大陸東端、城塞都市オークネイスのさらに東に拡がる広大な干潟。
その上空を飛ぶ、赤い飛竜の姿がある。
飛竜は四肢の腕が翼に転じた蜥蜴で、四肢に加えて一対の翼を有する竜とはまったく系統を異にする種族である。この世界ではカルサナス平原と大陸西部を隔てる大地溝帯に産し、稀に人間、亜人に慣れる個体があって、その数は決して多くはないが古くから騎獣として利用されてきた。
大陸西端では、来訪者鬼顔城を撃退した、白金の竜に騎乗する漆黒の装束を纏った魔法詠唱者が竜騎士などと呼ばれることもあったが、本来竜騎兵とは飛竜を駆る者に捧げられた呼び名である。通常、竜は人間、亜人に自身への騎乗を許すことはないのだが、飛竜に馴染みのなかった大陸西端の人々はそれと竜を識別することが叶わなかったと見える。
よく知られたところでは、大陸中央バハルス帝国の鮮血帝初代ジルクニフ・エル・ニクスが大層これを愛でてカルサナスの地に人を派して一隊を招き寄せ、帝都防衛の近衛に任じたとも伝わるが、幾分大昔の話であるので真相は定かではない。
今、干潟の上を悠然と飛翔する赤い飛竜も騎獣であり、その背には飛行帽の風除け眼鏡越しに地上に何者かの姿を探す小太りの人物を乗せていた。
やがてその人物は、目当ての相手を見つけたようで、手綱を引き絞って相棒に降下を命じた。これを受けて飛竜は、どこぞの悪魔が感極まっていつもそうやるような両の腕を左右に大きく開いた姿勢を採って、螺旋を描きながら減速降下していった。
これに、地上の干潟で気づいて見上げる者がある。
「……こんなところで飛竜?
いや、誰か乗せているから竜騎兵か。」
野生の飛竜が襲いかかってくるものであればたちまちに得意の雷撃で撃ち落としてやろうか、と身構えた奇縁の真祖吸血鬼キーノ・インベルンは、どうやら自分たちを目指して降りてくるに見える竜騎兵に向かって手を振って見せた。相手もそれに気づいたようで、片手を振り上げて応じて見せる。
「探しましたよ!」
キーノたち<黒の百合>の側近くに騎獣を着地させ、飛行帽を脱ぎながらそう声を掛けてきた小太りの人物は、意外なことに豚鬼だった。
「……誰、アンタ?」
訝しげにそう問うクレマンティーヌに対し、彼女が<黒の百合>の渉外担当だと承知している様子の豚鬼は、一枚の名刺を差し出して見せる。
<信頼と歴史の代数冒険者組合 ユーユエン>
「申し遅れました。私、こういう者で御座いまして。」
曰く。数年前に<黒の百合>一行が西方より城塞都市オークネイスを訪ねた時点で、一部の目聡い人々の間でその存在は話題になっており、さらにその一部は彼女たちが東の干潟で何か探し続けているらしいことにも気づいていたのだそうだ。
「貴女方でないと受けてはいただけないであろう大仕事がありまして。ここしばらく干潟の上を飛んで皆さんを探しておった次第です!」
同じことを考えて<黒の百合>を探していた同業者は他にも数組いるらしく、その中でも竜騎兵の技能を有したユーユエンは、他に一歩先んじて接触が叶った、ということらしい。
「差し支えなければ一旦オークネイスにお戻りいただけませんか?
詳しいご説明はそれから、ということになります。もちろん御礼の方はたんまりとご用意させて頂く所存です!」
このユーユエンの言葉に、まだ当地にナザリック地下大墳墓が存在するか、その所在の手掛かりがあるに違いないと思い込んでいたキーノは渋る様子を見せたが、逆に実りのない潮干狩りにうんざり気味だったクレマンティーヌは、渡りに船、といった様子で飛びついた。
「まぁまぁ、キーノちゃん!
ワタシらは弱きを助け、悩めるを解く冒険者なんだからさあーーー!」
おまえのどの口がそんなことを言うんだ?とキーノは訝しげな表情を浮かべるも、結局は文明世界への一時帰投を望むクレマンティーヌに押し切られ「必ず弊社をお訪ねくださいよ!」と念押しして飛び去るユーユエンを見送った後、オークネイスを目指して移動を開始した。
キーノたちがオークネイスの代数冒険者組合に顔を出したのは三日後の朝のことだ。
「お待ちしておりました!
どうぞ、どうぞ、中へお入り下さい!」
喜色満面で<黒の百合>を迎え入れたユーユエンは彼女らに席と香り豊かな茶を勧め、自身も着座した後に語り始めた。
「大変なことになっておりまして!」
職業柄仕方がないことか、とは思うが、大変なこと、と言いつつもユーユエンは嬉しそうだ。
彼にとっては、如何な騒ぎとて飯の種に過ぎない。
「一月ほど前のことになりますが、平原の半人半馬の連中が一族郎党皆引き連れてこのオークネイスにやって参りました。」
この時点でキーノもまた、どうやらこれは只事ではないらしい、と悟る。
半人半馬は、決して都市民を忌避しているわけではないが自身はあくまでも緑野での暮らしを好む者たちだ。数名の使者を送って来ることはあっても、一族郎党全員でやって来る、というのは、平原においてそこに彼らが居続けられない事態が生じているのであろうことを示唆している。
「彼らの族長が申しますには、かの触れ得ざる塔に接舷する空飛ぶ船がある、と。」
「「はぁ?」」
ユーユエンの話が俄に呑み込めないキーノとクレマンティーヌは揃って呆れ声を上げた。
一方、双子忍者の片割れ、クゥイアがぽそり、と呟くのを二人は聞き逃さない。
「空中戦艦。」
「……知ってるのか、クゥイア?」
「……」
「クゥイアちゃーん!お姉さんにその、空中戦艦、の詳しい話を教えて欲しいなーーー!」
「ギルド拠点には稀に移動能力を有するものがある。維持費用は高いが武装していて近づく者に砲撃してくることもしばしば。」
クレマンティーヌの胸の谷間に顔を突っ込みながらそう即答するクゥイア。
「あー、キーノちゃん。雷撃はユーユエンちゃんにご迷惑がかかるからなしで!」
「……来訪者、か。」
思わずそう漏らしたキーノに、
「皆さんがたにはお心当たりがおありなんですかい!」
と、ユーユエンが驚いて見せる。
「心当たり、というほど承知しているわけではない。
が、おそらくそれは、私達が、触れ得ざる者、と呼んで警戒している存在で間違いないだろう。」
キーノは真正直にそう応じた。
「半人半馬たちは、その空中戦艦に追い立てられて逃げて来たのか?」
極自然に生じた疑問を口出すと、これについてユーユエンは、否、と答える。
「奇しくも連中も皆さん同様にそれを、触れ得ざる者、と呼んでおりましてね。関わるべきでないと判断して一旦縄張りを離れる意を決し、その間の庇護と、オークネイスにも無用な介入を避けるよう忠告すべくやって来た……とまぁ、連中自身はそう申したそうで御座います!」
ユーユエンは、そもそも数千年前の半人半馬に、触れ得ざる者、の語を教示した本人が目前の冒険者であることを知らない。
彼が言うには、オークネイスの市議会はこの半人半馬の報せにどう対処するかで紛糾しているらしい。
元より、触れ得ざる塔の物語は当地でもよく知られている逸話であり、それがお伽噺などでは決してないことは、まだ記憶に新しいカルサナス都市国家連合を有名無実化した<冥と啼く七日間>が証していた。なので、半人半馬に忠告されるまでもなく、これに討って出るなどということを言い出す者は皆無であった。
一方で、この異常事態に対してただ座して待つのみでよいのか、そもそも現時点で知られているのは半人半馬の目撃証言だけで、それが真実であるか否かは豚鬼の有力者たちにとっては未確認の事柄だ。
そして、連綿と続く都市の歴史を紐解けば、二千年ほど前にオークネイス近傍に突然出現した砦について記録があり、その際には、鉄仮面騎士と呼ばれた高名な冒険者が調査に当たって一日でこれを解決して見せた、などという逸話もある。
されば、我々も信頼に足る冒険者を派して、威力偵察は論外としてもまずは事実確認をおこなうべきだ、と主張する者が現れるのも、至極当然の流れではあった。
「市当局は、半人半馬の縄張りに赴いて、触れ得ざる塔とこれに接舷した空飛ぶ船の存否確認、その脅威度の把握をおこなった者に、金貨一千枚を以て奉じる、と布告して御座いますが、これまでこれに応じた冒険者は居りませんのです、はい。皆、触れ得ざる、は恐ろしゅう御座いますからな!」
キーノとしては、最早このオークネイス以外では何の役にも立ちそうにない金貨千枚などに興味はないが、これを謝絶してしまうと当地の冒険者市場にあらぬ影響を与えてしまうことは想像に難くない。元より、来訪者と疑われる存在の調査については望むところだ。
「わかった。その話、請け負おう。」
と、キーノはない胸を張って即答した。
「つかぬことをお伺いいたしますが。」
着手金不要を告げるキーノにユーユエンが問う。
「間違っていたら申し訳ありませんが……皆さんは、その……ひょっとして……吸血鬼、であられますか?」
そんなに気を遣ってくれなくてもいいのに、と思いつつ、
「こいつらは違うが。」
と双子忍者を指差しながらキーノはさらりと答えた。
「私とクレマンティーヌはお察しの通りだ。」
「なるほど……弊社は余程心ある不死者の方と縁があるようですな。」
キーノの返しに、ふふふ、と微笑みながらユーユエンは言う。
「あまり一般に知られていることではないですがね。オークネイスの近くに突然砦が出現した事件に際して、鉄仮面騎士を派したのは我等が代数冒険者組合なのですよ。そして、かの鉄仮面騎士が、深く情誼を交わした当時の弊社頭目に、後に晒した仮面の下は……骸骨であったと伝わっております。」
「ん!
それってひょっとして?」
ぽかんとした様子のキーノに対し、クレマンティーヌがこの話の含意に気づいて声をあげると、ユーユエンは深く頷きながらこう続けた。
「左様。四半世紀前の大災厄に際してオークネイスを巨大な怪物の群れから守り抜き、今なお門前の巨像として称えられる骸骨聖騎士様は、かの鉄仮面騎士、その人であった……と私は考えておる次第です。
そう思いますと、今またこうして、吸血鬼であられるご両所に触れ得ざる塔に現れた空飛ぶ船のお話をお伝えしているのが私である、というのも、これまた不思議なご縁、とはお考えになりませんか?」
*
キーノたちは宵闇の中、城塞都市オークネイスを出立した。
都市外縁の平地には天幕を張っての野営を許された半人半馬たちが暮らしていて、彼らが触れ得ざる者へのオークネイス勢の直接介入を好まないことは承知していたので、出立を見咎められて一悶着起こすことを憚ってのことだ。
思えば、そもそも彼らにその知識を与えたのは他ならぬキーノ自身なのであるから、我ながら可怪しな事に配慮しているものだ、と思わなくもないが、さりとて今更半人半馬たちに、我々こそがおまえたちの先祖に触れ得ざる者の危険を伝えた吸血姫と三人の小人だ、と名乗るのも馬々鹿々しい話だ。
案じたところの半人半馬との邂逅はなかったが、城塞都市を背に西面する骸骨聖騎士の巨像の足元には少なくない豚鬼があって、燈明を捧げて何か祈っている様子だった。
<冥と啼く七日間>をもたらした怪物と骸骨聖騎士は刺し違えた、と聞かされていたので、既に存在しないとわかっている者……ましてやその威徳を偲んで自ら造営した像に対し庇護を求める祈りを捧げる豚鬼の物の考え方が、キーノには今ひとつピンとこない。
一方で、建国の来訪者を神と崇める国に生まれ育ったクレマンティーヌはそうでもないようだ。
「そりゃ、ワタシ自身は胡散臭いなぁ、と思ってた口だけどさぁ。」
とクレマンティーヌ。
「法国の一般の連中が、神、とされた存在に今ある安寧秩序が末永く続きますように、と祈りを欠かさなかった気分はわからなくもないわさ。連中も似たようなモンじゃね?
まぁ、力尽くで何とでもやってきたキーノちゃんにわかれ、ってのも無理な話だけど。」
言われたキーノとしては、自身を大鬼か妖巨人扱いしたかのようなクレマンティーヌの物言いに釈然としないところがなくもないが、言われてみれば、まぁ……その通りではあるのだろう。
「それにしても、よくわからなくなってきたな。」
オークネイスに辿り着いて初めて骸骨頭の巨像を見せられ、この御方が二十年前の大災厄から城塞都市を守り抜いたのだ、と聞かされた折、キーノはもちろんクレマンティーヌも、この像の人物を大魔王アインズ・ウール・ゴウンと考えて疑わなかった。
が、ユーユエンに聞かされた話を素直に信じるならば、どうやらこれは来訪者ではあるが別人であったらしい。主に大陸の西方を巡回するのが常で、カルサナス平原方面には数百年に一度足を運ぶのみだったキーノたちは、骸骨聖騎士、ユーユエンが言うところの鉄仮面騎士、ギルド光輝のブルーノの事績を終ぞ知る機会がなかった。
そうなってくると、半人半馬が報せた空飛ぶ船、今の時点ではそれがいったいどんな物なのか想像もつかないが、クゥイアが言うところの空中戦艦が、<冥と啼く七日間>を引き起こした来訪者だ、という可能性がまず考えられよう。
が、少なくとも半人半馬自身がそれから襲われた、ということはないようなので、その点で空中戦艦は、これまでにもしばしば見られた問答無用にこちらの世界の住人を蹂躙したり略奪を厭わないような類型のそれ、ではないのだろう、とキーノは考えている。
オークネイスの豚鬼たちは、大災厄の怪物を、巨大で多脚の言葉で形容し難い何か、的に表現してみせることが多かった。これがどの程度事実を反映した証言であるのかは定かでないが、少なくともその心象は、空飛ぶ船、空中戦艦と重なるところがまったくない。つまり、空中戦艦が大災厄の直接の当事者、という可能性は極めて低くなる。
では、大災厄を引き起こしたのは誰なんだ?
そして。
そこから四半世紀遅れて空中戦艦が、よりによって触れ得ざる塔の傍らに現れたのは何故なんだ?
キーノは、これまでの長い旅の経験から、少なからず自分は来訪者とは何であるか、について、完全に、でこそ決してないもののある程度は理解している、と自負してきたものだが、ここに来てその自信が揺らいでいることを自覚している。
確かに来訪者は、まったく理解不可能な存在ではない。が、それでもなお、我々のまったく理解不能な存在である場合もあり得るのだ、との思いを新たにせざるを得ない。
「まぁ……会ってみればわかるんじゃね?」
同様の理路から、空中戦艦はおそらくは対話可能な存在であろう、と考えている点ではクレマンティーヌも同様であった。
一方で彼女の脳裏を占める関心は、目下邂逅を果たさんと向かうところの空中戦艦ではなく、オークネイスを守り抜いたのが大魔王アインズ・ウール・ゴウンでないのだとしたら、むしろあの骸骨野郎は、大災厄を引き起こした側じゃないのか、という疑念だ。
我が愛しの主、キーノ・インベルンの心を無為に傷つけた<冥と啼く七日間>の犯人には、何か意趣返しをしてやらねば気が済まない!
へらへらと締まらない笑みを浮かべつつも、その怒りと復仇の誓いはクレマンティーヌの負の命の奥底に脈々と根付いているのだ。
一般的な徒歩の旅人が普通に旅する分には、城塞都市オークネイスからカルサナス平原のほぼ中央、触れ得ざる塔まではおよそ一ヶ月と少しの時間を要する。
対してまったく休息も睡眠も取る必要のない<黒の百合>の一行は、仮に一般の旅人が一日のうちの八時間を移動に費やすと仮定して、単純にその三倍の効率で前進することが可能だ。無論、体力の問題よりもむしろ気力に起因して彼女らとて一時の休息を取らぬわけでもないが、そもそもの単位時間あたりの移動速度も彼女らの方が圧倒的に高く、かつ安定しているので、ほぼ長距離走の調子で平原をまっすぐ駆け抜けた彼女らは、八日目には彼方に触れ得ざる塔の姿を認める地点まで辿り着いた。
「クゥイア、クゥイナ、何かわかるか?」
一旦歩みを止めたキーノは、夜半の吸血鬼の視力で触れ得ざる塔を覗うが、その塔頂部に接舷していると聞いた空飛ぶ船らしき姿は見当たらない。
問われた双子忍者は、しばし互いにまったく同じ顔を向き合わせて首を捻っていたが、やがて、以前からそうだったのかさきほど入れ替わったのか定かではないが、会話担当クゥイアがぽそりと言うには、
「推定拠点レベル四百。」
「……?
私には見えないんだが……いるのか?」
すると、一旦微かに見える塔の先端あたりを指差したクゥイナの指先が、ゆっくりと下に降ろされて、水平線へ向けて俯角を作る。
「地面に降りている、と?」
こくこく、と頷くクゥイナ。
「ケチ臭い」とクゥイア。
なるほど、とキーノは得心した。
仔細は必ずしも承知はしていないが、来訪者が潜むギルド拠点、とやらの維持に何某かの財が継続的に必要とされることは理解している。クゥイアの嫌味な物言いから勘案すれば、恐らく空中戦艦とやらを滞空させておくには平時よりも多くの財を要するのだろう。それはそれで理に適っている。
しばし四人は相手方の哨戒網の存在を疑って様子を伺ったが特にこれといって反応がないので前進を再開した。
まだ夜明けまではかなり時間がある。たちまちに戦闘するつもりはないにせよ、邂逅時点で吸血鬼であるキーノ、クレマンティーヌが全力発揮できる状態であるに越したことはない。
ぺち……ぺち……。
かなり塔に近づいて、双子忍者が言ったように確かにその足元に巨大な何かが横たわっている、とわかるようになった頃、クゥイナが無言のままに両手を合わせて何かを捉えるような仕草を繰り返すようになった。
「どしたの、クゥイナちゃん?」
クレマンティーヌの問いに応えたのはクゥイアの方だ。
「羽虫。」
「止まれ!」
ほぼ同時に、キーノが片手を真横へ伸ばして皆を制した。
「向こうから何かが来るぞ。」
一気に緊張が高まる。
さりとて、敵意を剥き出しにするのは悪手だ。敢えて得物を構えず徒手空拳で一旦向かい合わざるを得ないのは、仕方のないこととは言え何度やっても慣れないな、とキーノは思う。
「……ん?」
妙だな、とキーノは思わず声を漏らす。
ふと居並ぶクレマンティーヌに目を向ければ、どうやら彼女も同様のようだ。
向かってくる気配は、来訪者にしては随分と弱々しい。なんなら戦闘技能を有さない在地の人間、亜人と変わらないように思われる。
無論二人は、しばしばナザリックの連中が何らかの魔法的な欺瞞で以てそういった能力隠蔽を弄ぶことは承知しているが、これまでに他の来訪者がそういった手段を講じたことはなかった。ナザリックのそれは、偏に大魔王アインズ・ウール・ゴウンの、大魔王らしからぬ慎重な性格がそれを為さしめていると承知しているが、それはアインズが常に自分の他にも来訪者があり得ることを警戒しているからだ。
もし、今向こうからやって来る存在が同様の意図からそれをやっているのだとすれば、そいつは既に自分の他に来訪者があることを承知していることになる。
やがて、キーノとクレマンティーヌの視覚は、やはりほぼ同時にあちらからやって来た者の姿を捉えた。
一見して人間種、二十歳そこそこの女。顔立ちは不気味なほどに無個性で印象が薄い。見ているこちらが気恥ずかしくなるような、体線にぴたりと合った不思議な光沢を放つ全身襪を纏っていて、クレマンティーヌのそれといい勝負の無闇に目立つ大きな乳房が目立っている。
敢えてキーノは先手を取った。
「前触れなくおまえのギルド拠点に接近した非礼は詫びる。
が、私にはおまえたちに対する敵意はない。私の言葉がわかるか?」
対して、相手は無言のままに近づいて来て、闇夜の住人でなくとも月明かりで互いの表情が伺い知れる距離にまで至って立ち止まり、そして……。
開口一番こう告げてキーノたちを驚かせる。
「私は水晶の夜のクリフ。
キミたちに危機あることを知らせるべく、異世界からやって来た者だ。」
*
ナザリック地下大墳墓第七階層赤熱神殿。
その住人は、寝座椅子にゆったりと腰掛け束の間の微睡みを貪っていた。まったく睡眠を必要としないわけではない彼は、職務の合間にこうやって仮眠を取るのが常だ。
(デミウルゴスぅ?アタシぃ!)
ん?
<伝言>の呼び掛けに、浅い居眠りから覚めた彼は素早く応じる。
「エントマか。どうしたかね?」
(ごめんごめん、寝てたぁー?)
声を掛けてきた相手、戦闘メイドエントマ・ヴァシリッサ・ゼータは、聡明にも彼の応答の声色から直前まで彼が転た寝していたことに気づいた様子。
「いや、気遣いは無用さ。
で……どうしたね?」
(恐怖公から言伝ぇ。)
蜘蛛人である彼女は、ナザリック随一の情報将校恐怖公の眷属網との精神感応を有しており、アインズが特別に命じて直接の報告を事前に求めていない限り、原則としてその気付きは一旦エントマを介してデミウルゴスに届くことになっている。
これを至高の主へさらに報告するか否か、は狡知の参謀、最上位悪魔デミウルゴスの専決事項だ。
(監視中の空中戦艦に近寄る現地人あり、だってさぁ。)
語っている本人は、基本的には言っている内容に興味がない。
対するデミウルゴスは、靭やかな指先で眼鏡の山を鼻に押し当て、一瞬黙考した後にこう応じる。
「当ててみせよう、四人連れかね?」
(ご明察ぅ!流石ぁ、デミウルゴス!
アインズ様にお伝えすべきならこのままアタシが<伝言>するけどぉ……どうするぅ?)
「いや、必要ない。
アインズ様は今頃は愛妃とお楽しみの最中だ。瑣末事で邪魔するなど無粋の極み。」
(うししししぃ!)
「あぁ……私としたことが余計なことを口にした。
くれぐれも他言はしないでくれたまえよ。」
(もちろんわかってるよぉ。じゃーねー!)
「あぁ、ありがとうエントマ。恐怖公にも宜しく言っておいてくれたまえ。」
<伝言>が途切れた。
思っていたよりも早く状況が動き出しそうだ、とデミウルゴスは北叟笑んだ。
目下対峙するところのギルド水晶の夜擁するギルド拠点、空中戦艦<蒼玉>は、カルサナス平原の中央に着底したままだ。
デミウルゴスが自ら施した奸計でユグドラシル金貨獲得の術を失った彼らは、拠点の存続期間を最長化すべく、ナザリックから全戦力による急襲を受ければ抗いようもないことを覚悟の上でそうしている。デミウルゴスはこれを愚か、とは断じておらず、むしろ高く評価してすらいた。連中は、ナザリックに連中を即座に殲滅する動機がないことを見切っている、と見るが故だ。
NPCのみで差配されているがゆえに気紛れの行動を起こすとは思われない連中が、ここから新たな局面へと移行するきっかけは僅か三つしかない。
第一にはナザリック地下大墳墓の位置特定に成功し、決戦に及ぶべく空中戦艦を機関始動させる場合。
デミウルゴスは、骸骨聖騎士ブルーノが率いたギルド光輝の遺構を敢えて放置している。これはまだ拠点崩壊しておらず、内部にはブルーノがオークネイス防衛戦において戦力と見做さなかった下位のNPCがいくらか残留している可能性もあるが、それはまったく脅威とは考えられていない。
むしろ水晶の夜の動向を計る試金石として残されたものだが、これを監視する恐怖公眷属によれば、オークネイス南方の原生林に鎮座するそこに連中の配下が現れた気配はない。つまり連中は、現有資源の大半を自拠点防衛とナザリック発見に振り向けている、と考えるのが妥当だろう。これまたデミウルゴスは慧眼だ、と評価している。これは、<換金箱>が失われた状況で、この世界でユグドラシル金貨自体を探す行為が不毛であることを連中が正しく理解していることを意味している。
一方で、ナザリック発見を目指す行為もまた、連中にとっては不毛なものになるだろう、とデミウルゴスは看破していた。水晶の夜の哨戒行為はナザリックの恐怖公眷属に似た羽蟻NPCに依存しているが、これは恐怖公眷属とは異なり再生産性を有しない……つまり、羽蟻同士が交配して新たな子孫を残すことがない、と考えられている。
となれば、原理的にその探索範囲は<蒼玉>に在る女王蟻NPCから一定の距離を越えることが叶わない。光輝遺構にその気配が現れないのが何よりの証拠だ。アーウィンタール近郊に埋もれていた時点で展開された羽蟻はいくらかナザリック近くに残存してもいようが、少なからず偶然邂逅した恐怖公眷属に討ち取られているし、そもそも連中視点に立てば、すべてのナザリックからの介入はエイヴァーシャーの森に端を発しているよう欺瞞され続けてきたため、今なおその思い込みに縛られる連中が、トブの大森林南端に鉄壁の隠蔽措置の下に鎮座する我等がナザリック地下大墳墓に辿り着く可能性はほぼ0だ。
つまり、これは可能性としてはあり得るが、まずない、と見做せるものだ。
第二には、至高の主が慈悲で以て下賜したものを含めおよそ三百年のギルド維持費に足ると見積もられている手持ちのユグドラシル金貨が、連中自身の定めた危険値を割り込んだときだ。これは必ずしも三百年先のこと、とは考えられておらず、拠点維持費用の他にもユグドラシル金貨を要する場面は、たとえば羽蟻NPCの増産など、いくらかは想定し得る。
いよいよ維持資金が尽きるとなれば、破れかぶれになった水晶の夜が<蒼玉>を機関始動し無差別艦砲射撃でナザリックの釣り出しにかかる可能性は大いにあり得る。このときの標的として想定されるのは、まずはエイヴァーシャーの森、それに比して可能性は低いが今なお勢い盛んな城塞都市リ・ウロヴァール、あるいはオークネイス。
だが、連中がどう考えるかはともかく、ナザリックとしては紅水晶の竜王コニーの退避さえ叶えば森を強いて防衛する理由はないし、ましてやその他の城塞都市についてはどうなろうが知ったことではない。むしろ、エイヴァーシャーの森、リ・ウロヴァールを連中が襲えば、これが白金の竜王ツアーの逆鱗に触れて、その破格の始原の魔法で空中戦艦諸共に殲滅されることもあり得る。
むしろこの視点から派生するのは、彼らがあと七十年ほど拠点を維持し続け、次の<百年の揺り返し>で現れる来訪者を味方につける可能性の方だ。元より既に故人のギルド長クリフはユグドラシル外から傭兵を招く発想の持ち主であったのだから、七十年後の時点でまだ維持資金に余裕のある彼らが、それを種銭に傭兵を調達するのは自然な流れではある。
さりとて、これはあくまでもこれから七十年連中が命脈を保ち、かつ、次にやって来る来訪者が転移直後の崩壊を乗り切れる存在で、傭兵に応じられる程度の知性を有していて、それがやって来ることを知りもしない水晶の夜がナザリックに先んじてそれへの接触に成功する場合、にのみ問題となるもので、やはりこれも可能性としては天文学的に低いと言えよう。
となれば、もっとも現実味があるのは第三の場合。
すなわち、今の時点で水晶の夜が承知していない新たな知見をこちらの世界の住人が彼らにもたらし、以て連中の戦略に変化が生じる可能性だ。
ナザリックの所在を知る者などツアーとその係累の他に居ようはずもなく、竜王たちからそれが漏れることを案じる必要はあるまいから、これは無視して構わない。が、もっとも直接的な庇護対象としてトブの大森林、他、慈悲あまねく慈愛深き至高の主が、存外この世界の有象無象を守らんと行動する事実については、その理路まで解する者はあるまいが、気づいている者は決して皆無ではない。
そして、さきほどエントマからデミウルゴスへ届いた報告は、もっともそれを為す可能性の高いあの阿呆どもが、早くも<蒼玉>に行き着いたことを示していた。
これが……。
これが深慮遠謀尽きることなき端倪すべからざる我が至高の主の差配ではない、などということがあるだろうか!否、そうであるに違いない!
至高の主は、私同様の思索など疾うに済まされた上で、連中に次の行動開始を促し、これを迎撃するを楽しまんと構えておいでだ。されば烏滸がましくもその右腕を自認する狡知の参謀、御身の唯一無二の親友の生まれ変わりであるこのデミウルゴスには、それをより愉快痛快な活劇として演出する権利……もとい、義務がある!
「さて、これをどう料理したものか。
……腕が鳴りますな!」
悪魔が捻くれた喜びの声を赤熱神殿に響き渡らせた丁度その頃、その悪魔に深慮遠謀尽きることなき端倪すべからざる至高の主、と買い被られるところの当の本人は、愛妃の日頃の守護者統括業務の労苦に報いるべく、寝台の上で骸骨の按摩さんよろしく全身揉み解しの出血大奉仕に勤しんでいたのはご愛敬、というものであろう。