過去作を読んでたら筆が乗ったので書いてみました。会話多めで自分にとっては珍しい書き方をしたと思います。
「念仏を唱えて欲しい?」
「ええ、そうです。」
その人は奇妙な事を言った。私はそれに困惑しそんな言葉を返すしかなかった。その人はふらりと現れた西洋人であった。しかし流暢な日本語を話し、慣れた様子であたりを歩いていた。墓地の掃除をしていた私にもそんな風に物怖じせずに話しかけてきたのである。
「しかし……私はただ持ち回りで墓地の掃除をしに来ただけの人間でして、僧侶でも坊主でもないんです。」
「構いません。僕が唱えられた、と思えばそれでよいのです。」
「貴方に念仏を唱えるんですか?」
「そうです。……ジャポンの文化は知りませんが、そうではないのですか?」
「いえ……念仏は死者に唱えるもんですよ。」
私はそう言ってこの西洋人の顔をよく見た。堀の深く眉の太い男前な顔つきで、金髪を短く切っている。頭髪はヘアオイルを使ってか、綺麗に整髪されているようであった。ただその目だけは酷く濁り、泥の中の宝石のような印象を与えるのであった。
彼は一瞬顔をそむけたが、続けていった。
「まあ、それでも構いません。貴方さえよろしければ唱えてください。」
「ええ、ううん。なんでです?理由を聞きたいもんですね。」
「さあ、死者と生者の区別がそんなにあるもんでしょうか。」
「というと?」
「昨日苦しんで自殺した人間と、今日を苦しんで生きる僕たちに一体どんなに差があるのかって意味です。」
私はその言葉に目を見開いた。この西洋人は、名前も知らないこの男は、哲学のようなことを言ってきていた。むしろこの男の故国では仏教など盛んではないはずである。しかし彼は奇妙にも念仏を求めてここにやってきた。私はいつの間にか、この男に、この男の哲学に興味を抱いていた。
「自殺したいのですか。」
「するかもしれません。」
「そりゃあ、ううん。なんというか。」
「別に慰めて欲しいとは思っていません。僕は念仏が欲しいだけです。」
「念仏……これから死ぬからですか。貴方の国の神の祈りの言葉ではダメなんですか?」
「駄目ではありません。でも聞いても役に立ちはしませんでした。神は僕を救わなかったんです。仏もそうなのか、試してみたい。」
「はあ、そうですか。」
「仏も救いませんか。」
「それほど熱心に救ってくれるほうでもありません。」
「それを試したいんです。」
その男はそのように目を爛々と輝かせながら言った。ああ、狂っている。そう思った。そも、神だの仏だのに救いを求めるのが間違ってるのだ。ほぼすべての人間が、或いは坊主や僧侶、神父や修道女ですら、心の奥底では救われないと信じ、だからこそ自分で人生を切り開こうと思っている。
ところがこの目の前の男は丸っきり信じてしまった。神はお救いくださる、そうでなければならない。そんな無垢なる心こそが、目の前の男の人生を狂わせてしまったのだ。そんな風に感じてしまった。
「念仏……言いましょうか。」
「ええ、お願いします。」
「非常に簡単なものですが……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……。」
「……。」
男は黙って聞いていた。目をつぶり、じっと私の拙い念仏を聞いているさまを見ると、自分の神を投げ出し、他の国の宗教に救いを見出そうとしている不信者であるとは感じなかった。むしろ私は坊主や神父に感じる一種の非人間的な感覚……あのどこか形作られ規格化されたような偉ぶった高潔さよりも……目の前の男の狂信的で無垢なる破滅的な信仰心の方を美しく思ってしまった。
「ありがとう、ございます。」
「これから死ぬんですか?」
「ええ、死にます。」
「どうやって死にますか?」
「崖から飛び降ります。ただしその縁で傘を差します。崖側に風が吹けば僕は落ち、反対側に吹いて僕がしりもちをつけば死ぬのはやめにしようと思います。」
「そう、ですか。」
「神か仏がほほ笑めば、私は生きる。でも私を殺すのは神か仏でもあるのです。どうです?面白いでしょう?」
「……私には、なんとも。」
「それはそうでした。これからも生きる貴方に言わせるべきではないでしょう。……貴方には迷惑をかけましたね。」
そう言って男が整髪した頭を下げてくる。そう言われて男の方を見れば、彼の姿は死装束にも見えた。世を捨てた人間が死ぬ前に身を整えた姿、そんな風にも見えたのである。僕の口からは思わずこういう言葉が出ていた。
「死ぬのは止めてみませんか?」
「え?」
「神でも仏でもなく、自分を信じて生きてみてもいいんじゃないでしょうか。」
「ハハハ、面白いことを言いますね。」
「それは、どういう……。」
「
そう言うと男は歩き出していった。結局彼の名前すら私は知ることが出来なかった。
風が吹く中、私はふと箒で集めた葉っぱが辺りに散乱しているのに気づいた。私はそれを再び集めながら、しかし心の中ではあの男の事ばかり考えていた。……考えてみれば当たり前の事であった。神でも仏でも救えなかった男が、私ごときに救えるはずもなかったのである。
私は彼のその後を一切知らない。ただし私とその男が再会することは二度となかった。