なお、作者はΔが初視聴マクロスです。
男は大馬鹿野郎だった。
空に憧れ、翼を得て、誰にも縛られず無限の蒼穹で翔び回る。まるでドッグランを駆け回る犬ころみたいにな。
あいつにとっては大空が居場所だった。今までの無謀なフライトも全て、あそこに在り続けるためだった、なんてぼそっと嘯かれた時には笑っちまったよ。
あぁ、こいつは正真正銘の大馬鹿野郎だ、ってな。
だが地上の柵は英雄サマを放っておいてはくれなかった。放置するには、英雄サマが積み重ねた功績と買った恨みがデカすぎたんだ。
よく言うだろ。英雄なんてのは用が済めば邪魔にしかならないって。
戦後の混乱に乗じて暗殺部隊を仕向けられることなんてしょっちゅう。仲間や家族を奪われた連中からは悪魔と罵られ、命を狙われ続ける日々。
意図的に補給物資を制限されて、殺意しか感じられないミッションに出向かされるのも日常茶飯事。しまいにゃ、お空じゃ歯が立たないからって地上で殺し屋に付け狙われ始めた。
皮肉なのは、それらの障害は全てこいつを規格外に押し上げる糧にしかならなかったことだろう。いつのまにか、地上でも何処ぞの特殊部隊並みの身のこなしになってやがった。
基地に仕込まれた爆弾まで解除してみせた時は、本気で何処目指してんだと言っちまったけどな。大真面目に、空を目指してるつもりなんだけどな、と返されて腹抱えたのはいい思い出だ。
だが、英雄サマ本人はなんとかなっても周りはどうにもならない。こいつについていけば生き残れるなんてジンクスも、いつのまにかくるっとひっくり返っていた。
あいつの側にいたら死ぬ。命が幾つあっても足りない。いつからかそんな噂が流れ始め、英雄サマを持て囃していた輩は消えていった。まあ、そんな噂知ったこっちゃねえと離れなかった大馬鹿野郎も結構いたがな。あたしもその一人だ。
だがいずれ何処かで破綻するのは見えていた。一人、また一人と馴染みの顔の数は減っていく。ついには信頼する相棒までもを失っちまった。
そこが限界だったんだろうな。
あいつはあたしに馬鹿げた企みを持ち掛けてきた──ダークブルーのその先、未知のソラへ翔びたいと。
Δ
うらさびれた滑走路にて一機の戦闘機が翔び立つ瞬間を今か今かと待ち侘びていた。
──F-22《ラプター》。オーシアにて畏怖と敬意の対象である男の愛機だ。
尾翼に背負うのはリボルバーを咥えた狼と、三本線を傷痕のようにアレンジしたマーク。前者がパイロットのタックネームを表し、後者は戦場にて敵味方両方が畏怖する忌み名となって久しい。
いつでも飛べる状態で待機しているF-22の傍らに二人の男女がいた。一人はパイロットスーツを着込んだ男で、もう一人は工具箱を片手に持つメカニック風体の女だ。
「機体の調整は完璧だ。キャノピーもピカピカに磨いといてやった。空の色もよく見えるだろうさ。感謝しろよ、トリガー」
女の言葉に男──トリガーは無言で頷く。言葉はないが、表情には女への感謝の念が溢れていた。
だが、女としては不服だったのだろう。軽く顔を顰めてつま先でトリガーの脛を小突いた。
「この期に及んで無口気取ってんじゃないよ。ちったぁ喋りな、大馬鹿野郎」
「……酷い言い草だな」
渋々といった体でトリガーは口を開く。喋ることができないわけではない。本当に信頼できる仲間以外には口数を少なくし、壁を作っているだけだ。
だからといって、お喋りが得意かと言われればそうではないが。
「知るか。お前さんがもう少し口が上手ければ、こんなことにならなかった未来もあったかもしれないんだ。文句の一つくらい言わせろ」
「……それは、ごめん」
トリガー自身、自覚があった。今は亡き心から信頼できる相棒の半分くらいの話術があったなら、もう少しやりようがあったかもしれない。だが、たらればを言ってももう遅い。
女もそこを責めたところで何も変わらないことは分かっているらしく、それ以上突っ込むことはなかった。
「そら、さっきも言ったが機体は万全に仕上げてあるが、何か文句があれば聞いてやる。どうだ?」
「そうだな……強いて言えば、武装かな」
「なんだ、火力不足か? 必要ならもっとヤバいのを基地からくすねてきてやろうか。EML兵装とか」
「違うから、火力不足じゃなくて過剰戦力だから」
勘弁してくれとばかりに溜め息を吐いた。
横目に見やる愛機には詰めるだけのミサイルと特殊兵装が搭載されていた。これにトリガーの人外染みた操縦技術が合わされば、下手な基地の航空戦力なら殲滅できる。
実際、エルジア急進派残党が占拠する基地を一人で攻略するという、トリガーを謀殺する気しかないミッションをこなしてしまった前科がある。そのあたりから、空では無理だからと地上で命を狙われ始めたのだ。
「ただ翔ぶだけだ。交戦する予定はないし、必要あるか……?」
未知のソラへ翔ぶ──などと宣っているが、要は盛大な自殺だ。トリガーの最期のわがままと、オーシアの三本線が死んだと世に知らしめるため。ただそれだけのことに、ミサイルやら何やらが必要になるとは思えない。
「備えあれば憂いなしってな。気が変わって、今までちょっかいかけてきた連中にミサイルをプレゼントしたくなるかもしれないだろ」
あっけらかんととんでもないことを宣う女に、トリガーはあんぐりと口を開けて硬直する。なんだかんだ長い付き合いだからこそ、女の言葉が冗談ではなく本気であると分かってしまった。
しばし無言が続くも、トリガーがわざとらしく咳払いしたことで会話が再開された。
「さて、そろそろ離陸の準備でもするか」
「そうかい。あぁ、そうだ。これを持ってきな」
半ば機体に振り向きかけたトリガーに、女が何かを投げ渡す。反射的にトリガーはそれを掴み取る。
投げ渡された何かは手のひらに収まるサイズのポータブルラジオだった。かなり使い込まれた代物なのか、あちらこちらに小さな擦り傷がついている。ご丁寧にストラップが付けられており、持ち運びには難儀しなさそうだ。
トリガーは手のひらの上のラジオをじっと見つめ、ハッと何かに気付いたように顔を上げた。目の前にはしたり顔の女がいる。
「伯爵殿の忘れ物さ。埃被ってほっぽかれてたから、持ってきてやったよ。ついでにちょいと魔法もかけてやったがね」
「魔法……?」
唐突にメルヘンなワードが出て首を傾げるも、すぐに渋面を作ってラジオを見下ろす。
しばし、苦悩するようにラジオを見つめ続ける。ややあってから、決心したかのようにトリガーは決然と顔を上げた。
「悪いけど、出発する」
「だろうな。ほら、さっさと行っちまいな。来世はもうちょっとお喋りに生まれてこいよ」
トリガーを追っ払うように手を振り、女は機体から離れていった。
「──ありがとう、エイブリル」
不意に呼ばれた名前に女──エイブリルは立ち止まる。肩越しに振り返るが、トリガーは既に発進準備に移っていた。
トリガーの背を睨むようにじっと見つめるが、ふっと溜め息を溢すと今度こそ滑走路を後にした。
Δ
大馬鹿野郎が翔んでいく。雲を越え、空の果てを目指し、ダークブルーのその先へと真っ直ぐ。
その機影は自分の在るべき場所に
出撃許可のない戦闘機の離陸はすぐさま各方面に露呈し、近場の基地から幾つかの機体がスクランブルした。だがまぁ、後追い出撃であいつに追いつけるはずもなかったがな。
地上の柵も何もかもを振り切ったあいつは翔べる限界まで翔んでいったことだろう。そして満足したら、余計な被害を出さないように海へと真っ逆様に堕ちる。そういう計画だった。
だが妙なことが起きた。飛び立った大馬鹿野郎が何日経っても
戦闘機は魔法の絨毯じゃない。いずれは燃料が尽きて地上へ堕ちるのが自然の摂理だ。なのに堕ちてこない。
無許可離陸をしでかしたのが三本線の英雄サマだと把握した軍上層部が、本腰を入れて捜索をするも音沙汰なし。機体の破片一つとして見つけられず、神隠しだなんだとまことしやかに囁かれるようにまでなった。
最後の最後まで傍迷惑、世間騒がせなやつだよ。軍事ジャーナルの次はオカルト雑誌まで騒がせやがって。おかげであたしのところにまでどこそこのジャーナリストやらが来やがった。くそったれな軍人どもよりマシだが、いい迷惑だ。
どうせあいつのことだ。あたしの知らない、手の届かないソラで好きにやってるだろうさ。人の気も知らずにな。
あたしには関係ない話さ。あいつが何処に行って、何処のソラを翔んでいようとな。
ま、強いてコメントするなら、そうだな──
「──あばよ、大馬鹿野郎。達者でな」