億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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ローブル聖王国の南端に、奇跡を施す聖者が降臨する。


余21話 転移歴1777年 告解(こっかい)
告解(1)


 「お出ましになられます。」

 

 先触れとして、薄布(ベール)の間仕切りを払って(あらわ)れた女性がそう告げると、小さな石造りの堂内で待っていた二人の男女は深々と伏礼を捧げた。

 伏せた姿勢からでも垣間見える待ち人の到来を告げた女性の下半身は明らかに大蛇のそれで、そのことに二人は少なからず恐怖を覚えるが、今はそんなことを気にしているときではない。

 

 ややあって、蛇女の(あと)を追って目的の人物が入室した気配がある。

 

「お立ちなさい。

 これは天が私にさせているもので、あなたがたに(へりくだ)る理由はない。」

 

 嗄れた、それでも力強い男の声でそう告げられ、男女はおずおずと顔を上げた。

 そこには、萌黄色の袈裟を纏った白髪の老人の姿があった。

 

「「嗚呼、聖主(せいしゅ)様!」」

 

 男女は感嘆の声をあげるが、老人は膝を折って男女それぞれの手を取り、

 

「そのような礼は不要だ。

 ……こちらは、あなたがたの娘子(むすめご)かな?」

 

と、堂の中央、やはり石造りの寝台に横たえられた十代と見える少女の遺体に目を向ける。既に肌は浅黒く変色しており、生前は愛らしかったであろうその顔も、頬は痩け落ち唇には割れ目が走って痛々しい。

 

「はい、聖主様。

 儚くも流行(はや)(やまい)にて命を落としました。(わたくし)どもにとっては何物にも代えがたい娘で御座います。どうか、お救いの御手(みて)を!」

 

 夫婦は老人に縋り付こうとして、大蛇の尾でそれを押し(とど)められた。

 

「狼狽えずとも、聖主様の力は絶対であらせられる。」

 

 その間にも老人は少女の遺体に手を翳して何やら呟き、品定めをしている様子。

 ややあって、老人は夫婦に告げた。

 

「あなたたちの願いは叶えられる。」

 

 やおら老人は、外見からは思いもよらぬほど力強く、その両の手を高く振り上げた。

 そして!

 

「<蘇生(リザレクション)>!」

 

 (まばゆ)い光が少女の遺体を包み込み、夫婦はそれでも愛娘(まなむすめ)から目を逸らすことが叶わず、細目(ほそめ)でその姿を凝視し続けた。

 

 するとどうしたことか!

 

 黒ずんだ肌には血色が戻り、痩けた頬はふっくらと膨らみ、割れた唇は瑞々(みずみず)しさを取り戻してその隙間から、ふぅ、と吐息が漏れたではないか。

 

「「なんと!なんと!」」

 

 夫婦は手に手を取り合ってぽろぽろと涙を溢し、この奇跡を喜んだ。

 半信半疑のまま、藁にも縋る思いで頼ったナズディークの聖主の噂は、本物だったのだ。

 

「聖主様、ありがとうございます!この御恩は一生忘れません!

 些少では御座いますが、どうかこれをお納めください。」

 

 夫の方が、脇に置いていた箱を、ずずずっ、と石床を滑らせて老人の方へと押し出し、蓋を開く。

 

「金貨が千枚ほど御座います。」

 

 老人は、やおらそこから一掴みの金貨を取った。

 

「蘇生から()もない娘子(むすめご)は体力も衰えている。

 帰路、これで精のつくものを食べさせてあげなさい。」

 

「そのようなお気遣いまでいただけて、この御恩は死んでも忘れはいたしますまい!」

 

 妻の方が再び伏礼を執りつつ、下賜された金貨を、両手を恭しく捧げ受け取った。

 

「他にも救いを求める者があるので、私はこれにて。」

 

 袈裟を翻し、夫妻が聖主と呼んだ老人は薄布(ベール)の向こうへと歩み去った。

 これに蛇女が続くが、彼女がその長い尾で金貨の詰まった箱を包み込むと、それは魔法のように消え去った。

 

 伏礼したままの夫妻には目もくれず、蛇女が老人に問う。

 

「今日はこれでもう終わりになさいますか?」

 

 石造りの回廊を進みながら老人が応じる。

 

「いや、まだMP(魔力)には余裕がある。もう一部屋訪ねよう。」

 

御心(みこころ)のままに。」

 

 蛇女は老人を先導して進み、さきほどの小部屋と似たような造りの隣室に至る。

 同様の構造が、石の扉で堅く閉ざされた中央の部屋をぐるりと放射状に取り囲んでおり計十二部屋。小部屋同士は互いにつながってはおらず、既に救いを得たものは続く待ち人にその場を譲り、待ち人は奇跡をそこで待つ。

 老人は日がなこれらの小部屋を、その日のMPが()きるまで順に訪ねる暮らしを続けている。

 

「お出ましになられます。」

 

 小部屋にはやはり伏礼のまま待つ老爺の姿があった。

 中央の石の寝台には、色とりどりの花で飾られた老婆の亡骸が横たわっている。

 

「聖主様、どうか妻を復活させてください!」

 

 老爺は絞るような声をあげて訴えた。

 萌黄色の袈裟の老人は溜息を吐く。

 

「残念ながら、あなたの願いは聞き届けられない。

 天寿を終えた者に復活はないのだ。」

 

「そ、そんな!」

 

 老人の宣告に老爺は強く狼狽(うろた)え、膝立ちのままに聖主と呼んだ老人に詰め寄るも、蛇女の尾で行く手を遮られた。

 

「よい。」

 

 と老人は、下僕(しもべ)に手荒な真似はするな、と制する。

 

「むしろ、癒やしを要するのはあなた自身だ。

 <獅子の心(ライオンズハート)>!」

 

 老人がそう(とな)えながら按手を与えると、取り乱した老爺はたちまちに落ち着きを取り戻し、続いてぽろぽろと涙を流した。

 

「わかってはいたのです!

 それはわかっていたのですが……聖主様にお縋りする思いを(こら)えられませんでした。」

 

「気持ちはわかる。亡き奥方もあなたの愛に微笑んでいるだろう。

 だが、奥方が真に望むのは、あなたもまた遺された天寿を全うすることだ。」

 

「嗚呼、仰せの通りです、ありがたい仰せです!」

 

 老爺は伏礼を繰り返し、相変わらず震えてはいるものの、聖主の入室に際してのそれに比べれば見違えるほど強い声でそう応えた。

 

「奥方の遺骸を聖なる炎で清めよう。よろしいかな?」

 

「是非ともお願いいたします。」

 

 本来それが攻撃魔法であることを悟られることを憚ってか、聖主が無詠唱(サイレント)で魔法を発動させると、たちまちに眩い青い炎が老婆の遺骸を包み込み、灰すらも遺さず消え去った。

 

「これは、亡き妻が身を飾った宝飾品で御座います。どうかご納受ください。」

 

 老爺が小箱に修められた貴金属、宝石を差し出すと、これを受け取った聖主は素早く中を漁って指輪を一つ取り出した。

 

「これは、あなたが持っているといい。

 分相応の死があなたに訪れるまで、奥方が共に在ってくれるだろう。」

 

「なんともありがたき仰せ、形見(かたみ)とさせていただきます。」

 

 それを恭しく受け取って伏礼を執る老爺に、やはり一瞥も与えずに聖主は小部屋を出る。

 際して、ゴホッ、と鈍い咳払いを一つ。

 

「今日はこれでもう終わりにいたしましょう。」

 

 後に続いた蛇女から心配げな声がかかるも、

 

「いや、先の者に費やしたMPは僅かであった。もう一組(ひとくみ)は癒せよう。」

 

 蛇女にとって、(あるじ)の言は絶対だ。

 

御心(みこころ)のままに。」

 

 次の部屋に待っていたのは山羊人(バフォルク)の男性が二人だった。

 一人は右腕が肩からない。

 

「聖主様にお願い申し上げる!」

 

 両腕がある方の山羊人が訴えた。

 

「こちらは我が戦友(とも)。私の命を守るため、自身の右腕を犠牲にした気高い戦士だ。どうか彼の右腕を元通りにしてやって欲しい。」

 

容易(たやす)いことだ。」

 

 事も無げに老人は応じた。

 

「いや、待ってくれ。」

 

と山羊人。

 

「私には対価に捧げる財がない。だから、彼の右腕に救われた我が命を以て贖いたいが、構わないだろうか?」

 

 おもむろに曲刀(シャムシール)を抜刀した山羊人は刃先を自身の首筋に当てたが、これには隻腕の山羊人が抗議の声を上げた。

 

「何を馬鹿なことを!

 聖主様、どうか無礼を赦して欲しい。こいつがこんな事を言い出すとは夢にも思わぬこと。友人の命と引き換えに腕を取り戻して何の益あろうか、願いは取り下げさせてもらいたい。」

 

「おまえの腕に救われた我が命、おまえの腕に贖って何が悪い!」

 

「それこそ本末転倒だ!何故オレが我が身を以ておまえを庇ったかがわからんか!」

 

 ぶん、と蛇女の尾が振り下ろされ二人の山羊人を左右に分ける。

 

「聖主様の御前(ごぜん)である。」

 

 たちまちに二人は佇まいを改めて恐れ入った。

 

「よい。」

 

と聖主。

 

「あなたが(おの)が命を捧げて友の右腕を贖わんと抜いた、その(かたな)をもらおう。」

 

「こ……こんなものでよい、と仰せか?」

 

 長年使い古された曲刀(シャムシール)は、よく手入れが行き届いてはいるが、度重なる()ぎに刀身はやせ細り、柄の細工もみすぼらしいものだ。

 老人は敢えて返事を返さず、隻腕の山羊人に片手を翳す。

 

「<上位治癒(グレーターヒール)>!」

 

 失われた右腕の形に光が集まったと見えるや、傷一つない逞しいそれが(よみがえ)る。

 

「あなたたちの友情が、永遠(とわ)ならんことを。」

 

 そう諭されて、二人は聖主に深くひれ伏した。

 

「「ありがとうございます!そのお言葉、命に刻みます!」」

 

 ゴホッ。

 

 再び咳き込みつつ老人は薄布(ベール)の向こうへと歩み去り、捧げられた曲刀(シャムシール)を無造作に受け取った蛇女は、それを自身の所持品(インベントリ)に仕舞い込みながら心配そうに後に続いた。

 

「今日はもうこれで……」

 

「あぁ、そうだな。待っている者たちには悪いが、MPも非常時に備えての閾値を切った。」

 

「では、触れして参りますので先にご休息ください。

 <解錠(アンロック)>!」

 

 蛇女の指先が回廊中央の部屋へ続く石扉を指差し、音も立てずに扉が開かれる。

 

「そうさせてもらおう、済まないな。」

 

 老人は部屋に入り、お気に入りの安楽椅子(ロッキングチェア)に腰掛けた。

 今日も、随分な数の救いと癒やしをもたらすことが叶った。捧げられた(こころざし)も、決して多くはなかったが本日分のギルド維持費には十分で、それはすなわち万が一に備えての備蓄にもつながる。

 

 もっとも。

 そんな日々ももう長くは続くまい、と彼は考えている。

 

 いったい、どれくらいの間、自分はこれをやってきたんだろう?

 

 既に皴だらけになった自身の両手を眺めつつ、老人は物思いに耽る。

 記憶がはっきりしているのは、いくら遡っても三年に及ばない。それ以前は、ユグドラシル最後の日、そのサービス終了日に、既に誰も訪れることのなくなっていたギルド拠点、ナズディーク・ビ・ビーゲイン地下聖堂の玉座の間で、仲間たちとの思い出に耽りながら寝オチした瞬間につながってしまう。

 

 だが、その時点の自分、ギルド融合(アマルガム)回復担当(ヒーラー)であった白呪術師(ホワイトシャーマン)ジャシムは、肉体年齢は二十代後半だったはずだ。

 改めて自身の両手に視線を落とせば、それは明らかに八十代の老人のそれ。神聖系位階魔法の発揮には何の影響もないものの、少し歩く都度に息も絶え絶えになりがちな今の自分は、余命幾ばくもない老人だ。

 

 これがいったい何を意味するのか、自分は考え続けてきたはずだ、とジャシムは思う。

 だが、その答えはみつからないし、今後もみつかる当てはない。

 今この瞬間、それがわからないのが何よりの証拠だ。

 

 ユグドラシル最後の瞬間から今に至るまで、時間は切れ目なくつながっていて、途中が思い出せないだけなのだろう、とジャシムは確信している。これが加齢によるものなのか、はたまた何らかの未知の作用によるものなのか、はわからない。

 その一方で、何故自分がさきほどまでやっていたような、見ず知らずの人間、亜人に癒やしを与え、聖主様と称えられて幾ばくかの謝礼を受け取る日々を送っているのか、その理由については明らかだ。

 

 この仕事の助手を勤めてくれているNPC、蛇人(ナーガ)のリーラを含め、自分にはユグドラシル時代から率いてきた拠点防衛NPCがある。彼らを統率し続けるにはギルド拠点を維持し続けなければならない。そのためには毎日一定量のユグドラシル金貨が必要だが、記憶にある限りそれを入手する手段は何らかの財物を換金箱(エクスチェンジボックス)に投げ込むしかない。その財物を得るために、自分はこれをやっているのだ。

 

 では、何故拠点防衛NPCを統率し続けなければならないのだろうか。

 これについては明確な記憶がないが、おそらくそうであろう、と思い当たるところはないでもない。

 

 (カルマ)中立(ニュートラル)で、拠点防衛線のNPC指揮官であることを期待されたリーラは、救いをもとめてやって来る人間、亜人に対していささか振る舞いが突っ慳貪なところがあるにせよ、無碍にこれを傷つけようとはしない。有り体に言えば、彼女はギルド外の存在に対し、それが明白な敵でない限りはまったく関心がないように見えた。

 対して、純粋に拠点防衛火力として創造された火炎竜(サラマンダー)のティム、魔将(デーモンロード)のジョン、嘆きの妖精(バンシー)のサラは、(カルマ)は悪、知性の設定値(パラメータ)はすこぶる低く、ギルド拠点が健在である限りジャシムの命じるところに対しては驚くほどに従順ではあるが、ギルド外の存在に対してはまったく無慈悲な者たちだ。

 

 おそらくは。

 

 覚えていないだけで、おそらくは以前に自身が発したギルド拠点維持のための命令に従い、ティムたちは少なからぬ被害を当地周辺の人間や亜人に与えたのではないか。

 それに気づいた自分は大慌てで回復(リカバリ)に努め、以て奇跡を施す者と認知された自分は、聖主様、と崇め奉られて、結果捧げられる供物でかろうじて拠点維持費を賄ってきたのではないか。

 

「失礼いたします。」

 

 石の扉がやはり音も立てずに滑って(ひら)き、下僕(しもべ)リーラが姿を(あらわ)した。

 上半身は人間の女性の姿形(すがたかたち)で美しい顔立ち、細身(スレンダー)ながらも女らしい柔らかな体線(ボディライン)が光沢のある上着(ブラウス)越しに伺うことができる。だがその肌の色は青白く、瞼を欠き代わりに瞬膜(しゅんまく)(またた)く瞳は虹彩のない白一色で、初見でこれを薄気味悪く感じない者はいないだろう。ましてや続く下半身は見紛うことなき大蛇のそれ。鈍い金属質の輝きを放つ鱗に覆われ、本気で振るわれれば巨人ですらも弾き飛ばすであろう力強さを感じさせている。

 

 ただ一人ジャシムだけが、そんな彼女が実に気立てのよい、(こま)やかな心遣いができる女性であることを知っている。

 

「本日御身(おんみ)に捧げられた供物の中に、美味しそうな瑞々(みずみず)しい果実が御座いました。いくらか剥いて差し上げましょうか。」

 

「あぁ、そうだな。そうしてくれるか。」

 

 リーラは自身の所持品(インベントリ)から林檎のような果実二つと小刀(ナイフ)、木皿を取り出し、器用に剥いて切り分けた小片を木皿に載せ、ジャシムに差し出した。飲食不要の指輪(リング・オブ・サスティナブル)で養われている身ではあるが、たまにこうしたものを口にするのは精神衛生を改善する。

 

「……素朴だが美味しい。リーラも食べなさい。」

 

「では、お言葉に甘えて。」

 

 リーラはぽそぽそ、と果実を啄み、ふふ、とジャシムに向けて微笑みを浮かべた

 その、世話女房のような振る舞いに、ジャシムは癒やしと同時に当惑を覚えてもいる。数年前まで、彼女はユグドラシルのキャラクタに過ぎない存在だったはずだ。が、記憶のどこかの時点から、彼女は列記とした自我を有する下僕(しもべ)として、絶対の忠誠を自身に捧げ続けてくれている。

 自分一人では、決して今おこなっている活動を継続できたと到底思えないジャシムは、リーラの存在に感謝しつつも、同時に申し訳無さも感じていた。彼女からすれば、ギルドプレイヤーである自分は忠誠心を捧げるべき対象であるのだろうが、ジャシムからすれば自分はユグドラシルのプレイヤーであるに過ぎず、本来その背後にあったはずの人間であった自分は、決してこのような絶対の忠誠で遇されて然りの秀でた人物ではなかった。

 

 そして、(いま)自分は自身の寿命がまさに尽きようとしていることに自覚がある。

 

 その後、忠誠の対象を失った彼女たちはどうなってしまうのだろうか。

 自分亡き後、彼女らはギルドを維持し続けていくことが可能なのだろうか。

 

 ギルドが崩壊したら。

 リーラはともかく、目下は大人しく地下で惰眠を貪ってくれているティム、ジョン、サラは、どのように振る舞うだろうか。

 

 最近、そんなことばかり考えている。

 そして、いよいよ迫り来た運命の日の予感に、ジャシムは、今の今まで敢えて気にせぬよう努めていた疑念に向かい合う覚悟を決めた。

 

「リーラ。」

 

下僕(しもべ)の名を呼ぶ。

 

「はい、ジャシム様。」

 

 彼女は、外部の人間、亜人たちの前ではジャシムのことを、聖主様、と呼ぶが、二人のときだけはこのように真名を口にするのが常だ。

 

「すまないが先に地下聖堂へ降りていてくれるか。

 私は少し一人で考え事をしたい。追って降りるので先に休んでいてくれ。」

 

 リーラの表情が俄に不安げに歪む。

 

「いや、心配しなくていい。本当に少し一人になりたいだけなんだ。

 呼ぶまでは、一人にしておいてくれるか。」

 

 (あるじ)に命じられれば、ギルドの忠誠の縛りの下にあるリーラに抗う(すべ)はない。

 

「……承知いたしました。」

 

 おずおずとリーラは引き下がり、地下へ続く石扉を開いた。

 ジャシムたちのギルド拠点、ナズディーク・ビ・ビーゲイン地下聖堂は、この部屋に口(ひら)く入口を起点に地下三階層の広がりを有しており、周辺の人間、亜人が救済を求めて訪れる十二の石室は、これを取り囲むように造られている。

 

「おやすみ、リーラ。」

 

 ジャシムは、何でもない(ふう)を装いながら下僕(しもべ)を見送った。

 その気配が地下へと去っていったことを確認し、改めて安楽椅子(ロッキングチェア)に深く腰掛け、気持ちを整えるべく大きく息を吐いた。

 

 そして。

 誰もいない石室で、明朗な声でこう言ったのである。

 

「覗き見ておられる(かた)

 私はもう、そう長くはない。一度顔を見せてはもらえませんか?」

 

と。

 

 

                    *

 

 

「未確認のユグドラシルNPCと思しき存在を検知。

 (ドラゴン)1、魔鬼(デーモン)1、不死者(アンデッド)1、その他複数。推定レベル総計300、脅威度大。」

 

 七十年ほど遡って転移歴1700年。

 最初に兆候を捉えたのは、ナザリックの目、ニグレドの定期的な長距離探査(ロングレンジスキャン)だった。

 

 幸いにも相手方は探査(スキャン)に対する反撃措置(カウンター)を有してはいなかった。

 さりとて、脅威度大以上の存在を検知した場合はそれを警戒して一旦探査は打ち切れ、というのは常日頃からアインズに厳命されているところなので、彼女は素直にそれに従い、自身の気づきをアインズと可愛い方の妹(アルベド)に報告した。

 

 検出地点は、人間たちがローブル聖王国と呼ぶ領域の南の端で、ニグレドの探査可能範囲(スキャンレンジ)の外縁に近いこともあり正確な座標までは特定されなかったが、速やかにデミウルゴスが恐怖公配下の眷属たちを差配し、情勢の把握を開始した。

 意外なことに、現地に入った恐怖公眷属(ゴキブリ)たちは、ニグレドが検知したところのユグドラシルNPCそのものを発見することが叶わなかった。少なからぬ人間、亜人の集落に略奪の痕跡がみられたため、何らかの強襲行為がおこなわれたのは明白だが、彼らは長居せずに即時撤収を図ったらしい。

 

 この時点で、アインズは警戒(レベル)最大を宣言した。

 

 転移歴1500年の来訪者(プレイヤー)、鬼顔城の連中は、アインズとツアーの強襲を受けるまで自分たち以外の強者の存在をまったく警戒している様子がなかった。対して今回の連中は最低限必要な物資を回収し次第、即時撤収したらしい。

 これは、ギルド拠点がまだ活きており、かつ、正しい戦略(がん)を有するプレイヤーに率いられていることを示唆する。アインズは、いささかの不謹慎さを覚えつつも、かつてなかった噛みごたえのありそうな来訪者の出現に、自分が心を踊らせていることを自覚していた。

 

 が。

 

 三者三様それぞれの思惑で出陣許可を求めるシャルティア、コキュートス、セバス、を宥めすかしつつ、実際には自らも戦いの予感に高揚していたアインズの期待に反し、待てど暮らせど略奪の第二波は補足されなかった。

 相手方のギルド拠点の正確な位置、プレイヤー、NPCの戦力規模が不明な状態で仕掛ける、などということは、アインズからすれば思考の埒外の蛮行だ。(ゆえ)に、初回の略奪がおこなわれた町村を恐怖公眷属(ゴキブリ)に遠巻きに囲ませ、情報収集に専念させたものだがそこに実りはなかった。

 

 その一方で、

 

「どうにも妙なことになっておりますぞぉ。」

 

と、恐怖公が首を傾げつつ報告してきた内容は、かつてから三賢者(トリニティ)が、あり得る最悪の類型(ケース)の一つ、として思い描いてきたそれを想起させるものだった。

 

 曰く、ニグレドが検知したところの、百レベルに近い高火力NPCを主軸とした略奪集団を補足することはかなわなかったが、代わって、現地住民から「聖主」と崇められる人物の噂が聞こえ始めた、というのである。

 恐怖公が把握しているところによると、その真偽はさておき、現地住民たちは聖主が最初の略奪をおこなった魔物(モンスター)たちを聖なる力で封じ込めた、と考えており、また、聖主はその略奪で傷ついた人々を癒やして歩き、落命した者に至っては奇跡の復活をさせた、とまことしやかに語られているのだそうな。

 

 こちらの世界に渡り来る来訪者(ユグドラシルプレイヤー)の中でも、真に警戒すべきは、直感的に強大な敵となりえる前衛(アタッカー)、殲滅に高火力を要する防御担当(タンク)ではなく、むしろ回復担当(ヒーラー)である、というのは、以前からパンドラズ・アクターが力説してきたところだった。

 

「お考えください、父上。

 来訪者(ユグドラシルプレイヤー)がギルド維持資金を必要とする以上、力尽(ちからづ)くで奪うにせよ穏便に調達するにせよ、こちらの世界に対して何らかの働きかけをおこなうことになりましょうが、前衛(アタッカー)防御担当(タンク)は、戦闘の相手としては面倒でこそあれ、所詮自身は何も生じさせぬ者でありましょうから、略奪するにしても、結局のところ何らかの財の生産は現地住民に依存することになります。我らが、結果的にトブの大森林の守護者の立ち位置で糧を得ているのがよい例ですな。

 対して回復担当(ヒーラー)なれば、MP(魔力)が続く限り現地住民に便宜を供与することが可能となり、これは、それが一方的な支配であれ互恵関係であれ、安定して継続することが期待されるので御座います。」

 

「<現実(リアル)>の各種聖典に登場する聖者たちの多くが、病を癒やす者、死者を蘇らせる者、として描かれるのは、存外(まと)を射たものであったのやも知れませんなぁ!」

 

と愉快げに(わら)うデミウルゴス。

 

 アインズは「おまえ、そりゃタブラさんの十八番(おはこ)だろ!」と思うも口には出さない。

 タブラ・スマラグディナはそういった神話伝説の(たぐい)をこよなく愛しつつも自身は徹底した唯物的無神論者で、聖典に語られる癒し手は往時の人々がそういった空想上の存在に恋い焦がれた裏返しでしかない、と雄弁に語って憚らなかった。

 

「もっとも、その中でも一番有名な聖者は救いを与えた民衆の手によって(はりつけ)にされた、と伝え聞いておりますれば、此度(こたび)の来訪者を待つ運命もそのあたりではありますまいか。いや、あれは当の聖者が人類補完計画のために自ら画策したもの、と嘯かれているのでしたかな?」

 

 対してデミウルゴスは、そういった聖者譚をも陰謀論的に見ているようだ。

 如何にもデミウルゴスらしい、とアインズは苦笑いする。

 

此度(こたび)来訪者(プレイヤー)が、単に治癒や復活に対する対価を以てギルド維持資金を得るのみの者であれば捨て置いても構いませんでしょうが、それを足がかりに国家のようなものの樹立を目論む者なれば、十二分に警戒が必要かと。」

 

と応じるのは、比較的理知的な来訪者への対応策を一任されている守護者統括アルベドである。

 

「いや、アルベド。この世界への関与が略奪から始まっている以上、この者はかねてより想定されていた最悪の部類と考えるべきだろう。楽しい限りじゃないか!」

 

 デミウルゴスはそう声を踊らせる。

 

 回復担当(ヒーラー)がこちらの世界の人間、亜人社会と安定した関係性を築く可能性はパンドラズ・アクターからも指摘があった通りだが、デミウルゴスはそこからさらに一歩進めて、自作自演(マッチポンプ)救世主(メシア)、なるものを思い描いていた。

 曰く、自身の下僕(しもべ)に一旦現地住民を襲撃させておいて、これを引き下がらせた後に救済を施せば、よもや誰もその真意を疑うことなどあろうはずもなく、容易くプレイヤーは聖者、救世主として受容され、その後は思うがままに現地住民を操ることが可能になるだろう、とか何とか。

 何ならこの手段はかの六大神も用いた可能性は十分あり得るし、十三英雄とやらはそれにしくじって白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアーを巻き込んで収集を図ったものやも知れない、と、本当に楽しげにデミウルゴスは語った。

 

 アインズとしては、

 

 そんな馬々鹿々しい面倒臭いことするヤツ、いるか?

 ……おまえじゃあるまいし!

 

などと思っているが、言っても無駄なので口にはしない。

 

「……ゴホンッ!

 皆の申し(よう)はそれぞれに一理ある、とオレは思う。

 その上で、この状況で相手方の戦力全容が不明なままに先手を取るのも愚策に思われるので、しばらくは様子見でいいだろう。異議はあるか?」

 

「「「あろうはずも御座いません!」」」

 

 かくして、恐怖公眷属(ゴキブリ)による遠巻きの監視が継続されることになった。

 

 当初アインズは、この状態がそう長く続くとは考えていなかった。

 最初にニグレドが気付いたNPCのレベル総計推定から外挿すれば、相手方のギルド拠点レベルは少なくとも三百は超えるはずだ。その維持に要するユグドラシル金貨はナザリック地下大墳墓が求めるそれに比べればまことに微々たるものではあるが、穏便な手段での現地の財の収集で賄うのは決して容易ではない。

 遅かれ早かれそこに不安を感じた来訪者は、次の段階……ナザリックがそうであるようなより堅固な金貨獲得手段を自ら開発するか、あるいは、こちらの方がより本命ということになるが、穏便さを欠くより安易な手段……へ進むことを強いられるに違いあるまい、と。

 

 ところが、このアインズの予測に反し、その後のローブル聖王国南方は平穏そのものだった。

 

 眷属(ゴキブリ)たちは現地住民の噂話の収集にも余念がなかったが、いつからか来訪者と思われる存在は現地人から、ナズディークの聖主、と呼ばれるようになっていた。旧来からの地名に一致するものが見当たらないことから、これは来訪者が自ら名乗ったギルド名、または拠点名であることが推測されたが、記憶を辿ってもアインズには思い当たるところはない。

 もしこれが正しくギルドに由来する名であるならば、少なくともユグドラシル時代のモモンガが、警戒すべき潜在敵(ライバル)として念頭においていた者ではないことになるが、さりとて油断は禁物だ。

 

 そのうち、次第に周辺情勢の詳細が明らかになってきた。

 

 ナズディークの聖主は、突如現れた(ドラゴン)魔神(デーモン)亡霊(レイス)をローブル聖王国南部の人里から近からず遠からずの丘に封じ込めた聖者、と認識されており、その丘がナズディーク、と呼ばれていること。その丘の上に原住民有志が石造りの堂宇を建て、聖者を住まわせていること。ナズディーク聖堂と呼ばれるそこを訪ねると、如何なる怪我、(やまい)であれ癒やされぬことはなく、寿命を除き不慮の死者すら蘇ること。ナズディークの聖者は、癒やされた者からの寄進は受け取るがそれを強要することはなく、その一部を救いを求めた者に施してすらいること。

 

 この時点でアインズは一度ツアーを訪ね、今回はこんな来訪者が来ているようだ、と告げた。

 これを聞いたツアーは見るからに興味関心がない様子で、口にこそしないが「そんなの()っとけばいいんじゃない?」と言いたげだった。

 そんなことはツアーに言われるまでもなく……これを明言せずに、そんなの察しろよ、という態度で示すツアーにアインズはいささか不愉快を感じなくもなかったのだが、アインズとて放置で構わない、と思ってはいるのだ。

 

 思ってはいるのであるが。

 

 何かトンデモないことが起こるとしても、起こってから何とかすればいいんじゃない、ボクらに力尽(ちからづ)くで出来ないことなんて何もないんだから、と心の底から思っているツアーに対し、アインズは、事前に微かにでも兆候を掴んでいたことへの能動的な対処を怠った結果、後から(かえ)って手間が増えるという状況(シチュエーション)に耐えられない性格をしている。

 往々にして、その思いのままに事前に打った手の方がむしろ手間だった、ということをこれまでにも繰り返してきたような気もしないでもないのであるが、これはアインズにとっては損得感情の話でなく、好き嫌いに起因して沸き起こる思いであり、しかもたちの悪いことに、当の本人は常にこれを損得で合理的に判断しているつもりになっているので、完全無視(スルー)ができないのである、原理的に。

 

 その後も、数年おきに微々たる動きはあった。

 

 ナズディークの聖主の噂が広まれば、もたらされる奇跡を求める者のみならず、結果的にそこに財貨が集まることを期待する輩が現れるのも無理なからぬところ。実際、あるとき東方から野盗というにはやたらと組織化された、しかし軍隊と呼ぶにはあまりに野放図な集団が現れて、癒やしを与えるばかりで戦闘力を(おくび)にも感じさせないナズディーク聖堂を襲撃する構えを見せた。

 これに気づいたアインズは、ナズディーク……この時点で自然とナザリック勢はこの来訪者をこう呼ぶようになっていた……の戦力や戦術を知るよい機会だ、と諸手を打って喜び、それまで禁じていたニグレドによる直接探査(スキャン)もあらゆる防護措置の併用を前提に許可して待ち受けたのだが、あろうことか、少なからぬ犠牲者を出しつつもこれを撃退しナズディーク聖堂を守り抜いたのは現地住民有志だった。

 

 が、これをやらせたのがナズディークの聖主か、と問えば、どうもそうではないらしい。聖主は、どのような意味においても権力を掌握する様子を見せなかった。

 

 地政学的な観点から見ると、ローブル聖王国は、そもそもは神聖位階魔法に深く結縁した一族を聖王と仰いだことに(たん)を発して建国されており、その観念は建国から二千年を経た今日にあっても当地に暮らす人々に深く根付いていた。文字通り、奇跡を施すナズディークの聖主を、新たな聖王として担ごうとする一派が現れるのは、ある意味自然なことだった。

 これに対し、現ローブル王家、さらにはコキュートスが気まぐれに遺した円盾(ラウンドシールド)を今なお聖遺物(レリック)と奉じて崇めるアベリオン丘陵の亜人たちの中でも教条的な一派は、一時は警戒感を顕にして一触即発の気配を見せたが、結局は四つの(あら)ず教団の「何が正義であるかは自明でも不明でもない」の教えに撃発を抑えられた。

 当のナズディークの聖主自身が新聖王への推戴を言下に謝絶したことが伝わると、緊張感も次第に衰え、決して多くこそはないものの聖王国北部やアベリオン丘陵からも長駆して奇跡の癒やしを求め、ナズディーク聖堂を詣でる者が現れるようになった。

 

 こういった経過報告は、数ヶ月毎に惰性で開催し続けられている三賢者会議(トリニティ)においてアインズに知らされたが、これを聞くアインズの態度が、

 

「ほぅ。」

 

から、

 

「……ふーん。」

 

 やがては、

 

「あっそ。」

 

へと転じるのにさして時間は要さなかった。

 

 そのような次第であるからして、最初の存在認知から七十余年を経た後にエントマ・ヴァシリッサ・ゼータを介して恐怖公から届いた、

 

「ナズディークの聖主とやらが、アインズ様との面会を希望しているそうで御座いますぅ!」

 

の報せに対し、

 

「……何だっけ、それ?」

 

とアインズが応じたのも、これまた無理なからぬところではあったのである。

 

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