億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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新天地融水谷(ツィラータール)を目指し、移民団がトブの大森林から進発する。そこには、意外な人物の子孫が紛れていた。


3.少年よ大志を(いだ)

 ブライアは、東方に発見された融水谷(ツィラータール)への第一次移民団に何の迷いもなく名乗りを上げた。

 躊躇いをみせた両親も、渋々ではあるがこれに同意した。

 

 彼は、城塞都市トブヴァルトにて(せい)()けた、と聞かされている。

 <(めぇ)()く七日間>の時点でまだ生後数ヶ月であった彼自身はもちろん何も憶えてはいないが、両親は生まれたばかりの彼を抱えて遮二無二西へと走り、幸いにしてトブの大森林へと逃げ込むことが叶った。以降、森の民たちの庇護を受けて今日(こんにち)までその生を繋いできたものだ。

 

 ブライアは、随分と世話になっておいてどうか、とは思いつつも、正直なところを言えば森の暮らしが決して好きではない。物心(ものごころ)ついた幼い時分には、難民である自身の身の上を呪ったこともなくはなかった。が、今では、結果的に自身の肉体も精神も鍛え上げてくれた森と、共に寄り添ってくれた森の民たちに感謝している。

 それでも敢えて彼が移民団への参加に意を決したのは、男として、本来のあるべき場所で独り立ちすべきだ、との思いがあってのことだ。

 

 独立、という意味では、既に両親と共に暮らしていない彼は、独り立ちはしている。

 森の民の中でも彼と同じ人間種は、(いにしえ)の帝国での奴隷の身分から逃れて森の一員に加わった森妖精(エルフ)の流儀に倣い、樹上に家族単位で暮らせる小屋を設けて住むのが普通だ。ブライアも数えで十六歳になった折、知り合いに手伝ってもらいながら自ら樹上に作った小屋で暮らすようになった。

 森の人間、森妖精(エルフ)が樹上で暮らすのは、種族特性上眠りが深い彼らが、夜半の獣や毒虫の危険(リスク)を避けるために有用であるからだが、その恩恵を享受するには何をするにも幹を昇り降りしなければならない、という面倒さを甘受する必要がある。

 逆に、生来獣に近い面も有する妖巨人(トロール)大鬼(オーガ)は、大地に天幕を張って暮らすのが常だ。何に襲われたとて眠りからの覚醒が早いし、そもそも好んで筋骨隆々の彼らを襲う獣はそうはいない。丁度中間の立ち位置となる小鬼(ゴブリン)たちは、幼少の子を(かか)えているときだけ樹上に住処を移す者もあると聞いた。

 

 そういった理屈は、城塞都市や周辺町村から逃げ延びてきた難民たちも余程の阿呆でなければ頭ではわかってはいたが、それでも彼らの多くは森の暮らしに順応できず、せめてもの気休めに妖巨人(トロール)の中でも定住派の者の住処を取り囲むように小屋を作って暮らした。

 大鬼(オーガ)が敢えて選ばれなかったのは、今では大鬼(オーガ)、と綴られる彼らが、そういう習俗が廃れて久しいことは承知はしているものの、大昔は人食い鬼(オーガ)、と綴られていたことを、知っている者は知っているからだ。

 

 ブライアも、独立するまでは両親と共に地面で暮らしていて、もちろん当初はそのことに何の疑問も抱いてはいなかったが、両親やその知り合いの大人たちが、ともすれば森の民に対する不満をぶつぶつ唱えるのを耳にするにつれ、

 

 かつてはどうであれ、今は森に暮らす俺っちらが、森の流儀に従わないのはおかしいんじゃないか?

 

という思いが強くなっていった。さりとて、森の流儀に従うべきだ、と口で言うのは容易だが、それを為すには相応の知識と技能が必要で、それを十全に身につけるまでには数年の時間を要したのだ。

 それ以前……思い出すと顔から火が()そうになるほど恥ずかしいことだが……少年時代のブライアは、森の民の人間種の同世代の子たちに、嫉妬に近い感情を抱いていた。

 

 自分は都市に生を享けたがために、森の中を自由に駆け回る(たみ)となる機会を得られなかった。

 嗚呼、自分も最初から森の民として生まれることが叶っていたならば、と。

 

 特にその思いを煽ったのは、ブライアからすると三つ年上の、天真爛漫、自由闊達を絵に描いたような少女だった。

 名をエンリネといい、大昔の森の英雄に因んだそれは無闇に同名の者が多かったが、ブライアの知るエンリネは、まさにその英雄、覇王、血塗れの再来か、と思わせるほどに覇気に溢れ、十二歳になった頃には彼女の養父母である小鬼(ゴブリン)野伏(レンジャー)から学んだ技能(スキル)を遺憾なく発揮していた。

 

 彼からすれば、彼女はまさに眩しいばかりの存在だったのだ。

 

 何故、自分はエンリネのような境遇に生まれることが叶わなかったのだろう。

 世界は不条理で不平等だ!

 

 難民の境遇に自己憐憫の思いを抱いた九歳の少年が、無邪気にそう考えたことを誰も責めることは出来まいが、当の本人ブライアだけは、叶うものであれば当時の自分を殴り飛ばしてやりたい、と今でも思っている。

 

 本当にそれは偶然だったのだが……否、多くの難民が敢えて森の亜人との関係を避けていたことを思えば、自分がこれを知ったのは必然ではあったのだろう……肉体を鍛えたい一心で手ほどきを受けていた大鬼(オーガ)の古老が、たまたま通りかかったエンリネを見て、一言ポソリ呟いたのを彼は聞き逃さなかった。

 

「ドウナルモノカ、ト思ッタガ、アノ子ニ笑顔ガ戻ッテヨカッタ。」

 

と。

 すぐに古老は、アッ、余計ナコトヲ(くち)ニシタ!という顔をしたが、わけを聞くまでは帰らない、と座り込んだブライアに困り果て、本人も含め自分が話したことは誰にも言わないでくれ、と口止めされた上で五年前の出来事を教えてくれた。

 

 エンリネの両親は、悪霊犬(バーゲスト)に襲われて、エンリネの目前で命を落としていた。

 そのときエンリネは小鬼(ゴブリン)の同世代の子どもたちと一緒に遊んでいて、不注意から少しだけ集落を離れた森の奥に踏み込んでしまっていた。そこに折り悪く獣が襲いかかり、これに気づいたエンリネの両親は、娘とその友人たちを身を呈して庇ったのだった。

 

「エンリネ、ノ養父母ハ、ソノトキ一命ヲ救ワレタ小鬼(ゴブリン)ノ両親ダ。(あと)ハ言ワズモガナ……ワカルダロウ?」

 

 ブライアは大粒の涙を零して泣いた。

 エンリネの境遇に同情したのでは決してない。

 

 何も知らずに彼女の境遇に羨望を(いだ)いていた、自分の愚かさに泣いたのだった。

 

 難民の中には適応しきれない森の暮らしに体調を崩し夭折する者は少なからずあったが、獣や魔物に襲われて落命するものは、皆無でこそないものの寡聞にして聞かなかった。森の民の矜持が、庇護を求めて逃げ込んで来た者たちを守らんとし続けてきたからだ。が、そんな森の民自身にとっても、ときに森の自然は、エンリネの両親がそうであったように容赦なくその生命を奪うのだ。

 自分は、自身の足で歩むこともなく両親によって森に匿われ、その両親が森の民に分不相応(ぶんふそうおう)な不平を漏らしても何ら抗することも出来ず、その両親は森の民の庇護を受けて健在であり、エンリネの野伏(レンジャー)修養の開始時点は今の自分の年齢とさして変わらず、しかも相手は愛らしい女の子なのに、男である自分は、情けなくも表面的なことだけに目を向けて、彼女に嫉妬の念を抱いていたのだ。

 

 それからは、すべてが変わった。

 変わらざるを得なかった。

 

 相手が人間であろうが亜人であろうが、自身が身につけたいと願う技能(スキル)を有するものには、雑事手伝いを条件に手当(てあ)たり次第に師事を申し込んだ。彼を、難民のお坊ちゃんだ、と鼻で(わら)う森の民もまったくいなかったわけではないが、多くは彼を分け隔てなく受け入れ、何も惜しむことなく教授してくれた。十五歳になったとき、既に多くあった森の民の友人たちが「手伝ッテヤルカラ自分ノ小屋ヲ持テヨ!」と勧めてくれて、両親からの独立を果たした。

 

 あそこで変わっていなかったら、自分はただ腐っていくだけの存在だったろうし、むしろ、自身の弱さ、汚さを真正面から受け止めることが出来た自分の資質は誇ってもよいのかも知れない……それでも幼少の自分を一発ぶん殴ってやりたい、という思いは消え去ることはないのだが……と、今でこそブライアは思う。

 

 そしてこれは、彼が森に感謝している理由でもあった。

 

 つまるところ、人を作るのは環境、ではなく当人の意思だ。

 既に老境を迎えつつある両親に今更認識を改めることを求めるつもりは毛頭ないが、悲しいかな、父にとっても母にとっても、また他の多くの難民の大人たちにとっても、自身を取り巻く環境は、与えられるもの、であり、意に沿わなければ呪うもの、だった。

 

 何なら……。

 世界を滅ぼしたのは、その呪いじゃないのか?

 

 自分は、幸いにもそこから自ら脱することが叶った。それを為したのは疑う余地なく自身の意思だが、森の友人たちとの出会いがなければこれを果たせたはずはない。そんな彼に対し、しばしば両親は未練がましくもこんなことを言って聞かせた。

 

「あの大災厄さえなかったら、おまえにこんな惨めな思いをさせることはなかったし、ペシュメル()の家格に応じた教育と何不自由ない暮らしを与えてやれたのに。」

 

 俺っちは惨めなんかじゃない。

 学びも、自由も、森と森の民から得たものだ。

 

 もし<(めぇ)()く七日間>がなかったとしたら。

 かの災厄が平原に暮らした人口の大半を死に至らしめたことを思えば、こういった考え方が不遜の極みであることは百も承知の上で、それでもブライアは、もし<(めぇ)()く七日間>が起こっていなかったら、自分は両親の庇護と先祖から引き継いだ嵩増し(チート)に依存して肥え太るクズになっていたのだ、と考えて身震いする。

 

 そして何より。

 エンリネを知ることはなかったのだ!

 

 だからこそ、彼は融水谷(ツィラータール)への第一次移民団に名乗りを上げた。

 森と森の民に受けた恩義に報じるには、森に鍛えられた自身が人間の社会で頭角を表すことだ!

 

「やっほー、ブライア!」

 

 黄色い声と、しゅたたたた、と軽快な足音が近づいて来て、ブライアの思索は突如断ち切られた。

 森に残る唯一の未練が、自身の名を呼びながらこちらに駆けてくるではないか。

 あれ、東方に移民先をみつけたのはエンリネ率いる一団だ、って聞いてたけど、帰ってくるの早過ぎない?

 

 開口一番、エンリネは言った。

 

「いいなー、いいなー!」

 

 ……はっ?

 何が?

 

「谷への移民団は、先生自ら護衛してくれるってさ!

 何かに襲われたら、先生のスッゴイ魔法を見れるかもよ!

 もし見れたらどんなだったか聞かせて欲しいなぁ……って、もう当面は会える機会もないか?」

 

 何……それ?

 

「じゃ、元気でね。

 旅の無事を祈ってるわーーー!」

 

 しゅたたたたっ、とエンリネは駆け去って行った。

 ぴゅるるるるぅ、と冷たい風がブライアの頬を撫でた。

 

 

                    *

 

 

 少し時間を遡って。

 

 トブの大森林のほぼ中央。

 森の民の最大勢力である蜥蜴人(リザードマン)五部族四千人が暮らす湖の畔、中でも最大部族となる竜牙(ドラゴンタスク)の村に、目下の帰還事業の作戦本部(ヘッドクオーター)が置かれている。

 特にそういう決め事があるわけでもないのだが、広さにしても集積している食料、物資にしても、当地は森の中で最も豊富であり、かつ、森のほぼ中央に位置するという地勢的なところもあって、森全体に関わる何かを議論する場合は皆でここに集まるのが古くからの習わしになっており、件の本部も極自然にその流れに沿って設置されたものだ。

 

 もっとも。

 本部、と言ってもそこには、この事業の提案者にして全体進行を管理する人物、先生、のために用意された小屋があるだけなのではあるが。

 

 村の広場に突如<転移門(ゲート)>が開かれ、エンリネ率いる<森の大使(アンバサダー)>の一行が姿を現しても、特に誰も驚きはしなかった。帰還事業自体は秘密でも何でもないので、当初伝えられていた融水谷(ツィラータール)の移民受け入れ回答が三日の(のち)であることを知っている者は知っていたが、そもそも森の民は時間に縛られた暮らしをまったくしていないので、数日の予定のずれなど気にする者など誰一人いないのである。

 

 エンリネたちは、すれ違う顔見知りとにこやかに挨拶を交わしながら、帰還事業作戦本部、こと、先生の小屋を目指した。

 

「失礼しまーす!」

 

 実際に入室したのはエンリネと女司祭(プリエステス)クルシュルの二人。ジューゲーム、ゴトー、フリニゲの小鬼(ゴブリン)三人組と妖巨人(トロール)ギンは途中で別れて旅支度の後片付けをやっている。

 

「えらく早く帰ってきたじゃねぇか、何かあったんか?」

 

と尋ねたのは、机を挟んで先生と何やら話し込んでいた、竜牙(ドラゴンタスク)の現在の族長、蜥蜴人(リザードマン)武闘家(ウォリアー)のダンベルグだ。

 

「いえ、思ったよりも早く回答があったので、先生からの<伝言(メッセージ)>を待たずに帰って来ました!」

 

 ハキハキした口調でエンリネが復命すると、ダンベルグの巨躯の向こうから、にゅっ、と、赤と緑に彩色された、笑っているのか怒っているのかよくわからない表情の描かれた仮面が顔を覗かせた。

 

 先生、である。

 

「えーっと……」

「エンリネ、です、先生!」

 

 先生が、博識聡明であるにもかかわらず存外人の名前を憶えるのが苦手であることを()うに承知しているエンリネは、すかさず助け舟(フォロー)を入れる。先生もそれに素直に乗りつつ首を傾げた。

 

「あぁ、そうだ!エンリネ、だったな?そうだよな!

 ……で、エンリネ。帰ってきたら……おかしくないか?」

 

「そう……でしょうか?」

 

「いやいや、だって……そーだろ?

 おまえらはさ、他にも人間の村を探す予定なんじゃなかったっけか?

 またここから出発したら、いろいろと、ほら、大変じゃないか?」

 

 ぱん、とエンリネが胸の前で手を打つ。

 

「あぁ!

 実はそれについて報告したいことがあって、それで戻って来たんです!」

「コレです!」

 

 すかさずクルシュルが、肩にかけた革鞄に大事に仕舞い込んでいた一枚の羊皮紙を先生に差し出した。

 

「ん?

 ……(なに)これ?」

 

 全身をすっぽりと覆う袖の長い褐色(ベージュ)の道服を(まと)った先生は、布越しに羊皮紙を受け取って一瞥を加えたが、たちまちにはそれが何であるかわからない様子。

 

「生き残り村の地図です!」

 

「……はぁ?」

 

「実は旅の途中で吸血鬼(ヴァンパイア)さんと知り合いまして。」

 

「……いろんな顔触れで和気藹々やってるおまえらに今更だが。

 ほんっと、おまえら。見境なく誰とでも打ち()けるんだな、感心するわ。」

 

「そんな!

 もちろんヤバい相手だったら逃げますよ!いい(ひと)たちだったんです!」

 

 駄目だコイツ、嫌味が通じねーや、と先生が肩を落とすが、エンリネがそれに気づく様子はない。クルシュルも加わって、地図を手に入れるに至った一連の経緯を語れば、途中から先生も興味深げに、ほうほぅ、と相槌を打ちながら耳を傾けた。

 

「……よくもまぁ、そんな。

 どれどれ……おまえ、幸運(ラック)能力値(パラメータ)もオレほどじゃないにせよ洒落にならんな、しかもまたレベルアップしてるし。行く末空恐ろしいヤツだよ、おまえは。」

 

「?」

 

 言われたエンリネは意味がわからない。

 

「どんな連中だった、そいつらは?」

 

首魁(リーダー)はちっちゃい女の子です。吸血鬼(ヴァンパイア)さんなんで見た目は関係ないんだと思いますが。あと、すっごく美人で、ちょっと悔しいくらいにおっぱいボインボインのお(ねぇ)さん、この人も吸血鬼(ヴァンパイア)でした。それに……十四五(じゅうしご)歳の可愛らしい(おんな)じ顔をした双子の……この人たちは何だかよくわかりませんけど、でも、地図を描いてくれたのがその人です。」

 

「?」

 

 言われた先生はまったく意味がわからない。

 

「あちらは先生をご存じのようでした。

 キーノ・インベルンからよろしく、と言伝(ことづて)されましたが……先生は彼女をご存じですか。」

 

「……」

 

 正直なところエンリネは、エンリネの名前すら憶えていられない先生が、もっと以前に出会っていたかも知れない吸血鬼(ヴァンパイア)の名前を憶えているはずはない、と思っていなくもなかった。

 こういう状況になると、何故か先生の長い袖先からペカペカと緑色の光が漏れるのに気づいていたエンリネは自然とそこへと視線が向かい、案の定ペカペカを目撃する。

 

「……あぁ、その手があったか!

 <()

 

 

 

「……キーノ・インベルンか。

 まだ生きてやがったとは。いや、アイツに生きている、は可笑(おか)しいか?」

 

 ん?

 今の微妙な()、何?

 

 無論エンリネには、先生がどうやってキーノ・インベルンの名を()()()()()かを知る(すべ)などないのだが、むしろ、なんらかのからくり(トリック)が用いられたことに直感的に気付いたことが、彼女の非凡さを(あかし)している、とも言えよう。

 

「こいつぁー凄いな、これで帰還事業も捗るってもんですぜ!」

 

 いつの間にか先生の手から地図を奪って眺めていたダンベルグが感嘆の声を上げて、二人の小芝居(コント)は打ち切られた。

 

「でも先生、これは描かれた通りに信用しちまっていいもんなんですかい?

 その……吸血鬼(ヴァンパイア)がエンリネたちを担いだ、ってこともありやせんかね?」

 

「それはまぁ、心配ないだろう。」

 

 ダンベルグの当然の疑問を先生は言下に否定した。

 

「キーノ・インベルンが、相手がオレだとわかった上でそういうことをするとは思えん。

 ありがたく活用させてもらうとしよう。」

 

 この先生の言葉に、エンリネ、クルシュルは共に胸を撫で下ろした。

 自分たちが信用に値する、と判じたのは間違ってはいなかったのだ、と。

 

「で、エンリネ。肝心の村の回答はどうだったんでぃ?

 こっちは希望者を募り終えてるが、二百十五人ほど手が挙がって、どうしたもんか、って先生と話してたんだが。」

 

と本題に戻すダンベルグ。

 

「十五人くらい、何とでもなるんじゃないか?」

 

と他人事のように……実際、彼からすれば完全に他人事なのだが……放言する先生。

 

「まぁ、旅の途中でそれくれぇは脱落するでしょうしねぇ。」

「あら、族長さんたら。

 お優しい先生の前で(ひど)いことをおっしゃるのね!」

 

とクルシュルが抗議の声を上げたが、エンリネは、隣でそのお優しいと評されたところの先生が、見るからに「言わなくてよかった」とホッとした様子を見せていることに気づいている。

 

「……そこは問題ないです。

 融水谷(ツィラータール)からの正式回答は、まず三百人までなら受け入れる、とのことでした。」

 

「重畳だ!」

 

 先生は見るからに上機嫌だ。

 

「ついてはエンリネ。一休みしてから仲間を率いてこの地図に記された村を回って来い!」

 

「……」

 

「……どうした?不服か?」

 

「いえ……でも、融水谷(ツィラータール)へ向かう移民団の先導をしなきゃ、って思ってたので。」

 

 なおも上機嫌に先生は笑う。

 

「その心意気や良し、だ。

 が、オレの見るところ、おまえには相手の信頼を引き出してこうした話をまとめる才がある。

 適材適所、といこうじゃないか!」

 

「……それはそれで全然構わないんですが、小鬼(ゴブリン)さんたちの前では言わないでくださいね、またややこしい二つ()が増えそうなので。」

 

 エンリネの、この心の底からの懇願に先生はまったく関心を払わなかった。

 仮面が少し向きを変えて、その視線がエンリネの傍らの女蜥蜴人(リザードマン)に向かう。

 

「……えーっと。」

「クルシュルです、先生!」

 

 意味するところにたちまちに気づいたクルシュルは、いささか不服げに自身の名を訴えた。

 

「あ、そうだ、クルシュルだ!

 で、クルシュル。預けておいたものを返してもらおうか。」

 

 そう言われてクルシュルは、さきほどの地図同様、革鞄から小さな人形を取り出した。

 右手を水平に差し出して、前方を指差す形の木彫りの半身長人(ハーフリング)の人形だ。預けられるに際し、自動経路記録(オートマッピング)だ、と教えられたが、エンリネもクルシュルも正確なところは理解できず、おそらくはこの魔法の人形が、自分たちの旅を記憶するのだろう、程度に受け取っていた。

 

「これでおまえらの今回の旅の行程は、オレには詳らかにわかる。」

 

「「えっ?」」

 

 その意味するところを察した二人の女の子から驚きの声があがった。

 

「オレも暇じゃないんで、とっととこの話は終わらせたい。

 その谷、とやらへの移民団の先導はオレが引き受けよう!」

 

「ウチの若い(モン)を何人か護衛につかせましょうか?」

 

 ダンベルグの気の効いた申し出を、先生は鼻で(わら)った。

 

「無用だ。それはオレに当てがあるから任せておけ。」

 

 これを聞いてエンリネは、先生と二週間の旅をすることになる移民団の人々を心底、羨ましい、と思ったのである。

 

 

                    *

 

 

「さぁ、俺っちの()を取って。足元に気をつけて!」

 

 ブライアは、隊列の後ろの方で遅れ気味の年嵩のご婦人たちに手を差し伸べ、足元の悪い岩場の踏破を介助している。覚悟はしていたが、二百人規模の集団が道なき道を進むのは想像以上の難業だった。

 

 が。

 であればこそ、挑む価値もある。

 

 駆け込み参加者を加えて二百二十人となった移民団は、トブの大森林の東側の出口の一つとなる沢を抜け……それは奇しくもブライア・ペシュメルの両親が二十年前に赤子の彼を抱いて逃げ込んだ地点でもあるが、当の本人は当然のこととして両親もそんなことは記憶してはいなかった……ゆっくりと、でありながら着実に、彼らにとっての新天地となる融水谷(ツィラータール)を目指して東進を続けていた。

 それは、払暁から歩き始め、しばしばの小休止を挟みつつただ黙々と日暮れまで歩き続け、身を寄せ合って浅い眠りに身を休め、そしてまた翌朝歩き始める、禁欲的かつ寡黙な(ぎょう)とでも言うべきものだった。

 

 出発に先立ち、二百二十人は大きく三つの班に分けられた。

 第一には、十歳に満たない子ども、途中歩けなくなったら放置されることを受け入れてそれでも参加を希望した老齢の者たちで、彼らは荷駄を免除されている。

 第二には武器や魔法を扱える者たちで、集団の適所に配されて周辺を警戒すると共に、万が一の防衛、緊急時の誘導に(せき)を負う代わりに、自身の糧食の半分の荷駄を担げばよいとされた。

 第三にはそれ以外の者で、第一と第二の者の分を含めて二週間分の糧食を担ぐことになる。男女に分け隔ては設けられなかったが、自然と男性の方が多目の荷を背負っていた。

 糧食自体は、この日のために森の民から提供された、日持ちのする干した果実や焼き麦といった保存食料だ。水、薪の(たぐい)は現場調達が原則となるが、水についてだけは最低限の量をどの班に属するかを問わず常に自身で携行するもの、とされた。

 

 ブライアは自ら第二の班に、数人の、自分同様に思うところあって森での日々を自身を鍛えることに費やしてきた同志たちと共に名乗りを上げ、受け入れられた。直接の知己がなかった者を含めそういった若者が十五人、大災厄以前にそういった技能を身につけていた年嵩の者が、第二位階魔法詠唱者(マジックキャスター)一名を含む五人の、計二十人。

 出発に先立ち、この二十人の前に移民団を護衛するという、見るからに胡散臭い仮面をつけた人物が立ってこう宣じた。

 

「おまえたちを戦力としてはまったく当てにはしていない。

 万が一何かに襲われることがあったとして、おまえたちは他の者たちが恐怖に駆られて逃げ散らないよう、一箇所に(とど)めて耐え忍ぶことのみに注力せよ。この(せき)を果たせぬ者は、今すぐ辞退することだ。さもなくば、分相応の死あるのみ。」

 

 身も蓋もない、むしろ芝居がかって失笑すら買いそうな物言いではあるが、何の衒いもなく簡潔に断言されたその言葉には、強い説得力があった。少なくともブライアはそう感じた。

 

 この仮面の人物が、エンリネの言っていた、先生、なのだろうか?

 

 正直なところブライアは、出発の前日に訪ねてきたエンリネが、彼の気持ちも知らずに無邪気に言い放った「先生と旅が出来ていいなー!」の言に、ある種の嫉妬(ジェラシー)を覚えていたことを認めざるを得なかったのだが、実際にその先生を目前にして、如何に自身が馬鹿なことを考えていたか思い知らされることになった。

 この人物は自身が恋の(ライバル)として仮想することが許されるような、そんな生半可な存在ではない。おそらく何らかの魔法的な手段によって、この人物の真の実力は隠蔽されているに違いなく、まったく何の気配も迫力も感じないにもかかわらず、それでもブライアは、この仮面の魔法使いを途方もない化け物だ、と感じていた。

 そもそもエンリネとて女として、先生を男と見ているわけでは決してなかろう。「先生のスッゴイ魔法を見れるかも」は冗談でもなんでもなく、本当にエンリネは、一つ間違えればいついかなるときであっても生命(いのち)を落としかねない一人の野伏(レンジャー)として、先生の魔法が如何程のものなのか知る機会を欲していたのだ。

 

 そして、本人もさることながら「難敵に出会(でくわ)したときはこいつらが応戦する」と名も告げずに紹介された二人。共に、仮面こそ付けてはいないものの、先生同様に頭巾(フード)付きの外套(ローブ)を深くすっぽりと(かぶ)っていて体格や面体を伺うことは出来ず、紹介されても一言も発しないので性別すらも定かではないが、彼らもやはりまったく何の覇気も殺気も放たず、むしろ無味無臭なまでに存在感がないにも関わらず、ブライアは本能的に数秒を超えて彼らを直視することが出来なかった。ただただ怖かった。

 それでも、ちらり、ちらりと怖いもの見たさの観察を続ければ、明らかにこの二人は先生に対して臣従の礼を執っている。つまりそれは、先生はこの二人を問答無用に従わせる存在なのだ、ということだ。

 

 第二の班、二十名の中に、この気づきを共有したものは、年嵩の老兵(ヴェテラン)も含めていなかった。何なら中年連中は、口にこそしないが「何だこいつ、偉そうに!」と舐めきった目線を先生に注いでいたような気すらする。

 

 これは本当に新天地への旅なのだろうか?

 地獄の獄卒に導かれて奈落へ向かっているのではないのか?

 

 行程最初の一日目は、そんなことばかり考えて震えていたブライアは、二日目、三日目と旅が続く中で、再び自身が馬々鹿々しい考えに取り憑かれていたことを自ずと悟った。

 あのエンリネが、そして森の民の猛者たちが、先生を深く信頼していた。どうして自分に、そんな先生を疑うことなどできようか。否、自分は先生を疑っていたのではなく、あまりに桁外れのその存在を意識する余り、自身の立ち位置を見失っていたのだ、と。

 

 だからブライアは、ただ遮二無二自分に出来ることに意を尽くそう、と決した。

 五日目、結果的に全行程中唯一となった魔物(モンスター)との邂逅があった。移民団一行の上空を数羽の巨大鷲(ギガントイーグル)が旋回したのだ。俄に皆が色めき立ち、老兵たちは銘々勝手に応戦の構えを見せ、移民団の隊列が崩れそうになった。

 ブライアは、先生の「戦力として当てにしていない、隊列の維持のみに努めよ」との戒めを思い出し、腹の底から大きな声を張り上げて皆を制した。

 

「年少者、年寄りを中心に円陣を組め!

 武装した者は周囲を等間隔に囲め!

 じっとして動くな、駆け去る者があれば俺っちが斬る!」

 

 二十歳(はたち)そこそこのブライアの突然のこの指揮に二百余名が(みな)唖然としたが、なればこそ、結果的に隊列の維持が叶った。

 (はた)せるかな、最先頭で布に隠された右手を悠然と空に掲げた先生から、見たことも聞いたこともない途轍もない雷撃が放たれ、上空にあった巨大な猛禽は欠片も残さずに消滅した。これにも誰もが、ブライアに対するそれとは比べようもないほど呆気に取られたが、当の先生は、隊列に声をかけるでもなく、振り返るでもなく、まるで、ぽつりと雨が降って来たがまだ気にするほどでもない、といった様子で前進を再開した。

 

 行程半ばとなる七日目、流石に皆の顔に疲労困憊が見え始めたことに気づいたブライアは一計を案じた。

 そのとき移民団は緩やかな丘を下って進んでおり、三刻ほど歩けば渡河することになるだろう川が視界に入っていた。ブライアは意の通う友数人を伴って隊列先頭に駆け、先生に声をかけた。

 

「先生!」

 

 黙々と前進する先生から反応はない。

 

「一足先にあの川まで走り、湯を沸かして皆を待ちたいと思いますが、構わないでしょうか?」

 

 ん?と仮面の魔法使いの視線がブライアを捉えるも、その足取りは()まらない。

 

「……好きにすりゃいいけど。

 何故オレに許可を求める?」

 

「俺っちの気づかぬ危険(リスク)に先生がお気づきであれば、諫めていただきたいと考えました。」

 

 ブライアのこの返しを先生は少なくとも悪くは思わなかったようで、やはり変わらぬ歩みを進めながら周囲を伺う様子を見せた後、簡潔にこう告げた。

 

「思うようにやれ。」

 

 ブライアは、一部の仲間に因果を含めて後方の隊列に戻し、自身はあと二人を伴って小枝(こえだ)を掻き集めながら川辺へと向かい、即席の石竈を組み、命名に頭上に担いで運んだ鉄鍋に水を汲んで湯を沸かし始めた。隊列に戻った仲間たちは、疲労困憊の人々に「その先でお湯を一杯飲めるようにしてあるから、もうひと踏ん張りだよ!」と声を掛けて回った。

 隊列の先頭が岸辺にたどり着く頃には最初に沸かした湯が丁度飲み頃に冷めていて、ブライアたちは順にこれを皆に配った。全員が全員、では決してなかったが、ずっと乾燥糧食と冷たい水しか口にしていなかった人々に少しだけ笑顔が戻ったことを認めてブライアはホッとする。

 

 先生とその従者がいかなる脅威に対しても絶対無敵である一方、本質的には移民団の一人一人に関心がないことに、早い段階でブライアは気づいていた。そもそもこの試みは、森の民のお膳立てがあって始まったことでこそあれ、参加者銘々が危険を承知の上で自ら望んでやっていることで、先生たちに庇護を求めるのは間違っている。

 一方で、我々を新天地へ送り届ければそれで終わりの先生に対し、自分たちは辿り着くこと、ではなく、そこで新しい生活を営むことを真の目的とする者だ。先生は脱落者が生じることなど気にしていないように見えたが、そこは自分たちが……そこにいち早く気づくことが出来た自分にこそ気を配る(せき)がある。落伍する者があれば、否応なく移民団の士気は下がるし、新天地での後々の人間関係にも影を落とすことになるだろう。

 

 行程十日目を迎え、(かつ)いできた糧食が消費に伴い随分と軽くなってきて、皆の歩みにも余裕が出てきた。

 ブライアは、その中でも比較的元気を残していて、かつ、開明的であるように見えるご婦人方を選んで声を掛けて歩いた。

 

「谷についたら何をしたいか、自分たちに、迎え入れてくれる谷の人々にしてあげられることはあるかを、周囲の皆と語らって欲しい。」

 

 彼女らはすぐにブライアの意を察して協力してくれた。

 

「アタシ自身、初めて食べたときは引き気味だったけど。妖巨人(トロール)に教わった幼虫料理、あれは意外にイケるのよね。あれを谷の人たちに教えてあげたいわ。」

「それは、認めるに吝かでないが。」

「何?何かご不満がおありかしら?」

「いや……谷に同じ虫が生息しているもんだろうか?」

「あ!そりゃそうよね!」

 

 わっはっは、と笑い声が起こる。

 森を出た時分、ただ黙々と息苦しく前進するだけだった頃の様子が嘘のようだ。

 

 皆が行く手に希望を見出していることに、ブライアは大いに満足した。

 もちろん、新しい生活がすべて希望に満ち溢れているはずもなく、解決すべき問題は山ほどあるだろう。が、それに挑む自分たちが希望を失わない限り、決して希望は(つい)えない。

 

「ブライアは隊列の先頭にあってくれ。」

 

 十一日目には老兵(ヴェテラン)たちから、それまで隊列を前後に行ったり来たりしながら出来る限りのことをやり続けて来た彼に、そんな声が掛かった。

 生意気な小僧か、と思っていたが、おまえはなかなかに見どころがある。殿(しんがり)は我々が務めて何かあればすぐに報せるから、ブライアは全体を俯瞰し適宜指揮してくれ、と。

 

 ブライアはこれを快諾した。

 むしろ、隊の先頭にあることは、機会があればやってみたかったことに都合がいい。

 

 そして行程十二日目。

 想定されていたよりも二日早く、一行は融水谷(ツィラータール)の入り口に差し掛かった。

 前方から、何やら不穏な気配が近づいて来るのをブライアは認める。

 

 斬馬刀(ホースチョッパー)を携えた大鬼(オーガ)だ。

 

 ブライアは、変わらぬ歩調で歩みながら、ちらりと先生を振り返った。

 先生は仮面の顎を、くいっ、と振って「やりたいようにすれば?」と示した。

 

 腰に提げた小剣(ショートソード)を抜刀した彼は、上段に振り上げたまま大鬼(オーガ)に向かって駆け出した。それに気づいた大鬼も、得物を構えて待ち受けている様子。

 絶妙の間合いで地面を踏み切ったブライアは宙を舞い、渾身の一撃を放つ。

 

「武技<斬撃(ざんげき)>ッ!」

 

 それは容易に大鬼の斬馬刀(ホースチョッパー)(はじ)かれて、身を翻しての着地を試みたブライアは、足を滑らせて草地の上に転がった。

 

 そこに、大きな大鬼(オーガ)の手が差し出される。

 

「イイ腕ダ。俺ノ名ハ、ゲオルグソン!」

 

 その手を取って立ち上がりつつ、彼も礼を返す。

 

「あんたにゃまだまだ敵いそうにないよ、俺っちはブライア・ペシュメルだ!」

 

「森カラノ移民団ダナ、歓迎シヨウ!」

 

「出迎えに感謝申し上げる!」

 

 ガハハハハッ、とちぐはぐに噛み合わぬ背丈ながらも肩を組んで歩き出したブライアとゲオルグソンを先頭に、移民団二百二十名は、一人の脱落者も出すことなく、無事融水谷(ツィラータール)へと辿り着いたのだった。

 

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