億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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山場(クライマックス)の前の幕間劇。


続・異世界の車窓から

 ナザリック地下大墳墓外苑防衛担当兼後方支援の(せき)を担う真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)、鮮血の戦乙女シャルティア・ブラッドフォールンの日常は、単調なものである。

 

 普段、彼女は第二階層に設けられた自室で、自身の眷属として創造された多数の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)(かしず)かれて暮らしている。彼女らは、言われずもがなにシャルティアの身の回りの世話をこなすと共に、(あるじ)に求められれば、寝具(ベッド)の上で如何(いか)なる淫靡な要求にも応える性の玩具ともなる存在だ。

 

 そんなシャルティアが、狩りの(とも)を含む至高の主の勅命による場合を除き、自室から出て行動する機会は、基本的には二つしかない。

 

 一つは何者かからの連絡を受け、どこかへ向けて後方支援のための<転移門(ゲート)>を開く場合。

 複数同時の要請の優先度(プライオリティ)を適切に判断できる知性を有している、と彼女は思われていないので、原則それは、至高の主からの最優先命令を例外に守護者統括アルベドから届くのが原則だ。例外的に、<お助け玉(レスキューボール)>を使っておこなわれる緊急脱出は彼女に直接連絡が届くが、これもその可能性が事前に告げられていないときは、彼女が勝手に即応することはない。

 

 もう一つは、ナザリック地上部周辺の哨戒だ。

 初代マーレの力を引き継ぐ一族が<大地の大波(アースサージ)>で形成、整備する丘陵地、アインズが定期的に展開する<幻覚(イリュージョン)>で守られ、加えてナザリックの目ニグレドの監視の目が光っているとはいえ、それでもナザリック近傍に迷い込む者は、かつてツアーの娘コニーが確信犯的にそれを()(くぐ)ったように、また極稀に確率的にその隙間を通り抜ける現地人があるように決して皆無ではない。これを捕捉すべくおこなわれる哨戒行動は、至高の主から特別に命じられる場合を除き全面的にシャルティアに任されている。

 

 その夜も、眷属たちとの妖しげな(たわむ)れを満喫してそれに飽きたシャルティアは、何となく思いつきでふらふらと地上に一人で出て、哨戒を開始した。

 

 これは彼女にとっては、自身の実益を兼ねた任務だ。

 

 というのも、原則ナザリックの下僕(しもべ)たちは、アインズの許しなくして現地住民と接触(コンタクト)することを禁じられているが、ナザリック外苑哨戒中のシャルティアに限り、邂逅した現地住民は、よほどの難敵でない限りは取って喰らうも(もてあそ)んで潰すも好き勝手、の特免が与えられているからだ。

 それは数十年に一度あるかないかの稀な出来事(イベント)でしかないのではあるが、すべてのナザリックの面々同様に、いやそれ以上に彼女自身のポンコツさも手伝って、過去の事例(ケース)などまったく記憶になく、そもそも記憶に(とど)めようという意思すら欠く彼女にとって、すべての邂逅は常に新鮮な蹂躙であり得る。そして、何度その期待を裏切られたかについてすらも憶えていない彼女は、繰り返される空振りの哨戒活動に倦むこともまた、まったくないのである。

 

「……世のぉ人は、あち〜きを何とぉも笑わば笑え〜、

 あち〜きを知るは〜、あち〜きのぉみ〜……でありんす!」

 

 出所不明の都々逸を上機嫌に口(ずさ)みながら、お気に入りの世界級(ワールド)アイテム<傾城傾国(チャイナドレス)>を纏ったシャルティアは、ふわり、ふわりと綿毛が風に舞うような歩調で深夜のナザリック外苑の草地を独り歩んでいる。

 彼女の哨戒範囲は、ナザリック地上部出入り口を中心におよそ直径10キロの円を描く丘陵の内側だ。その南の端の一角に至ったシャルティアは、何となく真上に向かって飛翔してみた。丘陵の高さはその外を行く者の視線を内側に向けて遮るには十分だが、彼女の飛行能力からしてみればないに等しい。

 高度が丘陵の頂上を少し越えたあたりで、途端に足元が霧に包まれたようになって見通せなくなった。これはアインズが定期的に展開している幻術の効果によるもので、ナザリック上空を通過する者から地上部の視認を防いでいる。

 自然とシャルティアの視線は南の方角、彼方に日中でも不死者(アンデッド)彷徨(さまよ)うカッツェ平野、その手前に大陸の東西を繋ぐ回廊平原を望む方へと向かった。日中であれば、稀に平原を東西に行き交う隊商(キャラバン)や旅人を認めることもなくはないが、それはシャルティアの管轄外だし、彼女の突き抜けて優秀な視覚がその捕捉を可能としているだけで、相手側が彼女の存在に気づく、などということはあり得ない。

 

 そして、今は深夜、ということもあって、ただ無人の野が静かに佇んでいる……はずだった。

 

「おんやー、でありんす!」

 

 思わずシャルティアは意味もなく口走る。

 

「アレはいったい……何でありんしょうか?」

 

 それは、彼女でなければ決して気付けないものであったろうが、シャルティアの注意を惹くには十分に怪しいものだった。

 ここから見ると平原のほぼ中程を人間たちが使う街道が(とお)っているが、そのさらに向こう、カッツェ平野と呼ばれる領域の少し手前に、連なった(かす)かな光が向かって左から右へと動いている。彼女の視覚をしてもそれはほぼ点光源に近いので、何であるかはまったくわからないが、それでも左右方向に長さを有していることはわかる。そして、この距離でそれがわかる、ということは、それ本来の長さは数百メートルはある、ということだ。

 

 その程度のことは、ナザリック随一のポンコツで知られる彼女にもわかるのである。

 

 されど彼女がポンコツであることもまた事実なので、シャルティアの身体は無意識のうちに謎の光に引き寄せられるように南に向かって流され始めた。果たせるかな、丘陵上空を通過した時点で脳内に仲間の声がする。

 

(シャルティア。

 哨戒領域(エリア)から逸脱している。転進を。)

 

 この瞬間も、ナザリック近傍を含めありとあらゆる方位方角に魔法による探査(スキャン)の目を光らせているナザリックの目ニグレドからの<伝言(メッセージ)>だ。

 ナザリックの核兵器、物騒極まりない化け物であるシャルティアが、ナザリック外における単騎での自由行動を認められているのは、(ひとえ)にニグレドの目が光っているからには多少の問題が生じたとて大事に至ることはあるまい、と判じられているからだ。

 それは、当の本人シャルティアも十二分に承知しているはずではあるが、それが常に意識の上にあるか、は別問題で、それがしばしば(おろそ)かになる程度にはシャルティアはポンコツである。

 

「そう堅いことを言うもんじゃありんせん!」

 

 百レベル(カウンターストップ)のシャルティアからすると、情報収集特化で二十レベルでしかないニグレドは本質的には三下扱いで、何を言われているかは了解はしているものの、互いに序列意識のないナザリックのNPCなれば抑止力はないに等しい。

 この瞬間は好奇心に支配されたシャルティアは、ニグレドの適切な助言を無視して、そのまま南の方角へとふわふわと流されていった。

 

 そのとき!

 

 突如背後から肩をがしり、と掴まれたのを覚えてシャルティアは色めき立った。

 

「おのれ、何者(なにもの)ォ!」

 

 振り返りざまに瞬殺せん勢いで(こぶし)が振り上げられるも、たちまちにへにゃへにゃと力を失う。

 

「ぉぉ……ぁ……ア、アインズ様ァ?」

 

 シャルティアの肩を掴んで()めたのは、まったくその気配すら感じさせることなく背後に突如として現れた彼女の至高の主、大魔王アインズ・ウール・ゴウンであった。

 

「アインズ様ァ……じゃないだろ!

 何処へ行くつもりなんだ?」

 

 自室でぼんやり考え事に耽っていたところ、ニグレドからの「シャルティアが無断出撃」の急報を受けて慌てて跳んで来たものだ。

 

「あわわ!いや……その……」

 

 慌てふためくのは思いもよらぬ至高の主自らの糾問を受けたシャルティアも同じこと。

 その切羽詰まった様子に心中を察したアインズが、あえて柔らかい口調で続ける。

 

「いや、シャルティア。別に怒ってるわけじゃないから。

 おまえがふらふらと外へ飛んでいく、とニグレドに教えられて、心配になって来ただけだ。」

 

「も、申し訳御座いません、アインズ様ァ!

 御身にこのようなお手間を取らせるなど、許されないことでありんす!」

 

 そう(わめ)きながら中空でじたばた暴れるシャルティアに、アインズは、はぁー、と深い溜息を一つ。

 

 シャルティア(しか)り、ナーベラル然り。

 別にオレはおまえらが思い通りにならんからといって取って食おうとはしないし、そもそも思い通りにやってくれるなんて、期待もしてないし、無理だし。

 

「……いや、だから。そういうのはいいから。

 オレもおまえが意味もなく勝手なことをするだなんて思ってない……いや、まったく思ってない、というのは嘘になるが……とりあえず理由(わけ)を聞かせてくれるか?」

 

 ここに至って漸く落ち着きを取り戻したシャルティアは、それでも申し訳なさそうに南の(ほう)を指差す。

 

「アレでありんす。」

 

「……どれ?」

 

 索敵能力ではシャルティアに引けこそ取りはしないものの、必ずしも遠目が効くわけではないアインズには、シャルティアが何を指差しているのかがたちまちにはわからない。ただ、延々と続く暗闇の原野があるのみだ。

 

「これは……気づかんことでありんした!」

 

 そのことに気づいたシャルティアは、ふわり、とアインズの背後に回り込み、空っぽの頭蓋骨の左右をわっしと掴んで、くいくい、と動かして微調整を施す。

 

「望遠して見ておくんなまし、でありんす!」

 

 ……もうちょっと穏便な手段はないのか?

 曲がりなりにも、オレはおまえの(あるじ)だぞ!

 

「……ったく。

 <望遠(テレスコープ)>!

 

 ……ん?

 (なん)、だ……ありゃ?」

 

 シャルティア相当の視覚を得る魔法を発動して、アインズはすぐにシャルティアが何に気を取られたのかを理解した。南方四十キロほど先に、西へ向かって一定速度で動く連なった光がある。

 

「つまらぬことでアインズ様のお手を煩わせ、お詫びの申し上げようもないのでありんす。」

 

 見慣れぬ何かに心惹かれはしたものの、本質的には興味関心があるわけではないシャルティアは、ひたすら(あるじ)の出御を招いた自身の不首尾を詫びたものであるが。

 

「……見に、行くか?」

 

「はぃ?」

 

「いや……アレ。(なん)なのか、気になるだろ?」

 

「よろしい……ので、ありんすか?」

 

 既に見に行きたいのはアインズの方なのだが、シャルティアはそこには思い及ばず、ただただ勝手な行動を取った自身の失策(ミス)をなかったことにするばかりか、追認して受け入れる至高の主の度量に感服するのみだ。

 

「ちょっと待てよ、一言(ひとこと)入れとかないと(あと)がややこしいからな。

 <伝言(メッセージ)>!

 

 あ、ニグレドか。オレだ。

 ……あぁ、シャルティアとは合流した。

 で、シャルティアが見つけたモノが少し気になるから確認してくる。完全隠蔽(コンシール)するからそちらからはオレが見えなくなるが、何かあれば連絡するので気にしてくれるな。……あぁ、そうだ。アルベドから何かアレば適当に伝えてくれ。……うん、引き続きよろしくな。

 

 待たせたな、シャルティア。

 乗れ!」

 

と、ナザリックへ連絡を済ませたアインズは、左の肩をシャルティアに向けて突き出す。

 

「はっ?」

 

「念のため<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>するから、この方が話が早い。おまえ自身、自分の手足が見えなくなるから振り落とされないようにしっかり掴まってくれよ!」

 

 事も無げにアインズにそう言われシャルティアは一瞬躊躇う素振りを見せたが、やがて頬をぽっと赤く染めて、

 

「では……お言葉に甘えさせていただくでありんす!」

 

と、ちょこん、と言われるがままに差し出された肩に乗り、片手でアインズにしっかとしがみついた。

 顔の横から、成熟したアルベドのそれとは過分に異なる、桃の()にもにた未熟な乙女の体臭をアインズは覚え、

 

 あぁ、出来るものなら。

 ペロロンチーノと代わってやりたい!

 

などと考えているが、口にはしない。

 

「では行くか。

 <完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>!」

 

 二人の姿が闇夜に溶け込むように消える。

 

 

                    *

 

 

(なん)……じゃ、こりゃ?」

 

 アインズは、まったく位相の異なる二つの事柄に困惑して、そう漏らした。

 

 第一には、自身が並走して飛びながら観察している、遠目には連なる光に見えたものだ。

 近づくにつれそれが何ら脅威ではないことはすぐにわかったので、無遠慮に接近、観察してみたものだが、これを一言で言い表す言葉をアインズは知らなかった。

 それは東西方向にずっと続く、上面が水平になるよう(しつら)えられた二メートルほどの高さの石造りの壁の上を、西に向かって進んでいた。強いて言うならばそれは木製の(そり)が連なったようなもので、それぞれが横幅二メートル弱、長さ八メートルほど。これが鎖で繋がれて長く連なっており、何台かおきに篝火が焚かれていて、これが遠目に見えた光の正体であるらしい。

 ザッと見たところ数十台連なっているように思われるその先頭に、左右側面に三つずつ、計六つの外輪を備えた箱型の車両があって、電動機(モーター)音を唸らせながら時速二十キロ強の速度で連なる橇を牽引している。これに後続する橇に多数の<雷電瓶(らいでんびん)>が積まれているところからすると、電気力で走る機関車のようなものであるらしい。

 

 まったく予期していなかったその姿にアインズは大いに関心を惹かれたが、第二の困惑の要因に妨げられて、なかなかその観察に集中することが出来なかった。

 

 第二のそれは、<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>の効果でアインズ自身にも目には見えないため余計に困惑していることになるが、この光に向けて飛行を始めた時点ではアインズの左の肩に腰掛けていたはずのシャルティアが、いつの()にか肩に(またが)る姿勢に転じていて、もぞもぞと前後に腰を振っていることだった。

 なんなら頭上からは押し殺した、それでありながら劣情的な熱い吐息が漏れ聞こえていて、やはりこれまたアルベドのそれとはかなり異なる、でありながら、確かにそうだとわかる欲情した濃厚な(めす)の匂いがアインズの鼻孔を(くすぐ)る。

 

 ……あのなぁ、おまえ。

 曲がりなりにも隠密偵察飛行中にそれかよ、どういうノリなんだ!

 

 と呆れないでもないアインズではあったが、そもそも、たまにはシャルティアに甘えさせてやるか、と彼女を連れ出したのは自分自身だ。想像の埒外の行為でこそあれ、ツッコミを入れるのも無粋というものだろう。

 

 嗚呼、ペロロンチーノと代わってやりたい……っつーか、代わってくれ!

 

 アインズは、そっと左手をシャルティアの背に添えて、間違っても達したシャルティアが恍惚のままに落っこちないよう気遣いながら、改めて視線を眼下の謎の物体へ向けた。

 

 これが<現実(リアル)>でいうところの、貨物列車、に相当するものであるのは明らかだった。

 

 しばらく並走しながら観察していると、先頭の車両から大きな鐘が打ち鳴らされ、やがてそれは停止した。よもや、とは思いつつも、一瞬自身の存在が知れたものか、と驚いたアインズではあったが、すぐに理由は判明した。

 停車した車両から、機関士だろうか、人間と小鬼(ゴブリン)の二人連れが降りて来て、すぐ後ろに引いていた橇から<雷電瓶(らいでんびん)>を運び始めたからだ。どうやら電池交換であるらしい。機関車に戻った二人はやがて運び込んだのと同数のそれを持ってきて橇の後方に置いた。こちらが使い切ったものなのだろう。

 後方に目を向けると、連なった橇の何台かおきにあった篝火それぞれに照らされて人が歩いているのが見える。何やら魔法を使用しているようだが、それはアインズからすると極めて(かす)かな第一位階にも届かないそれで、しかと記憶しているものではないが、おそらくはこちらの世界で生活魔法と呼ばれているものだろう、と当たりをつける。実際のところそれは<浮遊板(フローティングボード)>と呼ばれている<飛行(フライ)>の劣化版の魔法で、自在に物を飛ばすことは出来ないが、重力を遮断して浮遊させることが出来るものだ。

 実のところアインズは、規模はもっと小さいが似たようなものを城塞都市リ・ボウロロールで以前に見ているのだが、記憶の続かない彼は、たちまちにそれと目前の貨物列車を結びつけて考えることが叶わなかった。

 

 好奇心のままにアインズは観察を続けた。

 

 機関車には外輪が備えられており、これを<雷電瓶(らいでんびん)>から電気を得る電動機(モーター)で駆動して推進力を得ているようだが、後続する橇は本当に橇で車輪らしきものを備えていなかった。

 その一方で、鎖で繋がれたそれぞれの橇はその四隅に、進行方向に向かって長い滑走(スケート)靴の(ブレード)のような木製の構造がある。これが石造りの路面の中心に凸型に並べられた石材を左右から噛んで横方向への逸脱を防いでいるらしい。しかもその刃は石の路面には接しておらず、僅かにではあるが浮き上がっている。さきほど施された魔法の効果によることは疑いない。

 つまるところこれは、車輪付きの機関車に牽引されていることを除けば、原理的には浮上式鉄道(リニアモーターカー)に近かった。等間隔の篝火は、<雷電瓶(らいでんびん)>の交換同様に、効果時間切れに伴い施術し直しを要する浮上の魔法を施すために添乗している要員が焚いていたものだったのだ。

 何ならアインズは、千年ほど前にこれ……車体中央直下に左右方向への逸脱を防ぐ軌道を設けた連結車両……の原型を目にしており、白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアーに誘われてその乗客にすらなっているのだが、やはりそれを記憶していないアインズは、こちらの世界の人間たちによっておこなわれた創意工夫にただただ関心するのみであった。

 

 しかし、これだけの大層な仕掛けで何を運んでいるんだろう?

 

 アインズの興味は積荷の方に移る。

 折しも魔法を掛け直した人間たちが、麻布で覆われた積荷の縛りが緩んでいないか確認して歩いている。すべてがすべて、ではないものの、編成長数百メートルに至る橇の大半は、意外なことに木材を載せていた。

 

 西へ向かうこの貨物列車の直接の行き先は城塞都市エ・ランテル、そしてエ・ペスペルだが、これらの自由都市の多くはトブの大森林に面しており、一見して遠方からこんな大袈裟な仕掛けを使って木材を運ぶ理由がないように思われるが、これには(わけ)があった。

 トブの大森林の守護者を自認するナザリック地下大墳墓、その任を一手に任された闇妖精(ダークエルフ)アウラ、マーレの一族は、周辺の人間や亜人が森の資源を利用できないよう締め出す、などということはしていない。むしろ適度な間伐は森の側からしても望むところであり、節度が守られている限り、加えて、ナザリック直営の果樹園へ侵入しない限り、その存在は黙認されている。

 が、文明経済の発展に伴い、自由都市群における木材の需要は増す一方で、そうなってくると目先の利益に自制心を失って皆伐を試みる不届き(もの)が数十年に一度は現れるのである。これに対するアウラ、マーレ一族の対応が如何程苛烈なものであったかについては論じるまでもない。そして彼女たちには、何故そうなるのかを現地人に教示してやろう、などという感性は清々(すがすが)しいまでに備わってはいなかった。

 かくして、数十年毎に現れる過去に学ばない阿呆は別として、真っ当な知性を有した自由都市の資産家たちの間にトブの大森林をして、触れ得ざる森、とする観念が根付くのにそうは時間を要しなかったのである。

 

 それであっても、資材としての木材の需要がなくなることはなく、むしろ増える一方だ。

 そこで彼らの目が向かったのが、かつてのバハルス帝国の南東、山脈を挟んでエイヴァーシャー大森林の北端、東はカルサナス平原を隔てる大地溝帯の手前まで広がる針葉樹林であった。ここはトブやエーヴァーシャーといった固有の名前で呼ばれることがなく、森、とだけ呼ばれているのであるが、これははるか昔から帝国の(たみ)が計画的に植林することで木材を得てきた森だからである。そして、長い歴史を有する人工の森の生産力は、随分と昔から帝国民が需要するところを大きく上回っていた。

 一方に需要があり一方に有り余る供給があって目聡い何者かがそこに気づけば、その後はあっという間の出来事だった。加えて、可能な限り貨物列車の走行路面を水平に保つべく旧来の街道のやや南に沿って積み上げられた石壁は、時折カッツェ平野から溢れ出す不死者(アンデッド)に対する防壁を兼ねており、この大事業に投資する者を募るのは容易であった。

 

 そして。

 投資者に名を連ねた者の中には意外な人物が紛れているのであるが、この時点のアインズには知る由もないことで、仮に知ったとしても、それが自身と縁の深い者であることに気づくこともなかったことだろう。

 

 とまれ。

 元を糺せば、大陸の東西における木材の需要の格差を生じさせたのも、買収による人間支配の実験を名目にこの貨物列車の原案となった千年前の連結馬車を世に出すキッカケを作ったのも、カッツェ平野に対する防壁を兼ねた軌道を築きその保守を担っている大陸中西部最大の総合建築会社(ゼネコン)ド・クロサマー建設を生み出したのも、呆れたことにすべてナザリック地下大墳墓なのである。

 なのであるが、これまた、原理的にどうしようもないことではありながら、やはりアインズの思い及ぶところではないのだ。

 

 カランカラン、と再び鐘の音がして、アインズの意識はそちらへと引き戻された。

 見れば先頭の機関車の方から後方を覗き見る者があり、これに応じるように後方に連なる橇の上の篝火が揺れる。出発に際し、魔法の掛け直しをおこなった連中が乗り漏れていないか確認しているらしい。

 

 真っ当な方法、かとは思うが、これだと乗り遅れる奴を皆無には出来んのじゃないか?

 

 そんなことを考えながら眺めていると、今一度鐘が鳴った後、ゴトゴト、と橇と石の軌道が擦れ合う音を立てながら貨物列車はゆっくりと走り始めた。最早これを追う理由もないアインズは、その場に浮かんで見送っている。すると後ろの方から、

 

「おーい、待ってくれー!」

 

 言わんこっちゃない!

 

 案の定、乗り遅れた魔法詠唱者(マジックキャスター)らしき男が叫びながら駆けてくるのが見えた。構造上列車自身がかなりの物音を立てて走っているのでその声が届くことはあるまいし、後方の橇に乗った誰かがこれに気づいたとしても、停車の要ありを先頭の機関士に報せる手立てがあるまい。

 

 うーむ。

 気にするようなことでもないが、こうしてたまたま気づいてしまったのを見過ごすのもなぁ……。

 

 一時(いっとき)呻吟したアインズは、余計なお節介は百も承知で助け舟を出すことにした。

 

「お゛ぅ?」

 

 列車を追って走っていた男は、やおら自身の襟首が目に見えぬ何者かに掴み上げられ身体(からだ)が宙に浮くのを覚えて変な声をあげたが、元より彼に抗す(すべ)はない。

 闇夜を舞ってあっと言う間に列車の最後尾に追いついた男は、自身の足が最後尾の橇の上にそっと接地したのを感じて深い溜息をついた。

 

「……昨日の酒が良くなかったかな?」

 

 救われた本人はこの摩訶不思議な体験を、遅れてやって来た二日酔いと思っている模様。

 見送るアインズは、ついついいつもの癖でこの問題を解決するにはどうすればよいか、無意識のうちに考え始めてしまっている自分に気づいて苦笑する。

 

 何で死の支配者(オーバーロード)が交通安全に思案せにゃならんのだ!

 

 しかし。

 妙なことになってきたな、とアインズは思う。

 

 たちまちに<雷電瓶(らいでんびん)>と電動機(モーター)がこの世界に存在するに至った経緯を思い出せないアインズではあったが、それが目の前に存在する以上、いずれかの来訪者(ユグドラシルプレイヤー)から現地人に伝わり、そこから独自の発展を遂げたものであるのは想像に難くない。当地では、位階魔法もそうであったはずだ。

 そして、そうした技術がこうして大規模な物流に利用されていることは、その背後にそれを維持運営するに足る秩序だった組織が存在することを意味する。かつての<現実(リアル)>においては、貢献度など多寡が知れたものではあったものの、アインズ、当時の鈴木悟とて、その歯車の一員であったのだ。

 

 これをどう考えるべきなのだろう?

 

 アインズは長く、深い考えを巡らせるでもなく、ただ目に見える雰囲気からこの世界を、ユグドラシルなどのゲームの背景に好んで多用された似非中世西欧(なーろっぱ)のようなものだ、と捉えてきたし、今この瞬間もそう思っている。

 が、今観察した事実は、その認識が極めて表層的なものであったことを示唆している。鈴木悟は世界史についてさほど深い知識を有していたわけではないが、ギルドの碩学たちが好んで語った蘊蓄を悉く記憶する今のアインズからすると、あの貨物列車を動かしている連中は近世、近代的なことをやっていて、少なくとも中世ではないように見えた。

 もっとも。

 ナザリック地下大墳墓がこちらの世界へ顕現した数千年前の時点でも、人間の城塞都市間で商材を運ぶ隊商(キャラバン)は存在しており、かつ、それは極めて組織的に運営されていたのであって、電気力と魔法を結合して実現された貨物列車はその量と効率を大幅に改良しただけのもの、と言えなくもなく、ただただアインズの認識がそこに及んでいないだけの話、ではあるのだが。

 

 決して常日頃から明確に意識されているものでこそないものの、誰も彼もが自由気儘に生きる世界を理想とするアインズには、どうにも落ち着かないものがある。

 決して奴隷のように扱われているものでもないのだろうが、それでも夜通しあの貨物列車に乗り組んでいる連中は、かつて被酷使(ブラック)会社員であった鈴木悟を否応なく想起させた。悟とて、食わんがため、ユグドラシルで遊ぶための(かね)を手に入れるためそれをやっていたのはわかっている。あの連中にも、自分にユグドラシルがあったが如く、労働に見合う何かがあるのかも知れない。

 一方で、そうではない、と頭でわかったつもりではいても、どうしてもこの世界をユグドラシルの延長線上の出来事として把握せざるを得ないアインズにとって、この世界も本質的には<現実(リアル)>と同じなのだ、という厳格な事実は、俄には受け入れ難かった。

 

 さりとて自分に何が出来ようか。

 自身はただただ愛すべきナザリック地下大墳墓の(あるじ)なのであり、それ以上でもそれ以下でもない……ないはずだ。

 

 既に見送った貨物列車は遥か西方、アインズの通常の視覚では見えなくなっていた。

 ふと意識を向けると、シャルティアは左肩に跨ったまま動かなくなっている。

 

 ……吸血鬼(ヴァンパイア)のくせに居眠りしてやがる!

 

 ま、いっか。

 

転移門(ゲート)!」

 

 アインズはナザリック地下大墳墓地上部へ向けての帰路を(ひら)く。

 

「アルベドに会う前に……ひとっ風呂浴びとかないと、痛くもない腹を探られる羽目になりそうだな。」

 

 自身の身体(からだ)から微かに感じるシャルティアの(うつ)()に苦笑しつつ、アインズはこの夜の小冒険を終えた。

 

 

                    *

 

 

 遥か昔、植林の無秩序な伐採を抑制すべく皇帝直轄を謳ったことがきっかけとなり、皇帝権力が潰えた今もなお、皇帝の地(カイゼルシュタット)、の名で呼ばれる木材積み出しの街から、カッツェ平野に沿って西へと向かう貨物列車の軌道は、城塞都市エ・ランテルの南端を掠めて大陸東部の玄関口エ・ペスペルに至っている。

 ここで三分岐した軌道は、最初の自由三都市として今なお栄え、かつての城壁を越えて郊外まで拡がった街に人口はそれぞれ百万を超えたエ・レエブル、リ・エスティーゼ、リ・ロベルまで続く。主な積荷は西へ向かっては木材、東に向かっては穀物と電気製品だ。

 

 ここ数百年、大陸東部、西部共にその全体を支配する権力機構は形成されておらず、それぞれ具体的な様態は微妙に異なれども城塞都市とその衛星町村単位の自治が、大陸における人間、亜人社会の標準となった。

 それは、(はた)から見る限りにおいては極めて平穏かつ安定した社会であり、発達した技術文明が、かつては当たり前に存在した飢えや(こご)えへの恐れを人々の脳裏から駆逐した今日(こんにち)、それはある種の理想郷に近づいていた、とすら言えるかも知れない。

 

 が、同時にそれは、あくまでも表面上のことに過ぎなかった。

 

 ナザリックの三賢者(トリニティ)が正しく分析把握して見せたように、安定した秩序は階層分化を固定化しつつあった。

 第一に、大部分の富を独占する一割弱の資本家層。

 第二に、最大勢力となる農民を含む、秩序の中で言われずもがなのことを日々こなしてさえいれば何不自由なく暮らせる中間層。

 第三に、財産も土地も家業も持たず、その日暮らしを強いられた弱者、愚者、無能たち。

 

 人々がこの三階層のいずれに属すかはほぼ生まれによって確定し、階層を転じる者などほとんどいない。

 だが、意外なことに、ここに不平を覚えての階級闘争的な諍いは、これまたほとんど生じなかったのである。

 

 安定と秩序の継続を好んだ支配者層、中間層は、そのためには弱者、愚者、無能たちを自分たちに都合のよい秩序の中に飼い慣らすことが何より重要であることに気づいていた。都市の各所では、その日の食すら欠く者がないよう食事の無償配給は日常的におこなわれていたし、弱者、愚者、無能でもこなせる日銭稼ぎの(すべ)もまた、政策的に用意されている。

 そして、当初は意識的な秩序維持の努力としておこなわれていたそれらは、いつの間にかそうであって当然の事柄へと転じ、それを供している側も供されている側も、その枠組み自体を意識することも、そこに疑問を感じることもなくなっていったのである。

 

 これは奇しくも、鈴木悟が暮らした<現実(リアル)>において、アーコロジーの支配者たちが採用していた戦略(ストラテジ)と軌を一にするものであった。

 

 そして、かつての鈴木悟を含む<現実(リアル)>を生きた弱者、愚者、無能たちが、生きて子を残し、そして死んでいく程度のことは保証されつつも、であるがゆえに行き場のない鬱屈を抱え込んでいたのと同様に、この世界の弱者、愚者、無能たちもまた、たちまちには何であるとは言い難いドロドロとした思念を醸成しつつあったのである。

 

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