それは、ユグドラシル最盛期の出来事だった……とアインズは記憶している。
正しく言えば、そのように、アインズを含むナザリック皆の存在の源となる<アインズ・ウール・ゴウンの日誌>には記録されている。
その日アインズ……当時のモモンガは、盟友ウルベルト・アレイン・オードル、ペロロンチーノと共に気ままな狩りを楽しんでいたのだが、偶然の邂逅か、はたまた相手方に何か情報が漏れていたのかはわからないが、こちらよりも頭数が上回る百レベル級プレイヤーの襲撃を受けた。
敵の狙いはモモンガ一人に端から絞られていたようで、返ってそれが幸いとなって動きが読み易かったため、ウルベルトとペロロンチーノはモモンガが全力で応戦し易いように支援に徹してくれたのだが、それでも結局、最後に残った百レベルプレイヤーは、丁度ルーシェンがやっているような千日手戦略を弄したがために、遂にアインズは必殺技の使用を決断した。
もちろん、相手がそれに対策している、と見切ってのことだ。
モモンガの誇る蝕の技能<あらゆる生ある者の目指すところは死である>は、対象が生物、無生物であるかを問わずあらゆる即死魔法耐性を侵徹してすべてを塵に帰すが、これを回避する手段として、十二秒の満願成就待ちの間に一過性の復活手段を講じること、があるのは、既にユグドラシル有志の手で解明されて衆目に晒されていた。
一定時間に限り、その間に訪れた死を無効化して戦闘継続を可能とする魔法の品は存外多く存在する。その多くは使い切りのもので、原則としては入手に課金を要し、しかもその価格はべらぼうに高い。
だが同時にそれは、決して一般的でもなかった。
と言うのも、ユグドラシルのゲームバランスは、基本的にはレベルが拮抗すれば戦闘も拮抗するように意図的に設計されていて、何かをきっかけに均衡が崩れると雪崩を打つように一方に傾くのが常だ。復活が必要になる、ということはHPが一旦0になる、ということであり、これを強引に回復させたとて、崩れた均衡が回復するわけではない。
つまり、均衡を傾けた側にはレベルが拮抗してもなおそれを為し得る実力があるのであり、これを復活で凌いだとて、同じことが繰り返されて結局敗北するのであって、これに高価な復活アイテムを投じるのは勘定が合わず、アイテム喪失覚悟で拠点から再出撃するか、追って仲間に蘇生してもらった方がまだマシだ、という程度のものだったからだ。
これが名高い非公式ラスボスの必殺技対策に有効だ、という話が流れて、俄にその値は更に釣り上がった。
当時のモモンガはこれを、<運営>が一儲けしようと自分を出しにして故意に漏らした話じゃないの?と、いささか自意識過剰ではないかと思いつつそれでも本気で疑っていたが、そういう背景があったので、実際にそれを講じてくる者は決して多数派ではなかったし、そもそもモモンガに必殺技を使わせるまでに至る者も、彼に対する挑戦者全体からすれば極僅かでしかなかった。
それでも皆無にはならないので、無闇に慎重で几帳面な性格も手伝って、モモンガはこれまたその備えも怠らなかったのだが、その日は、比較的余裕があったこともあって、これまでに試みたことがなかった逆撃をやってやろう、と思い立ったのである。
それは、蝕を得て何度目かの必殺技を実戦使用した直後から、突然モモンガの使用可能技能一覧に現れた。いわゆる隠し技能なのだろう、と当時のモモンガは思ったものだが、フレーバーテキストを熟読してみれば、明言はされてはいないものの、蝕、すなわち即死魔法系の属性に加えて、それとは直接関係しないがモモンガが好んだ時間魔法系の属性をも極め、他、いくつかの条件を満たすと獲得されるもののようだ。
その余りな複雑さから、どう考えてもオレ以外にこんなもん手に入れる奴いないだろ、こんな無駄な実装をして<運営>ってのは存外暇なんだろうか、と嗤ったモモンガであったが、とまれ、使い方はフレーバーテキストを読めばわかるし、中々に興味深かったので、丁度いい具合の実験台が志願してきてくれた、と無邪気にこれを試みたのである。
結果。
突然、相手が目前から消えた。
え!
逃げ落ち?
逃げ落ち、というのは、戦況不利、必至の状況下で故意に強制ログオフを起こして窮地を逃れることを言い、主に通信ケーブルの物理抜去、といった強引な手段でなされるものだが、こうすると、本物の通信障害や中の人が急な病で昏睡し入力操作が皆無となったとき同様に、プレイヤーの化身は保護されて拠点に強制送還される。
では、これが多用されたのか、と言えばもちろんそんなことはなくて、ユグドラシルではそれが故意であるか事故であるかを問わず、戦闘中に生じた強制ログオフはプレイヤー名を添えて公知された。調べれば、それが誰と誰の戦闘中に起きた出来事であるかはすぐにわかり、名の知れたプレイヤーに対してはこれを論って喧伝する手合いも多かったので、これは極めて不名誉なことだったのだ。
満を持して試みた自身の新しい技能の効果を見届けることが叶わず、モモンガはこれをとても残念に思ったのだが、モモンガと対峙した者が恥を覚悟で逃げ落ちする、などということは日常茶飯事だったので、まぁ、仕方がないか、と割り切りつつも、ひとまずは確認のためにナザリックへの帰投後、ユグドラシルの情報サービスに本日の強制ログオフ者一覧を当たったのだが、当該の人物は現れなかった。
更新が遅れているのだろうか、と念のため、翌日、翌々日と確認しても一向に現れない。思えば、あいつが消える瞬間は本当に唐突で、逃げ落ちで見られる固まりがなかったようにも思うので、流石に不安に感じたモモンガは、普段は決してそんなことはしないのだが、ナザリックの自室から問題のプレイヤーに個人通信を申し込んだ。今、相手の名を憶えていないのは、これが自室でおこなわれたからで、後にその顛末だけが円卓の間でウルベルトとペロロンチーノに語られたからだ。
意外にも通話に応じた相手は、モモンガに開口一番、
「いったいぜんたい、あんた、何をやってくれたんですか!」
と噛みついた……らしい。少なくともモモンガは円卓の間でウルベルトとペロロンチーノにそう語っている。とにかくそのプレイヤーはモモンガの気紛れの実験台にされた結果、二進も三進もいかなくなったそうなのだ。
「<運営>は?<黒衣>は?」
必ずしもコンピューティングの詳細に通じていなかったモモンガ、鈴木悟も完全に理解していることではないのだが、ユグドラシルは存外糞真面目なセルオートマトンで実装されていたそうで……無論、ユグドラシルの世界全てをそれで稼働させるのは、地球を構成する全原子を地球に存在する物質で構成可能な電脳で模倣することは叶わないように、どれだけ資源が無尽蔵にあろうとも不可能なので、実際には極めてご都合主義的な要約と継ぎ接ぎの詰め合わせでもあったのだが……その規則は好き勝手に書き換えることが出来るものの、その中で起きた出来事、生じてしまった事物については、原則としてはその内部から対処せざるを得ない。
<運営>自身もその例外ではなく、ユーザーから寄せられた苦情に対し、既に起きた出来事、生じた事物に対してどうしても修正を要する場合、歌舞伎や人形浄瑠璃で居ない者として扱うことが正しいとされる助演者に因んだ衣装を纏っているがゆえに<黒衣>と呼ばれた特権的な能力を有した化身でユグドラシルにログインしてこれに対処したのであるが、それを以てしてもこの犠牲者の状況は如何とも出来ず、終には<運営>から応答がなくなったのだとか。
意図してやったことではないにせよ、結果的に事実上の消失に陥れたことについて、悟は通信越しではありつつも被酷使会社員の本領発揮で平身低頭に詫びを入れたのだが、ついに相手は、
「もういいです。これが自分の限界だと悟りました。最期にお相手いただいて、ありがとうございました!」
と、鼻水を啜りながらの涙声で応じて、その後、まったく呼び掛けに応じなくなった。
「それは……ヤバくないですか、モモンガさん?」
この話を、あくまでもユグドラシルの欠陥ネタとして語ったモモンガに対し、愉快に嗤ったペロロンチーノはともかく、ウルベルトは真面目な声色で懸念を表明した。
「ヤバい、と言えばヤバいですけど……まぁ、所詮はゲームの話ですし。」
「いや、ユグドラシルでは無敵の大魔王、非公式ラスボスのモモンガさんとは言え<現実>ではただの人。恨みに思った誰かに背中から短刀でドスっと……」
「止めてくださいよー、縁起でもない!」
この会話がキッカケになって、モモンガは糞真面目に不具合報告を<運営>に提出したのだが、
「いつもご愛顧ありがとうございます。非公式ラスボスのご活躍、応援しております。他のお友達はモモンガさんほど強くはないので、ほどほどに手加減してあげてくださいねー。」
に続いてご丁寧に笑顔の絵文字が添えられた第一報を受け取った後、梨の礫となった。
モモンガはこれを、面倒臭いので修正はもうしないからその技能は金輪際使ってくれるな、の意と解釈し、そもそもこんなモノを使う理由もないし、ましてやウルベルトの言うように誰かに恨まれて<現実>で刺されるなど真っ平御免なので、言わば自主規制として以降これを用いることが一度たりともなかった。
その技能<明日はもうやって来ない>を……
よもや、こちらの世界で真面目が過ぎて狂ってしまったNPCに用いる羽目になろうとは!
*
「ちょっと!真っ暗でアインズ様のご活躍が見れないじゃないの!
恐怖公、何とかならないの?」
「アルベドの仰り様はごもっともなれど、こればかりは如何ともしようが御座いませんぞ。」
ナザリック地下大墳墓第十階層玉座の間。
観戦していた恐怖公眷属の中継する映像が突如暗転し、不満の声を上げた守護者統括アルベドに恐怖公がそう応じる。
「第六位階魔法<闇よりも深い闇>は、それ自体は攻撃力のない領域効果魔法に過ぎません。術者自身を含め、効果範囲内のすべてのものの視覚が周囲数メートルまで、の制約を受けます。恐怖公眷属もその例外ではありませんからこの有り様。
本来は、敵方陣営が中距離支援火力に優れ自陣営が白兵戦力で有利な場合に、飛び道具を封じつつ乱戦に持ち込む際に用いるのが定石で御座いますが、単騎で渡り合う今のアインズ様におかれては、円盤刃封じに用いられたものではないか、と。」
問わず語りにパンドラズ・アクターが言う。
「ということは、円盤刃は操るために使用者が目視している必要があるのね?」
たちまちにアルベドは彼の言わんとするところを喝破する。
「ご明察です。厳密に言えば正確に操作するためには、ですが、それはおそらく、父上の意図の半分でしかないでしょう。」
「つまりアインズ様は……」
「左様。既にアレの使用をご決断あそばされておるもの、と考えて間違いないでしょうな。」
アルベドは人差し指を立てて唇に軽く乗せる。
彼女が全神経を集中して思案する際にしばしば見せる癖だ。
「問題は、あの者は当然何か対策をしている……。」
「無論、それも父上はお見通しで、それを上回る対策あればこそ、この最終局面をお迎えになったものか、と。」
「でも……それが私たちからは見えない、だなんて!」
「残念、では御座いますが、それもまた父上のご決断なれば、下僕たる我々といたしましては、ただ受け入れる他御座いません。」
「本当……残念ね。」
アルベドは、不満と不安の入り混じった溜息を吐く。
*
ルーシェンは暗闇の中で、全身全霊を懸けてモモンガの企図を読もうと試みている。
この真なる闇は、円盤刃を自由に操るにはそれが操者の視野にあることを要すのを承知していて、それを阻むためのものだ。今、あちらからもこちらの位置が正確にはわからないからたちまちに攻撃魔法が飛んで来ることはないが、もしそれが来れば受け止める術はない。
だからといって円盤刃を呼び戻す短気は禁物だ。アレは課金で耐性強化されていて、見積もり上はモモンガのMPの五割程度が消費されるまでは損壊しない代物だが、一旦副腕に懸架すると装備破壊系の魔法で容易に破砕される。さりとて、空中静止しないアレを狭い視野の中で周回させるのは自刃の恐れもある。だから今は、視野の外でつかず離れずに遊ばせておいて、必要になれば呼び戻すのが正しい。
だが、これを考えさせられていること、それ自体が既に欺罔だ。
各種の欺瞞で隠蔽されているのでこれを正確に読み取ることなど端から試みるつもりもないが、モモンガの継戦能力、すなわちHP、MPの総量は、共にこちらとは比較するのも馬鹿げた桁外れのものだ。あちらには円盤刃を、疎ましくこそ思えど強いて封じる積極的な理由はない。確かに円盤刃には、それが在る限りはあちらの魔法攻撃をこちらに通さない力があるが、モモンガには、それを上回る攻撃手段があるのであり、そして、モモンガがそれに着手するのはこちらもまさに望むところだ。
それをやるのに、敢えて真なる闇は必要はない。だからこそ、モモンガはそれを仕掛けてくる。こちらに、今はまだそのときではない、と誤認させるためにこの真なる闇は施された。
と言うのも、こちらがアレを凌ぐには、満願成就までの十二秒の猶予時間の間に対抗措置を講じる必要があるが、それが着手されたことを知る方法は、技能発動宣言を聞くか、その結果モモンガの後背に現れる機械仕掛けの時計を視認するか、秒読みの鐘の音を聞くか、のいずれかだ。
が、発動宣言は充分な距離を取って小声でおこなわれれば気付けないし、あらゆるものに必ず訪れる死、の象徴の目視確認はまさにこの暗闇によって封じられた。鐘の音だけを頼りにすれば、待ってましたとばかりにこちらが対抗策を講じても、ひょっとするとあろうはずもない十三回目の鐘の音を聞かされる羽目になりかねない。本当の鐘の音は、こちらの対策の効果時間が切れてからやって来るかも知れないのだ。
ゴーーーン!
そして今、最初の鐘の音が聞こえた。
定石としては、<嘆きの妖精の絶叫>が使用される前提で遮二無二安全距離を確保すべく走るべきだが、これは誤りだ。走る行為それ自体がこちらの位置を相手に知らしめ、それを追って来たモモンガの死の指先に触れられるのは必定。
ゴーーーン!
全力疾走すれば、その分、これが偽でないかの見定めが難しくなるし、そもそもこの状態ではモモンガ側もこちらが真に効果範囲にいるか確信できないはずだ。だからモモンガは、こちらの予測位置に飛び込んで来て……
ゴーーーン!
こちらの見極め、続く対抗措置実施への時間的余裕を最小化しつつ、確実性最大となる接触による<真なる死>を狙って来るはずだ。では、奴はどこから来る?
ゴーーーン!
視覚を封じられて以来、自分が本能的にある方向に対して注意を払いたい、という衝動を感じていることにルーシェンは気づいている。これは、ユグドラシルNPCの標準において、視覚を奪われた状況下に定められた対処に由来していて、このことはモモンガも承知のはずだ。
ゴーーーン!
だから、その逆を衝いてくる……と考えたいところだが、モモンガはこちらの知性値を承知しているからそこまで読むはずだ。だから、敢えて本能の命じる方向から仕掛けてくる。これは間違いない。
ゴーーーン!
モモンガは、こちらが自爆攻撃を狙っていることなど百も承知だろうから、施術後は満願成就まで逃げ切るために全速後退するはず。なれば、丁度よい時宜でこれを円盤刃が追うよう、自身の後背にまであれを呼び戻しておこう。
ゴーーーン!
後はモモンガを見失わないように遮二無二追いかければいい。必殺技さえ凌いでしまえば、再充填時間の間に円盤刃が奴を捉え、一瞬でも足が止まれば道連れの抱擁を与え……私の勝ちだ!
ゴーーーン!
来たッ!
ルーシェンは、まさに予測した真正面から、背中に機械仕掛けの時計を背負ったモモンガが現れたのを視認した。
その瞬間、小さな……本当に小さな違和感を覚えるも、最早呻吟する猶予はない。たちまちに対抗策であるところの<応急修理キット>を有効化する。
「セーニョ。」
……何だ、今のは?
ゴーーーン!
「<現断>!」
な!
ルーシェンの予測とは違い、視認距離ギリギリで立ち止まったモモンガは、そこから空間ごとすべてを切り裂く魔法の刃を三連撃で放った。視野外で無詠唱で強化が為されていたらしい。
ゴーーーン!
この瞬間、後方の暗闇から円盤刃が飛び出して、ルーシェンを襲うそれのうち二つを相殺するが、漏れた一発はそのままルーシェンに直撃し、自身のHPの三割が奪われたのをルーシェンは感じる。
何故ここで第十位階の物理攻撃魔法なんだ?
これでは、再充填時間待ちの間に秒読みが終わって、モモンガの必殺技は空振りに終わるではないか!
「お別れだ。」
ゴーーーン!
モモンガの声に視線を向けたとき、ルーシェンは、闇から飛び出してきたモモンガを視認した瞬間に覚えた違和感が何であったのかに気づいた。
鐘の音と共に動いた時針の……動いた方向が、逆だ!
真なる闇の本当の狙いは……これを隠すため?
「ダル・セーニョ。」
さきほども聞こえた意味不明の言葉が再びモモンガから発されるが、既に困惑の極みにあるルーシェンにはその意味を検討する余裕がない。
ゴーーーン!
「<現断>!」
な!
第十位階魔法が、なぜ三秒しか経ていないのに繰り返し撃てる?
強化までして!
それ以前にモモンガは何処だ?
突然姿が見えなくなって、にもかかわらず、さきほどいた位置から魔法詠唱が聞こえ、刃が飛んでくるのは何故だ!
その疑問と同時に、<現断>の迎撃に用いて以降位置を意識していなかった円盤刃が、これまた何故か再び自身の後背から飛び出してくるのに気づいてルーシェンはなお困惑する。飛び続けていることはともかく、前に向かって飛んでモモンガの魔法と斬り交わしたそれが、どうして自分の後ろから出てくる?
ゴーーーン!
他にどうしようもないので、さきほどと同じことをする。
すなわち、円盤刃は、三重魔法最強化された<現断>のうち二発と相殺し、余った一発がルーシェンを捉え、残るHPはもう僅かだ。
ゴーーーン!
待て待て!
今聞こえた鐘の音は……いったい何回目だ?
ゴーーーン!
「<現断>!」
そんな馬鹿な!
茫然自失のルーシェンは、再び自身の後方から飛来した円盤刃を操作する気力が起こらない。
ゴーーーン!
魔法の刃の三連撃をまともに喰らって、その二発目で自身のHPが0になった。
即座に<応急修理キット>が発動し、HPが回復するも、余った一発が再びその三割を奪い取った。
ゴーーーン
ちょっと待て、待ってくれ!
いったいこれは何が起こっているんだ?
ゴーーーン!
「<現断>!」
……そういうことか。
再び円盤刃が後方から現れて前方の闇へ消え……
ゴーーーン!
三連撃はルーシェンのHPを奪い尽くす。
が、使い切りアイテムであるはずの<応急修理キット>が再び発動し、ルーシェンは復活する。
ゴーーーン!
ルーシェンは絶望の演算を開始する。
円盤刃を自分に当てて<応急修理キット>が発動してからもう一度時間を巻き戻される前に……死ねる組み合わせはないか?
ゴーーーン!
「<現断>!」
最初の一発で死ねても。
ゴーーーン!
<現断>二発と円盤刃を自身へ向けての二連撃では僅かに足りない。
自爆攻撃は、道連れにする相手がいないと発動しない。
ゴーーーン
それが何を意味するか。
知性値最大であるがゆえに、ルーシェンは速やかにそれを悟った。
ゴーーーン!
「<現断>!」
*
つまるところ、<明日はもうやって来ない>は少しだけ手の込んだ即死攻撃に過ぎない。
少なくともアインズ……鈴木悟はそう理解していた。
そのフレーバーテキストに示された説明は極めてシンプルなものだった。
効果:被術者一名を閉時曲線の中に閉じ込めます。
一、技能の使用を宣言します。
ニ、使用宣言から十二秒以内に再起点を宣言します。
三、被術者に有効打を与えます。
四、使用宣言から十二秒以内に回帰点を宣言します。
五、成立、不成立にかかわらず二十四時間の再充填時間が課せられます。
制限:回帰点において有効打が生じていない場合、または被術者HPが0の場合は閉時曲線は解かれます。
単純に理解すれば、ダメージを生じさせるイベントが死ぬまで繰り返される、と言っているだけで、受ける側からすれば無駄に時間がかかるだけの即死攻撃、ということになる。
ユグドラシルには、対峙する者同士の相性にもよるが、いわゆる嵌め技……一旦決まってしまうと防御側が何をやってもその状況から離脱出来なくなってしまう連続攻撃、が存外たくさん知られていたので、その一種、と考えることも出来るだろう。
むしろ、近接格闘のそれが本当に一度決まるとどうしようもなかったことに比べれば、<明日はもうやって来ない>は、被術者側に少なからず脱出の機会がないわけではないので、まだマシな方だ、と言えるかも知れない。
そして、実際に件の事故を起こすまで、よもやそんなことになるとは夢にも思っていなかったのであるが、終了条件のうちの「回帰点において」というのが曲者で、再起点の段階で被術者が一過性復活の備えをしていた場合、繰り返し毎にHP以外のすべての状況が元に戻るこの閉時曲線内では「被術者HPが0」が「回帰点において」は絶対に満たされない、という可怪しな事態が発生する。
ここに回避不能の<現断>が投げ込まれると「有効打が生じていない」もまた満たされなくなるので、行き着く先は無限の繰り返し、ということになる。実際、事故の犠牲者はこの攻撃が成立した途端にモモンガからは見えなくなったが、これは、ユグドラシルの標準時間軸から隔離された、この特殊処理をおこなう別の時空間に犠牲者が移送され、そのまま戻って来れなくなったからだった。
その犠牲者本人の証言によれば、とにかく何をやっても抜け出しは叶わず、<現断>を受けては復活、<現断>を受けては復活が繰り返されるのみで、もちろん彼は恥を覚悟で逃げ落ちも試みたのだが、再ログインしても同じことが繰り返されたらしい。つまり、強制ログオフの処理もまた、このループの外にあった、というわけだ。
ギルドの仲間に頼んで<真なる蘇生>も試してもらったが効果なし。そもそもギルド拠点のコンソール上、犠牲者はまだギルメンとして存命と表示されていた。一方で、犠牲者の中の人が再び無限ループへログインしても、仲間たちとの一切のゲーム内通信が成立しなかったのだそうだ。
そして、<運営>が操るところの<黒衣>も、流石にユグドラシルのどの世界からも隔離された時空間には手が出せなかったらしく、そもそも今それが何処にあるのかわからないと応じる有り様で、終に犠牲者が手塩にかけて育てたキャラクタの救助は叶わなかった。それ自身は生存しているにもかかわらず、事実上の消失だ。
アインズ・ウール・ゴウンの至高の四十一人は、お世辞にも人格者の集団では決してなかったので、この話を吹聴すると「あいつも嵌めてやろうぜ!」と言い出す者が必ずおり、そして誰かがそれを言い出して一旦ギルドの規定路線になってしまうと自分には絶対に断れないことを悟はよくわかっていたので、ウルベルト、ペロロンチーノの他には、同志ヘロヘロにしかこの話はしていない。
ヘロヘロに話したのは「プログラマ的にこんな欠陥ってあり得るの?」という話がしたかったからだが、意外にもヘロヘロは、これは結構ベタなあるあるネタだ、と応じた。ループの終了条件は回帰点で判定するのがもっとも単純かつ堅牢で、逆にループの任意の地点から条件を満たし次第抜ける処理は、特に抜け出た後に元の処理へ正しく戻ることを要件とすると、プログラミング的には面倒な部類の課題になる、と。
むしろヘロヘロが気にしたのは、どれだけ<運営>が野放図であっても、プログラマがこの可能性を見落とすなんてあり得ないだろ、ということで、つまり彼の主張は、これは<運営>が故意に仕込んだものじゃないのか?だからモモンガさんの不具合報告も、わかったようなわからないような時候の挨拶が返されただけで応答が途絶えてるんじゃないか?というものだった。
あの頃、最盛期のユグドラシルは、対外的に新規プレイヤー参入を煽る広告をたくさん打っていたが、その中には有名プレイヤーが登場して「挑戦者求む!」的な大見得をとっているものがあり、モモンガもそれに多用された者の一人だったが、これはいつも事後承諾で、謝礼の粗品として「課金ガチャの大当たりを引く確率が倍になるクーポン」などというふざけたものがしばしば届いて悟をウンザリさせていたのだが、とにかく既にあの時点でモモンガは、ユグドラシルの伝説的な存在の一人だった。
<あらゆる生ある者の目指すところは死である>に始まる必殺技は、その語呂の良さもあってそういった宣伝にもよく用いられたネタの一つだったのだが、どう考えてもモモンガ以外に獲得条件を満たせそうにない<明日はもうやって来ない>が実装されたのは、モモンガの必殺技を回避したらわけのわからない嵌め技で切り返されてしかも消失に追い込まれた、という、ある種の都市伝説を生じさせることを企図して仕組まれたものだ、という可能性もいっとき悟は真剣に考えたものだが、これを自身で禁じ手としたこともあって、真相は終に闇の中だ。
と、そんなことを闇の中で思い返しているうちに<闇よりも深い闇>の効果時間が切れて視界が回復し、新月の夜であることもあって満天の星空が見えるようになった。
「?」
アインズには、少し不思議に感じていることがある。
<明日はもうやって来ない>が成就した瞬間、ルーシェンの死、を確かに感じたような気がしたのだ。
ユグドラシル時代のそれはギルド外で起こった出来事だったので、後にそれを振り返って自ら語ったことしか記憶になく正確な比較は叶わないから、気のせい、と言ってしまえばそれまでだし、それは、そうであって欲しい、と願う自身の思いがもたらした錯覚だったのかも知れない。
「ま、いっか。
やっちまったもんはしかたないや。」
アインズは周囲をキョロキョロと見回して一匹の恐怖公眷属を見つけ、それを通してこちらを見ているだろうアルベドに送ったつもりで骨の指で∨サインを作って見せたが、実はこのとき中継をやっていたのはアインズの後背方向にいた別の眷属で、これを玉座の間で見るアルベド、パンドラズ・アクターからは、闇が晴れて姿を現した至高の主が、こちらに尻を向けてあらぬ方向へ何か合図を送っているように見え、実はツアーも来ていて何か合図を送っているのだろうか、だとするとまだ戦闘中?と困惑を生じさせたりもしたのだが、やがてアインズはその骨の手を自身の側頭に添えて、
「<伝言>。
アルベド、オレだ。終わったぞ。」
と告げたので、
(心より戦勝をお寿ぎ申し上げます。)
との祝辞を得た。
(あの者は……どうなったので御座いましょう?)
このアルベドの問いにアインズは、
「……二進も三進もいかなくしてやった。」
とだけ答え、仔細は敢えて説明しなかった。
「そんなことよりもアルベド、これですべてが終わったわけじゃない。
アウラ、マーレ一族のみ現体制を維持させ、他の皆を一旦帰投させろ。
遠征部隊の編成を頼む。」
最早戦力、と言える戦力は残されてはいまいが、それでも鉄血宰相級空中戦艦<蒼玉>は東の彼方に健在で、そこにはルーシェン同様に旧主の影響を受けたNPCが少なからず潜んでいるはずだ。統率者を失ったそれが何をするわけでもなかろうが、むしろ、理知的な指揮官を既に欠くこれを放置するのは良策ではない。
(確かに承りました、アインズ様。)
愛妃の復命に満足そうに頷いたアインズは、<伝言>を切った後、今一度満天の星空の下にある、名も無い町の廃墟に過ぎない戦場を振り返った。
「ほんと……どうなるんだろうな、アイツは。」
そう無責任な言葉を呟いた後、アインズは自らもまた凱旋のための<転移門>を開く。