億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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今話は、一人のバハルス帝国の軍団員の視点から見た水晶の塔事変の物語、で御座います。


余12話 転移歴461〜500年 帝国軍に栄光あれ(ジーク・ライヒスレギオン)
帝国軍に栄光あれ


 ジョーンは孤児である。

 

 そして、帝都アーウィンタールにおいて父母親類を失った孤児であることは、必ずしも決定的な不幸ではなかった。であるがゆえに、まことに不幸なことでもあった。

 

 

                    *

 

 

 転移歴461年……もっともここで語られる人々は誰一人として自分たちの生きる時代がそうである、という認識を有してはいない……バハルス帝国帝都アーウィンタールの下町(イーネンシュタット)の一角で大火があって少なくない町衆が焼け出された。

 この時点でジョーンは七歳の少年であり、逃げ遅れた両親によって集合住宅(ヴォーヌング)の窓から放り出されたことにより九死に一生を得た。

 

 帝国においては、不幸にして未成年のうちに両親を失い頼るべき親類もなかった孤児は、帝国中興の祖、初代ジルクニフ・エル・ニクス以来の伝統を引き継ぎ、資源(リソース)、と見做されている。たちまちにジョーンは保護され、四百五十年以上の……実際には途中に何度かの断絶もあったのであるが……歴史を誇るゴルトロン孤児院に収容された。

 この時点で、ジョーンは姓を失った。帝国における姓は、原則的には血筋ではなく、当人が権利を引き継ぎ得る土地、家業、資産と紐づくもの、と観念されている。成人に達する相続者のない遺産は国庫に接収されるので、孤児はこれを悉く欠く。また、それこそが帝国にとっての孤児の価値でもあるため、姓は用いられなくなるのだ。本人も、幼かったこともあって両親の家業も、姓もはっきりとは認識してはおらず、これに何か(わだかま)りを覚えるようなことはなかった。

 

 孤児院は、保護施設である以上に教育機関でもある。

 

 ジョーンは既に六歳から始まる帝国初等学校の教育を受けており、ある程度の文字の読み書きは身につけていた。帝国市民として生活する上で必要最低限の共有されるべき常識を教授する初等学校に対し、孤児院ではこれに加えてより実業的な教育課程(カリキュラム)が組まれている。

 すなわち、すべての基礎となる身体(からだ)の鍛錬、集団行動の原則、土木作業の技術、などである。これは孤児院に育った者が、初代ジルクニフ登極の年齢に(ちな)んで成人と見做される十五歳に至った時点で、当人が希望すれば、ではあるが、軍団(レギオン)に加わることを前提としているからだ。

 であるがゆえに、帝国臣民に特有の心象を醸成すべく、帝国の歴史、というものについても初等学校のそれに比すれば、より力を入れて教授される。それは決して洗脳教育、のようなものではなかったが、それでも孤児院で育つ孤児たちの思考様式に大きな影響を与えていたのは否めない。

 

 そのような性格のものであるため、孤児院で語られる帝国の歴史は、実際のそれとの間に少なからず乖離がある。

 

 まず、その発端としては神皇……この時分には既に、鮮血帝、という渾名は用いられなくなっている……初代ジルクニフから始まり、それ以前は軽く流されるのが常だ。そして神皇の業績としては、自身血筋によって帝位に登ったにもかかわらずその弊害を見抜いて世襲を廃し、鍛え上げられた軍団員からの推挙歓呼を以て次代皇帝を推戴する体系(システム)を再整備したことが、殊更に強調されるきらいがある。

 無論、その過程においてゴルトロン孤児院、その創設者ロバーデイク・ゴルトロンが果たした役割についても称揚を欠かさない。

 帝国の東西分裂とその後の一旦の瓦解については、その政策に一定の価値があったことを認めつつも、副帝の称号を得たアノック家が世襲を原則としたがためのその怠惰懈怠が、帝国崩壊の第一要因として悪しざまに言われる。これは明らかに史実に反しており、その原因をアノック家に押し付けたような格好になっているのだが、その血筋、係累は霧散して久しいのでこれに異を唱えるものなどいようはずもなかった。少なからずそこに影響を与えたトブの大森林の人間、亜人混成国家、ド・クロサマー王国については、特に言及されることはない。

 その後、百余年の都市間競合の時代を経て、真バハルス帝国を再興した再起帝ジルクニフⅥ世の偉業が語られる。北西端の城塞都市ベルナーゼーにて帝国再興の(こころざし)を立てた再起帝は、その立志の優れたるがゆえに一致団結を欠いた帝国諸都市を平定し、軍団の推戴歓呼を得て途絶えて久しかった第十三代バハルス皇帝に登ったのだ、とされるが、これも史実とはかなり異なる。

 特に、この覇業に大きく貢献し、今も帝国主力二軍団の主武装となっている二百振りの魔剣については、ジルクニフⅥ世の威徳に感じ入った南方の錬金術師が帝都を訪れ、御世つつがなけれ、と皇帝にそれを捧げたことになっている。

 百歩譲って登極の経緯が誤伝の(たぐい)であるとしても、明らかにこれは意図的な欺罔だ。魔剣をもたらした冒険者を、他勢力が同じものを入手することを恐れて謀殺したのはジルクニフⅥ世一派なのであるから。だが、これもまた、既にそれが為されたときから百年以上を経た今となっては真相など誰も知りようがない。そもそも、読者諸兄とは異なり、この世界の住人には大陸、云百年といった尺度(スケール)で時空を俯瞰することなどできようはずもないのであるから。

 

 一方的にこれを教授されるジョーンに騙られる歴史を疑う(すべ)などあろうはずもなく、むしろ、神皇、再起帝に対する崇敬の念と、それを支え推戴歓呼した軍団に対する憧れ、さらには遠からず自身もそこへ加わるのだ、とする誇らしげな心象を彼の中に醸成していったのは自然なことであり、それこそが孤児院の目指すところでもあった。

 加えて、ジョーンの心を強く捉えたものの一つに、十二歳になって気持ちばかりの小遣いを渡されての自由外出が許されるようになって以降、市井でしばしば耳にするようになった<漆黒の英雄>の物語がある。

 ジョーンは、三百年に渡って大陸のあちこちに現れ続けているとされるその人物の存在を、必ずしも言葉通りに受け取ってはいなかったが、それでも、問答無用に賊を討伐し名乗りもせずに去っていく英雄の物語は、少年の心を強く捉え、叶うものであれば自身もそうありたい、願わくは功あって帝国皇帝の推戴を得たいものだ、などという身の丈に合わない大志を抱いたりもしたのであるが、一方で、そういった少年たちのうち、最後まで(こころざし)を曲げなかった者の中からしばしば皇帝が推戴されてきたのも、これまた事実ではあるのだ。

 

 十五歳になると、ジョーンを含め孤児院に育った少年たちは選択を迫られることになる。

 軍団に士官候補生として進むか、市井に出て一市民として暮らすか、だ。

 

 意外なことに、本当にこの選択は当人の意思に委ねられている。そもそも孤児院運営の主目的は、道に迷った孤児が治安を乱すことの防止であるので、必ずしも軍団員育成だけが目指されているわけではない。軍団入りを志す者は、市井の普通の家庭に育った少年たちの中にも多くあったからだが、彼らが選抜試験を経て一兵卒となるのに対し、孤児院では戦闘術を除く軍団員に求められる通り一遍の教練が既に済んでいるため、希望さえすれば小隊長付きの見習い士官待遇で軍歴を歩み始めることができた。

 あえて本人の意思が問われるのは、どうしても生来の気質で闘争に向かない者も少なからずあるからだが、では彼らは落伍者であったか、というとそういうわけでもなく、孤児院の教育水準の高さは民間でもよく知られており、係累なきがゆえの使い勝手のよさも十分理解されているので、敢えて軍団に進まず市井に下る卒院者もまた、高待遇で招かれる人材だった。

 

 ジョーンは迷わず軍団入りを希望し、晴れて帝都第四軍団輜重(しちょう)第三大隊第八小隊長付き士官候補、となった。

 

 この時点で彼には、失って久しい姓が与えられる。

 孤児院の少年たちに姓がないのは、彼らが将来軍上層や政府高官、さらには皇帝の座まで進んだ折、係累なきがゆえに遮二無二国家臣民に仕える者たれかし、と期待されてのことであるので、ここで与えられる姓もまた、どの孤児院の出自であるとか、特に目をかけてくれた教官であるとかに因んだものは用いられない。それは派閥、閨閥の元なのであって、原則としては当人の身体上の特徴や、特に優れて目立った技能から付けられる。

 

 ジョーンは、カタラクト(白内障)、の姓を得た。

 

 実際に彼が目を病んでいたわけではなく、彼の瞳の虹彩には生得的な白い斑点があり、これがよく目立ったので同級生からそう渾名されていたものをそのまま引き継いだものだ。もちろん、これは蔑視的な意図を込められたものではまったくなく、むしろ、孤児院長から卒院の儀にてその名を与えられるに際し、

 

「おまえは目の中に星を宿しているやに見える。

 これから歩む道のりにおいて瑞祥であればよいな。」

 

とかけられた言葉は、ジョーンに、

 

 俺は……星を得る運命(さだめ)なのやも知れぬ!

 

などという、いささか自意識過剰な秘めたる思いすら生じさせたのである。

 

 こうして軍歴を歩み始めた見習い士官ジョーン・カタラクトの日常は、繰り返される槍衾の訓練を除けば、基本的には土建屋さんである。

 

 帝国では建国の砌より軍団は土木作業員を兼ねている……と言うか、強靭な肉体と綿密な事前計画、確立された指揮命令系統を要する、という点において、軍務と大規模な土木作業は帝国においては同じもの、と見做されていて、これが何処へ出陣しても速やかに野戦陣地を構築し、国土を網羅する街道を常に最上の状態で維持管理し、すべての周辺人間国家に対して抜きん出た継戦対応能力を誇った帝国軍の強さ、そのものでもある。

 帝都の宮城(きゅうじょう)集合住宅(ヴォーヌング)も、内部艤装などは民間の業者によるものだが、その基礎構造は彼らが手掛けるのが常だ。その発注の多くは国家から為されるが、然るべき手続きを踏めば民間も利用可能で、若干の上下動はあるものの、長期傾向(トレンド)としては官民比は確実に民の方向へ傾いており、実のところ帝国軍は、その運営費用のほとんどを自らの労働で賄っている。

 これは同時に、帝国軍の肥大化に対して一定の足枷にもなってはいるのだが、こちらも建国以来の指揮統制、練度の高さに支えられて、常に兵員総数では劣勢を甘受しつつも、いざ実戦となれば彼らはすこぶる強かった。

 

 徴用兵とは異なり、普段から自身の糊口をしのぐべく戦友たちと共に汗水を流していることもさることながら、孤児院出身者にせよ市井からの志願者にせよ、妻を得るまでは官舎での共同生活が原則となっている点も大きい。彼らは文字通り、日常からして同じ釜の飯を食う仲間、なのである。

 十五歳のジョーン・カタラクトも、数年次年上の先輩たちとの雑居生活が始まったのだが、これはジョーンにとって極めて居心地の良いものだった。孤児院の暮らしにもさほどの不満があったわけではないが、生活の中の自由度が飛躍的に増したことに加え、いざとなれば互いの側面、背面を補い合うことを誓い、実際そのための訓練を日々共にこなす彼らの連帯の絆は強く、こういった体制を上意で無理くりに強制した場合にしばしば生じがちな陰湿ないじめ、のようなものと彼らはまったく無縁だったからだ。

 加えて、帝国軍団員は(みな)、自身は皇帝の選挙者である……この時代も皇帝推戴は軍団員の特権だった……という意識を有しているので、必ずしも肉体的な強さに比例するわけでもないが、軍務において秀でた力量を発揮する者に対しては、それが年上だろうが年下だろうが、任官順序がどうであろうが、素直に敬意を示すことを尊ぶ文化があったことが大きい。

 ジョーンは孤児院での鍛錬も果敢にこなしたので体格に優れ、ゆえに槍兵と弓兵からなる輜重(しちょう)隊への配属に際しても槍隊に編入されたのであるが、その訓練を完璧にこなしつつも独自に剣技についても磨きをかけ、十八歳になった時分には(ウンター)21(アインウントツヴァンツィヒ)の木剣を以ておこなう剣闘技大会で見事三位入賞を果たした。

 こうして彼は共同生活をおこなう仲間たちからの称賛と信を得たのであるが、そもそもそれは、孤児院出身者である時点で少なからずあったもので、彼自身も仲間たちから一目置かれたくて努力していたわけではない。

 

 十九歳になったジョーンは、予備役除隊者の空席を埋める形で帝都第四軍団重装歩兵第七小隊へ配属となった。言うまでもなく重装歩兵こそ帝国軍の花形であり、その身分も帝国騎士(ライヒスリッター)となる。騎士号に何か特権があるわけではなく、あくまでも名誉称号だ。俸給も極端に変わるわけではない。が、決して明文化された法ではないが、騎士号は皇帝推戴において大前提の一つとされるものだ。

 

 つまりジョーン・カタラクトはこの時点で、皇帝被選挙権、を得たことになる。

 

 重装歩兵隊に配されたといって、基本的な日常は変わらない。帝都の、ときにはその郊外のあちこちで土木作業に明け暮れ、合々間々(あいまあいま)に過酷な訓練を繰り返す日々だ。

 かつて、帝国重装歩兵の主武装は槍衾も作ることができる投槍(ピルム)だった。その基本戦術は、敵方の攻勢限界まで堅い防御に徹し、その攻め手が緩んだところで号令一下槍を投擲する。大抵の場合ここで大勢が決するので振るうことは稀であったが、この後の戦闘のために副武装として小剣(ショートソード)を腰に下げたものだ。

 東西バハルス帝国の成立以降、それぞれ事情は異なるが長く仮想敵とされていた旧リ・エスティーゼ王国、スレイン法国あらため報国と野戦で鉾を交える、といったことが現実的には起こらなくなり、帝国軍団の主任務は対外戦争から国内の治安維持にその軸足を移した。際しては、投槍(ピルム)は自国住民を牽制するには威力が過剰なので、たちまちに廃されることこそなかったものの、主武装の座を小剣(ショートソード)に譲ることになった。

 それでもしばらくの間は、輜重(しちょう)隊は求められれば投槍(ピルム)を重装歩兵に供する備えを怠らなかったものだが、ジルクニフⅥ世の軍団が魔剣で帝国再統一を成し遂げたこともあって、(つい)投槍(ピルム)は制式装備の座を追われた。以降、小剣(ショートソード)が重装歩兵の主武装となったが、その刃渡りは僅かずつではあるが年々長大化していく傾向を見せている。

 槍に比して剣は、どうしても相対する敵との間合いが近くなるので、帝国虎の子の重装歩兵と言えど本能的に遠戦を指向する人々が多数であるから、これは無理なからぬところと言えよう。

 

 二十五歳は、多くの軍団員にとって転機となる時期になる。

 

 この年齢に達した軍団員は予備役除隊の権を得る。

 すなわち、日常は市井にて何らかの生業に暮らし、いざ火急のときはかつての所属軍団に馳せ参じて加勢することを約す身分で、俸給こそ生じないが、元軍団員を歓迎する職種は市井にいくらでもあったので食うには困らないし、軍団で鍛え上げられた彼らを町衆は決して粗略には扱わなかった。

 加えてジョーンはこのとき妻アンを得たが、少なくない軍団員が妻子を得ると共に予備役除隊するのに対し、ジョーンは妻の理解を得、年間の最低でも半分は共に暮らせぬことを承知の上で古参兵(ヴェテラン)への道を選んだ。

 そもそも制度としての予備役除隊は軍団の若返り、新陳代謝を指向してのものであり、(ほか)ならぬジョーン自身もそうして後進に道を譲った者があったからこそ今の地位にあるのであるが、一方で、軍団は同時に経験豊かな古参兵(ヴェテラン)も一定数必要としていた。

 特に重装歩兵隊においては、敵方利き腕方向の最攻勢を受け止める役割を担う最左翼前列は古参兵(ヴェテラン)で固めるのが古来よりの鉄則だが、ジョーンはそこに何らかの英雄性を求めてこの決断をしたのではもちろんなく、ただただより上に登らんとするにはこれしか道がなかったからだ。

 実際、二十八歳になったジョーンは第四軍団重装歩兵第一小隊長、を拝命した。最左翼の十名からなる小隊をまとめる軍の(かなめ)であり、万が一に十隊百名をとりまとめる軍団長が死亡または行動不能に陥った場合、その職責を自動的に継承すると定められた地位でもある。

 

 だが同時にジョーンは、ある種の限界、というか、壁のようなものを感じてもいた。

 

 現在帝都アーウィンタール近傍には六軍団六千余名があり、うち一軍は月替りで休暇となる予備軍だが、うち二軍団は件の再起帝ジルクニフⅥ世以来伝わるところの、装備者の能力強化(エンチャント)武器破壊(ディスアーマメント)に加えて雷撃(ライトニング)すら放つ魔法の小剣(ショートソード)二百振りが割り当てられた主力中の主力であり、こちらは独立した着任体制(ローテーション)を敷いていて、一軍は帝都に留まり皇帝近衛を担当する一方、もう一軍は集金大隊(シュペンザメルバタリオン)と揶揄されるところの、帝国中を巡回し皇帝への上納金を集めて回る役割を担っており、これは年次で役割が入れ替わる。

 都合、帝都の常設兵力は四千余名ということになるが、ジョーンは皇帝近衛と集金大隊の人事が、再起帝と共に帝都に入ったベルナーゼー出身者の子孫で占められていることに、どこかの段階で気づいていた。三十代半ばを過ぎて政治の領域と接触する機会が増えてからは、官僚についても、すべてではないものの、高位のそれがベルナーゼー血閥(けつばつ)とでもいうべき者たちに牛耳られていることを知った。

 現皇帝ジルクニフⅪ世も、ゴルトロンではないが孤児院から軍団に進み、その人望で帝位に推戴された人物である。ジョーンも幾度となく拝謁の栄に浴し、その懐深い人柄に感じ入っていたものだが、名目上は皇帝親政が謳われてこそいるものの、実際に国家を動かしているのは高位官僚と主力二軍団の幕僚であり、皇帝と言えども彼らを完全に無視して事為すことはありえない。

 つまるところ、孤児から推戴される皇帝、というのは、かつて副帝を僭称したアノック家が試みたように、ベルナーゼー血閥(けつばつ)が自身の存在の隠れ蓑とするところではないのか。

 

 何ということか!

 

 ジョーンは憤った。

 神皇初代ジルクニフは、この状況こそを厭うて改革の辣腕を振るい帝国を刷新したのではなかったか!その末裔たる我らがこの体たらくとは嘆かわしいことこの上ない!

 

 第四軍団員からは星宿す眼(シュテルン・イム・アウゲン)の二つ名を捧げられるジョーン・カタラクトではあるが、三十代に達した時分には、自身は確かに天賦の能力にも恵まれそれにも増して努力を怠らなかった者であることを認めつつも、決してそれは周囲を突出して逸脱するものではなく、各軍団の小隊長(クラス)に求めれば同程度の人材はそれこそ()ほどあることに、もちろん彼は気づいている。自分一人が何を訴えたところで帝国の理想を取り戻すことなどできようはずもない。

 が、そんな彼をしても、自身が今抱いている義憤が決して彼固有のものではなく、実のところ古都トブヴァルトで為されたと伝わる初代皇帝推戴以来七百年に及ぶ帝国の歴史の中で、一度たりとも彼の考える理想などというものが実現したことはないのであって、まさに彼が今抱いている憤懣こそがそれぞれの時代における帝国の原動力そのものなのだ、というところにまでは思いが至らない。

 ましてや、旧リ・エスティーゼ王国民に現状追認の気風強くそういった力を根本的に欠いており、結果、果てしなく腐敗堕落を続ける王家貴族が大陸の人類社会における潜在的な脅威であったればこそ、鮮血帝の仮面を被った神皇初代ジルクニフは、自身が目に見えるより大きな脅威となることで彼らを目覚めさせるしかなかったのだ、などということに思い至ろうはずもない。

 そもそもその初代ジルクニフとて、何か理想があってその実現を目指したのでは決してない。鮮血帝として推戴され、その生涯を何とかまっとうするために、それぞれの状況に応じて最善を尽くしに尽くした結果がこれらの歴史を生んだだけなのだが、これをジョーン・カタラクトに理解せよ、と求めるのはいささか荷が重いと言えよう。

 

 仮に彼にそんなことが可能なのであるとしたら。

 (とう)の昔に彼自身が、皇帝に推戴されていたに違いないのであるから。

 

 であるからして、優秀なれど凡庸な彼は、見る人によれば現帝権に対する叛意とも取られかねない憤懣をひたすら隠し……これは別の言い方をすれば、波風立てぬよう大人に振る舞った、というだけの話ではある……土木業と訓練の日々を繰り返しながら、機会を待った。

 

 何か功を立てて、国家に物申す立場を得たならば!

 

 だがもちろん、そう考えた人間も、ジョーンが知らないだけで、これまたこれまでに阿呆ほど居たのである。

 彼の誕生の少し前に帝国中央がこれに気づいて慌てて釘を刺して回り、かつ、これを歴史には書き(とど)めなかったために、ジョーンがこれを知らないのは決して彼の罪ではないが、ほんの六十年ほど前までは、帝国西部の諸都市の軍閥が、功なして中央に立身出世せん、と余計な算盤を(はじ)いて、トブの大森林に鎮座するド・クロサマー王国に対し訓練名目の威力偵察を繰り返し試み、都度撃退されていたのである。

 ド・クロサマー王国には、これを帝都に対して抗議する、という発想がなかったので、そのうち飽きるだろう的な場当たり対応を繰り返していたのだが、逆にこれに気づいたときの帝都の混乱は目も当てられないものだった。明日にも多数の巨人を従えた(いか)りの髑髏(ドクロ)様がアーウィンタールを灰燼に帰すべく攻め上ってくるぞ、と言わんばかりだったのだが、()からすれば、数十年も放置しておいて何を今更、だった。

 結局、帝国中央の統制が諸都市軍閥に行き渡るに従ってこの、ひとつ間違えれば帝国滅亡の引き金になりかねなかった話は、馬々鹿々しくも誰からも忘れ去られていったのであるが、翻ってジョーン・カタラクトにはその機会すらなかった。彼は軍人ではあるが、ここに至るまで実戦の経験などついぞないのであるから。

 

 悲しいかな、結局のところ彼の脳裏を渦巻く熱い思いは、それはそれで立派なものではあろうが、つまるところ、土建屋さんの床屋政談の域を出るものではないのだ。

 

 だからこそ、彼が四十六歳になったその(とし)の春、数年に一度東の大地溝帯を越えて行き来するカルサナス都市国家連合から帝都に至った隊商(キャラバン)がもたらした一報は、結果的に彼を狂わせてしまった。

 

 カルサナス大平原に突如出現した水晶の高塔!

 

 

                    *

 

 

「私は、予備役除隊しようと思う。」

 

 長く第四軍団長を務め、第一小隊長にジョーンを抜擢した当の本人でもあるピリト・ガハーが、ジョーンにそう告げたのは、いつもの訓練を終えてジョーンだけを誘った酒場でのことだ。

 

「私が除隊すれば、順当にいけば貴様が軍団長に昇格する見込みが高い。それは結果的に貴様にとってよくないことになるやも知れないので、こうして前もって伝えねばならん、と考えた次第だ。」

 

 真摯な口調でピリトはこの席を設けた意を語った。

 

「軍団長は、大遠征に反対なんですか?」

 

 大遠征、とは、カルサナス平原に出現した水晶の高塔に威力偵察をおこなう試みに早くも与えられた通称である。諸都市所属軍の一部も動員され、十個軍団一万余名になることが想定されており、既に、主力となる魔法剣団二軍の軍団長間では、どちらが主導権を握るかについて鍔迫り合いが始まっていると噂されている。

 

「私は軍人だ。皇帝陛下からの命があればそれに従うだけのことで、賛成も反対もない。」

 

とピリトは言うが、言っている本人も聞いているジョーンも、これが皇帝勅命などであろうはずもなく、あわよくば次代皇帝の推戴を得んとする者たちの功名心に発するものであることは百も承知だ。

 

「だが……」

 

 ジョーンはじっとピリトを見つめ、続く言葉を待った。

 

「同時に私は、部下の命を預かる一人の人間でもある。

 無意味な行軍を無責任に指揮することには耐えられない。だから除隊することでその責から逃れるつもりだ。貴様を含め、部下たちにも思うところがある者には除隊を勧めたいと考えている。」

 

「そんな!」

 

 ジョーンは、五つ歳上のピリトのことを、剣技においては自身に劣ると承知の上で、それでも指揮統率能力と常に冷静沈着な胆力から心底尊敬していたが、よもやそのピリトからこんな話を聞かされようとは思いもしなかったことだ。

 

「軍団長が……ピリトが投げ出すのであれば、俺が()きます。」

 

 ジョーンはまっすぐピリトを見つめ返してそう告げる。

 

「……そうか。貴様がそうしたいのであれば、私がどうこういうことではないな。」

 

 ピリトは、どこか寂しげにそう言った。

 

「だが、私が軍団員に進退を問うことは認めて欲しい。貴様に意趣あってのことでは決してない。これは私の義務であるからだ。」

 

「俺には……ピリトの言うことが理解できません。」

 

 ジョーンは正直にそう言った。

 しばし呻吟した後に、ピリトは語る。

 

「私は貴様とは違い帝都の生まれじゃない。バネス、という小さな村に生まれ、そこで成人した後に軍団の門戸を叩いた。村にはサンドゥという名の古老がいてな、学校のない村の教師役を務めていた。私は彼から手習いを授けてもらったものだ。」

 

 ジョーンには、たちまちにはピリトの突然の昔語りの意図がわからない。

 

「そのサンドゥ翁から聞かされ、今でも忘れられない話がある。彼はこれを、村を訪れた黒尽くめの旅人四人組から聞かされた、と言っていた。

 曰く、この世界には触れ得ざる者がある、とな。」

 

「触れ……得ざる者、ですか?」

 

「そうだ。旅人は、我々が自身の力を過信して、確実に災厄へと至る触れ得ざる者と無用な闘争に陥ることのないよう、警告を発すべく長い旅を続けている、と語ったそうだ。」

 

「それが?」

 

「貴様、回覧された大遠征計画初版を読んでいないのか?

 カルサナス平原の半人半馬(セントール)たちは、大遠征の目的地となる水晶の高塔を、触れ得ざる塔、と呼んでいるらしいぞ。示唆的だ、とは思わんか?」

 

 なんと!

 我らが軍団長は、そんなあやふやな話を元に尻込みをしているのか!

 

「やっぱり俺には、ピリトの言うことがわからない。」

 

 苦々しげにジョーンがそう呟くと、逆にピリトが問うた。

 

「では答えてくれ。なぜ貴様は、敢えて()くんだ?」

 

「帝国のためです!」

 

「遥か大地溝帯の彼方の出来事が帝国と何の関わりがある?

 (ドラゴン)なれば帝都を襲うことがあるやも知れんが、前例もあることであるし。」

 

 真偽は不明だが、四百年ほど前、本来はカルサナス平原を縄張りしていたとみられる黒鉄(くろがね)(ドラゴン)が突如帝都上空に現れ、どうしたことかたちまちに爆散すると共に金貨が空から降り注ぐ、という謎の事件があったと伝えられている。今以て真相も、この話の真偽すら不明だ。

 

「それは……。」

 

「勘違いしないでくれ、私は貴様を問い質したり、責めたりしているわけじゃないんだ。

 敢えて軍団を率いて()くのであれば、貴様自身が何のためにそれをせんとするのか、せめてそれだけは自覚しておいてくれ、という……私の勝手な願いだ。」

 

 実のところ、ジョーンは何故自分が敢えて()きたいのか、は理解している。

 が、その真のところを誤魔化しつつうまく取り繕う言葉を見つけることができなかった。

 だが、翻意するつもりはない。これが最初で最後の機会、と信じているからだ。

 

 俺に……星を得る運命(さだめ)があるやなしやを見定める、最後の機会だ!と。

 

「……俺からも、一つお願いしていいでしょうか?」

 

「構わんよ。」

 

「俺に万が一のことがあれば、妻を……アンをよろしく頼みます。」

 

「……あぁ、請け負おう。」

 

 ピリトは、おまえそれ死亡(フラグ)ってやつじゃね?と思うも、口にはしなかった。

 

 その年の秋の暮れ、帝都第四軍団長を拝命したジョーン・カタラクトは、総員の三割ほどが予備役除隊で入れ替わった軍団を率い、大地溝帯を越えて死出の旅に出ることになる。

 

 

                    *

 

 

 ナザリック地下大墳墓の知的種族動向把握担当、狡知の参謀デミウルゴスは、ジョーン・カタラクトやピリト・ガハーなどといった、自身を古強者(ふるつわもの)と自認しつつもユグドラシル的に言えばレベル一桁の(かす)でしかない存在をいちいち認知などしてはいないが、バハルス帝国で進行中の馬鹿げた喜劇についてはもちろん承知している。

 沈黙したままの退屈極まりない水晶の塔に対し、バハルス帝国の阿呆どもをけしかけて事態を動かす着想が彼にまったくなかったわけではないが、恐怖公眷属の報告によれば阿呆どもの馬鹿さ加減は、デミウルゴスの想定したそれを遥かに超えていたらしい。もっとも彼はそのことで、自身の予想が裏切られた、などと気分を害されたりはしなかった。

 

「賢さと愚かさの間にある違いは、賢さには限界があることだ……と言ったのは誰だったかな?」

 

などと嘯きつつ、むしろ上機嫌だ。

 

 至高の主が、何やかやと言いつつも、心の奥底で強敵との対峙を望んでいることは承知している。今回は、厳に禁じられた現地生物への直接介入への裏口、などという姑息な手段を弄せずとも、事が成せるのであるから重畳だ。

 

 いやいや。

 

 この事態が進行中であること、それ自体が、すべてを(ほしいまま)に受け用いる身にてあらせられる至高の主の偉大さの証明、そのものであるのかも知れない。

 

「お楽しみはこれからですなー、はっはっはっ!」

 

 一人、赤熱神殿の最奥で高らかに悪魔は(わら)った。

 

 

 

 僅かながらあった大遠征からの生還者の氏名一覧(リスト)にジョーン・カタラクトの名はない。

 

 彼が水晶の塔の天使の手にかかったのか、あるいは光栄にも麗しの鮮血の戦乙女シャルティア・ブラッドフォールンの牙にかかったのかは知る由もないが、いずれであったにせよ、自身の力ではどうしようもない難敵と対峙して命落とすことは、軍人にとっては決して恥ではない。

 

 ジョーン・カタラクトは不幸な最期を遂げはしたが、その生涯は幸福であった、と言ってもあながち間違いではないのではなかろうか。

 

 

                    完

 

 




<次話予告>

「見事なまでの大赤字、で御座います。」

ナザリック地下大墳墓の三賢者(トリニティ)が語らう水晶の塔事変の総括。

 億劫のオーバーロード余13話『収支決算』

「もし、鈴木悟にその手段があったなら、あのとき彼は世界を破滅させるミサイルの発射ボタンを躊躇わず押しただろう。」
「ア、アインズ様!もう、お()め下さい!」

アルベドの愛がアインズのささくれだった心を癒やす。
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