美雲たちが遺跡を脱出するのとマキナたちの脱出タイミングはほぼ同時だった。
両チームとも疲労や多少の負傷はあれども、一人の欠員を除いて全員揃っている。
「くもくも!」
合流するや否やマキナは美雲に駆け寄った。
「トリトリはまだ来てない? 一人で脱出するって連絡があってそれっきりなんだよ」
「別ルートから脱出しているはずよ。何事もなければそろそろ出てくるころだけど……」
トリガーが遺跡から出てくる気配はなかった。
フレイアたちを救出する前の打ち合わせでは、二手に分かれて離脱する予定ではなかった。トリガーが美雲には何も明かさず、一人で囮役を引き受けてしまったことで予定が狂ったのだ。
──戻ってきたら、どうしてくれようかしら。
美雲が胸中で密かに怒りを滾らせている一方、マキナはタブレット端末でトリガーの安否を確認していた。
「トリトリの生命反応はちゃんとある。居場所は──」
マキナが端末を駆使してトリガーの居場所を割り出そうとしていると、一行の側にデルタ小隊の機体が降下する。待機組のアラドとチャックが、潜入組の機体を回収して撤退支援に駆け付けたのだ。
『全員揃っているか? ヴァール化した新統合軍がスクランブルしてくる。ある程度蹴散らしてすぐにアイテールまで撤退するぞ』
「待ってください、アラド隊長。トリガー君がまだ脱出できていないんです!」
『なんだと!?』
カナメの報告にアラドは驚愕の声を上げた。
トリガーが揃っていない以上、撤退を進めるわけにはいかない。だからといってここで手を拱いていれば、新統合軍に加えて空中騎士団も出っ張ってくる。
「俺はトリガーを助けに行くぞ」
「だったら、私も」
トリガーが助けに来たからこそ、ハヤテとミラージュは無事に脱出することができた。恩人を見捨てて逃げられるほどハヤテとミラージュは非情にはなれなかった。
止めても突っ走りそうな二人をどう宥めるかアラドが悩んでいると、遺跡からふらりと人影が現れる。
「すみません、遅れました」
『トリガー!? 無事だったのか……』
一見すると怪我もない様子のトリガーにアラドは安堵に胸を撫で下ろす。他の面々も無事にトリガーが戻ってきたことを素直に喜んだ。
ただ一人、美雲だけは険しい表情でトリガーの様子を観察している。
『よし、これで全員揃ったな。必要な情報も手に入れた以上、長居は無用だ。とっととずらかるぞ!』
アラドの指示に今度こそ全員が声を揃えて了解と応じた。
パイロット組は自分の機体に搭乗して撤退の道を切り開く。ワルキューレは撤退が可能になるまで、ヴァール化した新統合軍の兵士を歌声で鎮圧する。
各々が己の役割を全うしようと動く中、トリガーも自身の機体に向かおうとして、行手を美雲に遮られた。
「待ちなさい、トリガー」
「どうかしたか、美雲? もしかして、さっきのことか?」
美雲に相談の一つもなく一人で囮役を務めたことに対する小言か。文句ならば後でいくらでも聞くので、後に回してほしいというのがトリガーの心境だった。
しかし美雲の目的は小言でも文句でもなかった。
トリガーを頭から足先まで医者が診断するように見やり、真剣な表情で口を開く。
「──服を脱ぎなさい」
突然の脱衣強要発言に、近くで歌の準備をしていたマキナがぎょっと目を剥いた。
「ちょ、くもくもなに言っちゃってるの!? 今はふざけてる場合じゃ……」
諌める言葉を続けようとしたマキナだが、おふざけの欠片も感じられない美雲と苦虫を噛み潰したような表情のトリガーに言葉を飲み込む。
「……服を脱ぐ必要性が感じられない」
「嫌なら無理やり脱がすけど?」
「……はぁ」
強硬手段も辞さない美雲の態度に、トリガーは観念して羽織っていた上着をまくってみせた。
二人の様子を見守っていたマキナが小さな悲鳴を上げる。マキナの悲鳴に近くにいた他ワルキューレメンバーが反応し、トリガーの姿を見て息を呑んだ。
右肩から左脇腹に掛けて袈裟懸けの切創が刻まれていた。包帯で止血こそしているようだが、滲み出す鮮血が切創の大きさを物語っている。
「剣で斬られたのね」
「見た目ほど傷口は深くない。軽く止血はしてあるから撤退支援くらいはできる」
「無茶だよ! そんな身体でジクフリちゃんに乗ったりしたら、失血で意識を失っちゃう!」
平然とした顔で飛ぼうとするトリガーに、ジークフリードのことを誰よりも知っているマキナが絶叫した。言葉にこそしないが美雲も、ワルキューレメンバーも同意見である。
反対意思多数に対して、しかしトリガーは聞く耳を持たない。
「無理はしない。ちゃんと自分の限界を見極めて、可能な範囲で飛ぶ」
「我慢できるの? 普段から仲間を守るために無茶をしているあなたが」
美雲に痛い所を突かれて黙り込むトリガー。これまで仲間を守るために繰り返した無茶な飛行が、己の言葉の説得力を奪っていた。
「だけど……!」
大人しくしてはいられない。自分が出撃しなかったことで、もしも仲間が堕とされようものならトリガーは後悔する。仲間を失うくらいなら、いっそ自分が──
鬼気迫る様子で説得を聞き入れないトリガーに、カナメは隊長であるアラドから出撃禁止を言い渡してもらおうと考える。それでも止まるかは怪しいが。
カナメがアラドに通信を繋げようとしたその時、美雲が呆れ混じりの溜め息を吐いた。
「そんなに仲間を守りたいのなら、守らせてあげる」
美雲は装着していたグローブ型のデバイスを取り外し、文句を言いたげな様子のトリガーに投げ渡した。
反射的に受け取ったトリガーは首を傾げ、投げられたデバイスの正体を把握すると驚愕に目を見開いた。
美雲が渡したのはマルチドローンプレート“シグナス”を遠隔操作するデバイスだ。フォールドエフェクトによってワルキューレのライブを演出し、時にはバリアを張って戦火から歌い手を守る、言わばワルキューレにとっての命綱である。
「私が歌に集中できるよう、しっかり守りなさい。返却は受け付けないわ」
「む、無茶苦茶だ……」
自分の身を守る盾を他人に預ける所業は、怪我を推して飛行しようとしたトリガーに並ぶ無茶だ。美雲以外の面々も、信じられないと顔を引き攣らせている。
美雲の身の安全を盾に取る強引な説得にトリガーはしばし頭を抱えて悩む。しかし美雲が返却を受け付けない以上、選択肢は最初からなかった。
「……畜生! 分かったよ、やってやるさ!」
「私が傷物にならないようにしっかり守りなさい」
「こんな時まで揶揄うのはやめてくれ!?」
ヤケクソ気味にデバイスを装着して操作を始めるトリガーと、愉しげに微笑みを浮かべる美雲。ワルキューレメンバーは珍しい組み合わせのやり取りにぽかんとフリーズする。
「あなたたちも、いつまで呆けているつもり? 私たちの役目はなに?」
いつもの不敵な表情で美雲が問えば、メンバー全員が役割を思い出し戦場に歌を響かせ始める。
ワルキューレの歌声を間近で聞きながら、トリガーは預けられたデバイスを駆使して“シグナス”を操るのだった。
Δ
トリガーが“シグナス”を操作するのは何も初めてではなかった。
機種転換訓練の一項目として一通りの操作方法は熟知している。しかし戦場でドローンを直接操作するのはワルキューレであって、パイロットが操作することはない。
つまり実戦においてドローンを操作するのは初の試みなのだ。
美雲以外のワルキューレメンバーが驚くのも無理はない。美雲は敵機のミサイルや砲火から身を守る盾を、あろうことか使い慣れていない人間に預けたのだ。
トリガーが下手を打てば生身で砲火を浴びることになる。命を危険に晒す所業であったが、今のところは美雲の元には弾丸一発すら届いていない。
美雲や扱い慣れているワルキューレメンバーと比べれば拙く、一度に操作できるドローンの数も少ないが、襲いくるミサイルやビームバルカンをバリアで凌いでいる。
「演出足りてないんじゃない、トリガー?」
「無茶を言わないでくれ、無茶を!?」
歌の合間を縫って時折煽ってくる美雲に、防御で手一杯のトリガーは演出に回す余裕なんてないと叫ぶ。演出よりも美雲の身を守るので精一杯だ。
地上でそんなやり取りを交わしている一方、上空ではΔ小隊がヴァール化した新統合軍の相手をしている。今のところは順調に切り崩せており、もうしばらく敵勢力を削ることができれば撤退が可能だろう。
しかしウィンダミアも易々と撤退を許すつもりはなかった。
空中騎士団の機体が数機ほど空域に侵入し、Δ小隊とワルキューレへ激しい攻撃を仕掛けてくる。緊急発進したのか普段よりも機体の数が少ないものの、撤退時の脅威になることは間違いない。
畳み掛けるように戦況は悪化する。
プロトカルチャーの遺跡が胎動するように光を放つと、戦場に風の歌が響き渡り始めた。それも、今までにない強力な出力で。
風の歌はフォールドレセプターを有する者か、高純度のフォールドクォーツを身に付ける者にしか聞こえなかった。しかし今回の歌はそれ以外の者、アラドやチャックといった面々にも聞こえた。
風の歌は人々をヴァール化させてしまう。幸いなのは、Δ小隊の面々は普段からワルキューレの歌を聞いているため、ヴァール化リスクが比較的低いことだろう。
しかし問題は他にあった。
「歌が、重い……!?」
「遺跡と私たちの歌が干渉してるの……?」
遺跡の稼働と風の歌が響き始めたの同時、ワルキューレのメンバーは常のように歌えなくなっていた。厳密には、歌声に乗せる生体フォールドが安定しない状況に陥っていた。
ワルキューレの歌が効力を発揮できなければ、ヴァール化した新統合軍を抑えられない。Δ小隊は数的不利を強いられ、撤退どころの話ではなくなってしまう。
「何とかならないのか、美雲!?」
「…………!」
切羽詰まったトリガーの呼び掛けに、美雲は険しい顔付きでプロトカルチャー遺跡を見据える。
遺跡が稼働し始めてから美雲は妙な胸騒ぎに見舞われていた。言語化の難しい、身に覚えのない感情が湧き上がって止まらず、歌うことに集中できないでいる。
──私を呼ぶのは、だれ?
正体不明の感覚に集中を掻き乱されてしまう美雲。他のメンバーも思うように歌えず、徐々に戦況が押され始める。
そんな逆境の中、戦場で何かを見つけたフレイアが危険を顧みずに飛び出した。
「ダメだ、離れたらフォローが……!」
ワルキューレにおいてまだまだ新人であるフレイアはドローンの扱いがトリガーより悪い。戦場で敵機に狙われようものならあっという間に蜂の巣にされてしまうだろう。
悪化する戦況、歌えないワルキューレ。自分で飛んで仲間を守れないもどかしさに歯噛みしながら、トリガーは未だ遺跡に意識を奪われている美雲に駆け寄った。
「美雲! しっかりしろ、美雲!」
「……トリガー?」
「ワルキューレの歌が、美雲の歌が必要なんだ! 頼む、みんなを守ってくれ……!」
殆ど掴み掛かるような勢いで懇願するトリガーに、美雲は遺跡から意識を引き戻した。
上の空から我に返った美雲は戦況を把握し、気持ちを切り替えるように大きく息を吐く。次の瞬間にはいつもと変わらない不敵な笑みを携えて自らの
「そんなに聞きたいなら、聞かせてあげる──女神の歌を!」
歌うことに意識の全てを集中させた美雲は、遺跡の影響も風の歌も知ったことかと高らかに歌声を戦場に響かせ始めた。
「美雲のフォールドレセプター数値上昇、生体フォールド波安定!」
歌いつつ戦場のモニタリングをしていたレイナは、美雲の歌によってヴァール化が鎮圧され始めているのをリアルタイムで確認した。
「これは……フレイアもレセプター数値上昇!」
「どうやら無事みたいね……」
戦場に飛び出していったフレイアの安否が確認でき、カナメはほっと胸を撫で下ろした。
フレイアと美雲、二人の
加えてフレイアの歌声が響き始めたあたりから、ハヤテの動きが異様に良くなった。機体に金色の粒子を纏わせ、常日頃とは一線を画する操縦で新統合軍を無力化していく。
ハヤテの身に何が起きているのか、戦場をモニタリングしていたレイナとメカニックのマキナはすぐに理解した。
「フレイアとハヤテのレセプター数値が同調、共鳴してる」
「フォールドウェーブシステムが起動してるみたい」
ジークフリードには高純度のフォールドクォーツが搭載されており、条件を満たせば機体性能がブーストされるフォールドウェーブシステムが稼働する仕組みになっている。
ハヤテの機体はフレイアとの共鳴によってシステムが起動、ハヤテ自身も何かしらの恩恵を受けているのか凄まじい機動で空域を制圧していく。その動きは白騎士やメッサーに迫るものだ。
「このままいけば押し切れる!」
しかしウィンダミア軍もこのまま逃がすつもりはなかった。
このままでは押し切られると判断したウィンダミア軍は、遺跡前で歌う美雲たちに狙いを定めた。ワルキューレの歌さえ止めてしまえばどうとでもなると考えたのだろう。
放たれる無数のミサイル。広範囲に拡大したミサイルは容赦なくワルキューレへと牙を剥いた。
「不味い、バリアで──」
カナメが即座にバリアを張ろうとして、それよりも早く大量のドローンがワルキューレを守るようにバリアを展開した。
巨大なバリアによってミサイルは全て防がれる。一瞬で敵機とワルキューレを遮断する巨大なバリアの壁を張ったのはトリガーだった。
「助かったわ、トリガー君……トリガー君?」
土壇場でワルキューレを守り抜いてくれた功績者に感謝を伝えようとして、カナメはトリガーの異変に気が付いた。
痛みを堪えるように傷口を抑えつつドローンを操作するトリガー。歯を食い縛り、瞳孔の開いた瞳で戦場を俯瞰する様はとてもではないが正常とは言い難い。
カナメの反応からトリガーの異常を察し、レイナが即座に解析する。
「これは美雲と共鳴……共鳴? 違う。何これ、分からない……」
解析してもトリガーの身を襲う現象が説明できずレイナは混乱してしまう。
「トリガー君! 意識はある!?」
「……あります、何とか」
苦悶に満ちてはいるもののトリガーは返事をした。ヴァール化による暴走の類ではなさそうだ。
「大丈夫です。傷が痛むだけで、それ以外はむしろ調子がいい」
トリガー自身、自分の身に何が起きているのかは理解できていなかった。ただ、いつもより感覚器官が冴え渡っている気がする。戦況が手に取るように理解できる。脳の処理容量が押し上げられている。
今なら何でもできるような、そんな全能感をトリガーは感じていた。比例して傷口が塩でも塗られたかのように痛むのは、恐らく感覚器官が研ぎ澄まされてしまったからだろう。
激痛に飛びそうな意識を気合いで繋ぎ止め、トリガーは美雲に歌い続けろと目で訴えた。歌いながら横目にトリガーの様子を伺っていた美雲は頷き、構わず女神の歌声を戦場に響かせ続ける。
戦況は完全にΔ小隊優勢になった。新統合軍は大半が鎮圧され、ウィンダミア軍は数の有利を失い一部はハヤテの獅子奮迅の如き活躍で無力化されている、
『よし、もう十分だ。撤退するぞ!』
アラドの号令に従い、一行は速やかに撤退行動に移った。
Δ小隊とワルキューレの活躍によりウィンダミア軍は撤退の阻止に失敗。追撃もなく一行は母艦アイテールまで撤退することに成功した。
危なっかしい場面や肝を冷やすタイミングは多々あったものの、一人の欠けもなく潜入調査の任務を終えることができた。一行はお互いの無事を喜び帰還に沸く。
そんな賑やかな格納庫にて、危機は去ったと判断して気の緩んだトリガーは、人目を憚らずぶっ倒れるのだった。
ボーグ君は生きています。
トリガーに一太刀浴びせて油断したところをぶん投げられましたが、後を追ってきた他の騎士のおかげで命拾いしてます。