億劫のオーバーロード   作:wash I/O

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転移歴338年。
さらに19年後、都市国家が点在する旧バハルス帝国領域にて。
二代目マーレ、アウラは二百一歳。


第4話 転移歴338年 黒の百合
7.黒の百合(1)


 ()バハルス帝国帝都アーウィンタールの宮城へと至る街路を、夜陰に紛れて走る人影が三つある。いずれも身体にぴたりと合った黒装束の小柄な出で立ちで、口元を覆っているためその表情は伺えない。

 

 北端の中堅都市ベルナーゼーに興った軍団が周辺諸都市といくらかの小競り合いを繰り返した後に突如南進し、帝都に入って途絶えて久しかった推戴歓呼を強行して第十三代バハルス帝国皇帝に名乗りを上げたのは、三年ほど前のことになる。

 伝統に従ってジルクニフⅥ世を襲名した人物は自分たちこそが真バハルス帝国であると宣じ、少なくともアーウィンタールの街衆からは一定の支持を得た。制度体裁の上では彼らこそがまさにバハルス帝国の正統支配者であることになりはするものの、先代となる第十二代皇帝が世を去ったのは百五十年以上も昔のことで、以来多少の異同を有しつつも都市単位での自治を旨としてきた帝国諸都市は、たちまちにはこの()()皇帝とそれを擁する一団に忠誠は誓わなかった。

 

 さりとて、強いて対する反抗の軍がアーウィンタールを囲んだわけでもない。

 

 むしろ、不定期にではあるしその額面はかつて制度上定められたそれに満たないものではあったが、帝国諸都市からはしばしば使者が帝都を訪れ、いくばくかの金員を納めるのが通例化しつつある。帝国軍総指揮の権までは認めはしないが皇帝推戴は否定はしない、といった意思の表明であろうか。

 

 かつて、今般の自称皇帝もその名を継いだ中興の祖初代ジルクニフ・エル・ニクスの時代、帝国軍の定数は、実態としてはそれを満たさぬことが多かったものの、原則論としては重装歩兵千名を基軸とし、随伴する輜重(しちょう)隊その他諸々を合わせて一軍一万と号していた。

 東西バハルス帝国解体の後は、それぞれに自治を始めた諸都市の規模にこれがそぐわないため、いつの間にかかつての大隊、すなわち十隊で一軍を成した重装歩兵百名を以て軍と呼び習わすようになったのだが、ジルクニフⅥ世は直臣としては僅か二軍を擁するのみで、しかもうち一軍はベルナーゼーの守りに残されている。

 つまり、帝都にある皇帝近衛正規騎士はおよそ百名ほどに過ぎず、諸都市が殊更にこれを恐れ付け届けをする理由は一見ないように思われるが、これにはちゃんと訳があった。

 

 ジルクニフⅥ世麾下の重装歩兵が漏れなく、恐ろしく優秀な武具を帯同していたがゆえである。

 

 

 

 黒装束三人組は、帝都宮城の東門に面した石組みの集合住宅(ヴォーヌング)の屋根上に潜んで様子を伺っている。夜間、四時間毎に二人組の重装歩兵が寝ずの番に立つことは下調べ済みだ。果たせるかな、今目前でその交代がおこなわれた。これでしばらく他の者が現れることはないはずだ。

 

「私は感じないが……おまえはどうだ、魔法的な監視手段はありそうか?」

 

 中央の黒装束が左後ろの仲間を振り返って小声でそう問うと、問われた者は言葉は返さずにただ片手をぺらぺらと横に振った。ならば問題はあるまい。続いて右後ろの仲間に同じく小声で囁く。

 

「では行ってくる。手筈通りによろしく。」

 

 周囲の状況を漏れなく監視し、少しでも異変があれば指笛で知らせるように、の意である。

 

「承知。」

 

と簡潔な応答が返された。

 

 刹那、先頭の黒装束の(しな)やかな身体がふわりと闇夜に舞った。まるで吸い込まれるように、二人の門番の目の前に音もなく着地する。

 一瞬、門番たちは突然現れた何者かに身構える素振りを見せたが、黒装束が顔を上げると同時に動きをとめ、そのままへにゃへにゃ、と膝をついた。ガシャリ、と鎧が噛む音がするが、周囲からはそれに反応する気配はない。それを確かめた黒装束は、おもむろに門番の一方が腰に吊った鞘から小剣(ショートソード)を拝借する。

 

「<道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)>。」

 

 思った通りだ、と黒装束は息を呑んだ。

 

 外見上は何の変哲もない剣ではあるが、使用者の能力をやたら滅法向上させる魔力が秘められている。加えて、一定確率で撃ち合った相手の武器を破壊する力、日に一度ではあるが<雷撃(ライトニング)>を放つ力さえも。新皇帝の軍は稲妻を放ちつつ進軍する、と伝え聞いた折はその破竹の勢いを比喩したものか、とも疑ったが、どうやらその言葉は事実に即したものであったらしい。

 その剣を静かに元の鞘に納め、念のためにともう一人の門番の小剣も改めるが、まったく同様の能力が検出され、黒装束は(ひたい)に手を当て軽く溜息を吐いた。この分だと、少なくとも帝都にある皇帝軍は皆同様の武具を備えていると考えて間違いあるまい。冒険者が何処(いずこ)かの遺跡からの盗掘品として愛用している逸品であればともかく、こんなものが量産品として軍隊に制式採用される話など聞いたことがない。

 

 黒装束はその剣もやはり所有者に返し、膝立ちのままぼんやりしている門番の身体にさも眠りこけてしまったかのような門扉にもたれ掛かる姿勢を取らせた後、再び宙に舞って仲間の元へ戻った。

 

「確定だな。新皇帝自身がそうかはともかく……

 来訪者(ユグドラシルプレイヤー)が関わっているぞ。」

 

「厄介。」

 左右に手を開き、困ったもんだね、の仕草(ジェスチャー)

 

 

                    *

 

 

 トブの大森林の人跡未踏の奥深く、ナザリック直営の果樹園にて。

 

 突如禍々しい闇の渦が生じ、その気配に気づいたスラリと背の高い短金髪の美青年が渦の前で跪礼を執って(あるじ)の出現を待ち構えた。

 

「ようこそいらっしゃいました、アインズ様ァ!」

 

「うむ、マーレ。出迎えご苦労。」

 

 少し遅れて「お、お(にぃ)ちゃーん」と声を上げながら、やや薄ぼんやりした感のあるやはり短金髪の美少女が合流する。

 

「あ、アインズ様。こ、こんにちは!」

 

「うむ、アウラも元気そうでなりよりだ。

 仕事には慣れてきたか?」

 

 ()()アウラ、マーレの双子の子ども、ベロ、ベラは齢二百歳に達し、かつてのアウラ、マーレがそうであったように美しい青年、乙女に成長している。二人共にレベルは九十五で上限(カンスト)には至っていないものの、壮年熟女に達した二人の両親は最早仕事を継ぐに憂いなし、と判断して名の襲名を許し、以降、子の誕生時にアインズが定めたところに従い、自身はフィオーラ、フィオーレと名乗っている。

 もっとも、フィオーラ、フィオーレともに隠居したわけでは決してなく、今もアインズの許しを得て気儘にトブの大森林を駆け巡る日々を過ごしている。事実上、トブの大森林と盟約された森の守護者の役割は今なおフィオーラ、フィオーレが担っており、二代目マーレ、アウラは主に果樹園の管理とその実りの搬出、いわゆる<百鬼夜行(デスマーチ)>の指揮を任されているに過ぎない。

 

「お、お(にぃ)ちゃんたらひどいんですよ!」

「こら、アウラ!余計なことを……」

 

「ん、なんだ?」

 

 二代目闇妖精双子(ダークエルフ・ツインズ)は、ユグドラシルより共に渡り来た初代とは異なり、ギルドへの絶対忠誠の縛りを受けていない。その点について、アインズは決して二人に疑いの眼差しを抱いてはいないが、常に注意は払っている。

 

「まぁ、立ち話もなんだからそこいらに掛けよう。

 あ……これは陣中見舞いの土産だ。」

 

 アインズが、ナザリックの料理長が用意してくれた焼き菓子(パイ)で一杯の網籠(バスケット)を差し出すと、アウラが満面の笑みでそれを受け取った。

 

「あ、ありがとうございますー、アインズ様ァ!」

 

 双子と共にあったソリュシャンも加わって、四人は果樹の木陰に車座になる。ソリュシャンには、やはり土産としてアインズの所持品(インベントリ)から一本の人間の腕が差し出された。

 

「これはアインズ様、(わたくし)にまでお気遣いいただいて!」

 

「いや、おまえが生きている人間の方を好むのは承知しているのに、こんなもので済まないな。

 で……アウラ。マーレの何がひどいんだ?」

 

 焼き菓子を頬張ろうとしていたマーレが何か口を挟もうとしたが、アインズはそれを片手で制した。隣では、アインズに下賜された腕をもにょもにょと啄みながら、ソリュシャンがこのやり取りを興味深げに眺めている。

 

「お(にい)ちゃんたら、アインズ様に相談もせずに果樹園から谷に続く道を作っちゃったんですよ!」

 

 アウラが指差す先に、ここから果実をナザリックへ運ぶ経路となる谷底へ向かう緩やかな傾斜路(スロープ)が整備されている。確かに以前にはなかったものだ。

 

「だって、骸骨(スケルトン)たちったら、崖を(くだ)るうちにやたらと果実を籠から落とすものだから勿体なくて!」

 

 そもそもの意図としては、トブの大森林が果実を実らせるのはその恵みを得た動物が含まれる種を何処かに取り落とすことで新たな芽吹きを迎えるためのものであるのに対し、ナザリックの収穫は種を含むすべてを<換金箱(エクスチェンジボックス)>へ放り込むことを企図しているため、一部なりともを森に返すべく骸骨の輸送効率を敢えて改善はしない、というものである。

 

「そ、そんなの、アインズ様がお気づきにならないはずはないんだから、む、昔からこうなっているものには何か理由がある、と考えるべきでしょ!それをご、ご相談もせずにか、勝手にこんなことをしちゃうのは、よ、よくないと思うのよ!

 で、ですよね、ア、アインズ様ァ?」

 

 アウラがどもり気味に訴えるところは、でありながら正しく真を突いていた。

 一方で、マーレがマーレなりに良かれと考え工夫したところを否定するつもりもない。

 

「アウラの言うところは、もっともではある。」

 

 アインズは一旦アウラの主張を認めてやる。

 たちまちにアウラはパァと笑みを浮かべ、マーレは逆に表情を曇らせた。

 

「だが。」

 

とアインズ。

 

「アウラが考えたように、谷底への道を整備していなかったのには理由がないわけじゃないが、どうしてもそうでなければならないほどのものではないし、ナザリックの利益を高めるべくマーレがおこなった工夫は基本的には正しい。」

 

 マーレの瞳が、その真意を探らんとしてかじっとアインズを見つめている。

 

「ナザリックの一員として絶対に守って貰わねばならんことは、外出毎に読み合わせを命じているチェックリストにあることがすべてだ。それ以外については、オレはおまえたちを信用して任せている。だから、以前からこうだから今後も絶対にそうあるべきだ、と考える必要はない。

 一方で、アウラの考え方も大切だ。昔からずっと続いていることにはそれぞれに理由があるはずだ、というそれだな。だから、本当にこれでよいのだろうか、と少しでも迷うところがあれば、こうして訴えることは、これもまた大切なことだ。

 これはチェックリストとて例外ではなく、もしおまえたちが日々の仕事を通してチェックリストにこれも加えた方がいいんじゃないか、あるいはこれはもうなくした方がいいんじゃないか、と感じることがあれば、これも遠慮なく訴えてよい。が、チェックリストについてだけは勝手に増やしたり減らしたりするのは禁止だ。そこはオレと三賢者(トリニティ)の専権だ。これはおまえたちを信用していないからではなく、より深い多面的な検討が必要だからだ。

 

 オレの言っていることが……わかるか?」

 

「ボクは……」

 

とマーレが身体を震わせている。アインズは目線で続きを促した。

 

「ボクは、アインズ様の下僕(しもべ)として生を享けたことを誇らしく思います!

 本当に……本当にアインズ様は凄いです!」

 

「ふふふ、よせよせ世辞は無用だ。そういうのはデミウルゴスにでも任せておくことだな。

 おまえは少し生意気なくらいが丁度いい。」

 

「はい!」

 

「アウラも、兄の行状をオレに言いつけるような物言いはオレは本来は好かんが、何事にも慎重であること、兄のすることだから、と何でも見過ごさないこと、は重要だ。

 そもそも、おまえたちの両親もお世辞にも完璧とは言えない存在だった。が、二人は互いの短所を互いの長所で補い合って、オレとナザリックの仲間たちを長く支えてきてくれた。おまえたちもそうあってくれることを、オレは期待している。」

 

「わ、わかりました、アインズ様ァ!」

 

 アウラもアウラなりに納得した様子を見せたので、ひとまずアインズは二人にはわからないように内心安堵の息をついた。

 

 絶対忠誠の縛りを受けておらず自身の自由意志で従っている二人の扱いに、アインズは殊の外気を遣っている。転移以来、決して思い通りには動いてはくれないものの忠誠の一点だけは疑うべくもない下僕(しもべ)を相手にし続けていたがゆえに、二人が物心ついた時分はこれにかなり悩んだものだ。

 が、よくよく考えてみればユグドラシル時代、至高の四十一人はアインズ、すなわちモモンガ自身を含め、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンに対し絶対忠誠の縛りを受けていたわけではなく、銘々の自由意志でそこに参加していた……より厳密に言うならばごっこ遊び(ロールプレイ)していたのであり、それを束ねていたモモンガ、すなわちアインズは、二代目マーレ、アウラに対するのとまったく同じ気遣いをしていたのだ。

 そして、気遣いをしつつもアインズは仲間たちのギルドに対する裏切りなどあろうはずもない、と考えていたのだから、この二人に対しても同様であって悪い理由はない。そう考えるようになって少し楽になった。

 

 ストレス皆無、というわけでも決してないが。

 

(あー、ちょっと気分転換に狩りがしたいなぁ……でもこのところこの辺りの小悪党どもも小振りに過ぎて満足感に欠けるし。)

 

 ここ百年ほど、ナザリック近傍の人間亜人社会は明らかに中央集権から地方分散へと舵を切っており、かつて多く見られたような強大な権力を笠に着て人を人とも思わぬ振る舞いを旨とする……アインズが狩りの獲物として最も好んだ者は、皆無でこそないがあまり見られなくなった。

 アルベドが分析して言うには、個々が拮抗して競い合う小さな社会においては、そういった輩はアインズの目に留まるほど強大化する以前に自然淘汰されてしまうのだとか。対してデミウルゴスは、そういった傾向が認められるのは確かではあるものの、人間は常にないもの強請りをする存在であり、遠からず中央集権への揺り返しが起こるであろうから案じるには及ばない、とこれを笑って見せた。いずれの申し様ももっともだ、とアインズは思う。

 

 おっと、また考え事に耽って本題を忘れそうになってしまった!

 

「で、おまえたちが仕事に精励してくれているところに申し訳ないんだが……」

 

と漸くアインズは来訪の真意を告げる。

 

「ソリュシャンに優先的に取り組んでもらわねばならん仕事が出来た。

 なのでおまえたちは当面、フィオーラ、フィオーレと共に行動するか、両親と相談の上でエントマを融通し合ってもらう必要がある。」

 

 アインズが言っているのは、ナザリックの下僕が外征するに際し必ず<伝言(メッセージ)>が使える助手を伴う原則に関してのものだ。長くエントマが初代アウラ、マーレの、ナーベラルがデミウルゴスのそれを務め、存外柔軟で器用なソリュシャンは予備要員として控えていたものだが、マーレ、アウラの二代目襲名にともなって二人の助手を拝命することになった。

 つまり目下、柔軟で器用なソリュシャンが従事すべき何か、が起こっていることをこのアインズの発言は含意している。

 

「ご心配いただかなくともボクらは大丈夫ですよ、お化けのお(ねぇ)ちゃんの支援(バックアップ)もあることですしィ!」

 

 事もなげにマーレがそう応じる。

 彼の言う「お化けのお(ねぇ)ちゃん」とは、二人を幼少の時分に随分と可愛がってくれた……現在は興味を失ってほとんど無視している、ナザリックの目ニグレドのことだ。

 

「勘違いするな、マーレ!」

 

 やや強い口調でアインズはマーレの発言に釘を刺す。

 

「オレは、おまえたちの身を案じてこれを言ってるんじゃない。

 おまえたちがこの世界の何者かに遅れを取ることなどないのは承知しているし、未知のユグドラシル勢に対してもほとんどの場合は問題はないだろう。

 

 が、おまえたちが何者かと事を構えた……構えてしまったことをオレがまったく知らない、などという事態だけは絶対に避けねばならない。

 何故ならおまえたちはオレの下僕(しもべ)であり、オレはおまえたちの主人だからだ。すべての責任はオレに帰すものであり、オレが知らないうちに何かが進行する、なんてことは以ての外だ。

 

 ……わかるか?わかるよな?」

 

 ちょっと厳しい物言いだったかな、と一瞬アインズは不安を感じるが、マーレはかつての初代アウラがそうであったようにカラリとした調子で即答した。

 

「やっぱり……アインズ様は凄いです。

 ボク、考え違いをしていましたァ、ごめんなさい!」

「ア、アインズ様はお(にぃ)ちゃんが生意気なくらいが丁度いい、とおっしゃってくださっているんだから、お詫びなんかすると、か、返って失礼だよォ!」

 

 アインズよりも先にアウラがそう割り込んだので、自然とアインズからは笑いが溢れた。ソリュシャンもふふふ、と不敵な笑みを浮かべ、双子もしばし互いに睨み合っていたがやがて笑いに合流した。

 

 嗚呼、フィオーラ、フィオーレに感謝だな。

 よい子たちをオレに授けてくれた!

 

 いや。

 授けてくれたのはフィオーラで、フィオーレはやりたいように()っただけ……か?

 

 

                    *

 

 

(わたくし)はこういう者でして……」

 

 仕立てのよい執事服に身を包んだ髭面の老人は、一枚の名刺を差し出した。

 

    へーウィッシュ商会(よろず)仕入れ主幹

     セー・バスチャン

 

 商会自体は帝国自由都市リ・エスティーゼに実在するもので、身元証明に悪友(デミウルゴス)が調達した同市参事会発行の手形も揃っている。

 

「こちらは共に旅しております助手のソー・リュシャン。」

 

と、傍らにある人喰い女を紹介する。

 

「それはそれは遠路はるばるお越しになられましたものですな、ヘル・バスチャンにフロイライン……」

 

「リュシャンですわ。ソー、と呼んでくださって結構ですわよ。」

 

 そう応じながらソリュシャンが瞬き(ウィンク)を送ると、対する男の鼻の下が伸びた。

 

「私も、セー、と気安くお呼びいただければ。」

 

 セバスとソリュシャンは、バハルス帝国北端の都市ベルナーゼーの主に細工物や宝飾品を扱う商社を訪ねている。念には念を入れて、と、帝国自由都市エ・ランテルから御者付き馬車を乗り継ぎ乗り継ぎしてきたので、当地に辿り着くまでに十日も要してしまった。

 

「お近づきの印に、といっては何ですがご覧に入れたいものが御座います。」

 

 そう言いながら、セバスは帯同する鞄から宝石の嵌められた指輪を取り出す。遠い昔のアインズの狩りに際して接収されたものの中からそれなりに優れたものでありつつ、来歴が問題になるような一品もの()()()()()()を選んだものだ。

 

「……ほう、これはなかなか見事なものですな。

 これを……いただけるので?」

 

「まさか!

 ですが、これから良好なお付き合いが進むことに願いを込めて、格安でお譲りすることが出来ます。」

 

 結局男は公金貨二百枚でこれを贖った。

 帝都に持ち込めば、輸送経費を差し引いても同額以上の儲けが出る、と北叟笑みながら。

 

「他にも……こういったものをお持ち運びで?」

 

 男は興味津々にそう尋ねる。

 

「私の旅の主目的は買い付け、で御座いますのでそう多くは。」

 

 ないわけではないぞ、と匂わせる回答。

 

「何分長い旅で御座いましょう?

 万が一を考え、いくつか身につけて備えておりますものもありますが、既に私の体臭がいささか染み付いたものをお譲りするわけにもいきませんでしょうし。」

 

 そう言いながらソリュシャンは(スカート)をたくし上げ、胸元を開く。先程の指輪と同等か、それ以上の価値があることが一目瞭然の足首飾り(アンクレット)首飾り(ネックレス)がちらりと垣間見えたが、さて、男が注目したのが本当に宝飾品であるかはわからない。

 

「こちらには、いかほど滞在のご予定で?ご逗留の宿は?」

 

「そう長くは御座いませんが、当地にて興味深いものが見つかるようであれば長逗留することも御座いましょうな。宿はこちらになります。」

 

 記帳(チェックイン)に際し手に入れた(カード)を差し出せば仕込みは完了だ。

 二人は既に、他にも数店舗に対して同様の仕掛けを済ませている。

 

「フロイライン・リュシャン、さきほどのあれは……いささかやり過ぎではありませんかな。指輪を敢えて進呈せず、あくまでも商売(ビジネス)を装った意味が失せてしまうのでは?」

 

 店を離れ人気(ひとけ)少ない路地を宿へ向かって歩きながら、偽名に敢えて帝国風の敬称を添えてセバスは問うた。

 

「お忘れですか?

 我らが至高の(あるじ)は、私に対し性的にいかがわしいことを試みるものあらば喰らっても苦しからず、とおっしゃいましたよ、ヘル・バスチャン。」

 

「……あなたから誘いをかけては意味がないでしょう?」

 

「意味は御座いますよ、美味しいんですから!」

 

 うーむ、とセバスは嘆息する。

 彼女は自分のお目付けとして同道したもの、と理解していたが、どうやら自分もまた彼女のお目付け役を果たさねばならんようだ、と。

 

 

 

「<能力隠蔽(コンシール)の指輪>と<時間停止避け(アンチ・タイムストップ)の指輪>だ。」

 

 二種二組、計四つの魔法の指輪を骨の手の平に載せたアインズが、そう言いながらそれらをセバス、ソリュシャンに差し示したのは、十日と少し前、ナザリック地下大墳墓第九階層(ロイヤルスィート)のアインズの私室での話だ。この場には、他に狡知の最上位悪魔(アーチデヴィル)デミウルゴスが同席している。

 

「デミウルゴス、簡潔に説明を。」

 

「ハッ、アインズ様!」

 

 曰く、彼の配下の影の悪魔(シャドーデーモン)が、定期的に監視しているバハルス帝国首都アーウィンタールの盗品呪物なんでも御座れの古物商の一軒に、こちらの世界のものとは思えない一振りの小剣(ショートソード)が持ち込まれたことに気づいたところから話は始まった。

 これに関心を抱いたデミウルゴスが追跡調査をおこなったところ、それが三年ほど前に帝国皇帝を僭称した人物配下の軍団で制式採用されている武具であり、何某かの隊内の揉め事で脱走した一人の兵士が逃走資金を得るべく売却したものであることがわかった。ちなみに、結局脱走者はたちまちに捕縛され、小剣も当局に没収されて古物商は所払いを申し渡されたらしい。

 

「皆知っての通り、<百年の揺り返し>の時期から既に四十年近くを経ているのに、我々も、小憎らしくも頼もしいあの白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)も、今だ新たなユグドラシルプレイヤーを捕捉していない。」

 

 ここに至って漸くセバスもソリュシャンも、話の筋が見えてきた。

 

 今からおよそ百三十年前、ツアーによって偶然発見された動像寺院(ゴーレム・テンプル)は、発見時点で金貨蕩尽によるギルド拠点機能停止から随分な月日を経ており、その後の詳細調査によっても、ギルド崩壊に伴う忠誠消失によって見境を失ったNPCが憐れなプレイヤーを屠ってしまったであろうことは確実視されていた。

 続く<百年の揺り返し>の時期を過ぎ越して早四十年弱、前回同様に長くその存在が捕捉されないことから、今回も転移直後に金貨蕩尽に陥ったギルドが人知れず何処かに埋没しているのではないか、と考えられて来たが、デミウルゴスの報告はここに別の見解を与えるものだ。

 

「この剣がただ一振りのものであれば、何らかの偶然で兵士の手にあったもの、と考えるところだが、これが軍団の制式装備であり少なくとも百振りある、となれば、ユグドラシルプレイヤーの関与の可能性を疑わざるを得ない。しかも、だ。」

 

 ニッ、とデミウルゴスが口を三日月型に歪ませる。

 

「その者はまずこれらを<換金箱(エクスチェンジボックス)>に放り込んで当座のギルド維持資金に当てていて当然であるにもかかわらず、こうして流出しているからには、そのプレイヤーは我々同様に何らかのユグドラシル金貨獲得手段を既に得ていると考えるべきだろう。」

 

「加えて、だ。」

 

とアインズが語りを代わる。

 

「問題の小剣の厳密な能力のほどまではわかっていないが、影の悪魔が感じ取ったデータ量からすれば、こちらの世界ではあり得ない品でこそあれ、ユグドラシルにおいて大量に所持する価値があるほどのものではない。そしてそれが一定数揃っていたということは、問題のプレイヤーはこちらに渡って来てから、問題の刀剣を量産した可能性がある。

 そしてそれを制式装備した一軍が今、帝国首都に入って皇帝を名乗っているとなれば……」

 

 セバスとソリュシャンの真剣な眼差しがアインズに向かう。

 

「類型で言えば、この行動様式は六大神のそれ、ということになる。」

 

 六大神は、遡ること九百余年前にこちらの世界に渡り来てスレイン法国を建国し、そこからの徴税で自身のギルド維持を試みた来訪者だ。アインズ同様に<死の支配者(オーバーロード)>であったスルシャーナがプレイヤーであったことはわかっているが、他五()が同様にプレイヤーであったのか、NPCであったのかについては、当時を知りスルシャーナとも個人的な情誼を交わした白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)ツアーにとっても、これがユグドラシル由来の存在との初邂逅であった、ということもあり判明はしていない。

 そして、その帰結として<百年の揺り返し>についての知識を欠いた六大神は、遅れて百年後に来訪した八欲王に対する自身の存在の隠蔽を怠りその餌食となって滅んだ、と理解されている。

 

「遅きに失した恐れがなくもないが、バハルス帝国に展開していた恐怖公の眷属については、念のため既に一旦域外に退避済みだ。意図は……わかるな?」

 

「相手がユグドラシルプレイヤーであれば、下手な探りは逆効果、ということで御座いますわね?

 そして、(わたくし)たちに稀有な力を秘めた指輪を下賜くださるということは……」

 

 アインズの問いかけにソリュシャンが即答した。

 

「察しがよくて何よりだソリュシャン。人選に間違いがないことを確信したよ。

 同じ理由で、ニグレドによる遠隔(リモート)探査も危険、とオレは判断した。なれば隠密潜入(エスピオナージ)一択だ。」

 

(わたくし)に……そのような大任が務まりますでしょうか?」

 

と問うたのはセバスだ。

 デミウルゴスが先に反応して何かを言いかけたが、それを制したアインズがこれに答えた。

 

「おまえははっきり伝えねば理解せん(たち)だから、敢えて言うが気を悪くせんでくれよ。

 おまえを選んだ理由は、人間どもの街で行動して不自然でなく、かつ百レベルに達しているがゆえにたちまちにユグドラシルプレイヤーに仕留められる懸念がない下僕(しもべ)がおまえだけだから、に過ぎん。」

 

 (はな)からシャルティアは思考の埒外であるらしい。

 

「デミウルゴスが小剣の一件に気づくまで、それらしい兆候はなんら見られなかった。恐怖公の眷属も、撤退を命じるまで如何なる強者の存在にも気づいていない。だから目下の標的(ターゲット)はよほど巧みに自身の存在を隠しているか、でなければ……オレはこちらだと睨んでいるが、自称皇帝の一団とは行動を共にはしていない。ツアーではないが、傀儡(くぐつ)、というやつだな。かく言うオレたちも、意図は過分に異なるがスレイン報国で似たようなことをやっている。

 だから手掛かりがあるとすれば、問題の一団の発地、連中がそこで問題の小剣を手に入れたに違いない都市、その周辺ということになるだろう。全体の行動計画、そのためのチェックリストはデミウルゴスが用意する。」

 

 不意にセバスの視線が悪友(デミウルゴス)へと向かうが、悪友は口を三日月型に歪ませて思わせぶりな笑みを返すのみ。セバスとしては忸怩たる思いがないではないが、デミウルゴスの他にこの局面において如何にすべきか指し示すことができる者がいないこともこれまた事実であることに、思い及ばぬ彼ではなかった。

 

「そしておまえには、オレがこの二つの指輪を与える意味をよくよく考えてもらいたい。」

 

と、改めて骨の手の平の上の計四つの魔法の指輪を示すアインズ。

 

「時間対策は言うまでもなくおまえの唯一と言ってよい弱点を封じるためだが、能力隠蔽(コンシール)は一角の者であれば気づかぬはずのないおまえの強者の気配を隠すため、つまり、おまえは標的側におまえを認識されるよりも前に、標的の存在につながる何かを掴まねばならない。

 おまえを人間の街に放てば何が起きるか、大方想像はつく。だが、おまえが良かれと思って見境なく人助けをおこなうと、返って街の住民すべてを危険に晒す恐れすらあることは夢々忘れてくれるなよ。」

 

「ハハッ、ご指摘肝に銘じます。」

 

「……ソリュシャンも。

 ここまで言い聞かせたからにはセバスがオレの期待を裏切るような真似は決してすまい、とは思っているが、少しでも妙な具合だと迷いを覚えた際は、オレに<伝言(メッセージ)>だ。おまえを同行させる直接の理由はまさにそれだが、それ以上に、創造主であり我が親友でもあったヘロヘロさんからおまえが引き継いだところの、報・連・相の才をオレが大きく当てにしていることを肝に銘じてくれ。」

 

 デミウルゴスのそれを上回るかと思うほどの、ニマリ、とした恍惚の表情を以てソリュシャンは了解を示した。

 

「無論、オレはおまえたちを捨て駒になどするつもりは毛頭ない。ニグレドの支援(バックアップ)も与えてやれぬ以上、自身の身は自身で守ってもらわざるをえん。

 特にソリュシャン。おまえを人間の街に()れば、その妖艶な色香に惑わされ邪まな視線を向けてくる者もあろう。それには我慢してもらうしかないが、度を越えて狼藉を働くものがあれば髪の毛一本骨一欠片(ひとかけら)残さぬことを条件に喰らっても構わん。」

 

 ソリュシャンの口角が、更に深く釣り上がる。

 

「これはセバスも同じだが、おまえに(あだ)なす者など百レベルに達したプレイヤー、NPCの中でも近接戦闘に特化した組み上げ(ビルド)の者以外いようはずもないのだから、安易に実力行使をおこなう前に一旦頭を冷やして考えること、ソリュシャンに頼んでオレに相談すること、を怠ってはくれるなよ。

 

 何か質問は?」

 

「「いえ、御座いません。」」

 

 セバスとソリュシャンは声を揃えて復命した。

 

「余計なお世話かとは思うがね、セバス。」

 

とデミウルゴス。

 

「くれぐれもアインズ様のご期待を……」

「クドい!」

 

 その言葉はセバスの、仮に人間に向かって発せられたならばそれだけでその者を絶命させてしまいそうな気迫の一言で遮られた。

 

(わたくし)とて、アインズ様に無二の忠義を誓うナザリックの下僕(しもべ)。あなたに殊更言われるまでもなく心得て……おりますとも。」

 

 デミウルゴスはこの返しに、敢えて言葉を発さず、やはり三日月型の笑顔で応じた。

 

 この一連の様子に彼らの(あるじ)であるアインズが、

 

(……いかん、またないはずの胃が痛くなってきた。

 やっぱりストレス解消が必要だなぁ。)

 

などと考えていることは、銘々に自身のあるべきと信じるところへ猛進しつつ、実のところ(あるじ)の真に求めるところの斜め上へ突っ走ることを常とする下僕たちには気づく(よし)もないことであった。

 

 

 

 案の定、もっともソリュシャンの胸元に鼻の下を伸ばしていた宝飾品商人が二人が泊まる宿を訪れたのは、翌日の夕刻、そろそろ日も暮れようか、という時分のことになる。

 

「ソーさん……それにヘル・バスチャン、ご機嫌麗しゅう。」

 

 男は一振りの曲刀を持参し、あくまでも商売のためにやって来たのだという(てい)を取り繕ったが、その彷徨う目線が何を追っているかに注意を払えば、真の目的が何処にあるかは一目瞭然だった。

 

「こちらは、三百有余年前の帝国において比類なき剣士として知られたエルヤー・ウズルスが愛用したもののうちの一振り、と伝わる逸品。歴史あるリ・エスティーゼの方々なればその価値に金貨一千枚を惜しまぬ方もおいでで御座いましょう。」

 

 セバスの目からみて、決してなまくらではないその刀は、なるほど確かに名の知れた剣士の遺品ではあるのかも知れないが、余人の目にはわかるまいが、セバスには一目で看破される微細な刃(こぼ)れ、無造作に正中を失って歪んだ刀身から、これを扱った者の腕前が本人が思っていたであろうほどのものでないことは明らかな代物だった。

 元より骨董の(たぐい)などどうでもよい話。目配せでソリュシャンにうまくあしらえと促せば、心にもない美辞麗句で刀を褒めたて、購入を渋るセバスに対し、商人と共にこれを勧める立ち位置を取った。なかなかどうして巧みなものだ、とセバスは関心し、する必要もない値切り交渉の結果、公金貨三百枚でこれを買い取った。百枚赤字だが、気にするような話ではない。

 

「刀剣と申しますと……」

 

 頃合いを見てソリュシャンが切り出す。

 

「こちらの街からお立ちになられた現皇帝陛下の軍団は、なかなかに稀な武具を揃えておいでとか。」

 

 すると、たちまちに男はそれまでの満面の笑みを潜め難渋な表情を浮かべた。

 

「滅多なことを口になさるものではありませんよ、お嬢さん!

 ヘル・バスチャンも、彼女には注意を促した方がいい。」

 

「……どういうことでしょう?

 (わたくし)は、必ずしも刀剣の専門家では御座いません。先のウズルス氏所縁(ゆかり)の一振りも、彼女の口添えあればこそ購入を決した次第ですので。」

 

 とぼけて見せれば勝手にぺらぺらお喋りしてくれよう、と空惚けて返せば、思った通り男は聞きもしないことを、ソリュシャンのありもしない歓心を引き出すべく語りだした。

 

余所(よそ)からお越しになる方が少なからず皇帝軍の武具に関心をお持ちなのは元より承知。ですが、この街の商人たちの間ではその話題は禁忌(タブー)なのですよ。」

 

と男。

 セバスもソリュシャンも、敢えて続きを促すでもなく興味を示すでもなく、無関心を装った。男は話が途切れることを恐れたものか、問わず語りに、でありながら囁くように続ける。

 

「ですが、あなたがたはどうやらそちらにはご関心があまりない様子。

 大きな声で申せませんが、かの武具の調達を現皇帝陛下に取り次いだ冒険者は、その秘密が他国に漏れるのを恐れた陛下自身か、あるいは側近の何者かによって既に亡き者にされたという噂が御座います。」

 

「ほぅ……それは剣呑なお話、で御座いますな。」

 

 引き続きセバスは、そこには関心がない(てい)を採るが、対照的にソリュシャンは、

 

「あら、恐ろしいお話で御座いますこと。

 多少興味は御座いますけれども、これ以上無理に聞き出してはそちら様にもご迷惑がかかりますわね。」

 

と身を屈めて男を覗き込む仕草を見せ、必然的に男の視線は垣間見える豊満な胸の谷間へと向かった。

 

「も、元より、私自身関わった話ではなく、あくまでも噂なのですよ。

 ですが、かの武具が一時(ひととき)に一気に人数分揃えられ、以降は修繕(メンテナンス)に出されるでもなく、補充がなされるでもなく、というのは街の皆が知るところ。取次元を始末してしまった今となっては、皇帝自身とて元来の入手元は存知ないのではないか、などと冷笑する者もおるくらいで、いやはや。」

 

「あらまぁ、それは奇妙な話で御座いますわね。」

 

 この者からの情報収集はこの辺りが潮時であろう、とのソリュシャンからの符牒を得る。

 元より、ここまでの会話においても従ってきたデミウルゴスから与えられた虎の巻によれば、一度一通りの情報を喋った者、特にソリュシャンの色香に迷ってそうした者から二度目の聴取を試みる必要はない。なぜならば、この手の(やから)は釣果を確実たらしめるべく一度目のお喋りで手持ちの駒を惜しみなく使い果たすものであるし、であるがゆえに、二度目のお喋りの内容はまったく信用に値しない、とか何とか。

 

 後に無駄であったと気づくことになるが、偽装工作として今しばらくのときをセバスは当たり障りのない骨董話で費やした。やがてとっぷり夜も更けて……

 

「これはすっかり長居してしまい、失礼いたしました。」

 

「いえいえ、素晴らしい逸品をお届けくださった上に興味深いお話を伺えました。」

 

「バスチャンさん。」

 

 不意に、ソリュシャンが他人行儀にセバスに呼びかけ、

 

(わたくし)、こちらの方と一杯呑んで来たいと思うのですけれど、よろしいかしら?」

 

と言いながら男の腕を取った。否応なくその鼻の下が伸びに伸びる。

 

「無論、私どもの(あるじ)の言い付けは、ちゃんと守りますのよ。」

 

とか何とか。

 セバスからすれば、自ら男を捕食許諾の条件へ陥れる気満々なのに、よくもまぁ白々しくも、と思わなくもなかったが、いささかこの心根悪からねどもさりとて清らかでもなくむしろ下品な男に食傷気味であったのは事実だ。あとは彼自身の天命に委ねるも悪くはあるまい。

 

 最後の脱出の機会を被害者候補に与える。

 

「そちら様さえよろしければ……ですが。

 無理強いに手前の助手のお相手を願うのは心苦しい限りで。」

 

 ソリュシャンの瞳が一瞬ギロリ、とセバスを睨みつけるが、そんなことはセバスの知ったことではない。そして果たせるかな、男はセバスが垂れた一筋の蜘蛛の糸にまったく気づかなかった。

 

「とんでもない!

 ヘル・バスチャンがお気になさらぬとあれば、喜んでソーさんのお供を仕りますとも!」

 

 ご愁傷さまで。

 

「では、外までお見送りしましょう。

 ソーはくれぐれも粗相のないように。」

 

「心得ておりますとも、ヘル・バスチャン!」

 

 夜の街路に消えていく二人の後ろ姿を見送りながら、ふーっとセバスは溜息をついた。

 

 ……そのとき!

 

「ん?」

 

 セバスは周囲から自身の意図を気取られぬよう、体勢はおろか首すら回すことなく、でありながら、全神経を以て周囲の気配を探った。自ずとその瞳に険しさが宿るが、ややあってそれは霧消する。

 

「気の所為(せい)……でしょうか?」

 

 不意に何者かの視線を感じたがゆえだが、彼にとっての種族技能(スキル)となる竜の知覚(ドレイコニックセンス)でその元を探るもたちまちに反応はない。

 

 否!

 

「この時宜(タイミング)にソリュシャンの単独行動を許すとは、私としたことが抜かりましたな。」

 

 セバスは再び深い深い溜息をついた後、カッと目を見開いた。

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