柵も何もかもを振り切って、トリガーを乗せた機体は蒼穹を突き破り、空の果てを目指した。
途中、近隣基地から迅速にスクランブルした戦闘機に絡まれそうになったが、
他にも基地からひっきりなしに通信回線が飛んできたが、トリガーはそれら全てを振り払い、愛機と共に空の果てへ一直線に翔んだ。
──そして、辿り着いた。
ダークブルーよりも濃い、今にも吸い込まれそうな無限の宇宙と煌めく星々。眼下には丸みを帯びた地平線。誰にも邪魔されない、自分だけの
柄にもなく心が躍った。ここ最近は空に上がっても窮屈だったこともあり、内心でのはしゃぎようは子供のようであっただろう。
無限に広がるソラを今だけは一人占めすることしばし。胸の内に眼前の光景をしっかりと刻み付け、トリガーは操縦桿を握り直した。
あとは海上へと真っ逆様に堕ちるだけ。途中で撃墜されるのでも構わない。どちらにせよ、オーシアの三本線が死んだことを知らしめられるなら問題ないのだ。
僅かな逡巡ののち、操縦桿をゆっくり前に倒そうとして──不意に響いた女の声に動きを止めた。
狭いコックピット内部。パイロットである自分以外には誰もいない空間で響いた声に、トリガーは己の耳を疑った。だが、聞こえる。それも徐々にはっきりと、力強く。
今までにない現象に戸惑いつつ、トリガーは声の発生源を探す。
通信回線ではない。離陸時点から通信回線は意図的に封鎖している。それ以外に音の発生源となり得るものは──
──ラジオだ。相棒のラジオから声が聞こえる。
エイブリルから投げ渡されたラジオは、手のひらサイズで厚みもそれほどではなかった。ストラップも付けられていたので、お守り代わりに首から下げてスーツの内側に入れ込んでいた。
そこから音が、声が聞こえていた。
手品のタネが分かれば拍子抜けたもので、無駄に緊張するだけ損だったと肩の力を抜いた。同時に、エイブリルの
──それにしても、電源も入れていないのにどうやって鳴らしているんだ?
微かな謎に首を傾げた瞬間だった。
機体前方に眩い光のゲートが出現した。
「────!?」
理解の範疇を超える現象に、トリガーは一瞬の迷いもなく回避行動に移る。だがしかし、光のゲートらしきものから発生する気流、あるいは引力に機体は吸い寄せられていく。
操縦桿を必死に操るも、抵抗虚しく機体は光のゲートに飲み込まれ──この星から三本線の英雄は完全に消え去った。
Δ
『──、────!』
声が、聞こえる。女の声だ。
『────、────♪』
凛々しく、力強く、何処までも響き渡る声──否、歌だ。
歌が響く。導くように、手招くように、誘うように。英雄を未知のソラへと連れて行く。
『──、────!!』
目を覚ませ、とばかりに一際強い歌声が響いた。
「──ッ!?」
身体の芯ごと揺さぶられる音の波に、混濁していたトリガーの意識が覚醒する。
コックピット内部で意識を失うなどという迂闊を責める間もなく、覚醒と同時に操縦桿を握り直し、機体の制御を取り戻す。間髪入れず状況の確認も始める。
意識途絶寸前の光景は眩い光のゲートのようなものに吸い寄せられるところだったが──
「なんだ、これは……?」
眼前に広がる光景に、トリガーは言葉を失った。
そこは見たこともない
地上では武装した巨人のような存在や二足歩行する兵器が暴れており、市民たちが右へ左へ逃げ惑っている。みるみるうちに被害は加速度的に広がっていくのが見てとれた。
上空では複数の戦闘機らしきものが激しい空戦を繰り広げている。いずれの機体にも見覚えはなく、遠目に見るだけでも愛機たるF-22を圧倒する性能を有していることが分かった。
更にもう一つ、戦場を歌い駆け回る歌姫たち。煌びやかな衣装を纏い、市民を守りつつ、歌声で暴徒を鎮圧している。目を疑う光景だ。
常識が木っ端微塵になる世界を前に、さしものトリガーも頭がパンクしそうだった。それでも操縦桿を手放さず、大きく旋回しつつ落ち着いて状況確認ができているのはトリガーだからこそだろう。
一つ、小さく息を吐き切り替える。次に
「どうしようか……」
ぽつりと呟いて、とりあえずトリガーはあえて無視していた通信要請に意識を向けるのだった。
Δ
──ヴァールシンドローム。
銀河系辺境惑星を中心に猛威を振るう奇病。
ある日突然、精神に変調をきたして暴徒と化す。人々はいつ訪れるとも知れない脅威に怯え日々を過ごしていた。
ここ、惑星アル・シャハルもまたヴァールシンドロームの脅威に晒されていた。
ゼントラーディ駐屯地を中心に集中発生したヴァール化現象により、アル・シャハルはあっという間に戦火に包まれ、地獄が顕現した。
しかしそれに対抗すべく現れた超時空ヴィーナス“ワルキューレ”とΔ小隊の活躍により、戦火の広がりは収まる──はずだった。
突如として現れた謎の勢力の襲撃により、戦火は再び拡大。ヴァール化現象を抑えていたワルキューレも、襲撃によって足並みを崩されてしまった。
悪化する戦況に、ワルキューレとΔ小隊の母艦たるアイテールの艦橋は混乱に襲われつつも事態を収めるべく、艦長たるアーネスト・ジョンソンを中心に現場への指示とフォローに従事していた。
そんな慌ただしい艦橋に新たな情報が舞い込んできた。
「艦長! 大気圏内で極小規模の時空震動を検知。デフォールドします!」
「“
現時点で手一杯な戦況を更に悪化させかねない要因に、アーネストは血相を変えた。
艦橋に緊張が走る中、デフォールドした対象の監視を行っていたオペレーターの声から困惑混じりの声が上がる。
「え、何この機体……アンノウンとは違う、そもそもVFでもない」
「どうした? 何が起きた?」
「はい。あの……デフォールドした機体なんですが、ご覧ください」
艦橋内に立体映像が投影される。デフォールド直後から継続されている監視映像には、戦場近くの空域を俯瞰するように旋回する戦闘機の機影が映し出されていた。
「これは……いったい何処の勢力だ?」
「銀河ネットワークにて機体照合……F-22って、60年も前の地球の戦闘機、です」
ブリッジ全体に戸惑いが伝播していく。そんな中、アーネストは映像に目を凝らす。
「リボルバーを咥えた狼と、三本線……?」
機体の垂直尾翼に描かれたマークを呟いた直後、オペレーターの一人が声を上げた。
「所属不明戦闘機と通信が繋がりました!」
「よし、この場に繋げ」
「はい!」
アーネストの指示によってアイテールブリッジと所属不明機との通信回線が繋げられた。
通信が繋がってすぐ、艦橋に若い男の声が響いた。
『こちらオーシア連邦オーシア空軍第124戦術戦闘飛行隊所属ストライダー1。そちらの所属を伺いたい』
「こちらはケイオス・ラグナ支部所属、マクロス・エリシオンの艦長を務めるアーネスト・ジョンソンだ」
名乗り返しつつアーネストは聞き覚えのない所属に首を傾げる。即座に銀河ネットワークを駆使して情報照会していたオペレーターも首を横に振った。
ストライダー1なる男の所属について謎が深まるも、今は詮索している時間すら惜しい。アーネストは前置きを端折って本題に移った。
「現在、惑星アル・シャハル上空は戦闘空域となっている。貴官には速やかな離脱を願う」
『…………?』
通信越しでも男が困惑している気配が伝わってくる。この様子からしてアンノウンの増援ではなく、フォールド事故か何かでこの空域にデフォールドしてしまったのだろうとアーネストは判断した。
「再度要請する。アル・シャハル上空は本艦勢力と所属不明勢力との戦闘空域となっている。速やかな空域離脱を願う」
『…………』
念押しするアーネストの要請に、ストライダー1の返答は沈黙。要請に従うかどうするか、思考しているのだろう。
重たい沈黙の時間が続き、艦橋内部にジリジリとした空気が漂い始めたタイミングで、ストライダー1からの応答が返ってきた。
『一つ、伺いたい』
「なにかね?」
『地上で歌っている女性たち。暴動を鎮圧しようとしているようですが、できるのですか?』
「できる。彼女たちはそのために結成された戦術音楽ユニット“ワルキューレ”だ。ワルキューレを援護するべく、本艦所属のΔ小隊も奮闘している」
アーネストの力強い言葉に、男は再びの沈黙。また焦ったい時間が続くのかと思われたが、次の応答は早かった。
『了解した』
「では──」
『本官はこれより戦闘空域への介入、制空権の確保を目指します』
「……は?」
今の流れでなぜそうなるのか、アーネストは思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
「無理です! 可変機構もないただの戦闘機で、それも単機でそんなことできるはずがありません! 無用な混乱を生むだけです!」
通信中もずっとストライダー1の機体解析を続けていたオペレーターが声を荒げて叫んだ。
しかしストライダー1は聞く耳持たず、地上は任せたとだけ残して一方的に通信回線を切ってしまう。直後、監視映像内の戦闘機が旋回運動を止め、戦闘空域へと真っ直ぐ飛翔を始めた。
「ストライダー1、戦闘空域へと進行。まもなく突入!」
「アラド少佐に緊急通達! 所属不明の第三勢力が介入することを伝えろ!」
「了解!」
即座に指示を飛ばし、アーネストは艦長席に身を沈める。そして戦闘空域へと突っ込む戦闘機を凝視した。
「身の程知らずの愚か者か、それとも……」
何にせよ、ストライダー1が命知らずの大馬鹿野郎であることは間違いない。艦橋内の人員全てが共通の認識を持った瞬間だった。
Δ
通信回線を切断し、トリガーは改めて操縦桿を握る。
通信の内容は殆ど理解不能なことばかりではあったが、地上の騒乱を収めるには上空でおいたをしている連中を抑えなければならないことだけははっきりした。ならば、トリガーの為すべきことは決まっている。
瞬時に各種機器の状態をチェック。備えあればと積み込まれた兵装も問題なく運用可能。心の中でエイブリルに感謝を捧げた。
向かう戦場は激戦が繰り広げられている。機体性能差は如何ともし難い。加えて、どれがΔ小隊なる者たちかもはっきりしていなかったりする。
通信相手に味方識別信号を要請すればよかったのかもしれないが、あの様子ではこちらの介入を頑として認めてくれなかっただろう。他に手段はなかった。
故にトリガーは、これより敵味方の区別すらつかない戦闘空域へと突入することになる。
──でもまあ、何とかなるだろう。あの時も何とかなったし。
通信衛星が堕ちてオーシア勢力かエルジア勢力なのか区別がつかなくなり、味方内での同士討ちが頻発する戦場で幾つものミッションをこなしてきたのだ。この程度の苦境程度、乗り越えられなくてどうする。
一瞬の瞑目ののち、トリガーは己の愛機と共に戦闘空域へと突入した。