億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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転移歴1000年以降の新たな来訪者(ユグドラシルプレイヤー)との邂逅を描いた中編2話+αの全7回をお楽しみください。いつものように3日毎に連投します。


余16話 転移歴1200年 一二三と九十九
一二三と九十九(1)


「てっとり早く(かね)になる仕事を紹介してもらえないか?」

 

 唐突にそう問われた豚鬼(オーク)一時(いっとき)首を傾げた。

 

「随分と大層な格好をしてなさるが……見た目相応の実力があると思っていいのかい?」

 

 カルサナス都市国家連合に所属する城塞都市オークネイスの、流しの冒険者にも仕事を斡旋している冒険者組合(ギルド)での一幕。受け付けた豚鬼は、目前の物腰柔らかではあるがどこかに傲慢さを感じないでもない声色からして男、の値踏みをしている。

 

 まず目につくのは一見して純真銀(ミスリル)全身鎧(プレートアーマー)偽物(フェイク)でなければいったいこんなものいくらするんだ、と問わずには居られない逸品だ。胸の中央には、こちらも本物であるならこれ一つで街の一区画は贖えそうな巨大な宝石があしらわれている。

 対してまったく不似合いの、取って付けたような鋳鉄製の兜面(フルフェイス)。がために男の種族がたちまちには判然としないが、体格だけから推測すれば人間種だろう。

 腰に下げた得物は、見たところ素材のわからない真っ黒な鞘に収まった細身の長剣(ロングソード)

 

 総じての印象は……見掛け倒し、だ。

 

「うちは仕事をしてくれる人の素性は問わないのが信条だから無理に、とは言わないが、その兜面(フルフェイス)を脱いで(つら)を拝ませちゃくれんかね?」

 

「……それは勘弁して欲しい。」

 

「どうして?」

 

「実は……昔の話になるが、若気の至りでひどい向こう傷を負って、他人には晒せぬ面体(めんてい)なんだ。ちらとでも見ようものなら、おそらくあんたは数日飯が喉を通らなくなる。」

 

「はぁ……そりゃ、悪いことを訊いたね。まぁ、別に構わないさ。」

 

 と言いつつも、豚鬼は既に、こいつは上客には充てがえないな、と判断している。

 

「どこから来なさったね?見たところ……人間かい?」

 

「随分と遠くから来た。そう……人間種だ。

 事情があって至急に(かね)が入り用なんだ。手っ取り早く換金できる怪物(モンスター)(たぐい)を紹介してもらえるとありがたい。」

 

 今日日(きょうび)珍しい御仁だ、とは感じつつも、決して稀なわけでもない。そして、こういう手合にうってつけの仕事もなくはない。

 

森林長虫(フォレストワーム)狩り、なんてのはどうだい?」

 

「いくらになる?」

 

 随分と短気なお人だ。

 

「ここから南へ向かう街道がある。わかるかい?」

 

「あぁ、そちらから来た。」

 

「なら、その東側にずっと深い森が続いていたのも承知だね?」

 

「……あぁ、確かに。」

 

「そこに住む怪物(モンスター)だ。(かね)になるのは成虫で、目立つ二本の牙があるからわかるだろう。時折街道をいく旅人を襲うので市から金貨三枚の奨励金が出ている。うち一枚はこちらの手数料で、二枚があんたの取り分になる。牙を金貨と引き換え、って具合さ。乗るかね?」

 

「わかった。」

 

 と言うが早いか鉄仮面の男は身を翻し、つかつかと建物から出ていってしまった。

 

「……本当に短気なお人だな。多少剣で斬ったくらいで死ぬ(やわ)な相手じゃない、って忠告してやろうと思ったのに。」

 

 森林長虫(フォレストワーム)は決して難敵ではないが、中途で斬っても千切(ちぎ)れたそれぞれが動き続けるし、潰しても針穴を突くような急所でない限りしぶとい代物だ。大した相手ではないと油断している間に体力を消耗し、不意の一撃を受けて命を落とす冒険者も決して少なくはない。

 さりとて、一見(いちげん)の冒険者に強いて義理立てする理由はない。人間、亜人の頭の弱い連中であればあの格好に尻込みする者もあろうが、相手は本能だけで襲ってくる蟲だ。這々の(てい)で戻って来て借金を申し込まれるのが関の山、万が一首尾よく二三匹仕留めて戻るようであれば、使い勝手もあろうさ。

 

 だが。

 

 バラバラバラッ!

 

 夕刻に冒険者組合(ギルド)に戻ってきた男は、手にした革袋から三十匹以上分はあろう牙を豚鬼の受付机の上にぶちまけた。中には、しばしば冒険者を返り討ちにする五メートル級の個体のものと思われる牙も混じっている。

 

 並の者であれば一匹仕留めるだけでヘトヘトになる相手をこれだけ仕留めてくるとは!

 

「武運拙く、この程度しか狩れなかった。」

 

 鉄仮面は事も無げにそう言うが、どうも謙遜しているわけではなく本気でそう思っている口振りだ。

 

(これは……トンデモないめっけ物が転がり込んでくれたかも知れねぇ!)

 

「お見事だね、旦那ァ!」

 

 豚鬼はひとまず両手を左右に大きく開いて大袈裟気味に男の武勇を讃えた。

 

「そういうのはいい。(かね)になるか?」

 

 こんなことが出来るのであれば、何ならうちに押し入って有り金すべて奪い去る、なんて荒事が出来ないわけでもあるまいに、そういう発想がなさそうなのはありがたいことだ。

 

「申し訳ないんですがね、旦那ァ。」

 

「……ならないのか?」

 

「いえ!もちろん買い取らせていただきますよ。

 ただ、よもやこれほどを一時(いっとき)に狩ってこられるとは思いもしないことで、うちにも他にいろいろと支払いがありますんで、一息にお渡しすることが出来ません。ともかく金貨二十枚はご用意いたしますんで、ご面倒ですが三日ほど(のち)に残りを受け取りに立ち寄っちゃーもらえませんか?」

 

「……あぁ、そういうことなら仕方がないな。わかった。では、残りは三日後に。」

 

「お名前を……」

 

「……」

 

「お名前をまだ伺っておりませんでしたので。」

 

「あぁ、あお……いや、ブルーノ。ブルーノだ。」

 

「……ブルーノさん、とおっしゃる。

 私は当代数冒険者組合(ギルド・アルジェブラ)を仕切っとりますコンチアンと申します。どうぞ、お見知りおきを。」

 

 何か訳ありのようだな、とコンチアンは思うがまだそれは口にはしない。

 対して鉄仮面は、彼の名乗りにまったく関心を抱く様子がなかった。

 

「お見送りさせていただきますよ。」

 

 強いてその無作法を咎めるでもなく豚鬼はそそくさと革袋に金貨を積め、やはり早々に身を翻して建物を出た鉄仮面を追って、外に出るなりたちまちに驚きの声を上げた。

 

「だ、旦那ァ……こりゃーいったい?」

 

 素っ頓狂な声をあげて驚く豚鬼に、鉄仮面が振り返りつつ何でもない様子でこう答える。

 

「あぁ、ボクの愛馬だ。」

 

 そこには、普通の馬よりも二周り大きく、さらに男の鉄仮面同様の鋳鉄の装甲を全身に纏った巨大な一角馬(ユニコーン)があった。

 

「連れを待たせているので失礼する。はいやっ!」

 

 金貨の入った革袋を受け取るや、男は全身甲冑を纏っているにもかかわらず軽やかに宙を舞って鉄の一角馬に飛び乗り、鞭を入れるでもなく装甲馬とは思えない風のような速さで駆け去っていった。

 

「こりゃー……ひょっとすると、ひょっとするぞ!」

 

 あっというまに視界の彼方に見えなくなった男を見送りつつ、豚鬼は北叟笑む。

 彼の再訪を待つまでの間にオークネイスでは、つい先日まで巷を(にぎ)わわせていた「白昼街中(まちなか)骸骨(スケルトン)(あらわ)る!」の噂を、この男の話題が押し流した。

 

 一日にして三十匹の森林長虫(フォレストワーム)を狩る……

 鉄仮面騎士(ライダー)(あらわ)る!と。

 

 

 

 鉄仮面騎士は物凄い速度(スピード)で再び街道を南に駆けている。

 遥か前方に、日暮れまでにオークネイスに辿り着きたいのか早足で向かってくる旅人数人を認めると、自身が彼らの視野に収まるよりも先に、

 

「はいやっ!」

 

と手綱を引き、装甲一角馬は宙を舞った。

 旅人の一団を飛び越し、その遙か先へ着地する。

 小一時間ほど駆けて、彼は事前に目印として配した、彼だけに見える魔法の(アンカー)を発見した。

 

「戻れ。」

 

 下馬してそう命じると、馬の形をした装甲ががしゃり、と音を立てて地に落ちる。

 彼が技能(スキル)で召喚していた()()が消えたがゆえだ。

 

「存外面倒臭いなぁ……。」

 

 既に日も暮れ真っ暗闇の街道で、ブルーノはそう呟きながら馬の装甲を所持品(インベントリ)に仕舞い込んだ。さりとて、骨の一角馬(スケリトルユニコーン)を人目に晒して騒ぎを起こすのは得策ではない。

 ブルーノは、今度は森の中へと全速力で駆けていく。その速度は一角馬のそれにやや劣るもののやはり尋常なものではなく、しかもどのような(わざ)によるものか深く茂った木々の隙間を、平原を駆けるかの如く突き抜けていった。

 ややあって、ブルーノは前方に火が起こっているのを認めて慌てて立ち止まった。

 

 だが、どうやらそれは()()がやっていることのようだ。

 

有村(ありむら)、戻ったよ。」

 

と声をかける。

 

 焚き火で大きな獣を丸焼きにしていた苔色(モスグリーン)上下一続き(ワンピース)姿の少女が、振り返りざまに不愉快そうにこう応じる。

 

「アリスン、よ!

 あと……その糞ダっサい兜、取りなさいな!」

 

 うーん、と唸りながらブルーノはそれに従った。

 鉄仮面を外すと中から現れたのは……見紛いようもない骸骨。

 

「火……なんか焚いて大丈夫かな?」

 

「能天気にもギルド武器を持ち歩く馬鹿に言われたくはないわよ!」

 

 (きっ)とアリスンの鋭い視線がブルーノが腰から下げた剣へ突き刺さる。

 

「どんな難敵に出食わさないとも限らないから最大威力の装備で、ってキミも同意したじゃないか!」

 

 アリスンはまるで聞こえていないかのように肉の焼け具合を気にしている。

 

「それ……有村が狩ったのかい?」

 

 丸焼きになっているのは兎のように見えるが、その大きさが彼が知識として知るそれの(ゆう)に三倍ほどはある。

 

「ア・リ・ス・ン!

 もういい加減に現実を受け入れなさいな!」

 

 そう言いながら、少女は手にしたやたらと複雑な形状をした短剣(ナイフ)で良く焼けた腿の肉を薄く削ぎ落とす。

 

「大丈夫かい……そんなもの食べて?」

 

飲食不要の指輪(リング・オブ・サスティナブル)があるとは言え、何も食べないのは精神的によくないわよ。野伏せ(レンジャー)技能(スキル)がこんなところで役に立とうとは思わなかったわ。」

 

 そういいながらアリスンは、短剣にそのまま口を寄せて削ぎ取った肉を頬張る。

 

「悪くはない……けど、塩と胡椒は欲しいわね。

 で、首尾は?」

 

 問われたブルーノは、コンチアンから受け取った革袋を示して見せる。

 

「金貨を二十枚ほど稼いできた。」

 

「……まぁ、期待はできないけど換金箱(エクスチェンジボックス)に放り込んでみますか。

 ユワーン、ユワーン!」

 

 アリスンはさらに森の奥にある風景に似つかわしくない構造物に向かって何者かの名を呼んだ。

 正二十面体を四つ繋いだような形をしたそれの壁の一部が音もなく開き、中から老人の顔がにゅっ、と出てくる。

 

「アリスン様、お呼びで?」

 

 老人の顔に獅子の身体、蝙蝠の翼に蠍の尾。

 蝎獅(マンティコア)だ。

 

「お肉が焼けたわ。ユワンも食べる?」

 

「これはありがたい、頂戴します。」

 

 ユワンと呼ばれたマンティコアは、アリスンが切り払って飛んだ腿を空中でガブッ、と咥えた。

 

「残りは食べちゃっていいわよ。

 それから、サム!」

 

 アリスンの目線はブルーノの足元に向かう。

 僅かな月明かりで生じていたブルーノの影の中から返答がある。

 

「はい、アリスン様。」

 

「私はブルーノと二人で大事な話があるの。

 申し訳ないけど少し外してくれるかしら?」

 

「かしこまりました。」

 

 途端にブルーノの影の中から薄く輝く敷布(シーツ)のようなものが浮上した。

 幽霊の大魔法使い(ミラージュウィザード)

 ブルーノの技能(スキル)、<影中の護衛(シャドー・ビハインド)>で隠形(いんぎょう)していたNPCだ。

 

「何もないとは思うけれど外部警戒。少しでも怪しいことがあれば呼んでちょうだい。」

 

「「はっ。」」

 

 サムとユワンが同時に了解の声を発し、アリスンは手招きでブルーノを拠点内へ誘った。

 

「……有村はよく平気でいられるね。」

 

 先を進むアリスンは何の反応も返さなかったが、二人共に室内に入って扉が閉じられるや、ガッ、とブルーノを壁に押し当てた。

 

「NPCの前でわたしを有村、と呼ぶのを()めなさい!

 そういうのは、いざというときの指揮命令系統の混乱の原因よ!」

 

「で、でも……」

 

「でも、もへったくれもないの!

 あんたもいい加減、現実だ、と受け入れなさいな!

 これが、ユグドラシルなわけないでしょ!」

 

 没入型仮想現実遊戯(DMMO RPG)ユグドラシルのサービス終了日、二人で思い出の詰まったギルド拠点で最後の瞬間を過ごした二人は、ログオフが出来なくなったことに気づいた。慌てて拠点の外に出てみれば、本来であればニダヴェリールのニザフョッル山に連なる無名の峰の(ふもと)にあったはずのそれが、何故か鬱蒼とした原生林の中に埋もれていた。

 

 それからおよそ二十日間。

 

 もしこれがユグドラシルの延長戦か何かなのだとしても、二十日もの間VRデッキの上で食事も排泄もせずに自身の肉体が放置されるなんてあり得ない。アリスンこと有村一二三(ひふみ)にも、ブルーノこと青野九十九(つくも)にも家族があった、はずだからだ。

 

「気休めにもならないわね。」

 

 ブルーノが森林長虫(フォレストワーム)を狩って手に入れた豚鬼の金貨二十枚を、換金箱はユグドラシル金貨五枚に変じた。

 

「まぁ、これもここがユグドラシルじゃない、って証拠のひとつ、とは考えられるわよね。

 ゲームだとしたら、無理ゲー過ぎるもの。」

 

 お手上げポーズを取りながらそういうアリスン。

 

「どうしても必要かい、ユグドラ……」

 

 ここまで言いかけたブルーノの骸骨の口を、アリスンの柔らかく(しな)やかな指先が塞ぐ。

 

「黙ったまま私の部屋まで来なさい。」

 

 言われるがまま、トボトボと骸骨頭の男は少女の後を追った。

 

「何故、私がこうしたか……わかる?」

 

 無装飾なアリスンの個人空間(プライベートスペース)に入った後、振り返った少女は開口一番そう問うた。

 ブルーノは、あれ、アリスンの部屋ってこんな感じだったんだっけ?と違和感を覚えつつ正直に首を振る。

 

「NPCに聞こえる可能性のある場所で、ギルド維持資金の話をするのは賢明ではない……そうは思わない?」

 

 アリスンに冗談を言っている雰囲気はまったくない。

 

「……ゲームのキャラクタだよ?」

 

「ゲームのキャラクタは喋らないわ。」

 

「AIで何とでも」

「否!」

 

 アリスンは、言下にブルーノの反論を否定する。

 

「あなたが出掛けている間、ユワンと当たり障りのない会話をして過ごしたわ。彼はそう思っているでしょうけど、私が実際にやっていたのは対話試験(チューリングテスト)よ。仔細は省くけど、私の結論は、あの子は若干杓子定規なところはあるけれども確かに自分の意思で話している。」

 

「そんな馬鹿な。」

 

「それはあなたの単なる感想でしょ!

 目前にある事実にどう対処するかを考えなさいな!

 

 ユワンもサムも、拠点NPCには普通割り当てない高い知性の設定値(パラメータ)を与えられてるから、生半可に相手してたら読まれるわよ。」

 

「……それ、本気で言ってるの?」

 

「そりゃ、あんたは不死者(アンデッド)だし近接戦闘職だしギルド武器暗黒整数剣(ダークインテジャー)もあるからのほほんとしてられんでしょうけど、こっちは生産職であの子らが本気出して向かって来たらひとたまりもないんだから。」

 

「ユワンもサムも百レベルNPCでボクらよりレベルが上だけど、でも、ボクらの下僕(しもべ)じゃないか!ちゃんと様付きで呼んでくれてるし。」

 

「ギルド拠点が維持出来ている間はそうでしょうね。でも、私の見積もりでは()って一ヶ月。

 ユグドラシル最終日に残ってた金貨の払い戻し(キャッシュバック)やってたら、(とう)にわたしら、あの子らに殺されてるわよ。

 ユワンは、わたしらがログインしてこなかった半年間が(つら)かった、って私に言ったの。この事態が始まると同時にギルドが崩壊して忠誠がなくなってたら、その反動でわけもわからないうちに瞬殺されてたわ。」

 

「ゲームだよ!これ、ゲームなんだよ!」

 

「なワケないでしょ!

 わたし……アレが来たのよ。」

 

「……はぃ?」

 

「生理がきたのよ!ゲームなわけないでしょ、これが!」

 

 ブルーノは二の句を継ぐことが叶わない。

 

「あんたも薄々わかってはいるんでしょ?

 何も食べてないでしょ?一睡もしてないでしょ?疲れもしないでしょ?」

 

 少し考えた後に、こくこく、とブルーノは骸骨頭を縦に振った。

 

「私は眠くなるし、疲れるの。人間だもの。生理までくるのよ、女だもの。」

 

 そう言いながらアリスンはやおら肩を払って上着を脱ぎ、自身の形の整った乳房を晒して見せた。

 

「え?なに!」

 

 ブルーノは慌てて甲冑の籠手(こて)で顔を覆い自身の目線を遮る。

 

「……何やってんのよ、バカ!

 ちゃんと見てご覧なさいな、何か感じる?」

 

「アリスンのおっぱい……がある。」

 

「性欲、感じる?」

 

「……ごめん、まったく。」

 

 はーっ、とアリスンは深い溜息をついた。

 

「何詫びてんのよ!あんたを誘惑したくてやってんじゃないわよ!

 もはや骨のあんたには、肉欲なんてモンもなくなっちゃってるでしょ、って言ってんの!」

 

 そう言われてブルーノは愕然とする。

 確かに……本来の自分、青野九十九(つくも)であったならば、密室に美しい少女と二人でいるときに唐突に乳房を晒されたら、衝動のままに行動するかどうかはともかく、望むと望まざるとに関わらず興奮はしただろうし、表向きの興奮は抑えられたとしても勃起は抑えられまい。

 だが今の自分には、その勃起すべき()()がない。骨だもの。

 

「わたしを有村って呼ぶな、ってのは、NPCを混乱させないため、ってのももちろんあるけど、それ以前に、わたしらはもう、有村一二三(ひふみ)でも青野九十九(つくも)でもないのよ。アリスンとブルーノなの。頭を切り替える意味でも、言葉遣いには気をつけた方がいいわ。」

 

「……どういうこと?」

 

 ナニを失ったとて、自分は青野九十九(つくも)であるはずだ、とブルーノは思う。

 

「本当は、これ、言いたくないのよ。あなた、確実に傷つくから。まぁ、不死者(アンデッド)だから、仮にそうなったとしてもすぐにケロリ、だとは思うんだけどね。」

 

「な、なんだよ!ビビらせるなよ!」

 

「覚悟がないなら()めておくけど……どうする?」

 

 やはりアリスンには冗談を言っている感じはまったくない。

 腹を括ってブルーノは続きを促した。

 

「……言ってみろよ。」

 

「その前に武器を手放して。発作的に斬られるのは真っ平御免だから。」

 

 そんな大袈裟な、と思いつつも、やはりアリスンはまったくの真顔なので、ブルーノは腰に()げた、この世のあらゆるものの数理的秩序を破壊して切り裂く、と謳われるギルド武器暗黒整数剣(ダークインテジャー)を、自分から少し離れた床にそっと置いて元の立ち位置に戻った。

 

「これでいい?」

 

 アリスンは途端に、容赦なく重い一言を放った。

 

「あなた。奥さんの名前、言える?」

 

 沈黙。

 

 そして。

 

 真銀(ミスリル)の甲冑を纏った骸骨は、パカリと口を()けたまま全身から神々しい緑色の光を放った。

 

 

                    *

 

 

「やっぱりこれ、面倒臭いなぁ……。」

 

 ()度目の城塞都市オークネイス訪問のために、街道に面した払暁の森の中で、召喚した骨の一角馬(スケリトルユニコーン)を装甲しながらブルーノは独りボヤいた。

 これをやることになったのは、一度目の訪問に際し、ユグドラシル時分と同じノリで骸骨そのままの姿で街に立ち入って大騒ぎを起こしたからだ。街を取り仕切っているのが彼の常識からすれば雑魚怪物(モンスター)に過ぎない豚鬼(オーク)であることには事前に気づいていたので、よもや不死者(アンデッド)がこうも恐れられようとは思いもしなかったことだ。

 仕方がないので、アリスンに言われるまでもなく、ダっサいなぁ、と思いつつも手持ちの中で他に選択肢がなかったがために鋳鉄製の兜面(フルフェイス)を被り、馬にも装甲を施す羽目になった。

 

 この世界で入手した金貨の余りに期待外れな換金率に、コンチアンと約した残り金貨の受け取りなど必要ないと考えたブルーノに対し、アリスンは、

 

換金箱(エクスチェンジボックス)は素材の絶対的な価値に反応するものだから、残りの金貨を何か金属の(インゴット)に替えて持ち帰って。この試みがうまくいくようなら、鉱山開発に望みがあるかもしれない。」

 

と主張し、城塞都市オークネイス再訪をブルーノに勧めた。

 

 アリスンがそう言うのであれば、ブルーノには断ることは不可能だ。

 彼女の決定は絶対で、理屈で彼女に敵うはずもなく、実際アリスンの判断は大抵の場合において正しい。

 

 オークネイスに向かって馬を走らせながら、ブルーノはアリスンが語った解釈を反芻してみる。

 

「奥さんの名前、思い出せないでしょ?

 私も、亭主の名前が思い出せないのよ。」

 

 自身の妻の名前が思い出せない衝撃を不死者固有の動揺抑制で乗り切ったブルーノに、アリスンは何の躊躇いもなくそう告げた。

 

「……いったい、どういうことなんだろう。」

 

「まだギルドがユグドラシルにあった頃、あなた、この部屋に入ったことあるわよね?」

 

「あぁ……何度かあったような気はする。」

 

「この部屋の様子、覚えてる?」

 

 あぁ、それか!さっきから感じていた違和感は。

 

「そこは気になってた。

 入ったことがあるはずの部屋なのに、まるで初めて見たような印象だ。」

 

「私もなのよ。」

 

「……えっ!」

 

「自分の部屋に何があったか、はわかるのに、部屋の様子がわからなかった。

 で、気付いたのよ。どうして、あなたが奥さんの、私が亭主の名前を思い出せないのか。」

 

 アリスンは、自分たちの記憶が、突き詰めればギルドの玉座の間、または円卓の間で語ったことに限られているのだ、と主張した。

 二人は共に既婚者であり、互いに配偶者の愚痴を円卓の間でしばしば交わす間柄ではあったが、気恥ずかしさからなのか後ろめたさからなのか、(つい)ぞどちらも「嫁さんが」「亭主が」と言うばかりで配偶者の名を口にすることがなかった。

 同様に、アリスンが何かの用事でギルド内の自身の私室にブルーノを招く場合、円卓の間で落ち合って声をかけ、そこから移動するのが常だった。だから、どちらもアリスンの私室をブルーノが訪れた、という記憶ははっきりしている。が、今の二人は玉座の間、または円卓の間で語らったり聞いたりしたことしか覚えていないので、アリスンの私室での出来事は……そこで語らった内容を玉座の間か円卓の間で反芻していない限り、思い出すことができないのだ。

 その他のギルドの出来事も、思い出せるのは玉座の間、または円卓の間で語ったことばかりで、ギルド外での冒険を覚えているのはあくまでもそれをそれらの場所で振り返って語らったからであって、冒険自体の記憶はない。その証拠に、ギルド拠点がニザフョッル山に連なる無名の峰の麓にあったことははっきりと覚えているのに、そこに鎮座する我らがギルド拠点の外から見た見た目(ヴィジュアル)がまったく思い出せないではないか、と。

 

「もう物理的にあり得ないけど、百歩譲って今の私達がVRデッキに座った有村一二三(ひふみ)、青野九十九(つくも)だとしたら、いくら互いに愚痴ってた相手だとしても配偶者の名前が思い出せないなんてあり得ないでしょう?つまり、その線は完全に消える。

 そして、今話した、わたしたちの記憶がどうやらギルドの玉座の間、または円卓の間で語ったことに限定されるらしい、を勘案して考えれば、わたしたちはユグドラシルのサービス終了と同時に、ギルドの公共空間(パブリックスペース)で記録された情報(データ)を元に何らかの作用でこの異世界に再構成された複製(コピー)……と考えるのが一番しっくりくるわ。」

 

 アリスンから告げられた衝撃的な仮説を思い出しつつ、ブルーノは慌てて手綱を引き絞って愛馬の速度を緩めた。日の高いうちのオークネイスは決して人通り多い街ではなく、通りは閑散としていた……ブルーノは不死者の索敵能力によって街が多数の生者で溢れていることには前以て気づいていたので、これは人口が少ないからではなく、豚鬼(オーク)たちが極めて理知的な存在で日中は何らかの生業に就業しているためだ、と考えている……ので下馬することなく代数冒険者組合(ギルド・アルジェブラ)まで至ったものだが、今朝はまだ随分と早いのに人通りがやたらと多かったからだ。

 

 豚鬼の通勤ラッシュ?

 この世界にもそんなものがあるのか!

 

と益体もないことを考えたブルーノだが、人目につくところで召喚獣を消すのも憚られ、馬々鹿々しく感じつつも轡を取って歩いていると、やたらと幼少に見える豚鬼たちが自分の周囲を興味深げに走り回っていることに気づく。

 既に森林長虫(フォレストワーム)を一日で三十匹以上狩った鉄仮面騎士(ライダー)の噂は街に広がっており、コンチアンが()()()()残りの報酬受渡日もわかっていたので、その勇姿を一目見ようと野次馬が集まっていたからなのだが、流石にブルーノはそこには思いが至らなかった。

 

「あぁ、ブルーノさん!お待ちしておりましたよ!」

 

 冒険者組合に着いてみると、コンチアンが建物の外に出てブルーノ来訪を今か、今かと待ち構えていた。

 

「大物がいくらか含まれてましたんでね、少し色を付けさせてもらいました。」

 

 馬を置いて……召喚獣は彼が命じない限り決して動かないので繋ぐ必要もない……建屋に入ると喜色満面のコンチアンから大きな革袋が手渡された。中を改めるとざっと五十枚ほどの金貨が入っているように見える。これ自体にさしたる価値はなかろうが、アリスンの言う通り、これを以て贖える鉱物には今少しの価値があるかも知れない。

 そう考えて、この街でそういうものが手に入る場所を自然に訊き出すにはどう持ち掛ければよいものか、と思案するうちに、コンチアンの方から話が始まった。

 

「今日はいい話がありましてね。まだご入用なんであれば、受けていただけるとありがたいんですが。」

 

 そもそもコンチアンが払おうと思えば払えた最初の報酬を敢えて小出しにしたのは、この英雄級の力を持ちつつそこに自覚がないように見える冒険者に確実の再訪を動機づけ、その間により自身に旨味のある話を探すためだったのであり、見事それは図に当たった。

 

「突然(あらわ)れた(とりで)?」

 

「えぇ。ここから前回とは逆に北の方へ街道を進みますと左手から深い渓谷が合流してくるんですが、その向こう側に一際目立つ赤い岩肌の山がありまして、そのまんま赤い山(モンターニャロッソ)なんて呼ばれてるんですが、その中腹にそれまで見たこともない大層立派な砦が突然現れた、って話なんです。」

 

 コンチアンの話によると、それはブルーノが最初にオークネイスを訪ねて騒ぎを起こした直後の話らしく、街道を行き交う人々がこれに気づいて市当局へ知らせたものであるらしい。

 

「旦那はご存知ないかも知れませんが、先だってここでも日中突然街中(まちなか)骸骨(スケルトン)が現れる、なんて騒ぎがありましてね。」

 

 いや、それは知ってるよ。ボクだもの。

 

「そこへ来て突然現れた砦でしょう?皆、恐ろしい災厄の前触れなんじゃないか、なんて話になってましてね。とは言え、触れ得ざる塔の伝承もありますから、誰もビビっちまって様子見にすら行けやしねぇ。」

 

「触れ得ざる塔?」

 

 素直に「何だそれは?」と返したブルーノにコンチアンの胡乱な視線が突き刺さった。

 

「ほんと、旦那はいったい何処からおいでなさったのか!この辺りの者で触れ得ざる塔の話を知らぬ者なんておりませんよ。まぁ、ご出身を敢えてお尋ねはいたしませんがね。」

 

 コンチアンが語るには、今から遡って七百年前、カルサナス平原のほぼ中央、半人半馬(セントール)の国に突然水晶造りの塔が出現しそこから天使の軍勢が溢れ出て街々を襲った、という伝承があるのだと言う。随分と昔の話なのではっきりとしたところはわからないが、天使たちはすぐに何処かへ行ってしまい、水晶の塔は今なお沈黙したままに平原に佇んでいるのだとか。

 

「市当局は、渓谷を越えて問題の砦に接近し、喫緊の危険の有無を確認してくる冒険者を求めてます。もちろん、砦への接触、侵入は御法度ですぜ。またぞろ天使が溢れ出たら洒落になりませんからね。」

 

 話を聞きながらブルーノの心は既にコンチアンの話から逸れて上の空だ。

 この流れはユグドラシル時分にも馴染みのあるキャンペーンシナリオの導入部を想起させる。既に自分たちの力がこの世界の者たちに比べれば抜きん出ていることには自覚があるので、砦の探索に乗り出すのは当然として、正確な位置がわからないが、今なお平原に存在するという水晶の塔、とやらも気になるところだ。塔というからにはそれなりの質量があるはずで、これがすべて水晶でできているのだとすれば、うまくやれば一気にギルド維持資金問題が解決するかも知れない。

 

「いくらになる?」

 

 相変わらず短気なお人だ、とコンチアンは北叟笑む。

 ブルーノ自身は、今手元にある金貨五十枚で入手する鉱物の換金成績が良かったら、追加購入の資金があるにこしたことはない、程度の認識だ。

 

「百……五十枚、でいかかでしょう?」

 

 ブルーノは、おそらく市当局から出ている額はもっと多くて、コンチアンは自分の取り分をどこらへんまで確保できるか探っているつもりなんだろうな、と思うが、それが多少増えたところで、最終的に得られるユグドラシル金貨の数は誤差の範囲でしかあるまい。

 

「乗った。」

 

「流石はブルーノさんだ!」

 

「では早速行ってくるので、この金貨は預かっておいてくれ。

 もし頼めるものなら、ボクが出掛けている間にこれを、鉄だとか真銀(ミスリル)だとかの地金(じがね)に替えておいてもらえると助かるんだが。」

 

 自分でその手段を探して歩くのを厭うて、ブルーノはコンチアンへの丸投げを図った。

 言われたコンチアンはしばし「何のこっちゃ?」という顔をしていたが、

 

「はいはぃ、その程度のお手伝いなら喜んでさせていただきますとも!」

 

と請け負った。彼が首尾よく砦の様子を確認して生還した暁には、自分の手元にも同額の金貨百五十枚が残るのだから、意味不明の頼み事を断る筋はない。

 

「お見送りさせていただきますよ。」

 

 さきほど手渡したばかりの金貨の詰まった革袋を受け取ったコンチアンは、手刀を切りながらブルーノの前を横切り、彼のために扉を開いた。

 たちまちに彼の怒鳴り声がする。

 

「グォルァ!糞餓鬼ども、何してやがるッ!」

「「「うわぁーーー!」」」

 

 ブルーノが停めていた馬が何もしないのをいいことに、集まっていた豚鬼の子どもたち数人が上に乗って遊んでいたようだ。

 

「ハハハッ、別に構わないじゃないか。」

 

 後から出てきたブルーノはそう言って笑ったが、

 

「ブルーノさんはお人が(よろ)し過ぎるんじゃありませんか?」

 

と問われて、それを言ったらおまえの商売に困ったことになるだろう、と苦笑せざるを得なかった。

 もっとも、鉄仮面に覆われたその表情はコンチアンには伝わらないし、仮に素顔を晒していたとて、筋肉も皮もない骸骨の相貌は何も伝えることがなかっただろう。

 

「では行ってくるよ。地金の件はよろしく!」

「へいへぃ、確かに承りました!」

 

 こうしてブルーノは、さらに北に向かって未把握の地域へと歩みを進めることになった。

 

 

 

 ギルド、光輝(ルミナス)に対して、ブルーノとアリスンは後から加わったギルメンだった。

 青野と有村は、元々は別のオンラインゲームで知り合った仲間で、不思議と気が合ったのでずっとつるみ続けていたものだが、何かのきっかけで有村が他のプレイヤーたちと揉め事を起こし、その有村に誘われてユグドラシルを新たな遊び場に選んだ……ところまでは、ギルドに迎えられるに際し当時のギルド長、キャンベルに話したので憶えている。

 一方で、決してそれが禁忌(タブー)であったわけでもないとは思うのだが、当時の青野も有村も、ユグドラシルのゲーム空間内で競合他社のゲーム名を口にすることを憚ったものか、元々二人が遊び知り合ったゲームについてはギルドの仲間たちに詳細を語らなかった。

 

 そして……ブルーノは、有村と知り合ったそのゲーム名、はおろか、どんなゲームであったかについても思い出すことができずにいる。

 

 この事実は、アリスンが語った仮説……我々はユグドラシルのサービス終了と同時に、ギルドに記録された情報を元に何らかの作用でこの異世界に再構成された複製(コピー)だ、とする解釈に一定の説得力を与えている一方、ブルーノはまったく別のことが気がかりになっていた。

 妻の名前はおろか顔すら思い出せない衝撃もさることながら、自身が既婚者であった、という認識は、(ひとえ)にギルドの円卓の間で自身がアリスンにそう語った、という事実のみに依存している。自分がアリスンに告げた妻についての愚痴はすべて思い出せるが、今振り返るとそれらは、妻帯者であれば誰でも口にしそうなありふれた内容で、個性的な部分がまったくなかった。アリスンが語った夫についての愚痴も(おな)じくだ。

 

 はて……青野九十九(つくも)に本当に妻はあったのだろうか?

 

 かの仮説に思い至ったことをはじめとして、知性の面において有村一二三(ひふみ)が自分よりも遥かに優れていることは昔から承知していたことで、それこそがブルーノにとっての彼女の魅力そのものでもあったのだが、果たしてそれだけなのだろうか?

 <現実(リアル)>の有村がどんな女性であったのか、そもそも本当に女性であったのか、少なくともブルーノは記憶している限りにおいて断言することが叶わず、容姿や実年齢についてもまったくわからずにいる。有村、と言えば思い浮かぶのはアリスンの化身(アバター)の姿だ。

 そして、自分がゲーム上の相棒(パートナー)としての彼女との関係にとても満足していたことには自覚がある。ギルドの仲間たちから「男女の友情、なんてものが本当にあるんだね」とからかわれたことは一度や二度ではない。

 

 が……こうも考えることができるのではないか?

 

 ブルーノは、実は女性としての有村一二三(ひふみ)を深く愛してしまっていたが、その思いを告げることがゲーム上の良い関係にひび入れるのを恐れて、妻帯者を装うことで踏み入れざるべきところへ踏み込むことがないよう、自身を偽っていたのではないのか。実際ブルーノは、いたはずの妻の名前も容姿も思い出せない、という事実に驚きはしたものの、この未だ意味不明の事態から何とか脱出して妻と再会したい、という熱意をまったく持てずにいる自分により驚いていた。

 だが、そもそもの妻が幻であるならば、自身の今の情動にも納得がいく。むしろブルーノは、何とかして有村を……アリスンを守り抜きたい、ただそれだけを考えている自分に自覚があった。

 

 が、同時に……。

 

 人間の異性愛に欠かせぬ要素であった肉欲的な器官を一切失った自分は、アリスンに対してどのような意味においても性的な衝動をまったく感じないのだ。中世欧州で吟遊詩人が謳って歩いたという、騎士道の愛、などというものが実際に存在したのだとすれば、今の自分がそうであるのかも知れない、などとブルーノは思いを馳せ、そしてそんな自分を(わら)った。

 

 そんなことを考えながらひたすら北を目指して駆けていたブルーノは、前方に人気(ひとけ)を感じて手綱を引きその速度を緩めた。

 ここまで駆けた距離を思えば徒歩で旅する者が最初の中継地とする小さな町はほど近いはずだ。向こうに見える人だかりは、おそらく今朝早くそこを発ってオークネイス目指して南下してきたものだろう。そんな人々が立ち止まって、向かって左方向を指さしながら何か語らっている。

 

「……あれか。」

 

 彼らが指差す方向、深い谷を越えた対岸(たいがん)奥にコンチアンが言った通りの赤い岩肌の小山があり、確かにこんな場所にあるにしては新築同然のように見える砦が見える。

 そしてそれは……

 

「<要塞創造(クリエイトフォートレス)>?」

 

 ブルーノ自身に縁がなく実物をみたことがないと思うが、大規模ギルドが集団で長距離遠征をおこなうに際し、仮の橋頭堡を設ける第十位階魔法があったはずだ。

 今も自身の影に潜むNPC、幽霊の大魔法使い(ミラージュウィザード)サムに命じてこの世界でも位階魔法が発動することは確認済みだが、我々以外にも位階魔法を扱える者があるのか……しかも第十位階、というのは尋常ではない。加えて、仮にそうだとしてもその魔法は一夜の野営地の確保を目的としたもので、維持にMP(魔力)を消費するはずだ。コンチアンの話通りであればこれは一週間以上あそこにあったはずで、それを実現するMPの総量もこれまた尋常なものではない。

 

 そんなことができる存在がこの世界に居る、なんてあり得るだろうか?

 似て見えるのは単なる偶然だろうか?

 

「えらく勇ましい格好をしてなさるね。まさかあの砦に突入でもするつもりなのかい?」

 

 砦を指さしながらわいのわいの言っていた人だかりからブルーノに声がかかった。見たところ普通の人間だ。よもや豚鬼(オーク)のみの世界、とは思わなかったが、人間の旅人がオークネイスを目指しているところを見ると、少なくとも当地周辺では人間、亜人種が対等な社会関係を構築しているらしい。結構なことだ。

 

「……その、まさかさ!」

 

 砦の外見に一旦ギルド拠点に戻ってアリスンと相談すべきか、と迷わないでもないブルーノであったが、結果的に人だかりから投げかけられた言葉に(あお)られる形で進発することになってしまった。

 馬に鞭打てばその身体(からだ)は大きく(しな)って宙を舞い、後方からあがる歓声を無視してブルーノは渓谷を飛び越えた。全速で駆ければものの数分で砦の足元に辿りつけるだろう。

 

 果たせるかな、何者に出食わすでもなく目測高さ三十メートルほどの重厚感のある塔状の建物の足元に辿り着き、ブルーノは下馬する。どうしたことか塔の入り口と見られる扉は開け放されていて、まるでブルーノの侵入を誘っているかのようだ。

 コンチアンは砦への接触、侵入は御法度、と語ったが、仮に天使とやらが溢れ出したとて、ギルド武器暗黒整数剣(ダークインテジャー)の敵ではない。さりとて、この武器は強力であるがゆえの運用上の制約も少なからずあるので、ブルーノは敢えて抜刀はせず、探索序盤の露払いは下僕(しもべ)に任せよう、と考えた。

 

「サム!」

「はっ!」

 

 即座に彼の影の中から半透明の幽霊が現れる。

 頼りなげな外見であるが、レベル九十三のブルーノに対し、拠点レベルから生成されたサムは百レベル(カウンターストップ)、ギルド拠点防衛の(かなめ)たれ、と攻撃火力と継戦(けいせん)能力をほどよく均衡(バランス)された雷撃系魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。

 

「ボクのうしろに付いて。基本はボクが片付けるつもりだけど、ボクの攻撃範囲(レンジ)に入ってかつボクが標的(ターゲット)していないものについては、キミの判断で雷撃してもらって構わない。ただ、後半にどんな難敵が控えているとも限らないから、ボクが言うまでは最高でも第五位階までに絞っていこう。」

 

 ユグドラシルでもNPCへの命令条件はこんな感じだったから多分理解してくれるだろう、とサムにそう命じて、自身は所持品(インベントリ)から柄と刀身合わせて三メートルほどにもなる薙刀(グレイヴ)を取り出す。決して建造物の中で有利な得物ではないが、サムの支援もある状態ならばこれで十分だろう。

 

「これは……要らんわな。」

 

 ブルーノはずっと視野を狭くしていた不格好な兜面(フルフェイス)を外し、薙刀と入れ替わりに所持品に収納し、彼本来の骸骨の相貌が明らかとなった。

 最後に彼は、篭手(ガントレット)の上から嵌めた指輪の一つを軽く捻る。<脱出の指輪(リング・オブ・エヴァキュエイション)>の投錨(アンカー)機能だ。最悪、指輪を発動させれば今ある塔の入り口には瞬時に転移が叶うだろう。

 

「さて……単独(ソロ)なんて本当に久しぶりだけど、うまくやれるかな。」

 

「私もおりますので(ペア)、と言っていただきたいですな、ブルーノ様。」

 

と、背後から声がかかってブルーノは息を呑んだ。

 アリスンが言った通り、この物言いはAIのそれじゃない。確固たる自我を有する存在のそれだ。不用意に悪いことを口にしてしまった。

 

「ごめんよ、サム。まさか拠点の外でキミを相方(バディ)にできるなんて思いもしなかったからね。こういう日を迎えることができたのは幸いだ!」

 

と大袈裟目に喜んで見せる。

 

「私も、ブルーノ様の拠点攻略の後衛を務めさせていただけますのは光栄で御座います。」

 

 あぁ、こいつの忠誠を失う、なんてのは御免(こうむ)りたいものだな。

 

 ブルーノとサムは、塔内部への侵入を開始した。

 

 

 

「どうにも……拍子抜けだな。」

 

 ブルーノは、左手の(ひら)にさきほど拾ったユグドラシル金貨一枚を弄びながら、塔の階段を登っている。

 

 塔の内部は、それぞれの階はほぼ伽藍洞(がらんどう)で、上階への経路が、中央に螺旋階段で設けられている階と、外壁に沿って設けられている階、が交互に現れる構造になっていた。

 二階でいきなり骨の竜(スケリトルドラゴン)に出食わした。面倒臭いのでサムに対処を任せたら、

 

「第五位階までに絞って……とおっしゃいませんでしたか?」

 

 逆にサムからそう問われて、アリスンも言っていたがこれが、杓子定規、というやつか。こいつも存外面倒臭いやつだな、などと思いつつ、魔法の使用制限を第七位階まで引き上げる旨を告げれば、<連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>で一発で葬ってくれた。

 

 その遺骸の足元に落ちていたのがコレだ。

 

「ユグドラシル金貨がある、ってことは……やっぱりここはユグドラシルなのか?」

 

 以降、塔の九階まで登って来たものの、同じ伽藍洞(がらんどう)の構造が続くばかりで何者も現れない。

 わけがわからないな、と思いつつ、最上階と思しき十階に到達してみればここまでと様子が変わった。登りきった地点は壁で区切られた薄い部屋で、これみよがしに立派な両開き扉が隣室との間を隔てている。

 

「ここが終点(ゴール)か……。」

 

 そう確信したブルーノは、結局一度も振るうことがなかった薙刀(グレイヴ)を片付け、弄んでいたユグドラシル金貨を腰に提げた革袋にしまった(あと)、ギルド武器暗黒整数剣(ダークインテジャー)安全装置(セイフティ)を解除した。

 これは本来は、ブルーノとアリスンをギルド光輝(ルミナス)へ迎え入れた当時のギルド長、キャンベルの装備だった。キャンベルが一身上の都合でユグドラシルを引退した際、この武器と最も相性が良いから、という理由だけでブルーノが名目上のギルド長を引き継いだものだ。

 この剣は、攻撃が通れば24ビット値の無作為(ランダム)被害(ダメージ)を与えるという馬鹿げた代物で、最大で一千六百万余のHP(生命力)を相手から奪い得るが、逆に一振りする都度使用者のHPが半減するという副作用(デメリット)がある。

 ただしその威力の算出は下位から8ビットごと三回に分けておこなわれ、都度立ったビットの数が偶数でないと上位ビットが無効化(マスク)される、という癖のある挙動を示す。この一見混沌(カオス)な性質が暗黒整数(ダークインテジャー)の名の由来だが、つまり、二分の一の確率で()被害(ダメージ)は二百五十六未満となる一方で、四分の一の確率で六万五千余を超えレイドボスでもない限り百レベルプレイヤーを含むほとんどの敵の瞬殺が可能だ。一方で四回連続でハズレを引けば自身の残りHPは一割を切ってしまい近接戦闘の継続ができなくなってしまうという、文字通りの()()の剣。

 

「鬼が出るか、蛇がでるか?」

 

 ブルーノは、最低限の(トラップ)などの有無を確認した上で……もっとも彼自身は純然たる戦士系の組み上げ(ビルド)なので決してそれは万全ではなく、特に魔法の罠に対してはほぼ無防備ではあるのだが……扉に手を掛けた。施錠されている様子はない。

 

 そして、僅かに開いた隙間から中を覗き見て、

 

「……え?

 えぇーーーッ!」

 

 こちらの世界で行動開始して以来、アリスンの予測不能な言動を除けば何事にも特に驚くことのなかった彼をしても、思わず大きな声を出してしまった。

 

 そこにあったのは。

 

 黒鉄(くろがね)白銀(しろがね)の鎧武者を左右に侍らせ、自身は貴石(きせき)の玉座に悠然と腰掛ける金糸銀糸に縁取られた豪奢な漆黒の装束(ローブ)を纏った魔法詠唱者(マジックキャスター)。禍々しい<絶望のオーラ>を周囲を焼き尽くさんばかりに放っている。

 

 その相貌はブルーノ同様に……骸骨!

 しかも、これみよがしにその腹の中に浮かぶ妖しげな光を放つ紅玉は……。

 

「ひ、ひ、非公式ラスボス!」

 

 ブルーノは、右手で虎の子の暗黒整数剣(ダークインテジャー)の柄をしっかと握ったまま、何の抑制を受けたわけでもないのに身動きが取れなくなった自分自身に当惑した。

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