩具に供せられることでクレマンティーヌの贖罪は終わった、と言った。

 彼女自身はそうは考えていない。むしろここが出発点だ、と。

 

 

                    完

 

 




<次話予告>

 宝物殿金貨蕩尽が警告されている。
 残数は五十枚未満で、次のギルド維持資金の要求に耐えない。

「許されざる罪に、然るべき報いを。」

 億劫のオーバーロード余10話『カルタン・ヌルの最期』

 何でおまえら、嘘か(まこと)かはともかく、こんな(むご)い話聞かされた(あと)に和気藹々なのよ?
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